私と夜須の関わりについて
33年前はわたしは東京の塗料メーカーの営業マン。主に神奈川県地域を担当していました。そのメーカーの認知度が低かったので、鎌倉・藤沢。横須賀にあるディーラーさんと一緒になって巡回をしていました。
その折江ノ島や逗子、葉山のマリーナも仕事で行きました。こちらは真夏でもスーツを来ているのに、マリーナからヨットがさっそうと出航する姿に憧れがありました。
高知へUターンし、長男が生まれ、その思いは忘れていましたが、ある時友人が夜須海岸でヨットをしていることを知りました。そして教えてもらいました。
そしたら面白い。冬になっても乗るようになりました。転覆し流され地元の漁師さんに助けてもらったこともありました。
ヨットを始めたのが1985年です。翌年に夜須町を舞台に「マリンタウン計画」なるものがあるやに聞きました。しかし伝聞ではマリーナはできそうですが、豪華なモータークルーザー主体。毎週末関西から飛行機でやってきて、土佐沖で釣りをしてパーティをするようなお金持ち主体のマリーナのようでした。
活動領域の夜須海岸は人工の海水浴場になるらしい。そうなれば自分たちはこの夜須でヨットができなくなる。そういう危機感がありました。
ヨット仲間の1人の親類が夜須町長がいるというので、直接面談し話しを聞きに行きました。そしたら想定しているような贅沢三昧のマリーナの計画でした。
これでは本当に活動ができなくなる。ちょうど高知青年会議所で初理事になったので、事業計画と予算案を出さないといけない。わたしは夜須の「マリンタウン計画を住民本位。県民本位の計画事業とするために青年会議所として積極的に関与するための計画を立案することになりました。
大きかった地元での丸岡克典君の発見
役場へ行き、夜須町の活動的なリーダーを何人か紹介していただきました。そのなかで1番元気で、前向きで明るい性格の人物が丸岡克典君でした。当時夜須町商工会青年部長をされていました。私と同年でした。
仕事は自動車販売業で町内のいろん人を知っている。また子供のPTAや地域の活動も積極的に行うリーダーでもありました。
高知青年会議所の理事会で、事業にご理解をいただくことには苦労しましたが、なんとか承諾をいただき、夜須町内の各層のリーダーの調査と面談、歴史の勉強。産業構造の理解を自分らなりにしました。
そして「海洋連続セミナー」という各層のリーダーの話を聞く連続セミナーを企画しました。1回目が奥田夜須町長と高知県の窪田企画調整課主幹、2回目が浜口手結漁業組合長という具合でした。
4回目の講師が、高知出身でアメリカの事情に詳しい安岡正博さん(当時日本フードサービス・在米調査員でした。「おまんらリゾート開発言う立ち、本物をみたことないろうきに、わからんと思う。米国西海岸旅行を企画するきに参加しいや」ということでした。
丸岡くんを始め、夜須からも参加し、米国西海岸のサンフランシスコ・ロサンジェルス、サンジェイゴまで見学しました。主にビーチと商業店舗を見て回りました。
その見聞がヤ・シィパークにも生かされています。
8月19日の高知青年会議所の「すまいるUPこうち」の、コンサートでヤッシイオールスターズが、「海が見えるステージは素敵。海といえばサザンオーススターズ」と叫んでいましたが、景観設計にアメリカ西海岸やバリ島の風景を取り入れています。
ボードウォークという木の道と椰子の木と芝生広場はアメリカ西海岸の良いとこどりです。今や西日本有数の海浜公園となりました。
今回高知青年会議所の細川洋伸さんたちが25年ぶりに、夜須でのイベントをしていただきました。今でこそ立派なイベント緑地があり、ロケーションがあり、大きな駐車場があるのできるのです。
25年前に「きっかけ」をこしらえたものとしては嬉しい限りです。
また丸岡克典さんたちとは、25年前から何かと連動して活動してきました。ヤッシーパークや2002年の高知国体やNPO法人YASU海の駅クラブなどでもいまでも連動して活動をしています。
これからが正念場
ヤッシーパークも開業10周年を迎えました。西日本有数のロケーションの良い海浜公園として海水浴のみならずフルシーズン賑わっています。
しかし海浜地区故の塩害による施設の老朽化もあります。また来年広域道路がヤ・シィパークの1キロ北を通過するので、何も手を打たねば素通りされる可能性もあります。
より一層施設と行事を魅力的にし、高速道路を利用してより県外から集客する必要性があります。そのためには常時の情報発信が必要です
香南ケーブルTVや地元ラジオ局などと提携してヤ・シィパークでコンサートを開催したり、常時の情報発信が必要であると思います。
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