ゴーヤを植えて雨が降りました
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サッカーの日本代表は、2014年W杯ブラジル大会出場へ王手をかけています。しかし3月のアウエーでのヨルダン戦では、1-2の惨敗。世界で1番早い出場はなりませんでした。
その試合は前線でボールをキープし,攻撃の起点となる本田と、サイドを猛然と駆け上がり攻守にフル稼働する長友を陰で欠いたための結果でした。
流れるだけの攻撃では前線でボールをキープできず、中盤でボールを奪われ個人技で致命的な失点もしてしましました。
サッカー選手にとっては選手生命に関わる足の半月板の負傷だけに心配です。
このままでは6月のホームでのオーストラリア戦も不安ですね。勝てないまでも引き分けでもW杯には出場はできますが、先制点を取られると勝てそうにないのが今の日本代表です。
前線の起点となる快速FWと、ダイナミックなサイドバックの育成が日本代表の課題ですね。
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今日は開店休業状態。朝から3軒の配達が終わり、通販の荷物を出せば仕事は終わり。でも集荷に来ないのでお休みにはできない状態。
それで近所のごみ拾いをしました。ジャンク・フード店のコップが投げ捨てられていました。相変わらずたばこの吸い殻類が多い。喫煙者はだらしのない馬鹿が多いようですね。煙草を1箱1000円にすれば吸い殻の道路への投げ捨ては少しは減るでしょう。
今日はゴーヤの種を植えました。いつもは連休後に植えますが、今年は少しは山にしました。昨年収穫した実から採った種を冷蔵庫に保管して、1日前に水に入れましたが、果たして芽が出るのでしょうか?
園芸用の土が足りないのでホームセンターへ買い出しに行きます。
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「司馬遼太郎全講演」1を読んで
「司馬遼太郎全講演」1(朝日文庫・2003年10月刊)を、高知駅前のブックオフで105円で購入しました。月に1度の老師(87歳)の整体へ行く途中にこの「古本屋」はあるので、時折購入します。こちらの本屋はコミック本やゲームソフトが高価であり、一般教養本は「雑学ハウツー」というカテゴリーに分類され、売価も安いので重宝しています。
精神的に疲れた時に読むのは司馬遼太郎氏の講演集やエッセイです。時代は1964年から1974年の講演集です。丁度時代が私でいえば小学生から大学生に至る時代。私の中での「疾風怒涛時代」と重なり、社会運動の負け戦をしていた時期と重なっています。
そのなかで「うその思想」という表題の講演にひかれました。
司馬氏は先の二次大戦末期に北関東に本土決戦に備え戦車部隊として配属されました。大阪育ちの司馬氏にとっては初めての関東でした。あるとき上官に米軍が東京湾に上陸したら避難民が大量にこの地方へも押し寄せてくる。狭い道路ですので交通整理などはどうするのでしょうか?と上官に聞いたそうです。そしたら上官は「ひき殺していけ」と答えたそうです。
「これにはびっくりしました。
日本人が日本人を守るために戦争をしていて、それで日本人をひき殺していけという。不思議な理屈ですね。
平和な時代になって、20数年たってみると、そんな馬鹿な奴がいたのかということになりますが、それが当時の日本が持っていたイデオロギーというものであります。
イデオロギーというものは、はたして人間に幸福を与えるものでしょうか。」(P114)と問題提起をされています。
司馬氏は、「尊王攘夷」という考え方の解説をしています。
「中国の宋の時代は異民族に悩まされていました。金やモンゴルに中原を追われ、かぼそく揚子江以南で生きてきた宋。宋の学者たちが「尊王攘夷」という言葉をつくり、思想をこしらえたと言います。「王を尊び、攘夷せよ。つまり夷(えびす)、外国人を打ち払え」ということでした。
それが日本へ伝わり学問の世界での世界観の1つであったものが、江戸時代の末期に革命思想の言葉(スローガン)になりました。そして徳川幕府を倒して明治政府の時代になると、国民国家をつくらないといけなくなりました。藩とか、商店や村への帰属意識を日本国に帰属させないといけない。それには歴史の上では「神主」的な存在であった天皇を西欧流の皇帝にしないといけない。そのために尊王攘夷の考え方をイデオロギーにして国民を敗戦するまでの80年間統制しました。
「おそらく、奈良時代のある時期以後、天皇が皇帝の位置につくというようなことは、日本史上にはほとんどなかったことですね。
これは日本に合わないことでした。
日本の実際に不適当な時代というのは、明治から第2次大戦が終わるまでの間であります。」(P1109「うその思想」)
司馬遼太郎氏は「イデオロギーという重苦しい漬物石」という表現をしています。
「さっきも申し上げましたように。思想はフィクションである。そのフィクションの歴史をつくって、国の中心があくまでも天皇であるということで、国民を統一しようとした。
(中略)
「ところが、そもそもの思想とはどういうものかと言いますと、思想も宗教も含めまして、ひとつの観念だとわたしは考えています。
観念とはうそであります。フィクションですね。
たとえばキリスト教でもそうですね。
誰も見たことのない天国、だれもみたことのない神様を信じよという。信じるとところから出発するわけで、理解するところから出発するのではありません。
南無阿弥陀仏を唱えれば、極楽往生は間違いないと法然上人が言ったり、親鸞聖人が言ったりしました。
この間違いないというところから入らないといけない。極楽浄土はありますか、地獄はどんなところですかなどと言ったら、それはもうだめですね。
思想というものは宗教も含めて、理解して始まるものではなく、まず信じるところから入る。マルキシズムも同じであります。
尊王攘夷の思想も、理屈の大建築でした。信じる者には実在しますが、目をこすって見直すと幻であります。非常に無理がある。
うそでひとつの国家をつくったり、うそで社会をつくったり、社会の統一を維持したり、社会の安定を維持したりするためには、思想の取り締まりをやらないといけない。尊王攘夷に反対するような学者はひっくくらないといけない。
われわれの時代は、明治から戦争が終わるころまでは、非常に重苦しい国家であった。」
「大日本帝国の勝利は大日本帝国のイデオロギーの勝利ですね。尊王攘夷であり、八紘一宇でありますが、それらフィクションを現実化させなくてはいけない。フィクションは現実化しにくいものであり、無理やり現実化させると無理が起きる。つまり現実化するにおは(避難してくる自国民を)ひき殺していかねばいけない。そこまでいく。」
司馬遼太郎氏独特の思想観があらわれているのは次の言葉です。
「しかし、イデオロギーというのは実に不思議なものですね。
明治から80年の間、われわれはひとつのイデオロギーで統一されていました。
つまり水戸学の尊王攘夷で統一されていたのですが、それに慣れてしまった体質のひとがいます。
子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。
違う酒としてマルキシズムが登場した。戦時中に右翼の片棒を担いで走り回っていた人が、戦後は共産党員になって走り回っている。あのひとは変節した、信用できないということを言う人がよくありますが、そんなことはありません。彼らにとってはそれが当たり前なのです。」
司馬遼太郎氏によれば、日本人にも思想に関しては2とうりあるようです。お酒でいえば飲める人とお酒の飲めない人がいることと同じであると。
ちょっと聞いて大暴れする酩酊体質の人もいます。でもそれは日本人で10%を超えないだろうとも。一向一揆が爆発的な勢力拡大した時も人口の1割は超えなかった。昭和初期の学生でマルクスが流行した時も学生の1割以上には増えませんでした。
「しかしこれからは、思想というものに対する尊敬心は、むしろ捨てたほうがいいのではないか。捨てたほうが人類にとって幸福ではないか。幸福かどうかは知りませんけど、少なくとも思想からの災害を受けずに済むのではないか。最近はそんなことを思っています。」(1969年11月28日。東京東宝劇場文藝春秋祭りでの講演)
1969年と言えば高校1年生。上の言葉をちゃんと聞いておれば、その後苦しんで留年したりはしませんでした。当時のわたしは「酩酊体質」のようでした。
私は2年ほど前からその頃から最近の社会思想を総括しようとしてたいそうに「連合赤軍と新自由主義の総括」などと頭の悪い小市民が懸命に考えてきました。
でも司馬流でいくと「そんなことはたいしたことはない」「どうでもいいやんか」ということになりますね。ある種の「目から鱗」でした。やはり(面白いことだけをする。面白くないことはしない」という考えたのほうが健全ではないかと最近思います。
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今日は父(93歳)は、午前中は、ゴルフ練習場へ行きました。薄着となり帽子も化繊の防寒帽子から、ゴルフ用の帽子に変わりました。体調も良く、気持ちよく球を打っていました。
