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2013年1月

2013.01.31

静岡県吉田町のような津波避難型歩道橋の設置を

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 ヤッシーパークの関係者から静岡県吉田町の町道をまたぐ形での歩道橋型津波避難施設が出来上がるとの情報を聞きました。
 ネットで調べますと2013年1月18日号に中日新聞が記事を掲載されていました。いかそのまま引用させて頂きます。

 「町道をまたぐ全国初の歩道橋型津波避難タワー二基の起工式が十七日、吉田町住吉であった。同時に川尻地区で起工した従来型のタワー一基とともに、本年度中の完成を目指す。歩道橋型は町道上のため用地取得の手間やコストが不要で、津波対策の全国モデルとして注目されそうだ。

 歩道橋型は、千二百人収容(高さ六・四五メートル、床面積六百二十八平方メートル)と、八百人収容(同六・三〇メートル、四百十九平方メートル)。海岸から約一キロの浸水想定域内の同一路線(片側一車線)に、約三百メートル間隔で建設する。鉄骨造りで、上部床面はアスファルト舗装する。

 津波避難タワーは有事以外にほとんど用途がないのが悩みだが歩道橋型は一石二鳥。町道のため、利用しやすい、目立つ、適当な用地がない場合でも建設できるメリットがある。

 町は、国交省や県を交えた検討会などで技術、設計の協議を重ねてきた。法的には建築物や道路構造物ではなく、津波避難施設を兼ねた道路施設という。

 従来型の避難タワー(高さ八・一メートルの二層式、計八百人収容)と合わせ、総事業費は約十億七千万円。液状化対策を主因に当初予定の約二倍に膨らんだ。

 町は二〇一三年度末までに計十五基の津波避難タワーの建設を予定しており、地域特性に応じて複数を歩道橋型にする予定。田村典彦町長は起工式で「新しい吉田町を新しい安全の上に築いていきたい」とあいさつした。

中日新聞記事 (伊藤一樹)2013年1月18日


全域が海抜0メートルの高知市二葉町。下知地域全体が海抜0メートル地帯です。

 写真は国道56号線と国道32号線が交差する宝永町歩道橋。こちらに吉田町のような歩道橋型の津波避難施設を設置すれば、浸水地区の多数の住民が助かります。
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 二葉町にも国道56号線沿いに鏡川大橋近くにも歩道橋があります。こちらへもこうした歩道橋型の津波避難施設の設置をのぞみたい。
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 用地買収の必要性がありません。現在地元自主防災会と高知市は地域内の分譲マンションに[津波避難ビル」の指定のお願いに行っていますが、なかなか快い返事はいただけない。マンション住民各位の危機感がまだまだ高まっていないからでしょう。意識変革は難しいと思います。

 それよりも吉田町のように既設の歩道橋を「歩道橋型津波避難施設」として活用すれば、多くの人命が救われます。

 高知市長も県知事もただちに国土交通省に請願していただきたい。

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2013.01.30

因果律について

  「原因があって、結果がある。」

  「体の痛みは警告。骨盤が歪んでいたり、、からだに歪ができると警告を発する。どうにかしてくれと。そのとききちんと対応すれば痛みも治まる。症状には必ず原因がある。」

 先日の整体の時に、老師(86歳)は言います。体のことだけではない。世の中の動きのこともすべてそうなのであると。そう言われてみればそうかもしれません。

 「超人」になるといろんなことに目が向くようになるんですね。感心しました。

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2013.01.29

夜須でのウォーキング 2013年

 NPO法人YASU海の駅クラブは、2月17日(日曜日)午前9時から、「海辺の学校 ウォーキング学科」を開催します。午前8時半に受付。参加料は700円です。

 夜須は海と山の景色が狭い場所で楽しめる地域です。幼児から高齢者まで楽しめます。途中休憩し手結山のお餅を食べて、戻りますと豚汁があります。

 ぜひご家族でご参加下さい。当日わたしはお世話係で1番最後尾を歩く予定です。

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「yasu-work-2013.pdf」をダウンロード

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2013.01.28

水道管耐震管交換工事続行中

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 水道の送水管を耐震性がある鋳鉄管に先日交換。工事が終わってと思いきや、今度は自宅への引き込んでいる給水管との接続の工事です。1軒・1軒しないといけないので大変。穴を掘って、給水管を付け替えして、また埋め戻す。1日で終りますが手間隙がかかります。
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 道路に穴を掘りますとアスファルトの厚みは数センチ足らず。砂利と土。これでは二葉町は海にも近いこともあるので、地震が起きれば液状化するでしょう。
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 今朝へ明日の中村行きのための練習で4時起床。眠くなって来ました。

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両親の介護度は現状維持でした

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 先日役場から両親(父93歳・母87歳)「介護保険 要介護認定・要支援認定結果通知書」が来ていました。結果は両親とも作年と変わらず「要介護度1」のままでした。

 家族として私も家内も息子も両親の介護予防のための努力を懸命にしてきましたので、結果は現状維持でしたが、生活能力もあるし、身の回りのこと(着替え・食事・排泄・入浴)などはすべて自分でできますので超高齢者としてはいいことです。

 父は脳血管障害による後遺症(失語症)と慢性腎不全。母は軽い認知症と骨粗しょう症による圧迫骨折の症状があります。1年間共存しながら生活能力を落とさず健康寿命が維持出来ました。家族としては喜ばしい限りです。

 27日は朝1番で父はゴルフの打ち放し場へ行きました。外気温は午前9時でも2度でした。でもゴルフ打ち放し練習場は風はなく、柔らかい日差しがあり「寒くはない」とのことでした。93歳になっても大好きなゴルづの練習ができることは良いことなんでしょう。
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65歳以上のシニアの皆様も「寒さ」にもめげず大勢繰り出していました。
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 1昨日は猛烈なお天気でした。夜須へ行きましたがヨットにな乗れませんでした。今日なら快適なセーリングは出来たでしょう。でも父のことを考えると父のリハビリ優先ですね。家の片付けや掃除作業など、家人がたんまり用事をこさえています。それで今日はお終いですね。
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 高知市上町2丁目西北交差点角地。昔は釣具販売店がありました。解体されてしばらく更地になっていました。膜を張っています。何か建築されるのか不明ですが、建物が建築されるようです。

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2013.01.27

子供が「高新年間マンガ大賞」に

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 親ばかネタの第1報を記事にしましたが、高知新聞2013年1月25日朝刊17面の記事です。「年間大賞に193さん」「ひねりや深み加えたい」とかいう記事。一面の半分ぐらいを専有している。親馬鹿ですので、高知新聞さんごめんなさい。個人ブログに記事を掲載させていただきます。

 受賞作品は2012年10月25日の月間「高新まんが道場 特選」になったもの。いま話題のオスプレイを取り上げ「あれ、落ちたらぼくにくれる?」というもの。軍用機地のフェンスに登った子供が無邪気に言うのを米軍兵士が「排除」しようとしています。

 子供は沖縄の大學へ4年通学していました。家内が沖縄出身なので、お正月とお盆は家内のご両親がお元気なうちは沖縄へはよく行っていました。なんらか感じるものがあったんでしょう。

 1コマ漫画は画力も必要で、社会風刺も必要。言葉や流れで説明するのではなく、写真同様に画像ですべてを表現しないといけない世界です。今は昔と異なり新聞紙上で1コマ漫画の風刺絵は掲載されませんね。

 明治時代の中頃にフランスから日本へコ来て風刺絵を描いていたビゴーのような切れ味を身につけないといけないでしょう。


 「ビゴー日本素描集」を読んで

 新聞などで1コマ漫画の連載を、ビゴーさんにように出来れば、少しは子供の生活も安定するでしょうに。寝そべりながら(なじみの体勢だそうですが)風刺漫画を描くことができれば最高です。

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本当に高知市下知地域は低地です。

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 高知市の「地球33番地」通りと言われつ一文橋上から撮影しました。

 前方のアーチ橋は国道56号線の鏡川大橋です。高知市内では橋の部分は道路が盛り上がっていまして、。標高が高い。一方人家のある市街とは橋からずっと下の地域で形成されています。

 一文橋が架橋しているのは江ノ口川。鏡川大橋は堀川という運河と、鏡川に架橋しています。一文橋と鏡川大橋の距離は300メートル足らずではないでしょうか。

 南海地震が起きて地盤が沈下しますと、低地の市街地には江ノ口川、堀川の両方から海水が侵入してくることでしょう。更には張り巡らされている下水の管からも海水が噴き出してくると思われます。

 低地での生活を毎日意識しないと高知市では生きてはけないですね。

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2013.01.26

1月26日の夜須の海

 今日は、強い冬型の気圧配置。日本海側の地域は大雪であるとか。日本の東側に強い低気圧。西側には強く冷たい寒気を含んだ高気圧。寒いはずです。
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 天気図では[強い冬型」。夜須へ着きましたが、風がうなりをたてています。
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 それで、今日は出艇を諦めました。でも押岡大樹さんとジュニア・ヨットクラブの皆様はこの強風のなか出艇されるようです。偉いです。ぎ装(ヨットの組立)をされていました。
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 今日はとんでもない強風が吹いています。常時10Mから12Mくらいの風であると思います。
ヤッシー・パークの方へ歩いて行きましたが、椰子の木も大揺れです。
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 3艇のヨットが出ていました。強風のなか奮闘していました。尊敬します。
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 押岡さん強風のなかでさっそうとセーリングしています。
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 皆で助けあい無事に人もヨットも帰着できました。なによりです。
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 海では強風時には皆助け合いです。それをシーマン・シップと言います。
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ヤッシーパークの命山構想は良いと思います

 先日夜須へセーリングに行った折、ヤッシー・パークの関係者の方から「津波・避難施設」の検討会があったようで、そのなかの検討テーマに「命山」構想があるようです。
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 構想ではヤッシーパーク中央部にある芝生広場の西隣に小山をこしらえ津波避難施設をこしらえたらどうだろうかと言うアイデアです。避難広場には176人が退避できるようになっているそうです。高さは18メートル程度であるとのことです。(ヤッシー・パーク全体は標高8メートルです。)
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 概算での工事費用はざっと1・15億円とか。退避道路も階段とスロープになっています。山ですから草刈りをしたらいいだけです。海浜部に設置される金属製の津波避難タワーのように定期的にメンテナンス(防錆塗装の必要性。海浜部では亜鉛メッキでも10年が限度)の必要性がありますが、ことらは草刈りだけで済みます。

 2011年の東日本大震災の大津波でも、仙台市の荒浜海岸の冒険広場に5人が当日おられましたが、生存しています。公園の形が船の形になっており、津波が船の方向に来たから助かりました。ヤッシー・パークの構想では円形になっています。(横から津波が来れば超えていて助からなかった可能性もあります。)

 その関連資料をいただきました。
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 小山構想は長期浸水地域の高知市下知地域では土地がないので、あまり有効ではありませせん。津波避難ビルと、浮体式メガフロート(巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体)と立体換地がより現実的でしょう。
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 また別の考え方として吉田町の町道をまたぐ形での津波雛タワーが高さ6メートルで、それぞれ800人から1200人が収容できる形になっています。
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 こちらは国道56号線に二葉町と宝永町に歩道橋があります。イラストのように大きな面積の歩道橋をこしらえれば大勢の人たちが退避できます。
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2013.01.25

