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2013年5月

2013.05.31

5月最後のはりまや橋サロン

 5月に早々と梅雨入りした高知市。でも今日は梅雨の中休みで降雨はなし。各ご家庭は洗濯機がフル稼働されていたと思います。
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 腰が痛い。行きたくないという母(87歳)を説得して、はりまや橋商店街へ連れてきました。いつものようにドーナツを買い、夕飯のコロッケを買い、谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買いました。
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 そして活き活き100歳体操8介護予防体操)へ参加しました。今日は7人の高齢者の皆さんの参加がありました。
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 それが終わり喫茶十字路でコーヒーを飲んで叔母を交えて懇談しました。よさこい交流館を見学しました。母は腰が痛いと言い張るので、交流館の中は「車いすを借りて見学しました。海遊堂もよさこいのフィギアをこしらえていたようですね。どうりで迫力があるはずです。
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幕末期の会津・薩摩・長州の3藩のからみは面白い

 2013年はNHK大河ドラマ「八重の桜」です。2010年の「龍馬伝」はまじめに見ていましたが、その後の2年間はつまらないので、見ていませんでした。また会津(現在の福島県)は、土佐からも遠くなじみがありません。

 今回比較的史実に沿い、脚色されてドラマは展開しています。大河ドラマとは直接関係はないが、参考図書としてはやはり司馬遼太郎氏の「講演集964-1974」(朝日文庫)は欠かせない。

 そのなかで「幕末の3藩」という記述がありました。

 司馬遼太郎氏によれば、江戸時代は大変な「教養の時代」であり、庶民までが寺小屋で読み書きそろばんを習っていて、世界的に見てもとても文化水準の高い国であったそうです。

 なかでも会津は学問が盛んであり、武士階級の子弟は日新館という学問所で勉学に勤しんでいました。

「会津藩は江戸時代に最も教養の優れた藩のひとつだった。

 教育水準の高さこそ、会津藩の理解にいちばん重要なことでした。」(P377)

 「会津人と長州人と薩摩人とでは、外国人同士ではないかというぐらいに違うのです」とも言っています。

 長州はかつては中国地方に広がる大大名であり、関ケ原時点でも120万石でした。敗軍となったため。周防と長門の36万石に押し込められました。藩主は人好しでリストラはしなかったので、武士も家来もみんなついてきたようです。

 みながみんな仕官できなかったので、百姓や商人になったようです。

「長州の武士は百姓をする人が多かった。そうでないと食えなかったのです。
 吉田松陰の実家の杉屋ではおかずに魚がつくのは1か月に1度と決まっていました。毎月1日に出るのですが、家族はそれを拝んで食べたそうです。

 松陰は教育を田んぼの畦道で受けました。父や叔父が人畝耕している間、松陰は」畦道で声を張り上げて読む。戻ってきて、いまのはそこが間違っていたと教えてくれ、また耕しにいく。それが長州の侍の生活でした。

 江戸時代の初期を過ぎますと,藩をあげて干拓事業が始まります。長州藩は飯を食うために、ロウを採ったり,コウゾやミツマタを利用して紙をつくったりして、産業をおこした。

 必死の努力が実り、幕末における長州藩は100万石の収入をあげていたそうです。もともとは36万石ですから、あとの60万石余りはまるまる藩に入ってきます。これを無駄遣いしないで貯蓄していました。

 特別会計として積み立てられ、そのお金が全部、幕末における討幕資金として使われたのです。(P368)

 あと下関に港があり、交易で長州藩は栄えていたようです。表向きの石高以上に経済力があったし、実利的な考え方ができたのでしょう。農民が志願して奇兵隊を組織し強かったと言われていますが、もとは武士であったと思われます。農民までが一致して長州防衛のために戦ったと言います。

 会津は階級が歴然とあり、戦は武士階級の専権事項でした。幕末期戊辰戦争で会津が新政府軍に攻められたときは、会津の農民は新政府軍の道案内をしたともいわれています。

 薩摩も関ヶ原での「負け組」でした。情報不足で西軍にtるいたものの、戦いに参加せず待機していました。戦いの決着がついたとき突然徳川本陣に突入し、退却戦を敢行しました。1500人の兵力は藩主を伴い薩摩へ戻ったときは80人でした。

 有名な薩摩の退却戦ですが、さすがの徳川幕府も薩摩を攻めあぐね、領土を安堵しました。また薩摩の申し入れで琉球を攻めることを許し、薩摩は琉球貿易で経済力をつけwることができました。領地を減らされずに、琉球も幕府の許しで確保したこともあり、薩摩藩は江戸幕府に借りがあります。討幕にいたるまでふらふらするのもわかります。

「薩摩は鎌倉武士道を残そうとした藩です。戦に強ければばいい。主人のために忠義ならばいい。このふたつがあれば理屈はいらない。要するに教育水準は今の中学校程度もあれば十分だと。西郷隆盛だってそうです。

 会津藩士が受ける平均的な教育水準に比べてみれば、おそらく西郷の受けた教育はかなり低いものでした。西郷が立派な本を読めるようになったのは、2度の島流しにあったときに勉強したからです。」(P392)

 「中学程度の教養の薩摩人と、商売上手で合理的な長州人と、形而上的な思考力を持った会津人とが、幕末の困難な時代に残ったのです。」

薩摩と長州は、九州と中国地方の「ブロック大名」でしたが、関ケ原の戦で負け組になったために、徳川幕府に押し込められ250年の間悔しい想いをしてきました。戊辰戦争は徳川慶喜の首を取るために薩摩と長州が始めた戦争ですが、幕府は勝海舟と言う逸材がいて、慶喜に頭を下げさせて、とうとう命を流れ得ました。

 「会津は強いゆえに許されなかった」と司馬遼太郎さんは言います。佐幕藩はどんどん腰砕けになるなかで、会津藩と長岡藩は戦い抜き、悲劇的な結末となりました。会津を許せば戊辰戦争の意味がなくなるからです。

 たかだか京都守護職を務めただけの会津は、「幕府の身代わり」となって薩摩と長州に攻め滅ぼされてしまいました。

 明治の世になって、土佐から始まった自由民権運動は福島県で最も苛烈な反政府運動となりました。県令(官選知事)が薩摩出身であったこともあったのかもしれません。

 会津のことはよく知りませんので、八重の桜で今後どのように展開するのか興味がありますね。

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2013.05.30

情けない日本代表の試合

 5日後のW杯最終予選のオーストラリア戦にむけての親善試合である対ブルガリア戦。日本は快勝してホームでのW杯出場を決めたかったようですが、結果は0-2の惨敗。スパーリングの相手にKOされてしましました。

 前半は押し込まれる展開で、ブレ玉をゴール前のフリーキックで入れられ失点。後半も中盤で連動が出来ず長谷部のオウンゴールで失点。

 前線でためができない。中盤でボールを取れない。DEと攻撃が分断され、よい形が取れずに惨敗しました。日本はヨルダン戦で1-2と惨敗しましたが、同じパターンでの惨敗。見るに堪えれない試合でした。

 これでは本田もいないオーストラリア戦で勝つのは、難しい。守備も吉田はミスが多いし、不安だらけですね。「負けないサッカー」は日本は不得意ですから。

 選手もがむしゃらに攻める姿勢が乏しい。それだけブルガリアが良かったんですね。さすがにヨーロッパ予選で、イタリア。チェコの入っているゾーンで2位につけているだけのことはある。個人技があるし、常に走り、連動の動きが素晴らしい。さすがは欧州のサッカーを見せていただきました。

 6月4日のオーストラリア戦は不安ですね。勝てるとは到底思えなくなりました。

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朝日新聞高知版が下知減災連絡会の活動を掲載

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 2013年5月30日朝日新聞高知版に「自主防災組織率83.3% 全国水準始めて上回る 県2年後の100%目標」という見出しと、下知減災連絡会、二葉町自主防災会関連記事で「連携し減災対策も」という見出しがありました。

 自主防災会組織率83%というのは、「数字のまやかし」。下知地域のなかには自主防災会がない町内会や、町内会すら組織されていない町内もあります。それでも昨年10月に高知市下知地域12の自主防災会の連合で「下知減災連絡会」が結成されました。そうなると数字の上では下知地域の自主防災会組織率は100%となります。実態を反映していません。

 記事の後段では二葉町自主防災会と仁淀川町との交流事業―疎開を前提とした交流も紹介されています。また写真は3月20日に下知減災連絡会で実施されました「下知減災まち歩き」(岡村眞高知大学特任教授の解説)も紹介されています。
 
 そして明日31日の防災講演会「立体換地から学ぶ下知再生への道」の告知記事も掲載いただきました。

 左下段には、高知県と高知市の防災担当者会議で「5万戸の仮設用地不足」が指摘されたとの記事。これなども「仮想の議論」にすぎません。最初からわかりきったことです。

 私たち二葉町自主防災会が仁淀川町と交流を県と市がまじめに取り組み支援する動きを真剣にやっておれば、その数字ははるかに小さくなるはずです。空き家対策と廃校跡の活用など用地はあります。

 モンゴルと交易している友人の安部卓彦さんから「モンゴルの移動式住居ーゲルの活用」も提示され、その情報も高知県と高知市へ伝達しました。ゲルは究極の仮設住宅であり、世界帝国を移動しながら形成したモンゴル民族の知恵に学べば住宅問題は解決します。
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 前例主義にことさらとらわれる高知県の行政組織では、難しいでしょうね。

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懸命に地域活動をしていますが、なかなか理解はされませんね。

  自分なりに懸命に地域活動(自主防災会)活動はしていますが、町内会へも浸透は今ひとつであるし、行政側の理解も今ひとつです。なんだか空しい。

 明日は防災部会の講演会がありますが、集客には正直自信がない。あさっては仁淀川町への田植え体験ですが、3月から呼びかけているのに参加者は少数。正直がっかりでです。なんだか疲れました。

 自分が焦りなのか、事業に支持が集まらないことへのいら立ちなのか、言葉がとんがってきています。それではいけないでしょう。手にとげがあれば握手は出来ませんから。

 ここは我慢してふるまわないといけないのでしょうが、精神的な限界も来ています。

 一生懸命やって結果が出なければ、それまでですね。仕方がないとあきらめましょう。

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2013.05.29

細々でも交流は継続します

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 5月29日の高知新聞朝刊社会面では、二葉町と仁淀川町とのささやかな交流の様子が大きく掲載されていました。先週の金曜日に取材を受けましたが、意外に大きな記事に驚いています。

 2年前の4月から始まった仁淀川町と二葉町の交流事業。手を変え品を変え継続してきました。問題はこれからでしょう。単なる都市部と中山間部との交流だけではありませんから。

 究極的には市町村同士の災害時相互支援協定を全部の高知県の市町村が締結し、そのなかでの地域間交流があれば、もっと広がりが出てくるでしょう。残念なことに高知市や高知県は「及び腰」ですね。積極性がまるでありません。

 隣県の徳島県が災害時相互支援協定を全部の市町村同士で締結を4月に徳島県庁の仲立ちでしました。徳島にできてなぜ高知でできないのか?それが不思議です。

 小さな流れを細々としていくしか活路はありません。継続は力と信じて交流事業を続けて行きます。


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「昭和という国家」を読んで

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 5月19日に愛媛県松山市にある「坂の上の雲ミュージアム」へ見学に行きました。ひととうり展示物を見て、出口付近の売店で「昭和という国家」(司馬遼太郎・著・第1刷1999年第23刷2012年刊・NHK出版)を購入しました。

 「司馬遼太郎 対談集964-1974」や「この国のかたち」などの司馬遼太郎氏の講演集や発言集は、わたしの最近の愛読書になっています。発言が実に的確で、敗戦体験者としての悔やみと、日本歴史への探訪の想いを感じるからです。過去に司馬遼太郎氏の作品と言えば「竜馬が行く」「坂の上の雲」「飛ぶが如く」「花神」」「覇王の家」などを読んではいました。

 陸軍戦車部隊の将校で北関東で敗戦を迎えた司馬遼太郎氏。当時どうしてこんな「戦争にすらならない。負け戦の連続でしかない」「しょうもない戦争」をなぜ我が国はやってしまったのか。その謎を解明するために司馬遼太郎氏は、日本の歴史を探索し、書籍を集め読み、日本各地に出かけて取材をし続けました。

 江戸時代や幕末、維新や明治中期の時代を描いた作品は躍動感があります。しかし「昭和」をテーマにした作品はありません。それだけ「重く」のしかかっていたのでしょう。

 「魔法の森の時代があった」と司馬遼太郎氏は言い切ります。特に昭和10年から20年までの日本は異質であり、それまでの日本とは全く異なっていると。幕末維新期や明治の時代を語る司馬遼太郎氏は、「昭和」の時代を語ると重苦しい口調になります。

 本のカバーにこう書かれてありました。

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」

 これほど「重たい言葉」を司馬遼太郎氏が述べるとは正直思いませんでした。俗に「司馬史観」の信者は多いのでしょうが、「昭和」についての重々しい言葉を知っているのでしょうか?

