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2012年9月

2012.09.30

うなぎのかね春へ行きました。

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 台風17号の暴風雨の中、朝早くから叔母と従兄弟はホテルを出て、日曜市と商店街へ買出しに出かけていたそうです。それで、昨日従兄弟と一緒に行った居酒屋「ごまめのはぎしり」で聞きました、「かね春」といううなぎ屋へいきました。10時半にホテルを出発しました。

 午前11時の開店直後にお店へ到着しました。メニューはうなぎ料理しかないようです。うな重(1人前3000円)を注文しました。

 うな重には、茶碗蒸しと漬物などがついていました。
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「べたべたしていなくて、さくさくした味のうなぎは最高に美味しい。昔子供の時に食べたうなぎがこの味。つれて来ていただいてありがとう。」と叔母にお礼を言われました。

 わたしも初めて食べましたが、値段だけの価値はありますね。3日分ぐらいのエネルギーを補充したようです。雨の中行っただけの価値があり、北海道の叔母と従兄弟が喜んでいただいたのが何よりでした。
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ブログやフェイスブックの効用は?

  ネット社会に足を踏み入れてようやく10年目ですね。自力でホームページをこしらえたのが、2002年。ブログは、2004年から始めました。ツイッターはやらずじまいです。フェイスブックは去年ぐらいから始めました。

 最近はスマートフォンやタブレット端末も普及していますが、それらには手が出ません。ごとごとパソコンでブリグとフェイスブックをしているだけですね。遅れています。とても。それでいいのです。

 効用は知らない人と知り合いになりました。9月にはフェイスブックで知り合った人と会い、実際に打ち解けた話をしました。10月にはブログで交流している人と初めて会います。

 出会いの幅を広げてくれます。WEBはそういう効用がありますね。

 一方仕事のほうでも全国のユーザーの皆さんと対話が出来ました。とても嬉しいです。これからも頑張ってよい意情報を提供できるようにします。

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2012.09.29

ごまめのはぎしりへ行きました。

 今日は実質の[敬老の日」。93歳の父と、91歳の叔母と。86歳の母の面倒をみていました。正直疲れたので、夕方は従兄弟と飲みに出ました。
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 ただあまり調子がよくないと言うことで、のんびりした居酒屋へいこうと思い、フェイス・ブックのお友達であり、18年前からの知り合いでもある大出泰孝さんのお店のごまめのはぎしりへいきました。

 私が来たのは2年ぶり。いつもはゆったりめの印象があるのに、今日はカウンター席もテーブル席も満杯状態でした。商売繁盛で何よりです。

 最初はビールを飲みました。続いて土佐の日本酒。店主お薦めの[南」という銘柄のお酒はなかなか美味しいです。宴会で飲まされている日本酒各位とは品質が違いますね。

 お隣の席の女性たちとも懇談しました。このお店は知らないお客同士が親しくなれる不思議な分に9期があります。それは店主の大出泰孝さんの人徳でしょう

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今日は我が家の敬老の日

 北海道から来ている叔母(91歳)と従兄弟。お天気が悪いし、叔母の体調も今ひとつなので、ゆったりしたデイ・サービス結(ゆい)に特別に預かっていただきました。叔母は要介護度2ですが、旅行者なので介護保険が使えません。母は要介護度1。地元ですが急なはなしですので。2人とも実費で預かっていただきました。

 ホテルへ叔母たちを迎えに行き、デイサービス結(ゆい)に送迎しました。
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そこで施設の人や他の入所者に面談しました。そこそこ2人とも他の通所者やヘルパーさんとも話しているようでした。
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 それで引き渡して、今度は父を連れて、週に1度のゴルフの打ち放し練習場へ行きました。父にといっては大事なリハビリです。元気そうに玉を打っていました。


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 そして戻ってきました。お昼前でしたので、父のために減淡白のラーメンをこしらえました。

 メールで問い合わせがありましたので、返事を書きました。一段落して、今度は歩いてデイサービス結へ行きました。

 ヘルパーさんたちと通所者でわいわいと、おやつにたこ焼きを焼き、食べていました。
叔母も母も元気に、たの通所者や、ヘルパーさんたちとも談笑していました。わたしもたこ焼きをいただきました。焼き立ちはなかなか上手いものです。

 そして呼び出しがあったので、また会社へ戻り、午後4時前後に迎えに行きます。なんだか日はずれていますが、敬老の日となりました。高齢者は大事にしないといけないと思いますね。


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 庭が広くて気持ち良いところです。

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「大杉栄評論集」を読んで

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「大杉栄評論集」(飛鳥井雅道・編・岩波文庫刊)読みました。大杉栄といえば、アナーキストで、 女性関係でどろどろの人。関東大震災時に憲兵隊に殺害されたという事前知識しかありませんでした。

 1885年に生まれで、1923年に殺害されています。38歳の生涯でした。陸軍幼年学校を中退し、東京外語大を卒業。幸徳秋水や堺利彦らの平民新聞を訪ね、日本社会党に参加し逮捕・拘禁。

 クロポトキンの翻訳や新聞条例違反で逮捕。拘留。赤旗事件で逮捕拘留中に大逆事件が起こり、交流されていたことで処刑は免れました。社会運動が圧殺された冬の時代にひたすら明りを灯しました。

 1917年のロシア革命後当局の取り締まりも厳しく、1923年の関東大震災の戒厳令下に憲兵隊に虐殺されました。

 評論集は1912年から1922年までが収められています。100年前の文章ですが、現代文で書かれていましてとても読みやすいです。感心しました。

「雑誌といえば、今日の日本の文芸雑誌の中で、僕は「白樺」が1番好きだ。創作にしろ評論にしろ、「早稲田(文学)」や「三田(文学)」や「帝国文学」などのとてもおよばぬ味と深みと強みがあるようだ。

 「白樺」の人たちは貴族の坊ちゃんといわれるのが何よりも嫌いだという。しかし事実は事実に違いない。そして僕はこの事実から、あの人たちの行動を少なからざる興味を以って見ている。

 由来貴族は、物質的にも、そして善い意味にも悪い意味でも、社会の同化者として大役を務めたものである。彼らは至る所の新発明品や奢侈品を、思うままに外国から輸入した。

 そして平民が万事その国の文物の中に閉じこもっている間に、彼らはいち早く、諸外国の粋を集めたコスモポリタンに成りすましていた。平民が随分荒い思想や趣味の中に閉じこもっている間に、彼らは既にいやが上にも純化を重ねられた。そしてそれがぜんぜん平民の間に模倣された。

 フランス革命当時の話に、貴族同士の間にはまったく階級的精神が滅ぼされていたけれども、平民同士の間には厳重に幾段かの階級が守られていたという。今日でも親が子供に比較的に自由にしているのは貴族だ。
 
 平民は理屈をいくら言われてもわからない。そして今の中から親の言う事は何でも聞くように仕込んでおかなかったら,私たちが年とってからどうして子らに食わしてもらえましょう、などという。

 「白樺」はこの貴族の血を受けて、そして一面において父祖からの悪癖に反抗すると同時に、他面においては成り上がりのブルジョワジーに反抗する。若い貴族の人たちから成る。

 僕らは「白樺」を見るたびに、見るたびに、いつもトルストイやクロポトキンの少年時を想う。トスルトイやクロポトキンは「白樺」の連中のような若い貴族が、更にもう1つの改宗した人じゃあるまいか。」(P28 「座談」1912年)

 とても100年前の文章とは思えない現代性がありますね。意外にも大杉栄は、貴族趣味文化といわれた白樺派、武者小路実篤や志賀直哉を高く評価していることですね。貴族であれなんであれ、「自由なる精神」「とらわれない文化」に憧れていたのは意外でした。

 最近内田樹・著作の「街場の文体学」を読みました。そのなかにも同様のことがかかれていましたね。

長い引用ですが、大事なことと想いますので書いてみます。


「日本人のエクスチュールは「おばさん」と「やくざ」と「やんきい」というようなしかたで水平r的に多様化しています。でも、ヨーロッパではそうではない。上下に階層化している。上層のエクリチュール、中間層のエクリチュール、下層のエクリチュールというふうにはっきり区分されている。」

「どういうふうに違うかというと、上層のほうがエクリチュールが「ゆるい」んです。標準化圧力が弱い。ヨーロッパでは上層へ行けバイクほど階層的な縛りから自由になれる。「上の人」は、何を着てもいい、どんな言葉づかいをいしてもいい、どんなところで、どんなふるまいをしてもいい。

 節度のあるふるまいをすれば「気取らない人だ」と言われ、誇示的な消費をしたり、醜聞を撒き散らせば「さすが奔放だ」といわれる。何をしてもつきづきしい。」

「逆に下層にいくほどそういう自由は失われる。階層的な締め付けが厳しくなり、自由度はどんどん少なくなる。話し方も表情も身体運用も価値観も美意識も「ロック」されてしまう。

 それ以外のふるまいができないようにお互いを監視する。そこから逸脱するときびしい閥が与えられる。下層階級なのにクラック音楽を聴いたり、詩を読んだり、クリケット観戦とかいうことは許されない。

 ラップを聴いて、テレビを見て、サッカー観戦することを強いられる。他の誰でもなく、自分たちの属する集団から禁圧される。そして本人たちはそんなふうにお互いの自由度を制約し合っていることには気がついていない。

 自分たちの間にしか通じないジャルゴンで話し、自分たちの集団固有のファッションで身を固め、自分たちの価値観を譲らず、仲間内から「毛色の変わった固体」が出てくると、きわめて非寛容に接する。階層内のふるまいの自由は、下層へ行くほど失われる。

 つまり、階層社会というのは、単に権力や文化資本の分配に階層的な格差があるということだけでなく、階層的にふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差があるということです。」(P127「エクリチュールと文化資本」)


 これは文化や教養が人をより差別し、格差を固定化するものとして大きな力を欧州諸国はあるなと思いました。なんとおぞましいことであると思いました。

「日本人は、教養と言う言葉にほとんど政治的な力は感じませんが、ヨーロッパでは、教養は階層再生産につよい力を発揮します。中略 学歴とか,音楽や美術についての趣味のよさとか、テーブルマナーとか、ワインの選択とかは、所得階層を示す身体かされた指標であり、文化的な格差の再生産装置なのです。」(P131)

 大杉栄と内田樹は、100年の時を経て、ほぼ同じ事を言われています。貴族階級は自由なるフランクな精神を獲得している。それに引き換え庶民階級はなんと縛りが多く、自分たち同士で牽制していつまでも下層から脱却できないでいる。なんという嘆かわしさであろうか。

 小泉内閣以降の日本を格差社会にする政策はまさに、これです。階層の固定化です。

 大杉栄の評論には、ロマンロランやトルストイやドストエフスキーや有島武朗なども出てきます。わたしと読書傾向が似ているので親しみが沸きました。

 一方で大正時代に勃興した吉野作造氏らの民本主義や労働運動を徹底的に批判しています。

「そしてそれについて生死生の議論の根拠は、1つは無政府主義の社会へ行くのはボルシェビキズムを通過しなければならないという事と、もう1つは協同の敵に対しては協同で当たらなければならないという事からしか、無産階級の手に始めて移されたロシアの政権を支持することこそ、よかれ悪しかれ協同目的を有するものの現在の任務であり、当然の義務であると考えられたものらしい。」

「一足飛びに天国へいけるかはどうかは僕も疑う。しかし無政府主義へ行くにはまず社会主義を通過しなければならぬとか、ボルシェビキズムを通過しなければならぬという事は、僕らは無政府主義の敵が考えた詭弁だと思っている。

 ロシア革命の最初の頃はレーニンを初めボルシェビキどもはそんなことを言った。日本でも共産主義の最初の宣伝時代はよくそんなことを聞いた。が、ひと通りその効果を見たあとでの、彼らの無政府主義者に対する態度はどうか。彼らはまるで資本家の次は無政府主義者だとういう具合しゃないか。」(「生死生に答える」P252)

 いわゆる無政府主義というのは、19世紀から20世紀にかけて一種の理想主義として世界各地で広まりました。しかし官僚主義的な共産主義や、その裏返しのファシズムやナチスの台頭で下火になりました。

 日本でも幸徳秋水が大逆事件で処刑(1911年)され、大杉栄が虐殺(1923年)されてから、衰退したようです。

 しかし今回大杉栄の評論集をじっくり読みましたが、問題意識が鋭く、官僚主義の否定と、自由への渇望が強く感じられました。

 国家論や社会論を考える場合も思想的機軸として無政府主義というものを検討する必要を感じました。また過去共産党関係者から否定され続けてきた、ザンジカリズムや、空想社会主義(ロバート・オーエン)などの思想の検証も必要だろうなと思うこのごろです。

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2012.09.28

叔母たちとうちの家族で会食しました

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 今晩は、高知市の土佐料理司本店で、叔母たちとうちの家族5人(両親、私ら夫婦と息子)ら7人で夕食を食べました。

 ホームページで調べたら、和食ですが椅子席もあり、車椅子利用可能なエレベーターもあることを確認していましたので、あらかじめ予約し行きました。

 お酒もたしなみ、それぞれが好きな一品料理を楽しみました。

 しかし残念だったのは、高知県庁障害福祉課発行の[高知県おでかけMAP」。ホテルや公共施設のバリヤフリー対応を表記していますが、飲食店情報がホテルや道の駅以外はありません。残念ながら役立ちませんでした。この司の情報は確か掲載されていませんでした。ネットで検索してようやくわかりましたから。

 福祉の部署と観光部署が連携して、県外や海外から高知へ来られる高齢者向きの観光ガイド・ブックを是非こしらえてください。それがあれば高知観光は間違いなく増えます。

 だって1500兆円の個人資産の8割は、70歳以上の高齢者が保有しています。おのずとターゲットがどこであるかわかりますよね。高知県の観光業界は「本気度」が今ひとつのようです。

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9月最後のはりまや橋サロン

 明後日で9月も終わり。来週からは10月です。朝晩はめっきり涼しくなりました。しかし高知市は太陽光線が強いのか昼間はまだまだ暑いです。沖縄から本土を伺おうとしている大型台風17号の影響もあるのでしょう。

 さて今日のはりまや橋サロンへ来ました。
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 活き活き100歳体操が始まる前に母が買い物していました。八百屋さんで新高なしという大型なしを購入していました。1玉が350円。珍しいので東京の子供に送りました。10円まんじゅうも買いました。
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 今日の活き活き100歳体操は、みなさん用事があるのか出席率はよくないですね。叔母も欠席でした。5人の参加でしたから。