1月25日のはりまや橋サロン

 冬型の気圧配置になりました。日本海側は雪になっているようです。そのせいか風が冷たい。寒い中母(87歳)を連れてはりまや橋商店街へいきました。
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 いつものパン屋さんで母は好物のドーナツを購入します。
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 コロッケ屋で夕食のおあかずのコロッケを買いました。
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 はりまや橋商店街周辺を散策しています。
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 谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買いました。
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 今日の活き活き100歳体操は寒い中、7人の高齢者の皆様が体を動かし、頑張っておられました。
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親バカ・ネタですが

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 高知新聞2013年1月25日朝刊(17面)に掲載されていました。

 うちの子供が「高新年間まんが大賞の特選」になりました。5年前の学生時代に「準特選」(オセロゲーム)でしたから。当時の取材記事では次は「特選を目指す」と言っておりました。5年かかりました。

 前回も2007年の参議院選挙で政権政党の自民党の安部普三さんがこけて、野党第1党の小沢一郎さんが浮き上がるという政局の「オセロゲーム」を皮肉ったものでした。
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(2007年は準特選でした。)

 今回の作品はいま話題のオスプレイ。「落ちたら僕にくれる?」という米軍兵士に子供がわがままを言う設定に。今風ネタといえばそうですね。作年の10月25日に高知新聞に掲載されていました。

 家内が沖縄出身で本人も4年間沖縄の学校へ通学していました。ありふれた日常にある米軍基地の存在はなんらかの影響力があったのでしょう。

 大手アニメ会社から独立,事業主のようになり苦労して娘は絵を描いています。
 これで「お絵描きの仕事」でも来ればいいんですが。高知新聞は評価いただきましたが、高知県だけの評価ですのでありえないでしょうね。

 本人は懸命に頑張っているので報われる日がくれば良いとは思います。業界が違うのでなんの支援も力にもなれない自分達がもどかしい。
 

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大島渚監督を追悼して「日本の夜と霧」をVTRで見ました。

  大島渚監督作品「日本の夜と霧」(1960年・松竹)をレトロのVTRでアナログテレビで見ました。時々筋が画面に出ます。「夜と霧」だからそれでいいんです。

 場面も夜で霧のかかった学生寮の周辺であるとか、1960年安保闘争の夜間の場面や、結婚式の場面も夜。昼間の場面は全くありません。

 学生運動を通じて知り合った男女結婚式。祝辞も左翼運動らしい「修飾した言葉」の羅列。今聞くとパロディのようにしか思えません。
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 結婚式の最中に、「デモが終わって来ました。僅か数百人しかいない。君たちはなんだ!闘争は終わっていないぞ!」と乱入します。いまは爺さんになり、「たかじん」の番組ではファシスト老人ぶりを発揮している津川雅彦が、安保全学連(ブント)の学生役ですからね。若々しいし、猛々しい。

 悪役俳優の戸浦六宏と佐藤慶が、回想画面では学生服を着て、ヘーゲル哲学を語っている。学生寮の壁の落書きには、マルクス・レーニン・毛沢東と書かれてあり、共産主義思想が「ユートピア」であった時代を忍ばれますね。
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 時代背景には、朝鮮戦争前後は日本共産党は武装闘争を指示し、多くの学生が参加し逮捕され、傷つきました。学生寮での「スパイ監禁事件」もその当時の話。方針をめぐって学生同士の論議があるものの、指導者の学生は「共産党の意向をかさ」にきておさえこんでしまう。

「お前の客観主義が帝国主義・反動につけこまれる隙をつくるのだ。物取りが貧乏学生寮に忍び込むはずはない。スパイに決まっている。」「との強引な論理で仕切ります。
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 それからわずか半年後、武装闘争は放棄され、歌と踊りのフォークダンス運動になり、しきりに「若者よ体を鍛えておけ」のアコーデオンの演奏ともに男女の学生が歌い踊る運動に大転換。要領のよい幹部は居座り、偉そうに指導者づらをしていました。

 戸浦六宏と佐藤慶は反発するも流される。それを新しい安保世代の津川雅彦が批判する。「あんたらは何をしていたんですか。これほどいい加減な方針転換を許す方がおかしい!!」

「党の後ろ盾があるものに、個人は対抗できなかった。」と戸浦六宏と佐藤慶。津川は「ハンガリー動乱とスターリン批判で共産党の権威なんかないんだ。とらわれるほうがおかしい!」と議論は平行線。

 仲人を務める共産党の指導者は「マスコミ等におだてられ、労働者組織と遊離した一部の跳ね上がり学生の村存在は統一戦線の阻害以外なにものでもない。」と全く議論はかみ合わない。

 1960年安保の年に大島渚監督は「やっつけ」「突貫工事」でこしらえた作品のようでした。でも時代背景はでています。日本共産党の路線のぶれと、指導者層のいい加減さ。安保全学連からブント(共産主義者同盟)の勢いと崩壊、共産党に縛られていた当時の左翼運動。古典ですね。

 上演4日目で打ち切られたそうです。おそらく共産党関係者からのクレームではないでしょうか。大島渚監督のこの映画に見られる「パロディ」は面白い。」でも生真面目な日本共産党信仰者には許しがたい映画なんでしょう。

 面白おかしく鑑賞しました。

 ただ半世紀前も今も同じですが、左翼の皆様は旧左翼、新左翼も問わず、「異論を」認めることはありません。独善的。相手の批判ばかりしている体質は昔も今もかわりませんね。市民大衆から支持されない根本原因がその「体質」であると大変良く勉強になりました。お笑いとすれば秀作です。

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2013.01.24

勤続10年・20年・30年の表彰式と懇親会

  所属する組合の新年会に行きました。受付をしていましたので、久しぶりに200円札を目撃しました。
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 1月24日はは今年2度めになりますが、スーツを着用しネクタイを締めて会合へ行きました。高知県塗料商業組合の新年会と永年勤労者表彰です。会社に菌毒10年・20年・30年の節目の従業員の表彰式でした。
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 勤続10年の方です。
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 勤続30年の方です。

 塗料組合は小さな組合ですが、商売敵同士仲良く組合活動をしています。今回の新年会も大変囲碁部買い物でした。

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浮かぶ大型津波避難シェルター

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 私たちは、高密度の発泡スチロールをベースにしたメガフロート(浮体構造物)を提唱しています。
 こちらは。造船の技術を応用した設置式の大型津波避難シェルターであるそうです。岡山県の海のお仕事をされておられる人からの情報です。

 ハッチは気密性を保てるのか。鉄製と言うのであれば防錆対策はきちんとしているのか。海の近くに設置すれば10年毎に防錆塗装をしないと強度は維持できないでしょう。出入り口のメンテナンスも必要です。

 中国新聞1月11日号にも掲載されていました。

http://www.chugoku-np.co.jp/Disaster/An201301110180.html

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2013.01.23

中学生時代の恩師・三浦光世先生です

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 伊野中学時代の恩師の三浦光世先生です。昨年12月に開催されました「第1回市民とつくる防災フォーラム」に来ていただいた時にお会いしました。写真は「甥」にあたる黒岩さんが撮影していただきました。

 中学では国語を習いました。「とにかく書いて、自分を表現しなさい。日誌を書くときは他人に観られても良い文章を書くように努力して下さい。」と言われました。伊野中学時代は、ガリ版(謄写版印刷。今の40代以下の人達は知らないと思います。)で毎週「平和新聞]という新聞を発行し学友に配っていましたから。

 文学的な才能の全くない雑文しか書けない私ですが、三浦先生は励ましてくれました。精神的に不安定であった高校時代にも自宅へ何度も伺い、ご主人の良一(よしかず)さんともども励ましてくれました。良一さんは短編小説を複数書かれ、出版もされておられる文学的な才能のある人でした。

  今年75歳になられたということですが、これからもお元気でいてください。

 文学的な才能のない私ですが、ブロクなどはこれからも書き続けていきますので。

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2013.01.22

標高5メートルを高知市では意識しよう

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 高知市の主要国道(2桁の国道)沿いの道路標識ポールには、国土交通省の言うところの「海抜シール」が張られています。標高の低い高知市市街地では「5メートル表示」が目立ちます。

 写真は逆光で見えにくいですが、この地域では海抜0メートル地帯なので、5メートルは見上げる高さです。3階建ての建物に避難しないと地震で地盤沈下と津波が襲来しますから溺死します。常に意識して、付近を通行しているときに、地震に遭遇したらたら、安全を確認してすぐに高い建物に駆け込むことですね。

 県庁前あたりになると、5メートル表示は低くなりm,2階建て程度になります。旭町へ来ると人の瀬高ぐらいになります。それを常に意識しましょう。

  下の地図でブルーの部位は海抜5メートル以下です。高知市市街地全域がそうなのです。
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2013.01.21

月曜日はせわしい

 1周間で月曜日と金曜日はなんだかせわしい。それは朝1番に父(93歳)が植田医院で診察と点滴があるからです。父の病院での血圧測定は110-54で良好。酸素濃度も95%でした。
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 お昼は両親を迎えに12時10分すぎにジョイリハ(介護予防リハビリ‥通所施設)が来ます。それゆえ11時過ぎには両親の昼食の段取りが必要です。父は慢性腎不全なので別メニューに。午後4時半過ぎには戻ります。
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 金曜日は。午後から母ははりまや橋商店街での活き活き100歳体操があるからです。休日は父はゴルフの打ち放し場へリハビリがてら連れて行っています。

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母(87歳)の近所の散歩

  昨日海から帰ってきて、母を連れだし近所の散歩。ほんの僅かな距離で、しかもお菓子屋でお菓子を購入してお終い。それでも気長に散歩してもらうようにしています。
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 高齢者になると動くことがおっくうになるいようです。でも動かなければ動けなくなります。自分の体も手入れしながら健康で長生きをしていけないといけないと思います。

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電柱地中化は長期浸水地域に有効なのか?

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 国道32号線の高知市知寄町1丁目付近。共同埋設工事で、電柱が撤去され、多少都市景観は良くなっています。電気・都市ガス・電話・ケーブルTV・ネット回線などが共同して道路下に埋め込まれています。

 しかしこの地域は海抜0メートル地帯。南海地震が起きれば地盤が沈下し、長期間水没すると言われています。電柱地中化工事は、こうした災害に強いのでしょうか?