 江戸時代は鎖国をしていましたが、全国に300藩あり個性的な多様な社会のようでした。寺小屋が普及し、識字率は高く、武士も教養がありました。それゆえ一度近代化の方向へ向くと一気に突っ走れた。江戸の時代があればこそ、明治の近代化は可能でした。

 ただ近代化するにつれ、明治政府は江戸の良さをことごとく破壊しました。幕末維新の革命期を知る元老たちがいなくなると、日本社会はだんだんつまらなくなり、1945年の惨めな敗戦に転落していきます。

 司馬遼太郎氏はその原因をいくつかこの本のなかで述べています。

1)日露戦争の分析を客観的に全く行わなかった。アメリカの仲裁で辛勝したのに、きちんとした分析をしなかったが故に思い上がった。他国との戦力比較もきちんとされずに戦争ばかりする堕落した国に転落した。

2)大日本帝国憲法は、プロシャの憲法を模倣してつくられた。この憲法にも「統帥権」があり、権力が暴走する歯止めがなく、昭和の時代になって軍部の暴走―破滅につながった。

3)市民の民権に足場を置く中江兆民の登場が遅すぎた。幕末期の思想が貧弱な尊王攘夷論だけであったのが残念。幕末維新期に草莽の人たちが、ルソーの民権論を読んで活動しておれば歴史は異なっていただろう。

4)日本人は「自己解剖の勇気」を持たねばならない。アメリカは第2次世界大戦後、戦史の編纂を民間人に任せ、かまわない資料を軍が渡して徹底的に分析しました。日本人はそういうのが昔から苦手なようですね。

 今の時代では福島第1原子力発電所の事故がどうして起こり、また懸命な関係者の努力にもかかわらずなぜ収束しないのか?その原因究明もいまだに不十分です。にもかかわらず外国に原子力発電施設を売り込むという安倍首相の神経がわかりません。

5)日本のジャーなリズムは昔も今も、日本国を解剖するという視点での報道も記事もなかなか書けないのではないか。

「日露戦争が終わったあと、それほど高度に発達したジャーナリズムではなかったけれども、日露戦争は実際にどうだったのかと、追求する能力があったらですね、太平洋戦争は起こらなかったかも知れません。

 日本はよくやった。兵士たちは勇敢に死んだ。しかし、あれは危ういところでいろいろ政治的に手を打ったからよかった。決して日本が強かったわけではないんだと。

 海軍の日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、クールに客観視して、自分を絶対視せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思うのです。新聞、雑誌だけでなく、個人の筆者でもいいのですが。

 そういうレベルの議論があれば、太平洋戦争は起こらなかったと思いますね。日本軍は満州事変以降自己を絶対化して国を誤っていくわけです。」(p324[自己解剖の勇気」)

 そして2013年は、日本、韓国、中国の本当に愚かで浅はかな政治家たちが、相手国への思いやりのひとかけらもなく、口汚い聞くに堪えないののしり合いをしています。
 
 現在日本国憲法を改正し、「戦争が出来る国」にしたい人たちは、司馬遼太郎氏の次の言葉をよく反芻すべきでしょう。

「昭和史をもし私が書くとしたら、半分は戦争のことを書かなくてはなりません。戦争というものはですね、やったりやられたり、いわば対等の競り合いで会って、一方的にやられるようなことをなぜ始めたんだという思いがあります。

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 海戦らしい海戦もありません。力不足という言葉も当らないですね。要するに力のかけ離れた相手とやっているわけですから、戦争らしい穴埋めをするのはアクロバットをやる以外に方法はなかった。

 パールハーバーの奇襲は戦争というより、アクロバットであります。ちゃんとしたリングの上の戦いなら、あとに禍根は残りませんが、パールハーバーは今でもいろんな禍根を残しています。

 それから末期の状態になると、特攻隊でした。青年達に下士官の軍服を着せて飛行機の乗せ、未熟な操縦技術ながら敵に体当たりさせた。

 戦争という物理現象のなかの穴埋めを肉体でさせた。そういう非常手段をさせた。戦争はよくないことは大前提です。そして特攻に行った青年はいい男だったと思います。しかしそれを戦術として考えたことは断じておかしい。

 戦争をやるんだと、昭和1ケタから勢い込んできた人たちがいました。ところが彼らにやらせてみれば何のこともなかった。戦争というかたちさえとれなかった。

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 つまりは日露戦争は戦争だといえるのですが、太平洋戦争が戦争だったかと。つまり大変変なものだったのです。」(P227)

 そして司馬遼太郎氏は、こう言っています。

「日本は、国際社会の中で、つまり明治以降、よくここまでやってきたとは思います。太平洋戦争のような大きな失敗があり、アジアの諸国にずいぶん迷惑をかけ、後々まで、ものを考える日本人は少しずつ引け目をもって生きていかなければならなくなった。

 それだけのことをやってしまったわけです。しかし、それもこれも入れて、なんとかやってきたことは言えそうです。

 これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには。まず真心ですね。

 真心とは日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければならない。

 相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかの如くに感じることが大事ですね。

 いろいろな事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものだと、社会の現象も出てくるものだのだと、いろいろな事情を自分の身につまされて感じる神経ですね。そういう神経を持ったひとびとが、たくさん日本人のなかに出てくることによってしか、日本は生きていけないのではないか。」(P328)

 この最後の言葉を、現在の日本政府閣僚や思い上がった挑発的な言動を繰り返している政治家に聞かせてやりたいと思います。

 きちんと日本の歴史、アジアの歴史、世界の歴史をきちんと勉強して、相手国の事情に謙虚に耳を傾むけるリーダーを日本国から輩出させないといけないと強く思いました。

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2013.05.28

香川の先輩宅を訪問しました

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 今日は会社に休みをいただき、香川県の先輩宅を訪問してきました。出発前の高知市の空は水墨画のような雲が垂れこんでいます、いかにも雨が降りそうな空模様です。

 8時過ぎに出発しました。南国SAあたりの登り坂。乗っているサニー(12年目)は馬力のない車ですね。次々と軽四に追い抜かれました。実に情けない。
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 池田ICで降り、国道32号へ入り猪鼻峠を降りて、黒川から県道202号経由で中讃南部広域農業を走行しました。やはり香川の風景は高知と違います。ため池などがあり雨が少ないようですね。
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 また広域農道もウルグアイラウンド対策事業で建設されたように書かれていました。
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 先輩との話はとても良い話でした。美味しいうどん屋さんにも連れて行っていただきました。ところがその頃カメラの調子が悪くなったので、写真撮影はできませんでした。理由は不明です。戻ると治っています。

 香川では雨が降りませんでした。帰路では三好市あたりから降り始め、」県境越え高知県へ入りますと雨足が強くなりました。

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サニーグループビルの建設には励まされます

 2013年5月26日に政府の地震調査委員会(委員長・本蔵義守東京工業大名誉教授)は南海トラフを震源域とするマグニチュード(M)8以上の大地震について、今後30年以内に60~70%の高い確率で発生するとの予測結果を公表しました。

 そんなこともあり、特に2011年3月11日の東日本大震災以降、高知市下知地域から企業や住宅の移転、移動がより多くなりました。地震とは直接関係ありませんが、ハローワークがあった国有地も、職業訓練施設があった県有地も更地のまま「塩漬け土地」となっています。
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 ご近所の宅地も売りに出たままそのまま。多くは駐車場になっていますが、再び建物が建築される見込みもありません。
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 そんななかサニーグループと言う高知の有力企業グループが、下知地域にグループ(自動車販売・修理・量販店経営・保険業務・コンビニ経営など)のビルを建設していただいています。再来年完成の予定。ビルの1部は「津波避難ビル」となるようです。
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 下知地域の住民いとっては感謝感激です。地域から流出する企業が多い中で心強いことです。わたしも頑張らないとと思いました。下知地域はまだまだ可能性があるんだと思いました。

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2013.05.27

YASU海の駅クラブ・総会・懇親会

  NPO法人YASU海の駅クラブの総会と懇親会が、5月26日にありました。
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  大荷物を背負い、早めの路面電車とごめん・奈半利線で夜須へ朝の8時半に到着しました

 すぐに着替えてアクセス・ディンギーをぎ装し、セーリングをしました。今日は風がそこそこあり、面白いセーリングが出来たので、朝の9時から午後2時まで海の上にいました。
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 風波こそありましたが。、快適なセーリングが出来ました。セーリング後は海の駅クラブの総会へ参加しました。
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  遅めのお昼は、なかひらというラーメン屋で白味噌ネギラーメンを食べました。
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  総会に参加しました。

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 総会の後は海辺の果樹園で、。懇親会。今日はさすがにビールを飲んでしましました。4杯飲みました。気の置けない仲間の懇親会はいいですね。
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2013.05.26

村山談話は自民党実力者が関与し出されたもの

 安倍晋三首相は、1995年に出された「村山談話」を全否定し、「日本はアジア諸国へ侵略などしていない。」とか張り切って発言し、周辺アジア諸国だけではなく、アメリカ政府筋からも批判をされています。

 そもそも村山談話は、村山富一首相の独断で出されたものではありません。

 それは当時の村山内閣は、自民党と社会党の実力者内閣であり、そこで閣議で承認されたのが「村山談話」というものです。政権内の合意形成がなされた結果であり、日本国民の総意と言っても間違いありません。

 当時の閣僚名簿でもそれはわかります。
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 ちゃんと当時の社会党も自民党も節度をわきまえ、議論をし、閣議決定して出されたものです。

 それを安倍氏の「薄っぺらの歴史認識」の思い付きで、「雄弁」にお話しされますと、その都度日本の国益が損なわれ、対外イメージがどんどん毀損されていきます。

 以前ブログでも書きました。

  「村山談話とはなにか」を読んで

 ちゃんと歴史的な根拠も、合意形成もなされた「村山談話」だったんです。それを全否定するほどの根拠を安倍氏は持ち合わせてはいません。

 民主党前政権が酷すぎて、バブル人気に酔う安倍首相ですが、政権基盤は盤石ではないことを、思い知らされることでしょう。

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2013.05.25

板垣退助100円札をゲット!!高知市天神橋商店街にて

 今日(25日)は、家内が昼間は女子会の昼食会があるというので、留守番していました。両親の昼食をこしらえたりしていました。「JIN-仁」の再放送を見たりしていました、なんか忘れているような気分でした。思い出せませんでした。

 夕方家内が戻って来て、「板垣退助の生誕地の近くの商店街で買い物をすると、お釣りが昔の100円札でくれるらしい。」と言います。なるほどそれでした。高知市天神橋商店街のことですね。
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 板垣退助の生誕地の石碑は高野寺の入り口付近位にあります。

 天神橋商店街の和菓子屋さんには、板垣退助の写真が飾られています。1000円以上の自家製の和菓子を買い物するとお釣りを100円札でいただけるサービスです。「最後の1枚です」と言われてなんとか獲得できました。
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 板垣退助はなぜかうちの娘が尊敬しているようです。小学4年生の時にクラス通信に絵を描いていました。
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 100円札は私の子供のころはありきたりに使用していました、今は硬貨になり100円札は印刷はされてはいませんが、紙幣としては使用可能とか。県外で仕事している娘に和菓子と一緒に送ります。
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父も元気にゴルフの練習をしています

 まだ5月なのに暑いこと。午前10時50分の事務所の温度は26度。湿度は75%です。高知も梅雨期が近づきつつありますね。

 朝は8時過ぎに出発しました。父(93歳)のゴルフの練習の付添です。昨日の地元紙の死亡広告では、父の同級生がご逝去されていました。93歳ではおかしくないですね。隣の家の人で現在は神奈川県にお住いの人も亡くなったとか。まだ72歳でした。息子さんから連絡がありました。

 誰も人生には終末があります。楽しく納得のいく人生を過ごしてもらいたい。自分もそうありたいと思います。

 父はマイペースでゴルフの球を打っています。私はゴルフをしないので何が良くて、何が悪いのかわかりませんが、アイアンで打った球はだいたい真っ直ぐに飛んでいます。ウッドで打った球は右方向に押し出されているようです。
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 父が球を打っている間は、先週法人会の伊方原発研修旅行で最後に立ち寄った松山市の坂の上の雲ミュージアムで購入した「昭和という国家」(司馬遼太郎 NHKブックス)を読んでいます。
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 打席は1階部にあり、終わると2階部の駐車場へ階段を昇降しないといけません。ずいぶんスムーズに上がれるようになりました。足腰が強くなりました。
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 自宅へ戻ると、農産物販売をされている友人が、トマトを一箱いただきました。家内が出掛けるので家内の友人にお裾分け。熟成しているのもあるので冷蔵庫で冷やして食べます。ありがたい現物支給です。
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ほどほどが1番

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 週刊現代に大橋巨泉氏が「今週の遺言」というエッセイを連載されています。5月11日・18日の合併号では「何と63%の現役高校生が憲法9条の改正に反対!大新聞は何故報じない?!」とのタイトルでした。

 巨泉氏は「ゲームとサッカーばかりしている」と馬鹿にしていた現役高校生諸君に謝らなくてはいけない。君たちはちゃんと見ているんだね。我々とは違う視点で考えている結果なのだ。

 その視点とは「もし憲法9条のタガがはずされて戦争になったら、銃をもって戦うのはボクたちだというもにに違いない」と言っています。

 もう1つ感心したのは以下の言葉です。

「ボクがアベノミクスのような、いわゆる「成長戦略」に反対なのは、成長や便利なだけを求めるには、成長や便利さだけを求めるには、日本はふさわしくない国と考えるからだ。

 高齢少子化のトップを走る我が国は、成長してバブルを迎えるより、皆で仲良く、つつましく生きる国になるべき、というのが正解と信じている。

 年齢や収入に準じて、生活のレベルをレベルダウンすることは、恥ずかしいことでも何でもない。皆堂々と実行すれば良いのだ。少なくてもボクはそうしている。」と。

 私なんどは、巨泉さんに言われるまでもなく5年前から実践しています。父が脳血管障害で倒れたので、病院への見舞いや通院、その後のリハビリを前提に生活先般を見直しました。3年前に下の子供が大学を卒業し社会人になったので、生命保険も解約しました。

 家にお酒を極力在庫しないようにし、夜9時以降は飲食を控え,早寝早起きの生活習慣を確立しました。300M四方の町内での自主防災会活動と、休日の夜須でのヨットの活動とNPOでの活動以外の市民活動はできなくなりましたので辞めました。

 生活習慣を変えますと社会観や世界観も変わります。同居している超高齢者となった両親(父93歳・母87歳)に寄り添いながら、市井の1市民として「南海トラづ巨大地震から下知地区で生きのびるために」全力を尽くして仕事し、地域活動をしている毎日です。

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2013.05.24

超高齢の両親のケアで人生観・世界観が変わりました

 5年前の2008年9月に父(現在93歳)が、突然脳血管障害で倒れ、救急病院へ搬送されてから人生観も生活様式も変わりました。同時期母(現在87歳)も軽い認知症と判定され、現在は両親の介護予防ケアを中心にする生活に変化しました。

 介護福祉の仕事をされておられる人も多いと思います。それは「あくまで仕事」であり、対象の超高齢者と24時間生活をともにしている家族とは観点が明らかにずれています。

これは24時間海抜0メートルで生活している二葉町住民の意識と、仕事で防災部署に従事している自治体の防災部署担当職員との意識がずれていることと同じことです。

 所詮「役所の人は、役所の人の言うことしか信用しない。」「役所の事業だけが、公共性があると信じている。」と思わざるを得なくなりました。最近はとくにそう思います。

[生活者」の観点と「仕事での公務」とが大きくずれているのではないか。最近特にそう思います。

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2013.05.23

自民党議員は、ちゃんと憲法や原子力問題に正面から答えよ!!