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貧乏であることは恥ずかしいことではない

 最近つくづくそう思います。元々金持ちでは全然なかったが,最近より貧乏になりました。家の外で酒を飲む機会は,30代や40代の頃から言えば激減しました。家でも酒を飲むことはめったにありません。

 若い頃はビールも大瓶でケースで買い置きして毎日飲んでいました。今はやめています。お酒の買い置きも原則辞めました。どうしても飲みたいときは,近くのコンビニへ買出しに行き飲みます。買い置きがなければ惰性でお酒を飲むこともありません。買い置きしていると,自分で「今日は反省して飲むぞ」とかでどうしても口実をこしらえ飲んでしまいます。なければ我慢してお茶をわかして飲んでいます。

 朝食もパン食を辞め、日本食に。ご飯に納豆。前日の夕食の残りを食べます。パン食と違い腹持ちがいいのでお昼まで持ちます。外食はめったにしません。

 所得が減ったら減ったで楽しめる生活をすればいいのです。主に経済的理由でお酒を飲まなくなったので、随分健康になりました。たまにある宴会へ出たりしますと、お酒が美味しいと感じます。自然に感謝の心が出ます。

 休日の楽しみは夜須でのヨットでのセーリング。こちらは年間艇置き料を支払えばコストはさほどかかりません。昼食代が600円程度と,シャワー代金が200円程度です。それだけで1日遊べますので。

 昔の人が,座って半畳,寝て1畳とか言っておりましたが、そうである生活をしているので,自然であるし。困りません。卑屈になることもありません。

海へ出てセーリングしていますと、幸福感があります。海から,太陽からエネルギーをいただいているからです。

でもいつまでも貧乏ではいたくはありません。なんとか努力して自分のやりたいことをしたいものです。そうでなければ人生を楽しめません。

 125歳まで生きるつもりなので,必ず貧乏から脱出したいと思います。

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2012.09.27

北海道から叔母と従兄弟が高知へ来ました。


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 空港へ行く前に「車椅子専用表示板」を100円ショップで購入しました。レンタル店で車椅子を借用しました。そして高知空港では車椅子用の駐車場へ車を置きました。

 北海道札幌市から叔母(91歳)と従兄弟(55歳)がやってきました。午前5時に自宅を出て、7時半の札幌発の東京行きに乗り、乗り換えて11時55分着の便で来ました。大変ハードな工程です。
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到着時間に余裕がありましたので、母は空港ビルの売店で買い物をしていました。


 母(86歳)と高知空港で待っていました。母も叔母も超高齢者であり、昨年に続いての対面となりました。

 飛行機が羽田での離陸時のトラブルがあり20分程度遅れて到着しました。長旅にもめげず2人とも元気そうでした。
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 空港ビルは車椅子対応が充実しています。車椅子が乗れるエレベーターもありますから。

 早速昼ごはんは空港ビルの司で食べました。
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 空港ビルで、高知にゆかりのある宰相吉田茂の銅像に挨拶しました。
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 そしてホテルへ行く前にうちの事務所へ来ていただきました。父(93歳)も交えとりとめもない話をしました。遠く離れた親戚ですが、こうした雑談がいいようですね。
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 そして宿泊先のパレスホテルへ行きました。当初は別館「禁煙館」のバリヤフリールームでしたが、本館のバリヤフリールームが空いているということで、変更してもらいました。
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 フロントの対応などは、昨年のオリエントホテルよりは「まし」なようでした。

 しかし車椅子用のスロープに無造作に自転車が置いてあったりして、「注意力散漫」な部分がありました。高知市の観光ホテルのレベルも今ひとつですね。「あったか高知」は看板倒れのようですね
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 車椅子でエレベーターに乗り込み、本館3階のバリヤフリールームへ行きました。部屋はあまり広くはありません。
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 お風呂とトイレは一応バリヤフリー仕様になっています。使い勝手が良いかどうかは、実際に使用されないとわかりませんね。
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「街場の文体論」を読んで

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 「街場の文体論」(内田樹・著・ミシマ社・2012年刊)を読みました。金高堂書店の店頭で見かけました。後に郊外の大きな宮脇書店で探しましたが置いていません。当日は暑かったので休日でしたが珍しく高知市中心街商店街へ車で乗り付けました。近くのコインパーキングに駐車し1680円で購入しました。新刊本です。

 内田樹氏は、30年間神戸女学院大学に勤務され退官されました。」退官前の授業の講義を書き下ろしたものでした。内田氏の著作を読んだのは初めてでしたが、歯ごたえがありました。

 つかみは「言語にとって愛とは何か?」です。文章論ですが、「説明する力の高い3人の作家」として、三島由紀夫と村上春樹と橋本治を上げています。

「説明のうまい作家に共通するのは、遠くから、巨視的・一望俯瞰的に見たかと思うと、一気に微視的な距離までカメラ・アイが接近する、この焦点の行き来の自在さです。」(P11)と内田氏は言い切ります。
 
 そして「読み手に対する敬意」を払っていただきたいことを強調しています。」。読み手に対する愛がなければいけない。うまく書くことでも、正確に書くことだけでない。「気持ちよく読んでいただくため」に書く事であると。

「自分のなかにいろいろなタイプの読者像を持っていること。それが読みやすい文章を書くときの1つの条件ではないかと思うんです。」(P22)

 電子書籍についても内田氏はこう述べいぇいます。

「電子書籍によって紙の本がなくなってしまうという人がいますが、そういうことを言う人は本をあまり読まない人ではないかと思います。

 いや、最新の情報にキャッチアップするために、情報を入力のために本を読むことをするけれど、わくわくどきどきしながら時間を忘れて没入するために本を読むという経験があまりない人じゃないかと思います。」(P59「電子書籍と少女マンガリテラシー」)

 2012年3月に逝去された吉本隆明氏についても内田樹氏はこう述べています。

「戦前の自分自身をかたちづくったもののうち、「これだけは信じられる」というものを切り取って、救い出したということを切実に願った。それが吉本の同世代の人の特徴です。

 彼らより年長の人たち、この戦争には行かなかった人たち、「勝った戦争」を原体験にしている世代は、そんなにナイーブではありません。ただ看板を付け替えただけでわりとあっさりと戦後日本に適合できた。

 でも吉本や江藤(淳)もそんな風に簡単に看板をおろすわけにはいかなかった。少年期の」終わりに敗戦に遭遇した世代には、それしか「手持ちの人生」がないんですから。それを否定しろと言われても、できるはずがない。

 少年期のみずみずしい感受性を持って生きた戦争の日々を、どうやって戦後につなげるか。それがこの世代に固有の思想的課題になる。それが彼らの思想的な純度と成熟をやがてもたらすようになるわけですけれども、その江藤淳も吉本隆明も外国語訳がない。

 たぶん外国の言葉にはよく意味がわからないから。何もそんなに必死になっているのが外から見るとわからない。」(P106「世界性と翻訳について」)

 吉本や江藤の時代とはスケールは違いますが、わたしも少年時代に身に着けた毛沢東思想があまりに粗雑で低レベルであったことに愕然としました。人生の1番良い時代のよりどころがないことは辛いことです。それは思います。

 吉本隆明の思想は「本質的には世界的な思想だったのだけれども、世界各国の地域性がそれを受け入れるだけの成熟に達していなかった。そういう形で翻訳されていない。

 吉本があらゆる国の人々が目を背けようという事象を扱っているからなのだと僕は思います。」(P114「世界性と翻訳について」)

 内田樹氏はフランス文学を学んだ人でした。日本では考えられない、感覚的にわかりにくいフランスの階層社会をエクスチュール(文体)を使って的確に説明されています。

「日本人のエクスチュールは「おばさん」と「やくざ」と「やんきい」というようなしかたで水平r的に多様化しています。でも、ヨーロッパではそうではない。上下に階層化している。上層のエクリチュール、中間層のエクリチュール、下層のエクリチュールというふうにはっきり区分されている。」

「どういうふうに違うかというと、上層のほうがエクリチュールが「ゆるい」んです。標準化圧力が弱い。ヨーロッパでは上層へ行けバイクほど階層的な縛りから自由になれる。「上の人」は、何を着てもいい、どんな言葉づかいをいしてもいい、どんなところで、どんなふるまいをしてもいい。

 節度のあるふるまいをすれば「気取らない人だ」と言われ、誇示的な消費をしたり、醜聞を撒き散らせば「さすが奔放だ」といわれる。何をしてもつきづきしい。」

「逆に下層にいくほどそういう自由は失われる。階層的な締め付けが厳しくなり、自由度はどんどん少なくなる。話し方も表情も身体運用も価値観も美意識も「ロック」されてしまう。

 それ以外のふるまいができないようにお互いを監視する。そこから逸脱するときびしい閥が与えられる。下層階級なのにクラック音楽を聴いたり、詩を読んだり、クリケット観戦とかいうことは許されない。

 ラップを聴いて、テレビを見て、サッカー観戦することを強いられる。他の誰でもなく、自分たちの属する集団から禁圧される。そして本人たちはそんなふうにお互いの自由度を制約し合っていることには気がついていない。

 自分たちの間にしか通じないジャルゴンで話し、自分たちの集団固有のファッションで身を固め、自分たちの価値観を譲らず、仲間内から「毛色の変わった固体」が出てくると、きわめて非寛容に接する。階層内のふるまいの自由は、下層へ行くほど失われる。

 つまり、階層社会というのは、単仁権力や文化資本の分配に階層的な格差があるということだけでなく、階層的にふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差があるということです。」(P127「エクリチュールと文化資本」

 これは文化や教養が人をより差別し、格差を固定化するものとして大きな力を欧州諸国はあるなと思いました。なんとおぞましいことであると思いました。

「日本人は、教養と言う言葉にほとんど政治的な力は感じませんが、ヨーロッパでは、教養は階層再生産につよい力を発揮します。中略 学歴とか,音楽や美術についての趣味のよさとか、テーブルマナーとか、ワインの選択とかは、所得階層を示す身体かされた指標であり、文化的な格差の再生産装置なのです。」(P131)

 なんとも残酷な装置ですね。このあたりを読んだだけでもなるほどと思います。

 現在欧州で人種暴動や、移民の排斥が広範囲行われています。それは欧州各国の下層市民の共同体圧力が強く、移民文化を受け入れないのでしょう。移民の増加が自分たちの下層の共同体の危機ととらえ排斥に動いているのかもい知れません。そうなると解決は簡単ではありません。


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2012.09.26

BtoBネット活用セミナーに参加しました。

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 9月25日、26日の」両日高知県産業振興センターにて「BtoBネット活用セミナー」に参加しました。講師は村上肇氏(株)創代表者でした。
 
 「BtoB」というのは企業から、企業への情報伝達のホームぺージづくりや営業のこと。「BtoC」は、企業から消費者への情報伝達と販売営業のことです。

 「伝わる情報発信による顧客の創造」が、主旨でした。「営業」(売込みが入らないホームぺージをこしらえていこうというご提案でした。

 SEO対策(検索エンジン対策)は、もはややるべきではなく、内容重視、自社の強み、存在意義をいかに的確にホームページで表現するのかということでした。

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 村上肇氏は売れるためのホームページを構築するためには。6つのステップがあると言われました。


1)WEBビジネスの全体構想を練ること。(何故サイトが必要なのか。目的は?)

2)WEBサイトの企画。「誰に何を伝えるのか?

  答えは中(自社・自分)にある。理想のお客様にお役に立ってきたことを明確に。

3)訴求力のあるホームページをつくる。(5つの要素)

  *コンセプト・「強み」「特徴」「約束」
 
  *売るもの「商品」「技術」「サービス」

  *裏づけ「お客様の声」「実績」

  *おみやげ「テーマブログ」「レシピ」「用語集」

  *信頼「会社情報」「人気」

  デザインもよくないといけない。

4)新規顧客の入り口を3つの経路(検索・口コミ・広告)でつなぐこと。

5)お客様の声なき声を分析する(アクセスログ解析・お問い合わせ・ご注文)

6)ブラッシュアップする。(ページの追加、修正、リニュアール、広告、新規サイト、事業の見直しなど)

 このあたりの切り口は、村上氏が何度も言われていることであり、「そのとうり」であると思います。講座でも数人の班にわかれ、ワークショップも行い、「訴求力のあるホームページづくり」について参加者同士が討議しました。
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 検索エンジン対策は、きちんとした文章でホームページをこしらえることであり、サイト内部に組み込んだCMSというブログで更新を頻繁に行うこと。(外部のブログではない。)

引き合いの来る中小企業のためのホームぺージは、「お客様視点を常に意識すること」と言われます。「お客様は困っているので。具体的な問題解事例や提案をすること」「不安に対しては信頼性(デザイン・コンテンツ・理念、想いで応えること」,急いでいるお客様には「1秒ルーツや、1テーマ1ページで作成していくこと」を心がけることです。

 それは「困っているお客様を検索エンジンから誘導すること」であり、問題を解決し、お役に立てば、お客様が口コミで紹介していただくこともあります。 
 
 口コミ(フェイスブックやツイッター)の効果もあるし、検索エンジン内広告も効果はあるようです。

 フェイスブックについては、「人との交流や仲間づくりに役立つ道具」であると村上さんは言われました。動画も写真もメッセージも投稿できますし・イベント情報の告知もできます。友達もみつけることができる優れものです。
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 しかしながら「アーカイブ機能」「記録蓄積」機能は弱く、情報の蓄積はホームページやブログが優れています。呼び込みをするにはフェイスブックは適しています。それゆえフェイスブックの中に記事を書き、リンクでブログやホームぺ-ジに呼び込むことは大いに結構とも言われました。

 2日間ない知恵を使いました。頭がとても疲れました。

 でも村上肇さんのこの言葉は感銘しました。

インターネットは神様からの贈り物」である。

「中小企業が自らの情報発信で顧客を創造し、共感いただけるお客様と「戦わないビジネス」を継続できる最高のメディアである。」
 未だその境地には達していませんが、目標に頑張ろうと想いました。

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日本国憲法は硬性憲法 簡単に改正できません。やれるところからやり、国民的議論を高めろ。

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  このところ1年ごとに日本国首相が交代したり、政権交代してギクシャクしているので、中国や韓国、ロシアにやりたいほうだい。言いたい放題やられている。日本の領土が不法に占領され、領海は侵犯される。

 やり返そうにもやりかえせない。それは日本国憲法による縛りがあるから。憲法を改正して、自衛隊を自衛軍にする。米軍と共同の作戦行動を取れるようにして集団的自衛権も認めないと日本の国防と安全保障は担えない。とくに自民党の保守勢力の皆さん方が声を大きくして言われている。果たしてそうなのか?