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2013.01.20

大寒の日の夜須でのセーリング

 今日は「大寒」とか。1年で1番寒い日であると言われています。天気図を見ますと冬型ですが、等圧線が幅広いので、そんなに風が吹かないだろうとの「予想」。当然現地の日和見(観天望気)もしますので。
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 9時過ぎに夜須へ来ました。昨日は海の駅クラブの役員会と懇親会がありました。体調もよく早朝に目覚めたので大丈夫です。

 ハーバーへ来ました。余り風はないようです。いくじなしヨットマンなのですから、冬場は風が余り吹かないほうがいいんです。
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 さすがは冬です。ヨットカバーの窪みに溜まっている雨水が氷になっていました。
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 セットして出艇はしましたが、風の弱いこと。冬でもこういう日もありますね。鏡のような海になることもありました。
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 昼前に一度上がりました。昼食を食べてもう1度出ることにしました。フェイスブック用の写真をNさんに撮影していただきましたが、アングルはいいんですが残念ながら逆光になっていました。
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 昼は高知大学ヨット部、ジュニア‥ヨットクラブ、社会人ら私を含め13艇が大寒の夜須の海で帆走しております。
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 ヨットでセーリングしている写真も撮りましたが、やはり人相が悪いです。
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 ハーバーに3時過ぎまでいました。充実した1日でした。

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二葉町内の水道管耐震化工事

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 高知市水道局による水道管の耐震化工事が、昨年末から二葉町内で行われています。施工業者によりますと、従来の塩ビパイプから鋳鉄管に取り替えています。より強い揺れなどにも耐えられると思います。」とのことです。
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 道路をカッターで切れ目を入れ、小型ユンボで掘削し、水道管を入れて埋め戻して、簡易舗装する。掘削し、水道管埋めて、埋め戻すには1工区20メートルで1日のようです。
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 大通り沿いには動脈の送水管の耐震化工事も同時に行われています。

 水源地から道路埋設の水道管までは水道局の領分。そこから各家庭や集合住宅に水道管は引きこまれていますが、そこから先は各個人の領分です。家の水道管の耐震化も考えないといけないでしょう。

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2013.01.19

YASU海の駅クラブ・新年会

 今日はNPO法人YASU海の駅クラブの理事会及び新年会でした。私の場合は土佐電鉄の知寄町3丁目まで20分程度歩いて、ごめん行き(終点)の電車に乗ります。
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 終点のごめんで下車。徒歩2分にあるごめんーなはり線(土佐くろしお鉄道)のごめん町駅にて、夜須へ向かいます。
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 アンパン‥マン列車で夜須へ行きました。
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 そして理事会があり、懇親会は永楽でしました。
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 帰りは赤岡町の人が考案したという、「中日そば」を知寄町3丁目のスリー‥エフで購入しました。

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残業しながらヨット用のドラースーツとセールの手入れをしています。

 父のゴルフの打ち放し場への練習から戻ると事務所で残業です。今日は業務はないので、ドライスーツの手入れ(ゴムの部位の修理)とセールの修理をしました。外は日差しがあるので、少しは接着剤が乾くことでしょうから。

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 セールは車の上に干しました。

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寒いですが父(93歳)も元気にゴルフの練習をしました。

  明日は大寒で、1年で1番寒い時期であると言われています。この時期大学入試の「センター試験」も実施されますね。8年前は下の子供が受験しておりました。本当に寒い時期しますね。

 昨日主治医の植田一穂先生からは「血液検査の数値は良好。お父さんは慢性腎不全患者の常識を覆しました。素晴らしいことです。

 でも感染症になられたり、脱水症状を起こしたら、一気に症状が悪化し、危険な状態になりますから。風邪などひかないようにしてくださいね。」と言われました。油断はできなのです。

 父はゴルフの練習をする前に入念に準備体操をします。帽子も、ネック・ウォーマーもしていますので、暖かいと思います。今朝9時の高知市は2度でした。でもゴルフ練習場は風がなく日差しもあるので、元気に125発を打ち終えました。

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1月16日のBS-11 「本格報道INsideOUT」はなかなか面白かった。

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 テーマは
「右傾化する安倍政権?左右の雄が斬る」
ゲスト:木村 三浩(一水会代表)、三上 治(評論家)

番組の趣旨

「昨年末に始動した安倍政権。日本経済再生本部や教育再生会議などを立ち上げ、
また、経済財政諮問会議を復活させるなど、着々と安倍カラーを出して政権運営を進めている。
一方で憲法改正を見据え、第三極と呼ばれた勢力への接近も見られ護憲派には警戒感が強い。初の外遊、東南アジア諸国訪問も包囲網を敷くとして、やはり中国に警戒感が強く、靖国参拝を封印したものの尖閣諸島など領土問題をはじめ外交・安保に多くの懸念材料を抱えている。
安倍政権の今後を、一水会代表の木村三浩氏、元ブント叛旗派代表で、評論家の三上治氏、右と左の雄が斬る。 」ということでした。

 一水会は新右翼であり、従来型の反共の立場から「親米路線」を取っていたことに対し、戦後日本を米国の従属体制に成り下がってしまったと規定し、戦前からの思想指導者の影響を受け、日本の完全なる独立を勝ち取る、として「対米自立」「日米安保破棄」「戦後体制打破」を掲げている。

 三上治氏は60年安保闘争後の社学同指導者であり、共産主義者同盟叛旗派のリーダーの1人でした。学生時代に2回ほど目撃したことがあります。1975年でしたか、品川公会堂での叛旗派解体集会では、吉本隆明氏も壇上へ上がって議論をされていたことを思い出します。それ囲碁の目撃。お元気そうですが、随分「老けたな」という印象。

 木村氏は「念頭の天皇陛下のお言葉では、福島での原発事故罹災者への深い思いや、お気持ちを今の安倍政権は考慮せず、原発再稼働など許されない。愛国者のやるべきことではない。」と厳しく批判しました。

 三上氏も「米国追随政策が愛国者になることがおかしい。新自由主義政策で国民に格差が広がり、ささくれだってしまった。雇用創出というのであるならば、地産地消の新エネルギーや再生エネルギー開発をして、新たな産業を生み出すべきです。それなのに安直に原発を再稼働し、核燃料サイクル事業もやるという。とんでもないことですね。」と言いました。」聞いていますと極右も極左も同じようにも聞こえる。

 ただ「憲法改正」問題に関しては、立場が違う。木村氏は安倍氏を半分評価。三上氏は全否定です。

 主要地上波テレビ局での「政党討論会」のいい加減さ、まやかしさに比べ、2人の議論は面白いし,聴き応えがありました。

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2013.01.18

1月18日のはりまや橋サロン

  南国土佐も今日は寒い。朝から高知自動車道(高速道路)は、雪のため閉鎖になっています。晴天ですが雪降ろしの風は冷たい。寒いから行きたくないと母はごねていましたが、「おやつを買いに行こう」となだめすかしてはりまや橋商店街へ連れ出しました。

 来れば来たで、母は買い物好き。露天市の皆様とは顔なじみです。谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買ったり、10円まんじゅうを購入したり、せんべいを購入したり、パン屋さんでドーナツやら、クッキーやらを精力的に買っていました。これもまた「頭のリハビリです。
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 今日の高知市は寒いですが、お元気な高齢者の皆様が7人集い、活き活き100歳体操をされていました。寒くても出てくればまた体の調子も良くなります。あと1月頑張れば高知は春になりますから。
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デジタル建設業界紙に二葉町提案メガフロートが掲載されました。

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 西田政雄氏(防災寺小屋塾頭)のご紹介で、WEBジャーナリストである大石恭生氏が取材に来られ、記事を掲載されました。

「正しい公共事業を問う~南海地震への備え」というテーマで高知大学岡村眞教授へも取材されていました。

 岡村氏は[高台移転を主体にした公共工事の必要性」を言われていました。二葉町の方は、長期浸水対策として、浮体式メガフロート(巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体)についてお話させていただきました。

 岡村教授の知見と、高知市市街地のような低地は、高台移転か、耐震高層建築物と建築して[防災区画整理ー立体換地」を行うことを目標にして、その方策の1つとして浮体式メガフロートがあります。


岡村眞教授の記事

http://ib-kensetsu.jp/2013/01/post-225-0110-oik-05.html

二葉町自主防災会の取り組の記事

http://ib-kensetsu.jp/2013/01/post-225-0111-oik-06.html

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2013.01.17

阪神大震災から18年

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 1995年1月17日に発生した阪神大震災。2013年の今年は18年目になります。
明け方未明に高知でも大きな揺れを感じ、家族とともに本棚が倒れないように、懸命に抑えた記憶がありました。[地震は起きないだろう」と言われた関西での大震災に衝撃を受けました。

 その後新潟県での中越地震や、中越沖自身、能登半島地震や、芸予地震。そして2011年3月11日の東日本大震災と日本では地震が連続して起きています。

 昨年南海トラフ巨大地震の新想定が公表されました。従来型の宝永地震モデルの3連動ではなく、東日本大震災レベルに被害想定が引き上げられました。
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 家具の転倒防止、家屋の耐震化、防火対策でその後の災害復興は問題を抱えながらも地域は復興して来ました。

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 しかし、私たちの地域は更に厳しい災害が襲います。軟弱地盤ゆえの液状化。地震と同時に地域全体の地盤が2メートル以上地盤沈下する。そして地域全体が水没する。更に津波が押し寄せる。石油施設も対岸にあり、最悪の場合火災の危険性もあります。

 そのなかで活路を見出すために、減災対策を住民同士で考案し、行政や企業の協力も得ながらできることから受講しなければなりません。

  高知大学の岡村眞先生は「阪神大震災から30年後に南海地震は起きるかもしれない。ずっと先のことかと思っていましたが、もしそうであるとしたら残された時間はあと12年になりました。」と言われました。ほとんど下知地域の減災対策はされていないので、焦るばかりです。

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2013.01.16

昭和防災プロジェクトをテレビ高知が取材に

 高知市下知地域で、住民避難の「津波避難ビル」選定に交渉している住民グループ「昭和防災プロジェクト」(国見俊介・代表)があります。4月に開館する下知コミュニティ・センター(旧下知図書館)にメンバーが集まっていました。
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 国見俊介さんにテレビ高知が取材をされていました。
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 その前に下知地域の分譲高層マンションの管理組合との話し合いがあり、「津波避難ビル」指定への交渉をされたようでした。その様子をテレビ高知の取材があり、その流れで集まっておられました。

 下知コミュニティ・センター5階部の屋上へ行きました。そこに地元要望で取り付けた「災害時LPガス・ユニット」設置の経緯をテレビ高知記者に説明をしました。
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 6階屋上は30人程度滞留できます。ここまで高いと見晴らしはいいですね。将来防災行政無線放送設備があればいいですね。
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 その様子は1月17日の夕方ローカルニュース枠の「イブニング・高知」で放映されるとのことです。

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自民党の大盤振る舞いは大丈夫なのか?

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1月7日の地元新聞1面記事。おそらく全国紙も同様の内容がこのところ掲載されていると思います。不思議なのは自民党政権になってなんで[大盤振る舞い」ができるでしょうか?