調子は「まあまあ」とのことでした。
一方母(87歳)のほうですが、「腰が痛い。」「歩けない。」と泣き言を言います。骨粗鬆症による圧迫骨折による腰痛だけに腰がいくら痛くても治療法がありません。なだめすかして、なんとか外へ連れ出し、わずかな距離ですが一緒に散歩しました。説得するのに骨の折れる婆さんです。
近所のお菓子屋でお菓子を買いました。動機があればなんとかなります。93歳と87歳の超高齢者夫婦です。ケアは大変ですが両親の頑張りも相当なものです。
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2013高知のまんがあれこれ展が、高知市かるぽーとであり、家内と見学に行きました。高知の漫画文化は多彩であると言われていますが、「高校生漫画甲子園」「4コマまんが大賞」「平和への想い漫画」「税の漫画」「ソーシャル・ゲーム企画」「高知コンテンツクラブ」「高知アニマルランド」「高知インデーズマガジン」「海洋堂」「高知のイメージキャラクター」「高知新聞年間漫画大賞」などでした。
投稿作品の漫画から、商品のキャラクターになった漫画など、1地方都市である高知は多彩。偶然学芸員の奥田奈々美さんに会場でお会いしました。「分野の広いところが高知の漫画文化の凄いところです。ゆっくりと観て行ってください。」と言われました。
じっくり丁寧に見せていただきました。高知新聞年間漫画大賞になったうちの子供の作品と記事も展示されていました。親バカでもうれしい出来事でした。
薄暗い小部屋に「絵金」風の漫画も。村岡マサヒロ氏や、くさか里樹氏やタマリンさんが屏風に描いた漫画のユニークなこと。おどろおそろしくも滑稽な漫画屏風です。
高知のまんがあれこれ展は、4月27日から6月16日まで開催されています、観覧料は無料です。なかなか見ごたえがあります。
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4月27日に下知減災連絡会の役員会が下知コミュニティ・センターで開催されました。25人の役員のうち出席18人、委任状4人、欠席3人で役員会は成立しました。
高知市役所地域防災対策課から鍋島係長、竹内氏、藤岡氏、楠永氏の4名が出席しました。オブザーバーで防災寺小屋の西田政雄氏とネットジャーナリスとの(株)データ・マックスの大石恭正氏も出席しました。
参加者各位の自己紹介も行われました。出席した自主防災会は以下のとうりです。サーパス知寄町自主防災会・二葉町自主防災会・青柳町自主防災会・稲荷町自主防災会・南金田自主防災会・東丸池自主防災会・中宝永町自主防災会・アルファステイト知寄町自主防災会、知寄町2丁目・3丁目自主防災会です。
2012年度の決済と事業経過の説明が、坂本茂雄事務局長からありました。審議の結果承認されました。
西村副会長より「下知減災連絡会への提案事項」の説明がありました。下知コミュニティ・センター防災部会との兼ね合いもあり、各自主防災会に持ち帰り次回の役員会(6月15日)に検討・審議することになりました。
高知市地域防災推進課より「高知市津波避難計画」の概略説明がありました。説明意見交換がありました。
「下知は自然地形の高台は皆無。津波避難ビルが頼り。分譲マンション住民は避難者を拒む人はいないでしょうが、長期浸水状態が予想されるので津波避難ビルとなるのには今一つ踏み出せない。」
「津波避難ビルの階段を登れない高齢者も障害者もいます。また住居のすぐ近くに津波避難ビルのない住民が海抜0メートル以下の地域にたくさんいます。」
「いくら安全・安心津波避難ビルがあったところで、そこまで行けない低地の住民が下知地域には多い。おざなりの津波避難計画を策定しても無意味です。」
「津波避難ビル以外の避難手段を検討すべきでしょう。生活再建も含めた計画も必要です。」
次回下知減災連絡会の役員会は6月15日(土曜日)。総会は7月6日(土曜日。いずれも午後6時半から下知コミュニティ・センターとなりました。
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わざわざ沖縄の人たちが嫌がる「屈辱の日」という日に「主権回復の日」にする安倍晋三首相の歴史観はどうなっているんでしょうか?わたしはおかしいと思います。
確かにサンフランシスコ講和条約により、日本本土は敗戦後7年間に及ぶ占領軍統治から脱却し、国際社会に日本は復帰することが出来ました。しかしながら沖縄県は、切り離され、日本本土の米軍基地は縮小統合されていきましたが、沖縄では米軍による強制土地収容がより強化され、米軍基地の沖縄での面積はより拡大していきました。
日本の総面積の1%の沖縄に、75%の米軍基地が集中する事態が「4・28」以降生み出されたのです。その歴史的経緯を日本国民は忘れてはいけないと思います。
個人的なことを申せば、1971年に初めてデモ行進に参加したのは当時の「4・28沖縄デー」でした。高校3年生の時でした。高知大学から高知市中央公園までヘルメットを被りデモ行進しました。あれからはや42年。翌年の1972年に沖縄は本土に復帰しましたが、沖縄米軍基地はほとんど縮小されず、今日に至っています。
1990年には東西対立の冷戦は終結。当然米軍基地の役割が変化するはずでした。しかしその後の湾岸戦争や2003年のイラク戦争への米軍の関与もあり、アメリカの国益のために沖縄米軍基地はほとんど縮小されることなく今日に至っています。
そして普天間基地の廃止ではなく、同じ沖縄県名護市辺野古への移設問題があり、米軍基地の縮小は実現できるようにはありません。
進学した大学で沖縄出身の家内と知り合いました。お元気なことの義母は常に言われていました。
「沖縄は米軍基地があるので、いつ攻撃されるのかわかりません。それが怖いのです。」家内の実家は那覇市にあり米軍基地からは離れていましたが、車で30分も走ればフェンスに囲まれた米軍基地に行くことが出来ます。
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世間様では「大型連休」らしい。うちは土日以外は休みはないので関係はない。それで今日は4月最後の夜須でのセーリング。5月も近いのに、肌寒い。年寄りですから真冬仕様のドライスーツを着用しセーリングしました。
今日はジュニア・ヨットクラブはお休み。ハーバーには高知大学ヨット部とシニアの爺さんセーラーしかいない。風はほどほどです。「龍馬カップ」のエントリーもしました。
出艇しました。波がありますね。風波ですね。タイミングが悪いと、ヨットのバウ(前部)が波へ突っ込み海水がどばっと入る有様。ヨットは「水船」状態になりました。
しばらくセーリングしていましたが、ローリングが酷いので、波のないヤッシー・パークで、タックとジャイブの練習をしていました。なかなか運動になりました。
戻って体重を測定すると2キロの減量。しかも体脂肪も1%落ちている。週に2回セーリングができる身分になれば、さぞかし健康体になることでしょう。それを目指して頑張って働きます。
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今日は4月最後のはりまや橋サロン。土曜から連休が始まることもあるのか、なぜかせわしい。実質月末のような雰囲気でした。銀行と市役所への用事があり、母(87歳)を先にはりまや橋商店街で降ろし、私は用足しをしていました。
そして遅れてはりまや橋商店街へ来ました。明日から商店街に隣接して「よさこい情報館」が開設されます。その影響で、母たちが金曜日の午後こちらの広場で生き生き00歳体操をしますが、椅子などが新しくなり、壁も塗装され、綺麗になっていました。
100歳体操もお元気な高齢者のみなさんが参加されておられました。
そんなせいか、今日のはりまや橋商店街金曜露店市は何時もよりにぎやかでした。
母と叔母も体操が終わると買い物をしていました。
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毎週月曜と金曜の午前中は、父(93歳)は植田医院で診察を受け、点滴をしています。植田一穂先生の適切な診察とアドバイス(減タンパク食の摂取と適度な運動。水分補給)に注意した生活で、父は元気を取り戻しました。
慢性腎不全も小康状態になり、安定しています。93歳という年齢を考えれば「驚異的」なことではないかと思います。2年前のむくんでいた状態から言えば格段に元気です。
週末には父が楽しみにしているゴルフ練習場へ連れて行かないといけませんね。やはり元気で自分の好きなことをしているのが人生1番です。病気になって見舞いをするのではなく、病気にならないように手を打つことのほうが遥かに大事であるとこの頃思います。
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「こころの天気図」(五木寛之著・講談社・2000年刊)を新しく新装された下知市民図書館で借りて読みました。五木寛之氏のエッセーはこれまでにも何冊も読みました。字が大きくて、読みやすく、感覚的にも「若さ」を感じますので読みやすいです。