 国会議員でも、地方議員でも自民党所属の議員の多くは、有権者に語る話と、議場での発言と行動が大幅に違っているのではないか?

 昨年の総選挙。2009年のマニュフェストの大半を選挙の洗礼なしに反故にした民主党政権に国民は「レッド・カード」を出しました。結果民主党は大惨敗。自民党が大勝し、安倍内閣が誕生しました。

 日銀総裁を交代させ、大胆な金融緩和政策を断行、今のところは円安に推移し、株式市場も活性化しています。しかし市井の経済への影響は出ていません。

 各種世論調査に気をよくした安倍首相は「憲法改正する必要がある。」「集団的自衛権行使して米軍と一緒に国際貢献する。」「福島で貴重な経験を積んだ日本の原発を積極的に海外へ売り込む」とか、めちゃくちゃではありませんか?

 このような政策なり言動を、私の知る限り国政でも地方議員でも自民党議員から今までは聞いたことはありません。

 昨年の総選挙で聞いたのは「TPPを死ぬ気で阻止します。」「南海地震対策を懸命にやり県民の命と財産を守ります。」その2つぐらいです。

 「憲法を改正します」とか、「原発を再稼働させます。」なんていうことは昨年の自民党の選挙公報に書かれていませんでしたよ。自民党の候補者の選挙公報でも見たことがありません。その2つのことが書いてあれば、多くの国民は自民党に投票しなかったと思います。

 地方の選挙区で発言していることと、国会での自民党の行動が「ずれている」としか思えません。これでは「2枚舌」ではありませんか。地方の顔と中央の顔があるんでしょうか?自民党は。

 安倍内閣の今日の姿は、「自民党のあるべき姿」ではありません。

 参議院議員選挙でも、地方議会選挙でも、首長選挙でも「憲法改正」と「原発再稼働」の是非をきちんと有権者の前で発言し、選挙公報へも明記して下さい。そうされないと正しい判断は下せませんから。

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2013.05.22

人生初期の1番良い時代は”凄春”でしたね

 サッカーの年齢別のカテゴリーにはいくつか区切りがありますね。U12(12歳以下)、U-15,U-17,U-19,U-21,U-23(五輪代表)、フル代表(年齢制限なし)となっています。

 人間の身体機能の成長期にあわせたカテゴリーになっているんでしょうね。12歳から23歳までは、子供から大人になる過程であり、体も大きくなり成長著しい時期なのですね。

 世間様が良く言う「青春時代」の時代であり、体も精神も充実し、楽しい時代とされています。サッカー選手はこの年代で見いだされ、伸びる選手はプロ選手になり、世界で活躍していきます。

 タレントやアイドルと言われる人たちもこの時期に頭角を現す人が大半ですね。また一般社会でも、小学校高学年―中学―高校―大学という時期でもあり、1番勉強し、学問を身に着けなければいけない時期でもあります。その頃の「同窓会」を楽しげにされている人たちのコメントをFBでも散見しますが、羨ましいとしか思えませせん。

 「後悔先に立たず」とは言います。私の場合は、「思想に早くから酔っぱらう体質」の人間でした。司馬遼太郎氏の持論です。早熟の政治少年でした。

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」司馬遼太郎講演集1964-1974)

 私の場合のU-12からU-23までは、まさに「思想的に酔っぱらいの時期」と重なりました。時代は1965年から1976年までの10年がその時期でした。

 当時の社会情勢は[公害」「ベトナム戦争」「学園闘争」「70年安保闘争」「沖縄闘争」の時代でした。悪いことに毛沢東思想に傾倒していました。良く事情も知らずに文化大革命に感動していました。

 司馬遼太郎氏は「儒教に変わる、人民を飼いならすための道具が毛沢東思想であり、文化大革命だった。」と当時あっさりと切り捨てていました。

 それからなんと45年も経ってから、ようやく思想の何たるか、社会運動の何たるかがわかりました。馬鹿でした。愚かでした。人生の初期の1番勢いのある伸び盛りの時期に、毛沢東思想や新左翼系の社会運動で費やし、傷ついてしまいました。勉強もスポーツもしませんでした。成果はなにもありません。

 「少年は老い易く」ということわざがあります。わたしはもう今年還暦を迎える親父です。経済的にも成功せず、何事もなしていません。先日神奈川から来られた恩人にお会いして、つくづく「ダメな人生だな」と自分にがっかりしたことでした。

 でも「人生125年」であると思います。やり直すつもりで頑張ります。U12からU23の頃の体力こそありませんが、苦い経験があります。前向きに考え実行していきます。

 後半生は「面白おかしい人生」になるように日々精進します。

 わたしは「早熟の政治少年」でした。しかし最近”同世代”の安倍晋三首相の「薄っぺらな歴史認識」にもとづく発言や、橋下大阪市長の「暴言」の数々を知るにつれ、黙ってはおられなくなりました。

 わたしはU-23以降は、東京で猛烈社員も経験し、田舎へUターンしてからは零細企業の親父として奮闘してきました。また青年会議所(JC)の活動もしましたし、今は300M四方の二葉町の地域防災活動をしています。超高齢の両親をケアしながら、南海トラフ巨大地震が起きれば水没する予定の海抜〇メートル地域似て生活しています。

 いわば政治的には右も左も経験し、地域活動も介護も経験してきているので、市井の一市民としては世の中のことがある程度わかっているのではないかと思います。経験していないのは「大金持ち体験」ぐらいですから。

 それで一市民としていろいろブログやFBなどでも発言し続けていこうと思います。人生「やり直し」はできませんが、後半生を豊かにするためには。多くの「異論」を聞き、議論し、あるべき姿を皆で作り上げる粘り強さをもった人間になるために努力をしていこうと思います。そうでなければ人生の一番いい時代を空費したことが報われませんから。

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2013.05.21

デフレは続くどこまでも・・・

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 アベノミクスで景気回復、株価上昇、円安で大企業は大幅な利益を計上とか、マスコミは煽りてています。でも巷ではデフレ経済は全く終焉しません。

 午前中に高知市役所で物品納入の入札があり行っておりました。金額を書いて入札箱に投函。市職員が慎重に各社の金額を比較し、落札業者が5分後に決定しました。うちはあえなく落選でした。

 それはよしとして落札金額を聞いて仰天。なんとうちが出した金額よりも35%も安い。しかもうちがメーカーからの仕入れ価格より15%も安い価格での入札でした。これではお手上げ。(メーカーは円安を理由に原材料が上がったという理由で値上げ基調の仕入れ価格を提示しているので余計にそいうなります。)
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 石油化学製品で、円安で海外物を中心に値上げ基調に最近はなってはいますが、まだ市中には浸透していません。それに輸入原料を使用している石油加工製品も値上げするものと、値段が変わらないものがあり、一時期のようになんでもかんでも上がるなんて言うことはありません。それに10%程度の誤差なら納得ですが35%も違えば何が何だかわかりません。

 値上げ基調の時代では同じメンバーの入札でしたが、誰も役所希望の安値は出せず、入札は結局流れたことも何度かありました。その時は世の中全体が「値上げモード」であり、宅配便のクロネコヤマトの運賃まで値上がりになりましたから。

 今は全然そんな雰囲気ではありません。株などの利ザヤでごく一握りが儲けた人がおるだけ。実体経済は全く関係ないことを思い知りました。

 牛丼屋も値下げ競争をしています。上がるのはガソリン価格と、秋からの電気料金。住宅ローンの金利も上がったとか。来春は消費税まで上がります。でも庶民の所得が上がりません。景気が良くなればいいとは思いますが、生活実感では「ありえません」ね。

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ようやくゴーヤが生育し始めました

 4月28日ごろ、昨年の実から採っていた種を撒きました。プランターのゴーヤが芽を出しました。やれやれです。これから2週間ぐらいしたら梅雨でしょうから、高知の夏の始まりです。
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内子町の古い町並みは素晴らしい

  5月18日は、高知法人会中央支部の主催で「伊方原発見学会」へ参加していました。午後1番に伊方原子力発電所のビジターハウスでの説明と、バスからの遠景での施設見学後、内子町の街並み保存地区を散策しました。
 古い町並みが見事に保存されています。
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 途中「お茶や」がありましたので、冷たいお茶をいただき、内子町の新茶を買いました。
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 電柱もない見事な街並みです。街の人たちの気持ちが伝わりますね。

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 昔は交易が盛んで、和ろうそくも特産品の1つで当時のヒット商品であったとか。

 帰りは近くで繁盛している道の駅からりへ立ち寄りました。
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2013.05.20

なんとかジョイ・リハ(介護予防リハビリ通所施設)へ両親は行きました

  週の初めの月曜はせわしい。朝1番は父(93歳)の診察と点滴のために植田医院へ通院に連れて行きます。午後は12時5分に両親をジョイリハ(介護予防リハビリ通所施設)が送迎に来てくれます。

 それですので11時になれば両親の昼食の準備をし、トイレも済ませていただいて待ちかまえます。
 母(87歳)は「腰が痛いので行きたくない」とごねていましたが、なんとか説得しました。
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 父のほうは、手際よく準備はしていますが、送迎車が時間どうり(今日は12時5分頃の予定)を過ぎるといらいらし、「まだ来ないのか」と言い続けます。「そのうち来るろうき待ちや」となだめないといけません。
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 12時5分過ぎ、予定より1分遅れて送迎車が来ました。
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 ようやく一段落しました。

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伊方原発見学会に参加しました。

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 5月18日(土曜)、19日(日曜)は、公益社団法人高知法人会長中央支部主催「伊方発電所視察見学会」へ参加していました。1泊2日(松山泊)で、自己負担は1人5000円。原子力発電所は行ったことがなかったので、申込みました。
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 単独で行ったところでなかなか遠いし、伊方までですと自分で車を運転して行くと遠い。宿泊したら到底5000円では行けるはずはない。18日の昼食と夕食(バイキング)と、19日の朝食と昼食は自己負担していないので、電力会社が負担していたのではないでしょうか。法人会も1部負担していると思います。バス代も含め、参加者(29人)1当たり2万円程度はかかっているのではないかと思われます。
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 日程は結構ハード。18日8時集合。8時20分出発。途中石鎚SAで休憩。八幡浜に11時半到着して昼食。伊方発電所へ移動し、13時から15時まで、ビジターハウスでの説明と遠景での見学。内子の街並み見学が15時40分から16時半まで。道の駅内子からりを見学、松山市のホテル着は18時頃。19時から夕食会。


 19日は朝食後8時半にホテルを出発。8時40分に原子力保安研修所。10時まで研修と施設見学。10時半位に松山太陽光発電所見学と研修。11時半に昼食。12時半から13時半まで坂の上ミュウージアム見学。13時40分に帰路に。高知はりまや橋到着が15時40分。自宅へ戻ると16時10分でした。

 青年会議所時代に一緒に活動していた時期もある横山敬さんがいました。聞けば法人会中央支部の役員で、今回の企画立案者の1人とか。「僕も伊方原発見たことなかったし、福島原発の事故もあったので検証しようと思いました。」とのこと。知り合いがいると何かと心強いものです。

 伊方原子力発電所は、現在1号機、2号機。3号機とも運転を停止しています。加圧水型軽水炉であり、1号機と2号機は56万6千キロワット、3号機は89万キロワットの出力があります。全国の電力会社平均では、30%の原子力発電比率が、四国の場合は43%と高い。現在は運転停止中なので、火力の比率が87%となっています。

 それで早速「電気料金の値上げの」説明書も入っていました。値上げ幅は10%前後とか。電力社員の説明では「絶対に福島原発のような事故は起こしませんから、ご理解を得て伊方原発を再稼働させていただきたい。」とのことでした。

 最初に伊方発電所ビジターハウスでの説明がありました。スライドを使用して概要の説明がありました。説明によりますと、伊方原子力発電所には、外部電源の確保を重要視していて、非常用の発電機のほかに、高台に電源車を配車しているとか。給水車やポンプ車も複数配車しているとのことでした。
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 続いて施設内の模型を使っての原子炉の説明がありました。伊方発電所の土台はとなる岩盤は緑色岩盤。硬い岩盤であり、地震の揺れが相当程度緩和されるとの説明。
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 ビー玉大のウラン燃料(ペレット・1個で各家庭の半年分の電気料とか)が詰まった燃料棒の長さが4メートルとか。原子力発電はウラン燃料を燃やして、水を沸騰させ、高圧をかけているので沸騰した水は」320度になるとか。その蒸気の圧力でタービンを高速回転させて発電しているとか。
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 放射性物質を閉じ込める5重の壁(燃料ペレット・燃料被覆管・原子炉圧力容器・原子炉格納容器・コンクリート遮蔽壁)であるそうです。
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 蒸気の熱は取水した海水で冷却後排水。循環しているとか。原子炉の模型や、燃料棒や制御棒(発電を辞める場合に使用、原子炉、タービン設備、制御室の模型の説明もありました。

 伊方発電所を撮影してもかまわないという撮影場所がありました。その時はバスから降りて遠景を撮影しました。横山啓さんと撮影しました。海に近く、意外に低い場所にあるんだなとは思いました。
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 伊方は警備の関係上これ以上は視察できませんでした。翌日松山市にある原子力保安研究所を見学しました。こちらの施設は伊方原発を安全運転するた教育訓練施設です。制御室は伊方発電所と全く同じ設備。運転手シュミレータであり、事故や故障の対応訓練を行っているとの説明でした。