 そもそも財政赤字も、バブル崩壊後歴代自民党政権が、景気対策と称して公共事業優先の大型公共投資事業をしてきた結果ではなかったのか。それが駄目だから野田民主党政権は財政出動させず、緊縮財政ー増税路線に舵を切り、総選挙で惨敗しました。

 では今回の自民党政権の大盤振る舞いは成功するのでしょうか?それとも夏の参議院選挙に勝つための国家ぐるみの[買収饗応]行為ではないかとも思う。なんだかおかしな現象ではないかと思いますね。自民党は新しく再生されたんでしょうか?それが問われます。

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2013.01.15

携帯電話の業界も世知辛いこと

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 普段はおとなしい息子がご立腹のようです。携帯電話をそろそろ新機種にかえようかと思い携帯電話シュップに行くと、従来型の携帯機種は種類がきわめて少なくなり、店員はスマートフォンを薦めるばかりとか。

[馬鹿馬鹿しい。パソコンがなければスマートフォンというのもわかるのだが、電話とメール以外では原則使用しないので必要はない。スマートフォンにすれば通信料が高い。必要としないものに代価は払えない。」とのこと。「家貧しくして孝子出る。」のことわざどうり堅実な考え方ですね。

 いまや[時代遅れ」の携帯電話を未だに使用しています。あれこれしないから必要ありません。やはり携帯電話会社は3社の独占体制だからいけないのではないのでしょうか。

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2013.01.14

仁淀川町・宝来荘「疎開保険」にて検討会開催

 1月13日は、ほぼ1日NHK高知放送局の「とさ金」収録に拘束されていました。出番は少なかったものの、岡村眞高知大学特任教授のお話や、北岡興津小学校校長のお話は有意義であり、テレビ局スタッフの動きなど、大変社会勉強になりました。

 それで今日は「疎開保険」可能性について協議をするために、仁淀川町大屋(安居渓谷)にある宝来荘に、二葉町自主防災会森会長、荒木副会長、仁淀川町池川地域出身の西田政雄氏防災寺小屋塾頭・二葉町自主防災会顧問)と4人で行きました。

 大雪注意報が出ていました。山道の運転は不安なので、現地事情に詳しい西田政雄さんに運転をしていただきました。心配された雪は現地まで全くありませんでした。東京は雪で大変そうでしたが・・。
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 午前9時に二葉町を出発。順調に行きましたが,安居の手前で道路工事があり、長時間停止しました。それでも約束の時間の11時前に宝来荘に到着しました。
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 宝来荘はパンフレットでは「バラック」に毛が生えた施設かなと思っていました。なかなかどうして立派な木造建築物です。正直驚きました。
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 薪ストープがレストラン部屋に据えられており、とても暖かでした。
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 今回の打ち合わには、仁淀川町側は宝来荘に委託管理をされている井上光夫さん(によど自然素材等活用研究会会長http://www.2410riv.jp/)と中山琢夫さんや安居地区の区長さんも来ていただき早速意見交換をしました。NHK高知放送局と朝日新聞高知総局の記者の人達も取材に来られていました。
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 さっそく「疎開保険」についての意見交換をしました。「仁淀ブルーシェルター・メンバーズ」と言う案を井上光夫さんが出されました。
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 それによりますと、年会費が1人1万円。

 特典として「宝来荘に1泊宿泊(素泊まり)、「年に1回仁淀川町の物産の配送」「安居渓谷の体験農場での体験農業」などが提案されました。

 鳥取県「智頭町の疎開保険」や、東京のNPOの[震災あんぜんパック」なども参考事例にし、意見交換しました。
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「切実な問題だから、実現性は高いと思う。細かい点や金額や名称については詰めないといけない部分はあるだろうが、今年からなんらかのかたちでやっていこう。」

「二葉町は安居の宝来荘とか、各地域コミュニティごとに疎開先を決めたほうがいいと思う。阪神大震災の場合は、仮設住宅入居もバラバラでしたので、孤独死が問題になりましたから。と二葉町側から意見がでました。

「宝来荘関連で受入可能なのは110人です。後で見に行きますがバンガローや、畑もあります。都市部の人たちとの交流が経済効果が出来れば、地域の協力もより多くなるでしょう。」

「特典や料金は協議していきましょう。季節ごとの地域の行事の起爆剤にもなります。双方にとってメリットのあるしくみにしましょう。」と井上さんは言われました。

「先行事例としてやって見る価値がありますね。行政側にも話を通し、今後はより多くの罹災者を受け入れる仕組みを先取りしてやってみるように働きかけをしましょう。」と西田政雄さんも助言されました。

 宝来荘から少し行ったところにあるバンガローもなかなか立派でした。11人宿泊可能なバンガローでしたが、お風呂、トイレやロフトがあり見晴らしも最高です。
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 菜の花のタネを飢えたという畑へも行きました。春になると黄色い花が咲くことでしょう。荒地なので蕎麦などが適しているようです。
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 戻ってきて宝来荘の内部の見学をしました。下へ降りますと、木製の湯船の風呂がありました。見晴らしも最高。大きめのお風呂と、小さめのお風呂があります。
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 別棟では100人程度収容できる大部屋があります。カラオケ装置もあります。
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 宿泊部屋もありました。
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 昼ごはんもごちそうになりました。猪汁です。井上さんのお父様が仕留めたそうです。臭みがない柔らかい室の肉でした。お結びもいただきました。猪汁は旨くて3杯も食べ、おむすびも3個も食べてしましました。
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 帰り道ですが、廃校になっている安居小学校校庭跡にヘリポートができていました。
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 「体験疎開宿泊体験」とか、「日帰り体験」とか、今年二葉町自主防災会で企画をたててみましょう。そして[疎開保険」をうまく仕上げてみたいと思いました。

 そうなれば仁淀川町の皆様との交流がより深まり、「民泊」を受け入れていただけることが可能になれば、「疎開保険」での経済交流がより親密になると思われますね。お互いの地域が「WIN WIN]になる関係性を今後は構築できればと思いました。

 私達が「突破口」「先行事例」となり、他の低地の市街地の自主防災会や他の山間部の地域との相互交流が広がり、行政側も関与いただいて形にすることができれば幸いです。それを目標にしましょう。

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マスコミは原発を推進したいらしい。

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 マスコミの論調には辟易することがあります。

また矮小な批判のなかにはこんなコメントも。「原発を再稼働させるかどうかが問題になっているときに、遠い将来に原発をなくそうと言っても意味がない」

 国民の大多数は、原子力発電所の再稼動は望んでいません。望んでいるのは原発交付金が手に入る一部の自治体だけ。関連企業の人たちだけ。利権の当事者だけですね。

 国民各位は、別に交付金など欲しくはないが、一方的な放射能汚染の被害者にはなりたくないと心底思っていますね。

わたしの持論は「地震列島の日本では原発のコントロールは難しい。」のです。未だに福島第1原子力発電所からは、放射性物質が毎日大量に漏れています。もう無理なんです。原発を運転することは。

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2013.01.13

23年ぶりにNHK高知放送局で収録(とさ金エイトに出演)

 NHK高知放送局へ1月13日に行きました。仁淀川町と二葉町の交流事業を取材していただいている近藤泰郎アナウンサーからの声がけでした。メインのゲストは岡村眞高知大学特任教授と、北岡義彦氏(四万十町立興津小学校校長)でした。わたしも二葉町自主防災会の事業の説明を少しする予定でした。

 午前10時に来るようにとのこと。隣のラビータの温度計は6度です。どん曇りで日差しはなく寒い1日になりそうです。
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 NHK高知放送局です。以前来たのは「どうなるマリンタウン計画」の収録。1990年の時でした。まだ高知青年会議所の現役時代のこと。ロビー風景などは当時と変化がありますね。建物の雰囲気は変わっていませんね。
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 さて事前の打ち合わせをしました。午後3時過ぎまでみっちり収録の予定になっています。いただいた資料によれば、テレビとラジオの同時収録のようです。髪の毛が乱れていましたので、美容師さんにポマードでセットしていただきました。TVには少しだけ映るようですが、人相の悪い白髪頭のお爺さんが少しはましなヘアーになったようです。(自分では確認できませんので。後日番組ホームページ「とさ金 エイト」に出演者全員の写真が掲載されるようですが。

 事前打ち合わせが終わると「豪華」幕の内弁当が出ました。
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 食べ終わりますと短いリハーサル(音合せが)終わりすぐに本番になりました。

 最初は近藤泰郎アナウンサー、樋口綾子キャスターと岡村眞氏のコーナーの第1部です。「新想定」の話が主体でした。

 2012年の3月に国が想定を出しました。東日本大震災級の最大想定予測で、津波最大高さが32メートル(高知県黒潮町が出ました。5月に高知県が地域の測定をして被害予測図を出し、8月に国が50メートルメッシュの被害想定を出し、12月に高知県が10メートルメッシュの被害想定を出しました。
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 これについて岡村眞氏は「できるところから想定を出しましたので、ばらばらという感じになりました。最大の津波の高さは波打ち際のもので、陸へ入ると高さは小さくなります。ですので過大に恐れる必要はありません。4回も南海地震の想定が出ましたが、それは国と県がキャッチボールをしたのです。」

「大きな特色は従来の南海地震の想定域が高知県南部であったのが、四国全域になりました。平野部(高知市など)では最大震度が7も予測されます。

 それと津波の被害想定ばかり関心になっていますが、南海地震は揺れが長い。山間部でも山の斜面が崩れ落ちる可能性もあります。」

「揺れの強さより、揺れの長さに注意をしてください。揺れが1秒で3キロの断層が出来地層が破壊されます。それが3分も続けば、地震の揺れはう弱くても、とんでもない長さの断層が破壊されているので、大津波が襲来することになります。その判断を県民はしないといけません。」と言われました。

「地盤も意識してください。低地の高知市市街地は高知城の2・6倍も揺れます。国土地理院が地盤表を出しているので、自宅や会社がどういう地盤の上に建物が立っているのか把握して下さい。

 また津波は30センチの深さで移動が難しくなります。1メートルでは不可能です。津波が地域へ来る前に高台へすばやく逃げることが大事です。」と言われました。

 第2部は、防災教育を地域ぐるみで取り組んでいる北岡義彦(興津小学校校長)氏を交えての対談です。
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 「前校長の松岡雅人氏(現在は四万十町立十川小学校校長)の時代から奥津小学校では防災教育に取り組んできました。最初は文部科学省の防災教育指定校になりました。1年きりの予定でしたが、地域の自主防災会の皆さん型が連続して通年取り組もうという励ましもあり取り組んできました。

 前校長から引きついで防災教育に取り組んできましたが、東日本大震災では大津波が地域や学校を襲い皆衝撃を受けました。そして国や県の新想定が出ました。海抜15メートルの興津小学校でも危なくいなりました。一時期は防災教育も無駄ではないかと言われました。」

「でも昨年からご指導いただいている矢守克也京都大学防災研究所. 巨大災害研究センター・教授は、今までの取り組みは決して無駄ではない。積み上げがあります。その上に立ってやりましょう。と励ましがありました。それで新想定に皆で挑戦することにしました。」


「具体的には京都大学が支援していただいて、GPSを子どもたちは持って、避難ルートを地域の人達と一緒に選定しています。また児童がビデオを持って地域の人達と一緒に避難訓練をして、撮影し、後で検証する動画避難訓練もしています。

 奥津小学校地域防災訓練について 

 「奥津は3つの地域からできています。私達は防災マップは1枚でいいのでは思っていましたが、子どもたちは3つの地域でそれぞれ防災マップづくりをしました。よリ地域のお年寄りや防災会の人たちと連携して取り組んでいます。」という先進的な事例の報告がされました。

 岡村眞氏は「興津地区は素晴らしい取り組みですね。地域の保育園と老人保健施設は昨年高台へ移転完了しました。小学校と地域の集落は高さに不安のある地域にいます。みなで連携して高台へいち早く逃げる訓練をあきらめずに続けています。

 釜石の奇跡と言われていますが、あれは釜石の必然です。揺れが長く続くからおかしいと気がついた小中学生が、率先避難し、大人たちを引張り、幼児や高齢者を助けていちはやく高台へ避難しました。行政の大津波警報を避難先で聞いたといいますから。奥津の取り組みは素晴らしい。」と絶賛されました。

