父も元気にゴルフの練習をしました
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埼玉県川越市から鈴木啓介さんご夫妻が来られました。今回は梅原孝司さんご夫妻と一緒に葉牡丹で懇親をしました。当初は鈴木さんの母校の土佐高校の応援で甲子園球場へ行く予定でしたが、花粉症がひどいのでおやめになり、出身地の室戸市で静養され、お元気になりお会いしました。
まぶしいので夜もサングラスをしていました。
2年前の3月には、小西豊さんのお世話で葉牡丹で懇親をしたものでした。
2月にご逝去された小西豊さんをしのんだお話もしました。鈴木さんご夫妻は小西さんの奥様にもお会いされたそうです。梅原さんも小西さんのお亡くなりになる直前にお見舞いに行った話をされました。あらためて惜しい人材を高知県は失いました。つくづくそう思いました。
皆さん教育関係者なので、レべルの高い話をされていました。ついつい飲みすぎてしまいました。
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父が診察を受け、点滴をしに腎臓病専門医の植田医院へ週2回通院しています。待合室に「女性自身」という雑誌がありました。昨年の11月13日号。我儘気ままの田中真紀子氏が、議員として大臣rそして「健在中」のころの古本でした。
その雑誌の記事が面白い。「私だけのカワイイ!をカタチにできる 世界が注目のきゃりーぱみぱみゅ」結構独創的な存在のようです。男たちや商業主義に媚びない姿勢。ある種の爽やかさがありますね。
記事の中で昔渋谷ギャル・ファッションもあったようですが、セクシー路線や商業主義にとらわれ。結局「キャバクラ嬢」ファッションになり衰退した。その点きゃりーさんは媚びないようですね。
「今のコは 安いものをセレクトしてお金をかけずに オシャレができる」という考え方が凄いと思いますね。
アート系の若い娘さんたちは、自分の髪や顔、服装などを独自に工夫して自己主張しているようですね。そのきばりのないところが受けているのでしょうか?
そういえばうちの娘もアート系の仕事をしております。こちらは自分自身を「アートに」するのではなく、紙の上に表現するお絵描き職人です。どちらもアートなんでしょうね。
全くその世界とは無縁な私。白髪頭だけは独自に「自己主張」をしています。
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「南海トラフ巨大地震から下知地区で生き残るために」は、4月14日に高知市の下知コミュニティ・センター開所記念講演される岡村眞高知大学特任教授の講演テーマです。
わたしの残りの人生が何年あるのかわかりませんが、「南海トラフ巨大地震から下知地区で生き残るために」が私のライフワークになりました。
昨日の「下知減災まち歩き」(下知減災連絡会主催)で、お世話役をし、岡村先生の下知地域現地での説明を断片的に聞いていて、その想いを強く持ちました。
新聞各紙の1面に南海トラフ巨大地震が「国の被害が220兆円」「高知県だけの被害が10兆円」とされ、高知県は罹災者が56万人とか。70万県民のうちの56万人が罹災者になると試算されています。
もっともこの試算は南海トラフ巨大地震で、地震域に立地している浜岡原発と伊方原発の深刻な事故想定は含まれていません。東日本大震災から2年が経過するのに福島第1原発の事故処理は終了せず、いまだに毎日大量の放射性物質が大気中や地中、海中へ放出されています。事故処理対策が未だに確立されてい8ないまま、政府は原発の再稼働に舵を切りましたので、被害総額があの程度ですまされないことはだれの目にも明らかでしょうに。
「南海トラフ巨大地震から下知地区で生き残るために」というテーマですが、3月定例議会を傍聴した県議会や市議会の執行部や担当部局の答弁では、太平洋沿岸部の津波対策と、都市部では浸水から一時退避する津波避難ビルの確保程度が精一杯のお話でした。
つまりは地震発生から24時間程度の対策は、巨額の費用で一応なされてはいますが、高知市下知地域のように、地震と同時に地域全体が地盤沈下し水没する地域(長期浸水地域)の対策は、現状では全くなおざりであり、県も高知市も「想定外」にされています。
「生き残る」という意味は、もちろん生命の安全も第1ですが、その後の長い罹災者生活と生活の再建までのサイクルで考えないといけないのです。そのことは前例踏襲主義の行政組織に現時点批判しても無理であると思います。
所詮は300メートル四方の二葉町から出れないわたしですが、中央防災会議のメンバーで南海トラフ巨大地震の新想定算出にも関与された岡村先生が、下知地域を現地訪問され、住民とともに歩かれた意味は小さくありません。
高所からの上から目線で、中央のコンピューターシュミレーションでいくら分析しても人間の生活や心理はわからないでしょう。「生き残り」を残りの人生のテーマとして、考える提案をどんどんしていきたいと思います。
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地方新聞である高知新聞。高知県内の宅配率は全県下で80%を超えているとか。最近の若者は新聞を購読しない人が増加しているといますが、ネット環境の遅れている高知県ではいまだに「絶大な影響力」が高知新聞にはあります。
3月13日に掲載されました私の投書「県議の見識を問う」は反響がありました。知人の何人もから「掲載されていたね。そう思う」と言う電話がありましたし、会う人に良く言われました。電子メールでコメントをいただきました。
はがきで感想を寄せられた人もいました。安芸市の人です。投書欄は500字程度でたいしたことは書いているつもりはありませんが、反響が大きいということは、「そう思っている」県民が多いとの事でしょう。
思いついたらわたしはすぐ文書化します。高知新聞への読者投稿欄への投稿もしますが、掲載確率は「5打席1安打」程度で打率は低いですね。推敲もろくにせずに今回は書きました。反響が大きいことには驚きますね。
その後県議会議長から反論の投稿もありません。県民の代表の県議会は「真摯に」審議をしていただきたいのです。
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以前にも同じ記事を書きました。南海トラフ巨大地震の新想定も公表され、あらかた被害想定も出ましたので、改めて投稿します。
高知市市街地の2ケタの国道筋を走行していますと、道路標識のポールなどに「海抜5メートル」という表示が見られます。
これは国土交通省が「海抜シール」として高知県と徳島県の国道に表示しているものです。
「海抜しーる」 とは http://www.asahi.com/special/10005/TKY201205280645.html
特に高知市街地、徳島市街地を走行する場合は、「海抜5メートル」を常に意識することが大事です。地震学者によれば「1分間以上の長い揺れ(強弱に関係なく)が続けば、それは南海地震です。すぐに高台に避難してください。津波が来ます。」ということです。
高知市街地は、昔の地名が「河内(こうち・高知)と言われるように河川や海に囲まれた市街地形成をしています。どこもかしこも海抜5メートル以下なので、車での高台避難は高知市でもすぐそこに山がある地域(五台山や筆山)ならともかく無理です。
車を放棄し、もよりの鉄筋コンクリートのビルに駆け込んでください。車では浸水被害から高知市市街地では逃げきれませんから。
「5メートル」の意味ですが、地震関係者に聞いたところ「高知市街地は南海地震で最大2メートル地盤が沈下する。そして3メートル程度の津波がやってくる。」ということろから来ています。
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結果は、1-2の敗北。実に情けない試合でした。
エースが香川であるとおだてられていましたが、香川は所詮は、ルーニーやファンベルシーという屈強なFWがおればこそ。日本には本田の不在が大きいですね。
試合は日本の優勢ぎみに進んではいましたが、[サッカーには優勢勝ちはない。ゴールを決めるかどうかである。」という原理原則が日本の選手はわかっていない。
課題のセットプレーからの失点。カナダ戦の教訓が生かされれていない。また2点目のカウンターからの失点が痛い。完全に失策。
最初からFWにハーフナー・マイク、MFは清武ではなく中村憲吾にすべきでしょうね。監督の選手起用のミスでしょうね。綺麗ごとのサッカーではアジア相手でも通用しません。
ザック監督のミスですね。まったく情けない試合でした。気分が悪い。最悪ですね。
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高知市の市街地の標高マップが、高知市役所のホームページで公開されています。うちの事務所と自宅の前の道路は海抜0・6メートルです。二葉町は全域が海抜2メートル以下であることが理解できます。
高知市標高マップ http://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/12/hyoukou-map.html
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「ニュース・キャスター」(筑紫哲也・著・2002年刊)を読みました。筑紫氏は2008年に逝去されました。それから6年が経過しました。最近BSでなぜか追悼番組があっりして、それもあり読んでみました。
読んだ感想は筑紫氏は元新聞記者だけあって、読めるきちんとした文章が書ける人であることが改めて感心しました。
元々は朝日新聞記者として報道一筋でやってこられた人。沖縄やワシントンへの駐在歴もあります。系列の朝日ジャーナルという雑誌の編集長もされています。系列放送局のテレビ朝日ではなく、TBSで「筑紫哲也ニュース23」を1989年から始められました。
新聞雑誌という活字メディアとテレビという映像メディアの両方を体験された筑紫哲也氏。著作の中で以下の記述は筑紫氏らしい。
「アメリカのテレビ業界用語に”サウンド・バイト”(sound bite)というのがある。ごく短い音声として使いやすい素材のこと。日本流にいえば「寸鉄人を刺す」というのはよいサウンド・バイトということになる。
取材する側もされる側も、それをどうやって取るか提供できるのかを競っている。限られた秒数の下で視聴者を引き付けようと努めれば当然の流れで、日本にはそれに相当する業界用語はないがテレビ報道の生理に変わりはない。
そういう中で、一般人(視聴者)になじみのない言語)で、しかも長々と話す政治家はテレビにとっては最悪である。が、この国ではそういう言い方が普通なのだ。
「2人」はその点でも異質に突出している。」(P71(テレビは小泉首相を作ったか)
筑紫氏が「2人」と言っているのは、小泉純一郎氏と田中真紀子氏であるますね。2人とも短い言葉で表現するのがうまいし、テレビ受けをする言葉を連発しましたね。
「抵抗勢力」(小泉)とか「凡人・軍人・変人」(田中)とか,流行語になるような言葉を吐けるのも一種の才能であるかもしれない。
うちの母も政治家の言葉よりも、顔つきや服装を主に見ていて論評する。政治家の発言には興味がない。「人は見かけが9割」を実行し、テレビ受けをする言葉を連発して小泉純一郎氏は異例の「長期政権」を担いました。だがその結果はどうだったんでしょうか?