 教官は別室の指令室から事故を起こす操作をしたりを抜き打ちに行い、モニターTVでその様子を撮影し、指摘するようです。

 原子力発電の補修員を対象とした機器の、分解、検査、修理の訓練をする実物大の施設も建物の中にありました。ここでは撮影はできませんでした。パンフの画像です。
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 見学に行って感じたことを述べます。原子力発電の熱量は巨大です。安全に制御するためには「電源と水の安定的確保」が絶対条件のように思いました。

 福島第1原発の事故後は、特に「電源と水の安定供給」が必要であることが言われ出しました。伊方も電源車やポンプ車も常備し、かなりの容量の能力がある電源車やポンプ車が配車されているようでした。

 また2007年の新潟中越地震で、柏崎刈羽原子力発電所が地震で損傷を受けたたので、地震対策として敷地内に免震棟も完成しているそうです。

 研修で言われていましたが、「原子力発電は発電過程で二酸化炭素を出さない」とか、「ウラン鉱石は世界各地にあり安定供給される」「原子力発電所の周りの年間放射線被ばく量は微量である」「他の発電方式より原子力は安い」「伊方原発は活断層から離れていて、想定する津波の高さも5・5メートルであるので安全」であるとのことでした。
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 気になりましたのは「電気はためることが出来ないので、大容量発電の原子力発電所は必要です。」との説明。蓄電池(大容量)の開発はまだまだ難しいのでしょうか?
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 パンフットをたくさんいただいてきましたので。後日熟読しないといけないです。

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2013.05.19

高校生の生活を再現すればたぶん健康体になる

  だいたい誰でも身体能力のピークは高校生時代ではないだろうか。かくいう私も高校異性時代はサッカーもやっていました。」腕立て伏せは100回程度で来ました。背筋力も校内1でした。

 お酒もたばこもほとんど飲みませんでした。通学は自転車。運動クラブを辞めても週に2回は体育の授業がありましたから。夜中の9時以降に間食もほとんどしませんでしたから。睡眠時間も8時間寝ていました。

 ところが大人になれば、通勤は車で。地方都市ほど歩かない。お酒も飲むし、たばこも吸う。夜食も食べる。運動不足になる。どうしても体は衰弱しますね。

 お酒なんか毎日飲まなくてもいいんです。ご飯も腹いっぱい毎食食べなくてもいいんです。なるべく車は綱わない生活をします。少しでも自分の「高校生時代」を思い出し実践します。

 おそらく健康体になるでしょうから。

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2013.05.18

「新・風に吹かれて」を読んで

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 「新・風に吹かれて」(五木寛之・著・講談社・2006年刊)を下知図書館で借りて読みました。五木寛之氏のエッセイ集は、軽く読めながら含蓄が深いので、よく借りて読んでいます。いままでも何冊かは読みました。

 そのなかで「高齢者は荒野をめざす」という題目がありました。五木氏が高齢者となり、動体視力も衰えたので、運転免許を返上しようかと思い、口にすると周りの皆が反対されたそうです。

 運転免許を取るのにはえらく金がかかる。という経済効率主義。身分証明書の必要性。高齢者ほどクルマが必要であるという忠告もあったとか。

「免許書の更新と言ったって、70歳以上の高齢者ともなれば、簡単にできるわけはない。なにか特別な講習が必要だという。

 運転適性監査や、視力の確認や、講義の聴講に加えて、自動車教習所で実地の運転テストを受けなければならないのだ。

 これが気が重かった。頭の中に、何10年も昔の教習所の教官のイメージがこびりついている。運転操作をまちがうと足を蹴ったりする鬼の下士官のような指導員はさすがにいないだろうが、横に座られてS字やクランクの運転ぶりをチェックされるのは気が重い。

 迷っていおるうちに72回目の誕生日がすぎた。あと1か月もほうっておけば免許は失効する。ギリギリになって、ようやく更新を決断した。

 なにごとも経験。かつて「青年は荒野をめざす」などという小説を書いたこともあるわたしではないか。今こそ老人もまた荒野をめざす時代かもしれない。」(P47)

 なんとか決意し、もよりの自動車学校へ予約の電話を入れると、丁寧な応対だったそうです。「なかなかソフトで感じがいい。自動車学校も昔と違って、相当に進化したようだ。」と感心されています。

 高齢者講習は五木氏と、70歳を過ぎた男性と、上品なご婦人。男性と五木氏は運転をされているので。メニューを楽々とこなしはしたが、ご婦人は何10年も運転をしたことはないという。それでも教官は親切に指導をされたとの事。

「それから車が停止するまでの時間、わたしは髪が逆立つような恐怖の体験をした。
 上品な容姿のわりに、手加減をなさらない。アクセルをガット踏み、ブレーキをドスン。カーブになるとハンドルから手を放される。思わず全身が硬直。

 「実際に運転をなさるようなときは、必ずもう一度、教習所でパーパードライバー向けの講習をお受けになったほうがよろしいかと思いますけど」と指導員氏、ご婦人には最後までジェントルであった。」(P48)と「恐怖体験」も綴られています。

 昨年93歳の父の免許更新に同行しましたが、似たような状況でした。あとで無料脳ドックの検診も勧められましたから。

 五木氏は「受けてよかった高齢者講習」との感想。らしいのが「80歳になったらポルシェを買おう、と帰り道で考えた。雀100までというのはこのことかもしれない。」(P50)

 72歳と言えば「前期高齢者」であって、お元気でしょうね。今年は2013年です。エッセイから7年経過しています。その間に2回(3年ごとなので)高齢者講習を受けたのでしょうか?五木寛之氏は今年79歳になるはずです。ポルシェを購入されたのでしょうか?気になるところです。

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2013.05.17

腰痛はいつの間にか治っていた。

 木曜日の朝に突然起きた原因不明の腰痛。「体のねじれ、体の活断層のずれ」という拙い表現をしました。骨の異常ではなく、筋肉のねじれ。しかもそれは体内部のインナー・マッスルのねじれでした。

 効果がないとわかりつつも、サロンパスや昔整形外科でもらった膏薬のはり薬を臀部に張り付けましたが効果は今朝までありませんでした。

 辛い朝を迎えて、これでは午前中の父(93歳)の病院通いも行けないし、午後からの母(87歳)の活き活き100歳体操(介護予防体操)へも連れていけないなと思いました。それでも朝は痛いのを我慢しつつ車を運転し、父の通院へ連れて行きました。

 午後になると痛みは半減しました。はりまや橋商店街の活き活き100歳体操と買い物へも行けました。
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 そして戻りシャワーを浴びて午後4時から、会社が所属する組合の総会と懇親会(得月楼)へ行きました。座りぱなしでした。ことさら何もしないのに飲んでいるうちに腰痛は霧散していました。やはり筋肉のねじれであったようです。

 得月楼も庭のある部屋での宴会でした。
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 飲む比べも行われていまして(私は弱いので辞退)盛り上がっていました。明日、明後日はバスでの旅行へはなんとか行けそうです。

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ようやく芽が出たゴーヤさん

  5月の連休前の4月28日に種を撒いたゴーヤさん。5月17日にようやく芽が出ました。これからですね。
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公明新聞に下知地域の現状の記事が掲載されていました。

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 先日地元高知市議の高木妙さんが、公明新聞の4月5日号と5月15日号を持ってきてくれました。4月5日号には、3月20日に実施しました「下知減災まち歩き」の様子が詳細に記事になっていました。記事タイトルも「地盤沈下で長期浸水する県都(高知市)」です。まさに緊急の対策が必要ですが、高知県庁の南海地震対策にはなんら明記されていません。(せいぜい津波避難ビルの指定と自主防災組織を100%にするとかあいかわらずの啓発のみです。)

 公明新聞四国支局長の林田祐輔氏が取材されていました。全国版に高知市下知地域の現状と課題が情報発信されました。公明党は秋の国会に自民党とともに「南海地震対策特別措置法」の提案されていますので、今後の下知地域への減災対策が期待されます。

 5月15日号では「セロメートル地帯に防災拠点 高知市」とした、4月に開館した下知コミュニティ・センター関連記事が掲載されています。この施設は地域住民の願望でしたが、高知市財政の悪化で無期延期されていました。
 
 高木妙市議の尽力で、下知地域の町内会連合の要請を高知市が受理する形で実現することができました。二葉町自主防災会も津波避難ビルの熱源確保に「LPガス災害時ユニット」の設置を市役所側に要請、高木市議の取次もあって実現することが出来ました。
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 絶望的な低地の高知市下知地域。ようやく1つ津波避難ビルと災害時支援拠点ができました。今後はこの施設を最大活用して、講演会(5月31日に実施)や、防災訓練などを実施していく予定です。

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日本列島災害スケッチ集

 神戸市長田区在住の建築設計士のチョ・ホンリさん。もう1つの顔はNGO国境なき災害支援隊神戸の代表者であります。絵心のある人です。設計士だけに風景を描いても空間処理能力があるので絵にバランスがありますね。
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 災害スケッチ集では地元長田区の様子が描かれています。地震直後から復旧に姿まで。
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 また新潟中越地震時にも山古志村(のちに長岡市と合併)に定住し、災害支援活動をされておられました。
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 そして東日本大震災の罹災地へも飛んで行っておらrます。
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 4月24日の下知コミュミティセンターの開所式にはこの「日本列島災害スケッチ集」ほか書籍を20数冊と、スケッチの原画やフラグも寄贈していただきました。ありがとうございました。

 スケッチは写真以上に迫力を感じますね。

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2013.05.16

高知県の被害想定と減災対策について

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高知新聞5月16日の朝刊で、高知県独自の南海トラフ巨大地震の被害想定が、掲載されています。

 高知県のホームページで、県の被害想定と対策を一読しました。

 高知県庁は「南海地震トラフ巨大地震による被害想定」を出しました。42000人の犠牲者が最悪出るそうです。

http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/010201/higaisoutei-2013.html


 感想は「あいかわずのひとりよがりな被害想定と対策」にすぎません。なんの根拠にもとづいているのか不明です。100%の自主防災会ができ、すばやく避難すれば津波の被害が低減できるとありますが、地域の事情を考慮しない空論にすぎません。

 第1県庁職員は地域に入り、自分で調査したことはあるのでしょうか?二葉町へも1度も来ません。調査には。仕事で南海地震対策している人たちには、予算も権限もあります。「24時間南海地震の脅威にさらされている住民には予算も権限もありません。」行政側(高知県庁)は、まったく住民生活の現状を調査せず(コンサルまかせではないのか)仮想現実をつくりあげています。

 ねつ造とは申しませんが、何の説得力もないデータです。それが感想です。


 自然地形での高台皆無の高知市下知地域。海に近く、軟弱地盤で、海抜0メートル地帯。地震による地盤沈下も予想され(前回の1946年昭和南海地震でも0・75M地盤が沈下)、津波が襲来する前に地域全体が水没し、地震後長期浸水することが想定されています。
 住民の避難は、もよりの「津波避難ビル」になりますが、地域によりましては避難距離が遠く、しかもご高齢や体の障害で階段昇降が困難な住民も多数存在しています。

 二葉町自主防災会は、下知減災連絡会や下知コミュニティ・センター防災部会を通じて、住民発意の避難方法・疎開方法を提唱してきました。「横断歩道橋型津波避難施設」「浮体式メガフロート(巨大地震津波対策用高密度発泡樹脂浮力体構造物)」「疎開を前提とした仁淀川町との交流」「立体換地の研究」です

 今回「立体換地」の手法に詳しい清藤真司香南市長・野中明和副市長を講師にお迎えし「立体換地から学ぶ下知再生への道」という表題で、5月31日に講演いただくことになりました。(添付資料参照)

 私たちなりに考案した「住民発意」の避難方法を、高知県庁は検討すらしません。何度も担当部署に資料を持参し、提案しました。

 いまだに県が言っているのは「上から目線の住民啓発運動の提唱」です。いい加減に、住民とともに一緒に避難計画や、行動計画をつくるために「降りて来られたら」いかがでしょうか?でもそれは「市町村の仕事」と言われるのでしょうね。
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正々堂々とした議論を望みたい

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きっこさんは冴えていますね。

 FBで佐藤ひとみさんが引用されておられましたので、久しぶりに「きっこのブログ・ツイッター」をのぞいてみました。なぜかシェアができませんので引用させていただきます。

きっこ?@kikko_no_blog9時間前

「声高に「改憲」を叫ぶ人たちって今の憲法の中に「自分にとって都合の悪いこと」が書いてあるんだね。アメリカが作ろうが日本が作ろうが、その内容が「自分にとって都合のいいもの」だったら何も言わないはずだもんね。つまり「憲法を自分の都合のいいように変えようとしてる人たち」ってことなんだね。」(きっこツイッターより)引用終わり

 アメリカに「押し付けられた」ものといけば、日本国憲法もそうかもしれませんが、意外に日本国民の評判がいいですね。一部に改憲論はあるものの変えなくても良いという人たちがほとんでしょう。「改憲派」は改正要件の緩和として「96条」の改正案をだしていますが、やりかたが姑息としか言いようがありません。

 「憲法9条第2項」の改正が目的なんだから、堂々と国会で議論をして、3分の2以上の賛同を得るための議論をしていただきたい、そのほうが良いと思います。それをやる「自信がない」としか思えまsね

 「日米地位協定」「原子力発電所」「沖縄米軍基地」「遺伝子組み換え食品」「オスプレイ」等は、アメリカから押し付けられたものです。今後アメリカから押し付けられようとする「TPP」や各種の「規制緩和政策」などなど。

 アメリカの友好国であるサウジには米軍基地がないはずです。異国の軍隊が大きな顔をして駐留し続ける異常事態の解消が「日本の自立」と違うのでしょうか?それを放置して憲法だけをかえるというのは筋が通りません。

 では自国の防衛を自衛隊でやっていく。専守防衛でやっていくには国民も軍事訓練をする。これはあたり前のことであり、わたしはやるべきであると思います。自主防災会の活動の延長が国防であるし、戦争も災害の1種ですから。

