「戦後政治史」を読んで
「戦後政治史」(石川真澄・著・岩波新書・2004年刊)をブックオフで購入し、読みました。8年前の著作ですが、さほど陳腐化していません。著者の岩川真澄氏は書き上げた直後に逝去され、山口二郎氏が補足しています。
敗戦後の7年間はGHQによる占領時代が続いています。講和条約締結までに日本の戦後社会の骨組みがほぼ出来上がります。憲法などもそうですね。
安部自民党が12月の総選挙で大勝したので、憲法改正をもくろんでいます。でもそのことんも是非は、今の日本国憲法が占領時代になにゆえ現行の形でできたのかをきちんと検証しないといけませんね。
「GHQが憲法改正(形式的には改正、実質的には新憲法制定)を急いだ背景には、形の上でGHQの上部にある極東委員会で、ソ連、オーストラリアなどが天皇制廃止を主張しそうな情勢があった。極東委員会が決定してしまえば、円滑な占領政策のためにも天皇制存続を褻類していたマッカーサーにとっては都合の悪いことになるからだ。」(P21)
「戦争放棄は、当時のマッカーサーの理想主義的な心情を表していると同時に、日本の侵略の思想的支柱であった天皇制を残す以上、日本が再び軍国主義国として復活することを恐れる国々に対して、「軍備なき国家」となったことで安心させなければならない配慮から出たものであったとみることができる。」(P22「戦争放棄」)
講和条約締結前後に朝鮮戦争があり、「補給基地として大量の物資調達を受け「朝鮮特需」で潤った。戦争が思わぬ長期化と中国の参戦で膠着状態になり、「再軍備」の必要性もあるので、警察予備隊から自衛隊が再編されました。
サンフランシスコ講和条約の締結で占領軍統治は終わり、日米安保条約の締結で講和後の米軍基地の使用が確定しました。当時は「社会主義国」の幻想が根強い時代でした。社会党が国会でも伸長し、最盛期は166議席も獲得していました。
1955年に社会党の統一と自主民主党が成立し、自民党の長期政権が続きます。軽軍備・経済優先政策を遂行、米軍基地の昨日の大半を沖縄に押し付ける形で高度成長時代が続きました。
1972年の沖縄返還は、日本の経済力で「沖縄を買い戻した」ようなものでした。高度成長期からバブル崩壊の1990年までが1つの日本経済のピークでありました。
1090年以降のバブル経済の崩壊から社会も政治状況も変わりました。自民党単独での衆参過半数は難しくなり、様々な連立政権が1990年代以降現れました。特に顕著で成功事例になったのは、自民党と公明党の連携でした。1990年代後半からこの傾向が顕著になります。
「公明党に対しては、宗教団体を基盤にする独特な党風ゆえに自民党内には違和感や警戒感を持つ政治家も少なくなかった。 (中略)
本来の保守地盤が次第に崩れていく中に、自民党の政治家が手っとりばやく安定的な支持基盤を求めたことがその最大の理由であった。伝統的な自民党の支持基盤である各種業界団体や農協などは、次第に動員力を失っていった。
また自民h党政治家の地域後援会も高齢化が進み、選挙マシーンはかつてのような力を失った。90年代半ば以降、各地で政党や団体の支持を持たない無党派型の知事や市長が増加したことは、そうした政治秩序の変容の現れであった。
こうした変化に脅威を感じた自民党の政治家は、公明党の組織票を得ることで自らの生き残りを画策した。こうして国会の中において多数派を形成するための自公連立は、選挙協力へと発展し、自民党は公明党への依存を深めていった。
また、公明党は地方において、70年代から自民党との相乗りで首長選挙に関わるようになっており、自民党と協力して与党の地位にあることについては、違和感は存在しなかった。
自公連立は、地方におけるオール与体制の国政への展開という意味をもっていた。」(P29「自自公連立」)
1991年の高知県で無党派の橋下大二郎氏の知事当選以降、各地で無党派知事。市長が誕生しました。並行して1990年代以降は国政選挙で自民・公明の連携がより深く密接になっていくいようです。
2012年の総選挙でもその形が3年半も野党時代にも保持されていたことが、自公両党の勝因でしょう。
石川真澄氏は、2012年の民主党政権の崩壊を2004年に予言していました。
「民主党は「非自民」の受け皿として規模を拡大してきた。野党として成長する限りにおいて、非自民というアイデンティティは有効であるが、実際に政権を獲得した時に何をするのかという前向きの議論を始めると、異質な政治家が集まった民主党は、政権構想を共有しているわけではなかった。」(P210「2大政党制?」
そして結論をしています。
「軽武装プラス経済成長という戦後保守政権の国家路線に変わる新しいビジョンを創造するいことが課題になっている。」(P213「問われる平和国家の路線」
安倍晋三首相は「憲法改正」と「軍拡」にリベンジ内閣として発足しました。2007年も「戦後レジウムの解体」とか訳の分からないことを言い立てて自己崩壊しました。さて今回は来年の参議院選挙で過半数を得るまでは慎重な政権運営と発言をするでしょう。でも閣僚各位はバランスを欠いた極右思想の持ち主が多く、矛盾が露呈されるでしょう。
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