 第3部は二葉町自主防災会の取り組みについてNHKが評価いただいたので、二葉町防災マップをスタジオに持ち込んで経過の説明をしました。2006年12月に二葉町自主防災会が設立し、翌年防災マップを制作しました。二葉町は海が間近にあり、高台はなく全域が海抜0メートル地帯です。
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 ご協力いただける4階建て以上の民間賃貸マンションのオーナーさんと交渉して、津波時に一時退避所の協定を二葉町自主防災会・二葉町町内会・施主と3者で協定書を締結しました。自宅から50メートル以内に津波避難ビルはなければいけないので二葉町内に10箇所あります。

 更に階段登りが困難な高齢者や障害者の方のために、「国土交通省が管理されている鏡川大橋歩道部を災害時要援護者一時退避所として認めていただきました。東日本大震災直後の2011年からは、ご縁のあった山間部の仁淀川町都の住民同士の交流を深めています。と説明しました。

 近藤泰郎アナウンサーが、番組の中で鳥取県智頭町企画課の松村陽平氏に電話し、「疎開保険」について会話をしました。現在400人程度が加盟しているようです。東日本大震災後に関東地方の方の加盟もありました。受け入れ先は国民宿舎や隣町の宿泊施設の他に町内の民伯も40戸が協力いただいています。300人の受け入れは可能です。
  
 3食付きで1週間程度と書かれてありますが、事情により長期滞在は可能です。実際に疎開された方は現在ありませんが、体験疎開はあります。

 また何事もなければ智頭町の野菜などを加盟者に送ります。それが喜ばれています。高齢者の生きがいになっていて、最初は7人の生産者でスタートしましたが今や80人に増えました。今後は1000人を目標に加盟者を増やす予定です。とのことでした。

 二葉町と仁淀川町でも仁淀川町の宿泊施設宝来荘をベースに「疎開保険」ができないか今後協議をしていくと申し上げました。

 岡村眞教授の助言は「南海地震は西南地方全体に被害が出る可能性はあります。日本海側の地域との連携は今後は大事です。すでに高知県の製造業も世界戦略の関係で日本海側に工場を建てられた企業もあります。

 防災というとすぐに堤防をつくるとかになりがちですが、住民同士が連携して疎開に取り組んでいる。自分たちでやれることは自分で実施することはとても大事です。」とご評価いただきました。

 第4部は総括的な話を岡村眞氏がされました。

「24時間のなかで自宅で半分以上の時間を過ごしています。まず寝室の安全を点検ください。家具を寝室に置かないこと。置く場合は固定する。枕元に靴を用意してください。そしてヘッドライトと携帯ラジオと飲料水は用意してください。」

「家の中の避難ルートを確保してください阪神大震災でも家具で38%の人が怪我をされています。自分げ怪我をしないことです。家具の下敷きになり怪我をしたら、津波が来ますのでます助かりませんから。人を助けるためには」自分が無事でないといけませんから。」と言われました。
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 また岡村氏は番組では言われませんでしたが、「高知市内の孕から上の北の市街地では長期浸水になりますね。避難するよりも3階建ての建物ならそこへとどまっている方が安全なのかもしれませんね。」と言われました。

 うちも93歳の父と87歳の母がいます。一応鉄骨3階建て(1部4階)なので、建物が損傷を受けても倒壊しなければ自宅にとどまったほうがいいようですね。

 収録は午後4時前にようやく終わりました。

 スタジオ収録風景を許可を得て撮影しました。テレビの画面へ出ているのは、私も含めて5人ですが、テレビカメラもスタジオには4台あり、別室でスタッフが控えておられ、総勢12人の人員で番組作りをされておりました。本番前の準備風景の写真です。
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 これから編集作業をされ、テレビは1月25日の午後8時から8時43分に放映(再放送は26日の10時半から11時13分)だそうです。ラジオは1月26日の午後1時から2時55分の予定で放送の予定です。

 NHKのスタッフの皆様お疲れ様でした。

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また格差の拡大する嫌な社会になるようですね・・

  まったく民主党が体たらくなおかげで、2007年に国民が拒絶した安部内閣が復活してしまいました。悪夢です。

 これで格差が拡大し、国民の不満を海外の敵国にぶつけるという排外主義が助長されることでしょう。」なんともなさけない事態のなりそうですね。嫌な世の中です。

 憲法改正や国防軍でアメリカと一緒に軍事行動するいことが安倍氏の願望。全く国民の関心とはずれています。はやく退陣しないかなと思います。自民党にも人材はいるとは思いたい。

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2013.01.12

家の前の水槽工事

  広域の南海地震対策であるそうです。水道の排水管を鋳鉄製に交換し、埋め戻す工事のようです。耐震性があるようです。
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 夜須の海から戻りますと、工事が終わり埋戻し作業と舗装作業をしていました。
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1月12日の夜須の海

  午前中は父をゴルフの打ち放し場へ連れて行きましたので、夜須へ着いたのは午前11時を過ぎていました。なんだかこちらも風がないようです。
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 海は同じ環境になることはありません。お正月から風が強かったんですが、今日は一転弱い風。これなら意気地なしヨットマンの私も海へ安心して出れます。ぎ装しました。
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 フェイスブック用の写真をYさん似とっていただきましたが、全景を撮るばかりで顔が小さめでした。やおら海へ出ました。海の水が冷たい。
 風が殆ど無いので鏡面のような海面です。
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 みなさん風が無いので苦労されています。
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 こちらは風が弱いほうが安心してセ^ーリングできますので、まったり気分で[散帆」しました。気分がとても良かったです。
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 2時過ぎに上がりました。片付けをしまして、やすらぎ市でみかんを購入しました。


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寒い中父も元気にゴルフ打ち放し場へ

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 今朝は出発時は3度でした。風もありませんでしたので、ゴルフの練習は寒くはなかったとか。目標は本コースへの復帰ですのでまだまだであると父(93歳)はいいます。

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少子・高齢化社会では「子供が増える」

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 家内が何かを読んで面白いことを言っておりました。
「少子高齢化社会で、子供の数が少なくなり、お年寄りばかりで大変であると騒いでいますが、子供の数かかえって増えているとのことよ。」

 なんでかといいますと親が高齢で長生きしているので、子供はいつまでたっても子供なんですね。うちの家族がまさにそうで、父は93歳,母は87歳です。いつぞ聞いた話では医学的データは現在は85歳が上限。そうなると既にうちの両親は「前人未到の領域」になっています。

 でもそれがごく当たり前になるのではないでしょうか。いつかテレビで見た銀さんの4姉妹(98歳・96歳・92歳・89歳)のお元気ふりと明るさには仰天しました。4姉妹ならではことはあるのでしょうが、面白楽しく人生を生きておられます。

 父は主治医からも慢性腎不全の腎機能が少し改善したと言われています。また介護予防リハビリ通所施設ジョイリハの体力テストでも昨年より体力が向上したとこことです。

 ますます親が元気であるということは、親にとっては、子供は子供ですね。

 超高齢化社会というのはほとんど経験したことのない社会です。「老・老介護」とか、「介護疲れ」とか悪い印象で言われてきました。たしかにそうでしょう。でもそうではない要素もあるんではないかと最近思います。

(写真は元旦の両親です。)

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2013.01.11

1月最初のはりまや橋サロン

  1月4日は、はりまや橋金曜露天市もありませんでした。多くの会社もお休みでした。それで2013年の最初のはりまや橋サロんは、1月11日ノ今日からになっています。

 今日は活き活き100歳体操が始まる直前に母(87歳)を連れてきました。

 パン屋さんでドーナツを買いました。
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 コロッケ屋さんで夕食のコロッケを購入しました。
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 年明けのはりまや橋商店街金曜露天市の初売りですね。
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 今日の活き活き100歳体操は寒さのせいなのか少なめで、6人の参加でした。
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現代語訳土佐物語を予約しました

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 「現代語訳 土佐物語」を予約しました。筆者の中島重勝はペンネームで島本茂男さんの力作です。毎週金曜日にはりまや橋商店街でお世話になっていますので、1冊購入させていただきました。

 居酒屋代金の2回分以上の価値はあるでしょうから。

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2013.01.10

今 ここで(サイトで)買うための 理由づけ

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 Eコマース講座が、1月10日高知県産業振興センターで開催されました。先月は講師の笹本克氏のご事情で中止になっていましたから、2ヶ月ぶりの講座です。
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 年末年始の雑用と「正月ボケ」を一掃するような内容でした。

「ホームページに自分たちの思いを的確に、正確に表現できているかどうか。案外それができていない。」

「よくある質問は実は案外読まれてはいない。例えば灯油ストーブに古い灯油を入れて燃焼させると芯が焦げ付いてしまった。後でそのメーカーのホームページを読むと古い濁った灯油は酸化しているので不完全燃焼をします。今はガラスの芯なので焦げ付きますと書いてありました。

 こちらは興奮しているのでいきなりメーカーの苦情相談室に電話を掛けました。そんなもんですよ。」

 三和メッキというメッキ会社は、お客様の相談(電話・メール・FAX)などをホームページに掲載しています。その数は1000を超えていて、水際で質問を食い止め。より受注角度の高い問い合わせにフィルタリングしていますね。」という事例を紹介されました。
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 「たった今、このサイト(この店で)買うための理由づけ。メリットと情況証拠をサイト内の表現で的確にしないといけない。」

 ご指摘されたら確かになるほどそうか。と思います。けれどいざ自分のホームページを眺めて作業をは始めると雑用に追われているうちに頓挫しますね。私の場合は・・。

 確かにネットで自分が簡単に物品やサービスを販売出来るということは、競合他社も同じようでできるということですから。

「リアルな販売現場ですと、例えばデパートの紳士服売場へ行くと店員が寄って来てあれこれお薦めされる。多少気に入らなくても妥協してしまいます。その心理的な負担が嫌なのでしばらくよりデパートへ行きませんでした。

 40歳を過ぎてあつかましくなるとあれこれ品物を吟味して、結局買わないことも出来るようになりました。ネットの場合はそういう心理的な圧力がない。最初から比較して購入するようになっている。」
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 「わたしの判断は正しいであろうかと迷う。その場合人は案外無難な選択をします。ブランド品などは無難な選択で選ばれます。」

 リアルでもネットでも「今」「浮かれているうちに買わせる」「理由付け」を行う場合があります。キラーワードである「特別」「限定」「お得感」をかもしだし買わす。TVショッピングや楽天などはよくやっている。

 分析は必要。キーワードを見つけたら、なぜその人たちはこのキーワードで検索してきたのか?背景を考えて手を打ちまししょう。
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 ざっとノートに書いた走り書きを記述してみましたが、たぶんもっと大事なことを笹本氏は講演で言われているはずです。現在の私の許容量がその程度しか理解出来無いのであると思います。
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 「売るためのサイト構築テクニック」(笹本克・著・アスキー・2004年刊)をアマゾンに注文しました。講演内容を思い出しながら、じっくり読んで自社のサイト再構築の参考にしようと思いました。
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 正月ボケが治ったようです。

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海抜0メートルの住民として決して諦めず方策を提起し続けます

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 結局「命」も資力次第なのか。そう愚痴も言い対し、嘆きたい。