 ただ周辺諸国とそうならないために外交があり、政府があります。それは短絡思考の人たちが言い立てるように「自虐史観」や土下座外交ではありません。未来志向の国同士の付き合いをしていくことであり、日本の社会の発展を国際社会とともに友好的に進めていくことです。

今の安倍首相や閣僚や一部の自民党議員・維新の会の議員は挑発言動と行動を繰り返しています。わざと緊張を高め、軍備を増強するなり、国民の個人の権利を抑制して統制国家をつくり戦時体制にするとか本末転倒の議論を繰り返しています。国民をばかにしないでいただきおたい。
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2013.05.15

父のリハビリと両親期日前投票に

 今週は、土曜日曜が研修旅行。金曜日は父は通院、午後からは母の活き活き100歳体操(介護予防体操)なので、休日にゴルフ練習場へ連れて行くことができません。
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 仕事時間をなんとか調整して連れて行きました。平日でも結構賑わっていました。ゴルフをされる人は結構多いようですね。年齢層の若い人たちも力任せに曲がる球を打っています。

 父はマイペーズでゆっくり休みながら打っていました。携帯電話を持参していますので、業務の急用にも対応できますのでなんとかなるものです。

 一度事務所に戻ってから、母も積み一路いの町へ。すこやかセンターでいの町議会議員選挙の期日前投票へ行きました。
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 両親が投票を済ませる間に、ロビーに体脂肪計があったので、電源を入れて測定してみました。

 そしたら嬉しい数字が。「BMIが22.7、脂肪率15・1%、肥満度3・1%」ではないか。だが測定日表示が2006年4月2日との表示。あてにならないかもしれない。

 事務所で測定しますと「体脂肪率20%」「BMI23.0]と随分差があるものです。ぬか喜び9のようですね。

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沖縄問題を真剣に考えましょう

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 今日5月15日は、1972年に沖縄がアメリカから日本に施政権が返還された日です。本当の意味での「日本独立の記念式典」をするのであれば、4月28日ではなく、5月15日にすべきなのです。

 何を安倍内閣は「急いで」式典を強行したのでしょう。多くの沖縄の人たちは「屈辱の日」として抗議集会を開催し、大勢の人たちが集まりました。歴史的に見れば、1952年4月28日に施行されたサンフランシスコ講和条約により、沖縄は日本から分離され、アメリカの統治がより強化されました。

 今も普天間基地の代替え飛行場が名護市辺野古に日米両政府は移転させようとしています。これには本来保守系のひとであるはずの仲井間沖縄県知事までもが反対しています。

 「基地でしこた儲けて、国からの交付金でも儲けているようだから米軍基地ぐらい我慢しろよ」と言う、「心無い」書き込みもWEB上で散見します。


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 辺野古への普天間海兵隊基地の移転移設は、「民意」と程遠いところにあり、到底無理な話です。政府が強行すれば、かつての「成田闘争」以上の反政府運動が、根強く展開され国論が分裂することになるでしょうから。
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 また5月15日は、義母西平一枝の命日でもあります。1997年のことでした。物静かな温厚な人柄の人で、大好きでした。もう16年にもなります。(なにかと過激なうちの母とは大違いです。)

 子供も2006年から2010年まで沖縄県立芸大へ通学していました。家内の実家から通学させていただいていました。我が家では沖縄は身近な存在です。

 でも2年前に「誰も住まなくなったので」、家内の兄弟が話し合い、隣の地主さんに実家の家を買い取ってもらいました。家内の実家も消滅してしまいました。

 いまは私の超高齢の両親(父93歳・母87歳)のケアがあり、沖縄を訪ねることはかないませんが、また訪問し、家内のご両親のお墓参りにも行きたいと思っています。

 やはり日本人全体が、沖縄に向き合いともに考えなければいけないと思います。

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2013.05.14

高知県庁へ防災講演会の広報に行きました。

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 5月13日の高知市議会に続き、14日は高知県議会、高知県知事、高知県庁危機管理部(防災課・南海 5月31日の講演会「立体換地から学ぶ下知再生への道」(講師清藤真司香南市長・主催下知コミュニティ・センター防災部会)の広報地震対策課)、県政記者クラブを訪問し、同時に住民発意の減災対策、避難対策である「横断歩道橋型津波避難施設」「浮体式メガフロート(巨大地震津波対策用高密度発泡樹脂浮力体構造物)」「疎開を前提とした仁淀川町との交流」「立体換地の研究」の資料を袋に入れ配布してきました。
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 辛気な作業を繰り返しました。幸い資料の多くは、高知市役所コミュニティ推進課がコピーしてくださり助かりました。でも資料を袋詰めするのは、仕事後の業務。辛気でした。

 高知県議会最大会派の自民党県議団室。誰もいませんでした。
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 野党の会派の控室も巡回しましたが、視察なのかどうか不明ですが、どの会派も県会議員はいませんでした。
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 県議会と高知県庁本庁はつながっています。そこを通って知事室へ行こうとしましたが、映画「県庁おもてなし課」のロケセットが居座っていました。一体なにを高知県庁は「はしゃいでいる」のだろうか?
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 南海地震が起きれば県都の大半の市街地が甚大な被害を受け水没すると言うのに。それに高知でロケした映画はたいていヒットしませんから。セットも見ましたが、何の感慨もありません。「やれやれ」というのが感想です。

 高知県知事室へも資料を持参し、秘書課の職員に手渡しました。
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 県政記者クラブへも行きました。各社14のBOXがありましたので、そこへ配布資料を置きました。記者もだれもいませんでした。
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母は滑車をしています。

 季節もよくなったので母(87歳)の運動のために、倉庫にヨットの滑車をとりつけ、ナイロン・ロープでひっお荒れるようにしました。上半身の筋肉を伸ばしたりするのに良い運動になるでしょう。

 立ってやる運動と座ってする運動では、刺激される部位が違います。介護予防リハビリ施設(ジョイ・リハ)にもありますが、家でも気軽にトレーニングができる環境は超高齢者にも必要です。

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2013.05.13

司馬遼太郎氏はラジカルな人でしたね

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 「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)をようやく読み終えました。文庫本でしたが、内容が濃く、私にとっては従来の世界観が覆るほどの内容でした。

 あとがきの解説を作家の関川夏央氏がされています。「思想嫌いの思想」と言う文章も秀作でした。この講演集は40代の司馬遼太郎氏の発言集です。その見識と歴史に対する造詣の深さに驚き続けました。

 「大衆歴史小説家」という評価をしていましたが、なかなかどうしてラジカルな人であると思いました。関川氏もこう書いています。

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)

 またその後の司馬遼太郎氏の後半生は、関川氏はこう総括されています。

「日本人は原理や思想を持たぬことを恥じるな、ひたすら現実を見据えてリアリズムで生きよ、ということに尽きた。

 司馬遼太郎の後半生は、大陸とヨーロッパに日本が抱いていた気おくれをとり去り、島国文化の闊達さを再発見させることに費やされといえる。」(P403 「解説「思想嫌い」の思想 関川夏央)

 今安倍政権が、憲法を改正して「天皇を元首にする」なんていうことを主張しておりますが、司馬遼太郎氏によれば、それは極めて不自然であるということになります。

 歴史上で天皇は軍も持たず、無力で神主のような存在。京都御所もお城ではなく、城塞ではありませんでたが、応仁の乱のときにも荒らされず、焼き討ちにも遭いませんでした。

「無防備な、無力であった600年の間に、天皇の本質はほぼ定着したと思うのです。
 天皇の本質とは、繰り返し申し上げますけれども「誰よりも無力である」ということであります。

 つまり皇帝はおろか、王ですらなく、天皇家はずっとその家系が続いてきたことになります。

 ところが明治維新を迎え、天皇の本質が変わっていきます。これはむしろ天皇にとって非常に不幸だったのではないか。このことについてひとつのエピソードがあります。

 大正天皇のご生母で、柳原二位局(やなぎはらにいのつぼね)という方がいらっしゃいまして、この方は実家が公家でした。

 公家ですから、在来の天皇の本質というものを、皮膚感覚で知っておられたのでしょう。

 自分の旦那さんである明治天皇が軍服を着て、サーベルを吊って、白い馬に乗っているのをごらんになり、おっしゃったそうですね。

 「ああいう恰好をしていては天皇家の将来も長くはない」

 明治国家の要請ということがありました。天皇が憲法上の権力を持ったということをこのエピソードは鋭く風刺しています。」(「天皇は再び御門の本質に戻った」)

 「600年にわたって天皇はたんなる御門(みかど)でしかなかったのに、「皇帝(エンペラー)」という、いわば大変に血なまぐさいにおいのする呼称をいったい誰がつけたのか。

 私はずいぶん調べましたが、よくわかりませんでした。おそらく中国皇帝が隣にあって、ドイツ皇帝、フランス皇帝もある。幕末から維新にかけての情勢を考えてみると、この3つの存在が発想の刺激になっただろうと思うのであります。」(P347「天皇は再び御門の本質に戻った)

 幕末維新の功労者である薩摩藩の藩主島津久光は、教養のあるひとでした。特に漢学に優れていました。明治の天皇制についてこう述べたと司馬氏は言います

「皇帝という呼称は、日本の国有の呼称ではない。
 このことは「日本書紀」や「古事記」を読めばすぐわかる。皇帝と言う呼称を考えた人々は、中国的教養や西洋的な素養だけを持っている人である。

 この呼称を法制化したことは非現実的であり、滑稽であり、いまの時代の風潮は憎むべきである。」(P348)

 司馬遼太郎氏は、明治以降1945年の敗戦までの80年間が日本史の中での「異常で特異な時代」であるとも言われています。そして敗戦後日本は本来の姿に立ち返ったと言います。

「日本は太平洋戦争に破れたあと、新しい憲法によって新しい国家が成立したと考えてよいですね。
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 「エンペラー」という言葉については、島津久光ではありませんが、私が今まで見てきたことを考えても、きわめて日本的ではないという感じがしています。

 「天皇とは御門(みかど)である。日本でもっとも無力な存在であることが本質であり、そのために長く続いてきたのだ」(P350「天皇について」)

 司馬遼太郎氏の講演の言葉を長々と引用しましたが、日本の歴史の「本質」をずばり言われています。

 2013年になって、安倍自民党政権は「天皇を元首にする」だの「憲法を改正する」と元気よく言い立てています。司馬遼太郎流に言えば「それは日本の本質ではない。自然体ではない体制であり無理がある。」「体制維持に無理があるから、人々を抑えつけようとする」

 イデオロギーや宗教や思想と無縁な現実主義者が日本人の本質。それを忘れてはいけないなと思いました。

 私の身勝手である考え方「面白いか、面白くないか」の判断基準の中に司馬遼太郎氏のラジカルな考え方を取り入れようと思います。だいたい説明がつきますね。高校生時代にこの本を真剣に読んでいたら、必要以上に過激な社会思想に傾倒しなかっただろうし、高校も留年しなかったと思います。後悔先に立たずではありますが、これから「正しい人生」「正しい歴史観」で生き抜いていきます。

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2013.05.12

四国のマルシェ同士の交流

 今日は上天気。昨日が今日ならヨットレースも面白かろうと思う。夜須では龍馬カップ・ヨットレース2日目。私はエントリーせず、朝1番は父(93歳)の付添で、ゴルフ練習場へ行き、父が球を打っている間は読書をしていました。

 そして戻ってから歩いておびさんマルシェへ行きました。途中中央公園では日本赤十字のイベントが開催されていまして、そのなかで土佐女子高校のブラスバンド部が演奏をしていました。
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 午前11時に、徳島県三好市の武川修士さん以下4人が来られるとのことでした。池田で2月にお尋ねしました「うだつマルシェ」のメンバーの皆さんです。開店準備をおびさんマルシェの出店者の皆さん方がしておられました。
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 三好市の皆さん方は、道路が渋滞していたのか、駐車場が混んでいたのか少し遅れて、おびさんマルシェのファーストのオープンカフェへ来られました。
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 おびさんマルシェの実行委員長の大西みちるさんと、うだつマルシェの皆さん方と情報公開をしました。私も知らないことがありました。
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「おびさんマルシェは9年前から始めました。契機はおびさんロードが市役所の工事で綺麗になりました。石畳の曲がった道路や、電柱の地中化、。高知の日差しを一杯に受ける商店街にふさわしいイベントを目指しました。」

「それまではすぐ北側にある帯屋町商店街の裏通りのイメージで、納品車が常に止まっている状態でした。商店街名も南帯屋町商店街から、おびさんロード商店街に変えました。」

「出店料は1500円。なんでもかんでもいいわけではありません。既成商品は販売しない。オリジナルな製品に限ること。出展者はネットで公募して、私が面接して決定します。単なるフリーマーケットでありませんので。」

「おびさんマルシェは、1月を除く奇数月の開催です。年5回開催しています。自分のこだわりの品物を販売する。将来はお店を持ちたいという人のチャレンジ。ショップ的な役目も果たせたらいいなと思います。」と大西みちるさんは話されました。
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 三好市池田のうたづマルシェも、古い古民家が並ぶ昔の商店街筋で年回3回開催しています。四国酒まつりと開催日は同じでやっています。こちらは出店料は500円。地元の人たちに多く出店していただくことも目標とか。

 同じ四国でセンスの良い「マルシェ」を開催されている高知市と三好市。今回の出会いを契機に交流が深まれば最高です。

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父を連れてゴルフの練習です

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 今日は昨日とうって変っての上天気。海は波もなく快適なセーリングが出来ることでしょう。わたしは今日は夜須へは行かず、父(93歳)のリハビリを兼ねたゴルフ練習に付添いです。