NHK出身の池上彰氏も最近は良く民放局やBS局で見かけます。確かにテレビ局育ちですので話はうまいし、間の取り方も心得ています。だが著作は面白くはない。独自性というのもがないのです。
その点筑紫氏には「こだわり」がありましたから、軸がありました。沖縄に対する想いもあり、阪神大震災に対する想いもありました。
「マスメディア、なかでもテレビは「飽きっぽい」とよく言われる。一時は集中豪雨的にこれでもかと、いうくらいにひとつのニュースを伝えるが、それが終わるとぴたりと何も報じない。
よほどの大事件でも、振り返るのはせいぜい3年、よくて5年。それも現地の局唐の9レポートか、こちらから1人キャスターがレポーターが出かけて取材したものを東京のスタジオで受け止める、という形が多い。」(P191「神戸震災報道」)
罹災地でもないのに、2011年からなぜ高知市二葉町が注目されたのか?なぜテレビ局や新聞各紙の取材が来たのか?じっくり考えてみました。それは各報道記者が、2011年以降に東日本大震災の罹災地へ入り、取材しているからです。
それゆえ南海トラフ巨大地震が発生したら、地域で生存することが極めて困難な地域に住んでいる住民であるからでしょう。筑紫氏が書かれているように注目される時期はわずかですから。
メディアの「体質」や「性質」を理解したうえで、そのパワーを活用し、なんとか「想定死者」にカウントされている高知市二葉町の住民を1人でも救いたいし、自分たちも助かりたい一心です。
筑紫哲也氏が逝去されて6年目。亡くなられた翌年に総選挙で政権交代が実現。民主党政権が誕生しました。2年目の3月11日に東日本大震災が起きました。そして昨年民主党は総選挙で大敗。自民党が政権復帰し安部晋三氏が首相に再登板しました。この状況を筑紫氏であったらどうコメントするのか。
デフレ脱却だ、安倍ノミクスだとか「政府首相を持ち上げる」報道ばかしが目立ちますね。筑紫氏の不在はさびしい限りです。
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今日は快晴ですね。近場の堀川の桜も満開。朝に父を連れて植田医院へ行っている時に、芝藤敏彦さんから電話がありました。「今日は堀川で和船に乗っています。午後2時ころまでいますので、来れるようなら来てください。」とのお誘いがありました。
12時5分に介護予防リハビリ通所施設のジョイ・リハの送迎車が来ます。両親を見送りして、自転車で救命胴衣を持参し堀川へ駆けつけました。
堀川の桜は満開。快晴ですので絶景です。両岸に植えられた桜は満開、強い風でもう散り始めています。魯漕ぎの和船で芝藤さんが呼んでいました。早速乗船させていただきました。
和船は芝藤さん(造船工学出身)で設計。天狗21というのが船名。0・2トンとか。継ぎ目はエポキシ系接着剤とコーキングをしているとか。
山崎君は中学生。芝藤さんは弟子だと言います。芝藤さんも、山崎君も巧みに櫓をこいで和船は進んでいます。
とにかく堀川水面から見る桜のトンネルは最高ですね。両岸ではお昼時なので、お弁当を広げている人たちや、お花見でもりあがっています。
絶景ですね。今年は「お花見遊覧船」も運行しないようなので、上天気で良い景色でお花見をさせていただsきました。
芝藤さん、山崎君ありがとうございました。
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昨日の日曜日、父の引率でいつものゴルフ練習場へ行きました。
父(93歳)の当面の関心ごとは、ゴルフの練習で球を遠くへ飛ばすことです。自宅近くの堀川付近では例年より早く桜が満開ですが、「花よりゴルフ打ち放し」なんですね。
いつも行くゴルフ練習場は県道北部環状線の北側にあります。途中宅地造成の看板を見かけました。いまどき人口の減少している高知県で宅地造成なんぞありえない。きっと墓地か、ペット霊園でもこしらえているのかと思いきや「高台宅地の分譲」という看板がありました。
低地(海抜0メートル地帯に住む私たちにすれば、高嶺の花のお話。きっとお金持ちの人たちが購入することでしょうね。
花曇りでしたが、寒くもなく父は快調にゴルフボールを打っていました。今日は木のクラブがうまく打てたと喜んでいました。健康で自分の好きな趣味ができることはいいことであると思います。
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3月24日は家内と2人で香南市野市ふれあいセンターでの映画「鎌仲ひとみ監督作品 内部被ばくを生き抜く」(香南市教育委員会主催)を鑑賞に行きました。会場は100人ほど来場者がいました。何人かの知り合いに会いました。
福島の普通の人たちが映画には登場します。300年の歴史があるお寺の住職。その奥様と4人の子供たち。福島原発事故から2年が経過していますが、いまだに福島原発に「ふた」がされているわけではないので、毎日日にち大量の放射性物質が大気中や水中、海中に放出されています。
映画では外部被ばくより、内部被ばくの怖さ、脅威を描いています。国が定めた福島第1原発避難想定区域外の福島市では、放射線量が異常に高い「ホットスポット」と言われる箇所がたくさんあります。
放射性物質が大気中を漂い落下したもの。土壌に落ちた場合植物に吸収され、食物として食べて内部被ばくする。空気を吸い込んで内部被ばくする。飲料水として飲んだ水から内部被ばくすることもありました。
画面へ登場したある家族では、「子供にクラブ活動はやってもらいたい。でも内部被ばくしたようで、検尿からセシウムが検出され悔やんでいます。辞めろとは言えない。でも汚染は心配です。」
「わたしは実家が福岡だから退避は可能です。でも福島の人間関係や地域のつながりも全部捨てないといけません。仕事もです。残って放射能の脅威にさらされて生きるのか。多くのものを捨て去って地域を去るのか。そういう2者択一ではない生き方ができないのか。」との言葉に胸が詰まりました。
映画では4人の医師が登場します。広島で被爆した肥田舜太郎医師(94歳)。「放射能被害のデータも何もない状態で治療にあたって来ました。GHQは情報を公開しない。被ばく者と67年間寄り沿いながら被爆者援護法を勝ちとりました。内部ひばくの研究には終わりがありません。
鎌田寛諏訪中央病院院長は、「イラクへの戦争中に米軍が使用した劣化ウラン弾による被ばく治療のために医薬品の支援や、医療チームの派遣をしてきました。3・11以降は福島の支援もしています。」と述べられました。
児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長は、ボランティアで福島へ入り現地調査を克明に行われています。「政府は1戸当たり70万円しか除染費用を出そうとしません。到底その費用では除染はできません。1戸当たり500万円から1000万円はかかります。」と言われていました。
チェルノブイリで臨床医をされているスモル・バレンチア氏は「子供たちにおは長期の経過観察が必要です。そして適切な医療と社会のサポートが必要です。」と言われていました。
映画上映画後の休憩タイムに、「内部被爆の脅威ー原爆から劣化ウラン弾まで」(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ・共著・2005年・筑摩書房)を購入しました。
鎌仲ひとみ監督のトークが始まりました。スクリーンを使用して福島第1原子力発電所の被害がいかに甚大なのか。しかもいまだに大量の放射性物質を放出し続けている。日本人すべてが「内部被ばくする恐れがあります。
「わずかな量の放射性物質を体内に取り込むと、長時間にわたって体の内部から放射線を浴びることになります。恒常的に被ばくすることで遺伝子が傷つけられ、ガン等を誘発します。今まで内部被ばくの研究は少なく、最近その実態が明らかになりつつあります。」
「チェルノブイリでは、年間被ばく量は1ミリシーベルト以下にされています。1ミリシーベルトを超える地域の住む住民には除染費用は国が負担します。移転する場合も費用は国が持ちます。」
「日本の場合は20ミリシーベルトまで大丈夫と言われています。多数の国民が毎日被ばくしています。こんな国はありません。避難退避地区外にも放射性量が異常に高い地域がたくさんあるにも代わらず除染もされず放置されています。」
「福島原発からは1000万ベクレルの放射性物質が放出されています。また土壌汚染の地域は広範囲に広がり、海洋にも大量の放射性物質が放出され続けています。」
「日本では被爆を理解する壁がありました。それは日本は広島・長崎で唯一の被爆国と言われてきましたが、一切被ばくのことを教育現場で教えて来ませんでした。医大の学生も習わないと聞きました。
また占領軍の言論統制があり、原爆被害の隠匿が5年間行われてきました。原爆投下後何の治療もせず被爆者の口封じをしたがために、5年の間に多数の被爆者が治療を受けずに亡くなりました。亡くなった被爆者は米軍により研究材料に使われました。5年後に生き残った被爆者を研究してデータはつくられました。
また一貫して被ばくの過小評価が行われ、同時に原子力発電所の推進も行われたのです。」
「福島でも被ばくの過小評価とミスリードが行われました。ある御用学者が100ミリシーベルトまで大丈夫だと発言し多くの子供たちが被ばくしました。子供や胎児は大人の何倍も被ばくの影響が出てきます。
福島の子供たち8万9千人を調査¥したとこと10人の甲状腺がんが見つかりました。この比率は国際基準値の100倍です。」
「国の方針はこうした事実があるにもかかわらず昨年の総選挙で登場した安倍政権は原発推進になりました。日本人全員が内部被ばくすル可能性があるのにです。
でも映画にある出てきた福島の民間病院は、行政から何の支援も受けずに5000万円かけて微量の放射性物質を測定する装置を購入し。福島の子供たちを無料で測定しています。また母親たちのネットワークで、放射能汚染されていない安全な野菜や食品が全国各地から送られ、映画で出てきたお寺の幼稚園で無償で配られています。
内部被ばくは年間2回の2週間の静養生活と、放射能のない食物を食べ続けると体外へ取り込んだ放射性物質は排出されます。どうかみなさん福島の子供たちを受け入れ,静養させていただけませんか。」と訴えられました。
鎌仲監督ともじっくりとお話したかったんですが、うちには超高齢の両親がいますので、早めに戻らないといけないので、サイン会を横目に見ながら退出しました。考えさせられました。「映画「六ヶ所村ラブソディ」の映画会の案内もありました。
香南市の教育委員会の皆様ありがとうございました。良い企画でした。
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うちの家族は父(93歳)は脳血管障害の後遺症で「失語症」になっています。母(87歳)は軽度の認知症。言葉が不自由であることと、認識が少しずれていることで、時折「激突」するようです。
先日も父が使用しているスプーンに餅がついていて洗う時に困るから気を付けてほしいと、母がくどく注意をしたので父が激怒。大声でわめきたてるが、言葉がうまく出なくて議論にならない。母も激怒しおさまらない事態に。
結局間に入っておさめたが、どちらが悪いというわけでもない。時折激突はあります。
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夜須の海は爽快でした
昨晩は所属している塗料組合青年部主催のボーリング大会へ参加。成績は散々で33人中25位という体たらく。ストライクの確率は24%あるのに、スペアを獲得する確率は19%(2割以下)これではスコアメイクできるはずはない。