敗戦後朝鮮半島から両親と決死の想いで日本へ引き上げ九州で生活され、学生時代には上京、作家になられました。引き揚げ体験と生活の体験が小説のベースになっています。体験の蓄積と作家になった後での経験の蓄積があってこその平易な文章ゆえに読みやすいのでしょう。
「日本丸はどこへいくのか。
沈没するだろうという人がいる。いや、大丈夫、きっと嵐を乗り越えて世界の大海原にふたたび勇姿をあらわすはずだと力説する人もいる。
こういう時代をなんというのか、世紀末、という表現は一般的すぎて切迫感がない。わたしたちのように昭和1ケタ派には、むしろ「非常時:という古風な言葉のほうがぴったりとくるところがある。
(中略)
証券会社や銀行が危ないからといって、郵便局をたよりにするわけにいかないことぐらいは「非常時」を体験した世代にとっては常識である。
1946年の「預貯金封鎖」というものがあったことを、今の世代はご存知だろうか。これは金融緊急措置令にもどづいて実施された政策で、戦後インフレ収拾策のひとつであった。その気になれば政府にはなんでもできるのである。
だったらタンスに現金を隠しておこうなどと考えても「新円切替」という手がある。古い紙幣を封鎖して、新円との交換に制限をくわえればへそくりも無意味である。
つまりどんなことでもできるのだ。お上が、一般国民のためにあったためしはなど歴史には1度もない。そのことをはっきりと自覚しない限り、この国の明日に希望はないだろう。」(「この国の希望」P37)
なんとも辛辣な言葉ではないか。最近でも欧州のキプロスで預金封鎖措置が取られました。北朝鮮でもデノミ政策を強行し、古い通貨を紙くずにする政策がとられました。現代でもあり得る時代です。
政府や自治体に依存心が強い人たちも依然多いですが、南海地震対策1つを観察しても国や自治体の対策など「まったくあてにならない机上の空論」であることを、市民各位は自覚しないといけないと思います。自分の命と生活は自分で守ることです。だれも守ってはくれません。むしろ国の存在はおかしなことばかりします。
眼が覚めました。
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今朝西やん(西田政雄さん)から電話がありました。
「黄英信さんの奥様が急逝されました。ご葬儀は風水晶で午前11時からです。」とのことでした。驚きました。
黄英信さんは、朝鮮総聯合会高知県本部委員長で、以前高知シティFMで「けんちゃんのどこでもコミュニティ」をやっていた時に出演いただきました。日本と朝鮮とのかかわり、高知県とのかかわりなどをお話いただいたことがありました。2004年10月のことでした。 もう9年前のことです。
自宅がご近所ですので、奥様手作りのキムチをいただいたこともありました。奥様はお元気な様子でしたが、脳血管障害で急逝されたと葬儀に参列した知人に聞きました。
最近黄英信さんは体調を崩され入院されていると西やんから聞いていました。葬儀場入口付近におりますと、タクシーで車椅子で来られました。ご挨拶をしました。1月に近所のスーパーでお会いした時はお元気でしたが。
葬儀は地元新聞に死亡広告を出していませんでしたが、大勢の人たちが参列されていました。葬儀形式は仏式でした。真言宗の僧侶が読経していました。生花は朝鮮総聯関係や朝鮮学校や企業や労組関係者が多かったようでした。参列者も組織の関係者が大半。私や西田政雄さんような黄英信さんの個人的な知り合いでの参列者は珍しかったと思います。
僧侶の読経とハングルでの弔電披露、日本語での弔電披露が行われました。参列者の焼香後ご長男の黄萬秀さんがご挨拶されました。日本語とハングルでのスピーチでした。国際的なご葬儀でした。
現在日本と北朝鮮は国交がなく、また拉致問題やミサイル発射問題で難しい関係になっています。でも葬儀を眺めていまして、高知の地域社会に深く根を下ろし交流を深められておられると思いました。在日の皆様が「架け橋」となり、今すぐは無理でしょうが、日本と朝鮮半島の両国が近い将来に善隣友好関係になれば良いとは思いました。
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平成25年度の二葉町町内会の総会が、4月23日に高知市下知コミュニティ・センター3階会議室で開催されました。総会には町内会役員・町民40人が出席しました。
議題として「平成24年度収支決算」「平成25年度事業計画案・予算案」が提案され、承認されました。平成25年度の事業計画案としては、「年1回慰安会を行う。毎月第2金曜日早朝に不燃物・資源ステーションを運営する。週2回の生ごみ。1回のプラスチックゴミ収集は2割減量を目標とし、ステーション管理を行う。防犯灯の設置。老人・子供への一声運動。交通安全への取り組み。防火・防災についての訓練を行う。」が提案され承認されました。
また町内会役員改選も行われました。西森会長が退任し、楠瀬副会長が町内会長に推薦され承認されました。副会長は、山下氏、荒木氏、新任で杉野氏が選出されました。会計は弘松氏、国見氏、会計監事に福留、西森両氏、新役員に高見氏が選出され承認されました。
二葉町自主防災会からは報告事項として、昨年の活動報告(二葉町防災新聞)と、事業報告、5月31日の下知コミュニティ・センターでの防災部会講演会と6月1日での仁淀川町との交流事業(長者での田植え交流会)への案内を行いました。
参考記事
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仁淀川町長者のだんだん倶楽部の岡崎さん(農業担当)から連絡がありました。今年の長者での棚田の田植えについては以下のとうりです。
南国市や高知市ではすでに田植えが終わっています。二葉町が2年前から交流している仁淀川町長者地区では、今年は6月1日(土曜日)に、地区にある棚田を活用して田植えをすることになりました。
(日時) 6月1日(土曜日) 午前9時半現地集合(高知市から車で1時間半)
(場所) 仁淀川町長者 集落センター前
(費用) 大人1500円(中学生以上) 昼食付 保険料込
子供(小学生以下) 1000円
(主催) 仁淀川町長者だんだん倶楽部
○田植えですので少々の雨でも実施します。
○9時半位に集合。10時にスタート。棚田に裸足で入り、稲を手で植えます。ご指導はだんだん倶楽部の皆様がしていただきます。
○田植え終了後、足を洗い 昨年12月に完成した集落改善センターの農村レストランが調理した地元食材を使用したお弁当を食べて懇談します。
○得難い体験ができます。秋には稲刈りも体験できると思います。昨年はこの地域での「花菖蒲祭り」や、芋ほり、キャンドルナイトなどにも参加させていただきました。
風景が石垣づくりの棚田。棚田のうえに集落があり不思議な長者地区です。
昨年の田植えの様子です。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-8018.html
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-7691.html
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「官製談合事件」として高知県下各地の土建業者の大半が関与したとされた事件。このたび県知事と県議会は「法令順守は厳しく履行してもらわないといけないが、指名停止を長引くと連鎖倒産の可能性が出るので、指名停止を短縮する。」との表明をしました。
地元新聞の記事で読みましたが、なんだか釈然としない。まるで指名停止が短縮し、停止が明けたらすぐにでも県は指名停止した土建業者に仕事を回すのでしょうか?それこそ「談合」ではないのか?ありえるのでしょうかそんな話は。
工事の競争入札は自由競争が原則でしょう。価格も大事でしょうが、法令順守する企業が公共事業を受注していただきたい。今後は南海地震対策工事や津波対策工事がたくさんあるでしょう。
県民の命と財産を守るための工事です。法令を順守できない企業は、県民の命を守れないと思います。県知事は厳しく工事発注者としての責任をまっとうしていただきたかったです。
発注者が法令順守を貫かないのは本末転倒です。今後きちんとした土建業者の需要はあります。地場産業の土建業者に頑張っていただいて、減災・防災工事をどんどんやっていただかないといけません。
法令順守して倒産しそうな土建業者が出るから指名停止を短縮するのではなく、それは履行の上、資金を休業中に貸し付けるとか、土建業から他の業種への転換を指導するのが県当局のお役目のはずです。
公共工事は最盛期の3分の1になっていると言われて久しい。その割には土建業の企業数も過剰になっていることも確かでしょう。県経済の構造改革も同時に必要です。
その戦力も手筈もないままに、たんなる指名停止期間の短縮だけでは、問題の解決には程遠いと思います。
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毎週月曜日は時間的に追い込まれてせわしい気分ですね。朝1番は父(93歳)を連れて植田医院での診察と点滴。慢性腎不全で脱水が怖いので、月曜日と金曜日の点滴は欠かせません。