 父は超高齢者なので若い人たちのように、力強く遠いところへ球は飛びません。でも1球・1球丁寧に、ゆっくり打ちます。一応真っ直ぐに飛んでいますね。休み休みですが125発打ちます。
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 父が球を打つ間は読書タイム。司馬遼太郎講演集(1964-1974)を読んでいます。面白い本です。
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 もう少ししますとおびさんマルシェへ出かけます。徳島県三好市の「うだつマルシェ」の関係者の武川修士さんたち4人が視察に来られます。両方とも良質の露店市なので、隣県同士の交流が始まれば幸いです。おびさんマルシェのリーダーの大西みちるさんとの交流も目的です。

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人にやさしかった吉田松陰

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先日に続き「司馬遼太郎全講演1964-1974 朝日文庫」です。

 吉田松陰と言えば幕末の長州(山口県)の思想家で29歳で処刑された人物。松下村塾の弟子達が、討幕を成し維新を成し遂げる原動力になった人ですね。

 関連ブログ記事「吉田松陰を読んで」

 辞世の句も「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と激しい気性の革命家であると思っていました。司馬遼太郎氏の講演ではそうは言われていません。

 吉田松陰は褒め上手であったそうです。弟子の伊藤博文は身分も低く学問的な素養もない人物でした。でも松陰は「周旋の才」はあると見抜いていました。

「日本の総理大臣の原型をつくった伊藤博文のできあがる基礎を見抜いたのですね。年齢わずか16・7歳の俊輔を見抜いた松陰もまた見事ですね。

 人間はだれにも長所があります。どういう人間にもあるのですが、しかしわれわれは意外に長所を人に教わることはありません。

 皆さんも小さいときのことを振り返ってみるとよくわかると思いますが、人から「お前の長所はこれだ」と言われたことがどれくらいありますか。

 教えてもらった人はわずかだと思います。不幸にして、なかなか吉田虎次郎に巡り合うことはないのです。私もそうでした。」(「松陰の優しさ」P178) 

 私の場合も中学時代に国語の担当である三浦光世先生に「どんどん文章を書きなさい。日誌でも相手が読むことを想定して書きなさい。」と励まされました。ご主人は小説を書く人でした。ご主人にも「書くこと」について励まされました。

 わたしの文章はなんら芸術性はなく、一向に文章力は中学生の時から上達しませんが、電子日誌であるブログであれ、フェイスブックであれ書くことは苦痛ではありません。文章ネタに困ることはありません。むしろ書く時間がたりないことが問題ですね。 

 司馬遼太郎氏は人の悪口や欠点は容易に指摘はできるが、長所はなかなかわからないし、口にして言わないと。

「ところが、人の長所は、友達の長所でもなかなかわかりませんね。
絶対にわからないのではと思うこともあります。絶対は大げさかもしれませんが、そのためには心が優しくなければわかりません。その友人なら友人、その後輩なら後輩に対して心が優しくなければ。

 心を非常に優しくすれば、わかってくれるものなのです。心を優しくするためには、己をなくすことがいちばんです。競争相手であることを押し殺し、その相手を優しく眺めてみれば、あのことについては自分がおよばないと、よくわかってくるはずです。
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 たとえ頭が良くても、心が優しくないとだめなのです。

 大変に頭のよい人で、人の悪口ばかりを言っている人がいます。それは心が優しくないからですね。心が優しくないから人の欠点が良く目につく。頭がよければよいほど目につく。

 ところが、そういう人は人間として他の人間に影響を与えることはできないのです。他の人間に対して影響を与えることのできる人は、とびきり優しい心を持っている人ですね。

 松陰がそういうひとでした。」(心が優しいと人の長所がわかる)「松陰のやさしさ 」P182)   

 激烈で激しい生活で怒髪天を衝くような人物が吉田松陰であるとわたしは勝手に思い込んでいました。逆でした。人の短所を指摘せず、長所を懸命に探し、そしてそれを口にしてほめる。それが吉田松陰そのひとであると。全く意外でした。

 そうかもしれないなと思います。

 わたしは地域活動の南海地震対策でかりかりして、時に市役所や県庁の担当者を批判することもあります。民間と役所の組織原理の違いがあることを最近ようやくわかりました。そうなるとあまり腹が立たなくなりました。

 吉田松陰さんを見習って、相手を褒めることにします。そうしたら共存の道ができることでしょうから。    

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2013.05.11

龍馬カップ・ヨットレースに参加しました

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 実に19年ぶりのヨットレースへの参加。完走することだけが目的でした。今回は大会ポスターの原画を娘が描いたので、エントリーしました。

5月11日のお天気は「曇りのち晴れ」とのこと。それに期待して朝は8時半位に夜須のハーバーへ着きました。着いたらどん曇。おまけにうねりと波が高く、パドル・サーファーがサーフィングしている。
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 高松からベテラン・セーラーの藤沢逸郎さんたちも来られました。朝7時に出発されたそうです。
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 参加者は皆ぎ装しています。
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 普段は道の駅やすの駐車場にある坂本竜馬像ですが、今日はヨットの上に乗船しております。
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 そして午前11時に開会式が行われました。
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 清藤真司香南市長も挨拶されています。
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 10歳から68歳まで幅広い参加者がおられました。
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 そして待機。開会式後雨になり、無風状態が続き、海への出艇が遅くなりました。
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 ニラは夜須の特産。生産量は日本1とか。
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 それでレース海面へでたものの、波が高く、出艇時に波をバウ(船首)が被ってしまい、水船状態に、海面もローリングするような嫌なうねりの連続。排水するために水かきで水を懸命に排出していました。

 下を向いての作業がいけなかったのか、レース直前におむすび2個食べたのがいえkないのか、気持ちが悪くなりました。船酔いです。結構沖合まで出ていましたが、リタイヤをすることにしました。耐えられない状態でした。

 片付けをしていますと、ほどなくして皆が戻ってきています。作業を中断して、着艇のサポートをしました。50艇も出艇していますので、ヨットを波の高い波打ち際で抑えるのは大変でした。
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 ようやく片付けが終わる頃になりますと天気も回復気味に。明日は上天気でしょうね。でも明日は別件があるので来れません。

 夕方の午後5時半からは、艇庫のなかと、外にテントを出してウエルカム・パーティが開催されました。ジュニア・ヨットクラブのお母様たちや、料理上手のご婦人たちが地元夜須の食材を活用した料理が数多く並んでいます。
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 ギターの演奏と歌もありました。
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 夜須特産のニラ焼きそばも焼かれています。
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 午後7時半まで楽しく懇親をしました。

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大金持ちになっていた恩人

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 昨夜は雨の中、高知へ2泊3日のゴルフ・ツアーに来られた恩人の宿泊しているホテルに面会。積もる話をしました。

 30数年前の若かりし頃の記憶が蘇り、その後の精進で、社業は大発展され、いまや4店舗、年商30億、従業員50億の会社に成長されました。

 社長業を次男さんに譲られ、会長職で悠々自適ですが、3年前に盟友の奥様を亡くされ、奥様への想いも聞きました。
「家内がいたからこそ、会社は発展してきた。これからの時期に亡くなったのは残念。

 息子の嫁の教育も含め、やってもらわなければいけないことがあったのに・・」と奥様への想いを聞きました。

 箱根と沖縄にもマンション部屋を所有し、年に2回は全国や海外に友人たちとゴルフ・ツアーをされている恩人。まぶしい存在です。

 「それに引き替え」哀れなほど貧しい私の日常生活ですが、別世界の人のお話を聞けただけでも社会勉強になりました。

 メーカーのちんぴら社員時代に恩人と知り合い、「神奈川県対策への提言」というたいそうな大論文を書いて、社の上層部を説得し、論争していたことを思い出しました。それは恩人とそのご兄弟を重要視しなければいけないことを書きました。

 当時若造の私が予見していた以上に恩人の会社は発展しています。当時2つの店舗であった会社は、資本的に分離されたご兄弟の会社を併せ、6店舗に拡大。ますます発展されています。当時の若造の仮説が間違いないことを実証されておられます。

 それにひきかえ、わたしの現状は哀れなものですが、落ち込まず、卑屈にならず生き抜いていこうと思いました。

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母を連れてはりまや橋商店街へ

  昨日(5月10日)は、 雨の中、母(87歳)を連れて、活き活き100歳体操(介護予防体操)のために、はりまや橋商店街へ行きました。
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 おやつのドーナツやお菓子を買うのも母の目的なので、店舗や露店で買い求めていました。
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 体操はなんとかやっていました。
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 相変わらず骨粗鬆症による圧迫骨折による腰痛で、歩くのが苦痛の母ですがなだめすかして連れて行きました。
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「津波からの生還」を読んで

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「津波からの生還 東日本大震災石巻地方100人の証言」(三陸河北新報社石巻かほく編集局編・2012年刊・旬報社)を高知市下知市民図書館の南海地震コーナーで借りて読みました。

 三陸河北新報社は東北6県をエリアとするブロック新聞。この本には、宮城県石巻市、女川町、東松島市の市民100人の体験記が掲載されています。

 地震の体験と津波の実体験での証言ですので、どの人の言葉も重く、見につまされました。いずれも「想定外」の事態で懸命に生きようとしたひとたちの証言です。

 共通するのは地震時「長く揺れが感じた」が、すぐに津波が来るぞと思った人がいて素早く避難した人もいれば、まったく想定しなかったひともさまざまでした。

 津波のうずに巻き込まれ、九死に一生を得た人の証言は身につまされました。一緒に逃げていた身内との別離や目の前で津波に流されていく恐怖が語られています。

 あまりの事態の変貌に読んでいても足がすくむ思いでした。よくぞこの人たちは生き残ったと。

 そしてそこから何を教訓とするのか。やはり事前の体験と事前の避難訓練を、自分の家族と会社と地域ぐるみでやっておくことでしょう。

 「南海トラフ巨大地震から下知地区で生きのびるために」が、私の「ライフワーク」の1つになりました。命の問題、家族の問題、生活の問題、仕事も問題、地域の問題。すべてです。

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2013.05.10

父の腎臓機能は小康状態です。

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 5月10日も朝は植田医院で診察と点滴を父(93歳)はしました。血圧も102-52でやや低いですが問題ないとの事。酸素濃度は97%あり、超高齢者にすれば上等です。

 医院に慢性腎臓病に関するパンフレットがありました。腎臓機能に関する5段階の目安がありました。植田一穂先生にそのあたりを聞きました。

 「うちの父は、腎機能のステージとしたら現在何段階なんでしょうか?EGFRとはなんでしょうか?」と聞きました。そしたら植田先生はこう答えてくれました。

「今の段階はステージ4ですね。平成25年3月1日の血液検査では、クレアチリン値が2・05.EGFR値は24・3ですね。平成23年7月2日のデータでは、クレアチリン値が4・09、EGFR値は11・3でして、ステージ5でした。

 年齢的に回復されたのは奇跡に近いことですよ。」と言われました。

 ちなみにわたしのEGFR値は74.6で、ステージ2です。クレアチリン値は、1.0以下、EGFR値は60以下が正常値だそうです。
 
 父は正常値になることはありませんが、小康状態を保っています。でも脱水症状になれば、一気に腎機能は低下しますので、暑くなる時期は警戒が必要です。
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森雅弘さんの「昭和の忘れ物」

  前に勤務していた会社の上司でありました森雅弘さん(76歳)。FBを通じてお便りがありました。ユーチューブに動画を掲載されているとか。タイトルは「森雅弘S盤で辿る昭和の忘れ物」です。

 三重県のご出身の森雅弘さん。ご実家で見つけられたそうです。S盤に残る歴史的な音源を解説されています。

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いつまで長寿で健康が続けれるものではないでしょうが・・・

 最近知人のご両親や、ご親族の葬儀が多い。しかも皆若くして(といっても70歳前後か80代後半ですが)、うちの両親(父93歳・母87歳)よりお若い。

 父は慢性腎不全ですが、腎機能は小康状態であり、毎日散歩をし、体操をし、週に1度はゴルフの打ち放し練習へ行きます。母と一緒に介護予防リハビリ・通所施設へ元気に通っています。

 母は軽い認知症と骨粗鬆症による圧迫骨折での腰痛。歩くのが苦痛であると言いますが、内臓的な疾患はなく極めて健康体。両親とも血圧降下剤などの服薬はしていますが、生活は要介護度1であり、歯は全部自分のもので入れ歯は皆無、2歩足歩行をして、食事も排泄も、着替えも、入浴もすべて自分でできるので最高の超高齢者です。

 93歳と87歳にして「健康寿命」を保っています。でもシビアに言えば「介護1歩前」の状態であることには変わりかありません。で私がやっていることは両親の「介護予防」に全身全霊をかけていることでしょうか。

 いつまで両親の「健康寿命」が維持できるのか予断は許しません。ですので健康なうちに両親が「やりたいこと」のサポートをしようと思っています。「悔いのない人生」をまっとういしてもらいたいというのは家族の願いですから。

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2013.05.09

日本国憲法は「悪い憲法」ではありません

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 なにやら自民党や維新の会とかいう政党が「日本国憲法を改正しないと日本は国際社会から立ち遅れる。」とかで「憲法改正するぞ!」と息巻いています。特に維新の会では憲法を「破棄する」とまで主張しています。なんだかおかしな世の中になりました。

 そんなに日本国憲法が日本人にとって屈辱的なんでしょうか?私も含め多くの国民各位はちっともそうとは感じていないと思います。ただ声高に「変えないと時代遅れである」と扇動されますと「そんなもんだろうか」と思い、よく考えることもなく「変えてもいい」とか言う反応を示したりします。各種世論調査の結果もおおむねそれが現実でしょう。

 1945年の無残な敗戦後、1度も日本は海外で戦闘行為をしませんでした。68年間戦争をしなかった経済大国は世界に誇っても良いと思います。

 ただ敗戦後占領政策が7年で終結しても日本各地に米軍基地があり、1%の国土面積の沖縄に未だに74%の米軍基地が置かれている事態は異常です。しかも「日米地位協定」という一種の「不平等条約」が、日本の国内法の上にあり、米軍基地外で米兵が犯罪行為を行っても基地内へ逃げ込めば、日本の警察は手も足も出ない事態に未だになっています。