それで戻って夕飯を食べ、すぐに就寝。サッカー日本代表のテストマッチである「日本VSカナダ戦」を午前1時起床し、3時までTV観戦。すぐに就寝し午前6時起きで朝食を食べて夜須へ来ました。
天気図も雨上がりですが強風の予想ではないのでいそいそと夜須へ出かけました。今日はジュニア・ヨットクラブは静岡県浜名湖への遠征へ出かけています。高知大学ヨット部も姿が見えません。わたし1人の「プライベート・ハーバー」でした。
陸は春めいていても海の上は寒いです。海水温も低いし、風も冷たいからドライスーツに帽子を着用しています。
慎重にぎ装して、海へ出ました。予想どうり風波がありました。午前中はもやっていました。風がそれほど吹かなかったのでセーリング中の写真もあります。
海から見ても月見山の桜も咲いていました。今年は桜の開花が早いように思いますね。
お昼に上がりヤッシー・パークのホールを見学。ひな人形や作品が展示されていました。うちのひな人形も1度出しただけ。家が狭いので家族が寝れなくなりますので。
午後からもセーリングしました。お天気が良くなりましたが、風向きが北西から南に変わったので、風波が起こり乗りにくいこと。ヤッシーの中でセーリングしました。あそこは波がありませんから。
ミニホッパーを福留さんが売りたいとの事です。一式で3万円ほど。トレーラーもついています。香南市の人には2万円ほどで売りたいとか。取りに来ていただく人に限るとか。できることなら海の駅クラブに入会していただきたいですね。
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26日のヨルダンに勝てば、5大会連続のW杯出場が決まる日本。アウエーでのヨルダン戦を見据えたテストマッチのカナダ戦でした。結果は岡崎とハーフナー・マイクの得点で、2-1と辛勝しました。
やはり本田と長友、今野の不在は大きかった。前半はトップに前田、岡崎、香川の布陣でしたが、ボールが前線に収まらず、日本らしい繋ぐサッカーができない。前半9分位に相手のミスから岡崎が先制ゴール。
後半は駒野、中村憲、ハーフナーを投入したものの、相変わらず出足が悪く、セカンドボールをことごとくカナダに拾われる。そして後半13分コーナーキックから同点ゴールを許してしまう。
中村憲が入ってから、香川と的になるハーフナーの動きがよくなり、相手ゴール詰めるものの、決定機を外す連続。逆にゴール前に押し込まれる場面もありました。
29分位にハーフナーが蹴りこんで2-1となり、そのまま逃げ切りました。
球際の厳しさや、出足は若手主体のカナダが上回り、攻守のミスで辛勝した試合でした。
アウエーのヨルダンは要注意。ピッチも悪いし、ホームだからモチベーションが違う。審判の「中東の笛」も心配。
オーストラリアが1-2で敗れています。決定機を逃さず、セカンドボールも拾い、組織で守らないと危ないと思いますね。
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年に一度の塗料組合青年部主催のボーリング大会。今まではずっと高知市廿代町のボウル・ジャンボで開催してきましたが、昨年12月に惜しまれつつ閉店しました。それで宝永町のラウンド・ワン高知店で開催しました。
9社33人が参加しました。女性参加者は20のハンディがあります。ラウンドワンでのボーリングは初めてです。なんせすべてがせせこましく、全体がゲームセンターの乗りでボーリング場があるような感じ。なんだか落ち着かない雰囲気でした。
それで始まりました。なんせボーリングをするのは、去年の組合の大会以来1年ぶり。しかも会場が変わったので慣れません。1ゲーム目は、3つのガ-ター、2つのストライク、スペアが1つで、103というスコアでした。
2ゲーム目はガーターがなく少し慣れました。ストライクが3回、スペアを3回とりましたが、連続せず、スコアは伸び悩み133。成績は33人中の25位でした。
息子は9位でした。私として悔やまれるのは2ゲーム目の5投から7投でスペアがとれなかったことですね。8・9・10と追い込んでいただけに残念でした。まあ練習もしない横着ものですから、こんなものでしょう。
大手というかボーリングでありながら、ボーリングではない感じでした。なんかここの経営者は勘違いをしているように思いました。大会準備の関係者の皆様お疲れ様でした。
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この2週間用事が重なり、はりまや橋サロンへの母(87歳)送迎は息子に行きがけだけは頼んでいました。今日は久しぶりに私が送迎することになりました。しかしは母は出発時から「腰が痛いので行きたくない。」と泣き言を。なだめすかして連れて行きました。
なんとか買い物をするようになると痛みを忘れます。おやつも買いました。
今日のはりまや橋商店街金曜市は春めいてきましたので、人が増えてきました。
活き活き100歳体操(介護予防体操)は6人の高齢者が参加しました。皆さん頑張って来ています。寒い冬も乗り越えてきましたから。今年も健康で頑張りましょう。
占い(人生相談)をやっている島本茂男さんが「現代語訳 土佐物語 四国の勇士の戦国器記」(中島重勝・著・南の風社刊)を出版されました。
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神戸市長田区在住の建築設計士の曺 弘利(チョ・ホンり)さん。絵心があります。南海地震が起きれば地盤が沈下し、ただちに浸水する高知市下知地域。長期浸水も覚悟しないといけない地域です。
多くの罹災者を安全に助けることができる住民発意の浮力体です。青柳公園や小学校、児童公園などの埋め込んでおけば、メンテナンス・フリーで対応できます。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ac32.html
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3月20日(水曜日)は、午後1時下知コミュニティ・センター集合で、「下知減災まち歩き」が開催されました。高知大学特任教授の岡村眞さんが、下知地域を歩きながら危険個所の指摘や地域の事情を調査されました。雨が心配されましたが、雨の中なんとか実施できました。下知減災連絡会の最初の地域事業だけにやれやれです。
当日は午後12時過ぎに下知コミュニティ・センターへ行きました。屋上に設置してある災害時LPガス・ユニットで、参加者にお茶を沸かして、まち歩き終了後に飲んでいただくために、二葉町自主防災会倉庫からやかんと紙コップとお茶を持っていきました。
4階の貯水タンク(2000L貯水)から、飲料水をやかんに汲みました。
そして屋上のLPガス災害用ユニットでお茶を沸かします。休日にもかかわらずツバメガスさんが来ていただきました。
参加者は予想を上回る70人以上来ていました。雨の予想でしたし、資料は50部しか用意しませんでしたが、下知減災連絡会としては嬉しい悲鳴です。報道各社も取材に来ていただきました。高知市街地(中心部の)自主防災会連合の防災まち歩きも珍しいことなので、取材に来ていただいたと思います。
最初に3階の会議室で岡村眞特任教授が説明をされました。新想定の南海地震の震度分布図や津波の高さ予想。今回歩く高知市下知南部地域の標高図と地質図を岡村先生は持参いただきました。
簡単な説明後、「現場へ行きましょう」ということになりました。
ただちに下知コミュニティ・センター前から出発し、二葉町―若松町―青柳町の順にまち歩きをして、歩行者の目線で地域を観察していただきました。
まず岡村教授が指摘したのは、電柱の電線が多い町であること。地震で電柱は間違いなく倒壊します。複雑な電線が道路に散乱して避難を妨げる可能性があります。
二葉町歩道橋の上でもご指摘されていました。鏡川大橋の上は標高が高いし、スロープがあるので、安全で安心。ただし車での避難はできないでしょう。
ブロック塀も1メートル以下にするようにすべきであるとご指摘されました。
若松町の高潮堤防。これも耐震補強も何もしていないので、強い揺れで倒れ、ただちに海水が下知地域に流入してきます。そう想定してくださいと岡村教授は言いました。
この建物は地盤の沈下によるものなのか不明ですがすでに傾いています。
通称海岸通りと言われる県道は標高が1・3メートル以上」あります。下知地域では標高が高い地域です。でもその道路から下り坂があり市街地が下知地域は形成されているにです。
若松町も二葉町同様には標高が低い。堤防下の若松公園は標高ー0・3Mと表示されています。この地域に指定避難場所は昭和小学校です。看板にありますが、低地を行かないといけないので南海地震時にはたどり着けません。
こちらの事務所棟は新しく耐震補強されているようです。
耐震護岸の上で説明を聞きました。
最後尾を歩いていましたので、岡村先生のお話は断片的にしか聞いてはいませんが、まち歩きのなかで言われた言葉を書き出します。
「下知地域は南海地震の最中に地盤が沈下し、浸水が始まる可能性が高いと思います。自宅が3階建て以上であるならば、そこに留まる選択肢もあります。」
「地震の揺れが1分以上なら南海地震です。ただちに高いビルなどに避難してください。」
「下知地域では自動車での避難は危険です。それよりもよりの高いビルへ避難して下さい。ビルはまず倒壊することはありません。」
「東北でも若者たちが地震の後道路を暴走し、何人もの人をはねています。かれらは今日のような防災講習会へ来ませんから。車には避難時も気を付けてください。」
「車で避難すると、車は閉じられた空間で安心感があるのか津波が迫ってきても誰も車から出て避難しようとしません。多くの人たちは車ごと流され命を落としました。」
「学校へは絶対に地震の後迎えにいかないで下さい。学校での子供たちの安全は先生に任せましょう。東北でも迎えに行った親や祖父母は多くは亡くなりました。下知地域は絶対に迎えにいかないようにしましょう。」
「津波は高知市のこのあたりの場合は、浦戸湾では孕あたりで湾幅が400メートルと狭いので15メートル高の津波がブロックされ、下知あたりは波高が3メートル程度になります。でも地盤沈下で2めートルですので、3階建て以上の建物にすぐに避難してください。」
「津波が高知で1番高くなるのは地震発生後8時間後です。津波が引いたと思って自宅へ帰らないでください。最低24時間は津波避難ビルで退避を続けてください。東北でも時お宅へ戻られて人はほとんど亡くなられました。」
出発して2時間半後の3時半に、下知コミュニティ・センターへ戻って来て、暖かいお茶を飲みながら参加者で懇談会を少ししました。
岡村先生は「LPガス災害時ユニットで暖かいお茶が飲めるのは癒されます。寒い思いをした後は、暖かい飲み物がどれほど人々に安心感を与え、落ち着きを与えるかわかりますね。
今日は家の中からの安全な避難をすっとかばして、まち歩きをしました。次回の4月14日はその当たりも詳しくやります。動画も見ていただきます。」
「下知減災まち歩き」をされて、それをもとに、4月14日(日曜日)午後2時から下知コミュニティ・センターで岡村眞氏が「南海地震から下知地域で生き残るために」という表題で開館記念講演をされます。
予想以上の参加者に感謝です。施設を休日にもかかわらず使用させていただいた高知市役所地域コミュニティ推進課の山脇係長と伊藤氏、まち歩きにご参加いただいて地域防災推進課の青木氏に感謝です。
屋上でLPガスユニットを稼働いただき、暖かいお茶を提供いただきましたツバメガスの小吉課長ほかの皆さんに感謝です。