戻ってくると手際よく仕事を片づけます。午前11時過ぎには両親の昼食の準備です。父は減タンパク食なので、ヘルシー・ネットワークの食材(減タンパクご飯・おかず)を利用うして電子レンジで温めます。母のほうは冷凍うどんか冷凍チャーハンをあたためます。今日は冷凍チャーハンにしました。
12時5分位に送迎ジョイリハ(介護予防リハビリ施設)のワゴン車が自宅前に来ます。母は例によって「腰が痛いので行きたくない。」とごねますが、なんとか説得して車に乗せました。
お昼を手早く駆け込んで対応します。今日は支払日と集金日です。午後からは集金に回ります。
ジョイ・リハへ行き出して1年8か月になりますが、超高齢者でも筋力アップしました。父などは息切れをしなくなりました。母も骨粗鬆症の圧迫骨折で腰痛ですが、医師も「動かないかん」と言われるので介護予防リハビリには通所させています。抑止力にはなっていますね。
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昨年の総選挙で民主党は歴史的な惨敗し、自民党が圧勝。単独過半数を占めました。またわかのわからないファシスト政党の日本維新の会も躍進し、憲法の改正では自民党と協働するとまで言っています。みんなの党も憲法改正には賛同しています。
政党支持率も自民党が圧倒的に1位であり、1ケタの支持率で民主党と」日本維新の会が争う体たらくです。このままの状態で参議院選挙が行われば、1人区で自民党が完勝し、参議院の過半数も制する可能性があります。
一方「護憲勢力」と称する左翼政党と言えば、老舗は社民党と共産党ですが、1ケタの議員しかおらず今や「泡沫政党」ですね。さまざまな運動体で過去主導権争いばかりをし、自分の非を認めず、相手方を批判するばかりで統一戦線を張ったことはほとんど最近はありませんね。また仮に張ったところで社会的な影響力はありません。
そにほか反原発を唱える少数政党もありますが、選挙協力をして統一行動をするとか、成熟した動きはまるでなさそうです。
いくら国会前での抗議行動で盛り上がっても、肝心の選挙で候補者が当選できなければ政治を動かすことは到底できません。運動と政治とのかい離。護憲勢力のばらばら加減にはうんざりしますね。
相手をののしったり、過去のことを批判するのは日本の左翼は得意ですが、大同団結してことにあたる、相手との異を認める器の大きさは皆無ですね。これでは自民党には絶対に勝てません。自民党はおおらかな国民政党的要素が色濃くいまだに残っていますから。
ようするに日本の左翼には「おおらかさ」がない。「面白くない」「とんがりすぎている」です。お互いとげの生えた手では握手すらできません。
左翼という概念で護憲運動や反原発運動はしないほうが良いと思います。また違うプラットフォームをつくらないと駄目でしょう。そう思います。
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今日は晴天でしたが、夜須へセーリングには行きませんでした。天気予報では風が強すぎるようなので、下手くそは行かないほうが無難であると日和ました。行事日和であり、春野公園では、なでしこリーグと、南国FCの試合もあったようですね。
午前中は父(93歳)をゴルフの練習に付添。戻ると家の片づけ。昼食は私がこしらえました。それで午後1時過ぎからは家内と高知市内を散歩しに行きました。
はりまや橋商店街ですが、27日の隣接するよさこい情報館に開館に合わせて、商店街中央の広場のテントを新しくして、塀も塗り替え気分一新です。
日曜市を歩きました。追手前小学校は閉校され解体されています。これで高知市中心市街地はますますだめになることでしょう。
日曜市では仁淀川町から井上光夫さんたちが今日から出店と聞いていましたので、お訪ねしました。ほとんど品物は売れてしまったようでした。ねぎと野菜を購入しました。
高知市の風情の1つは爺様たちの屋外将棋。これを商店街は何故取り込まないのか。じつにおもしろい光景なのに。
丸の内緑地では、「アース・ディ」というイベントが開催されていました。こだわりの露店がでていました。音楽の演奏もされていました。初めて見学したのではないでしょうか。コーヒーとお菓子を楽しみました。
戻って来て録画でなでしこリーグの「日テレ・BVS湯郷」の試合を後半から見ました。さすがに女子でもプロサッカー。見ごたえのある試合でした。結果は0-0の引き分けでした。計画性があれば観戦に行けばよかったと思いました。
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4月20日は早朝に森二葉町自主防災会会長と荒木副会長とともに高知市を出発し、徳島県三好市のNPO法人マチトソラ主催の行事「春の薬草山採取ツアー&プチ料理ワークショップ」に行きました。
3月7日に武川理事長と茂泉さんと三好さん3人が二葉町の現地視察に来ていただきました。その答礼もあり、3人で参加させていただきました。
三好市池田の古い町並みの古い民家があるマチトソラが入居している場所に集合しました。
そこから茂泉さんの運転で池田から国道192号線を東進し井川町へ。国道沿いはまた高知では見かけないコンビニ。チェーンのセブンイレブンの店舗もありました。
国道から少し入っただけで山が視界に迫って来ます。どんどん山奥に車は入り込みました。最初はフキを採るための場所へいきました。地元の人たちに要領を習いながらフキを採りました。
次の場所はワラビがたくさんあるところでした。秋口に萱などを刈込、それが結果として肥料になるのか、こちらのワラビは勢いがあります。
山菜や地元の植物の説明をされています。
桜の古木もありました。
最後に行った場所はイタドリがたくさんありました。昔は徳島の人たちは食べなかったそうですが、隣県の高知の人たちが採りに来るので興味をもたれたそうです。
お昼前にひととうり「収穫」が終わり、皆でお弁当を食べた後は、井川町の農産物加工センターの調理場へ行き、収穫した山菜(ワラビ、フキ、イタドリ)の調理法について地元の方たちがお手本を見せていただきました。
午後2時過ぎになり、空模様が怪しくなりましたので、早めに帰らせていただきました。得難い体験が出来ました。
これをまた契機に三好の皆様と交流が深まれば幸いです。
(デジカメで撮影した画像に2008年3月の表示が出ていますが間違いです。なぜ出ているのかわかりません。)
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香南市の野中明和副市長が、高知市二葉町の現地調査に来ていただきました。19日に下知コミュニティ・センターにて、防災寺小屋塾頭の西田政雄さんを交え懇談しました。5月31日に予定されています講演会「立体換地から学ぶ下知再生への道」(下知コミュニティ・センター防災部会主催)の事前調査と打ち合わせに来ていただきました。
そして下知地域の二葉町周辺をまち歩きをしました。低地であることをよくご理解いただきました。
昨年二葉町内の空き家から出火し全焼しました。古家を壊せば固定資産税が3倍になるので、人が住まない古家が多くなりつつあります。
「下知の二葉町地域が低地であることは良く理解できました。減災・防災の観点とともに、まちづくりが大事です。どういう街に今後どうしていくのかが大事なのです。」
「欧州と異なり日本の都市計画は50年程度を前提としています。50年ほど前にこのあたりの都市計画がされていた話を聞きました。だいたいそれが終わり、次の50年をどうすればいいのか。検討すべきちょうどの時期であると思います。」と野中さんは言われます。
つまり今ある海抜0メートルの街を「スクラップ」(放棄)して、高台に新たな街をこしらえることも一つの方法です。また街全体を10メートル以上かさ上げして街をこしらえる方法もあります。「スーパー堤防」と言われ方法です。
高い建物をこしらえるにしても50年ぐらいが建物の寿命だから、そのあとどうするのかも含め検討しないといけないです。「センター方式」での管理の方法も検討しないといけないどのこと。
記録に残りかぎりにおいては南海地震は100年周期で起きています。土佐の私たちの先祖は地震で家屋が破壊され、津波で浸水し、時に「亡所」と言われるぐらいになにもなくなっても、多くはまた同じ場所に家屋を再建し住み続けて来ました。命を繋ぎ生活をしてきました。
低地で海抜0メートルの下知地域で私たちはどう「生きのびたらいいのか」を南海地震が起きる前に真剣に議論をしなければならないと思います。
「立体換地から学ぶ下知再生への道」の講演日程です。
(日時) 5月31日(金曜)午後6時半より(6時開演)
(場所) 高知市下知コミュニティ・センター4階・多目的ホール
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今日は、指導の大塚理恵子さんが研修で、活き活き100歳体操はお休み。毎週金曜日は、はりまや橋商店街へ行く。と習慣づけしていますので、体操はなくてもお昼過ぎに母(87歳)を連れて行きました。
今日は絶好のお天気。寒くもなく暑くもない天気です。