 日本国憲法の改正よりも先に、「日米地域協定」の改正が先です。そして沖縄の米軍基地の縮小・整理が先です。それから日本国をどう防衛していくのかという国民的な議論をし、自衛隊の拡充・強化を行いつつ、憲法の改正議論をすべきです。

 自国の領土・領海は自国の軍隊で防衛することは当然であり、そのことは日本国憲法の理念になんら抵触するものではありません。
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 日本国憲法の公布式典。皇族方も出席され盛大に祝賀したようです。

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2013.05.08

ゴーヤさんの芽が出ません

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 今日は5月8日でゴーヤの日。いつもは連休明けのこの日にゴーヤの種(昨年収穫した実から採りだし、冷蔵庫で保管していました。前日に水はつけていました。)を撒きます。

 今年は「それでは遅い」と近所の人に言われましたので、4月29日に撒きました。連作障害もあるやに聞きましたので、土も新しくホームセンターで購入してきました。

 植えて今日で10日目ですが,芽が出ません。最初に双葉が出て、ゴーヤの葉やつるが形成されていきます。出ないので心配です。

 夏はゴーヤさんが主役。緑のカーテンを形成し、事務所での冷房使用を原則しませんから。ゴーヤの実は、ゴーヤチャンプルなどで食べます。暑いときはうまいです。
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不便な街になりました。


 2001年の小泉内閣の「規制緩和」政策のおかげで、自宅近くの街並みは実に不便になりつつある。もっとも高知市二葉町は高知市の中心のはりまや橋から東へ1キロ。国道56号線と33号線に隣接する交通の要の街です。

 「サロンパスを買いたいが薬局がなくなった!」と母(87歳)が怒って言います。つい10年前には町内に小さな薬局が3軒あり、近隣の母でも徒歩で行けるスーパーにも薬局が入居していました。気軽にサロンパスは購入できました。母などはまさに徒歩で買い物が出来ました。

 ところが次々に街の小さな薬局は閉店し、母が徒歩で買い物に行ける範囲には1軒の薬局もなくなりました。文房具屋も同様になくなりましたが、こちらは「100円ショップ」のなかに文具コーナーがありますので不便さは感じません。

 薬局は薬剤師免許がいるので、簡単に開業できないのでしょう。100円ショップなどにもないですから。結局どうなったかと言いますと、車で行かないといけないな所に大型のドラック・ストアが出来ています。母の散歩ついでにサロンパスを買うことができなくなりました。
 
 現状はサロンパスを買うにも車で行かないといけません。とても不便です。大型のドラックストアですが、日用雑貨品や洗剤、お菓子など生鮮3品以外は置いてある状態。こちらはスーパーと競合しているようです。

 高知市の中心商店街からは映画館もなくなり、「シネコン」とやらで郊外のイオンという大型禿鷹スーパーの中にある状態。映画見るのにやかましいスーパーへ行かないといけないのか正直辛い。できれば行きたくない。

 規制緩和では大手企業がはびこるだけ。個人経営の近隣顧客を相手にする商店は苦戦します。でも母のような超高齢者は「顔の見える」個人商店で買い物するほうが健康にもいいんです。顔見知りになり「声掛け」もしてくれますので、認知症の予防にもなりますから。
 
 TPPやらでまたまた国際禿鷹店舗がはびこってくるのではないですか。田舎には不要なジャンクフード店や大型スーパーなどは「まちこわし」の象徴ですからね。そうなれば」ますます不便で住みづらい街に成り果てますね高知市は。

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2013.05.07

ママチャリで高須のジョイリハと医療センターへ

 5月6日暦は休日ですが、午前中は少しだけ仕事。すぐに終わり午前11時には両親の昼食づくり。と言っても冷凍食品とレトルト食品を電子レンジで温めるだけです。食事をとってもらい12時には介護予防リハビリのジョイリハ高須へ送迎車が来ました行きました

 昼食を済ませ午後1時にママチャリでジョイリハ高須へ両親の様子を見に行きました。
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 15人の高齢者の皆さんが、最初の体操を椅子に座ってやっていました。
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 父(93歳)も母(87歳)もまじめにやっておりました。見ますと脳血管障害の後遺症対策のリハビリで来られている人が多いようでした。
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 母もまじめにやっているようなので、高須からたるみ池の橋を越え、五台山トンネルを自転車で行きました。緩い上り坂の連続。トンネル内はさすがにやかましい。
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 トンネルを出ますと五台山小学校や、五台山地区の集落や田畑が見えます。二葉町同様に標高が低い地域です。海にも近い。
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 大畑山トンネルも登り坂の連続でした。
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 そこを抜けますと右手に県立大学が見えます。
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 そして高知医療センターに着きました。1階のロビーでフェイスブックで知り合いになりました前田学浩さん(南国市議)にお会いしました。
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 前田さんとお会いしたのは初めてでしたが、フェイスブックのおかげで初対面と言う感じはしませんでした。南海地震対策で情報交換させていただきました。

 また知り合いの30年来の有機農家であり、わたしとは25年来のお付き合いのある井上正雄さんが交通事故で医療センターへ入院されています。井上さんは南国市里改田で、前田さんは隣の地区の稲生(いなぶ)ですので、同じ地域です。


 有機農業のグループや集落活動センターの活動などで井上さんとも重なる活動もされているようで、ご紹介できて良かった思いました。

 帰りは下り坂でしたので、楽でした。ただ新青柳橋が歩道の幅が狭く自転車の行き違いが難しい。
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 孕の地形で高知市街地は津波のパワーがそがれるので助かるとのことです。
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 なんだかんだで、雑用して5月6日の休日は終わってしまいました。ママチャリでの上り坂ありで10キロ以上走りましたね。
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2013.05.06

両親はジョイ・リハは行きました

 腰が痛いといつも言っている母ですが、今日はなだめすかして、父と一緒にジョイリハ(介護予防リハビリ)へ行ってもらいました。
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不便な街になりました。

 2001年の小泉内閣の「規制緩和」政策のおかげで、自宅近くの街並みは実に不便になりつつある。もっとも高知市二葉町は高知市の中心のはりまや橋から東へ1キロ。国道56号線と33号線に隣接する交通の要の街です。

 「サロンパスを買いたいが薬局がなくなった!」と母(87歳)が怒って言います。つい10年前には町内に小さな薬局が3軒あり、近隣の母でも徒歩で行けるスーパーにも薬局が入居していました。気軽にサロンパスは購入できました。母などはまさに徒歩で買い物が出来ました。

 ところが次々に街の小さな薬局は閉店し、母が徒歩で買い物に行ける範囲には1軒の薬局もなくなりました。文房具屋も同様になくなりましたが、こちらは「100円ショップ」のなかに文具コーナーがありますので不便さは感じません。

 薬局は薬剤師免許がいるので、簡単に開業できないのでしょう。100円ショップなどにもないですから。結局どうなったかと言いますと、車で行かないといけないな所に大型のドラック・ストアが出来ています。母の散歩ついでにサロンパスを買うことができなくなりました。
 
 現状はサロンパスを買うにも車で行かないといけません。とても不便です。大型のドラックストアですが、日用雑貨品や洗剤、お菓子など生鮮3品以外は置いてある状態。こちらはスーパーと競合しているようです。

 高知市の中心商店街からは映画館もなくなり、郊外のイオンという大型禿鷹スーパーの中にある状態。映画見るのにやかましいスーパーへ行かないといけないのか正直辛い。できれば行きたくない。

 規制緩和では大手企業がはびこるだけ。個人経営の近隣顧客を相手にする商店は苦戦します。でも母のような超高齢者は「顔の見える」個人商店で買い物するほうが健康にもいいんです。顔見知りになり「声掛け」もしてくれますので、認知症の予防にもなりますから。
 
 TPPやらでまたまた国際禿鷹店舗がはびこってくるのではないですか。田舎には不要なジャンクフード店や大型スーパーなどは「まちこわし」の象徴ですからね。そうなれば」ますます不便で住みづらい街に成り果てますね高知市は。

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2013.05.05

5月5日の夜須の海を散帆(さんぽ)しました。

 父のゴルフうち放し練習場から自宅へ戻ると午前10時。急いでセーリングの道具を積み込んで一路夜須へ向かいました。途中十市(とうち)の石土池の樹木の新緑が勢いのあること。田舎のパワーです。凄い。


 浜改田から高知空港、吉川、赤岡まではそんなに混雑はない。しかし夜須へ近づくと渋滞していました。
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 ヤッシー.パークも連休中はアカシアの花祭りなどのイベントが多いようです、業者が来ていますね。
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 11時すぎにハーバーへ着きました。急いでぎ装をしました。今日は昨日と異なり風がそこそこあります。
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 ウエット・スーツを着用しました。靴は昨日、マリンブーツを履いたのでウエット・ソックスと運動靴の冬仕様です。海水温はまだまだ冷たいですから。
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 井上家ご一家が出艇しています。
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 わたしもそのあと出艇しました。風は程よく吹いています。 海へ出ました。南風ですが、風は冷たい。陸ではウエット・スーツは暑いと思いましたが、海の上では丁度です。顔には日焼け止めクリームを塗りました。
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 赤岡方面を目指してセーリングしました。

 昨日はお休みであったジュニア・ヨットクラブと高知大学ヨット部と社会人の皆さんがたがすでに海面にいました。レースの練習をしているようでした。わたしはその練習に加わらず、散帆しました。
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 来週は夜須で「龍馬カップ」のヨットレースがありますので、海面出ている私以外は皆気合が入って練習をしておりました。
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 今日はぶっとうしで3時間海の上にいました。ヨットの上でコンビニで購入したおにぎりとパンと水を飲みました。腹ごしらえをしながら散帆していました。来週はレースですが、結果は2の次、3の次ですね。
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 福留さんも朝から晩までセーリングをされていたようでした。
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5月5日の風景

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 近所のビズネスホテルの駐車場。普段はあまり見かけない遠隔地のナンバーの車が止まっていました。朝の散歩で見かけました。

 父を連れて、ゴルフの練習場へ行きました。やはり混んでいました。元気にゴルフボールを打っていました。3日にも連れてきましたので元気です。適度な運動(好きなことをする)ことと、水分補給が腎機能の維持に役立っているようです。
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 帰りの電車通りの信号待ち。姫路ナンバーと新潟ナンバーの車がいました、多少人は連休で動いているようです。
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 憲法9条電車をはりまや橋で目撃しました。

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いつまで長寿で健康が続けれるものではないでしょうが・・・

 最近知人のご両親や、ご親族の葬儀が多い。しかも皆若くして(といっても70歳前後か80代後半ですが)、うちの両親(父93歳・母87歳)よりお若い。

 父は慢性腎不全ですが、腎機能は小康状態であり、毎日散歩をし、体操をし、週に1度はゴルフの打ち放し練習へ行きます。母と一緒に介護予防リハビリ・通所施設へ元気に通っています。

 母は軽い認知症と骨粗鬆症による圧迫骨折での腰痛。歩くのが苦痛であると言いますが、内臓的な疾患はなく極めて健康体。両親とも血圧降下剤などの服薬はしていますが、生活は要介護度1であり、歯は全部自分のもので入れ歯は皆無、2歩足歩行をして、食事も排泄も、着替えも、入浴もすべて自分でできるので最高の超高齢者です。

 93歳と87歳にして「健康寿命」を保っています。でもシビアに言えば「介護1歩前」の状態であることには変わりかありません。で私がやっていることは両親の「介護予防」に全身全霊をかけていることでしょうか。

 いつまで両親の「健康寿命」が維持できるのか予断は許しません。ですので健康なうちに両親が「やりたいこと」のサポートをしようと思っています。「悔いのない人生」をまっとういしてもらいたいというのは家族の願いですから。

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2013.05.04

ヨット&カヤック体験のサポートをしました

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 NPO法人YASU海の駅クラブの主催。「ヨット&カヤック体験乗船会」が、5月4日(土曜日)に、海の駅クラブ前の海で行われました。初心者の方が体験されるには絶好の天候でした。風はそこそこあり、うねりや波がないので、ヨットもカヌーも楽しめたようです。
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 8時過ぎからヨットやカヌーをハーバーやビーチへ出して準備作業をしました。
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 地元新聞やネット、わいわいくじらなどを見られた皆様がご参加いただきました。地元香南市だけでなく、高知市や安芸市、高松市や、遠くは大阪や兵庫からも家族連れで参加されました。今日の参加者は110人。昨年は57人でしたので倍増でした。
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 簡単なレクチャーを行い、安全面の注意をし、救命胴衣を着用し、カヌーはビートから、ヨットは海で乗り換えるためにゴムボートで搬送しました。1時間の体験です。
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 「海でのカヌーやヨットの体験は初めて」と言われる人が大多数でしたが、海へ出て10分を過ぎますと慣れてヨットはうまくセーリングしていました。カヌーも親子2人で息を合わせて漕いでいました。
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 シープルという大きめのヨットのセーリング体験も好評でした。ご家族ずれで乗り込まれ海を堪能されました。そこそこ風がありましたから楽しかったと思われます。
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 皆さん思い思いに楽しまれました。
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 なかにはヨットをされてから、カヌーを体験された方もおられたようです。

 隣のヤッシー・パークで食事をされたり、買い物をされたりして参加者の皆さんは目いっぱい楽しまれたようでした。商業主義のごちゃごちゃしたイベントとは一味違う「自然体験型」の行事は格別です。

 8時過ぎから準備をし、体験は10時から午後3時まで。それから片付けして、自分の体を洗って反省会を海の駅クラブ会議室でしました。参加者が倍増したことには驚きました。アンケートの結果も大好評でした。
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 会議の最中に雨が降り雷まで鳴りました。体験中はお天気で何よりでした。1日中頭も神経も使わなかったので、体は疲れていますが頭はすっきりです。

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「靖国問題」について思うこと

 「靖国問題」について

お互い「歪んだ間違った歴史観で感情的な議論をしても、不幸な結果しか得られないのではないか」というのが、「靖国問題」に関する私の見解です。

 168人の国会議員が靖国神社に集団参拝をしてことに中国と韓国政府が反発し口語声明をだしたことに、安倍首相が張り切って反論をされているようです。


 別に中国も韓国も日本を本気で「脅かしている」わけではなく、いつものルーチン言動でしょうに。誤った歪んだ歴史教育を国民に施している反日を国是にしようとしている両国政府の言動はそもそも「異常」。その「異常」な両国政府の言動に国会で反論する安倍首相の言動もまた「異常」です。