またテレビ局や新聞社の皆さんも取材ありがとうございました。下知地域の危機的な状況んも伝達をお願いします。
何より長時間雨の中ハンドマイクも持ちながら解説いただきました岡村眞高知大学特任教授には感謝感激です。
しかしながら雨はまち歩きの時間中は降り、終わって片付けが済んだ頃お日様が顔をだしました。やはり下知減災連絡者の関係者の日頃の行いが悪いのでしょう。
「下知減災まち歩き」をされて、それをもとに、4月14日(日曜日)午後2時から下知コミュニティ・センターで岡村眞氏が「南海地震から下知地域で生き残るために」という表題で開館記念講演をされます。
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TPPに対してJAは反対であるといいます。「農産物を守れ」と叫んでいます。TPPについては、いまだにいいのか悪いのかわかりません。
東北3県の農家の人たちは、大震災から2年を経過しても農業に復帰できない人が多いことであると思います。放射能の問題が事態をより深刻にしています。
そうであるならば、東北の農家の人たちの移住を西日本各地のJAはすべきではないのか。まったく同じ条件でなくても農業技術は継承されるので、双方にとっていいことであると思います。その橋渡しをJAがやれば可能であると思います。
わたしの情報網ではそのような話は聞こえwてきません。ですのでJAは公益性があるのか思ってしまいます。
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しばらくお休みしていました高知市二葉町の焼き肉店イトエ。完全復活しました。明日(3月20日)から開店します。ご近所なのでイトエさんに取材してみました。
私「どんなお病気だったんですか?随分長くお休みされていましたのですが。」
イトエさん「くも膜下出血と、脳に水かたまる病気になっていました。11か月間入院していました。そして復活しましたよ。幸い手足にもおしゃべりするのも麻痺はなく支障がないですよ。」
私「よくぞ復活されましたね。」
イトエさん「みんな駄目やろう。命がないろうと思っていたようですね。でも運よく復活することができました。みんなのおかげであると思っております。」
私「前よりなんだか綺麗になりましたね。改造してますね。座敷席も板の間が広くなっちゅうし。」
イトエさん「11月も休んで開店するきに少しは綺麗にした。もともと耐震診断もして耐震補強で改造やるつもちやったんですが、私が倒れて長いこと入院しとったきに、お店の改造や片づけなどは普通の大工さんにしてもしていただきました。
私「まことに綺麗になっちゅう。店の中も綺麗になってような気がしますね。」
イトエさん「ビールサーバーも置きました。焼酎のサーバーも置きました。中古やけんど冷蔵庫も置いてあるきに。」
私「値段は変わっちゃあせんのですか?」
私「営業時間はどうなっていますか?」
イトエさん「一応午後4時半ごろから初めて午後は11時ころまでまでやね。治ったとはいうてもあんまり無理できないし。明日から開店やいうことを大々的に言うちゃあせん。
ぼつぼつと切れ目なく来店していただくのがうれしいきに。」
「わたしも78歳になったがよ。高知は生活保護を貰う人たちが本当に多い。けんどわたしは人と話をするのが好きやから商売をしたいがよ。入院して1日なんにもせんことは本当に辛かった。復帰できて本当に良かったと思う。」
私「イトエさんは不死身ですね。
イトエさん「みなにそういわれる。元気になったきに顔を見に来てくださいね。」とのこと。
イトエさんと話していると運送屋さんがやってきて「塩たれ」を置いて行きました。
ぼちぼちと焼き肉イトエは明日の午後4時半ころから復活します。道路を隔てたところに駐車場は4台かまえてあるそうです。
「しばらくお休みします」の張り紙は昨日剥がしたそうです。
イトエさんはフェイスブックもツイッターもされませんが、地域の情報はとにかく「地獄耳」接客時の多様なお客さんとの対話の中からつかんでいます。復活はなによりです。
イトエファンの皆様ぼちぼちと来店されてください。
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昨日(3月17日)から、各スポーツで日本人選手が惜敗するようになっているらしい。
フィギア・スケートデでは浅田真央選手が優勝できませんでした。
17日の高知県の土佐CCでの女子プロのヨコハマタイヤブロギアでは、森田理香子選手が1打差でプレイオフに進出できませんでした。
アメリカ女子ゴルフでは、ずっとリードしていた宮里藍選手が、最後の最後でが逆転され、優勝を逃しました。
そしてWBCでは、日本はプエルトルコに1-3で敗れましたね。
今日はパソコン画面を朝から一切も見ることなく。小分け作業をしていました。それでパソコンテレビで、WBCをちらちら見ながら作業をしていました。
リリーフで出てきた阪神の左腕能美投手が2ランを打たれ、チャンスで巨人の阿部選手が打てませんでしたね。まあそんな日もあるでしょう。
サッカーのW杯アジア最終予選アウエーでのヨルダン戦が26日にあります。こちらはきちんと勝って、2014年ブラジル大会への出場を確定していただきたいものです。負けたらいかんです。
小分け作業と箱詰め作業は気分転換にはなりますね。
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2013年3月14日に珍しく採用された私の高知新聞「声・ひろば」欄への投稿。意外な反響がありました。
複数「居眠りしていた県議数名とは誰なのか?」との問い合わせ。また「胸がすっきりした。そのとうりだ!」という賛同の電話やメールも多数ありました。今更ながらにローカルでは占有率の高い高知新聞の伝播力には驚くばかりです。
県議会の傍聴は久しぶりでしたが、質問している議員と答弁している知事や担当部局の議論は聞きごたえがあり、真摯なものでした。ただ他の議員が退屈そうにメモも取らず、ただ座っています。落ち着きがない議員も複数いました。「学級崩壊」でもあるまいし、県民の代表ですからね。
またこういう人もいました。
「歴史は夜作られる。本当のところはどこかの飲食店で打ち合わせされていることが政治の本質。県議会の表舞台は、儀式に過ぎない。途中退席を繰り返していた議員たちは、本筋の政治活動でご多忙なのでは。」とか。
それも本当であろうとは思いますが、県議会議員はボランティアでしているのではない。かなり高額の議員報酬を支給されているはずです。出会え鵜ならば、審議は真剣にしないといけない。眠そうな議員が複数おれば、適度に休憩をとり、進行をスムーズにすることが県議会議長のお役目でしょう。
壇上から見ておればどの議員が議会開会中に居眠りされているのかわかるはず。ちゃんと注意をすべきでしょう。かなり高額の県議会議長報酬ももらっているはずですから。ちゃんとやるべきことをやっていただきたいのです。
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皆さんにTBSの番組「夢の扉」を宣伝までしましたが、見た感想は「期待外れ」でした。あれは「スーパーコンピューター京」の宣伝番組にすぎませんでした。その他大勢で出演した海抜0メートル地域の高知市に居住する住民としては「なんだ」という番組でした。
やはり民放局の番組制作力の限界でしょうね。小田和正の音楽も耳障りだし。番組スポンサーのdocomoのおちゃらけCMも興ざめにする効果はありましたね。
「中央の指令室から見た高知市」「かわいそうな高知の低地市民」という番組でした。
民主党政権時代には「事業仕分けの対象」になっていたスーパーコンピューター京。こんなに役立ってんですよ。という思惑が見えています。それが低地の市民の命を救えるのでしょうかね?まだまだ時間がかかるような気がします。
「夢の扉」にはがっかりでしたが、3月20日は、午後1時集合で、下知コミュニティ・センターを起点に岡村眞高知大学特任教授とともに「防災まち歩き」があります。下知減災連絡会の主催です。
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今日の午前中父(93歳)はゴルフの練習に行きました。15日には土佐C・Cの女子ゴルフ選手権を観戦に行きました。急な登り坂をものともせずに登り、きっちり観戦しましたから。
特に疲れも見せず活き活きと球を打っていました。やはり健康がなによりであると思います。
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3月15日は、父の付添で仕事を休んでプロギア観戦に行きました。父が元気になって嬉しかったです。さて戻ると仕事がたまっていて処理をしていますと総会の時間に遅れました。
下知コミュニティ・センター運営委員会の臨時総会です。一応防災部会長なので執行部席に座らされました。
議題は11日の運営委員会役員会で承認されました「平成24年度の事業計画案・収支予算案」「畝委員会規約の一部改訂」「運営委員会雇用職員の紹介」「開会記念式典の内容について」でした。
さしたる異論もなく承認されました。
臨時総会終了後、2階にある新図書館を訪ねました。開館に向けた準備中でした。
特筆すべきは「免震書棚」の導入でしょう。大きな揺れでも本がぎっしり詰まった書棚は倒れないとのことです。
それと温かみのある木の椅子。全体的に書棚の間の通路が広い。車椅子が通れる幅だそうです。
新下知図書館は、4月6日に開館予定です。楽しみです。
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3月も半ばを過ぎますと、外気温は春ですね。しかし海水温は一段と冷たい。ですのでセーリングはドライスーツでないと年寄りはいけないんですね。
昨日は父の付添でヨコハマタイヤ・プロギア・レディスを観戦。連日夜須へ来ました。今日はいつものハーバーへ9時前に到着しました。上天気でした。
移動性高気圧が2つ横並びで日本へ張り出しているので温厚なお天気でした。これなら弱虫で強風になればすぐにリタイヤする年寄りヨットマンでもセーリングできるお天気です。
でも海水温は冷たい。陸は春本番ですが、海の上は風も冷たい。ドライスーツを着込んで真冬仕様です。
今日の夜須の海は波がなく最高でした。波がないので微風でもヨットはすいすい帆走しますから。
ジュニア・ヨットクラブも練習をしていました。今日はスタート練習や、模擬レースも井土コーチの指導の下やっていました。
お昼はお訪でお結びと卵焼きを購入しました。
ヤッシー・パークには、土佐カントリークラブ行の観戦者用のシャトルバスが停車していました。今日のゴルフ観戦も気持ちが良いとは思います。2日目は韓国のリ・エスド選手がトップだそうです。父(93歳)がファンの横峰さくら選手は32位だそうです。
ランチはハーバーのベランダで食べました。
昼からもセーリングをして堪能しました。
午後もセーリングしました。
ほどなくジュニア。ヨットクラブも着艇して片付けをしています。
風は南風。でも海は冷たい。春と冬が同居していた夜須の海でした。癒されました。
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300メートル四方の町内からしか物事を見ることのできない市井の市民の感想にすぎません。今朝の新聞記事1面を見て驚きました。安倍首相は息せき切って「TPPへの参加」を表明しています。これって「公約違反」ではないのでしょうか?
