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2013年2月

2013.02.28

高知青年会議所での還暦祝い

 つい昨日(40年前)に高校生であった感覚しか自分にはないのですが、2月27日には、高知青年会議所が「昭和28年生まれ 還暦祝い」をしていただけるというので、今年になって「7回目になる」着慣れないスーツを着込んで会場の城西館へ行きました。

 ロビーには戦後日本の宰相、吉田茂氏の関連資料や写真が飾られています。高知へ来た折には吉田茂氏は城西館を定宿にしていたからでした。
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 さて会場は城西館2階の和室の大広間。「主役」の私たち「昭和28年生まれ 還暦組」は、控室に待機し、ちょっとしたリハーサルがあり、下見に行きました。20人昭和28年組の高知青年会議所関係者はおりますが、当日出席したのは、川村修君、下村智則君、谷相良一君、近森正久君、中沢陽一君、野村栄一君と私を含め7人でした。
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 赤い帽子を交代に被り、赤いチャンチャンコを着用して、1人1人が、1分間スピーチをしました。写真わたしの後の野村栄一君がしております。対象者は7人でしたが、宴会の参加者は高知青年会議所の現役・シニアを含め120人以上いたようでした。壇上に上がるのは気恥ずかしい限りでした。
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 わたしは言いたいことは山ほどありましたが、進行役が事前に1分間でということでしたので、現役・シニアのメンバーにお礼を申し上げました。昨年25年ぶりに現役の細川洋伸君たちが、香南市夜須のヤ・シィパークを起点に「すまいるアップ・高知」という大きなイベントを開催していただきたことです。

 わたしは1985年から夜須でヨットをしていますが、1987年に夜須をテーマにした連続セミナー「海洋連続セミナー」を高知青年会議所事業で開催、アメリカ西海岸ツアーも実施ししました。米国西海岸の「いいとこどり」がすべてヤッシー・パークになっています。その「きっかけ」をこしらえた者の1人として昨年の高知青年会議所の事業はとてもうれしことでした。

 1986年の理事予定者会議で、議論が沸騰し、批判も受けましたが、それは「激励」であり、そこまで言い切った以上はやりきるしかないと思いました。夜須ではそれはヤッシー・パークやYASU海の駅クラブとしてちゃんと形になりましたから。当時の理事各位の激励があればこそ実現できたと思います。(もちろん香南市の丸岡克典さんらリーダーの存在がとても大きいのです。)

 私の高知青年会議所所属機関は1985年1月から1993年12月まで足掛け9年間でしたが、事業予算を6000万円以上使用し、「お前さんのおかげで会費を値上げしたのだ」と皆に言われていました。夜須での事業はヤッシーパークになり、1989年の中学生のためのヨット教室は、2002年の高知国体を経て、NPO法人夜須海の駅クラブになりました。
 
 1988年の全国大会記念事業としての春野運動公園球技場での野外ロックコンサートは大きな予算でリスキーな事業でありました。1990年から92年までの「都市再開発セミナー」では高知市の都市形成の在り方を市民各位で議論し、1993年の高知青年会議所40周年記念事業では、浦戸湾花火大会を開催しました。
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 普段は月に1度開催されているシニアクラブへも最近はご無沙汰で、最初は「アウエー」の気分でしたが、土佐流の宴会で献杯ししているうちに「昔の現役時代」の感覚を皆が思い出させていただきました。

 宴会は最後に、参加者一同が輪になり、「明日のために」という歌を斉唱。そしてエール斉唱がありました。
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 贈る言葉は来年が還暦になる山崎一寛君が、スピーチしてくれました。
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 2次会は、竹内幸治君の案内である飲食店へ行きました。中沢君、下村君、山崎君、野村君らと一緒でした。別の席でしたが現役メンバーも来ていました。
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 お綺麗な女性と一緒にお酒を飲むなんてことは、最近とんとないので、お爺さんと娘さんの2ショット写真も撮られました。

7時過ぎから11時過ぎまで飲んでいましたので、お酒の得意でない私にしては、結構頑張りました。今朝は頭が痛いです。

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高知市役所の「出番」がやってきましたよ

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 南海トラフ巨大地震の話題が毎日事欠かない。海抜0メートル地帯で、軟弱地盤で海に近い高知市二葉町は「絶望的な市街地」であります。土地建物の資産価値は0に等しいのですが、路線価に準じて固定資産税は住民は支払っており、私も含め善良な高知市民各位は県民税も市民税もきちんと支払っています。

 4月に地域住民の待望の耐震性のある津波避難ビルが下知コミュニティセンターとして開所します。しかし二葉町には、大地震発生と同時に地盤が沈下し、浸水が始まるようなので、地域の津波避難ビルに指定されている下知コミュニティ・センターまで避難が困難と思われる二葉町の住民が数多くいます。

 具体的には海に隣接している二葉町18番地、道路を隔てた17番地、県道五台山ー宝永町線から南側の二葉町13番地 14番地も該当地域です。

 二葉町自主防災会と二葉町町内会とコーポシーロードの所有者との協議で、「二葉町・津波避難ビル」になっています。6階建てで屋上部には100人が待避できるスペースがあります。
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 18番地の住民が、コーポシーロードに避難しようにも、現状では道路を迂回するしかありません。1番良いのは現在梯子になっている箇所に、アルミ製の階段をつけることです。

 近所の石川工務店で見積もりもとってみました。二葉町自主防災会としては、「独自の防災世帯調査」「独自の津波避難ビル指定」「仁淀川町との疎開を前提とした交流事業」「下知コミュニティ・センターへの防災備品や設備への提案」などを行って来ました。
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 つまりは「自助・共助」は、頑張ってやってきたと思います。

 さあいよいよ「公助」の出番が来ました。高知市役所の防災部署の出番ですよ。期待しています。

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2013.02.27

親孝行、したいときに親はなし」という言葉がありますが・・

 よく世間で「親孝行、したいときに親はなし」という言葉がありますね。せっかく親孝行をしたいと思っても、親はこの世にいないことを嘆くというものです。幸い私には2013年2月現在父(93歳)、母(87歳)は健在です。

 同級生は「お前のところは両親とも元気で、2本足歩行ができている。うちは母は他界し、父は訳が分からず施設にいる。月に30万円かかっている・」とか。うらやましがられました。

 そういわれてみれば、両親が健在なのは珍しいらしい。

 両親そろって足裏が水虫に。爪が切れないので、毎日足を洗い、水虫の薬をつけることが日課になりました。親孝行の真似事ができています。わたしが偉いのではなく、健康な両親が偉いんですね。長寿に感謝です。

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2013.02.26

南海地震特集でTBSの番組関係者が高知市下知地域に来られました。

 2月25日にTBS系(テレビ高知)日曜日の夕方6時半からやっている番組「夢の扉」があります。そちらの番組のディレクターをされている竹内克典氏(株式会社東京視聴率研究所)が、高知市へ来られました。

 竹内さんから、地元県議会議員の坂本茂雄氏にお話があり、「南海地震が襲来すればとりわけ大きな被害が出る高知市下知地域の住民の各世代の話を直接取材したい。」ということで、東京から来たようです。
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 金田義行氏(独立行政法人海洋研究開発機構)らは、「津波災害のプロセスの把握とシミュレーションによる再現に関する研究」を行い、高知市の津波被害の様子が公表できる段階まで来ているようです。