いつものようにパン屋でドーナツをと思いましたが、行く時間帯が早かったので、別の菓子パンを購入しました。
夕食のコロッケはしっかり購入しました。420円に対して、500円玉と20円を出し、100円のお釣りをもらうことはしっかりやっています。
露店では「光の村」のブースでパウンド・ケーキとせんべいを購入しました。
木造アーケード商店街を少しだけ歩いてもらい「腰が痛い」と大声で言いましたが「歩かないと歩けなくなるので歩かないといかん!」と大声で言い合いしながら歩きましたので、皆驚いていました。
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最近の私の心情は「面白くないことはやらないこと。しないこと。」です。
理由は「人生は限られている。それに最近は超高齢の両親のケアもあり、自分の時間が限られていますから。
地域の自主防災会関係の活動も多忙。当然仕事もしているし、息抜きのヨットはしないと体も精神ももたない。ということで、とにかく「時間がない。」のです。
先日ある知人が「反原発とTPP反対の市民団体を立ち上げたいが、発起人になっていただけないか。」と言われました。賛否両論のある難しい問題。到底今の私には処理できそうもいない問題です。
「まことに申し訳ないですが、関わる時間がありません。今の私の最大の課題は、南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびる ことです。政治的には超党派で取り組んで地域の課題を解決しようとしていますので、関われません。」とお返事しました。
原発問題やTPP問題が「面白くない」というのは不謹慎だと怒られることでしょう。大事な問題ではあるでしょうが、今のわたしには集中してその問題を考え行動する余力がありません。考えきれないことは実行できませんから。
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北朝鮮の独裁者金王朝の「記念日」が、4月から5月にかけて連続してあると言います。若くして経験不足気味の現在の独裁者としては人民に権威を見せつけないといけない立場のようです。
韓国との経済交流も遮断し、国営放送メディアを使用し、米国をしきりにけん制している発言をしています。核ミサイルの発射と核実験が「究極の瀬戸際外交」と言えるのかどうも危ない。
見るといころ本気でアメリカ相手に戦争を仕掛けるとは思えません。宗主国の中国も期待されるほど北朝鮮をコントロールできないようです。経済が失速気味なので、北朝鮮などかまっておれないことも確かでしょう。
アメリカは「北朝鮮が核開発を放棄することを確約すれば、話し合いに応じる。」とのメッセージをだしてはいますが、どうなることでしょうか?さっぱりわかりませんね。
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両親のケアマネージャーをしていただいている下村恵子さんから、父へ嬉しいプレゼントがありました。タンパク0gのカップゼリーです。1箱半もありましたので100個ぐらいありました。
慢性じん不全の父(93歳)は、タンパク質の制限をした食事しかできません。ご飯とパンとお餅は「減タンパク」食品をヘルシー・ネットワークという通販で購入しています。支払いは毎月3万円程度。全く保険の適用がありません。おかしなことですね。
腎臓が悪化し透析状態になれば医療補助が受けられます。透析をしないようにタンパク質制限の食品を購入し食べているのに、この国は何の支援もないのです。おかしな制度であり、しくみです。
下村さんからお話を聞けば、ご利用されていた腎臓が悪いクライアントが、容体が急変し逝去されたそうです。利用されていた食品が不要になり、捨てるのもなんだからとご家族から相談があり、いただいた話でした。ありがたく父に頂きました。
「命をつなぐ話」であります。93歳で食欲旺盛な父ですが、タンパク質が多く入った食材を食べることが出来ずしょんぼりすることも多かったです。おかげでこれからの暑い季節乗り切れそうです。食材を託していただいたご家族の意思を活用させていただきます。
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海抜0メートル地区に住む高知市下知地域住民の悲願であった「下知コミュニティ・センター」がようやく開館しました。記念講演会は、岡村眞高知大学特任教授。テーマはまさに「南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびるために」です。岡村教授は、3月20日にも「下知減災まち歩き」で下知地域を2時間歩いていただきました。
4月14日には、下知コミュニティ・センター開館記念講演としまして、高知大学特任教授である岡村眞氏が、3月20日の「下知減災まち歩き」踏まえた講演内容でした。
「揺れの強弱に関係なく、1分以上の揺れであれば。、南海地震です。津波は30分もたたないうちに来ますので、3階建て以上の建物に避難してください。」
「高知市の津波高は沿岸部の地域に比べ低いです。それは浦戸湾の天然の地形が幸いしています。孕の狭い湾口のおかげで、大津波は両側の山が堤防代わりになり、市街地への襲来はかなり低減されます。でも入った津波は出ないので、どんどん海面は高くなり、6時間後が1番高くなります。」
「下知地域では、揺れている最中に、地盤沈下が始まる可能性があります。どう逃げるのかを想定した避難訓練が必要です。
新想定では高知県全体が地震域にはいりました。真下で地震が起きます。下知では震度7の強い揺れが最大で3分あります。家具の固定や家屋の耐震化は必要です。」
「働いている人でも自宅の時間が6割、事業所が3割で、1割が移動時間です。自宅の家具の固定化、窓ガラスの飛散防止、家屋の耐震化はなにより大事ですね。とにかく自宅で怪我をしないことです。」
岡村教授は、まずは自宅でも安全が第1と言われました。「2階建ての家屋であれば、2階で寝起きすることが大事です。マンションは高層階ほど揺れが大きいです。家具の固定化は必ずしてください。入口のドアも建物の歪みで開かなくなる可能性が高いので、バールを常備しないといけないです。」
また高知市下知地域全体の特色についても言われました。
「下知地域全体は海抜が低い。地盤沈下による浸水や津波の被害からまぬがれる海抜10メートル以上は比島地区と橋梁の上しかありません。まず車での避難は無理な地区ですね。
江ノ口川南岸地区は海抜が、北側地区に比べ低いですね。北側は新しく造成されたこともあり、土地をかさ上げしています。」
「国分川の堤防と鏡川の護岸は耐震化工事が進行中です。でも久万川や江ノ口川護岸は脆弱。津波や浸水は南側から始まるわけではない。北側から下知地区の浸水が始める可能性もあります。
水は低いところに流れます。地域でどこが1番低いのかを頭に入れてください。」
また下知地域の地盤図では、下知地域全体が埋立地です。青柳町、小倉町、丸池町、南久保は、水面であったところを比較的最近埋め立て宅地化された地域のようです。
また岡村教授は「指示待ち」ではだめだ。自分で判断して高いところへ1分でも早く避難しないといけないと言います。
南海地震の場合は、津波の高さ予想や、地震の規模については公表しないようになりました。また停電も起きますので、テレビやラジオで確認して避難することはできません。
それぞれが判断しないといけません。そこにいる人がリーダーになる必要があります。」とも言われました。
通信手段なども寸断されますので、避難所などの屋上では「SOS]「オムツ・食糧」とかヘリから情報を読み取れるような1M大の字を描く練習も必要です。」
「地震は起きた後からは精緻に分析されますので実態がよくわかります。東日本大震災では500キロにわたって海底地盤が割れました。
南海トラフ地震は、割れは同程度か、それ以上なのかはわかりません。いつ起きるのか予測することもできません。
ただ南海地震は記録のある1300年前からは。、100年周期で起きています。昭和の南海地震(1946年)から67年目ですが、規模が小さい地震ですので、あと13年後あたりに起きるのかもしれません。」
岡村眞教授の講演は、地域性を考慮された的確なものでした。まさに「南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびるために」ことを実践しなければならないと思いました。
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4月14日は晴天でした。地域住民の悲願でありました下知コミュニティ・センターが開所を迎えました。
報道関係者や地域住民が見守る中、オープニングは桜井幼稚園の園児たちが、合唱「うたえバンバン」と演奏「夢をかなえてドラえもん」をしていただきました。
そして吉岡副市長、松原高知市教育長、高知市議会議長、高木妙市議、恒石コミュニティ・センター運営委員長らがテープ・カットをしました。
関係者は4階の多目的ホールに移動し、記念式典が開催されました。
