「特高警察」を読んで
10月に東京へ出張のおり新宿の紀伊国屋書店で購入しました。「特高警察」(萩野富士夫・著・岩波新書・2012年刊)を読みました。
昨今の日本社会の情勢は、2009年の政権交代を達成した民主党が変質。分裂したり離党者が相次ぎ、衰退気味。12月の総選挙では安倍普三氏率いる自民党が政権を奪取することでしょう。
安倍普氏は政権公約のなかで、「憲法改正」「国防軍の創設」「集団的自衛権を行使して米軍との共同行動」など、およそ大多数の国民が無関心な課題を実現しようと懸命の様子です。
調子を合わせるようにマスコミが作り上げた「第三極」で注目されている日本の維新の会という極右排外主義政党は、「原発推進」「核武装の推進」「尖閣を中国から守れ」とこれまた国民生活から遊離した政治的主張をしています。
脱原発をかかげている政党は少数政党であり、横断的なまとまりもないといころから、今回の総選挙では、右旋回した自民党と、極右政党の維新の会が躍進する可能性が高いようですね。
そういう日本国内の2012年の総選挙前の様相も気になったので「特高警察」を熟読してみました。
歴史を検証すると日本に特高警察ができたのは、幸徳秋水らが無実の罪で処刑された大逆事件の直後でありました。日本国内の社会運動を監視し、抑圧しただけでなく、当時植民地の朝鮮や台湾、満州国でも陰湿な取締と、残忍な取り調べをしていたようです。
萩野氏はあとがきでこう書いています。
「特高警察警察とは何だったのか。という問題にあらためて向き合えば、戦前日本における自由・平等・平和への志向を抑圧統制し、総力戦体制の遂行を保障した警察機構・機能といえよう。
それは日本国内にとどまらず植民地・かいらい国家に及び、法を逸脱した暴力の行使により多くの犠牲を生み出した。「国体」護持を掲げて、人権の蹂躙と抑圧に猛威を振るった。」(P231)社会システムであったようですね。
再び日本を軍事国家にしようという連中が政権を担えば、必ず「異論」を排除し、強権的な支配体制をこしらえるはず。特高警察が復活するのではないかと私は思います。
凄惨な拷問で、作家の小林多喜二氏や、高知在住の詩人槇村浩が殺害されました。日本国内では特高警察により、拷問で80人、獄中死114人、拷問が原因での獄中死が1504人と言われています。
それは戦前の「治安維持法」を遂行するために、「何をやっても許される」「国体護持のためには不逞の輩はどのような取り調べ方法も許容されるという暗黙の意識があった。(P78)
「治安維持法改悪により最高刑が死刑に引き上げられたこと、「天皇の警察官」意識が唱道されたことも、拷問違法性への認識を薄れさせた。」(P78)
また「特高警察」に所属すると警察官でも待遇が良かったそうです。左翼政党や労働組合に潜伏するスパイ活動に必要な機密費はふんだんに内務省から出ていたそうですので。
1936年には共産党撲滅の功労者ということで、叙勲まで特高警察関係者8内務省警保局・司法省刑事局らの官僚と、道府県警察部の第1線の特高警察官、判事48人が「栄誉」にあずかっていた。
特高警察は、大逆事件の年の1911年の創設。モデルはワイマール共和国時代のドイツの警察であったと萩野氏は言います。秘密警察であったソ連のゲーペーウーや、ナチスドイツ時代のゲシュタポとは生い立ちも性格も異なっていたようです。
社会運動の「監視や捜査における警察網の緻密さや広さへの自信、そして自前での組織、機能を整備・充実し、共産主義運動を抑えこんできたという運用の実績の自負が、おそらく警察制度や抑圧取締の方法など新たな導入を不必要と判断させた。」(P127)
ナチスのゲシュタポとは違う自負が特高警察にはあったようです。
「そうした自信・自負の背景には、取り締まられる側と、取り締まる側の間に日本固有の関係があるという考え方があった。特高警察は思想検察の主導した「転向」施策には消極的で、拷問を含む厳重な取り調べと処罰こそ運動からの離脱や思想の放棄をうながすという立場に立っていたが、その大前提には思想犯罪者といえども「日本人」であるゆえに「日本精神」に立ち返るはずだという見通しがあった。
治安維持法改正で最高刑を死刑に引き上げながら、日本国内の実際の裁判においてその宣告がなされなかったことも、また予防拘禁に「精神の入れ替え」という期待を込めたことも「日本人」である限り最終的には「日本精神」に回帰し、「転向するはずだと考えたはずである。
思想矯正は可能とする日本とは異なり、ドイツの場合はそうした発想がない。」(P188「ゲシュタポとの比較」
しかし植民地の朝鮮や満州国での取締は過酷で残忍であったようです。中国満州では反日運動活動家を、弁護人なしの法廷でのは形式的な裁判で死刑判決を出し、即2000人が処刑されたと言われています。
「この途方も無い大きなギャップは、「日本精神」に回帰可能な日本人と、「転向」の余地ささえ与えない中国人という相違でしか理解できない。朝鮮人・中国人に対する残虐性の発揮は、ドイツにおける多民族のに対する残虐性に通じるものがある。」(P191)」
1945年の敗戦によって、特高警察は解散させられました。しかし戦後形をかえて特高警察は生存していると筆者はいいます。
「立川反戦ビラ配布事件や葛飾政党ビラ配布事件という集合住宅へのビラ撒き行為について、最高裁で有罪判決が出されるなど新たな抑圧統制が進行しつつある。鹿児島の志布志事件や富山冤罪事件は、警察内部の違法な捜査や取り調べが過去のものではないことを示した。
そして「共謀罪」は2009年7月に廃案担ったものの、姿を変えて再登場の機会をうかがっている。」(P8)「生きている特高警察」
日本社会が右傾化、全体主義者の台頭・跋扈が目立ちます。もし彼らが権力を掌握すれば、必ず特高警察を復活させることでしょう。
国家犯罪を許してはいけないと思います。すべては大逆事件から戦前日本の抑圧社会と、1945年の惨めな敗戦とは結びついています。
大逆事件の再審請求と幸徳秋水さんの無罪判決を要求する運動もしていかないといけないと思いました。
戦前は特高警察によって日本の社会運動は抑圧され、無謀な戦時体制や世界大戦の突入を阻止できませんっでした。私たちは歴史を検証し、特高警察という国家犯罪組織の復活を許しては行けないと思いました。
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