 画像によれば、大地震発生後10分ぐらいで太平洋沿岸部に大津波が襲来。下知地域には40分後に第1波が到達するようです。でも実際は昭和南海地震がそうであったように、津波到達前に、高知市下知地域の二葉町などは、揺れている1分から1分30秒以内に地盤が沈下(最大で2メートルとか)浸水が始まります。

 すでに地域全体が水没しているうえに、40分後に津波が襲来するという想定です。そしてひとたび地盤沈下し、浸水したならば浸水は長期にわたるだろうと言われています。

 子育て世代や中高年の私ら世代。初老世代など、下知地域住民が8人集まり、被害想定シュミレーションの画像を見た後意見を言いました。
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「せっかくの映像ですので、特定の人たちが見てお蔵入りをするのではなく、情報は広く公開いただきたい。」

「自分の生活している範囲の場所がどうなるのか、リアルに知りたいですね。」

「誰でもダウンロードして、地域の避難誘導活動に情報が活用できるようになればいいですね。」

「高知は普段から地震が少ないところ。マスコミは騒いではいますが、実は市民の地震に対する関心は低い。それをこうした映像でより現実に近い形で災害時の様子が再現できるようになれば、市民の意識も変わると思う。」
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「下知地域に住む市民は、自分の土地と建物の資産価値が0に近いことを自覚しないとどうしようもないと思います。路線価の価値はないのです。でも固定資産税などは路線価に準じて課税され、行政に徴税されています。行政側ももっと低地の市民にたいする配慮をしてもらいたいと思う。」

「通学している子供たちとも、通学途中で地震に逢ったらどうするのか話し合いをもっとしないといけないと思いました。被害予測が想像以上でしたから。」
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(子供の時代に須崎市で昭和南海地震の津波体験された、森宏二葉町自主防災会会長も取材されています。)

「高知市の深刻な被害想定が画像で公表されたら分譲マンションの人たちも減災意識が高まって、津波避難ビルになってくれると思います。」

「避難することをあきらめないようになるようにこの画像を異活用したいですね。」など参加者からは活発な意見が出ました。

 3月10日(WBCの試合の日程で順延されれば17日)の、午後6時半からのTBSの番組「夢の扉」のなかで取材の様子が放映される予定です。
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(2011年2月に公表された高知市街地の浸水予想図。東日本大震災前の予想でも赤い部分は高知市下知地域(二葉町・宝永町・若松町.青柳町・小倉町・弥生町、丸池町、東雲町、知寄町などは低地で真っ赤ですから。宝永級でも地盤沈下し水没することが提示されています。)

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2013.02.25

南金田防災講演会を傍聴しました。

 2月24日(日曜日)午後1時半から、高知市北本町の一文橋センターで、南金田地涌防災会主催の「防災講習会」が開催されました。講師は防災寺小屋塾頭の西田政雄さんです。南金田の30人の皆さんが詰めかけていました。

 講演内容は、「手軽にできる家具転倒対策・防災用品」について西田政雄さんが、前方スクリーンの画像を使いながら説明をしていました。
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 最初に岡崎会長の挨拶がありました。「町内に防災倉庫もできました。今日は講師の西田さんのお話を聞いて、減災活動に取り組みましょう。」と言われました。

 西田政雄さんは、具体的な事例とわかりやすい対策方法を画面の写真やイラストを活用して説明されました。
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「まず自宅で安全にいるためには家具の転倒防止策が必要です。箪笥と天井の隙間などがあれば、段ボール箱に衣類などを詰め、隙間をつくらないようにするだけで、転倒しにくくなります。」
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「100円ショップにも防災用品はあります。1つは105円で販売されているペンライト。おると4時間程度蛍光します。大地震が起きますと四国電力は送電を止めます。避難する場合には必要な備品です。」
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 「それから1人1人の必需品は笛です。常に携帯しておいてください。家屋が倒壊し、生き埋めになったとき笛であれば、助けを呼ぶことができるからです。」
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  「アルミブランケットは体を覆うだけで防寒になります。軽いし安い。食用油も暖をとるのに使えます。」
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(窓ガラスの飛散防止方法です。)

 西田政雄さんの防災講話は実践的です。講演終了後も活発な質疑応答がなされました。同じ下知の自主防災会として心強い限りです。お互い頑張りましょう。下知減災連絡会で連携を深めましょう。

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2013.02.24

対照的な新聞1面

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 日本経済新聞2013年2月24日朝刊は、日米首脳会談で、安倍首相がアメリカのオバマ大統領に面談し、両者が満面の笑顔で握手している姿が1面トップ記事でした。

 「日本の国益をアメリカに売渡して、属国の支配権を宗主国に認めていただいた笑み」なんでしょうね。なんとも情けない限りですね。

 TPPもアメリカがこしらえたルール。パソコンやOS、インターネット、検索エンジンにツイッターにフェイスブック。ゲームは胴元が儲けるようようになっています。いくら早期に参加しようが、ゲーマーが胴元に勝てるはずはあるまいに。安倍首相は「沖縄をアメリカに差し出した」のでしょうか?

 一方の高知新聞1面記事。京都に防衛レーダーを設置るることと、高知龍馬マラソン関係が1面。新聞の立場を表明しているので、ある意味面白い。
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高知龍馬マラソンを見学しました。

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 自宅近くの国道32号線(電車通り)を高知龍馬マラソンに参加するランナーたちが通過するというので、どんな様子か気になりましたので、出かけました。今日は絶好の天気、肌寒いですが、絶好のマラソン日和ですね。
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 午前9時スタートということですが、8時半過ぎから道路のあちこちで規制が始まりました。高知県警の警察官と、大会運営のボランティアの人たちが、通行規制のカラーコーンや」バリケードを準備されています。
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 国道56号線と国道32号線が交差する高知県で1番車の交通量が多い高知市宝永町交叉点。こちらでの交通規制は休日とはいえ大変であると思いました。宝永町歩道橋には、マラソンを見ようという人たちが大勢来ていました。
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 撮影マニアの年配の男性。「これほど沿道で人が見に来ることはない。高新マラソンでもなかった。電車もバスも車も止めちゅう。よさこいもやったらええがよ。」とのご意見。

 歩道橋の上で近所の人たちに何人も会いました。皆カメラ片手に見物に来ています。

 午前9時に国道32号線のグランド通りをスタートしたようです。9時10分頃に先導車が通過し、先頭集団が白バイに先導され通過していきました。
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 そのあと2番手、3番手集団が通過しました。このあたりはマラソン選手たちでしょう。
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 遠くを見ますと道路いっぱいに広がった市民ランナーが思い思いのユニフォームで走って来ました。ユニークなコスチュームや、女性ランナーのウエアもオシャレです。
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 下の道路へ降りて写真も撮りました。後ろのランナーになりますとジョキングしている速さです。
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 最後尾と思われるランナーが通過し、救護車の大型バスが通過しました。交通規制は解除されました。午前9時27分頃です。とくに問題もなく交通規制は解除になりました。
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 ただ国道32号線は南国市方面へは宝永町交叉点の規制解除後も継続しているようです。辻辻に運営スタッフがボードを抱えていました。
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 東京マラソンと同じ日に開催された高知龍馬マラソン。お天気も良く、3800人を超えるランナーが走る姿は悪いものではないとは思いました。規制も順調でしたし。

 事故もなく終了すれば幸いです。

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高知西バイパス新仁淀川橋

 先日土佐市方面と春野・いの町方面を巡回しました。国道33号線の高知西バイパスの1部が完成しているので通過してみました。土佐市方面からいの町へ入り、大内を通過し、鎌田にインターがあります。新しい仁淀川橋を渡りました。落ちたら天神インターです。
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 西バイパスの完成はまだ数年かかることでしょう。

