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2012.07.10

「カール.マルクス」を読んで

Cmyoshimoptohon

「カール・マルクス」(吉本隆明・著・試行出版部・1966年刊)を読みました。家内が所有していた蔵書です。家内は学生時代は、初期マルクスをベースに講義する望月清司ゼミにもいたらしく、カール・マルクス関連の著作を読み込んでいました。

 なんかカール・マルクスも、吉本隆明さんも理屈が多くて、「難しそう」なので若い時代は「積読」で終わり殆ど読んでいません。断片的にマルクスの「経済学・哲学草稿」や「へーゲル法哲学批判」や「フォイエルバッハ論」や「ドイツ・イデオロギー」を読んでいた程度です。

 今年の3月に両親と同世代の吉本隆明さんが逝去され、急に身近に感じました。「老いの幸福論」など入院生活や病状を書かれていることもあり読んだことがきっかけで、吉本隆明さんの著作(現在所有しているのは50冊程度か)読んでいます。

 目次にあるように「マKmmokuzi


ルクス紀行」と「マルクス伝」の2部構成になっています。吉本隆明さんが、カールマルクスの著作を読み込んでいるうちに、マルクスの思想的営為を独自の視点で解析して行っています。


「わたしの現在の理解では、マルクス(1819年生まれ)の思想的体系は、20代の半ばすぎ、1843年から44年にかけて完成されたすがたをとっている。

 これは「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判」「経済学と哲学にかんする手稿」によって象徴させることができる。もしも個人の生涯の思想が、処女作にむかって成熟し。本質的にそこですべての芽がそろうもとすれば、これらはマルクスの真の意味の処女作であり、かれは、生涯これをこえることはなかったといっていい。」

 これらの論策で、マルクスは、宗教、法、国家という幻想性と幻想的な共同性についてかんがえつくし、ある意味dせこの幻想性の起源でありながら、この幻想性と対立する市民社会の構造としての経済的なカテゴリーの骨組みを定め、そしてこれらの考察の根源にあるかれ自身の(自然)哲学を三位一体として環のようにむすびつけ、からみあわせながらひとつの体形を完結したのである。」

「ひとびとは、いまさらマルクスでもあるまいなどと云うべきではない。とくに、マルクス思想のロシア的展開を、マルクス思想ととりちがえている(マルクス主義者)や、それを藁人形にしたてて射撃している反(マルクス)主義者はそうである。

 余裕があればひとつひとつを書誌的に批判してみせてもいいが、もし、わたしが新しい意味をマルクスの思想に発見しえなかったら、かれらは、わたしを哂うがよろしいと思う。わたしがかれらをいつも嘲笑しつづけてきたように。」

「現存している現実とそこに生きている人間関係とを、しぶんの哲学によって考察しつくそうという衝動は、青年期のすべての思想的人間をとらえるべきだろうが、かれほどの徹底性と論理的な情熱をもって、とにかく青年期の願望を成遂したものは、数世紀を通じてもあらわれなかった。」(P6)

「かれの思想から3つの旅程をみつけることができるはずである。
 ひとつは、宗教から、法、国家へと流れ下る道であり、
 もうひとつは、当時の市民社会の構造を解明するカギとしての経済学であるり、
 さらに第3には、かれみずからの形成した(自然)哲学の道である。」(P7)

 吉本隆明さんの著作の意図が書かれていると思いました。マルクスの思想的著作を読み込んでいることで、時代を超える思想の片鱗を発見する自信があればこその記述でしょう。 

 マルクスの代表的労作である「資本論」。一応全巻揃えて所有はしていますが、読んでいていつも途中で頓挫してしまいます。なんか用語の使い方が難しいというか、なじまないのです。

 吉本隆明さんはそのあたりを丹念に解説してくれています。

「資本論の理解はそれほど困難ではない。かれが基底においている(自然)哲学は、「手稿」とすこしもちがっていないのだ。

 ただ、かれがあらたに考察の軸として導きいれたのは、自然史の過程としての歴史、という(歴史)哲学であった。

 そしてかれがもっとも難渋したのは、いかにして(自然)史学としての歴史哲学を、かれ自体の主体的立場としての(自然)哲学と接着させるかという点であった。

 ひとびとが躓くとすれば、自然としての人間が、こちらがわにあるのに、いったん<労働>(働きかけ9として自然の対象世界にむかうやいなや、<価値>があちらがわに、いいかえれば手を加えた自然(商品)の表象としてあらわれるか、という秘密である。

 「手稿」のなかの<疎外>という概念が、「資本論」の<価値>概念と交わり、接着するのはこの点においてである。

 これだけのことがわかっていれば、たれでも手にとりさえすれば「資本論」を理解するにはこと欠かないはずだ。」(P131)とあります。

 一応書き写しましたが、まだまだ「わかったようで、わからない」のです。いよいよ理解度が浅い私ですね。

 しかし今更ながらに、19世紀末に逝去されたマルクスさんの思想的な影響力と言うのは、物凄いもの感じますね。吉本隆明さんの紀行と、伝記を読みましてもカールマルクスさんは、貧困と政治亡命者のどうしようもない狭い世界のいさかいのなかにあって、時代を超える思想を構築し表現した凄さは感じました。

 まじめに著作を読もうと素直に思いました。

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