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2012.12.27

40年前の自分 40年後の自分

 わたしには高校の卒業アルバムが2冊あります。

 1972年はわたしは高校3年生でした。2月になると大学受験をする級友は学校へ来なくなります。県立高校は卒業式が3月1日。私立は1月末にに卒業式をします。

 それは大学受験があるからでしょう。2月の初めは関西の私大の入試が始まり、中頃は関東圏の私大、後半は難関私立大学になります。その前後に国公立の試験がありました。

 級友は大学受験へ出かける。しかし自分は卒業できないことが確定。担任教諭は自主退学を進める状態。拒否すると一切連絡もない状態。

 卒業に1単位足りませんでしたが、高校側は「追卒業」を認めてくれませんでしたから。それは当時私の素行が悪く、「はみだし」ていましたから、高校側は厄介払いをしたかったと思います。今思えば仕方がなかったことなんでしょう。横着者でしたから。

高校時代私は勉強もせず「革命」を夢見て社会運動に熱中していました。しかし信じていた思想の結末が「浅間山荘」の連合赤軍事件に連なり、何もかにもが自分のなかで「崩壊」しました。毛沢東思想が実にお粗末であり、その後1989年の天安門事件で完全崩壊してしまいます。それだけにいまの中国政府の侵略行動は手口がよく分かるだけに絶対に許せませんね。

 敗戦直後、両親の世代が「鬼畜米英」から「米国賛辞」に大変化した社会変化ほどのスケールの大きさはありませんが、無邪気に信じていた極左の政治思想のあっけない破綻は、早熟な政治少年にはあの時期、ちと過酷でありました。

 40年前のことでしたが、つい昨日のように思います。そのことを思い出すと高校生の感覚になってしまいます。これから40年経過したら自分はどうなっているのか。はたしてこの世に生きているのか?考えこんでしまします。

 日本の総人口が3割減り、超高齢化社会になっていると予測されている。その間には南海地震も来るでしょう。運良く生き延びることが出来たら、この世の行く末を眺めてみたい。

 「40年」といえば井上陽水やユーミンも活動が40年。R・ストーンズなんぞは50年ですからね。でも彼らは作品を生み出し、世界に影響を与え続けました。しかるに小市民である私は何をしたのか。平凡にその日を生きるのに精一杯の毎日でした。

 40年前の悔しい経験をいまだに総括しきれていません。田舎の1高校生が40年間悩んでいる悩みは、日本国の悩みと一致する部分もあるでしょう。小さな会社を営みながら、超高齢者の両親をケアしている小市民として、今後も社会に対して発言をしていきたいと思います。

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