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2013.02.23

池田(徳島県三好市)のうだつマルシェへ行きました

 午前中に南国市の現場への配達。そのあとにごめん駅からJRで阿波池田へいきます。 徳島県三好市で「うだつマルシェ」があるようです。初めての参加。父が風邪気味で、交通費も1人5000円程度かかるので、今回は私1人の参加。どんな行事か見て来ます。

御免駅で阿波池田までのJRの乗車券と特急券を購入しました。往復割引は600キロ以上でないとないそうです。それで片道が2560円でした。
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 御免駅のホームにはやなせたかしさんのキャラクター像が置いてありました。途中の道路にもアンパンマンかなんぞの石像も置いてありますから。やなせたかしさんゆかりの地でもあります。
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 阿波池田駅へ着きました。今日は「うだつマルシェと四国酒祭り」のダブルイベントが三好市池田であるので乗降客が多いようです。
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阿波池田駅から栄町通りを歩いて行きますと、池田バスターミナルがあります。こちらは大勢の人たちがいました。脇さんのお店(脇宝石店)の前です。
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 脇さんどうしているのかなと思いましたら、脇幹人さんに会いました。
「店の真正面なので、お手伝いをしています。」とのこと。うだつマルシェの会場への案内をしていただきました。やはり地元の人に聞かないといけないですね。
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 国道を渡って、しばらく歩きますとうだつマルシェと四国酒祭りの会場がありました。道路は車両通行止めになっています。大勢の人が繰り出していました。お天気も良く最高のイベント日和でした。
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 うだつマルシェは食材や雑貨やアートな品目など個性的なブースが多く出店していました。ずっと見学しました。
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 ちんどん屋の皆さんもおられました。仮装しておられイベントの盛り上げに一役かっています。
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 香川県まんのう町からカフェ・ピッコロさんも出店されています。店主の小谷 鐵穂さんにあらかじめ燻製チーズを予約していました。奥様と一緒に燻製食品を販売されておられました。予約の燻製チーズと豆腐とこんにゃくの燻製、とおつまみセットを購入しました。早めに購入して正解でした。一回りしてもう一度行くと売り切れていましたから。
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 お昼はうどんとカフェ・ピッコロさんの燻製セットを食べました。贅沢な気分です。
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 うだつマルシェにお誘いおただきました武川修士さんにお会いしました。特定非営利法人マチトソラの理事長をされています。古い民家を改装したスペースきせるに事務局があるようです。ご多忙の中ご面談いただきました。
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「四国酒祭りは14年目。うだつマルシェは7年目です。相乗効果もあって1万人以上の人出があります。うだつマルシェは、年3回開催しています。」

「スペースきせるは使用されていない民家を借用し、会員皆で大工仕事や壁塗りなどをして徐々に整備してきました。風情のある民家の活用でまちおこししています。」
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 わたしは現在の高知市下知地域の減災活動関連の資料を持参し現状を説明しました。山間部の仁淀川町との交流事業を、すぐには無理でしょうが三好市との間でも行いたいこと。疎開保険や疎開協定が結べないかなどの話をしました。

 武川さんは「興味ある発想であると思います。すでに三好でも農家民泊もすすめています。先日も自衛隊のOBの方と話をして、高知方面の後方支援基地の役目が池田にはある。とのご指摘も受けましたので。」と言われました。

 また「池田は保育園から小学・中学、高校まで徒歩圏にあります。病院機能もあるし、県行政の拠点施設もあります。交通の要綱ですし、ブロードバンドも整備されています。」とも言われました。まじな話条件が整えば池田に移住しようかとも思いますね。

 将来の交流をお願いしました。武川さんに美味しい日本酒の酒蔵の位置を教えていただきました。わたしは日本酒は得意ではないので、地元の人にお尋ねするのが1番ですから。

 訪れたのは国道沿いにほど近いところにあった合名会社中和商店という酒蔵でした。大勢の人たちがお酒の貯槽されているタンク付近にいました。
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 少しだけ試飲させていただきました。まろやかでした。
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 日本酒は父と息子が得意なので(私は苦手です)。酒造所の人と相談しまして、ぬる燗で日本酒をたしなむ父用と、冷でもOKの息子用に小瓶を1本ずつ購入しました。

 ドラーブスルーの池田商店街アーケードを歩いて阿波池田駅へ向かいました。
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 阿波池田駅のトイレは、飲みすぎてゲロが散乱していました。お酒は薬物なので限度をわきまえて飲んでいただきたいと思う。帰りは高知駅までの乗車券と特急券が2730円かかりました。往復で5290円也。交通費用の出費は痛いですね。将来はチャーターバスなどを出していただきたいとは思います。そうなれば人は今の倍は来るでしょう。

 大歩危小歩危の渓谷を見ながら高知へ戻りました。
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うだつマルシェと四国酒祭りで購入した品々です。日本酒とカフェ・ピッコロさんの燻製食品と饅頭です。
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 来週は高知市で「おびさんマルシェ」があるので、比較が楽しみです。

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高知新聞に下知コミュニティ・センター関連の記事が掲載されました。

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 高知新聞2013年2月21日号の夕刊10面に、高知市下知地域にようやく完成した津波避難ビル機能を兼ねた下知コミュニティ・センター(旧下知市民図書館)に関連する記事が掲載されていました。

 「下知に530人避難拠点」「コミュニティセンター図書館併設4月開所」「海抜ゼロに一部5階建て」との見出しがありました・下知コミュニティ・センター外観の写真と、2月4日に開催されました防災部会の様子の写真が掲載されていました。

 記事にもありますが、下知コミュニティ・センターの防災備品を用意するにあたり、施設管理部署である地域コミュニティ推進課が、前回の会合で試案を出し、地元住民側からも各自主防災会からの意見や試案も出され、真摯に検討しました。

 会合の様子は、当時のブログ記事にありますが、相当程度住民側の意向も反映されています。「女性用の衛生用品の備蓄」「出産キッド」「非常 用LPガスユニット」「ナイロンロープ」「しょいこ」「アルミ製ブランケット」などがとり入れられました。

 高知市下知地域は長年かかって、ようやく減災へのスタートができました。

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2013.02.22

坂本茂雄県議の46回目の県政意見交換会

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 地元高知市下知地域の代表県議会議員の県政報告会へ傾聴に行きました。今回で46回目であるといいます。ほとんど地方議会の報告会もしない地方議員が多い中、特筆される真摯さです。

 平成25年度一般会計当初予算案の解説をされていました。

 当初予算額は5年連続の伸長で、県予算として4000億円を超えたのは8年ぶりとか。国の補正予算と連動で、県議会の常任委員会の審議後ただちに本議会で採択するような執行部の動きがあったとか。議会として精査できるのか不安であると坂本さんは言っていました。

 地方行政としては苦い経験があります。それは1990年代に政府主導で地方も公共事業を多くやってきましたが、2000年代になり小泉政権が「三位一体改革」で、梯子を外された形になり、地方交付税が大幅減となり財政的に苦しくなりました。
 
 民主党政権時代に地方交付金が増加し、もとへ戻ったかと思いきや、安倍政権になってまた地方交付金のカットに乗り出しています。緊急経済対策で県は380億円の補正予算を組んでいますが、うち国は230億円しか出していません。県が120億円持ち出しています。うち半額の60億円は交付税としてあとから補てんされることになっていますが、[梯子を外された]前例があるので、精査が必要です。