民主党は「4年間は増税はしません」と言って2009年の総選挙で国民の支持を得て政権を取りました。相次ぐ公約違反が露呈し、最後は野田増税内閣のやぶれかぶれ解散で自爆してしましました。
TPPに関しては多数の自民党議員が「命をかけて反対する」とか言っていました。2012年の衆議院選挙の当選記者会見でも聞きました。どうなっているんでしょう。今のところ自民党から脱党してTPPに反対する議員はいないようですが・・。
現在話題の野球のWBC.ルールも運営もアメリカ野球業界が牛耳っている。日本のスポンサーの広告料もほとんど吸い上げられるようです。日本プロ野球選手会がしつこく参加に反対していましたね。
アメリカが出場する試合にアメリカの審判が審判していましたから。ゲームはゲームをこしらえた胴元が勝のは当たり前。ゲーマーは胴元には勝てませんから。
政府内でも国会審議でも徹底して審議したようにも思えない。幕末期に当時の政府が諸外国に不平等条約を押し付けられ開国させられた歴史的史実とダブって見えます。
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2013年3月15日は、会社を休んで、父(93歳)が大好きなゴルフ観戦に引率して行きました。ヨコハマタイヤゴルフ・トーナメントPRGR LADIES CUPです。日本女子プロゴルフトーナメントとしては、今シーズン2回目の大会です。
場所は香南市夜須の土佐カントリークラブ。下の海は私のホームグランドですが、私はゴルフはしないので、こちらへ来るのは父のゴルフ観戦のお供で来るだけです。
朝は父は6時に起床し、朝食を食べていろいろと用事をすませると7時になりました。7時過ぎに自宅を出ました。
とにかく大荷物です。父の着替え一式と、経口補水液OS-1を3本。タオルと防寒用の衣類。携帯椅子に双眼鏡。杖もです。家内がこしらえてくれたお弁当をリックに詰め込みました。
ヤッシー・パークへ到着したのは8時前。1組が8時スタートなので間に合いません。シャトルバスが土佐カントリークラブへ到着したのは8時15分過ぎでした。
ここからが大変です。すぐに急な登り坂です。健常者なら何でもない運動になるなという坂道。父の最初の関門です。
驚いたことに歩行速度ほど遅いものの、ゆっくりゆっくりと歩きます。疲れたようにも思えません。中ほどで無理やり休憩を取りました。本人は大丈夫と言います。たった1度の休息で坂道を登り切りました。(ゴルフコースは写真撮影が禁止ですので画像はありません。)
驚きましたよ。2年前は6回休まないと登れませんでした。昨年は雨でしたが、2回休みました。今年は1回です。ジョイリハのトレーニングと、毎日の散歩で足腰が強くなっているんですね。感動しました。とても嬉しかったです。
1番ティのところは椅子席はすでに満席。横の通路が空いていたので、そこへ父には携帯椅子を持ち込んで座って観戦。私はその後ろで大きなリックを背負っての観戦でした。
横峰さくら選手が打ち終わるまで1時間その姿勢で立っていました。でも女子プロゴルフ選手は皆お洒落でした。個性的なウエアで登場していただいたので、ゴルフの趣味のないおじさんも退屈しませんでした。
スレンダーな体型の選手や、がっちり型の選手。短パン・半袖の選手もいました。横峰選手が打ち終わってから、トイレ休憩し、9番ホールでパッテイングを見ていました。お昼になりましたので、ギャラリー昼場がありましたので、そちらで父と弁当を食べました。
しばらく休んでから18番ホールの観客席へ座ってプレーを見ていました。朝は寒かったですが、昼過ぎからは暑いぐらいでした。ほどほど見て父は満足したので帰ることにしました。
すたすたと歩きました。歩行スピードこそ遅いものの坂道も平気でした。下りの坂道は一度も休まずに歩きました。
本当に父が元気で観戦できてよかったです。父は来年も来たいと言っていました。お互い頑張りませんと。元気がなによりですね。
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3月13日に続いて、14日も高知市議会を傍聴しました。ただ母を午後から病院に連れて行き診察に時間がかかったために、上田市議の代表質問の途中からの傍聴となりました。昨日はOさんと2人の傍聴人でしたが、今日は西田政雄さんをはじめ私も含めて8人の傍聴人でした。それでも少ないですね。
上田市議の質問は「超巨大地震特別措置法」「災害時の緊急医療」「防災リーダー育成」「立体換地事業」「建築確認申請受託に関する新たな制度導入」「曳家職人の確保」「お遍路開創1200年記念事業」という項目でした。
「高知市街地の大半は低地であり長期浸水エリアと想定されます。液状化も予想されます。国の手厚い事業支援を積極的に活用して事前の減災対策を行う必要があります。
それは地域住民と行政が一体となって合意形成を図り、安心安全なまちづくりを行うことです。立体換地や耐震性のある高層建築物を低地に建築したりすることも減災対策に活用意すべきです。」
「また高層マンションの新築時の建築確認申請時に、低地の市街地であれば、最上階に共用スペースに津波浸水時に周辺住民の津波避難スペース設置を義務づける。浸水の恐れにない地域では低層階に共用スペーズをこしらえるようにする。高知市の長期浸水地域に取り残される住民は10万人と想定されるので、必要な措置であると思う。」
「また曳家職人は全国的に不足気味。高知市出身の岡本氏が千葉県浦安市で液状化により傾いた住宅修理に奔走しています。貴重な技術を地元で支え継承させないと、南海地震が起きた際に高知県民は困ることになります。」
「市街地の古家の撤去、解体費用の助成をしないと地震時に避難路をふさいだり、火事の危険性もあります。固定資産税の減免なども必要です。」
「来年平成26年がお遍路開創1200年。四国四県で連携して一大観光イベントを行い交流人口の拡大を図るべきです。」と質問しました。
岡崎高知市長は、「南海地震特別措置法は、一度国会に提出されていましたが、廃案になっていました。首都圏直下型地震特別措置法と合わせて、自公政権の共同提案として今国会に出されて成立するでしょう。手厚い財政措置があるので、学校や公共施設の耐震化などはすみやかにやりたいと思う。」
「空屋解体については、所有者が20%、国が40%、県市が40%補助して行うように準備をしている。」
海路都市建設部長は「都市計画事業のなかでの、居住性の改善という点では議員提案の立体換地は有効な方策です。市街化、区画整理、耐震性の向上、居住空間の立体化などの観点から研究検討していくべき課題であると考えます。」
上田貢太郎市議の代表質問はよく研究されていました。高知市側の回答は「今一つ」でした。
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下の子供さんが4月に小学校へ入学。お子さん2人ともが4月から小学生となるOさん。夫婦共働きなので、「放課後児童クラブ整備」問題は大事な問題です。高知市議会の情報を昨日いただきました。地元市議の高木妙氏が代表質問をされます。3月7日の下知コミュニティ・センターでの防災部会にも来ていただいたいましたので、3月13日に高知市議会の本会議の傍聴に行きました。
3月8日の高知県議会の傍聴も久しぶりでした。高知市議会も久々です。市議会本会議開会は定時の午前10時でした。傍聴人はOさんと私の2人だけ。新聞社の記者が人。高知ケーブルTVのカメラマンが1人傍聴席にいるだけです。
高木妙市議は、「市長の政治姿勢」「防災対策」「健康福祉対策」「教育行政」の分野での質問をされました。
「全国の中核市41のなかで高知市はワーストに財政内容が悪い。市財政の34%が生活保護士などの扶助費、15%は公債費などであり、70%は義務的な経費であります。それで市民生活を守りながら、南海トラフ巨大地震への備えを行うことは大変なことであります。
昨年12月に成立した自公政権が、積極的な補正予算や、大型公共投資による景気浮揚対策を行っています。具体的な市政への活用策はどうなっているのでしょうか?」
「防災関係では長期浸水地域への対策を問いたい。下知地域では地域住民の自主的な研究とl行動が盛んであり、歩道橋型の津波一時対比尾施設の提案や、浮体式人工地盤の提案、長期の浸水時への対策として集団疎開を前提とした山間部の住民との交流が行われています。そのあたりの市政の取り組みはどうなっているのか?」
「放課後児童クラブの整備については、午後5時までから6時までに延長されたことはよしとして、マンパワーや施設面での充実が求められます。そのあたりはどうなのか?」と問いただしました。
岡崎誠也高知市長は「政権が自公政権になって大型補正予算や。国からの交付金が多くなったことは確かです。またしても政府が経済財政諮問会議をつくりました。前回もこの会議ができてから、地方交付金のカットや社会保障費の自己負担増などを一方的にうちだしてきました。地方行政としては注意が必要です。」と発言しました。
安倍内閣のブレーンと称する人たちは「新自由主義者」が多いようですから、経済格差社会を作り上げ、社会的弱者への負担増と切り捨て、地方の切り捨てをまたも政策的に打ち出してくる可能性は岡崎高知市長の指摘もあたりであると私も思います。
防災問題で高木市議は下知地域の現状と住民発意の行動も質疑しましたが、市長や下元災害対策部長の答弁は「ありきたり」でありました。要は国と県の南海トラフ巨大地震の新想定の見直し作業でご多忙であり、沿岸部の対策に追われていて、高知市街の経済の大半を担っている低地の市街地の市民の意向は「後回しに」されています。
南海地震長期浸水対策検討会なるものが県と市でこしらえられ、被害想定や避難計画などを市執行部は答弁していましたが、1度として下知地域へのヒアリングもありません。低地の地域住民にすれば、「どこのだれかがわからない人たちが勝手に長期浸水対策をやっているとしか思えません。
横断歩道橋の津波避難施設への併用化も国が認める方向にあり(実例は静岡県吉田町)ますのに、高知市も高知県庁も関心がなく、納税している低地の市民の意向は現状では全く無視されています。