 資力無き者は生きる資格が無いのか。沿岸部の市民各位は団結せよ。子孫たちが生きるために、自治体と国を動かそう

 2012年9月1日付けの高知新聞の特集記事は、自社の印刷工場が、南国市の海抜50メートル程度の高台に完成したことを伝える自画自賛記事でした。

 通称「まほろば台地」と言われる場所は、海抜が高く、地盤も硬いと言われています。資力のある企業や個人は既に高台へ移転しています。

 資力のない市民や企業は、海抜0メートル地域にへばりついて生きていくほかはない。まさに「格差」を感じます。

 8月30日に「南海トラフ巨大地震」の国の最終気被害予測が出ました。全国で予想される死者は32万人。高知県では4・9万人。そのなかに私も家族も含まれて居ます。

 「何とかしたい」という一心で、2006年12月から地域の人たちと一緒に二葉町自主防災会を結成し活動をしてきました。

 相変わらず高知県庁も、高知市役所も「勉強会」に追われ、なんら有効な手立てを打っていません。

 究極の南海地震対策は、高知市市街地全体の「高台移転」、都市の移転なのです。県知事も高知市長も全く本気度を感じない。つくづく低地に住むわたしたちは「棄民」であると思いますね。

 1000年前の高知市市街地付近は海でした。土佐日記の作者紀貫之の時代はそうでした。南海トラフ巨大地震はまさにその状態になるのです。

 でもいろんな知恵と繋がりで、なんとか低地の二葉町の地震による死者を0にしたいと本気で思います。「メガフロート構想」もその方便の1つです。仁淀川町の間に「疎開保険」もこしらえてみたい。そして立体換地や防災区画整理事業で、津波避難ビルを建設し、地震や水没に強い市街地に改造していく壮大な計画と事業を遂行するようにします。この計画であれば貧富の差が命の有無を決めるのではなく、低地の市街地の市民各位が安心して住めるようになります。
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 その実現を目指して関係者各位で動きます。

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2013.01.09

岡田武史さん中国で頑張ってますね

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 サッカー元日本代表監督であった岡田武史氏は、現在中国の杭州市のプロサッカーチームの監督をされています。1年目は11位。しかも尖閣問題で日中政府は政治的に対立。フェイスブックで中田宏さんが「良い記事だ」と言われていまた。昼休みにコンビニで朝日新聞2013年1月9日朝刊を購入し、読みました。

 中国人には「自己責任・自己管理は無理」と言われていたが、岡田氏がそれをやると最初こそチームに戸惑いがありましたが、だんだんと理解するようになったといいます。チームのオーナーの現場への口出しに激怒し、退任を示唆ことも。オーナーと話し合い、現場への口出しないことの条件で再契約したといいます。

 岡田氏は中国人はメンツを大事にする民族。尖閣諸島国有化でメンツを胡錦濤主席はつぶされたので大きな問題になってしまったと言います。

「もともと、中国人はこうだからという先入観を持っていない。だから構えもいしないし、特別にこうしなければいけないとも考えてはいない。

 中略

 (中国人は)約束を守らないという人も言われるけれども、民主党も自民党も全然守っていないじゃない。中国人を嫌う人は多いけれども、実際に行ったり、住んだりした人はどのくらいいるのか。相手を知らずに嫌いだというのはおかしい。」

 中国の選手が自立できないのは、1人っ子政策が下忍ではないかという指摘に対しては、

「日本の選手も20年ぐらい前は、自己判断できないのは均一的な学校教育のせいだと言われていた。でもサッカーにおいてはそれを変えられたし、多くの日本人選手が世界の舞台で活躍している。

 1人っ子政策のせいにするのは言い訳。社会を帰るとまでは言わないけれども、サッカーは間違いなく変えられる。現実に杭州の選手が自分で変わり始めているのだから。」

 なかなか含蓄のあるインタビュー記事でした。サッカーにもお国柄は出ると言いますが、岡田流の賢明さを中国人選手が会得すると、もともと身体能力のある選手が多いので、将来日本サッカーの脅威になるでしょうね。

 分野は変わりますが厳しい練習で知られるシンクロの井村氏は、中国の代表監督になられてから中国チームは念願のメダルを獲得。日本は追いやられました。サッカーでもそうなるやもしれません。

 でもスポーツでフェアな戦いを中国人のサポーターも勉強し会得すれば、サッカーが真の日中友好の有力な道具となることでしょう。

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1月7日 初「ジョ・イリハ」の両親です

  お正月も無事に終わり、両親(父93歳・母87歳)も元気に過ごしました。
1月7日は仕事始めでもあり、介護予防リハビリの「ジョイリハ・高須」へ両親はいきました。

 お正月の記念撮影をしていただきました。今年も健康で明るく元気で過ごしていただきたいと思います。

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仁淀川町と連携して「疎開保険」を実現させましょう!!

「疎開保険」という仕組みがあるそうです。

 昨年12月28日に、NHKの近藤 泰郎アナウンサー(いつも仁淀川町ー二葉町交流会関係の取材をいただいています。)から、鳥取県智頭町(ちずちょう)の「疎開保険」の情報を聞きました。概要は以下のホームページにありました。


智頭町「疎開保険」

http://cms.sanin.jp/p/chizu/kikaku/sokaihoken/(ホームページ)
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制度内容

名称 智頭町疎開保険

募集主体 智頭町役場企画課

募集対象 日本に在住の方どなたでもお申込みいただけます

募集人員 先着1,000名

疎開受入条件 地震・噴火・津波等を原因とする災害救助法が発令された地域の加入者

疎開補助 智頭町内および近隣町村提携施設の宿泊場所の確保・提供

1泊3食7日分(ただし、現金での支給ではありません)

保険代金 1人コース  10,000円/年

ファミリー2人コース  15,000円/年

ファミリー3~4人コース  20,000円/年

※5人以上の場合は、コースを組み合わせてお申込みください。4歳以下のお子さまは無料です。
保険期間 加入日から1年間

 良いアイデアであると思いました。ただ鳥取県智頭町は、高知市からちと遠い。それにわたしの居住する高知市二葉町は、南海地震が起きれば地盤が沈下し、長期浸水地域なることはまちがいない。半年や1年以上は海水が引かず、浸水状態が続くでしょう。「長期滞在」が前提になるのです。
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(1946年の昭和南海地震。規模の小さな地震と言われていますが、高知市下知地域は地盤が弱いので壊滅。地盤が70センチ沈下し、堤防が壊れ地域に浸水した海水は3ヶ月間引きませんでした。)

 そこで昨年から二葉町と交流が続いている仁淀川町
の井上光夫さん(によど自然素材活用研究会会長)に相談してみました。

 によど自然素材等研究会ホームページ http://www.2410riv.jp/

「智頭町長さんには、3年前仁淀川町で行われた全国百業祭りでお話しました。当時仁淀川町町長にも疎開保険のお話をしましたが、仁淀川町役場の体制では無理であると言われました。

 現在私達が委託管理者になっている宝来荘を活用して独自に疎開保険ができないかどうか早速検討に入ります。」と心強い発言をされました。

「宝来荘は宿泊施設です。他にバンガローも空地、もあります。耕作放棄地もあります。長期滞在も可能なようにすることはできます。」
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「耕作放棄地を作付し、市民農園にしていけば、中山間部と都市部市民との自然な交流ができますね。年間保険料を1人1万円程度いただいたら、作付の資金をあらかじめ調達できますので、仁淀川町住民側も今まで以上に思い切ったことができますね。」とのことです。

 当然廃校や休校跡の学校施設の活用や、広場の活用なども今後は必要になってくるでしょう。

 2010年現在二葉町の世帯数は439世帯、人口は794人です。二葉町を16の班に分け、町内会費を集めて回覧板などで町内会活動の告知をしています。370世帯に告知をしています。

 一方2012年10月1日に誕生した下知減災連絡会。11の自主防災会と3つの準備中の自主防災会で構成され、1424世帯で3161人位を組織しています。

 料金体系やどのようなことが出来て、出来ないのかは今後詰めていかないといけないでしょう。 仮に1万円の疎開保険加盟者が100人集まれば、受け入れ側の仁淀川町の井上さんのグループもかなり活動はできるでしょう、何もなければ、年に1度仁淀川町の特産品を送ってもらうとか。

 お茶摘みや、田植え、稲刈りや、芋掘りなどが、地域の祭りへの参加ができますので、お互いの地域が固い絆で結ばれるようになると思います。是非今年実現するように動いてみたいですね。

 「仁淀川町版・疎開保険」をなんとか実現したいものです。ベースは住民同士の交流事業で行いますが、行政側も積極的なサポートをしていただきたいと思います。

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2013.01.08

両親は月に一度の定期健診に行きました。

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 今日の午後は、両親(父93歳・母87歳)を連れて主治医の横田内科・胃腸科へ行きました。写真は横田哲夫先生に診察を受けている父です。血圧も140-82で良好でした。心音も脈拍も異常はありません。植田内科での1月4日の血液検査の結果も見せます。

 母の方も特に異常はありません。血圧も136-78でした。横田先生にかかりはじめた頃(18年ぐらい前)は、「200-100」と言う血圧でしたから。今のほうが遥かに健康です。
 圧迫骨折は、「骨は曲がるでしょうが、曲がったまま固定されると痛みはなくなる。」と言われました。横田先生のお母様が母と同年輩で同じ症状です。

 横田哲夫先生は金沢大学時代はヨットをされており、五輪代表候補までなったとか。当時は年間120日は練習に明け暮れていたそうです。夜須のハーバーにもレーザーのヨットが置いてあります。

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”ひがしやま”の季節の到来

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  冬型の気圧配置が強まり、冷たい北西の季節風が吹き付ける季節になりました。高知県大月町竜ヶ迫地区の「東山」と言われる干し芋は今頃作られます。

 タバコの裏作として夏過ぎに植え付けられ、12月に収穫。大きなお釜で茹でられます。そして海外沿いの急な坂道沿いにある干場で北西風に晒され干されます。このポテトファーム・ハマダさんとことの「ひがしやま」は絶品です。

 ポテトファーム・ハマダさんところは、芋を半分に切ります。それを煮込みます。3週間じっくり天日干しされているうちに、ひがしやま芋は、縮小し、甘みが増します。

 (干し柿を連想してみてください。)添加物はないし、繊維質の固まり。健康な食材です。500グラムで1800円で販売されています。

 この天日干し作業も、急勾配の坂を降り、運搬する大変な作業です。それだけ手間隙がかけられているのです。

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2013.01.07

父(93歳)も絶好調の年始です

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 昨年末にも腎機能を表すクレアチニン値が「1・8」になり良い数字(正常値は1・0以下)を出していました。お正月をはさみ、1月4日に採血した血液検査では「1・79」と更に数値が良くなりました。

 主治医の植田一穂先生は「この年齢で腎機能が改善することは今までの常識を破る快挙です。腎不全は治らない改善しないが定説でしたが、お父さんは見事に覆しました。」と喜んでいただきました。家族も何よりの「お年玉」です。

 服薬しているとはいえ、総コレステロール、中性脂肪などは数字がいいです。尿酸値などは私が境界値(昨年5月の健康診断)ででしたのに、「6・3」というのはいい数字です。