 南海地震対策として坂本議員は「津波避難施設の選択肢の多様化」を提唱されています。津波避難タワーやシェルターのほかに多様な対策を行い、「避難あきらめ」を防止しないといけない。

 建設業者の談合防止問題では、防止策よりも、業者救済が多数会派により主張され、採択された。県建設業界のコンプライアンスの確立や反省が伝わってきません。

 県予算の概要説明が行われました。私の理解力が今一つなので、聞き取ったのはこの程度です。

 参加者との質疑応答も行われました。

 坂本茂雄さんの高知県議会の代表質問は、3月8日(金曜日)の午後1時からの予定です。

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2月22日のはりまや橋サロン

  もう2月も下旬。3月も近いというのに、今日の高知市の寒いこと。手がかじかみました。それでも腰が痛い(圧迫骨折らしい)の母(87歳)を連れてはりまや橋商店街金曜露店市と、活き活き100歳体操’介護予防体操)へ行きました。

 まずはパン屋でドーナツを買いました。
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 続いていつものコロッケ屋で夕飯用に買いました。
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 谷ひろこさんのお店で、子供に送る焼き菓子を買いました。
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 10円まんじゅうも買いました。
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 寒い中活き活き100歳体操も元気にしました。
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イトエさんお元気です

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 長らく病気療養中でした、高知市二葉町の焼き肉店のオーナーであるイトエさん。すっかりお元気になりました。

 休業中の写真を掲載したところ、思わぬ反響があり「どうなっているのか知らせてほしい」という声を多く聞きました。

 お元気に歩いているイトエさんを目撃。お店まで一緒に歩いていきました。そしてお店の前で写真を撮らせていただきました。お元気です。

 お店も片づけ・改装中。3月半ば過ぎに復活・開店されるようです。

「値段は据え置きやきに。みんな来てよね。」とのことです。   
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2013.02.21

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

吉田松陰の辞世の句であるそうです。

 昔「吉田松陰」を読みました。http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-05fe.html。子供の時から大秀才で、10歳ぐらいの時に、藩主に兵学の講義をしたぐらいでした。

 その見識を活かすために長州藩は吉田松陰に、国内留学や旅行を認め、長崎や京都、江戸や会津など東北諸藩までの広く見聞してきたようです。後に幕藩体制を変革し、尊皇攘夷の旗頭になりますが、一方でアメリカへ単身渡航を思い立ち、下田に停泊していたペリー艦隊の黒船に乗り込み直談判するほど肝が据わった若者でした。

 幕末の政治的混乱である安政の大獄で、反逆罪に問われ、処刑されました。処刑される前の辞世の句であるそうです。

 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

 吉田松陰は当時の政権に断罪されましたが、彼を慕う弟子たちは憤激し、徳川幕府を打倒し、新生日本をこしらえる原動力になりました。吉田松陰の武骨で純真な想いが日本を変革させたのです。

 ひるがえって閉塞感のある今の日本社会。「愛国心」を言いながら米国追随、原発推進の矛盾した政策を政府が唱えています。完全な間違いです。この政策では日本は幸福になれるはずはありませせん。

 わたしも吉田松陰に少しあやかりまして、日本社会の将来を真剣に考えていこうと思っています。

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2013.02.20

ようやくメインのXPが退院しました。

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 1月29日にクラッシュし、「入院」していましたメインのXPパソコン。今日ようやく退院してきました。診断の結果は「電源ユニットの故障による起動障害」でありました。データは幸いにも無事でくつろぎました。

 20日間停止していたものですから、メールが750通溜まっていました。多くは翌日購入したW7タイプのパソコンでメールの受発信をしたので、すべて受信したものであり、幸い業務に支障は出ませんでした。

 今流行のスマートフォンもやらないし、タブレット端末ももっていません。自宅のテレビもアナログ受信機で見ている有様ですから、いかに時代に乗り遅れているかを象徴しています。

 せっかく修理したXPパソコンですが、サポートは2014年の4月8日までだそうです。

 よやく慣れた文房具でしたが、なくなるのは残念です。ただその後もネットからはずしてパソコンとしては「生きている限りは」使用する予定です。2001年の発売以来13年も継続してきたんですから、使い勝手がいいからですね。

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NHKの取材が二葉町へ入りました

  NHK高知放送局の取材チームが、高知市二葉町へやってきました。町内会長と自主防災会会長、副会長と津波避難ビルの管理人さんに事務所へ集まっていただき、打ち合わせの様子を取材しました。

 続いて二葉町自主防災会と二葉町町内会とビル所有者の3者協定で二葉町の津波避難ビルになっていただいたコーポシーロードに移動しました。裏の18番地界隈からの避難には、きちんとした階段が必要です。_r_5

 6階にあるコーポシーロード屋上に移動し、質問に対して森自主防災会会長や、西森町内会長、津波避難ビル・シーロード管理人である楠瀬さんがそれぞれ回答していました。あらためて二葉町は海が近いことがよくわかります。
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 荒木副会長が「防災世帯調査」の概要について説明をされています。各世帯の家族構成や年齢、病歴などを自主防災会役員を信じていただいて自己申告していただいています。
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 特技や資格なども記入しています。「もしも」の時には、その「防災世帯台帳」を活用し、地域全体で復興・復旧のデータとします。

 NHKの放送は、3月5日(火曜日)の午前7時45分頃の「おはよう高知」のニュース枠の中で防災特集があり、そのなかで放映される予定です。

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2013.02.19

よろず相談人になっているようですが・・なんだかね。

  このところ連続して、普段会うことのない知人達が「こみいった相談」を持ち込まれることがありました。。
みんなそれなりの社会的地位と経済力のある人たち。大きな車でやってきます。隣に駐車している私が乗っている大衆車がみすぼらしく見えますね。

 その人たちの身の回りでは相談できる内容ではなく、それなりに濃い内容。なんでうちへ来るのかわからない。
それはわたしが市井の市民であるからだろうか?。党派的な利害はなく、それなりに情報発信力がある。情報を発信していれば、それなりの情報も受信しているはずであると、相談者は思い込んでいます。

 確かにわたしはフリーハンドであるし、社会的地位も名声もありません。ただこの海抜0メートルの二葉町で生活を営み、会社を経営しているので、関連情報だけは懸命に集めています。

 必ずしも役に立つかどうかは不明ですが、わたしが今までに獲得してきた人脈と知識は「社会」のお役にたっているようです。なんだか人間検索エンジン「Google」ではないか。なんだか複雑な思いです。

 先日仕事のほうで知識を「現地調査費用」「維持管理提案資料作成費用」として有料化しました。こちらの「人間検索エンジン」のほうはお金が取れそうもありませんね。なんか不思議です。それなりに社会で存在意義があるようです。自己満足せずにお互いWIN-WINの関係で経済が回る仕組みはできないものでしょうか?そうなると知恵がないですね。だから貧乏しているんです。

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2013.02.18

中国人民は、帝国主義戦争を内乱に転化せよ

 大嫌いなレーニンは、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」という有名なテーゼをだし、ロシア革命を成功させました。今中国人民各位に申し上げたいのは、自国の経済格差や不平等の矛盾を解決できない中国共産党の独裁政権を打倒し、民主化し、国際社会と近隣諸国との友好を行うことです。