3月7日の坂本茂雄県議の代表質問。3月13日の高木妙市議の代表質問でも高知県と高知市の「おざなりな」防災・減災対策には正直幻滅です。がっかりですね。
Oさんの関心ごとである「放課後児童クラブ」については前進しています。午後6時まで時間延長されました。施設面の改善などの課題もあらい出されていますので、こちらは市教委も真摯に取り組んでおられるので前進するでしょう。
高知市政の多様な課題を、議員と執行部が真剣に議論されていました。課題があまりに多く、聞いているだけでは「消化不良」になります。いずれも大事な問題であるからです。
高木市議の質問と市長以下高知市幹部の答弁の間は、他の市議も真剣に聞いていました。でもノートを取るわけでもなし、耳学問だけで市政の多様な課題が理解できるとは思えませんが・・
高知ケーブルTVが高知市議会中継をやっているようですね。
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国土交通省の四国運輸局が開発した「津波救命艇」の施策艇見学会が、3月12日に高知港湾合同庁舎駐車場でありました。四国運輸局が内閣府の災害対策調整費(4500万円)を活用し、昨年10月に(株)IHIに制作を委託したそうです。
津波救命艇の内部も見学させていただきました。今日は四国での初めてのお披露目だということで、すべての報道機関も取材に来られていました。
もともとは大型貨物船などに搭載されていた救命艇。船舶が座礁したり沈物の危険性がある場合に乗組員が乗り込むタイプでした。プロの訓練を受けた乗組員ようのものでした。
東日本大震災での津波による犠牲者を少なくするために開発するために学識経験者や船舶関係者や行政関係者などで検討員会が開催され、改良がくわえられたようです。それはがれきなどの衝突を緩和するために津波救命艇の横腹に巻いてある緩衝剤です。船舶をポンツーン等に係留するためのフェンダーのような役目です。
今回お披露目されました試作艇は「標準タイプ」でした。座席数は25人。」定員は35人のようです。他にも「病院施設タイプ」(座席ベット7席 看護士用2席の椅子)と、「幼稚園・保育園タイプ」(座席数25 子供用15席チャイルドシート4席。大人用3席)、「高齢者介護施設タイプ」(座席数14人 高齢者10席、介護者用4席)タイプがあり、内装がそれぞれ異なっているようです。
国や自治体が全面的に採用するかどうかは今後の動向です。1000艇程度量産化のめどが立てば、一艇あたり700万円程度になるそうです。
装備その他は最大1週間程度の船室生活を想定し、飲料水や非常用食品も積み込んであります。動力その他はないので自力航行はできません。津波で流され、漂着することを想定しています。位置確認には自分の位置を自動的に知らせる装置も付いているそうです。
漂着したらアンカーで沖合に流されるのを食い止めるようになっています。
大津波が地震発生後短期間に襲来する沿岸部の住民にとりましては朗報でしょう。救命艇は頑丈な構造なので壊れれることはないでしょう。そのために乗り組み口が階段を使って、一度上がって、また船内に降りる構造になっています。とっさに安全にできるのかという課題はありますね。
試作艇ということなので、出入りの問題など課題を解決できれば、かなり太平洋側の沿岸部では普及するのはないかと思います。
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1月末から行われていました事務所周辺の公共事業である、水道配管耐震化工事、都市ガス管耐震化工事がようやく終わりました。埋め戻して3月7日にアスファルト細工事が完了。そして今日はライン引き(白線)塗装して終わりました。
道路のライン引きは、熱溶着型の塗料を使用します。トラックを改造した塗装機械があり、粉末状の塗料を投与します。プロパンガスの熱で塗料を熱くさせ、今回は歩道の白線なので、人力で押しながら塗装する小型塗装機に塗料を移しています。
そして押しながら塗装しています。塗料が熱いのでアスファルトを溶かして瞬時に付着する(溶着)するようです。塗料の吐出と同時に、細かいガラスビーズも上から振り掛けて行きます。夜間は車のライトで白色ラインが浮き上がるようにするための処置です。
西日本の太平洋側は年度末工事で道路の線引き屋さんたちはせわしいでしょう。でも本格的な線引きの季節は北海道や東北が雪解けになる5月の半ば過ぎでしょう。雪が止めますと道路標示の白色ライン(道路管理者)も、オレンジ色の安全表示(速度表示やはみだし禁止ラインなど公安委員会発注)が本格化するのです。
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3月10日に放送予定でしたが、WBCの「日本VSオランダ」戦の実況中継のために。3月17日の午後6時半から7時までに放送予定が変わりました。
番組ホームページもあります。
http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/「夢の扉」
表題は「南海トラフ巨大地震から命を守れ!スパコン京で地震シュミレーション 揺れ、津波・・・あらゆる被害を予測し、安全な避難経路へ導く「減災計画」とあります。
予告動画を見て驚いたのは、スーパーコンピューター「京」を使用した津波シュミレーションを開発された海洋研究開発機構の金田義行氏が、なんとモデルにしたのは高知市。しかもわが町二葉町近辺を歩いてなにやら言っています。
街全体が海抜0メートル地帯の二葉町。そして下知地域です。特に驚いたのは地域の避難場所と位置づけられている昭和小学校前に小川があります。「津波はこうした小川を遡上して来るので危険である。」と言われている。
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2011年3月11日に起きた未曾有の大地震、東日本大震災から2年が経過しました。早いものです。
当時私は父を連れて、女子プロのトーナメントを土佐C・Cへ観戦して行っておりました。
父は腎臓の機能が落ちていて歩くのがやっとの状態でした。ひいきの横峰さくら選手のプレーを何度か見ますと「しんどうから帰る」と言い、昼過ぎにシャトルバスに乗り戻りました。自宅へ着いてテレビを見ると大惨事が放映されていていました。
香南市の55号線も大津波警報が発令され、一時的に閉鎖されたようです。少しゴルフ場からの退出が遅くなれば戻れなくなるところでした。1か月後父は高知医療センターへ入院しました。2週間治療して元気になり自宅へ戻りました。
はや2年です。地元下知地域の南海地震対策は遅々として進んでいません。
しかし呆れるのは一部の高知の人たち。まるで「何事もなかったかのように」高知市中心部の公園やアーケード街で昼間からお酒を飲んで騒いでいます。テレビでさえ鎮魂特集を各局しているのに。騒ぐのなら時期をかんがえてほしかったです。なんだか高知は「おかしい」のではないかと思います。
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昨日は上天気でしたが、今日は朝からすっきり晴れていません。夜須の空ももやっています。天気予報では寒冷前線が午後に通過する予報が出ていました。突風が吹く恐れがあるので、原則午前中に限定したセーリングにしました。
出艇準備をしていますと、高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブもぎ装をしていました。
波が予想以上に高く、うねりも伴っています。風は弱いのでいい気分ではありません。パドル・サーファーが出没しましたので波は高いですね。
沖合はうねりがきついので、ハーバーンの近くとヤッシーの堤防の内側にいてセーリングしました。
午後近くなりますと、お天気も怪しくなりましたので着艇しました。
片付けして、シャワーしていましたらお昼を大幅に過ぎていました。お弁当屋は閉店していました。ヤッシー・パークのなかにうどん屋ができたので、うどんを注文し食べました。
程よいセーリングでした。精神的に癒されました。気分は爽快です。
寒冷前線が通過しているようなお天気ですね。風が強くなりました。
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3月に入ってこのブログも「日誌風の感想」が多い。連続していますね。それは3月は季節の変わり目であり、同時に人生の転機でもあるからです。
1972年の3月は高校を卒業できなくて、どうするのか悩んでいました。退学し労働運動に参加するか。それとももう1度留年し、卒業して進学するのか。高校側は自主退学を執拗に薦めた。結局私も母親も意地になり留年することを決めました。春休みの間高校側から一切の連絡はありませんでした。
1973年の3月は、大学へ合格し、高校も卒業出来ました。下宿探しに上京し、高知から親元を出ました。
1977年3月は、無事大学を4年で卒業。尼崎市が本社の会社へ入社。独身寮へ入居し、新たな出会いがありました。
1980年3月は、就職していた会社を退職し、高知へ戻って来ました。前年に家内と結婚しました。
それから時代は下り、2000年の3月には長男が高校を卒業し、大学の下宿探しに行きました。2006年3月には娘が高校を卒業し、大学の下宿探しに行きました。家族の歴史や個人史でも3月は「節目」の季節です。
そして今の時期、3月から仕事が本格的にせわしくなります。地域活動もです。精一杯頑張ります。
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3月8日高知県議会。午後1時から坂本茂雄県議が代表質問をされることを聞いていました。いつもは金曜日の午後は仕事をやりくりして、母(87歳)をはりまや橋商店街へ活き活き100歳体操(介護予防体操)へ行っています。今日は母の送迎を息子と叔母に依頼して県議会へ行きました。
午後1時からということでしたが、午前中の議会質疑が長引いたため、午後1時15分からの開始でした。少し早めに来ましたので議場にも傍聴席にも誰もいませんでした。議会が始まれば写真撮影はできませんので、誰もいない県議会議場を撮影しました。