 簡単に日本国憲法を改正だとか言われていますが、日本国憲法は「硬性憲法」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AC%E6%80%A7%E6%86%B2%E6%B3%95と言われています。改正がとても難しい。

 確か国会議員の3分の2以上が憲法改正に賛成し、国民投票で過半数を得ないと改正はできません。ほぼ不可能に近いし、改正には物凄いエネルギーがいります。そんなことに政治家や国民各位がエネルギーを費やすよりも、現行憲法でやれることをまずやりぬくことではないのか。

1)自衛隊法を改正して、海上警備活動を海上保安庁と共同でやること。

2)領海警備のために艦艇の整備を充実させること。

3)日本のシーレーンを日本独自の海軍力で保持できるようにすること。補佐する空軍力と潜水艦防衛の整備に努めること。(画像の青いラインが日本のシーレーンです。)

4)国際世論に常に日本の領海警備、領土保持の正当性を訴え宣伝すること。

 などはわざわざ日本国憲法yを改正までしなくてもできることでしょう。

 どうしてもできないとなれば、そのときに憲法改正のための国民的な議論をすればいいんです。最初から憲法改正ありきでは、日本の国論が分裂し、より弱体化するだけですね。

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2012.09.25

第2回長宗我部元親初陣ウォーク

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 「第2回長宗我部元親初陣ウォーク」が2012年10月14日に開催されます。長宗我部盛衰記の語り部である島本茂男さんにチラシをいただきました。

 いけるかどうか日程調整中です。結構1日がかりですからね。

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2012.09.24

国防は人民武装が基本

 議会制民主主義の欠点でもありますが、政権がこのところ1年程度で交代しています。小泉内閣以来、自民党の安倍・福田・麻生は1年足らずで政権を投げ出しました。2009年の総選挙で政権奪取した民主党ですが、こちらも鳩山・菅も1年足らずで退陣。2011年の東日本大震災の対応、福島第1原発事故対応では、当事者能力不足を露呈しました。

 そんな日本政府の弱体振りを嘲笑うかのように、ロシアの首相は北方領土の国後島に上陸し好き放題の発言。韓国大統領に至っては竹島に上陸。愛国者ぶって不法占拠を正当化する有様。中国は尖閣諸島への執拗な領海侵犯行為を止めず、失業者を主体とした反日運動を野放しにし、日本企業が多大な被害を受けても取り締まりもろくにしない始末です。

 ことこういう事態になると保守政党の議員連中は勇ましい。「軍事衝突も辞さず」「憲法を改正して自衛隊を自衛軍にして撃退すべき」「核開発をしないから周辺国になめられるのだ」と強硬な暴論まで出る始末。維新の会というファシスト集団も似たようなことを言い立てています。

 わたしは国防の基本は「人民武装」であると思います。現在地元自主防災会を2006年にこしらえ活動しています。南海トラフ巨大地震から、海抜0メートルの海に近い、軟弱地盤の二葉町から1人の死者もださないための活動を仕事の合間にしています。

 高知県や高知市役所の防災対策は「実がないと」と言うか実態とかけ離れた、他人事の議論に終始しています。つくづくそう思いました。被害の最前線にいる低地に住む13万人の高知市民の代弁をしなければならないと思いました。

 他国の侵略・攻撃もこれも災害の1つです。そうならないために外交努力や民間交流も必要です。しかし侵略意をもった近隣国が軍事的侵略活動をするのであれば、国民としても断固として武装し戦わないといけないと思います。

 日本は海岸線が長く、18万人の自衛隊だけでは守れるものではありません。そういう場合は国民各位も武装し、侵略者と戦い国土を守るべきです。

 そのためには国民各位も年に1度は軍事訓練をすべきです。重火器の扱い方。対戦機関砲の訓連や。迎撃ミサイルの発射訓練程度はすべきでしょう。

 軍事力は他国へ侵攻するものではなく、自国を防衛する事のみに使うのです。この方法では憲法違反ではなく、憲法改正の必要性もありません。

 自主防災会の倉庫に防災用品各種があるように、全国各地の郷土防衛軍の倉庫には銃器や各種戦闘兵器が格納されている。」人民武装して日本国を守るべきでしょう。


 なんだか二次大戦中の本土決戦のような雰囲気ですが、そうではありません。上から目線で国家の支配層(ろくでもない連中)に強制されて戦うのではなく、市民が自分の意志で場合によっては武装し、地域を守ることです。自主防災会の延長上にあります。

 しかし今の時点では生煮えの空論。あまりに日本人は軍事を考えてこなかったからでしょう。敗戦前の日本の軍隊組織があまりに強権的・強制的であったがために、国民各位に軍隊への恐怖心と嫌悪を植えつけてしまいました。また軍隊の暴走を戦前の政府は止めることができませんでした。そのあたりの議論が不十分です。

 左翼の多くの人たちは、軍隊=侵略戦争と想起し、ヒステリックに否定しようとします。一方保守系の人たちも軍隊の定義をきちんとせず、いきなり米軍との行動、集団的自衛権とか憲法改正議論ばかりしています。永遠に議論がかみ合うことがなく、時間を空費し、現実に対処できません。

 実際に中国が挑発行動を拡大し、尖閣諸島へ大量の漁船と監視船で押しかけ上陸し、陣地を構築された場合の対抗手段は日本政府は考えているのでしょうか?相手は警告した程度では撤退しないでしょう。また中国国内での日系企業での暴徒による破壊活動や日本人滞在者に危害が及ぶ場合の防止策はきちんとしないといけないでしょう。

 「国民の命と財産を守る」のが政府の役目です。増税するだけの政府であってはいけないのです。いざというときに頼りになる存在でなくして政府の存在意義はないからです。

 かつて米国や英国も2度の世界大戦を経験し、勝利してきました。戦争中も議会も民主主義も機能していました。当然戦時体制はあり、各種の制約も国民も合意し受け入れました。そして戦争が終われば、元の体制に戻りました。日本の場合はこのあたりの戦時体制への以降、戦後の体制への移行の議論が全くされていません。

 軍事の議論は遠いかなたの他人事ではなく、身近な問題として市民として考慮しなければならないと思います。大雨の中つらつら考えてみました。でも全然不十分ですね。また考えてみます。

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2012.09.23

海はバリヤフリーです。

 お天気が心配されましたが何とか晴れました。今日は高知県香南市夜須で「ハンドINハンド高知大会」が開催されました。障害のある人も。ヨットの経験のない人も手軽にセーリングを楽しめる大会です。

 今朝は昨日からの雨が明け方残り、降っていました。スタッフは、午前8時に香南市夜須のYASU海の駅クラブ集合と言うことですので、午前7時過ぎに自宅を出ました。第3回アクセス・ディンギー ハンドINハンド高知大会の運営スタッフとして行きました。

 私のスタッフの役目は、アクセス・ディンギーというヨットが砂浜から出着艇をしますが、そのサポート業務。参加者の交代や、艇の安定を保つために抑える役目です。

 ますはアクセス・ディンギーヨットのぎ装です。私が休日にセーリングしているヤマハのシーホッパーよりは遥かに簡単です。金具で止めるだけであり、、ロープワークもありません。それでいて強風でも安定して帆走し、沈(転覆)しませんから。
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 海の大好きなオーストラリア人が考案されたとか。体が多少不自由でも、高齢になっても、ヨットの操船技術がわからなくても海でセーリングをしたい。スポーツ大国のオージー(オーストラリア人)の発想は壮大ですね。

 開会式がおこなわれました。大会実行委員長や、YASU海の駅クラブ理事長や、清藤香南市長も挨拶されました。選手は70人が参加。運営スタッフや参加者のご家族を含めますと100数十人が、秋の彼岸の海の爽やかな風を満喫いたしました。
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 今日はビーチのヨットの出入りや、ヨットを押さえるのがせわしかったです。また途中から風が強くなりました。レースの消化時間は早くはなりましたが、衝突などのリスクも高くなるので、警戒していました。
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 参加者は高知県立障害者スポーツセンターで、日頃スポーツをされている人たちや、知的障害者施設の人たちや、B&GYASU海洋クラブや香南ジュニア・ヨットクラブや、高知ボーイスカウト第8団の子供たちや、一般参加の人たちなどでした。

 アクセス・ディンギーは転覆しませんが、それはセンターボードが重いからです。小型1枚帆タイプで20kg、大型2枚帆タイプですと30kgもセンターボードがあります。

 それで参加者の身体能力に応じて、岸から離れて乗り込んでいただいたり、歩けない人は、砂浜までヨットを持ってきて、皆で介助して乗り込まれる参加者もおられました。
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 ランチタイムは香南市のいろんな団体もサポートしていただき、楽しいひとときでした。

 結構重労働でしたので、お結び3個に、焼きそば、おかず、味噌汁を食べました、とても美味しかったです。
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 午前中4レース、午後からも4レースをしました。
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 表彰式の様子です。皆和やかでした。
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 特筆すべきは重度障害の人が3位になり、別のクラスでは知的障害の人が優勝しました。今後大きな自信となると思います。

 参加者・スタッフで記念撮影をしまして,散会しました。スタッフはあと片づけがあり、自宅へ戻ると午後5時を過ぎていました。
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 海はバリヤフリーですね。今日の夜須の海は適度に風が吹き参加者は良い体験をされました。良かったのは子供たちの姿が多かったことです。元気をもらいました。
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石橋湛山評論集を読んで(その1)

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 「石橋湛山評論集」(松尾尊允・編・岩波文庫)を読みました。
2012年の日本をとりまく政治情勢はまさに内憂外患状態。

 日本の政治の混迷を見透かすようにロシアは北方領土の開発を露骨にしようとし、韓国は不法占拠している竹島に現職大統領が上陸、中国は尖閣諸島への挑発をやめない。

 デフレ経済が収まらないのに、消費税の増税を決めてしまうおかしさ。政権政党の民主党も野党第一党の自民党もふらふらしていて頼りない。かと思えば「異端者狩り」しかやっていない地域政党の「大阪維新の会」と称するファシスト政党が台頭の兆しがあります。

 石橋湛山は、1884年から1973年の89年の生涯においても,一次大戦、ロシア革命、3・1朝鮮独立運動、満州事変、金融恐慌、敗戦後の評論など軸にぶれがありません。

 帝国主義全盛の時代(大正時代)に、植民地をすべて放棄ー独立させ、軍備を縮小し、民生を充実して貿易で富国を目指す「小日本主義」を提唱していました。評論は先見性と徹底した自由主義の主張に貫かれています。

 それも最近一時流行した「新自由主義」のような格差を拡大する冷酷無慈悲な経済システムではなく、人間を慈しむ「経世済民」型の経済社会をつくりあげるための議論を石橋湛山はしていきました。

 明治45年(1912年)に「問題の社会化」として以下のように論じていました。

「しかし個人の解放を以って始まった総ての近代の問題は最近において格のごとき変化をなさんとしつつある。即ちもはや既にただ個人とか解放とかいっておる時代は過ぎ去って、その個人をいかに実現するか、その解放をいかに具体化するのかという積極的な問題に入って来た。

 この問題を解決するために、まず第一現れてきたものが即ちリープクネヒトの一派である。社会運動、社会政策というものの勃興である。思想の動揺ということが特に著しく近頃見えて来たということも、その原因はここにある。

 今の世がただ自由解放を叫んでいて済む時代なら、ルソーの思想でも事足るはずであるが、それでも満足しないという所以は、要求がこの具体的積極的の問題にあって、しかもその解決の方法が見当たらない故である。」(P15「問題の社会化」)

 100年前から社会問題は簡単には解決しないということなんですね。

「しからば我が現代の人心は何故にかくのごとき浅薄弱小、確信なく、力なきに至ったかと言うことである。吾輩はこれに対して直ちにこう答える。曰く、哲学がないからである。

 言い換えれば自己の立場でについての徹底せる智見が彼らは日本の立場がわからないのである。日本の現在および将来の運命を決する第1義はどこにあるのか。徹底した目安がついておらないのである。

 その時々の日和を見、その時々の他人の眼色を窺って、行動するよりほかに道はないのである。」

「下手な碁打ちが1小局部にのみ注意を奪われて、全部に目を配ることが出来ず、いたずらに奔命に疲れて、ついに時局を収拾すべからずにいたらしむるような者である。

 吾輩は切に我が国民に勧告する。宜しくまず哲学を持てよ、自己の立場に対する徹底的智見を立てよ、この徹底的の智見を以って一切の問題に対するの覚悟をせよと。

 即ち言を換えてこれをいうならば、哲学的日本を建設せよというのである。哲学は最も徹底的に自己を明らかにする者である。何をおいてもまず自己を考える。その明瞭にせられた自己から出して、新しき日本を建設する。これ実に我が目下の急務であると思う。」(P26「哲学的日本を建設すべし」 明治45年)

 100年前から日本は進歩していませんね。軽々しく日本国首相は、反日的行動を繰り返す中国や韓国に対して「戦略的互恵関係」を口走るが、いかなる哲学的思想的な背景で発言しているのか?