 日本の領土の尖閣諸島や、フィルピンやベトナムが自国領と主張している南沙諸島に、ちょっかいを出すことではなく、自国の民主化でしょう。

 1989年の天安門事件で自国の民主化を圧殺した中国共産党。直後に登場した独裁者江沢民は、国民の民主化の目をそらすために学校教育現場で、徹底した反日教育を行いました。歪んだ歴史観、粗雑な歴史認識を国民各位に刷り込みました。

 中国人民は、排外主義的な運動をするのではなく、問題を解決できない独裁政権を打倒していただきたい。

 レーニンのテーゼは現在の中国にもあてはまるからです。

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2013.02.17

海のウォーキングをしました

  NPO法人YASU海の駅クラブの恒例の海山ウォーキングです。40人が参加されました。わたしはお世話役で最後尾を歩きます。
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絶好のウォーキング日和でした。昨日と大違いで温厚なお天気でした。出発の9時前に41人の参加者が、NPO法人YASU海の駅クラブの前に集まりました。丸岡理事長の挨拶や、準備運動を終え、すぐに出発しました。
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 今回はいつもとは逆のコース。先にヤッシー・パークのボードウォークを歩いて、岸本海岸から月見山へ行きました。海を見ながらのウォーキングです。
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 姫倉城の古戦場跡と、姫岡城あとで、中岡さんの解説がありました。こちらの山城は安芸市の出城であり、長宗我部氏との戦いの最前線であったそうです。結果的に敗戦になりますが、敗者の記録もきちんと残されているそうです。
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 月見山の一角にある公園。こちらには昭和60年にアメリカから移植された大きな巨木があります。レッド・ウッドです。成長したものは高さが50メートルを超えるものもあるそうです。
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 今は整備中で休園中の月見山こどもの国ですが、滑り台が面白いらしく子供たちが歓声をあげていました。
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 ちょっとした森林浴ができるゾーンです。降りてきて夜須の集落を歩きます。
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 猫と子供らが戯れています。
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 土佐電鉄安芸線跡は、サイクリング・ロードになっています。高架歩道のようで、人家を見下ろしながらのウォーキングです。
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 土佐電鉄時代のトンネルも抜けていきます。

 サイクリング・ターミナル沿いも歩きます。

 塩谷の海岸沿いにある手結岬で、休憩です。
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 夜須の方面に坂道を降りて歩いています。ゴールはまもうすぐです。
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 手結の港の歴史の説明もありましたが、電池切れになり写真の撮影ができませんでした。

 ゴールしますと豚汁がありました。とてもおいしくいただきました。残念ながz電池切れで画像はありません。

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どうなる北朝鮮

  2月12日に国連など国際機関や、隣国の中国、韓国、日本などの中止勧告を無視して北朝鮮は地下核実験を強行しました。狙いはなんでしょうか?

 これでますます国際的な孤立は深まります。経済的に破たんしている国が、お金のかかる弾道ミサイル打ち上げと核実験を強行するなんて。理解を超えています。

 今回は後ろ盾の中国もさすがに呆れているようです。アメリカはどうでてくるのでしょうか?

 1番頭に来ているのはロシアではないでしょうか?そのあたりもよくわかりません。

 核兵器で相手国を威嚇する前に北朝鮮の体制が崩壊するのではないかと思います。

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2013.02.16

2月16日の夜須の海

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完全な「西高東低」の冬型の気圧配置ですね。山間部は雪で、海は強風ですね。

 父のゴルフ練習を終えてから夜須へ行きました。お昼すぎから風は出るので様子見ですね。

11時に到着。ハーバーは上天気。やはり風はそこそこ強め。でもジュニア・ヨットクラブと高知大学ヨット部と社会人2人がすでに海にでておりました。
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 ぎ装を強風用にしました。
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 ドライスーツも修繕し、水漏れがないようにしました。
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 さあ出艇だとスロープを降りて海へ出ようとしますと異様な感覚が・・。なんとトレーラーの舳が折れてしまいました。
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 これでは海へ出て、陸に上がることができません。泣く泣く今日は出艇を諦めました。
 スロープの青のり除去作業をしていますと、お昼で出ていたヨットが戻ってきましたので、陸揚げ作業をお手伝いしました。今日はお終いです。
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 トレーラーの修理は井土さんに頼みました。ドライスーツは密封性が良くなり、脱ぐのが大変でした。
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2月16日 父(93歳)のゴルフ打ち放し場でリハビリです

  父の慢性腎不全も改善の兆しがあり、最悪の5段階から、4段階の上位、3段階に近づいてきたようです。適度な運動が、刺激になり腎臓の働きを良くしていると植田先生に言われました、何よりです。

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吉田拓郎と沢田研二は格好いいですね

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 映りの悪いアナログテレビで見ていました。吉田拓郎と沢田研二の対談。お互い66歳・65歳とか。若いころとはまた違う味わいのある人たちです。

 沢田研二は、昨年の総選挙でタレント山本太郎の応援演説に出てきました。吉田拓郎も闘病生活をされていました。お元気そうですね。

 次は5年後のお互い70歳になって再対談しようということになりました。やりますね。この2人は。

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2013.02.15

2月15日のはりまや橋サロン

 先週は、仕事がせわしく、母を「放置」して戻りました。一緒に活き活き100歳体操に参加している叔母が、電車停留所まで送迎していただき、電話もくれました。無事に帰宅できました。今日も午前中は仕事がせわしく、来客も複数ありました。なんとか仕事を片付け母を連れてはりまや橋金曜サロンへ連れて行きました。

 いつものようにパン屋さんで、おやつのドーナツを購入します。
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 コロッケ屋さんで夕飯のおかずのコロッケを買いました。
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 露店でせんべいを販売されているコーナーがありましたので母は購入しました。
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 谷ひろ子さんの露店で焼き菓子を買いました。

 お昼を食べそこないましたので、お好み焼きとトン汁を食べました。
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 今日の活き活き100歳体操は寒かったですが、7人の高齢者の皆様が来ておりました。」
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 10円饅頭も購入しました。
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40年前を振り返る

 40年前は2度目の高校3年生。2月初めの高校の試験をなんとかクリアし、立命館の地方試験(高松)、10日過ぎに東京へ上京、同級生の下宿へ居候し、日本大学法学部と専修大学経済学部を受験しました。ほどなく結果が判明。立命館と日大は不合格。専修は合格しました。
 
 どの学校でも良かったので、親に報告。入学手続きをしました。けったくそが悪かったですが、高校へも報告しました。職員室が沸いたとのこと。落ちこぼれの問題児の留年生徒が一応中堅私大に「現役合格」しましたから。でも私にはどうでもよかった。

 とにかく卒業式にも行きたくなかった。3月1日にしぶしぶ行ったような気がする。中学時代の恩師の三浦光世先生宅へ相談に行きました。ご主人の良一さんに説得され卒業式に行きました。

 3月の5日過ぎに上京し学生課へ行って下宿先を決めました。学校の近くはすべてなく、徒歩40分のところがありました。そこへ決めました。

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2013.02.13

コニヤン早すぎるぜよ!!