坂本茂雄県議は地元高知市下知地域の地域代表です。昨年10月に結成しました地域の自主防災会連合会である「下知減災連絡会」の事務局長をされ、わたしが副会長、二葉町自主防災会の森宏氏が会長という地域社会ではお世話になっています。
わたしは「南海トラフ巨大地震への備えについて」という問題で傍聴に行きました。
「昨年東日本大震災級の巨大地震による大津波予想などにより、県民が避難を諦めるムードにならないように、県が持っている情報を県民に開示する必要があります。
自主防災組織と県民への情報公開が今後はますます必要となります。
津波や浸水からの多様な方法を県も検討すべきです。自助・共助を熱心にやっている地域の自主防災会からは、横断歩道橋を津波避難施設にする構想や、命山構想、人工浮体構造物構想などが提案されています。住民と一緒になって取り組みべきです。」
「現在南海地震対策行動計画のパブリック・コメントを県ホームページなどで情報開示していますが、テレビや新聞などの広報手段も活用していただきたい。」
「また空き家対策についてもお聞きします。震災時の避難路を古家が倒壊してふさいでしまう事態も想定されます。
固定資産税の減免化や、国からの補助以外に県の補助もすべきではないのか。」
「震災後の仕事を罹災者自身が担うことを事前に検討すべきではないだろうか。瓦礫の片づけ業務や、避難所の共同炊事などもちゃんと報酬を払い、罹災者が自立できる仕組みづくりが必要です。キャッシュ・フォローの体制づくりは事前対策が必要です。」
県知事や危機管理部長の答弁は「平板で」「通り一編」にしか聞こえませんでした。横断歩道橋の避難施設に関しては、国道56号線と国道32号線が高知市下知地域をとおっています。国に県知事が真摯に働きかけをしておれば、静岡県吉田町以前に実現していたことでしょう。
県知事自らが「深入り:しすぎている「津波避難シェルター構想」のおかげで、はるかに効果的で低い事業費で多くの市民が救われる避難方法(避難歩道橋・人工浮体構造物など)が無視されていました。県庁の本気度を疑いますね。
確かに坂本県議の質問で「県職員の健康管理と残業、給与削減問題」でも総務部長の答弁で「残業が多い部署は危機管理部。国の新想定への対応に対する業務がありました。」との理由はあるでしょう。」ということですから、県職員の皆様各位は懸命に業務をされておられます。
しかしながら壊滅的な被害が想定されている高知市の下知地域に居住する二葉町にいますと、高知県庁の南海地震対策の施策は「2階から目薬」程度にしか思えないのです。
代表質問は南海地震のテーマや県職員問題ばかりでなく「知事の政治姿勢について」「社会的包摂と支え合いの仕組みについて」「原発事故子供罹災者支援法の拡充などについて」「第2期産業振興計画の林業分野における取組について」「新堀川など地域資源を生かしたまちづくりについて」など多岐にわたっていました。
県知事が答弁し、副知事や総務部長、危機管理部長、産業振興推進部長、商工労働部長、林業振興・環境部長、土木部長、教育長、県警本部長などが答弁していました。
坂本茂雄県議は」50分の持ち時間のうち42分で代表質問を登壇してしました。知事以下の担当部局の答弁をすべて聞いた後に、8分間の持ち時間で知事や担当部長に再質問を議場から行い、再答弁を引き出していました。
県議会をじっくり、(会社からの電話で呼び出されながらも)真剣に傍聴したのは久しぶりでした。真摯なやりとりがされていると思いました。
おかしなことがありました。傍聴席で居眠りをされていたご婦人は衛視に注意をされていました。しかし議場で堂々と居眠りをしていた県会議員は注意をされません。そのあたりはなんだかおかしいと思います。
今度は高知市議会も時間があれば傍聴に行こうと思います。
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2月23日のうだつマルシェへ訪問した折に、スペースきせるにて武川修士さんと面談しました。その折に「高知市二葉町は全域が低地で海抜0メートル地域です。今すぐではありませんが、地震時に疎開を前提とした交流はできませんか」とお話をしました。
武川さんは「3月7日にそちらの二葉町へ行きます。現地訪問します。」との連絡がフェイスブックを通じてありました。
3月7日午前10時に、徳島県三好市から3人の来訪者が高知市二葉町の事務所へ来られました。特定非営利法人マチトソラ理事長の武川修士さん、理事・マネージャーの繁泉賢弥さん、三好市集落支援員の三好崇夫さんが来ていただきました。
二葉町自主防災会森宏会長も交え、二葉町の実情などをお話ししました。
二葉町のまち歩きをしました。皆さん二葉町の低地の海抜0メートル地帯の状況にあらためて驚かれていました。
お昼ご飯は森会長のお店である森食料品店でお弁当を購入いたしました。
五台山の展望台から高知市を眺めていただきました。お弁当も食べました。
今後一層の交流ができればいいなと思いました。
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高知県産業振興センターでの「Eコマース・スキルアップ講座」(講師笹本克氏)が、3月6日に最終講座が行われました。
笹本氏の講話は、技術論やハウツーよりも「概念的」「基本的な考えから」をされます。言葉は平易ですが、とても奥が深くて難しい。今回の講座は「まとめ」のような話でありました。
「魔法のシートに記載されていないことでも売り上げが急上昇した顧客がありました。原因を詳細に詰めますと、あるブログに記事を掲載されたら波及効果があったことがありました。Eコマースは手を打てば、必ず効果が上がります。」
「否定語をホームぺ―ジ上の表現で使用しないこと。たとえば納期が2週間以上かかります。という表現ではなくて、納期がかかる理由を説明し、むしろ誠意がある対応をしていることを強調すべきでしょう。」
「たとえば1万5千円で、いつ来るかわからない。何が来るのかわからない。海山産品セットが通販で人気。伊勢海老が入るかもしれないし、鯛が言ってるかもわからない。相手が自然なのでわからない。それでも顧客は満足する。
いつも素材をそろえるのは工業製品ではないので、一次産品では不可能。それをちゃんとサイト上で表現しているかどうかでしょう。」
「アイキャッチという言葉があります。読む文章と見る文章。テレビは見る。新聞は読む。ホームぺ―ジは見る要素が多い。でもきちんとした文章を書かないといけない。」
「自己評価というか、セルフイメージが低すぎる傾向にあります。自分の価値が自分でわからない。そうなると表現が卑屈になる。」
「海や山の錆、都市部と住宅地の錆。北海道から沖縄での顧客に対応していることをサイトで表現すべきである。」
「30年の耐用年数が防錆塗装で10年延長すれば施主は得します。そのための防錆コンサルティングをやりんだということを表現すべきでしょう。値段表も調査内容も記述すべきでしょう。」
「どのページからも地域性に対応し、解決策があるというつくりでないといけない。トップ・ページなど外注先とも交渉し思い切った変更もすべきでしょう。」
受講はまじめにし、ある程度は理解してきました。しかし実際のホームページの改変までは至っていません。
「やれば必ず成果は出ます。でなければ元へ戻せばいい。やる場合はそのうちではなく、期日を決めて納期を守るようにやるべきですね。それぐらいのことをしないと何もかわりませんから。」
厳しいご指摘も受けました。ようやく体制が整いましたので、サイト作成会社とも相談し検討にはいります。
講座終了後、笹本先生を囲んで夕方は帯屋町のジャスミンで食事会をしました。講座では聞けない忌憚のないやりとりがされました。半年間で受講生同士も親しくなりました。
食事会が終了しアーケード街へ出ますと、県外から来たパフォーマーが大道芸をしていました。見事な芸でしたので、すこしカンパをさせていただきました。
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NPO法人YASU海の駅クラブ3月度理事会が、3月5日午後7時より、海の駅クラブ会議室で開催されました。
議題は「計画事業の進捗状況について」「2013年度の事業計画と予算案」「役員改選」などでした。
理事長以下理事各位は、地元香南市の皆様が大半ですが、私は「ヨット愛好者の立場」でのお役目をさせていただいています。仕事を終えて香南市での会合は、ややしんどいなと思うこともありますが、お役目を務めようと思います。
NPO法人YASU海の駅クラブですが、顧問には香南市長、理事には香南市議もおられます。香南市長は県議時代には副理事長でした。香南市の「マリンスポーツ振興計画」の中枢を担う公益法人ですので役割は大事です。一般会員で県知事も入会しています。
次年度も活発な事業計画が予定されています。
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朝の散歩では久しぶりに若松町方面へ。県道35号宝永ー種崎線沿いの元建設会社本社跡に、世界のジャンク・フード店ができるようです。12月に着工し、3月半ばには開店だそうです。
全く大手企業のやることはわかりませんね。若松町は二葉町の隣町で学生街でもありません。低地であることもあり、二葉町同様に過疎高齢化が進行している地域です。平日の昼間こそ車の通行量はそこそこありますが、午後8時過ぎにはほとんど車は通りません。休日はなおさらです。
この会社通行量が多い「一等地」に出店してきたのが定説。今回の狙いはなんでしょうか?うちの家族は行かないので観察するだけです。
また斜め前のコンビニの隣に作業用品専門店ができるようです。こちらは鉄工所の跡地のようです。
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40年前の1973年。大學も合格し、高校もようやく卒業でき、上京し生田にある専修大学学生課を訪ねました。「出遅れ」のようで、大学近くの下宿はすべてふさがっており、大學から徒歩30分。生田の駅からも徒歩30分の長沢という地域の下宿しかありませんでした。