 その文面を起草している外務官僚の皆さん方にも哲学や思想は根付いているのか?極めて疑問でありますね。

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2012.09.22

お彼岸の夜須の海

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 今日は、午前中は、父(93歳)のリハビリも兼ねてゴルフの打ち話し場へ付き添っていました。先週と異なり涼しくて父も快調にゴルフボールを打っていました。

 自宅へ戻り準備をして夜須へ行きました。今日は、曇天です。風は弱いですね。波がないので、セーリングはしやすいと思いました。
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 ぎ装(ヨットの組み立て)をしました。シニア・ヨットクラブではOさん(70歳)が来ました。Kさん(61歳)は既に海へ出ていました。

 海へ出ました。そよ風でした。赤岡方面を目指しました。
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 赤岡沖でUターンをしました。海の散帆としては最高でしたね。欲を言えばもっと風があればいいですが、これからの季節になればいい風も吹くことでしょう。
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 今日は短時間でしたが、海の上におりますと癒されますね。
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 ジュニア・ヨットクラブは、明日「ハンド・INハンド高知大会」で使用されるアクセス・ディンギーと言う操船が楽なオーストラリア製のディンギー・ヨットでセーリングをしています。
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 明日は大会ですのでスロープの青海苔を除去するためデッキブラシで擦りました。大方事務局の皆様が綺麗に除去していただいております。
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 今日は予想どうり、午後4時過ぎからは雨でした。早めに着艇して正解でした。

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深刻な高知市下知地域の津波退避対策の遅れを朝日新聞が報道

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 巨大地震が起きようが、昭和南海地震のような小規模地震であろうが、高知市二葉町などの下知(しもじ)地域は、地盤が沈下し、長期浸水することは間違いありません。

 海抜0メートル地域の下知地域には高台も公共建築物も少ない。最近でこそパチンコ店舗の協力で、高知市の指定する「津波避難ビル」も収容人数が増えました。しかし二葉町には皆無です。

 朝日新聞高知版2012年9月22日号では、深刻な状況の一端が取り上げられました。2007年に二葉町自主防災会は、独自に賃貸マンション所有者と協定を結び「町内津波避難ビル」を指定してきました。たとえ古い建物でありましても施主さんが「地震で無事に建っていたら、津波時には逃げ込んでもかまわないよ。」と許可をいただいた町内独自の津波避難ビルが二葉町には11箇所あります。

 先日の南海トラフ巨大地震の新想定がありました。津波の高さも高くなりました。せっかくご協力いただいた「二葉町独自の津波避難ビル」ですが、なかには見直しが必要なビルも出てきました。

 また新たなビルの指定も含め、実際に何人駆け上がれるものなのか、検討調査が必要です。

 高知市の耐震基準を、満たしていない「準・津波避難ビル」にも非常用食料品や、簡易トイレなど配布をお願いしたいものです。全然そういう配慮は現在高知市側からはありません。、

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認知症の進行を遅らせるとは言いますが・・

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 3年前にアルツハイマー型認知症と判明した母(86歳)です。毎日一緒に生活しているので,進行具合はわかりませんが、症状が悪化している可能性もあります。画像のポスターは週に2回父が点滴と診察を受けている植田医院の待合室で見ました。

 3年前に母は軽い認知症との診断でしたので、アルツハイマー型認知症の進行を遅らせる薬を服薬しています。3年経過したので、今年の秋にはまた脳の画像診断をしていただこうかと思っています。

 病気である以上、進行はありえるでしょう。なんとか家族の力で進行を食い止めたいとは思います。なかなか難しいとは思いますが。

 福祉や介護の知識は殆どないので、正直どうしたらよいのかわかりません。毎週金曜日の午後からはりまや橋商店街へ「活き活き100歳体操」(介護予防体操)へ連れて行きますが、「行きたくない」と母は言うので、その日の昼休みの間、説得(というか怒鳴りあい)して連れて行く予定です。

 ケアマネージャーは「そうやって家族が外へ連れ出しているから、進行が遅れているんです。今後も頑張って続けてください。」とのことです。

 なかなか大変ではありますが、家族の協力のもとに取り組んでいます。

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2012.09.21

お彼岸のはりまや橋サロン

 暑さ寒さも彼岸までと申します。今朝は寒かった。薄手の夏布団で寝ていましたので危うく風邪を引きそうになりました。あまりの寒さで目が覚めたようなものです。

 さてはりまや橋サロンです。温度は30度まで上がっては居ませんが、高知は日差しがきつい事。「暑くて行きたくない。」という母を説得して、はりまや橋商店街へ連れて来ました。

 まずコロッケ屋とパン屋で買い物をします。
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 せんべいなども露天市で購入しています。
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 秋のものに露天市も変化しているようでした。
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 活き活き100歳体操は、今日は少なめでした。7人ぐらいの参加のようでした。
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 カメラの操作が上手くいかず、写真がおかしくなっています。

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自民党総裁は石波茂氏が有望なのか?

 5人の候補者による自民党総裁選挙が行われています。今のところ石波茂氏が有力。地方票を多く獲得しているらしい。猛追しているのは幹事長の石原伸晃氏。

 そういえばこの2人は2008年9月の自民党総裁選挙に立候補され、高知へ来られていました。

 個人ブログ記事「自民党再起動(?)総裁選IN高知」(2008年9月13日) 

 わたしは政治的なミーハーですので、政治家が地方巡業に来られた場合は、なんとか時間をこしらえて直接見に行きます。アーチストでもライブを見る感覚ですね。自分の直感が第一であり、政治評論家の「永田町裏情報」などは当てにならない。もっともらしい大手新聞の評論も話半分ですね。
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 ます有力候補の1人である石原伸晃氏。父親が東京都知事の石原慎太郎氏。叔父が俳優の故石原裕次郎氏。選挙となれば石原軍団が応援に駆けつける人気者。しかし言動は軽薄で、物議を呼ぶことばかり。最近も福島第1原発のことを、わざわざ「福島第1サティアン」とあのオウム真理教を連想させる言葉に言い換える必要性がどこにあるのか。

 4年前でも石原氏に発言は印象に残っていません。

 次に石波茂氏ですが、竹島ー尖閣という領土・領海への日本国としての対応はこの石波氏が一番的確。危機管理の意識があるところがいいとは思いますね。
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「自衛隊を海上警備活動が出来るように法律を改正する。海上保安庁の艦艇の装備を充実させる。危機管理ができるように条件整備をしていく。」ということを言っています。

 その延長線上に米軍との共同演習や集団的自衛権の問題があり、安倍晋三氏の様に「何が何でも最優先で憲法改正」と言い立てているわけでもありません。

 4年前の演説時にも「わたしは高知と同じ人口が少ない過疎で悩む鳥取の出身。農政をずっとやってきました。地方の疲弊には大きな関心を持っています。」大都市部のお坊ちゃまである石原氏よりも石波氏が地方で人気がある理由は理解できますね。

 安倍晋三氏は再挑戦。3年続いた野党暮らしですっかり元気になったとか。決戦投票となれば石波茂氏との連合しているので、総裁に帰り咲きはあるかもしれません。でもこの安倍氏は総理総裁の器ではありませんね。
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 2004年の自民党幹事長時代に、参議院議員選挙のときに高知へ来られたときに街頭演説を聴きに行きました。当時焦点となっていた年金問題の説明はしどろもどろで、肝心の高齢者にも理解できないようでした。

 安倍晋三幹事長が候補者応援に来高(2004年7月)

 当時も北朝鮮への拉致問題での演説だけは迫力がありました。その他の政策での演説は今ひとつです。政策が「憲法改正と教育改革」ですからね。いずれも国家議員の3分の2の賛同が必要な課題です。日本維新の会との密着ぶりをしきりにPRしていますが、どうでしょうか?大衆にわかりやすく説明する能力がこの人はありませんから。

 消去法で行くと石波茂氏が自民党総裁にふさわしいのではないかと個人的には思います。さてどうなることでしょうか。

 自民党の5人の候補者は原子力発電所再稼動賛成の人ばかりです。国民の意識とは大きく遊離した政治指導者ばかりであるいことを懸念します。
 
 

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2012.09.20

ブームに流されることは辞めよう

 一昔前の小泉純一郎ブーム。キーワードは「構造改革」3年前の民主党ブーム。キーワードは「政権交代」。そしてまた大阪維新の会のわけのわからない期待。特に週刊誌系のメディアが煽り立てている。

 民主主義がまどろこしいのはわかる。てっとりばやく「決められる指導者」がさっそうと出てきて、難題を解決してもらいたい。そう市民大衆は願望するが、都合よくそのようなリーダーは何時の時代にもいるわけがない。

 大正5年(1916年)に石橋湛山は「帝国議会を年中常設とすべし」と評論しています。

「大隈首相のいわゆる円満辞職問題は、近頃における苦々しき一幕であった。首相が、閣僚にも計らず、恣に辞職を内奉し、密かに山県、寺内らと相談し歩けりとの噂が、事実においていかなりしかは、もとより吾輩の知らぬ処であるが、とにかくかくのごとき風説が1ヶ月余りもわたって流行し、はては寺内伯が、超然内閣を組織するということが、あたかも当然のごとく新聞紙上に説きはやされるに至っては、憲政も、議会もあったものではない。」

 中略

「帝国議会の会期をかくのごとく短くした根本の原因は、実に官僚が、施政に対する国民の監視の一刻でも少きを望んだ結果と思われる。

 これは、勿論推論に過ぎぬが、事実議会の会期が1日でも永ければ、官僚はそれだけ苦しい。我儘が出来ぬ。中略 敢て帝国議会の常設の義を主張す。国論の速やかな同ぜんことを切望する。」(石橋湛山評論集・岩波文庫・P74)より。

 96年前の帝国議会の頃からも代議民主主義のもどかしさに、しびれをきらす国民やマスコミの連中がいました。寺内という軍事上がりの元老に全権を任せよという、議会無視の論調を石橋湛山は厳しく批判しています。それが96年前の話。

 結論を短絡して、「権限を独裁者に白紙委任すれば楽」という市民大衆の安易な決断がナチスの台頭を生み、すべてが破壊される破滅の世界を生んだ歴史を忘れてはならないと思います。

 代議民主主義箱恣意まどろこしい。でも粘り強く真摯な議論を積み重ねるしか無い。100年前からこの問題あったんですよ。結局は市民の政治意識の高揚と粘り強い、お互いの異論を尊重する冷静な議論の積み重ねしか、解決策はないのです。

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2012.09.19

ゴーヤさん ありがとうございました。

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 暑さ寒さも彼岸までと申します。今日の高知市は事務所の温度は午後4時過ぎで28度、湿度は80%です。久しぶりに湿度が90%を下回りました。夏の間は今年は湿度が下がりませんでした。

 湿度100%も珍しくなく、通販で使用しているクロネコヤマトのレーザープリンター用の納品書や配達伝票は、シールで貼り付け式ですが、湿気で糊が剥がれ、プリンターのローラーに張り付いてプリンターが故障するトラブルがありました。

 修理屋さんに聞きますと高湿度ゆえ同種のトラブルが今年は多発したようです。それだけむしむし・じめじめしたので、ゴーヤさんには環境が良かったのです。

 5月に町内会の人に苗をいただき植えました。そして8月6日頃には「緑のカーテン」が完成し、道路の放射熱を遮断していただきました。雨が多かったこともあり、実がたくさんなりました。ゴーヤチャンプル、ゴーヤ入った野菜炒め、ゴーヤの佃煮など毎日ゴーヤを食べていました。我が家の食卓の1品になっていました。

 さすがに高知も彼岸前になりますと朝晩は涼しくなります。そうなると熱帯性植物のゴーヤさんは元気がなくなりますね。枯葉が目立ちだします。また実のほうも虫に食べられています。
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 感謝を込めて撤収作業をしました。今年は、足場状に添え棒を組みませんでした。ロープを上部に平行に引っ張り、それにネットを被せただけの構造です。
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 撤収は楽でした。昨年は9月16日に撤収していますが、片付けの作業は半分ぐらいで終わりました。
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 ゴーヤさんありがとうございました。また来年よろしくお願いします。
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 ゴーヤさんの種は袋に入れて冷蔵庫に入れています。来年4月になれば、1晩水に浸し、プランターに種まきします。来年も楽しみです。

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85回目の献血

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 昼休みに献血に行きました。高知市堀詰の電車道北側にある献血ルーム・杯とハートピアやまももへ行きました。平日なので献血者は少ない。すぐに順番が来ました.。
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 まず問診票に記入しました。どこも体調異常はありません。医師の問診。血圧測定ですが、118-80で、「いいですね」と言うことでした。

 「ヨードチンキは大丈夫ですか?」と聞かれました。「大丈夫ですが、どうして聞かれるのですか?」

 「それはまれにヨードアレルギーの人がおられるからですよ。」とのことでした。それで、次は左腕で少しだけ採血し、合格したので右腕で採血することに。

 まず黄色い液体を腕に採血針を刺し込む前に塗りました。これがヨードチンキです。次に針を差し込んで採血です。見ると10ある椅子の3つしか使用していません。看護士さんたちも暇そうでした。

「3連休は雨模様でしたので多くの人が来ました。今日なんかは少なめ。職員も献血しました。」とのことです。「あなたは血管が大きいからすぐに終わります。」.おしゃべりしていたら7分で採血は終わりました。
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 終了後歯磨き粉などの品をいただきました。今年の献血は今日で終わりです。年間3回(400ml)しか献血できません。今回で85回です。100回まで献血するためには、あと5年はかかる計算ですね。

 職員の人に聞きましたら、60歳過ぎても献血していましたら、69歳までは献血可能であるそうです。

「服薬していたら駄目でしょう?」と聞きました。

「一概にそうではありません。その場合は薬手帳を問診時に見せてください。かまわない薬もありますので。」とのこてでした。

 2012年の私の小さな社会貢献は終了いたしました。

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23日はハンド・インハンド高知大会へご参加を

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 9月23日(日曜日)は、NPO法人YASU海の駅クラブ主催で「ハンドINハンド高知大会」が開催されます。

  ヨットの経験のない人も、障害のある人も、高齢者の方も気軽にご参加出来ます。

 当日はわたしはヨットの出し入れのサポートを早朝から準備・撤収を含めてやるつもりです。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

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2012.09.18

中国と今後どう付き合うのか

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 中国の最近の増長ぶりは目に余るものがありますね。経済力と軍事力を向上させているので、本来の中華思想、中華帝国主義に復帰したと考えるべきではないかと最近思うようになりました。

 古代以来中国は一貫して東アジアの超大国でした。時に世界帝国を形成した時代は、周辺諸国は軍事的に侵略され、あるいは隷属し属国となりました。漢の時代、唐の時代、元の時代、明の時代,清の時代がそうでした。

 韓国やベトナムなどは常に中国から侵略され、戦いに負ければ隷属し、勝てばようやく独立が維持されると言う厳しい状況下にありました。

 18世紀から19世紀にかけて、インドのムガール帝国と中国の清帝国が衰退し、英国他欧米列強の植民地支配を受けることになりました。不幸なことに中国の近代化は1840年のアヘン戦争です。それ以来100年間は英国。ロシア、ドイツ、日本などに侵略され、収奪され屈辱的な歴史を歩んできました。

「鉄砲から政権が生まれる」中国共産党政権が1947年に誕生。途中建国まもなく朝鮮戦争や、大躍進政策の失敗、文化大革命の大混乱を乗り越え、鄧小平復権後の中国は1976年以来改革開放政策を突っ走った。

 1989年の天安門事件は、青年・学生層の民主化要求でしたが、鄧小平は軍事力で押しつぶし、経済成長によって政治的不満を霧散させました。

 今回そこそこ経済力がつき、その結果極端な格差社会になった中国。共産国でありながら大量の失業者と格差を生み出した中国。政治的自由はないから、唯一許されている反日運動には「愛国無罪」で乱暴狼藉を日本系企業に働いてもかまわないということになりますね。

 伝統の中華帝国主義が復権してきたとみなして、日本もきちんと危機管理をしないといけないでしょう。中国とは「戦略的互恵関係」などありえません。お互い敵性国家になったと言うことで対応してゆくべきでしょう。