吉岡章高知市副市長は「昭和46年に開所した下知市民図書館の建物が老朽化したため、地域の皆様から新築のご要望がありました。しかし高知市は財政難になり、工事は延長を余儀なくされました。
地元の皆様のご要望は地元の高木市議らのご尽力もあり、平成23年の着工となりました。直前に起こりました東日本大震災を考慮し、当初の3階建てを4階建てにし、屋上部なども併設し設計変更しました。
図書館機能だけでなく、公民館機能と地域の交流拠点、地域防災の拠点施設として、完成しました。誠に喜ばしいことです。」と挨拶されました。
松原教育長や高知市議会議長も挨拶されました。
続いて神戸市長田区在住のNGO国境なき災害支援隊代表のチョ・ホンリさんが下知コミュニティ・センターに挿絵とフラグの寄贈をしていただきました。贈呈式に出席するため防災部会長でフラグを受け取るために普段着用しないスーツ姿で出席しましたので、「誰かわからんかった。」と知人たちに言われ続けました。
記念式典が終わりますと、開館記念講演会として、高知大学特任教授の岡村眞氏が、「南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびるために」がありました。レポートは別項で行います。
記念講演会修了後、同じ会場で祝賀会がありました。地元の関係者や市役所の関係者が懇親していました。
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4月5日の高知県知事の出演番組の中で、知事は「二葉町と仁淀川町の交流がヒントになり、今年度予算で「結」プロジェクトを推進事業費をつけました。集落活動センターを拠点に、都市部と中山間部の交流をより促進させるためのものです。」と言われました。
地域代表の坂本茂雄県議からいただいた「平成25年度歳出予算見積書(その3-2)によりますと、新規事業として、中山間地域対策課のなかの「高知県「結」プロジェクト推進事業費として、総額2132千円が計上はされています。
説明を見ますと、
1)事業の目的・内容
中山間地域における集落の維持。活性化を推進するため、民間の方々(企業・大学・NPO等)と集落との交流活動を集落支援活動に繋げる仕組みとその拡大に向け、集落と民間の協働の取り組みを支援する。
2)見積概要
1・高知県「結」プロジェクト推進事業費補助金
補助先 市町村
補助対象 「結」プロジェクトの導入にかかる集落の活動経費
補助率: 2000千円(定額)×10か所
2・事業費
報償費132千円
県の予算はだいたいそうで、市町村や組合法人(農協・森林組合・商工会)などが窓口になっていますね。
なんだかめんどくさそうですね。役人がこしらえる補助対象は、」市町村とか組合などの既存の団体。二葉町自主防災会などの民間団体は使えそうもありません。
2年前から懸命に「仁淀川町ー二葉町交流事業」をやっていますのに、まったく県や高知市の支援はありませんでした。これからもこの種の予算は使い勝手が悪そうで「使えない」ようですね。
具体的には、仁淀川町の安居渓谷の宝来荘へ、二葉町自主防災会の住民各位が6月に疎開体験をしにいきます。その場合のバス借り上げ料などを補助していただければ助かりますが。なんだか気分がなえるような高知県庁の文章です。
業界が違うので、どうもわからないところがありますね。
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今日は高知市二葉町に完成しました下知コミュニティ・センターの開所式です。図書館と公民館施設と災害時の避難・一時収容施設の開所記念式典と講演会が行われます。
記念講演会は、高知大学特任教授の岡村眞氏。講演テーマは「南海トラフ巨大地震から下知地区で生き残るために」です。午後2時から2時間の予定で、下知コミュニティ・センター4階大ホールで開催されます。(駐車場はありません。)
3月20日に岡村眞氏とともに雨の中地域住民70人が「下知減災まち歩き」をしました。今朝の朝日新聞高知版に下知減災まち歩きの記事が掲載されています。
まさに「南海トラフ巨大地震から下知地区で生き残るために」がテーマです。命も家庭も、仕事も、近隣のつながりも、地域社会も生き残るために、皆で知恵を出し合いましょう。
当時のブログ記事です。 下知減災まち歩きを実施しました。
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天気図を見ても今日は「温厚な天気」ですね。
3月23日以来の夜須のハーバーです。なんだか久しぶり。4月になって初めて来ました。
このところ悪天候や体調不良でろくにセーリングしていません。今日は温厚な天気なようなので久しぶりに行きます。良いセーリングができるでしょう。
子供が原画を描いた「龍馬カップ」のポスターも評判は悪くはないので、海の駅クラブへの「出入り」もできるようですから。
明日から暖かくなるそうですが、今朝は寒い、朝5時半過ぎに淡路島で地震があって揺れで飛び起きました。事務所の温度計は10度でした。それでドラースーツを着用して「真冬仕様」のセーリングです。
4月になって夜須方面へ行くのは初めてですね。南国市の香長平野ではもう田植えが終わっています。
ハーバーへ近づくとセーリングの前は運転席側の窓を開け、走行しながら海の上の温度を予想します。風が意外に冷たい。やはりドライ・スーツ着用と判断できました。
3月23日以来の夜須のハーバーです。なんだか久しぶり。4月になって初めて来ました。
慎重にぎ装して海へ出ました。今日はジュニア・ヨットクラブや高知大学ヨット部や社会人も来ていて15艇ぐらいになり賑やかなセーリングでした。
風は程よく強く冷たい。波はない最高の条件でした。どんどん散帆(さんぽ)しまして赤岡沖まで行きました。とても気持ちがよく最高のセーリング日和でした。
ジュニア・ヨットクラブも井土コーチの指導の下にマーク回航やスタートの練習をしていました。U-17やU-15世代は若々しい。還暦の爺さんは羨ましくも思いながら眺めておりました。
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吉本隆明という「共同幻想」(呉智英・著・筑摩書房)を珍しく新刊本で購入して読みました。筆者の呉智英氏も、学生時代に当時の「流行もの」の吉本隆明氏の著作をを買い込み読み漁ったそうです。
でも意味不明な表現や、意外に乱暴な言葉、論理の飛躍を感じ、共感することなく当時の読書は終わったとか。昨年3月に吉本隆明氏が87歳で逝去され、改めて著作を読み返し、今回の著作になったようです。
呉氏は吉本隆明氏の表現の難解さ、というか、「いい加減さ」を批判しています。
「大衆の原型というものを想定しますと(略)たとえば魚屋さならば魚を明日どうやって売ろうかというような問題しかかかんがえないわけです。(略)
つまり生活のくりかえしのなかでおこってくる問題のみをかんがえるというようなものを、大衆の原像、ユニットというふうに考えていきますと、そのユニットというものが、そのユニットを保ちながら現在どういうふうに変化しているかということ、そういう問題を知識人が知的な上昇の地点からたえずじぶんの思考の問題としてくりこむというような課題を、意識的な過程として知識人はもっているわけです。(略)いかに大衆のもっている原イメージというものをじぶんの知識的な課題としてくりこむことができるのかというような、そういう課題を、「知識人は」、たえずもつことを意味します。」(講演「自立の思想的拠点」、単行本「情況への発言」河出書房新社。1968)
たしかにわかりにくい。呉氏はこう言っています。
「冗長にぐだぐだしゃべっているなかに唐突に生硬な言葉が出てきてわかりにくい。「ユニット」とは「社会の構成単位」という意味である。
「知識人の知的な上昇の地点」とは何のことだろう。「大衆から知的に上昇した知識人の位置」ぐらいの意味だろうか。「知識的な課題」という言葉も普通は使わない。単に「知的な課題」である。
おかしな造語とわかりにくい構文は吉本隆明の講演のみならず文章にも見られる特徴だが、それはともかく、町の魚屋のような日常生活をそのまま生きている大衆を、社会の構成単位として知的な課題に繰り込むという言葉は、印象に残った。
大衆の具体例として魚屋を挙げるのは吉本の得意技らしく「擬制の終焉」などにもしばしばこの表現は出てくる。これは確かに実感的なうまい表現である。
問題はどう「織り込む:かだが、これについて私は吉本に本質的な異論がある。」(P15「吉本隆明ってそんなに偉いんですか?」
呉氏は共産党や社会党などの旧左翼や安保全学連からの新左翼も どうみても魚屋を織り込んでいるとは思えなかったと言っています。それはそうだが、わかりにくいし、なんだろうなというのが呉氏の全体を通じた感想なんですね。
難解なもの、わかりにくいものは案外人気がありますね。仏教でも道元の「正法眼蔵 正法眼蔵随聞記」を読もうとした時期がありましたが、現代語訳で読んでも難解でわかりませんでした。吉本隆明氏は、大衆原像だとか言っていましたが、いまだによくわからない思想家です。
呉氏が晩年の吉本隆明氏は、老醜であると批判していましたが、超高齢者で母と同年代であるだけに年寄りの文章にはむしろ親近感があります。