普通の民家の2階。トイレも風呂も共同。将来は小さな子どもたちの子供部屋を大学生に間貸ししている形態でした。食事はすべて外食でしたね。とにかく不便きわまり無いところでしたが、1年間は我慢しました。
隣の部屋の学生は同じ大学の人で、茨城県水戸市出身。そこで水戸納豆をいただきました。四国の人間には納豆は馴染みがありませんでしたが、「飢えた」学生でしたので食べると美味しかったですね。なによりでした。新しい文化との遭遇でしたから。
あれこれあった40年前です。月日の経過するのは早いですね。
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今日は昼休みを遅めにとったので、その時間帯に赤十字血液センターへ献血に行きました。わたしの数少ない社会貢献ですので。ようやく86回目の献血ができましおた。
平日の昼間は空いていますので看護士さんたちとおしゃべりができます。しかし、400ミリ献血は10分足らずで終わります。残念ながら私は血液の出がいいらしいのですぐに終わります。
100回献血を生涯の目標としていますが、今年10月で還暦ですし、これからますます年寄りになり病気のリスクも高くなります。疾病を持ち服薬しておれば、まず現段階では献血はできません。血圧降下剤や、風邪薬でもアウトの場合があるからでです。
幸い綿の場合体力はさほどないものの、服薬はしていません。この健康状態を少なくとも5年は維持しませんと生涯100回献血は達成できませんから。これからますます厳しい年齢となってきます。(年間3回の献血しかできませんから)
終わりますと献血センターが景品をくれました。今回は歯磨き入りチューブと、AKBの下敷きでした。
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中学時代の共通の友人から電話が。「A君とは3年ぐらい連絡がないので、連絡しタラ、この電話は使われていないとのこと。104番で聞いたら、そのお名前のひとは、この地域にはいません。と言われた。なんだか気になる。」とのこと。
こちらも連絡のとりようもない。なんだか気になる話です。でも手の打ちようもない話でもあります。
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夜須の海で「まったり」と午後からもセーリングをしていましたので、戻ったのが午後5時を過ぎていました。あわててヨット備品を片付け、おびさんマルシェへ行きました。
今日はなにやら「おきゃく」とかいう騒々しいイベントをやっていました。私個人としては全く興味がありません。今更大騒ぎして知り合いと路上で飲酒する意味が分かりません。お座敷芸は路上でするものではないでしょうに。
そんな行事はどうでもいい。久しぶりのおびさんマルシェへ行きました。「おきゃく」の関係か食材関係のお店は出店していません。手作りの雑貨や、ユニークな産品の販売コーナーが出ていました。
日暮れ近いので店じまいするお店もありました。
主催者の大西みちるさんに会いました。「今日は他のイベントもあるので多くの人が来てくれました。おびさんマルシェは2004年からはじめましたので9年目になります。今でこそ各地でマルシェと名のついているイベントは増えましたが、始めたころはうちだけでしたから。
年間奇数月で5回開催します。次回は連休明けの5月12日です。」
手作り雑貨や、こだわり雑貨は家内など女性と一緒に来ないと、おっさん1人では場が持ちません。でもセンスの良さを感じます。売り手も買い手もお洒落な人たちですから。おびさんマルシェも定着してきたなと感じます。
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結局2月は1回しかセーリングしていません。3月はなにかと忙しいので、昨日は1日雑務処理に追われました。途中Jリーグ中継の「広島VS浦和」戦を見ただけ。はかどったかと言えばそうでもないので焦ってはいます。でも海の魅力には勝てないので、朝早くから夜須へ来ました。
今日の天気図では西高東低の強い冬型ではない。予報では波は3M。北西の風「やや強く」とある・「やや強く」が度pの程度強いのかは現地へ行かないとわかりません。それに外気温は今日は上がらない。ハーバーは、夜須川の隣ですので、雪解け水が入り込むので、出入りの時は寒いでしょうから。
快適で最高でした。
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高知県民は過去に窪川原発と東洋町の高レベル放射性廃棄物最終処分場を拒否しました。先輩たちの尽力と見識があるので、高知の野菜や食材は安全で評価は高いのです。
四万十町の興津の海抜15メートルの高台に窪川原発の建設予定地はあります。地元の人たちに聞きますと、昨年国と県の出した新想定の津波予想は20数メートルです。「災害弱者」である保育園児と高齢者施設は30メートルの高台に昨年移転を完了したのです。
もし15メートルの位置に窪川原発が稼働しておれば、南海地震の脅威で高知県民は落ち着いた生活などできません。東洋町の高レベル放射性廃棄物最終処分場の位置も、新想定では南海地震の震源域に入りました。甲浦には地震発生後5分で大津波が押し寄せます。
本当に原発を拒否して良かったと思います。土佐のおきゃくも観光もありえない話になっていました。
原発の議論をされるときに「経済問題」を訳知りに語る人たちがおられます。福島第1原発の放射能はいまだに止まっていません。毎日日にち大気中に地中に海に放射性物質が大量に輩出されています。廃炉に一体何年かかるのかわかりません。経済的にも原子力発電はもはや採算が合わないのではありませんか?
いまだに福島県の原発近辺の人たちは地元に戻ることもできない状態であり、いつ戻れるのかも不確定な状態です。そんな状態を放置しておいて東京五輪を誘致するなどしてはいけないと私は思いますね。
「安全はすべてに優先する。」ということで議論をすべきです。太平洋側はプレート型の巨大地震。日本海側は直下地震の活断層の巣の上に原発はすべて立地しています。
エネルギーは地産・地消で行くべきです。
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Jリーグが開幕しました。リーズン真っ盛りの欧州リーグですが、ようやく日本もシーズン入に。サッカーファンとしては待望の開幕戦でした。しかもNHK総合で中継してくれたカードが、昨年優勝の広島と戦力充実著しい浦和の大戦でした。
前半はアウエーの浦和が試合を支配。中盤も抑え広島ゴールを脅かす。広島はエースのFWの佐藤までボールが配給されない。前半37分柏木が先制。後半になり6分には原口が抜けだして追加点を上げました。
ホームの広島は後半10分位に。森崎が浦和ゴール前のFKを直接決めて1点差に。しかし浦和は慌てず、終始攻勢に出て勝ちきりました。昨年のチャンピオンの広島アウエーで勝ちました。
今年の浦和レッズは優勝候補では無いでしょうか。守備も中盤も安定しています。かつて若手であった柏木や原口が中堅選手になり、他球団から移籍してきた選手も加わり戦力が充実しています。
Jリーグもスタート20年目の節目の年。なかなか面白い良い試合でした。
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恐らく7月の参議院選挙までは安倍晋三首相は柔軟な政策と苦手な経済対策で人気取りをし、参議院選挙で勝利したら、念願の(彼個人の願望に過ぎない憲法改正を提案するでしょう。
でもそれで日本はどうにかなりますか?アメリカと一緒になって軍事行動することが、それでなんでも解決しますか?アメリカは世界上から好かれているぐらいに、世界中から嫌われていますから。一蓮托生は御免だ。
日本の独自性はどうなる。アメリカから押し付けられた憲法を改正して、アメリカの言いなりになる軍隊をこしらえて何を安倍氏はしたいのか?さっぱりわかりません。
ばかばかしい限りですが、本気でやりたがる人たちが多い。困ったものです。
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今日の高知市は雨になりました。暖かいというほどではありませんが、「寒い」という感じでもありません。
母(87歳)は「雨が降ったら体操はないから、」と身勝手なサボり宣言をしていましたが、なだめすかしてはりまや橋商店街へ連れて行きました。
行けば買い物好きですから、好物のドーナツを購入したり、夕食のコロッケを購入したり、お餅を買ったりしていました。
今日の100歳体操は、参加者は僅かに4人。でも雨が降っても合羽を着用して自転車で来られる人もおられます。みなさん頑張っておられます。
叔母(80歳)も活き活き100歳体操に参加した後は、一緒に買い物しています。谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買ったり、露店のパン屋で購入したりしました。
イキイキ100歳体操が終わった後は、喫茶十字路で、コーヒーとホットケーキを3人で食べて懇談します。
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大學もなんとか合格し、留年した高校もようやく卒業できることになりました。3月1日は県立高校の卒業式です。私としては「けったくそ悪い」高校jなので、卒業式など絶対に行きたくありませんでした。それで事前に相談しに、中学時代の恩師の先生宅へ行きました。
「卒業式はけじめだから出んといかんぞ」とご主人に説得され、高校まで自転車で送っていただきました。40年前はそうでした。
なにやら高校から「同窓会名簿」の案内も来ていましたが、「自分の居場所」はないので無視しています。思い出しただけで腹立たしい高校時代の記憶です。40年経過しましたが、未だに悔しく腹がたちます。
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