 中国が民主化されない限り、近隣諸国には「迷惑極まりない大国」であることは間違いありません。

 個人ブログ記事「日本はシーレーン防衛をすべきではないのか」

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2012.09.17

たそがれてきたゴーヤさん

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 朝晩が随分涼しくなりました。とはいえ日中は蒸し暑く事務所の温度は29度。湿度は90%はありますね。蒸し蒸しじめじめが大好きなゴーヤさんですが、最近は勢いがなく、枯葉も目立ってきました。
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 今日は台風16号の影響で、断続的に雨が降っています。お天気なればそろそろ撤去します。今年は身がたくさんなり、ゴーヤのチャンプル、炒め物、佃煮と食卓でお世話になりました。
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ジョイリハへ両親は行ってくれました

 台風16号の影響で朝方は大雨。高知市には大雨洪水警報が発令されていました。果たして今日の介護予防体操教室はあるのかどうなのか心配でしたが、開催するようです。

 「今日は体操はないろう。」と母は勝手な解釈で行こうとしませんでした。なんとか説得しました。午前11時過ぎには昼食にし、午後12時10分には送迎車が迎えに来てくれました。

 毎週月曜日は、せわしいことです。でもそのおかげで随分両親は健康になりました。介護予防施設のおかげです。

 個人ブログ記事 「ジョイリハ(介護予防)での両親」

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吉田茂の存在価値

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 NHKの総合で吉田茂をモデルにしたドラマが5回連続で放映されるようです。9月15日に2回目が放映されたようですね。

 私が中学2年生のいとき、吉田茂氏が逝去され、中学の教師が「国葬となるので、学校は昼から休み。ご冥福を祈るように。」と言っていました。当時の私は毛沢東主義を信仰していたので「保守反動の親玉が死んで何で国葬なのか。馬鹿馬鹿しい」と思いました。

 一般的には、吉田茂氏は、サンフランシスコ講和条約を締結し、その傍ら日米安保条約を秘密裏に米国と結びました。朝鮮戦争時には、米国の要請で警察予備隊を編成。後に自衛隊となります。再軍備を進めた保守反動の政治家。そう思っていました。

 確かに思想的には尊王主義者。GHQの民主化案にも反対しているところがあったようです。治安維持法廃止には反対であったとか。

 GHQによる戦犯追放など偶然が重なったとはいえ、吉田茂氏が日本国首相になった1946年(昭和21年)には、68歳でした。当時の日本人の平均寿命は50歳代。現代で言えば80歳代の首相の誕生ぐらいの老人宰相でした。

 GHQ総司令官のマッカーサー元帥となぜかうまが合い、敗戦後日本の占領軍統治と日本社会の再建に吉田茂氏の存在はとても大きいのではないかと思う。

 真骨頂は朝鮮戦争の時に、米軍の要請を断り、朝鮮半島に日本兵を派兵しなかったことですね。米国は資金も武器も供与する。日本兵士10万人派兵してほしい。という要望を吉田は丁重に拒否しています。このところをドラマが描くかどうかはわかりません。

 吉田茂は、アジア諸国がいくら米国の要請とはいえ、再び日本兵士が朝鮮半島に従軍することを快く思わず警戒心を露にすることを恐れていました。アジア諸国が敗戦後日本の市場とならなければ、日本の経済の再生もありえないからです。
 
 執拗な米国の要請に対して、吉田茂は日本国憲法まで使用し、「米国が日本人に押し付けた憲法には戦争放棄とあるぞ。」と言い放ち初心を貫きました。この結果、日本は軽軍備と、経済優先政策を貫くことが出来て、後に吉田茂の弟子の池田勇人首相時代には、高度成長の波に乗ることができるようになりました。そして日本は経済大国になりました。

 吉田茂は小泉純一郎や安倍晋三のような対米追随者ではありませんでした。米国は吉田茂を警戒し、1948年(昭和23年)にGHQは東条英機らA級戦犯を、12月23日(今上天皇の誕生日)に処刑します。その翌日A級戦犯の岸信介を巣鴨拘置所から釈放。そして多額の工作資金を与え吉田茂の対抗勢力としました。
 
 岸信介の孫の安倍晋三が「戦後レジ-ムの打破」とかわけのわからないスローガンを叫んでいましたが。吉田茂氏の構築した戦後の体制の前にあえなく砕け散りました。
 
  むろん総てが素晴らしかったわけではありません。日米安保条約の締結は、結果的に米軍基地の沖縄集約と固定化を推し進めたことも弊害です。日本人が国家観や防衛意識が希薄になった原因をこしらえてしまったことも弊害と言えるからです。
  
 以前吉田茂関係の著作を読みました。個人ブログにコメントしています。

「吉田茂とその時代を読んで」 


「吉田茂と爪の垢を読んで」 


「白州次郎なる人物について」 

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2012.09.16

アルモンテ3周年記念懇親会へ行きました。

 昨日(9月15日)はとても幸運で、夜須でセーリングが出来ました。それで夕方家内と一緒に杉本久典さんの奥様が運営されているアルモンテ3周年記念パーティへ行きました。

 店舗2階の会場には、50人が参加されていました。奥様手作りの体に良い料理がテーブルに並んでいました。もちろん後からの追加料理もありました。
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 参加者は面識のない方が大半でした。Mさんという杉本さんご夫妻の元同僚の人に「どうしたお知り合いですか?」と尋ねられました。

個人ブログを通じての杉本さんとはお付き合いですね。それに沖縄西表島へよく釣りに行かれています。うちの家内が沖縄出身なので、沖縄繋がりもあります。と答えました。
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挨拶をされる杉本久典さん。

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 フラダンスもありました。

 アコーデオン演奏者の演奏もありました。
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 家内の母が昔こしらえていた人形を奥様にもらっていただきました。趣味でたくさんこしらえていたからです。
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 とても楽しい懇談会でした。
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修理は出来ないと言われました

 今はまだまだ暑いので、ピンとはきませんが、真冬の海でセーリングするときに愛用しているドライスーツ。ヘリーハンセン製なので、首、手足の生ゴムの取り替え修理を代理店である林釣り具に、7月に依頼していました。
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 1月半経過して、連絡がありました。「修理は出来ません。」ということでした。手と足の部位のゴムが朽ちていますので、冷たい海水がこれでは進入してきます。

 プロが修理不能という回答。困りました。どうせ駄目ならゴム系の接着剤を買ってきて、見てくれは動であれ、自分で修理してみます。駄目なら新しいドライスーツを購入しないといけない。ライフジャケットもいかれて居ますので、購入しないといけないのです。頭が痛いです。

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2012.09.15

今日は幸運な1日 セーリングが出来ました。

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 超大型台風16号が北上している影響で。雨と高波でたぶんまたセーリングは出来ないものと思い夜須のハーバーへ行きました。北の空は曇っていますが、西方面の海面を見ますと浦戸大橋が見えます。
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お天気は持つと判断したので、ぎ装(ヨットの組立て)をしました。
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 波こそありませんでしたが、風もありません。斜路の青海苔を除去する作業を少しだけしました。
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 それで海へ出ました。波はないですが、風は微風です。まさに海の散帆(さんぽ)ですね。
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 赤岡方面を目指してセーリングしました。しかし風が弱いのでなかなか進みません。
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 ジュニア・ヨットクラブの高校生が出てきました。
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 シニア・ヨットクラブのWさんとTさんも出てきました。なんでもYASU海の駅クラブのWEBカメラに私がハーバーでぎ装する様子を見たとか。2人とも今日はクルーザーでのセーリングの予定でしたが、台風の影響で中止していたそうです、
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 それだけに夜須の海でセーリングできたのは幸運でした。保冷箱にお茶やスポーツドリンクを詰めています。海上でがぶ飲みします。
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  ヤ・シィパークも人もまばらです。
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 着艇してお昼ご飯を食べて、昼からもセーリングと思っていましたが、なんとハーバーが葉っぱと木の枝と芥で埋まっていました。あまりの量などで皆で協力して撤去作業をしました。
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 結局お昼ごはんを食べそびれました。

 しかし1週間前に斜路の青海苔をほぼ除去したので煮、今日見ると元通りに生えています。滑るので除去しないといけないです。でも今日は芥の除去をしていたので、斜路の除去は出来ませんでした。

 でもセーリングが出来て幸運な1日でした。

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ロンドン五輪で感じた日本サッカーの底上げ感

 ロンドン五輪で、サッカーの男女が躍進しました。女子のなでしこさんたちですが、決勝まで進出し、「惜しくも」アメリカに敗れての銀メダル。悔しいけれどよくやりました。

 一方の男子のU-23.リーグ戦敗退の予想を覆し快進撃。ベスト4まで進出しました。しかしメキシコと韓国に「惨敗」。ひ弱さをどう克服するのかが課題となりました。

 これから年末にかけては、フル代表が2014年ブラジルW杯への出場を目指すアジア最終予選が再開されます。早い時期に予選を突破して準備をすすめていただきたい。

 確かに男子はロンドン五輪でラスト2試合は惨敗でした。課題が見つかる敗戦でしたので、今後の教訓となるでしょう。今後は「きちんと戦い。負けない」サッカーをすればいいんですから。

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2012.09.14

9月半ばのはりまや橋サロン

 9月になれば涼しくなるかと思いきや、そうではなく蒸し暑いこと。これは遠い海上にある超大型台風16号の影響でしょう。黒い雲が北の山にどんどんできていますので。

 今日は母はごねることなく素直にはりまや橋商店街にやってきました。いつものようにコロッケを夕食のおかずに購入しています。
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 露天が出ています。わたしが活き活き100歳体操の会場準備(椅子などを並べる)間に、露天市で買い物をしていたうようです。
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 今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、9人の高齢者が参加しておりました。
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カフェピッコロでの食事会をしました

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 1週間前の6日の店舗お休みの日に、店主の小谷鐵穂さんと店内で打ち合わせをしました。それで関係者の打ち合わせは、カフェピッコロの予約営業ということで、9月13日に、小谷さんの自作のピザなどを食べながら懇談しましょうということになっていました。(カフェピッコロの外観です。)

 小谷さんは、学生時代を合わせて40年近く関西地域にお住まいされて、Uターンして戻られたときに、ご自身で店舗となる家屋を建てらたれたと言います。

 ログハウスのキットで、基礎工事は専門業者がされ、大工さんの指導も受けながらも大部分は小谷鐵穂さんが施工されたそうです。

 カフェピッコロでは、東京・大阪・岡山・高知から関係者が集まり食事会を挟んで懇談会が開催されました。カフェピッコロのこだわりの料理が出てきました。

 モーニングセットです。手作りのパンに、手作りのジャム4種類。イチゴ。イチジク、マーマレイドなど。それに燻製のチーズと卵とブルーベリーのヨーグルトがついてきます。ホットコーヒーを頼みました。これだけで大満足です。燻製のチーズは帰りに家内へのお土産として購入しました。
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 カフェピッコロ自慢の自家製のピザです。まずスモークピザが出てきました。まろやかでとても食べやすいです。
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 次に出たのは明太子とたらこのピザ。冷凍生地のピザ屋にもシーフード・ピザがあるにはありますが、味が違います。ピザの生地からご自分でこしらえるからでしょう。
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 極めつけは、イチジクのピザです。水分の多いイチジクが違和感がなくピザになっている不思議さ。カフェピッコロ独自のノウハウですね。
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 詳しくは カフェピッコロのホームページ http://wwwe.pikara.ne.jp/piccolo/Cosshokuzifuukei13_r

 ホームページにもあるように、ご自慢の「かき氷」もいただきました。フルーツシロップはすべて手づくりです。昔子供保育園の保護者会でかき氷をしましたが、市販の色つきの人口甘味料でしたから、それからして大違いです。

 きび糖蜜ミルク金時 ・イチゴ ・パイナップルの3週類です。わたしはきび糖ミルク金時を注文しました。
 
 カフェピッコロのかき氷は、一違います。頭に「きーん」ときません。店主の小谷鐵穂さんによれば、「まろやかさは氷の温度ですね。溶け始めの氷がいいんです。それを手回し式のかき氷機で削るとまろやかなかき氷になります。しかも手作りシロップですから旨みが違いますね。
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 わたしはきびミルク金時のかき氷をいただきました。
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 イチゴのかき氷です。
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 パイナップルのかき氷です。
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 参加者一堂大満足でした。カフェピッコロの小谷鐵穂さん、奥様ありがとうございました。お蔭様で懇談会も成功でした。

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バリヤ・アリーで介護予防対策

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 家の中をバリヤだらけにして介護予防をしています。

 先日NHKで「バリヤ・アリー」という番組がありました。主旨はなんでもかんでもバリヤフリーにするのではなく、段差を活用して、運動機能を高める工夫をしている施設の紹介が番組でされていました。
 
 「富士登山」と称した階段部に、ロープを張り、多少足腰の不自由な高齢者の皆さんが、升降していました。

 うちなんかは「当たり前の」風景。3年ほど前から両親(現在は父が93歳・母が87歳)が超高齢化し、身体機能の衰えが目立ち始めました。
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 狭い敷地故に空間にゆとりがありません。自宅は3階建て、一階が事務所で、2階、3階が生活空間。当然階段を利用します。
 
 この階段幅が73センチしかなく、1段の高さが22センチもあります。敷地が狭いのでこういう形態に。当然手すりも付けられません。
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 登山道の急な坂道に鎖があるのを思い出しました。金属製のフックをホームセンターで購入。それにヨット用のシートロープ「ナイロンロープ。16ミリ)を使用して、我が家の「登山用昇降階段」をこしらえました。2階部にもつくりました。
 
 両手を使用し、手の力も使いながら両親は毎日階段を昇降しています。

 狭い家では[バリヤ・アリー」は当たり前です。介護福祉関係者も介護予防のノウハウにもっと関心を持っていただきたいですね。

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2012.09.13

ジーコさんの言われていることは正論ですね

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 日本のサッカー事情を熟知しているジーコさん。Jリーグ成立以前の住友金属に1選手として入団。Jリーグ発足後は鹿島アントラーズの1選手として活躍。後日日本代表監督として指揮をし、選手を見定めてきました。

 後にロシアやトルコなどのクラブチームの監督も勤め、現在はイラク代表の監督をされています。一時期給料未払いなどのトラブルなどにも遭遇しましたが、熱意でイラクの代表監督をされています。それはイラク国民をサッカーで励まそうとしているからです。

 イラクは1986年のW杯に出場していますが、そのときの代表監督が、ジーコさんのお兄さんのエドーさん。ジーコさんの日本代表監督時代もコーチとしてさせていました。

 選手としては1980年代はブラジルの10番を背負うスーパースター。財産も地位もこしらえました。ジーコさんは真底サッカーが好きなんですね。感心します。そうでなければ、いくら懇願されたとはいえ、単身日本へ1選手として来るはずがありません。

