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2013.04.25

「こころの天気図」を読んで

Itukihonmm


「こころの天気図」(五木寛之著・講談社・2000年刊)を新しく新装された下知市民図書館で借りて読みました。五木寛之氏のエッセーはこれまでにも何冊も読みました。字が大きくて、読みやすく、感覚的にも「若さ」を感じますので読みやすいです。

 敗戦後朝鮮半島から両親と決死の想いで日本へ引き上げ九州で生活され、学生時代には上京、作家になられました。引き揚げ体験と生活の体験が小説のベースになっています。体験の蓄積と作家になった後での経験の蓄積があってこその平易な文章ゆえに読みやすいのでしょう。

「日本丸はどこへいくのか。
 沈没するだろうという人がいる。いや、大丈夫、きっと嵐を乗り越えて世界の大海原にふたたび勇姿をあらわすはずだと力説する人もいる。

 こういう時代をなんというのか、世紀末、という表現は一般的すぎて切迫感がない。わたしたちのように昭和1ケタ派には、むしろ「非常時:という古風な言葉のほうがぴったりとくるところがある。

  (中略)

 証券会社や銀行が危ないからといって、郵便局をたよりにするわけにいかないことぐらいは「非常時」を体験した世代にとっては常識である。
 1946年の「預貯金封鎖」というものがあったことを、今の世代はご存知だろうか。これは金融緊急措置令にもどづいて実施された政策で、戦後インフレ収拾策のひとつであった。その気になれば政府にはなんでもできるのである。

 だったらタンスに現金を隠しておこうなどと考えても「新円切替」という手がある。古い紙幣を封鎖して、新円との交換に制限をくわえればへそくりも無意味である。

 つまりどんなことでもできるのだ。お上が、一般国民のためにあったためしはなど歴史には1度もない。そのことをはっきりと自覚しない限り、この国の明日に希望はないだろう。」(「この国の希望」P37)

 なんとも辛辣な言葉ではないか。最近でも欧州のキプロスで預金封鎖措置が取られました。北朝鮮でもデノミ政策を強行し、古い通貨を紙くずにする政策がとられました。現代でもあり得る時代です。

 政府や自治体に依存心が強い人たちも依然多いですが、南海地震対策1つを観察しても国や自治体の対策など「まったくあてにならない机上の空論」であることを、市民各位は自覚しないといけないと思います。自分の命と生活は自分で守ることです。だれも守ってはくれません。むしろ国の存在はおかしなことばかりします。

 眼が覚めました。

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