 2月13日午後6時、コニヤンこと小西豊さんのお通夜へ行きました。会場は高知市から福井のベルモニー福井。夕方の時間だし、下知から北部環状線沿いなので、少し早めに車で行きました。
 
 早めに行きましたが、既に大勢の人が来ていました。」なんとか駐車場へ自力で入れました。お通夜式場の椅子席へも着席できました。定刻の午後6時から、故小西豊さんのお通夜が始まりました。

 僧侶の祈祷が始まりその間に、葬儀所の係員がお焼香を促します。私は前の方の席でしたので、早めに焼香ができました。次から次と焼香の人たちが絶えることがありません。会場からはみ出し、階段から1階まで参列者の列は続いていたようでした。

 僧侶の定番の祈祷が終わりましたが、焼香は終わりません。小西豊さんの同僚、教員仲間、地域の人、教え子とおぼしき社会人や教え子、高校時代の同級生や、私のような最近の知り合いなど、参列者は500人以上はいたと思われます。

 義理で参列した人たちではありません。皆が皆、私も含め、小西豊さんの早すぎるご逝去を悲しみ、目を腫らし、泣いている人たちもいました。喪主の奥様と、93歳のお母さま、2人のご子息たちも参列者に真摯に応対されていました。

 焼香は40数分以上かかりました。ようやく参列者がとぎれますと、司会者に促され、小西豊さんの教え子の1人で20歳の青年がギターを抱えて現れました。そして祭壇の小西豊さんに挨拶をしました。

「わたしが落ち込んでいるときコニヤン先生は励ましてくれました。曲を一緒になってつくりました。その曲を歌います。」と涙ながらに語りました。そして自作の曲を披露していただきました。しみじみと心をこめた歌声でした。

 そして最後に奥様が気丈に参列者に挨拶されました。参列者は聞き入りました。お通夜の式は終わりましたが、多くの人たちは暫く佇んでいました。

 入口にコニヤン・コーナーがありました。お元気なころの写真と著作本、似顔絵が展示されていました。皆コニヤンとの思い出を語っていました。
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 駐車場が大混雑。道路へ出るまでに時間がかかりました。これほどの人たちに慕われていた小西豊さん。ご冥福をお祈りいたします。ご家族の皆様、どうか小西豊さんを誇りに思われてください。

 追悼文を書いていましたら、小西豊さんの出身高校の大先輩である鈴木啓介さんからお電話がありました。お通夜の様子をお伝えしました。「それはコニヤンの人徳だな。一生懸命やってきたことは、人の心に伝わるんだよ。」と言われました。


 本当に高知県は惜しい人物を失いました。

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水道工事が終われば都市ガス工事が始まりました

  年明けから水道工事が連続jして行われ、騒音と振動でたまりませんでした。それは先週ようやく終了。入れ違いに今度は都市ガス工事が同じ道路で行われています。
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 水道工事同様に道路を掘り、配管を入れ替えます。そして埋戻しを行い簡易舗装します。
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2013.02.12

小西豊(コニヤン)さんのご逝去を悼む

 コニヤンとして親しまれていた小西豊さんが、2月11日午前10時逝去されました。58歳でした。昨年5月頃に体調を崩され高知赤十字病院で治療をされていました。土曜日に一時帰宅され、ご家族と一緒に食事もされていたとのことでしたが、容体が急変、救急搬送されましたが、治療のかいなくご逝去されました。

 私と小西豊さんは、もっぱらブログを通じた交流が主体でした。教育に関する、子供たちに関する熱い想いは、時に辟易するほどでした。「学校へ行きたくても行けない」子供たちへの想いや、サポートにより、多くの子供たちや親御さんが救われたことでしょう。それだけに高知県教育界は貴重なる人材を失いました。
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 初めて2009年の11月に、共通の友人である梅原孝司さんの仲介で小西豊さんお会いし、葉牡丹と閉店間際のとんちゃんで3人で痛飲しました。ブログの文章どうりの熱い教育関係者でした。

 2011年3月には、小西豊さんが段取りされて、埼玉から高知へ里帰りされました鈴木啓介さんご夫妻をお招きして、懇談会をしていただきました
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 その当時は初めて出版した「コニヤンの肯定脳的人生論2010年版」を売りつけられ、本にサインをしていただきました。
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 確かもう1冊出版されています。一読しましたが粘着気質の文章は、こちらが気合を入れて充電した状態でないと読み切れないエネルギーに満ちています。小西豊さんが、学校へ行きたくとも行けない子供たちへの想いや、励ましの文章などが満載されています。

 「ある教育者のつぶやき本を読んで」で読後の感想を書きました。

「特に印象に残った記述は、わたしの父と同年代のお母様のことを書いているところです。「半径5メートル」で自宅のなかでは用が足せるといいます。それでいて誰のお世話にもならず、自分のことは自分ですべてされておられる。なによりお母さんの考えや言動が「前向き」であるとか書かれている。それがいいですね。

 また登場してくる学校へ行きたくともいけない子供たちへの思いや、愛情を感じますね。そのエネルギーは凄いと思います。」(コニヤンの肯定脳的人生論2010年版)

 この本は、昨年東京大学を卒業し文部科学省へ入庁した知人の息子さんに贈呈しました。彼が帰省しておりに、小西豊さんと対面させてやろうとわたしなりに画策しておりましたが・・ご逝去はとても残念です。

 知人の子供も中学生時代に学校へ行けなくなり、小西豊さんを紹介し、多大なサポートをしていただきました。道を踏み外さず今は社会人になっています。絶望の淵から実に多くの子供たちと親御さんがコニヤンのサポートで救われています。

 彼の夢は「おもちゃ博物館」をこしらえることでした。仕事の合間に購入したおもちゃコレクションは膨大で専門家も驚くほどでした。仕事をリタイヤした後は、マイペーズで私塾をやりながら、おもちゃ博物館をこしらえることを目標としていました。

 高知県は惜しい人材を亡くしました。コニヤン 天国でも今日も笑顔でボチボチとやっていてください。心よりご冥福を申し上げます。

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羨ましいロハスな生活

  5年ほど前に奥様と一緒に東京からUターンしてきた従妹ですが、うらやましい生活を実践しようとしています。

 築150年の家屋を耐震補強し、トイレなどは最近の仕様にしますが、薪ストーブを導入、お風呂も薪で沸かすようです。家の周りには畑があり、簡単に栽培できる野菜はこしらえるようにするとか。将来は太陽光パネルも導入したいように言っていました。

 なんともうらやましい生活です。海抜0メートルのせせこましい家屋で生活している(まさに欧米人が揶揄するうさぎ小屋)私には、別世界ですね。

 高知ではそういう生活は可能です。自宅があり、年金生活でゆとりがある従妹ですが、現役世代のわたしたちもロハスな生活が営めるようになりたいものです。

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2013.02.11

ジョイリハ(介護予防リハビリ)へ元気に行きました

 今日は両親はジョイリハへ元気に行きました。健康であることは何よりですね。
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夜須のウォーキングに参加しませんか

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 今度の日曜日、2月17日は香南市夜須で、ウォーキングがあります。約10キロのコースですが、景色は変化に富み、海あり、山ありのコースです。手結山の餅を食べて休憩し、終了したら、豚汁で体を温めます。参加料は保険r料込で700円です。

 まだ受付をしていますのでぜひご参加ください。 主催YASU海の駅クラブです。電話は0887-57-1855です。

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2013.02.10

父(93歳)は今朝も元気にゴルフの練習をしました。

 今朝の温度は3度程度。午前中に父(93歳)のリハビリがてら、ゴルフ練習場へ行きました。冬場は温度が低くても午前中に行くようにしています。なぜかと申しますと、午後からは風が強くなるからです。海遊びをしているので、そのあたりはわかるからですね。

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 着ぶくれしているので寒くはないとのことです。

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川竹大輔さんの出版記念と交流会

 2月9日は3週ぶりに夜須でセーリングをした後に、元高知県特別職秘書であった川竹大輔さんの「改革派知事の時代 出版記念と交流会」が、午後5時半から高知市の三翠園ホテルでありましたので、ヨットの後始末をしてスーツに着替えて出席しました。背広を着るのは今年で4回目でした。