 イラクの代表監督にしても、お兄さんのご縁があり、戦乱が続いてきたイラクの国民に、サッカーで希望を与えるために指揮をしていることがよくわかります。

 まさにジーコさんはサッカーを通じた国際貢献を実践されている。その人がNUMBAR WEBで、現在の日本のサッカーを語っています。日本人の精神性にも及ぶ問題なので真摯に読みました。その一部をご紹介します。

(文章はNUMBAR WEB に書かれているものを引用させていただきました。)

「日本の厳しいしつけが影響を及ぼした“デメリット”。」

 様々な異文化に触れてきた彼が、日本で理解することが難しかった文化は、日本サッカーの質とも密接に関わっていた。

「日本の学校でのしつけは世界的に見ても厳しいものだと思うが、それがサッカーの指導にも影響していた。私が鹿島にいたとき、ユースの選手が初歩的なミスをしたりすると、厳しく罰せられていた。私はミスをするのは誰にでもあることだから、それを叱ったりするのはよくないと主張した。家庭でのしつけや学校での教育、そのような日本文化を私は否定するものではない。しかしサッカーにおいては別の文化が存在するのだ。ミスを恐れることなく自由に、イニシアティブをもってプレーすること。そのことを理解することが日本人にとっては一番難しいようだった。

「サッカーで大事な個々での状況打開が、日本人は苦手なようだ。」

 日本では常にチームとして目標を達成するということだけに主眼が置かれる。しかしサッカーにおいては個々が状況を打開して問題を解決しなければいけない局面も多い。日本人はそのあたりがなかなか苦手な国民のようだ。たとえば、決定力不足。以前に比べて良くなったが、そもそもの原因は、ミスをするのが怖いという気持ちから、本当にミスをしてしまうところにあるのだろう。重要な試合ではチャンスは1回か2回しかないかもしれない。そこでしっかり決められるかどうかが勝敗の分かれ目なのだ。そういったことをよく私は日本人選手たちに話したものだった。

 日本人はサッカーに必要な野望を持つのが苦手だ、とかつて私は語ったことがある。野望というものはエゴとは異なる。野望というのは征服したいという願望だ。サッカーは相手を征服した勝利者のみが生き残れるスポーツなのだから、勝利者になるという願望は持ち続けるべきなのだ」

「日本食はサッカー選手にふさわしくない」と語る真意。

 さらにジーコは、日本代表のフィジカル面での問題へと話を続けた。

「もう一つ言えるのは食生活の問題だった。日本食はとても素晴らしいものだし、健康的だ。しかしサッカー選手にとってふさわしいものだとは言えない。私が日本代表監督を務めた4年間で、7人の選手が骨折した。どう考えても尋常ではない数字だ。骨折をするのもカルシウム不足が原因だった。中田は当時ヨーロッパで別のタイプの食生活をつづけていたから、並外れたフィジカル・コンディションを維持できたのだ。唯一、彼が負った怪我は恥骨結合炎だった。

 現在ブラジルでは13歳でクラブに入るようになってきているので、その段階から食事療法を指導される。日本は以前、高校卒業時にプロを目指すのか選択する選手が多かったが、今はもっと早くなってきている。プロを目指すのなら、少年期から炭水化物やカルシウムを多く含んだ食事をとる必要がある。

NUMBAR WEB http://number.bunshun.jp/articles/-/275114

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2012.09.12

両親は猛暑を無事に乗り切り健康です

  昨日の11日は、月に一度診察していただいている横田内科胃腸科へ両親を連れて行きました。

 父は93歳、母は86歳ですが、2人ともありがたいことに健康を維持しています。血圧も父が122-60、母が124-70と健康を維持、高血圧ではありません。

 父は慢性腎不全も改善傾向にあり、むくみ(浮腫)もなくなりました。母は軽度の骨祖しょう症であることが」「先日判明。服薬をすることにしました。効果は出てくるでしょう。

 健康というのは何もににも換えがたいと思います。

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2012.09.11

アジア最終予選 日本VSイラク戦を見ました


 ホームの埼玉スタジアムでの、2014年ブラジルW杯アジア最終予選の日本VSイラク戦。イラクは上手いし、玉際に強いチームであるように聞いています。まして監督が日本にもゆかりのあるジーコさんではありませんか。

 しかもイラクは1993年にW杯初出場のゆめを砕かれた相手ではありませんか。あと1分頑張ればW杯初出場までこぎつげていましたが、右サイドからクロスを上げられ、ヘッドで決められ同点に。日本のW杯初出場の夢は潰えたた出来事を昨日のように鮮明に覚えています。あれからはや19年。遺恨の相手です。

 先発メンバーに香川がいません。体調不良のようです。変わって抜擢されたのは清武。積極的に仕掛けています。それに休養十分の長友と岡崎の動きも良いようです。
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 前半7分ごろにはイラクの動きが良く、コーナーキックからヘッドでシュートを打たれました、中盤の攻防が亜激しい、イラクもアウエーゲームですが果敢に攻めてきます。

 前半の25分イラクゴール近くのスローイン、走りこんできた岡崎が左足でクロス。走りこんできた前田がヘッドで決めました。日本が先制点をとりました。
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 1点取ったことで日本の動きがよくなりましたが、イラクもカウンター。40分位にフリーでシュートを打たれます、。あわや同点かと思われましたが、GK川島がかきだしました。前半は日本が1-0とリードしました。
Kawash1

後半は一進一退のゲームに。イラクは本来先発予定のベテラン選手を次々と投入。前がかりに攻めてきます。中盤が間延びし、イラクも走力が落ちないので、リードしているのに押し込まれるような展開でした。

 それでも後半25分には長友のクロスから本田がヘッド。惜しくもバーの上、34分清武ー本田の連携でしたがゴールは取れませんでした。

 ひきしまった試合でした。最後まで息の抜けない試合でしたが、日本が1-0でイラクを破りました。

 ザック監督もほっとしていることと思います。
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 キャプテンの長谷部選手も無難に献身的にゲームをコントロールしていました。
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 決勝点をあげた前田選手は決定力があります。
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 不安であった長谷部、DF伊野波が無難な動きをしていました。長友と岡崎の切れは良かったです。香川の代役の清武も躍動していました。

 決して楽な試合では在りませんでしたが、勝って勝ち点3の上積みは大きいと思いますね。
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原子力発電を今後どう考えればいいのだろうか

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 「まさか」の福島第1原子力発電の事故でした。大地震と大津波の被害により、電源を失い原子炉建屋内での水素爆発があり未だに無残な姿を晒しています。依然として原子炉に「蓋」がされないので、毎日大量の放射性物質が大気中に、地中に、あるいは海に放出されています。

 日本はこの50年間原子力発電所の創りだす巨大な電力資源で経済成長が支えられてきたと思います。70年台後半の第2持オイルショックなども乗りきれたのも。原子力の電力のお陰であると思います。

 ですが、それは今となっては「運が良かっただけ」ではなかったのかと思います。

 日本は4つの大きなプレートがぶつかり合い地震でできた列島です。有史以来日本では、太平洋側はプレート型巨大地震が。日本海側は直下型地震(活断層の巣)でありました。
原子力発電は日本では50年の歴史がありますが。今まではなんとかかんとか地震がなかった(原子炉に悪影響を与える規模)でしたので、国民生活にも悪影響が出ませんでした。

 かつて米国のスルーマイル島や旧ソ連のチェルノブイリにて大きな原子力事故がありました。しかし日本の原子力関係者は「人為的なミス。勤勉な日本人ではありえない」と言って来ました。

 地震の危険性を指摘されても。「我々の調査では大地震は起きない。我々の想定を上回る揺れも、津波も原発立地をしている場所では起こらない。」と調査もせずに強弁してきました。今回原発は大地震には無力でした。

 不思議なのは、ことここに至っても政府は原子力推進政策を変更しないことです。

 地震学者が「活断層の巣の上に原子炉すべてがあるのでただちに廃炉にすべき」と警告している福井県のすべての原発。そのなかで大飯原発が再稼働しました。
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 大飯原発再稼働は、大地震には無防備な状態です。免震棟は現在ない。大津波対策の堤防もない。活断層の調査もしていない。本当に再稼働してよかったといえるのか極めて疑問です。

  「勇気を持って廃炉にすべき そして真剣に本気で新エネルギーを開発すべき」です。

 廃炉にすることを国が決断しても簡単な問題ではありません。原子力が担っていた部分の電力資源の開発が急務です。もっとも原子力発電は100%フル稼働していたわけではなく、定期点検などのために止めることが多いので、バック・アップ用の火力居発電とセットになっています。(だから原発は二酸化炭素を出さない発電であることは間違い無いですが、バックアップ用に火力発電と必ずセットになっていますので、二酸化炭素排出量は減少しません)

 臨時的には火力発電所を稼働させます。一時的に燃料は海外から購入するのでコストは掛かりますが、幸いにも円高ですから。事業者の負担は軽くなるはずです。その間に懸命に地熱発電や、太陽光、水力、風力、バイオマスなどのクリーン・エネルギー資源の電源開発が急務です。

それを日本人全体で懸命にやれば10年以内にはなんとかなるんではないでしょうか。
原子力発電所は役目を終えました。安全に今後は廃炉にしていくことになります。そうあるべきです。


 そして稼働しようが、廃炉にしようが問題なのは、放射性廃棄物処理の問題です。しっかりした回答はありません。原子力関係者の結論は「地下処分」ですが、日本に安全に地下処理できる場所が果たしてあるのでしょうか?大問題です。廃炉の作業には100年以上はかかるでしょう。

 決して未来の人類への「贈り物」にしてはいけないと思います。
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2012.09.10

認知症が300万人を超えたそうです

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 厚生労働省は、日本における認知症状の人は300万人を突破したと公表しました。当初の想定では2025年そうなるだろうとのこですので、13年も早く突破しました。

 さきほどうちの両親でお世話になっているケアマネージャーさんが来ていました。

「厚生労働省の公表の数字は相当甘いと思いますね。実際はもっと認知症のひとは遥かに多いと思います。」とケアマネージャーさんは言われました。

 母も軽い認知症状がでています。3年前に脳のMRIを撮影し、専門医の診断で判明しました。きっちり調査すれば、おそらく認知症状の人の数はもっと増加するでしょう。

 画像は「認知症状 早期発見の目安」とあります。うちの場合もいくつか思い当たるところがあります。

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2012.09.09

安定しなかった夜須の海

 今日は早朝から不安定なお天気。自宅を出発するときも小雨が降っていました。途中の高知空港近くの南国市は晴れていましたが、物部川河口大橋を渡り香南市吉川に来ると雨が降っていました。国道55号善も夜須まで雨の降った後の水溜りが出来ていました。

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 ハーバーへ着いたものも、悪天候を予感する雲がどんと出ています。とりあえずの降雨はありませんでしたが、ぎ装(ヨットの組み立て)はやめて、ヨットを出し入れする斜路の青海苔除去をデッキブラシとタワシでしました。1区画やるのに15分はかかります。
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 ハーバーのゴミ拾い、小石拾いもしました。
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 今日はボーイカウトの子供たちと、関係者の皆様が、アクセス・ディギーとシーカヤックの体験に来られていました。多少の雨でもやるそうです。
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 また香南ジュニア・ヨットクラブもぎ装して海へ出る準備を始めていました。
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 海の水平線に墨を流したような真っ黒い雲が出ていましたので、ヨットを出すことを止め、日和見しました。シニア・ヨットクラブのOさんやIさん、WさんとKさんもヨットをぎ装し始めましたが、出そうという気が起こりませんでした。

 それから約1時間ほど、スロープの青海苔の除去作業をしていまいsた。

 お昼近くになり、ジュニア。ヨットクラブの子供たちがハーバーへ戻ろうとしていました。そのときに突然大雨になり、また今まで微風でしたが強風が吹き始めました。大雨と強風のセットです。

 皆で協力して陸へヨットを上げました。

 雲の様子を昼食時に観察していますと、西の空に少し隙間が見え、今まで全く見えなかった浦戸大橋が見えるようになりました。この雲行きであれば雨は降らないと判断しましたので、自分のヨットをぎ装しました。
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 微風でしたが波が無かったので帆走は可能でした。
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 午後からは、シーカヤック体験教室がされていました。
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 海から見る景色配意はいいですね。
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 Oさんのヨットには体験試乗されている人がおられました。
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 しかし安定しないお天気ですね。私が帆走していた午後の時間帯は雨が降りませんでした。片付けしているときもです。高知市方面へ車を発進し、帰路に着きました。今度は南国市辺りから雨が降り出しました。そして夕食時には雷雨で大雨です。
 
 雷が鳴っていましたのでパソコンは安全のため消していました。

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たそがれてきたゴーヤさん

  9月になるとさすがに朝晩は涼しい。セミの声も聞こえなくなりました。しかし日中は蒸し蒸しと暑いことです。ゴーヤさんも少し弱ってきたのかもしれません。

 葉も枯れて来ていますし、実も黄色くなり、破裂しています。また実の中に虫も入り始めました。こうなるとそろそろ名残惜しいですが撤去をしないといけないですね。

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2012.09.08

父は93歳 元気でゴルフの練習をしています

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 4年前の2008年9月8日、父は近所のホテルの食堂で昼食時に意識不明となり、救急車で近森病院へ搬送されました。ICUに入り精密検査をした結果、脳血管障害であることが判明しました。病名は硬膜動静脈ろう(こうまくどうじょうみゃくろう)でした。

 脳卒中や脳梗塞出なかったために脳の血管が破れたり、詰まったりしなかったので、幸い身体麻痺はありませんでした。脳の部位をカテーテル手術をし除去しました。年末までリハビリ病院へ入院し,年末に退院しました。

 自宅では散歩を中心にリハビリをして身体機能は回復してきました。しかし腎臓の機能が低下してきまして、慢性腎不全となり、2011年4月には高知医療センターに入院をしました。正常に利尿ができなくなり体に毒素が溜まりむくんできたからです。

 医療センターの強制利尿治療のおかげで2週間で退院できました。その後は植田一穂医師の指導の下、減淡白食の主食(ご飯、パン・麺類・餅)などに切り替え、適度な運動(毎日の散歩・週1の介護予防リハビリとゴルフの練習)で、腎機能も改善し、健康になりました。

 家族としては、喜ばしいことです。父は4年間の間に2度も危ない時期があり、無事に後遺症も無く乗り切ったことがなによりです。

 いつまで元気な状態が維持できるのか不明ですが、家族としては元気であり続けてもらいたいです。父はゴルフ好きで、本コースでのプレーが出来ることを目標にしています。

 「足がふらついてパワーが無い。」と嘆いていました。人間向上心があるうちは大丈夫でしょう。
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もともとの構造改革とは?