 父は律儀な人で、毎日体操をし、散歩をします。お酒も日曜と月曜は飲みません。ゴルフの打ち放しは週に1度は行き、125発の球を打っています。

 人の命は限りがありますが、健康な状態で長生きしてもらいたいと家族は思います。

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「戦後政治史」を読んで

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 「戦後政治史」(石川真澄・著・岩波新書・2004年刊)をブックオフで購入し、読みました。8年前の著作ですが、さほど陳腐化していません。著者の岩川真澄氏は書き上げた直後に逝去され、山口二郎氏が補足しています。

 敗戦後の7年間はGHQによる占領時代が続いています。講和条約締結までに日本の戦後社会の骨組みがほぼ出来上がります。憲法などもそうですね。

 安部自民党が12月の総選挙で大勝したので、憲法改正をもくろんでいます。でもそのことんも是非は、今の日本国憲法が占領時代になにゆえ現行の形でできたのかをきちんと検証しないといけませんね。

「GHQが憲法改正(形式的には改正、実質的には新憲法制定)を急いだ背景には、形の上でGHQの上部にある極東委員会で、ソ連、オーストラリアなどが天皇制廃止を主張しそうな情勢があった。極東委員会が決定してしまえば、円滑な占領政策のためにも天皇制存続を褻類していたマッカーサーにとっては都合の悪いことになるからだ。」(P21)

「戦争放棄は、当時のマッカーサーの理想主義的な心情を表していると同時に、日本の侵略の思想的支柱であった天皇制を残す以上、日本が再び軍国主義国として復活することを恐れる国々に対して、「軍備なき国家」となったことで安心させなければならない配慮から出たものであったとみることができる。」(P22「戦争放棄」)

 講和条約締結前後に朝鮮戦争があり、「補給基地として大量の物資調達を受け「朝鮮特需」で潤った。戦争が思わぬ長期化と中国の参戦で膠着状態になり、「再軍備」の必要性もあるので、警察予備隊から自衛隊が再編されました。

 サンフランシスコ講和条約の締結で占領軍統治は終わり、日米安保条約の締結で講和後の米軍基地の使用が確定しました。当時は「社会主義国」の幻想が根強い時代でした。社会党が国会でも伸長し、最盛期は166議席も獲得していました。
 
 1955年に社会党の統一と自主民主党が成立し、自民党の長期政権が続きます。軽軍備・経済優先政策を遂行、米軍基地の昨日の大半を沖縄に押し付ける形で高度成長時代が続きました。

 1972年の沖縄返還は、日本の経済力で「沖縄を買い戻した」ようなものでした。高度成長期からバブル崩壊の1990年までが1つの日本経済のピークでありました。

 1090年以降のバブル経済の崩壊から社会も政治状況も変わりました。自民党単独での衆参過半数は難しくなり、様々な連立政権が1990年代以降現れました。特に顕著で成功事例になったのは、自民党と公明党の連携でした。1990年代後半からこの傾向が顕著になります。

「公明党に対しては、宗教団体を基盤にする独特な党風ゆえに自民党内には違和感や警戒感を持つ政治家も少なくなかった。  (中略)

 本来の保守地盤が次第に崩れていく中に、自民党の政治家が手っとりばやく安定的な支持基盤を求めたことがその最大の理由であった。伝統的な自民党の支持基盤である各種業界団体や農協などは、次第に動員力を失っていった。

 また自民h党政治家の地域後援会も高齢化が進み、選挙マシーンはかつてのような力を失った。90年代半ば以降、各地で政党や団体の支持を持たない無党派型の知事や市長が増加したことは、そうした政治秩序の変容の現れであった。

 こうした変化に脅威を感じた自民党の政治家は、公明党の組織票を得ることで自らの生き残りを画策した。こうして国会の中において多数派を形成するための自公連立は、選挙協力へと発展し、自民党は公明党への依存を深めていった。

 また、公明党は地方において、70年代から自民党との相乗りで首長選挙に関わるようになっており、自民党と協力して与党の地位にあることについては、違和感は存在しなかった。

 自公連立は、地方におけるオール与体制の国政への展開という意味をもっていた。」(P29「自自公連立」)

 1991年の高知県で無党派の橋下大二郎氏の知事当選以降、各地で無党派知事。市長が誕生しました。並行して1990年代以降は国政選挙で自民・公明の連携がより深く密接になっていくいようです。

 2012年の総選挙でもその形が3年半も野党時代にも保持されていたことが、自公両党の勝因でしょう。

 石川真澄氏は、2012年の民主党政権の崩壊を2004年に予言していました。

「民主党は「非自民」の受け皿として規模を拡大してきた。野党として成長する限りにおいて、非自民というアイデンティティは有効であるが、実際に政権を獲得した時に何をするのかという前向きの議論を始めると、異質な政治家が集まった民主党は、政権構想を共有しているわけではなかった。」(P210「2大政党制?」

 そして結論をしています。

「軽武装プラス経済成長という戦後保守政権の国家路線に変わる新しいビジョンを創造するいことが課題になっている。」(P213「問われる平和国家の路線」

 安倍晋三首相は「憲法改正」と「軍拡」にリベンジ内閣として発足しました。2007年も「戦後レジウムの解体」とか訳の分からないことを言い立てて自己崩壊しました。さて今回は来年の参議院選挙で過半数を得るまでは慎重な政権運営と発言をするでしょう。でも閣僚各位はバランスを欠いた極右思想の持ち主が多く、矛盾が露呈されるでしょう。

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2013.01.06

1月6日の夜須でのセーリング

 1月3日に初詣と初セーリングをしました。しかし海には誰もおらず、当日は雪降ろしの冷たい風が強く吹いていましたので30分で引き上げました。明日から本格的な仕事。公私共に忙しくなるので、今日は朝から晩まで海で遊ぶつもりできました。幸い「温厚な」お天気のようですので。

  セーリングをするのでいつもより朝食は多めに取ります。寒いのでチョコレートも食べました。カロリー消費が物凄いですからね。ドライスーツもしろうと修理をしました。さて今回はどうなることやら。
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年末に通販で注文したヘリー・ハンセンのライフジャケットがようやく到着しました。装着しましたが、寸法を間違えたのかやや小さめ。今年は還暦なのでまるで赤いちゃんちゃんこのようにも見えてしましますね。
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 風も程良いので、今日はカメラを積んで出艇しました。ところが沖合へでますと予想以上の強風に。操船が忙しく撮影どころではありませんでした。
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 渡り鳥も多く居ました。ヤッシー・パークの海でしばらく帆走しました。結構風が強くなりました。
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 今日は1時間半程度のセーリングでした。満足度は高いです。フリート・レースをしていたようでした。
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 片づけするときにはドライスーツもハーバーで脱ぎます。ダイビングほどではないでしょうが、着脱にドライスーツは苦労しますね。
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 海と太陽空エネルギーを充電しました。明日から本格的な仕事始めです。なにかと公私ともにせわしい2013年のスタートです。

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ブログ管理者の変なメッセージ表記

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2013.01.05

VHsビデオ・DVD変換機械を交換に

  私には全く興味も関心もないことです。VHSテープをDVDに移すことができる機械らしい。家内が10月にKS電機とか言うところで購入。和尚g宅休みに作業をしようとしていました。一緒に購入したDVDもフォーマットできません。

 結局持参してKS電機へ行きました。店員さんがあれこれやっていましたが、最終的には機械ごと「取り替え」に。大手家電量販店は同じものをそっくり取り変えてくれました。メーカーへ送って修理するなてことはしないようですね。ある意味すごいのか、どうなのかはわかりません。
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 結局、昨年10月に購入した機械と取り替えてくれました。その時購入したDVDも新しいものと交換しました。さて今度はうまくいくのでしょうか?
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寒いですが風はなく温厚な天気でした。

  今日は寒いですが、風は弱く、冬型ではありません・そのせいか低温なのに暖かく感じました。今日から仕事始めなので、得意先を一巡し、注文も配達してきました。暖かそうでしたので昼過ぎに父をゴルフ練習場へ連れて行きました。2013年2度めのゴルフ打ち放しです。
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 調子よく打っていました。「眩しくなく、風もなく快適だった。」と父(93歳)は言いました。

 戻るとz宅周りは水道工事がされていました。水道送水管を耐震性のものに取り替えるための工事であるそうです。
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県構想の津波避難シェルターについて

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 地元の二葉町に事務所を置かれている県議会議員の坂本茂雄氏の「県政かわら版」先日届けてくれました。そのなかで県議会の常任委員会報告があり、「津波避難シェルターの検討状況は」という記事がありました。

 初期費用はパターンによって2億~3億6000万円。100人収容で24時間分の空気が供給できるものが検討されているとか。年間の維持管理費用が1000万円とか。

 不謹慎な考え方ですが、設置費用と維持管理費を合わせますと、100人の住民を救済するのに1人あたり310万円はかあkることになりますね。

 リンクは切れるでしょうが朝日新聞の高知版に津波避難シェルターの3つのパターンが記事になっていました。

http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000131209150001

「県南海地震対策課によると、シェルターは高台やタワーなどで避難が困難な場所に採用する方針。堀田幸雄課長は「技術的な課題は解決した。沿岸の市町村や住民の意見を十分にくみ取ったうえで、適地を選んでいきたい」と話している。」(朝日新聞記事より)

 いずれにしろ津波が来る前に地盤が沈下し地域全体が水没する高知市二葉町など下知地域での防災・減災Tiesカウでは無縁な話です。

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2013.01.04

2013年母(87歳)の初病院通い

  昨年12月初めにサンダル履きで近所をうろうろして左足親指を何かにぶつけ裂傷になった母です。週に1度通院しました。毎日足を石鹸で洗い消毒し、薬を塗布し、包帯を巻きました。30日間医院へ行く以外は毎日日にちやりました。

 今日皮膚科の医院で診察してもらいました。随分キズは癒えてきています。もう少しで完治するようです。
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 足の裂傷でした。なかなか血が止まらなくて苦労しましたね。高齢者は「血液をさらさらにする薬」を服薬しているので、余計に傷した時血が止まりませんから。また足の親指は歩くと時に、体重がかかるところですのでなかなか傷が癒えませんでした。80%は治りつつあるそうです。
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 足の裏のかさかさした部分は水虫とか。そちらの治療もするそうです。
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2013年 父(93歳)の病院初通い。

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 父(93歳)の2013年の病院の初通院です。昨年は植田医院には12月31日も通院しお世話になりました。今年も1月4日からお世話になります。

 お陰様でお正月3日元気で過ごすことが出来ました。今季の冬は寒いですが元気で過ごしています。

 写真は貧血予防の注射です。慢性腎不全の父は腎性貧血の傾向があります。このところ数字は良かったんですが、植田先生が境界値なので処置しますということになりました。

 毎週2回父は通院ですが、この状態を維持できればいいと思います。午後からは母(87歳)を連れて今度は皮膚科の医院です。12月初めにサンダル履きでウロウロして足の指を切る裂傷に。1月経過しましたので経過を聞きに行きます。

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下知コミュニティ・センターへの防災備品(案)

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 2013年4月に開館する高知市下知コミュニティ・センター。周辺全域が海抜0メートル地帯であり、海が近く地盤も悪く、南海地震が起きれば規模の大小に関係なく地盤が沈下し、水没し、長期浸水地域になることは間違いありません。

