ブームに流されることは辞めよう
一昔前の小泉純一郎ブーム。キーワードは「構造改革」3年前の民主党ブーム。キーワードは「政権交代」。そしてまた大阪維新の会のわけのわからない期待。特に週刊誌系のメディアが煽り立てている。
民主主義がまどろこしいのはわかる。てっとりばやく「決められる指導者」がさっそうと出てきて、難題を解決してもらいたい。そう市民大衆は願望するが、都合よくそのようなリーダーは何時の時代にもいるわけがない。
大正5年(1916年)に石橋湛山は「帝国議会を年中常設とすべし」と評論しています。
「大隈首相のいわゆる円満辞職問題は、近頃における苦々しき一幕であった。首相が、閣僚にも計らず、恣に辞職を内奉し、密かに山県、寺内らと相談し歩けりとの噂が、事実においていかなりしかは、もとより吾輩の知らぬ処であるが、とにかくかくのごとき風説が1ヶ月余りもわたって流行し、はては寺内伯が、超然内閣を組織するということが、あたかも当然のごとく新聞紙上に説きはやされるに至っては、憲政も、議会もあったものではない。」
中略
「帝国議会の会期をかくのごとく短くした根本の原因は、実に官僚が、施政に対する国民の監視の一刻でも少きを望んだ結果と思われる。
これは、勿論推論に過ぎぬが、事実議会の会期が1日でも永ければ、官僚はそれだけ苦しい。我儘が出来ぬ。中略 敢て帝国議会の常設の義を主張す。国論の速やかな同ぜんことを切望する。」(石橋湛山評論集・岩波文庫・P74)より。
96年前の帝国議会の頃からも代議民主主義のもどかしさに、しびれをきらす国民やマスコミの連中がいました。寺内という軍事上がりの元老に全権を任せよという、議会無視の論調を石橋湛山は厳しく批判しています。それが96年前の話。
結論を短絡して、「権限を独裁者に白紙委任すれば楽」という市民大衆の安易な決断がナチスの台頭を生み、すべてが破壊される破滅の世界を生んだ歴史を忘れてはならないと思います。
代議民主主義箱恣意まどろこしい。でも粘り強く真摯な議論を積み重ねるしか無い。100年前からこの問題あったんですよ。結局は市民の政治意識の高揚と粘り強い、お互いの異論を尊重する冷静な議論の積み重ねしか、解決策はないのです。
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