 とにかく日本の小泉ー安倍内閣の推進した構造改革は「粗悪な社会システム」でした。品性のない悪徳経営者をのさばらせ、勤労者の地域を不安定にさせ、ごく一部の株主と経営者に利益が配分される格差社会推進システムでした。

 最近自民党もようやく悪夢から目覚め、「本来の自民党」に先祖がえりをしました。しかし、かつてのように配分ができなくなるほど国家財政は破綻寸前です。

 内需をテコに景気回復を図ろうにも、非正規雇用労働者が3分の1を超える状態では、国内市場が拡大するはずがありません。それに安定雇用の公務員は安住し、「やりたい放題」をしているので、国民各位から監視され、給与も待遇も引き下げ圧力をかけられるでしょう。それは仕方がない。

 「構造改革」の名前はイタリアの共産党の指導者トリアッティあたりから聞きました。日本では社会党の江田三郎氏が構造改革路線で提唱していました。独占資本から勤労者の生産手段を取り返す。暴力ではなく平和路線でそれをやるとかなんとか。であったような。

 結局当時の共産主義の本山のソ連の意向に逆らったということで「修正主義」の烙印を押され追放されました。日本でも当時の社会党を牛耳っていた社会主義協会というソ連追随主義者に江田三郎氏は党外へ追いやられました。

 全然意味のことなる「構造主義」であったようです。日本小泉氏の構造改革は、「格差社会を拡大する結果に終わりました。」と歴史の教科書で記述されることでしょう。

 大阪市長の橋下徹氏がやろうという「改革?」(実際にしているのは「異端者狩り」のみ)も、小泉「構造改革」の焼き直しであると思いますね。

 橋下氏の「維新の会」とやらが総選挙があれば躍進するとか言っていますが、どうでしょうか?とくに週刊誌系のメディアが煽っていますが、乗れる話ではないでしょう。「民意」とはずれてますよ。維新の会とやらも。

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2012.09.07

残暑厳しい はりまや橋サロン

 朝晩は涼しくなった高知市。セミの鳴き声も聞こえなくなりました。

 ですが日中は暑い。夕方の午後5時でも事務所の気温は30度。湿度は87%あります。

 さて9月4日に骨粗しょう症と診断された母。1番下の腰骨が変形しているので腰が痛いそうです。じっとしても痛いので、説得して、はりまや橋商店街へ連れて来ました。

 まず夕食のおかずのコロッケを買いました。
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 今日のはりまや橋商店街は、暑さのためか人出も一段落と言うところです。
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 母は谷ひろこさんのお店 焼き菓子「ま・み・う・と」で、ベルギーワッフルを購入していました。
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 今日の活き活き100歳体操は、9人の高齢者の皆さんが参加していました。暑い中皆さん頑張っておられました。
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やはり母は骨粗しょう症でした。

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 骨粗しょう症(骨粗鬆症)とは、骨の新陳代謝のバランスが乱れて骨量(骨密度)が低下し、骨がスカスカの状態になる病気です。

 今年の夏になり7月頃から「腰が痛い」ということで、昼間も寝そべることが多くなりました。散歩もしなくなりましたので、運動不足。足腰の筋力が衰えれば余計転倒のリスクが高くなります。

 我が家は「バリヤ・アリー」です。バリヤだらけです。歩けなくなれば、即自宅での生活は出来なくなります。

 「腰が痛ければ病院へ行って診察を受け、検査してもらわないといけない。」

「病気やない。前も見てもらっていたから心配はない。」

「それは5年前のこと。しばらく整形外科へは行ってはいない。」

「行きたくない病気やないから。」

 という押し問答を繰り返していました。母(86歳)は、軽い認知症なので頑固に「病院へは行きたくない。」といい続けます。こちらもなにかとせわしい日々でしたので、強引に連れて行くkとはできませんでした。

 ようやく時間が取れて、9月4日にご近所にある田村病院の整形外科へ連れて行きました。医師の診察とレントゲン撮影、骨密度検査をしていただきました。

 診察の結果は「腰痛の1番下の骨がもろくなり、変形しています。それで曲がっています。腰椎すべり症も併発されていますので、腰が痛いのでしょう。

 骨密度測定もしましたが、やはり骨粗しょう症ですね。進行を遅らせる薬を出しておきます。」と言うことでした。

 今まで比較的健康な母でしたが、年相応に身体が変化しています。10年程前には階段から滑って転倒、腕の骨を折りましたが、3ヶ月程度で回復。最近も歩行中に転倒しましたが骨には別に異常はありませんでした。

 骨密度測定では、明確に骨粗しょう症であると判定されました。服薬して、日常動作に注意を払い、説得して近所を散歩するようにしないといけないですね。
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2012.09.06

日本VSUAE テストマッチ

 シーズン真っ盛りの中での、日本VSUAE戦。日本は先発では欧州組は、GK本田、DF吉田、酒井、MF長谷部、清武、本田、香川、ハーフナーマイクと8人が出ていましたが、コンビネーションがちぐはぐで連動した攻撃になっていない。
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(相手ゴール前のフリーキックは、本田と遠藤ですね。)

 一方UAEは全員が国内組ですが、U-20やロンドン五輪へも出場した「黄金世代」であるので、技量と玉際、スピードがあります。体調はアウエーでありながらUAEがよいですね。

 前半は決定機がなく、0-0でした。

 後半から香川に変わって岡崎が入りました。前線が活発化してきて、UAEゴールに迫ります。何度がチャンスも作りますが決め切れません。

 後半24分。左サイドから駒野が絶妙なクロス。走りこんできたハーフナー.マイクの高い打点のヘッティングシュートが決まり、1-0でした。
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 本田もよかったですが、後半中村(憲)に変わり、サイドも地元選手の酒井(高)が出場しスタジアムは大いに盛り上がりましたが、終了しました。

 しかしUAEは若い世代で技量と身体能力は凄い。経験だけが足りないだけ。アジアでは脅威になりますね。

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新しい通信機器には対応できていない現状

 昔から「流行遅れ」の私。CDラジカセも当時小学生の息子が、なにかの景品でいただいて初めて聞きました。パソコンも導入は遅く1998年に系利用パソコンが1台。インターネットはようやく2000年で見るだけ。自分でホームページが作れるようになったのは2003年頃です。

 今や電子機器は携帯端末全盛とか。スマートフォンやタブレット端末がどんどん出てきています。しかし問題なのはその「ランニングコスト」。1台あたり毎月数千円かかってしまいます。

 携帯電話が毎月の支払が3000円程度。それをスマートフォンにしたら4000円から5000円のアップになる。タブレット端末にしたら更に数千円通信費がかかる。

 WI-HIで10台利用できるとか言われていますが、現在繋いでいる光ケーブルのネット回線料金とは関係無いようです。こちらも6500円程度毎月払ってますからね。

 先日は不注意で、3月に購入したばかりのデジカメが壊れました。うっかり水に濡らしたんですよ。それで防水型デジカメを1万6千円で購入。痛い出費でした。

 来年XPがサポートが終わるので、会社と自分が活用しているパソコンを3台購入しないといけないことに。コストは掛かりますが、これは1度きりのこと。通信料金のように未来永劫課金サれるものではありません。

 電気代やガス代、水道代のように毎月課金されるものもあります。固定電話の通話料もそうです。これはイメージできます。でもスマホやタブレット端末機器の課金は想像ができません。

 うちへ取材に来た新聞記者の人がスマートフォンを使っていました。電話とメール、ネットで調べ物も取材先ですることもあるのでとのこと。報道関係者は情報の売買をしているような仕事ですから、必要なんでしょうね。
 
 タブレット端末は電子書籍にしたら字が拡大するから便利ではあります。でもそれだけ。書籍はブックオフなどで購入すればいいし、図書館で借りればそれでいい。あえて必要性はない。数千円支払う仕事もないし。

 情報化時代にますます遅れる今日この頃です。

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2012.09.05

香川県まんのう町へ行ってきました。

 今日は巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂製軽量浮体構造物の開発者である小谷鐵穂さんにお会いしてきました。長らく土木関係の技術者をされておられましたが、現在は故郷の香川県まんのう町でカフェ・ピッコロを奥様とお2人で経営されておられます。今日はお休みということでした。

 南海トラフ巨大地震で、先日の政府の公表では32万人。高知県だけで4・9万人。死者の70%が津波によるものであると予測されています。わたしが居住している高知市二葉町は海抜0メートルの軟弱地盤地帯で海に近い。うちの家族4人は間違いなく想定死者数にカウントされています。

 巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂製軽量浮体構造物が、間違いなく多数の命を救う装置になると確信しています。小谷鐵穂さんとは、フェイスブックでお知り合いになりました。今日は大変有意義な協議となりました。巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂製軽量浮体構造物につきましては、別項で後日詳しく報告します。

 今日は小谷鐵穂さんのお店、カフェ・ピッコロの様子の1部をご紹介します。お休みでしたので、店舗外観と中身の様子をご紹介します。
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 外観はログハウス風の建物。お庭や樹木もあり、まんのう町の自然を取り入れています。ご自宅も併設されておられますので、ロハスな生活を楽しまれておられます。
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 店舗内部はまさにログハウス風。木が基調の床、壁、天井です。外はまんのう町の自然豊かな風景で癒されます。
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 メニューも大変良心的な価格です。23センチの手作りピザが1000円から1200円ですよ。配達してくれるサービスのピザより随分適正な価格で驚きました。
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 お土産に小谷さん手作りの燻製をいただきました。卵に、豆腐に、こんにゃくとチーズです。早速夕食でいただきました。大変美味しかったです。
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 カフェ・ピッコロ

 〒766-0201 香川県仲多度郡まんのう町造田2993-25

  電話・FAX  0887-85-2086 

  ホームページ  http://wwwe.pikara.ne.jp/piccolo/
 場所は、説明文の通りです。

 わたしは高松自動車道路の善通寺インターを降り、善通寺市方面へ行きました。途中行き過ぎて琴平まで行ってしましました。とにかく国道438号へ入ることです。

丸亀・坂出方面からは国道438号線経由 炭所大橋を過ぎて約2km
土器川河川敷公園を左に見て うどん屋「藤よし」のある交差点を右折
・徳島つるぎ町方面からは国道438号線経由 三頭トンネル過ぎて約12km
内田の交差点の先 約600m うどん屋「藤よし」のある交差点を左折

広域農道を七箇方面へ 約300m
赤い屋根の消防署の横を右折 坂を上がってすぐ右手です。

 なかなかたどり着くことは初回は難しいですが、近くのガソリンスタンドで聞いてなんとか行くことが出来ました。

 小谷さんにお昼はうどんをご馳走になりました。カフェ・ピッコロから車で10分くらい走行したところにあるうどん店三島。製麺所ですが看板もなにもありません。
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 おばあさんと孫2人がうどんを製麺し、昼時には出しています。湯がいたうどん1玉が200円。卵が50円。しょうゆをかけて食べます。それがなんとも美味しい。うどんの麺が美味しいからおつゆは不用。
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 小谷さんによりますと、昔「うどん」という映画があったそうです。そのときにもこのお店は出てきたそうです。食事をして外へ出ますと、外では何人かの人が立って待っていました。

 場所はどこにあるのか全くわかりません。知る人ぞ知る、本物のうどん店でした。

 小谷さんところを午後2時に出ました。出たとたん仁雷雨で大雨。香川県に大雨洪水警報が発令されたようです。
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野党統一候補を全選挙区で立てることができるのか?

  野田民主・自民・公明の「3党談合」で、今国会で「消費税増税法案」は可決されてしまいました。今後は選挙があればこの3政党には投票をしないようにしないといけないと思います。

 国民の生活が第一党や、みんなの党、共産党、社民党、他の名前が思い出せない野党も足並みを揃えて内閣不信任案をだしましたが、野田民主・自民・公明が反対したために成立しませんでした。

 問題は次の段階です。「脱原発」「反消費税」の統一テーマで、政策合意し、すべての戦局に野党統一候補を擁立することができなければ、国民に選択を与えることにはなりません。それが野党の義務です。

 TPPやオスプレイ問題などまで入れると野党同士で見解が異なります。でも[脱原発]「反消費税」という観点では政策合意はできるとは思います。そして統一候補を出すべきですよ。

 それをせず共産党にように当選する見込みのない候補者を選挙区に出し、みすみす民主党や自民党を利する行為はしてはいけないのです。さてそれができなければ政府の横暴は止まらないでしょう。さて、それができるのでしょうか?