「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。
頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。
僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」「吉本隆明「老いの幸福論」(あとがき)
吉本隆明氏は、入院中に感じたことを淡々と書いていて面白い。
解釈はいろいろあっていいと思いますね。呉智英氏は批判的に書いていますが、それもいいんではないですか。私なんぞは吉本氏の言う「大衆そのもの」であり、300M四方の町内が「すべて」の人間にすぎません。
販売する品物に価格決定権はなく、毎日お右往左往しています。納税はしていますが、役所のやることには地域の減災対策は皆無に近く、到底納得できる、ものではありません。県庁や市役所の理屈と時に対立することもあります。
私の立ち位置はあくまで、「300M四方の二葉町」です。そこから出れない脱出できない立場から世界を見ています。
まあまあ面白おかしい著作でした。
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今日は、朝は父(93歳)の定期診察日と点滴があり植田医院へ行きました。戻ってから、メーカーの人が来られて同行訪問活動をしました。はりまや橋商店街への送迎は息子に頼みました。
同行訪問活動が手早く片付き、メーカー担当者も急用ができ予定より早く帰りました。それではりまや橋商店街へ母(87歳)を迎えに行きました。
行くとまじめに活き活き100歳体操を母は叔母と一緒にやっていました。このはりまや橋商店街の活き活き100歳体操がいいところは、体操の指導を社会福祉士でもある大塚理恵子さんが直接していただけることです。多くの10歳体操教室はテレビ画面に向かってVTRを見ながらですので、はるかに丁寧です。サポートも時にしてくれます。
体操が終わりますと母と叔母(80歳)は谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入していました。
腰が少々痛くても母は体を動かさないといけないのです。月曜日の介護予防リハビリの「ジョイ・リハ」と金曜日の「活き活き100歳体操」は、母は参加しないといけませんので。なかなかそうしむけるのが大変ですが、根気強く促すしかありません。
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父(93歳)は、慢性腎不全という持病があります。2008年には脳血管障害で搬送され、手術をしています。母(87歳)は、4年前から軽い認知症。半年前から骨粗鬆症による圧迫骨折で腰痛になり、歩行が辛そうです。
毎週月曜日の午後12時5分前後にジョイ・リハの送迎車が来ます。11時過ぎには両親の昼食の用意をし、着替えを済ませ、トイレにも行ってもらわないといけないです。なんとか体制を整え、送迎車に乗っていただきました。やれやれです。
ジョイリハでは、体操や口の体操、歩行訓練や、筋トレもメニュー化してやっています。3時間程度の短時間ディサービスですが、両親には介護予防にはなっています。ありがたい施設です。
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町内会でお世話になっているある長老さんの自宅に出向き、防錆塗装を午前中しました。今日の高知市4月10日なのに冬型になり寒いこと。
朝作業始めの気温は15度。正午でも16度しかない。昨日は20度を超えていて絶好の塗装日和でしたが、長老夫婦は用事があり作業ができませんでした。それで今日になりました。l
20度を超えておれば防錆塗料(ラストボンドSG)が使用できましたが、今日中に乾燥硬化しません。それで冬型のラストボンドLTのサンプル(富士山測候所用)があったので、それを使用しました。これなら夕方までになんとかなるでしょう。
家屋の敷居がトタン。経年劣化で剥げています。亜鉛メッキ面でも旧塗膜面でも強固に引っ付きます。試験塗装はいつもしているので長老宅でしました。養生作業や、さび落とし作業や塗装も長老と一緒にやりました。
写真はまた業務用のサイトにアップします。この防錆塗料は特殊塗料で業務筋が土木関係や建築塗装でこの冬から春先も使用していただきました。一般家庭用にも当然使用できます。
ただ業界の「言葉の壁」があり、防錆塗装になじみのない一般の人たちを納得させられるかどうかの実験ですね。ついでに長老への奉仕もあります。地域活動は長老さんが大事ですから。
塗装作業は敷居はすぐに終わり、鉄の物干し竿うや盆栽を置いてある鉄部なども塗装させていただきました。
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腰が痛い。歩けない。と母が言うので、近所の田村内科・整形外科へ連れて行きました。普通なら徒歩5分の距離ですが、車で連れて行きました。
待合室で待っていますが、なかなか母の順番が来ません。母はいられて、「遅いね」を繰り返し、何度もトイレに行きます。写真は病院へ来て3回目のトイレ。
「保険書は出したね。」と何度も同じことを5分置きに言います。座っていると腰は痛まないので「何しに来たんだろう。病院へ来る必要はない。帰りたい。」と我儘なことを言い出します。その都度、温厚に「もうすぐ順番になるからね。」と言いましたが混んでいるのでなかなか順番が来ないので正直疲れました。
ようやく名前を呼ばれ、診察に。腰が痛いう旨を言いますが、母は医師の前では「たいしたことはありません。」なとと心にもないことを平気で言います。発言を訂正させ、腰の痛みが増していることを医師に伝達しました。そしたら腰部のレントゲンと、骨密度測定をするとの事でした。
昨年の9月にも来ています。」その時よりは骨密度が少し下がっていました。同年代の女性の平均の86%、20歳の女性の53%の骨密度でした。
圧迫骨折もそれほど酷くはないようでした。やはり本人は痛がっても外出させ、散歩させないといけないようです.。
母を連れて病院へ行くと、落ち着かないのでとても疲れます。
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日本銀行の総裁が「白から黒」に代わってから大幅な禁輸緩和政策がとられました。市場は歓迎して、株高・円安基調になり、通貨供給量を今の倍にする。」デフレ脱却をするとぶち上げています。
株をやっている人たちは好感をもっているようですが、貧乏な我々は関係ない話。どlこにも好景気を感じる生活環はない。恩恵を被ったというひとは周りでは見たことはないですね。
民主党政権時代に、引き締めだ、歳出カットだと公約をすべて破棄して、消費税増税に走ったのに、今は全くころなる大盤振る舞い政策。よくわかりません。
実際にお金が、新しい成長分野に闘志されるのかもわかりませんから。貧乏人は様子見ですね。
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4月1日のクローズ・アップ現在はなかなか良い内容でした。「ガバメント2.0 市民の英知が社会を変える」というテーマでした。
夕方になって目が痛くなり、音声だけ聞いていましたが、携帯端末などを市民と行政が活用し、信頼関係を形成しているようです。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3326.html
番組では、米国フィアデルフィア市でしたが、ある女性が落書きを発見。早速スマートフォンで写真を撮影し、市役所に連絡。市役所はすぐさま位置を確認。翌日清掃業者を現場へ派遣。高圧洗浄機を使用して落書きを綺麗に速やかに消しました。
以前は市役所へ電話しても、担当者につながることはなく、たらいまわしにされ事態が放置される事例が多くあったとか。結果的に市民参加が増えて、行政経費も削減されたとか。
この事例が本当の市民参加ですね。
あいかわらず大阪市のファシスト市長である橋下徹氏は、職員に不当労働行為を繰り返し、行政組織を破壊しようとしています。この人たちのやっていることは、単なる賃金の切り下げと、行政への不信感を高め、人々の心を荒廃させているだけの独りよがりに、早く大阪市民の皆さんも気が付いてほしい。
本当の市民参加の在り方を、表わす良い事例でした。
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昨日の大雨は朝から上がり上天気に。二葉町町内会の大懇親会が高知市の青柳公園で開催されました。
当初は東南角で段取りしましたが、西高東低の気圧はなり強風が吹き荒みます。
それで西南角の場所へ移動しました。
風こそ強かったですが、上天気でした。
昨年に引き続き、仁淀川町の皆様も産物販売に来てくれました。ユニークな製品があルので、ほとんど売り切れました。
二葉町には「芸達者」の方もおられます。
結構皆さんどんどん歌ったり、踊られたりしました。
昼間のお酒は効きますね。大酔いです。.
