吉本隆明という「共同幻想」を読んで
吉本隆明という「共同幻想」(呉智英・著・筑摩書房)を珍しく新刊本で購入して読みました。筆者の呉智英氏も、学生時代に当時の「流行もの」の吉本隆明氏の著作をを買い込み読み漁ったそうです。
でも意味不明な表現や、意外に乱暴な言葉、論理の飛躍を感じ、共感することなく当時の読書は終わったとか。昨年3月に吉本隆明氏が87歳で逝去され、改めて著作を読み返し、今回の著作になったようです。
呉氏は吉本隆明氏の表現の難解さ、というか、「いい加減さ」を批判しています。
「大衆の原型というものを想定しますと(略)たとえば魚屋さならば魚を明日どうやって売ろうかというような問題しかかかんがえないわけです。(略)
つまり生活のくりかえしのなかでおこってくる問題のみをかんがえるというようなものを、大衆の原像、ユニットというふうに考えていきますと、そのユニットというものが、そのユニットを保ちながら現在どういうふうに変化しているかということ、そういう問題を知識人が知的な上昇の地点からたえずじぶんの思考の問題としてくりこむというような課題を、意識的な過程として知識人はもっているわけです。(略)いかに大衆のもっている原イメージというものをじぶんの知識的な課題としてくりこむことができるのかというような、そういう課題を、「知識人は」、たえずもつことを意味します。」(講演「自立の思想的拠点」、単行本「情況への発言」河出書房新社。1968)
たしかにわかりにくい。呉氏はこう言っています。
「冗長にぐだぐだしゃべっているなかに唐突に生硬な言葉が出てきてわかりにくい。「ユニット」とは「社会の構成単位」という意味である。
「知識人の知的な上昇の地点」とは何のことだろう。「大衆から知的に上昇した知識人の位置」ぐらいの意味だろうか。「知識的な課題」という言葉も普通は使わない。単に「知的な課題」である。
おかしな造語とわかりにくい構文は吉本隆明の講演のみならず文章にも見られる特徴だが、それはともかく、町の魚屋のような日常生活をそのまま生きている大衆を、社会の構成単位として知的な課題に繰り込むという言葉は、印象に残った。
大衆の具体例として魚屋を挙げるのは吉本の得意技らしく「擬制の終焉」などにもしばしばこの表現は出てくる。これは確かに実感的なうまい表現である。
問題はどう「織り込む:かだが、これについて私は吉本に本質的な異論がある。」(P15「吉本隆明ってそんなに偉いんですか?」
呉氏は共産党や社会党などの旧左翼や安保全学連からの新左翼も どうみても魚屋を織り込んでいるとは思えなかったと言っています。それはそうだが、わかりにくいし、なんだろうなというのが呉氏の全体を通じた感想なんですね。
難解なもの、わかりにくいものは案外人気がありますね。仏教でも道元の「正法眼蔵 正法眼蔵随聞記」を読もうとした時期がありましたが、現代語訳で読んでも難解でわかりませんでした。吉本隆明氏は、大衆原像だとか言っていましたが、いまだによくわからない思想家です。
呉氏が晩年の吉本隆明氏は、老醜であると批判していましたが、超高齢者で母と同年代であるだけに年寄りの文章にはむしろ親近感があります。
「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。
頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。
僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」「吉本隆明「老いの幸福論」(あとがき)
吉本隆明氏は、入院中に感じたことを淡々と書いていて面白い。
解釈はいろいろあっていいと思いますね。呉智英氏は批判的に書いていますが、それもいいんではないですか。私なんぞは吉本氏の言う「大衆そのもの」であり、300M四方の町内が「すべて」の人間にすぎません。
販売する品物に価格決定権はなく、毎日お右往左往しています。納税はしていますが、役所のやることには地域の減災対策は皆無に近く、到底納得できる、ものではありません。県庁や市役所の理屈と時に対立することもあります。
私の立ち位置はあくまで、「300M四方の二葉町」です。そこから出れない脱出できない立場から世界を見ています。
まあまあ面白おかしい著作でした。
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