 少し遅れて到着。前方スクリーン画面では、元高知県知事橋本大二郎さんが、川竹大輔さんの著作について話をされていました。どうしても外せない用事があり、来られなかったようでした。
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 続いて対談がありました。川竹大輔さんと根小田渡氏(高知大学名誉教授)司会を本の出版元の代表細迫節夫氏(南の風社)がされていました。

 このなかで川竹大輔さんは「1994年ごろから2007年までが改革派知事の時代でした。本県の橋本大二郎知事、浅野史郎宮城県知事、北川正恭三重県知事、増田寛也岩手県知事、片山善博鳥取県知事など、地方から国を変えようという知事が輩出しました。
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 総務省主導の全国知事会が「戦う知事会」になった時期もありました。ひも付きでない国からの一括交付金などが成果でしたが、2007年頃に終焉しました。」
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 根小田氏は「小泉政権の中央からの構造改革路線が、地方の声を退ける形になり、三位一体改革でますます地方の弱体化が進行したことは否めない。」と指摘されました。

 そのあと、川竹大輔さんと高知県でそれぞれの分野で活躍されている人たちからの発言がありました。会場からの質疑応答もありました。

 そして交流会になりました。高知県下各地から140人の参加者がありました。多士済々で、川竹さんの幅広い人脈を感じさせる人たちでした。
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 豊後彰彦さんと記念撮影をしました。背広姿はめったにありませんので。
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 交流会は午後9時に散会しました。川竹大輔さんは、まだ43歳です。「改革派知事の時代 地方から日本は変わったのか」(川竹大輔・著・南の風社・2012年刊)を一読しました。感想文は別項で後日書きます。頭脳明晰で、行政部署を横断的に渡り歩き、橋本知事の代理で高知県各地を巡回されていた経験は、今後活用しないといけないと思いました。
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2月9日の夜須の海

 昨日行きました。海へ出るのは3週ぶり。先週は突然子供が県外から帰省したので来れませんでdした。その前の週はハーバーに行ったものの、あまりの強風で日和見して見学しました。今日は寒くて冬型ですが、等圧線がやや緩んでいるので夜須へ行くことにしました。
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 ハーバーは上天気。しかし誰もいません。しばらくすると高知大学ヨット部員が4人ぐらい来られましたhが、艇のp整備をするというので乗らないとか。自分1人でワンマンセーリングになりました。
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 寒い朝で氷が張っていました。
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 慎重にぎ装しました。完沈防止ボールをマスト・トップにつけます。
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 慎重に海へ出ました。波がなく風も程よく強く最高のセーリングでした。
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 3時間セーリングしました。とても気持ちがいい。疲れが癒えました。
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 青のりをブラシでこすり1部除去しました。

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中国はどこまで本気なのか

 中国海軍艦艇が、ミサイル発射前のレーダーの電波を日本の自衛隊の艦艇に向かって発したことが大きな話題になっています。日本から指摘されてから、しばらく中国は反論せず、しばらくしてから全否定になりました。おかしい。中国政府筋は後手を踏んでいますね。

 「逆満州事変」のように、軍が暴走し、政府が追いかけるような状態に中国がなっているのではないか。まして日本は江沢民以来の反日教育からすれば不倶戴天の敵ではないか。大いに撃つべしと国内矛盾を排外主義に転嫁しやすい。

 チベットやウイグルに対する残虐な弾圧ぶりを見ても普通ではない。なんか嫌な印象がある。
 かつての毛沢東主義者から見ると、今の中国は帝国主義国である。打倒すべき対象ですね。

 中国人民に申し上げたい。打倒すべきは日本ではない。圧政をしている中国共産党独裁政権です。
まsだに「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」のレーニンのテーゼを実行すべきです。

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2013.02.09

景気は本当に良くなっているのか?

  政府が大幅な金融緩和政策を実施し、円安誘導をし始めましたが、円安・株高になって経済は良い方向にまわりだしたといいます。景気刺激策のためにまた国は借金を重ね、大型公共事業をするそうです。

 景気が良くなったという実感はまだありません。得意先の注文は増えませんからね。第一国民全体の給与は下がり続けています。大手企業も人員削減の話しか聞こえません。公務員も給与と退職金を引き下げる話ばかり聞こえます。

 それに来年は消費税は上がりますから、まちがいなく景気は悪くなります。ますます国民は生活防衛に走りますから。効果がわれわれ市井の市民のところへまでまわりませんね。実感はありません。

 外食はしないし、外での飲み会はめったに行きません。というか行けません。
景気は良くならないうちに、また失速しそうですね。

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2013.02.08

みんな自分が「勝ち組になれる」と錯覚しているのでは

 日本でも身勝手な極右政党が台頭してきています。一方で新自由主義的な「身勝手自由主義」がまたも蔓延しようとしています。「規制を緩和すれば、ものの値段が安くなり、可処分所得が増え、豊かな社会になります。」と。

 小泉ー安倍政権時代m¥の2007年ごろにも同じようなことが言われていました。結果は「労働者が解雇され、契約や非正規雇用が増え、賃金は下がり、国内市場は縮小しました。」だけでした。当時今は没落している大手家電メーカーは空前の利益を得たいましたし、株価もものすごく高かったのです。

 「ワーキング・プア」という言葉がいわれだしたのもこのころですね。

 20歳から50歳までの世代の人たちは、自分が元気だから「錯覚」するのです。自分だけは「勝ち組」になれるかも。低賃金でしゃにむに働くのです。で勝ち組になることはありえません。

 身勝手に働くよりも、地域や家庭や社会や政治に目を向け研究しましょうよ。自分たちの手で社会を変革しましょう。そうしないとこの国はだめになります。

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2013.02.07

第5回Eコマース実践塾を受講しました

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 2月6日は高知県産業振興センターで、第5回Eコマース実践塾講座(講師 笹本克氏)を受講しました。感染症の蔓延で受講生3人が欠席する事態となりました。今回は授業形態を変更し、ワークショップ方式で、それぞれの塾生のホームページを点検しました。

 実践に基づいた笹本氏の指摘は、的確。「数量が確保できない。」「納期が間に合わない」というマイナス要因も、誠意をもって事情を顧客に説明すれば事態は好転するとも。

「単にできませんとお断りするのではなく、できない事情を顧客に説明すること。樹齢80年の檜はそう簡単に集まらない。懸命に探しますが、お待ちいただけませんか。ということで、新しい顧客の創造につながることになります。」

「今日は海が荒れているので、近海の魚はありません。というほうが、いつもいつも冷凍庫に魚がありますというより、信用がアップします。誠意があるとお客が認めてくれますね。入荷するまで待つ。ということになります。」

 「ホームページにはネガティブな言い回しや、表現はしてはいけません。
 前向きな表現に言い換えることをすべきです。

 「ない」「ありません」を適切な表現に言い換えます。「いまは事情があって品ぞろえはできませんが、関係者をあたって1週間後にお返事します。それまでお待ちいただけますか?」とか。

 「もちがカビがはえる」からいけないのではなく、「カビがはえるもちは、変な防腐剤などははいっていない体にやさしい本来のもちなのです。」と切り返すことも時に必要。

 「どうやって、自分でヒントを見つけ切り口を見つけるか。ネタのふくらましかたを自分で会得するかが今後のカギである。」
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 「訴求力、見せ方は、自分で問題を発見する気づく力が必要です。」