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2012.09.04

ヤングなでしこ ドイツに完敗

 前半1分は中盤でボールを奪われ、ずるずると下がりながら中央を割られて先制のゴール。
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2点目も前へのボールが収まらず奪われ突進されループシュートで2点目。
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 3点目はほーナーキックで高さにやられて失点。いいところがまるで無く、ドイツの早い出足と球際の強さに、「ふっとばされた」感じですね。
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 後半の立ち上がりは日本は前がかりになり、縦パスを通し、ドリブルで仕掛ける。もう少しでゴールかと言う惜しいチャンスも3度ぐらいありましたが、最後までドイツの守備陣の足は止まらず無失点でした。

 立ち上がりの1分の失点がすべて。なでしこの佐々木監督も「3人で守備に行ってんだから滑ってでも止めないと。」という球際の甘さ、詰めの甘さが出て、それがミスを呼びました。

 ヤングなでしこ完敗でした。立ち上がりの守備の甘さはニュージーランド戦でも同じでした。ドイツは守備が堅いので、ゴールは割れずヤングなでしこ完敗でした。

 8日の3位決定戦では頑張っていただきたいですね。

 解説になでしこの佐々木監督も来ておりました。なかなか選手を見る目は厳しいですね。対格差のあるドイツやアメリカと戦い勝つためには、自分たちの運動量やフリーランニングが大切。ヤングなでしこにはそれが足りない。球際の強さもない。
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 なでしこのDFの熊谷や岩清水の凄さが改めてわかりました。
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楢本光選手もこの悔しさを次に生かしてもらいたい。
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 藤田キャプテンも次の試合で頑張っていただきたいです。

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なんだか体を動かしたい気分になかなかなれない

 以前なら「メタ腹」になれば、しゃかりきに運動し、ダイエットに励んだ。しかし最近は「そうしようという」気分になれない。実行しない。よって事態は改善されない。

 暑さのせいもあるでしょう。それと「男性更年期」かもしれない。こういう時は焦ってもしかたがないと思う。「ヤル気」が潮が満ちるようにみなぎるまでまとうと思います。

 それで保健師さんの指示も、ロンドン五輪のせいで実行していません。それも終わり、朝晩も少しは涼しくなりましたので、日課の散歩を復活させ、自分と対話を深めたいと思います。

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2012.09.03

原子力発電を今後どう考えればいいのだろうか

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 「まさか」の福島第1原子力発電の事故でした。大地震と大津波の被害により、電源を失い原子炉建屋内での水素爆発があり未だに無残な姿を晒しています。依然として原子炉に「蓋」がされないので、毎日大量の放射性物質が大気中に、地中に、あるいは海に放出されています。

 日本はこの50年間原子力発電所の創りだす巨大な電力資源で経済成長が支えられてきたと思います。70年台後半の第2次オイルショックなども乗りきれたのも、原子力の電力のお陰であると思います。

 ですが、それは今となっては「運が良かっただけ」ではなかったのかと思います。

 日本は4つの大きなプレートがぶつかり合い地震でできた列島です。有史以来日本では、太平洋側はプレート型巨大地震が。日本海側は直下型地震(活断層の巣)でありました。
原子力発電は日本では50年の歴史がありますが。今まではなんとかかんとか大地震がなかった(原子炉に悪影響を与える規模)ので、国民生活にも悪影響が出ませんでした。
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 かつて米国のスルーマイル島や旧ソ連のチェルノブイリにて大きな原子力事故がありました。しかし日本の原子力関係者は「人為的なミス。勤勉な日本人ではありえない」と言って来ました。

 地震の危険性を指摘されても「我々の調査では大地震は起きない。我々の想定を上回る揺れも、津波も原発立地をしている場所では起こらない。」と調査もせずに強弁してきました。今回原発は大地震には無力でした。1年半以上たっても「蓋」もできないので、放射性物質の流失もとめられません。

 不思議なのは、ことここに至っても政府は原子力推進政策を変更しないことです。

 地震学者が「活断層の巣の上に原子炉すべてがあるのでただちに廃炉にすべき」と警告している福井県のすべての原発。そのなかで大飯原発が再稼働しました。
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 大飯原発再稼働は、大地震には無防備な状態です。「免震棟は現在ない。」「大津波対策の堤防もない。」「活断層の調査もしていない。」本当に再稼働してよかったといえるのか極めて疑問です。

  「勇気を持って廃炉にすべき そして真剣に本気で新エネルギーを開発すべき」です。

 廃炉にすることを国が決断しても簡単な問題ではありません。原子力が担っていた部分の電力資源の開発が急務です。もっとも原子力発電は、常にすべての原子炉が100%フル稼働していたわけではなく、定期点検などのために止めることが多いので、バック・アップ用の火力居発電とセットになっています。(だから原発は二酸化炭素を出さない発電であることは間違い無いですが、バックアップ用に火力発電と必ずセットになっていますので、二酸化炭素排出量は減少しません)

 臨時的には火力発電所を稼働させます。一時的に燃料は海外から購入するのでコストは掛かりますが、幸いにも円高ですから。事業者の負担は軽くなるはずです。その間に懸命に地熱発電や、太陽光、水力、風力、バイオマスなどのクリーン・エネルギー資源の電源開発が急務です。当然「節電」努力も必要で、LED照明などの量産化、低価格化の必要性があります。

それを日本人全体で懸命にやれば10年以内にはなんとかなるんではないでしょうか。
原子力発電所は役目を終えました。安全に今後は廃炉にしていくことになります。そうあるべきです。廃炉の作業には100年以上はかかるでしょう。

 そして稼働しようが、廃炉にしようが問題なのは、放射性廃棄物処理の問題です。しっかりした回答はありません。原子力関係者の結論は「地下処分」ですが、日本に安全に地下処理できる場所が果たしてあるのでしょうか?大問題です。

 決して未来の人類への「贈り物」にしてはいけないと思います。
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2012.09.02

久しぶりの夜須の海 のんびりとセーリングしました


 8月は悪天候でした。晴天時はサポートをしましたので、自分勝手に自分のヨットに乗ることは1回あったでしょうか?さすがにストレスがたまりますので今日は朝早くから夜須へ来ていました。

 今日は朝は8時半過ぎに夜須のハーバーに到着。ぎ装(ヨットの組み立て)をしました。自分のためだけにヨットで遊ぶのは久しぶりのような感覚ですね。それをしないと「自己回復」しませんので。
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 絶好の晴天。セーリングはやはりこういうお天気のよい日でないといけないですね。朝方に夜須は雨が降ったようでした。
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 ぎ装を間違えないように慎重にしました。それだけで大汗を掻きました。
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 出艇前に青海苔がすぐにへばりつく斜路をデッキブラシでこすりました。みんながこするようになったので随分綺麗になりました。
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 今日は「海辺の学校 ヨット教室」が開催されるようです。ヨットには初めての皆様が、アクセス・ディンギーという転覆しないヨットで海へ出て、セーリングの楽しみを体験する講習です。
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 海へ出ました。今日は先週の台風の影響があった海とは異なり、凪いでいました。微風でしたが波が無いので、ヨットは気持ちよく帆走しました。
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 しばらく1人で帆走していますと、シニア・ヨットクラブのWさんやKさん、IさんとOさんが海へ出てきました。
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 どんどん西の海面へ帆走しました。
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 赤岡の白灯台を、めざしました。夜須には赤灯台があります。赤灯台から白灯台へのセーリングです。とても気持ちが良かったです。

 赤岡の白灯台でタッキングしました。あとから来られたWさんとKさんもタッキングしています。
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 赤岡沖から夜須を見ています。

 本当に気持ちの良いセーリングでした。
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 お昼前に上がり、昼食を食べました。そしてまた赤岡をめざして帆走。白灯台前でタッキングして夜須へ帆走しました。
 
 ところが午後2時を過ぎたあたりからまたしても天気が下り坂に、特に夜須の谷あたりには雷雲がかかってきてごろごろ鳴り出しました。雷様は嫌なので断念して上がりました。

 やはり予想どうり雨なりました。朝の上天気が嘘のように分厚い雨雲が張り出して来ました。撤収しました。
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 右足のかかとを痛めてしまいました。ひょっとしたら骨が折れているのかもしれません。着艇してヨットをトレーラーに乗せ、自分で斜路を上げます。そのとき、斜路に穴が開いています。その穴に尖がった石が入り込んでいたのでしょう。右足かかとで踏んづけたようです。立てないぐらいに痛いです。

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結局「命」も資力次第なのか

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 9月1日付けの高知新聞の特集記事は、自社の印刷工場が、南国市の海抜50メートル程度の高台に完成したことを伝える自画自賛記事でした。

 通称「まほろば台地」と言われる場所は、海抜が高く、地盤も硬いと言われています。資力のある企業や個人は既に高台へ移転しています。

 資力のない市民や企業は、海抜0メートル地域にへばりついて生きていくほかはない。まさに「格差」を感じます。
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 8月30日に「南海トラフ巨大地震」の国の最終気被害予測が出ました。全国で予想される死者は32万人。高知県では4・9万人。そのなかに私も家族も含まれて居ます。

 「何とかしたい」という一心で、2007年から地域の人たちと一緒に二葉町自主防災会を結成し活動をしてきました。

 相変わらず高知県庁も、高知市役所も「勉強会」に追われ、なんら有効な手立てを打っていません。

 究極の南海地震対策は、高知市市街地全体の「高台移転」、都市の移転なのです。県知事も高知市長も全く本気度を感じない。つくづく低地に住むわたしたちは「棄民」であると思いますね。

 1000年前の高知市市街地付近は海でした。土佐日記の作者紀貫之の時代はそうでした。南海トラフ巨大地震はまさにその状態になるのです。
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2012.09.01

モデル体形を目指して

 5月の健康診断で「メタ腹」(腹周りが85センチ)と言うのは、ショックでした。原因は夜食と夕食後の飲酒でした。今年初めの冬場は寒かったのでよく自宅で飲みましたから。

 8月1日に保健士に「特定保健指導」を受けました。半年後の来年2月1日までに、腹回りを80センチ程度にする。体重を70kにする。体脂肪を15にする。との目標を設定しました。
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 8月は暑かったので、全く何もしませんでした。休日にヨットへ行っただけ。それもサポートばかりでした。9月に入ったので、まじめにやろうと思い、ベスト電器へ行き電子式の体重計を購入しました。

 オムロンというメーカー製です。医療機器専門メーカーのようですので、家庭用でも信頼できるでしょう。
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 体重測定表も渡されました。毎日測定し、変化を意識しないといけません。
 
 ちなみに、9月1日にその体重計で測定した数字です。

 体重 73・3㎏(目標70・0㎏ 3・3㎏オーバー)
 BMI  23 (目標22)
 体脂肪率  19(目標15)

 いずれもオーバーしています。

 目標を達成するためには、お酒は自宅では原則飲まないことにしました。夜9時以降の夜食.間食は原則しないこと。

 運動は休日のセーリング。週に3日のウォーキング30分。ジムを休会しているので、ウォーキングを増やさないといけないと思います。

 学生時代は、上半身はモデル体形でした。YA体というのでしょうか、上半身はマネキンと同じ体形。マネキンが着てる服をそのまま着れましたから。メタ腹ではありませんでした。

 さて挑戦することに。若い頃はすぐに減量できましたが、中高年親父になり、基礎代謝が落ちたのかなかなか腹回りの贅肉が落ちません。まあ頑張ってみます。

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介護予防に関する総合的な相談窓口は?

 現在父は93歳。母は86歳(11月で87歳)。2人とも大正生まれの戦中派。85歳以上の超高齢者となりました。
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 医師のデータでも現在は上限年齢は男女とも85歳であり、両親はこの分野でも前人未到の領域に入っています。

 超高齢者でも、やなせたかし氏(93歳)や日野原重明氏(100歳)、高所得者だから、若いスタッフが体操をさせたり、食事をこしらえたり、十分な個人ケアをされているようです。

 現在うちの両親は2人とも要介護1の状態。父は脳血管障害の後遺症で言葉が少し不自由。失語症になっています。頭で理解はしてはいるが、話すときに適当な言葉がすぐには出ない。また間違った言葉で話します。きちんと言語リハビリが出来れば、時間はかかるでしょうが治るでしょう。

 また2年前から慢性腎不全となりました。昨年は腎機能が落ち、むくみが全身にまわり、高知医療センターに緊急入院しました。退院後は、植田一穂医師の指導のもと、減蛋白食の摂取と、適度な運動で症状は悪化せず、自宅で普通の生活ができます。

 母の方は、軽い認知症状が出ています。現在暑さのせいもあり、外へ出歩かなくなり足腰が弱っています。散歩が1番良いのですが、頑固にやろうとしません。間違っている考えを頑固に執着するので身体機能が衰え、自宅で転倒しないか気になります。

 こちらも精神的なケアが必要です。介護予防段階では、どちらの部署に相談して良いのかわからないのです。両親は「超高齢者」で要介護度1とか言え、食事・排泄・着替え・入浴はすべて自分でできています。健康寿命はかろうじて維持しています。それをいかに伸ばすのか。それを「総合的」に相談する窓口が見当たりません。

 現在お世話になっているケアマネージャーの下村さんが大変良く相談に乗っていただき、助かっています。介護予防リハビリ施設「ジョイ・リハ」も紹介いただきました。しかし個人の努力では限界があります。
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 日本の65歳以上の高齢者人口は、過去最高の2,975万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も23.3%となった。高齢者人口は、「団塊の世代」が65歳以上になる2015年に3,395万人となり、2042年には3,878万人でピークを迎えると推計しています。

 日常生活に制限のない期間(健康寿命)は、日本では2010年時点で男性が70.42年、女性が73.62年となった。健康についての高齢者の意識を4ヵ国と比較してみると、60歳以上で「健康である」と考えている人の割合は日本は65.4%で、スウェーデン(68.5%)に次いで高く、米国(61.2%)、韓国(43.2%)、ドイツ(33.5%)よりも高いのです。 この比率を落とすことなく健康な高齢者を増やしていく努力が必要ではないでしょうか?

 しかし一方で要介護者は増え続けています。第1号被保険者(65歳以上)の要介護者等認定者数は2009年度末で469.6万人であり、2001年度末から181.9万人増加した。60歳以上の高齢者に日常生活における介助の必要度については、日本は「まったく不自由なく過ごせる」と回答した人の割合が約9割で、4ヵ国でもっとも高い割合となっています。この9割の高齢者へのケアが実に手薄ではないかとわたしは切に思います。

 「年齢で高齢者と分類するから高齢化問題は深刻に見える。だが、社会の一定割合を高齢者と定義すれば、高齢化問題はなくなる」という声もあるそうです。

 日本で言えば2030年の65歳以上の人口は32%だが、75歳以上は20%弱。これは現在の65歳以上の人口比率と変わらない。人々に実年齢よりも10歳若返った生活を送ってもらえば、高齢化問題はかなり解消できる、という発想です。

 わたしは月に1度整体へ行っています。そこの先生は満年齢86歳です。現役です。「100歳まで整体はやるつもり。15年は通いなさい。」と言われています。

 老師と呼ばせていただいていますが、「体の手入れの方法をきちんと皆知らないから、バランスが崩れ病気になる。それをきちんとすれば人は若くなる。戸籍年齢は重ねても、肉体年齢や精神年齢は若く保つことは可能。事実わしは自分の体で実践しているから。」

 86歳ですが高速道路でスピード違反で捕まったり、オートバイに乗ったりされています。先日はカヌー教室へ行きたいと言うので、YASU海の駅クラブで体験してもらいました。体とこことの手入れさえすれば、老師のような戸籍年齢では「超高齢者」でも60歳代の体力・気力で生活が可能になるのです。

 それを国民的課題で取り組めないかとも思います。高齢者でも健康を保っている人たちが9割もいるのですから。それをすればいわゆる社会保障費用も大幅には増えませんから。

 介護保険制度も悪い制度ではないと思います。うちの両親はその制度を活用し、現在介護予防リハビリにしていますから。もっその枠を拡大すべきです。
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 例えば、父は減蛋白食を摂取することで、腎機能がある程度回復しました。今それを通販で購入しています。その費用が毎月3万数千円かかっています。この費用は全く保健適用外です。

 腎臓機能が低下し、人工透析をしなければならない事態になれば、保健が適用され、自己負担が軽くなります。元気になるための食事には自己負担。治る見込みがない人工透析には保険が適用。なんだか釈然としません。

 そのあたり専門的な知識のある人の見解を聞きたいとは思います。

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