「ニュース・キャスター」ーを読んで
「ニュース・キャスター」(筑紫哲也・著・2002年刊)を読みました。筑紫氏は2008年に逝去されました。それから6年が経過しました。最近BSでなぜか追悼番組があっりして、それもあり読んでみました。
読んだ感想は筑紫氏は元新聞記者だけあって、読めるきちんとした文章が書ける人であることが改めて感心しました。
元々は朝日新聞記者として報道一筋でやってこられた人。沖縄やワシントンへの駐在歴もあります。系列の朝日ジャーナルという雑誌の編集長もされています。系列放送局のテレビ朝日ではなく、TBSで「筑紫哲也ニュース23」を1989年から始められました。
新聞雑誌という活字メディアとテレビという映像メディアの両方を体験された筑紫哲也氏。著作の中で以下の記述は筑紫氏らしい。
「アメリカのテレビ業界用語に”サウンド・バイト”(sound bite)というのがある。ごく短い音声として使いやすい素材のこと。日本流にいえば「寸鉄人を刺す」というのはよいサウンド・バイトということになる。
取材する側もされる側も、それをどうやって取るか提供できるのかを競っている。限られた秒数の下で視聴者を引き付けようと努めれば当然の流れで、日本にはそれに相当する業界用語はないがテレビ報道の生理に変わりはない。
そういう中で、一般人(視聴者)になじみのない言語)で、しかも長々と話す政治家はテレビにとっては最悪である。が、この国ではそういう言い方が普通なのだ。
「2人」はその点でも異質に突出している。」(P71(テレビは小泉首相を作ったか)
筑紫氏が「2人」と言っているのは、小泉純一郎氏と田中真紀子氏であるますね。2人とも短い言葉で表現するのがうまいし、テレビ受けをする言葉を連発しましたね。
「抵抗勢力」(小泉)とか「凡人・軍人・変人」(田中)とか,流行語になるような言葉を吐けるのも一種の才能であるかもしれない。
うちの母も政治家の言葉よりも、顔つきや服装を主に見ていて論評する。政治家の発言には興味がない。「人は見かけが9割」を実行し、テレビ受けをする言葉を連発して小泉純一郎氏は異例の「長期政権」を担いました。だがその結果はどうだったんでしょうか?
NHK出身の池上彰氏も最近は良く民放局やBS局で見かけます。確かにテレビ局育ちですので話はうまいし、間の取り方も心得ています。だが著作は面白くはない。独自性というのもがないのです。
その点筑紫氏には「こだわり」がありましたから、軸がありました。沖縄に対する想いもあり、阪神大震災に対する想いもありました。
「マスメディア、なかでもテレビは「飽きっぽい」とよく言われる。一時は集中豪雨的にこれでもかと、いうくらいにひとつのニュースを伝えるが、それが終わるとぴたりと何も報じない。
よほどの大事件でも、振り返るのはせいぜい3年、よくて5年。それも現地の局唐の9レポートか、こちらから1人キャスターがレポーターが出かけて取材したものを東京のスタジオで受け止める、という形が多い。」(P191「神戸震災報道」)
罹災地でもないのに、2011年からなぜ高知市二葉町が注目されたのか?なぜテレビ局や新聞各紙の取材が来たのか?じっくり考えてみました。それは各報道記者が、2011年以降に東日本大震災の罹災地へ入り、取材しているからです。
それゆえ南海トラフ巨大地震が発生したら、地域で生存することが極めて困難な地域に住んでいる住民であるからでしょう。筑紫氏が書かれているように注目される時期はわずかですから。
メディアの「体質」や「性質」を理解したうえで、そのパワーを活用し、なんとか「想定死者」にカウントされている高知市二葉町の住民を1人でも救いたいし、自分たちも助かりたい一心です。
筑紫哲也氏が逝去されて6年目。亡くなられた翌年に総選挙で政権交代が実現。民主党政権が誕生しました。2年目の3月11日に東日本大震災が起きました。そして昨年民主党は総選挙で大敗。自民党が政権復帰し安部晋三氏が首相に再登板しました。この状況を筑紫氏であったらどうコメントするのか。
デフレ脱却だ、安倍ノミクスだとか「政府首相を持ち上げる」報道ばかしが目立ちますね。筑紫氏の不在はさびしい限りです。
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