ユニバーサルな二葉町町内会の大懇親会。150人を超える参加者があり、親睦を深め成功裏の内に午後3時過ぎに無事終了いたしました。
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4月6日は1日雨の予報。晴れておれば間違いなく夜須の海で「散帆」をしている私です。「晴航雨読」なので、今日は読書や文化行事に参加することにしています。
下知コミュニティ・センターの2階に、下知市民図書館の新館が今日から開館しました。そのことを記念して「片木太郎版画展」が、3階会議室で開催されました。
片木太郎氏は県立追手前高校で美術を教えられていたそうですが、教え子で絵画活動をされておられる浪越篤彦氏が片木太郎氏の木版画の解説やエピソードを会場でご披露いただきました。午後1時半からは、ギャラリー・トークです。
片木太郎氏は1926年に高知市生まれ。祖父は自由民権運動の指導者板垣退助の警護者であり、父親は日本刀の鞘を作成する職人であったとか。生涯2万本を制作したそうです。
片木氏はなかなかの秀才で陸軍士官学校へ入学。職業軍人の道を歩むつもりが敗戦となり、戦後は現在の香美市に疎開していたそうです。落ち着いたころに代用教員となり、高知大学へ行かれて卒業後は高校の美術教師をする傍ら絵画の制作をされていました。
高校時代(追手前高校)に浪越氏も指導を受けたそうですが、最初に出欠をとると、あとは指導官室へこもり絵画の制作し、終わることに出てきたそうです。あれこれ細かいことはなにも言いませんでしたが、作家としての姿を生徒に見せていたと思うとのことでした。
会場に展示されている木版画の解説をしていただきました。もともとは洋画ですが、手先が父親譲りで器用なので木版画もされていました。今回ギャラリーに展示してある木版画は、下知地域の風景です。
見ますと30年以上前の近所の都市風景であり、幼少時の頃をを思い出す作品でした。今回の木版画の作品は」1980年代初頭に作成されたものです。
浪越氏によれば、時折風景の木版画に人物が登場する。帽子を被った男性は片木氏であり、女性は夫人だそうです。
作品も実写ではなく、自分なりの空間編成で必ず現地で描いていたそうです。
浪越篤彦氏からご自身のアートギャラリーの絵葉書をいただきました。今日は生憎の雨でしたが、ものすごく得した気分です。
なかなか画力のある人たちが地元にもいたんですね、感心しました。
南海地震関連コーナーもありますね。
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高知シティFM放送に「ラジオでつなぐ防災フォーラム」という番組があります。いつもは橋本さんと西やん(西田さん)がコンビで番組に出演されています。急遽西田さんが急用で出演できなくなり、わたしが代役で出演いたしました。4月5日の夕方のことでした。
尾﨑正直高知県知事がゲストで私が質問者役です。「高知県の防災政策」「ソフト面の対策」「南海トラフ特措法について」「国土強靭化法」について橋本さんが質問されました。
私のほうからは「県都を遷都しないとすれば低地の市街地は立体換地が必要」「地域コミュニティを維持しながらの疎開への活動の支援は?」「大人数の低地の市民を浸水からすぐに避難させる方法で浮体式メガフロートを考案しました。」「横断歩道橋を津波避難施設にできないか」を質問しました。
さすがに知事はクレバーで時間内にわかりやすくよどみなく答えます。
「すべての対策は事前の減災につきます。2005年のアメリカのハリケーンカトリーナの被害は、連邦政府が2200億円の堤防建設費用を削減したがために、15兆円の損害が発生し、復旧に7兆円かかりました。
南海トラフ巨大地震への対策も事前の減災を念頭にしています。」との言葉が特に印象に残りました。詳細は可能なら後日報告します。
高知シティFM(76・2MHz)の「ラジオでつなぐ防災フォーラム」の放送日は、4月11日(木)と25日(木)の午後18時から18時25分の予定です。
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4月第一週目のはりまや橋サロン。高知市は快晴で温度は22度を超えている。仕事をするのはもったいないお天気ですが、明日は一転して大荒の予報。中国から発達した低気圧が日本列島を駆け抜け、まさに「春の嵐」状態になるようです。
明日予定した久しぶりのセーリングも中止ですね。それはさておき母(87歳)を連れてはりまや橋商店街金曜露店,市へいきました。
母は車を降りるや、「腰が痛い帰りたい。」と言い出します。なだめすかして、まず魚の棚のパン屋でドーナツを購入。次に夕食のコロッケ。露店のパン屋でクッキーを購入し、谷ひろ子さんの露店で焼き菓子を買う頃には腰痛は忘れています。
活き活き100歳体操も今日は8人の高齢者の皆さんが来られやっていました。もう今日は初夏のようです。
4月27日からはりまや橋商店街東詰めのNTT東局1階部で、よさこい館(?)が開館するようです。新しい集客装置となるかどうかはわかりません。
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父(93歳)は、慢性腎不全です。2年前は体全体がむくみ、今より体重が20キロ近く増えていました。植田一穂先生のご紹介で、高知医療センターへ4月に入院しましたから。
とにかく父はしんどい様子で、車いすで検査を受け、診察を受ける状態でした。年齢的にもこのまま体の機能が衰えていくのではないかと家族として心配していました。
2週間の利尿治療で老廃物を体外へ排出し、自宅へ戻ることが出来ました。その後介護認定を受け(要介護度1)、介護予防リハビリ通所施設ジョイ・リハへ週に1度母(87歳)と行くようになり元気を取り戻しました。
お天気であれば、毎日散歩しています。週に1度はゴルフの練習へ行っています。腎臓の機能が超高齢にもかかわらず回復しつつあります。
クレアアチリン値は2・18と横ばい状態。植田一穂先生は「この状態が維持されておれば満点です。」と言われました。超高齢者でも健康は回復するものです。
そうかと思えば、今朝息子の高校時代のクラブの先輩が急逝したとの連絡がありました。まだ未婚と思います。なんとも悲しい話を聞きました。ご冥福をお祈りします。命の大切さを年度初めに感じました。
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先週の木曜日から酷い眼精疲労に。おかげで部屋の中でもサングラスをかけ、休日には紫外線を避けるために海でのセーリングもせず、ひたすら養生していました。その甲斐があり、ようやく回復してきました。
3日間PCの前に座らなかったら、仕事も雑用も溜りにたまっている。焦らず処理していくしかない。
新年度のスタートとなりました。いろいろとしなければいけないことがおおくあります。
気持ちを切り替えて頑張ってみよう。
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けんちゃんの
この10年は、高知の高校野球の県代表高は、「出ると負け」という1回戦敗退が多かったようです。名門高知学園も出場しても1回戦敗退が多かった。選手も監督も懸命に試合に臨んでいましたが、結果がしばらく出ませんでした。
それが今回の高知高校。いずれも優勝候補の対戦校を破って準決勝進出とか。38年ぶり快挙であるそうですね。
38年前といえば、1975年ですね。お昔のこと。桜が満開の東京井之頭公園を家内と散策していた記憶があります。確か準決勝は高知高校は報徳学園高との対戦。公園北口の焼き鳥屋のラジオで結果を知ったものでした。
その後決勝で、原辰則選手がいる東海大相模高を破り高知高が選抜優勝をしました。夏の県大会では、土佐高校に敗れたような記憶があります。その年は9月に高知は大水害。いの町の実家にいましたが、床上浸水の記憶があります。親戚宅は土砂崩れ。父の会社は水没。得意先もほとんど浸水被害を受けていました。
それから30数年、いの町も高知市も内水面の大雨対策を国の支援で完成させ、水害に強い街になりました。安心して1979年に現在の高知市二葉町に会社の事務所と倉庫と自宅を購入したことでした。しかし今は南海トラフ巨大地震の脅威にさらされています。当時は南海地震なんて誰も言ってはいません。
2年後の1977年春は、中村高校は山沖投手の活躍で準優勝。尼崎市の会社へ入社し、甲子園に観戦に行きました。1980年は中西投手の活躍で高知商業が優勝しました。この年に東京から高知へ戻って来ました。
1985年は、初出場の伊野商業の渡辺投手の攻守の活躍で優勝しました。その後は選抜で決勝まで進出した高知県勢はありませんでした。
本当に久しぶりの快挙です。隣県対戦は残念ですが、できれば高知高校に決勝へ進出いただきたい。
投手は酒井選手と坂本選手の2枚看板で頑張っています。守備もエラーが少なく硬い。あとは打線の爆発でしょう。それが出れば頂点へ行けることでしょうが・・そればかりはわかりません。
と朝に書き込んでいましたら、午後の試合で同じ四国の済美高校に2-3で惜敗しました。でも高知学園高校よく頑張りました。いい試合でした。ラジオで聞きました。
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私としては「龍馬伝」以来3年ぶりにまじめにみている大河ドラマ。「視点」と「立場」が異なるとこうも違いものなのかと思いますね。
「八重の桜」では会津藩は幕府に忠誠を誓う傍ら、勤皇藩でもあり、孝明天皇の信任も厚かったと描かれております。長州藩は謀略で宮廷を牛耳ろうとし、失敗するや軍事力で攻め入る(蛤ご門の変)。池田屋の謀議は京を焼き払い天皇を連れ去り、攘夷の勅令を出さそうというテロ行為。会津の別動隊の新選組がそこへ切り込んで阻止したとか。
龍馬伝では、海援隊に参加していた望月を龍馬が絶命前に池田屋前に駆けつけ介抱する場面がありました。ある意味「地域による身勝手な歴史観」があるのは面白い。
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、最近野良犬メディアである週刊現代が全く面白くない。読む気がしません。
野良犬は権力者に「はむかうもの」と思い混んでいましたが、今や番犬になっています。
「安倍ノミクスで金持ちになる」「株高で稼ぐ」とか、提灯記事ばかりではないか。しょせんは講談社。権力には弱いものなのか。下品でもいいから野良犬で通していただきたかったのに残念ですね。
父(93歳)がクイズに応募するので、毎週購入しますが、最近は読む気もおこりませんね。
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