 耐震性のある公共建築物として下知コミュニティ・センターの役割は大きく、地域の避難の拠点、災害時の支援拠点としての役目もあります。

 2013年1月半ばに高知市役所側から「防災倉庫の備品リスト案」が出て参ります。住民サイドからも備品リスト案も必要です。

 防災寺小屋塾頭である西田政雄さんからも「防災備品リスト」が提案されました。

 添付画像とPDFファイルをご参考ください。

「microsoft_word__1_.pdf」をダウンロード

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2013.01.03

2013年初詣と初乗りセーリング

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 2013年も穏やかにスタートしました。今日は初詣に香南市夜須のヤッシー・パーク入り口にある恵比須堂へ初詣します。小さな祠ではありますが、3つの神様が同居しています。漁師さんたちの神様であり、昔は「10日恵比寿」をこの前でやっており、休日と重なればセーリングの終わった後に、魚などをいただいたこともありました。
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 海での安全、家内安全、商売繁盛を祈願します。そして可能であれば初乗りセーリングをします。無理であれば諦めます。お賽銭も奉納し、この1年の海でのセーリングの安全を祈願しました。夜須でのセーリングの関係者の皆様。安全祈願しましたから海の神様がお守りしてくれますので大丈夫ですよ。
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 2013年もさわやかなスタートとなるでしょう。祈願もして海を眺めていました。風はそこそこ強いですが,波はなくわたしの下手な技量でもセーリングは可能と判断。早速ぎ装ヨットの組立)をしました。
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 強風用のぎ装(ヨットの組立)を慎重にしました。今日はさすがにハーバーを訪れる人はいませんからね。完全な自己責任の世界です。出た以上はどんなことがあったも戻らないといけない。不安であれば出艇してはいけないんです。自分の経験と観天望気(日和見)がすべてです。

 修理したドライスーツを着こみました。ゴムはまあまあ付着しています。
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隣のヤッシーパークの椰子の木を見ますと結構風が吹いていますね。北西風でアビームで出て、アビームで帰れるろうと判断し、出艇しました。今日は強風なので、海の上のでセーリング風景の写真はありません。
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 海でのセーリングですが、快適でした。ですが、時折突風が吹き不安定。西の空は雪雲ですし、2週前の様に強風(10メートル以上)になりますと1人ではちと不安ですからね。慎重にぎ装しましたが、セーリングは30分程度で切り上げました。

 着艇前にトレーラーに乗せようとしたら、突風で横倒しになり沈しました。幸い完沈防止ボール(黒球)をマストにつけていますのですぐに起こせましたが、セールが海水に浸かりました。

 寒中水泳のようなもんですね。あれも海に入っているのは僅かな時間で、終わった後は暖かくされていると思います。ところが施設は今日まで休みですので温水シャワーも使用できません。ハーバーの寒いこと。

 着艇後に自前のデッキブラシでスロープの青のりを少しだけ除去しました。こする作業をしまますと体が温まります。
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 片付けをし水洗しますが、寒いこと。さすがに12月29日の時のように、体を水で洗うことはできません。心臓麻痺になるかもしれませんので止めました。海パン姿でハーバーでタオ入れていたら変死体ですからね。うちの家族も迷惑しますから。
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 お昼のお弁当はヤッシーパークもやっていません。食事のできるマサラは満杯でした。それで、ローソンまで歩いておむすびを買いに行きました。ヤッシー・パーク前のくいしんぼ如月も今日までお休みです。
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 ヤッシーパークのやすらぎ市でみかんを買いました。そしたらおまけに卵をいただきました。お昼はハーバーで備品を乾かしながら食べました。
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 ハーバーのすぐ前には渡り鳥の集団がいました。
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 2013年の初詣と初乗りセーリングは気持よく終わりました。皆様今年もよろしくお願い
します。楽しい1年にいたしましょう。

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近所の散歩

 不況でどうしようもない地方都市の高知市。しかしながらご近所でも変化していました。

 藤本建設本社跡地。建物と塀は解体されています。大きな掘削機械か据え付けられています。結構角地だし、敷地は広いですね。新たにマクドナルドという「ジャンク・フード」の店舗ができると対面のガソリンスタンドの人たちは言っていました。
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 程なく歩くと若松町の東縁に、田内千鶴子さんの石碑があります。「愛の故郷」と日本語とハングルで刻まれています。戦争前に韓国に渡り、敗戦後、朝鮮戦争の混乱期に、木浦市にて3000人の孤児を育てたという人です。高知市若松町の出身です。
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 それから少し二葉町よりに歩くと、昔得月楼本店があった地域があります。「陽暉楼」という名前で、この地域の出身で作家の宮尾登美子さんの小説「鬼龍院花子の生涯」に出てきます。
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 宮尾登美子さんの生家があったとされる地域です。料亭へ芸子さんなどを人材派遣する「置屋」を実家がされていたとか。」いまはその面影は全くありません。
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 稲荷神社は昔からあったそうです。侠客鬼頭良之助が昔多額の寄付をされたのか、石碑に名前が残っています。
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2013.01.02

防災まち歩きの下見がてらの散歩


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 大晦日と元旦のふしだらな生活とアルコールを抜くために、1月2日は肩こりが酷いという家内を誘い、昼食後に自宅周りの 高知市下知地域の二葉町、若松町、青柳町、小倉町、丸池町、稲荷町を散歩しました。3月20日に下知減災連絡会主催の予定している「防災まち歩き」のコースの下見です。


 堀川北岸の高潮堤防。屏風のような薄さ。上部は40センチしか幅がありません。ところどころ亀裂が入り、割れ目から対岸が見える箇所もあります。こころもとない高潮堤防です。
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 二葉町から若松町にひ弱そうな高潮堤防が続いています。
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 その昔(つい30年ほど前迄)は、この岸壁は荷揚げ場でした、。関西方面からの荷物はこの岸壁に荷揚げされ、トラックで陸送されて居ました。逆に高知からの荷物は船に積み込まれていました。
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 青柳橋たもとに田内千鶴子さんの石碑があります。韓国の木浦市へ渡り、敗戦後、朝鮮戦争時に3000人の韓国の孤児を育てた人でした。
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 青柳橋北岸は耐震護岸工事が行われています。工事は2月の月末に完成予定。3月には通れます。
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 護岸の海抜は3・6メートル。市街地の青柳町はその下の低地に形成されています。
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 下知排水機場。ここを」耐震化し、電源も備えれば、浸水被害をかなり低下させることは出来るでしょう。長期浸水にはならないで済みますから役割は大きいですね。
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 葛島橋歩道橋からの眺め。対岸も高須なので低地です。
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 スーパーフジ前の道路堤防は既に耐震護岸工事は終えています。堤防に矢板を2本打ち込んで、再度鉄筋で強化はしています。液状化対策をしているのではないでしょうか。
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 昭和の南海地震では土盛の葛島付近の堤防が崩壊し、地盤沈下した下知地域に海水が流れ込み長期浸水しました。

 小倉町を経由し丸池町へ。丸池町も海抜が低い。
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 江の口水門。河川の護岸が1番高く、市街地はその下に形成されています。
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 丸池町全体も二葉町同様に海抜0メートル地域です。
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 今日の終点は稲荷町の青柳公園。広域公園ですが海抜マイナス0・1メートルと表示されています。

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母(87歳)の2013年新年体育初めは散歩

 今日は父のゴルフ打ち放しを午前中にしました。午後からは「腰が痛い」という母を連れだして、近所のスーパーまで散歩。「お菓子を買う」という名目です。痛い痛いと言いながらも歩きました。動かさないといけません。
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父(93歳)の2013年の初打ちです。

  父も年明けから体調が良いようです。今朝は風もあまりないし、寒くはないので、2013年の父の「初打ち」に付き合いました。

  お正月で混んでるのかと思いきや空いていました。皆出かけたり、家で飲んでいたりしているんでしょうね。

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 今年も元気に頑張っていただきたいです。家族としてそう思います。

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森永キャラメルに不二家ミルキー

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 寒くなり車へ乗る機会が増えるとそうしても甘いモノが食べたくなります。それも運転にさしつかえないもの。キャンデー系になりますね。しかし今風の味は、おじさんは馴染めない。

 コンビニで懐かしいものを見つけ早速購入しました。森永キャラメルと、不二家のミルキーです。天子が逆立ちした黄色のパッケージと、ペコちゃんのキャラクター。わたしらの子供の頃の人気菓子でした。コンビニにあるのは、私らのような年寄りがたぶん買うのでしょう。最近ではスーパーでも見かけませんからね。

人間年取ると「先祖返り」しますが、どうやらわたしもそのような傾向があるようですね。

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2013.01.01

穏やかな2013年のスタートですが・・

 2013年がスタートしました。

 わたしも年男。節目の年です。事業に地域活動、個人活動に頑張りませんと。なにか「お!」言う成果をあげてみたいものですね。生きているうちに。

 さて高知市は寒いですが穏やかなお正月。昨晩は珍しく夜更かしして「ベスト・ヒット・USA」(小林克也MC)の番組を視聴し、午前2時過ぎまで起きていました。それで遅めのスタートに。
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(ジョンレノンも登場しましたから。)
 またこのブログも2004年1月1日ですので、まる9年が経過しました。飽きもせず、最近は毎日日にち書いています。ネタ切れにはなりませんから。

 子どもたちは独立していないので、今年は父(93歳)と母(87歳)とわたしら夫婦の4人のお正月。老・老の穏やかなお正月です。
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 お屠蘇を少し飲み過ぎました。酔醒しがてら近所を散歩しゴミ拾いしました。結構ゴミはあります。馬鹿は多いですね。田舎町にも。
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 と思いきやご近所の方が倒れたとか。救急車が来ていました。3日前までお元気で路面電車でお会いされた方にも会いました。父より2歳上の95歳の方です。ご無事であることをお祈りします。
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 今日は久しぶりにテレビ三昧します。サッカーの天皇杯も見ます。

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2013年のスタートです

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 2013年がスタートしました。どういう年になることでしょう。きっと良い1年となると信じます。

 このブログも2004年1月1日のスタートですのでまる9年目ですね。ブログは私の性分に合っていますので、ほとんど毎日更新しています。自分の「思いの記録」として活用させていただいています。わたしがどういう人間であるのかは、ブログを読んでいただければわかることでしょう。

 たまには極論もいう場合がありますが、意外にバランスも意識し、異論も意識した持論を書いているつもりです。それはいつのまにか私も「年寄り」の年代になってきたからですね。

 1953年生まれですので、今年私も家内も60歳になります。還暦ではありませんか。若くはない。

 しかし整体の先生(老師と呼んでいます。御年86歳9曰く、

「戸籍年齢は毎年歳をとります。しかし肉体年齢、精神年齢は努力で若さを保つことができます。
生き物は成長点の5倍生存することができる。人間の成長点は25歳。したがって125歳が人間の寿命です。

 わしは100歳まで整体をやる。あとの25年は楽しみですね。君は60ということになるが、寿命の半分も生きていない。まだまだ若くバリバリの年齢ですね。体のメンテナンスを行い、元気で人生を生きよう。」と。

 そうなんです。まだまだ老けこむ年齢ではありません。仕事も地域活動も、趣味(ヨット)も頑張ります。

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