「メリットと状況証拠を常に意識してください。」

 {SEOやPPC広告でもマーケットを意識したキーワードを探し、ホームページ上の文章に表現することが肝要です。」

「検索キーワードを選定することが難しいというネットショップは、簡単にいってしまえばマーケットに対しては、鋭角に訴求できるキャッチコピーを作成できないショップであるといえます。

 またマーケットサイズなどの事前の調査を怠っているショップであるといえます。
 つまり「コンセプトの立案が甘いままでショップを立ち上げてしまった」ショップであるということです。」(笹本克・著・「売るためのサイト構築テクニック」アスキー・2004年刊・P38「売り上げを左右するカギはキーワード選び。お客様の要求に応えるキーワードだけが利益を生む」)

 講義で速射砲のように浴びせかけられる笹本講師の言葉は実践に基づいた教訓が多く、一言も聞き漏らすまいと必死でありました。しかし私の理解度ではごく一部を書き留めたにすぎません。

 でもいままで「願望」にすぎなかった防錆現地調査も実現しました(サイトを通じての依頼)、サイトの更新の狙いもはっきりしましたので、あとは実行あるのみです。
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せわしい300M四方の町内会活動

 零細企業の経営と、超高齢者の両親の介護予防ケアを主体に活動しています。同年齢の商売人の人たちのように、各種経済団体や仕事時間中の公職(審議会・委員会など)へ出席など到底できません。

 300メートル四方の高知市二葉町に「おしこまれて」生活をしています。

 しかしこのところ昨年12月ごろから報道関係者の取材が相次いでいます。すべて地域防災活動に関することです。現状では低地の0メートル地域に居住しているゆえに、南海地震が起きれば生存の保証はありません。

 それゆえ「何とかしよう」と情報発信をブログなどでしているので、多少注目されているのです。

 でも「身の程」も知っています。自分の会社の業務で評価されているのではないですから。謙虚に真摯に訴え続けるしかありませんね。この辺は自然体です。気負うことなく、低地の市街地の恐怖を訴え続けていきます。

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2013.02.06

親子ですね

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 出かける前の母(87歳)と一緒にとりました。やはり親子です。顔の輪郭も似ています。性格もよく似ています。
「そっくりだ」と言われています。

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2013.02.05

つむじ風のような娘の帰省

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 娘が日曜日の朝に夜行バスで帰省しました。知人に一緒に会い、近くのバッテイング・センターへ一緒に行きました。そして月曜日の晩に夜行バスで帰りました。

 節分を挟んでいました。春のつむじ風のような子供です。

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2013.02.04

水道工事は大変ですね

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 自宅の周りの水道工事。送水管を掘り返して耐震性があるという鋳鉄管に取り替えていました。それで今度は1軒1軒の排水管を掘り返し取り替えています。大変な労力です。

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2013.02.03

介護時代を生ききる フォーラムを受講

 「介護時代を生ききる ひとりで悩まないで」(主催高知医師会市民との対話推進委員会)のフォーラムを聴講に、2月2日に高知市総合安心センターに行っていました。
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 パネリストは高知県在住の漫画家くさか里樹氏、高知検診クリニック脳ドックセンター長の朴啓彰氏、かもだの診療院長市川英明氏、高知保健所所長堀川俊一氏でした。
 それぞれが短い講演をし、後半は参加者からの質問を質問をもとにパネラーが回答する形式でした。
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 くさか氏は介護現場への取材を通じて気づいたそうです。「これからの日本は高齢化社会になる。そのなかで認知症の人はスターですよ。認知症になっても感情は残っている。伝えきれないもどかしさが苦しいから、大声を出したり、徘徊したりします。
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 自分がもし認知症になったら、堂々と介護を受けて次世代を育てるということをしましょう。福祉は地味なのでもっとユニフォームを派手にしないと」と言われました。
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 朴氏は脳の専門家として「タバコは脳に害を与えるので禁煙は絶対条件。酒もたばこもしない人の脳はきれいですが、とくに喫煙者の脳はすかすかになっています。また受煙も大問題。お酒も飲まないほうがいいです。特に高知県人の酒の飲み方は異常です。労わるべきは肝臓だけでなく脳なのです。」
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 市川氏は、在宅での医療ネットワークの話をされました。「認知症でも終末医療でも在宅治療は可能です。呼ばれたらすぐに行く「じきいくネット」を複数の診療所や病院でこしらえています。
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 堀川氏は「介護も1人で悩まないでケアマネージャーや行政(高知市高齢者支援センター)などを活用ください。認知症サポーター講座や、認知症重度化予防実践塾も開催しています。」との取り組みの紹介がありました。
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 事例発表者として川久保明美さんが、認知症重度化予防実践塾を受講し、87歳の母親の介護に前向きになり、お互いが明るくなったというお話をしていただきました。

 会場で販売されていましたので、くさか里樹さんのヘルプマン17巻と18巻を購入し、サインをしていただきました。
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2013.02.02

マクドナルド若松町店(?)は3月半ばに開店とか

  若松町の建設会社本社跡にマクドナルド若松町店(仮称)が建設中です。工事もたけなわで3月半ばには完成ー開店するようです。12月下旬の着工で3ヶ月足らずの完成予定ですので、プレハブ鉄骨構造なのか。プレハブ・メーカーの大和ハウスとか看板にありましたから。
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 この不況で、人口が毎年5000人ずつ減少している高知県に出店する意味がわかりません。しかも現地は県道。日中は、そこそこ交通量はあるものの、夜間はほとんどありません。

 大手企業の出店戦略は田舎者には理解出来ません。

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2013.02.01

2月1日のはりまや橋サロン

  今日は母ははりきってはりまや橋サロンへ行きました。
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  イキイキ100歳体操も元気でやりました。
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  終わりますと叔母を交えて3人で喫茶十字路にて、コーヒーとホットケーキを食べました。

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母(87歳)の腰痛は軽度とか

 母があまりに「腰が痛い」と言いますので、高知病院へ連れて行きました。この病院の関連施設の介護老人支援センターしんぼりの大塚理恵子さんに母は毎週金曜日に、はりまや橋商店街で活き活き100歳体操(介護予防体操)をご指導していただいているご縁もあります。相談しますと「院長は整形外科医ですから。丁寧な診察されますよ。」とのこと。

 また作年11月には高知病院の公開講座「高齢者の腰痛について」という講演会もあり聴講に行っておりました。それで高知病院へ行った次第です。始めての受診でした。

 診察後後野並先生はこう言われました。

「高齢者の骨粗しょう症による圧迫骨折はある意味仕方がないところがあります。骨が変形し痛みがとpもないます。でも2週間程度でおさまる場合もあります。

 変形したらおさまる(背中がなるくはなりますが)とは思います。主治医の横田先生ところでもカルシウム薬剤も服薬されています。適切な診断であると思います。」

「去年の講座の実例はお母さんより遥かに症状の酷い人の事例です。自分の足で歩けて用事が出来る間は動いてくださいね。体操もいいことですから。」とのことでした。

「症状が悪化し、歩けなくなった。痛くて眠ることができなくなったら、病気へ来て下さい。その時は対応しますから。」とのことでした。

 確かに診察室前で待っていますと、杖をついて歩いている人、歩行器を押して歩いている人、背中がものすごく曲がっている人、車椅子を押してもらっている人たちは患者でした。母は杖なしで自分の足で歩けますからね。

 日常生活のなかで無理なく体を動かすしかありませんね。

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