東日本大震災の実体験から学び、南海大地震に備える
高知青年会議所8月度定例会が、高知サンライズホテルでありました。併設して防災講演会がありました。テーマは「東日本大震災の実体験から学び、南海大地震に備える」です。市民も自主防災会関係者など40人ほどが来ていました。
講師は佐藤健氏(37歳)。岩手県大船渡市で整体師をされておられます。3月11日は津波で自宅も診療所もすべて流されました。幸いご家族は無事でした。 震災直後に地域で防災リーダーとして活躍され、今も地域の復興のために奔走されています。
「とにかく、懸命に逃げることだけで必死でした。避難所は娘が通学していた体育館。電気もなく毛布もなく寒かった。」
「震災直後はg¥被害があまりに大きく放心状態に。早く冷静になることが出来れば、迅速な行動ができます。」
「車で逃げましたが停電で信号機もつかない。右車線を逆走して必死で逃げました。今回の津波は東北の人もまさかここまで来ないだろうと思っていた人が多かった。
わたしは漁師の子供だから、海の怖さを親にいつも聞かされていた。揺れたらとに書く高台へにげることを叩きこまれていました。だから逃げました。」
「高知へ来る飛行機や市内を案内してもらい思いました。大船渡はリアス式海岸だから、山が海に迫っている。だから高台は近い。高知は平地で低地で海が近い。
とにかくビルでも高いところへ逃げないと駄目です。」
「報道ではおとなしい紳士的な日本人といわれていましたが、直後は怖いところもありました。暴行事件もありました。子供はいつも大人と一緒に行動していました。」
また佐藤さんは大変大事なことを言われました。
「日頃から地域で小さなコミュニティづくりが大事です。ふだんから顔見知りになることが大事です。最後は人とっ人とのつながりです。」
「堅苦しい集まりでなく、炊き出し会でも。懇親会でも定期的に開催し、地域の絆を深めることが大事ですね。」
「行政は悪平等に陥ることがあります。たとえば収容所に500人いて、400人分食料があっても行政は全部揃わないと配布しません。揃わないので消費期限切れで廃棄することもありました。
僕ら民間人ならすぐに配布します。そこの協力関係は大事です。お互いが補う事が大事です。」
高知へのアドバイスもいただきました。
「収容所にはノートとサインペンを必ず置いて下さい。そちらへ避難してきた人の名前・住所。家族、連絡先を必ず書いてもらいます。それが安否確認になりますから。」
参加者との質疑応答もありました。
震災時には、タンス預金がいいのではないkと言う質問には、「自宅が高台にあればそれもいいでしょうが、津波浸水地区にある場合は無意味です。銀行も郵便局も高台の支店は、震災後すぐに復旧できますので、通帳さえ無事であれば不自由はしません。」
災害時FMについての質問がありました。
「申請者は市役所です。許認可はすぐに出ます。放送設備さえあれば電波はすぐに出せます。罹災地は本当に情報が不足します。給水や安否確認。行政からの情報など伝えたい情報はいくらでもあります。」
実践的な話でした。自ら罹災者でありながら地域の再建のために奔走する佐藤氏の話は、大変参考になりました。
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