 なんだか最近の日本・中国・韓国政府の「いがみ合い言動」を観察するとお手本が北朝鮮当局なのではと思うほど自己本位の身勝手な言動が目立っている。

 中国や韓国は国際貿易の市場で「日本のイメージ・ダウン」を狙うための国家戦略で「靖国問題」取り上げキャンパーンをしているだけでしょうに。

 では日本はどうすればいいのか?いちいち感情的に反論せずに無視すればいいんですよ。中国に対してはあらゆる情報媒体を活用して「四川地震の支援」「大気汚染の防止の支援」「新型インフルエンザ対策の支援」を言っておればいいんです。

 韓国に対してはあれこれ政府が言う必要はないと思います。

 中国も韓国も「プライドの高い メンツにこだわる民族」ですから。自国への根拠ない優越意識が災いし、欧米列強に進出され、近代化が出遅れました。日本に先をこされました。それが悔しくてたまらないので、歴史の改ざんも平気でして、自国民に執拗に反日教育をし続けています。

 もっとも実務的な経済交流は、政府のいがみあいより桁違いに大きい。そのことは日本も中国も韓国の経済人も市民各位もわかっています。皆自国の政府は「あほではないか」と思っているはずです。

 今回安倍首相が「中国や韓国のレベルへわざわざ降りて行って」反論するなんぞは、正直いかがなものかと思いますよ。国益にはならないでしょう。

 また日本国民も中国と韓国だけが「アジア諸国」ではありません。台湾もあるし、極東ロシアやモンゴルもアジアです。フィリピンやインドネシアやベトナムなどの東南アジア諸国もアジアですし、インドもアジアです。もっと広い目で世界を見るべきでしょう。

 日本と中国と韓国とがいがみ合いをして誰が得するのでしょうか?それは米国の軍事産業でしょう。あえて軍事的緊張をつくりだし、武器を販売したいのではないでしょうか?今回の「いがみあい」も各国の軍産複合体が絡んでいるのではないでしょうか。

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2013.05.03

風呂掃除と母の散歩

 今日は両親の昼食をこしらえました。とはいえやったことは冷凍食品をレンジで温めただけ。昼食後は風呂の掃除をしました。
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 午後からは母の「散歩と運動」。とにかく「老いても子に従わない我儘婆さん」なので、「腰が痛い。こんなに痛いのは初めてだ。」と毎日叫んでいますが、今日はことさら痛いとのこと。
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 運動後は一緒におやつを食べました。

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父も元気にゴルフ練習しました

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 いつもの父のゴルフ練習風景です。今朝は朝は8時過ぎの出発。いつものゴルフ練習場へ行きました。8時40分には到着しましたが、早くも駐車場は混んでいます。さすがに4連休ですね。

 父は1球、1球ていねいに球を打っています。球は遠くへ飛ぶことはありませんが、一応まっすぐに飛んでいます。近くの打席では若い人が振り回して球を打ち据えていますが、方向性が定まりません。

 わたしは読書タイム。図書館で借りてきた「城山三郎の遺志」(佐高信・編・岩波書店・2007年刊)を読んでいます。

 「不確実な、不確定な時代でわからないことが多いけれども、戦争になったら元も子もなくなるということだけはハッキリした事実だと思うんです。だからとにかく勝つ負けるよりも先に、戦争を防ぐということ、戦争にならないようにすることにしかないと思う。

 そういう意味では、戦争を前提にしたものの考え方にはついてはいけないし、戦争を前提にして人を煽り立てようとするようなことに対しては抵抗があります。」(P7「歴史・文学・知識.人間」城山三郎の遺志しより引用)

 6年前の出版本ですが、「今の時代」の「浮ついて軽薄な政府閣僚や一部の国会議員の言動」を城山三郎さんは短い言葉で射抜いていますね。「寸鉄人を刺す」というのはこういうことですね。

 今日は憲法記念日ですので父のゴルフ練習を見ながら読書し、軽々しく憲法を改正するなどと言う軽薄な政治屋を批判してみました。
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日本国憲法は変える必要はありません

 衆議院選挙で大勝した自民党。政権政党民主党の内部崩壊で、予想上の議席を獲得しました。普段から「日本国憲法の改正」「国防軍の創設」「集団的自衛権の行使」「米軍との共同軍事行動こそが国際貢献」というおよそ国民生活とは無縁なことに熱心な安倍内閣に、おおいに気になるところです。

 来年夏の参議院選挙でも、自民党・維新が圧勝しますと、「衆議院・参議院の議員の3分の2以上の発議」で憲法改正同義が提出され、可決後国民投票になります。その過半数で憲法が改正されます。
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 これって大変なエネルギーが要りますね。政権政党自民党は経済の回復という大命題を克服してからのお話ですね。さてお手なみ拝見ですね。

 ところが憲法68条の「手続き」から改正するような戦術を出してきました。「国会議員の3分の2」以上の規定を「過半数」にするというもの。なんだか姑息に思いますね。
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 日本国憲法が公布された祝賀式典には皇族の皆様も出席されて、平和国家日本を目指すことを誓いました。それから66年余り。憲法改正、それも9条の改正だけに熱心な日本国首相が現れたことに、わたしは危機感を感じます。
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 いま国会がすべきことは、国民の命と財産を守ることです。経済の再建と雇用の創出。少子高齢化社会への社会の仕組みの対応。南海トラフ巨大地震や首都圏地震への減災対策。原子力発電所の地震への安全対策。全国各地の道路や橋梁、トンネルなどの社会資本の整備と点検などです。

 憲法を改正する時期にはありません。改正すると息巻いている国会議員の一部には、近隣諸国との対立を促す挑発的な言動を繰り返し、緊張を煽ろたて、「軍備を拡張し国防を」などと「マッチ・ポンプ」的な行動をされている人たちもいます。馬鹿げています。

 日本国憲法は今すぐに変える必要はありません。国家的課題は山積みしており、それを取り組んで解決して後に国民的な議論をすべきです。意見の異なる相手を誹謗したり、攻撃したりばかりしている人たちが「国を守る」「国を守るためには個人の権利や言動を制約しなければならない」と言っておられる人たちが、声高に憲法改正を言い立てているからです。

 日本国首相は日本国憲法を順守することで日本国首相になったはずです。それを自ら破る意図の首相は即刻辞職すべきです。

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日本国憲法は「悪い憲法」なのか?

 なにやら自民党や維新の会とかいう政党が「日本国憲法を改正しないと日本は国際社会から立ち遅れる。」とかで憲法改正するぞと息巻いています。特に維新の会では憲法を「破棄する」とまで主張しています。なんだかおかしな世の中になりました。

 そんなに日本国憲法が日本人にとって屈辱的なんでしょうか?私も含め多くの国民各位はちっともそうとは感じていないと思います。ただ声高に「変えないと時代遅れである」と扇動されますか。「そんなもんだとうか」と思いつつも「変えてもいい」とか言う反応を示したりします。

 1945年の無残な敗戦後、1度も日本は海外で戦闘行為をしませんでした。68年間戦争をしなかった経済大国は世界に誇っても良いと思います。

 ただ敗戦後占領政策が7年で終結しても日本各地に米軍基地があり、1%の国土面積の沖縄に未だに74%の米軍基地が置かれている事態は異常です。しかも「日米地位協定」という一種の「不平等条約」が、日本の国内法の上にあり、米軍基地外で米兵が犯罪行為を行っても基地内へ逃げ込めば、日本の警察は手も足も出ない事態に未だになっています。

 日本国憲法の改正よりも先に、「日米地域協定」の改正が先です。そして沖縄の米軍基地の縮小・整理が先です。それから日本国をどう防衛していくのかという国民的な議論をし、自衛隊の拡充・強化を行いつつ、憲法の改正議論をすべきです。

 自国の領土・領海は自国の軍隊で防衛することは当然であり、そのことは日本国憲法の理念になんら抵触するものではありません。

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2013.05.02

左耳が聞こえなくなっていました。

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 3か月前くらいから、事務所の左方向に座っている家内の話し声が聞こえない。それで大声で「もっと大きな声で話してくれ!」と言っていました。また左耳に当てて話す携帯電話の相手の声がどうも小さい。電話の電池が少ないのかと思っていました。

 4月23日に検診クリニックで健康診断した折に,聴力検査があり、「左耳の聴力が弱いようです。」と指摘されていました。しかし4月は公私ともに多忙であり、耳鼻科へ行く時間がありませんでした。

 でも指摘されれば気になります。あるとき、左耳に携帯ラジオを当てて聞こうとしますが、よく聞こえない。右耳は聞こえます。これは聴力障害をおこしているのかもしれない。耳の病気かもしれない。ベートーベンさんのように聞こえなくなるかもしれない。不安でした。

 明日から連休で4日間病院はやすみになります。午後になり仕事も一段落したので、一文橋窪耳鼻科へ行きました。休み前で混雑していました。

 窪先生は診察されてこういわれました。

「両耳とも耳垢が凄いの。鼓膜が見えない状態。これでは聞こえないはずですよ。耳垢を柔らかくする薬を両耳に入れます。10分ほどしてお湯荒いします。そして吸い出します。」とのこと。

 ベットの上に寝かされて薬を入れて待つこと20分余り。看護士さんが両耳を洗浄。出るわ耳垢が。3回ずつ両耳を洗浄しました。

 続いて窪先生が小さなバキューム(吸出し器)で耳垢を吸い取ります。音が凄いし,痛いこと。コールタールのような粘着質の耳垢が吸い取られました。痛いが耳が聞こえます。

 そして聴力検査を耳垢除去後しました。異常なしとの判定でした。

「右耳は完全に取れましたが、左耳の耳垢は鼓膜にへばりついていますので、3分の1は取れません。それでも鼓膜が見えるようになってので耳は聞こえるようになりました。

 普通の人は医院へ来て1年に1度耳垢掃除をすればいいんですが、あなたの場合は3か月に1度は来ないと駄目ですよ。」と言われました。

 痛かったけれどお蔭様で耳が良く聞こえます。大通りに出ますと車の音がやかましく聞こえます。またキーボードでこの文章打っていますが、その音も良く聞こえます。お笑いのような話です。「耳垢恐るべし」でした。
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母を美容室へ連れて行きました

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 昼過ぎに今日は医療センターへお見舞いに行きました。25年来毎週有機野菜をいただいている井上正雄さんが、過労運転で電柱へぶつかり足の骨を折り入院されているとか。1週間前に娘さんから聞いていました。ようやくお見舞いにいけました。

 良い風が吹いています。

 戻ってきて母(87歳)を近所のシンボル美容室へ連れて行きました。腰が痛いというので、わずかな距離ですが車で行きました。帰りは歩いて戻ったようです。
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父は植田医院へ行きました

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 世間様は「大型連休」でお休みモード。イベントも各地で開催され、観光地は人であふれていることでしょう。しかし慢性腎不全の父(93歳)にとってはお休みは関係ありません。今日は植田医院へ診察と点滴に行きました。

 診察の前にバイタル・チェックです。血圧は128-56で酸素量は95%。まずまずの健康状態でした。そして植田一穂先生の診察を受けました。

「健康状態は年齢から言えば申し分ないですね。ヘモグロビン値が10・5でやや貧血気味ですから注射を打ちましょう。クリアチリンは2・08で、前回の1・89より上がっていますが、小康状態です。これからの季節は脱水症状には細心の注意を払ってくださいk。水分補給が肝要です。

 明日から6日までは医院はお休みです。休み明けの7日には病院へ連れて行きます。休日は3日にゴルフの打ち放し練習場へ連れて行きます。6日は午後に介護予防リハビリがあります。健康であることがなによりです。腰痛気味の母(87歳)の散歩も連れ出さないといけないですね。そちらのほうは大変です。

 今日は週に1度の美容院へ行く日。予約を入れました。また連れて行くのは大変ですが外出させて常に刺激を頭に与えないと母の場合はいけないのですから。

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 年齢表示が間違い。93歳ですのに。

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5月4日(祝) ヨット&カヤック体験乗船会

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5月の連休の1日は、高知県香南市夜須で、ヨットやシーカヤックの体験をしませんか。気に入られましたらYASU海の駅クラブへ入会しませんか。


日時:5月4日(祝) 10時~15時

集合場所:高知県香南市マリンスポーツセンター

主催 NPO法人YASU海の駅クラブ

   電話 0887-57-1855

料金 大人 1500円 高校生以下 1000円

*わたしも今年の日程は休日なので、スタッフとしてお手伝いに行く予定です。

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2013.05.01

母を連れ出しようやく散歩

  今日は仕事の日なんですが、相手方もほとんど休んでいるのか暇なこと。ご近所の建材販売店も店主が留守番しているだけで、従業員の人たちはお休みのようです。せっかうのお天気なのに仕事(しかも暇)なんてもったいない。海へ行きたいものです。

 骨粗鬆症による圧迫骨折して腰痛を訴えている母(87歳)。いつもどなりちらして散歩に連れて行きますが、今日は「ひとにやさしかった吉田松陰」を見習い、己を捨て母に寄り添い温厚な言葉で説得しました。(人間修業が肝要)、
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 事務所から出るとすぐに立ち止まり「もう帰りたい」といいます。今日は父の使用しているウォーキング用ストック(杖)を持たし、わたしは後ろ歩きで母を励ましながら歩きました。

 最初こそ止まり、止まりでしたが、だんだんと距離が長く止まらずに歩けだします。動き出しが痛いらしい。

 目的のお菓子屋まで来ました。
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 母の好きなドーナツ形のお菓子と、クッキーを買いました。
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 ご近所の人も杖をついて懸命に歩かれています。やはり人間歩かないといけないです。
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 しかし歩ける距離がだんだん短くなります。腰痛させ克服すれば、どんどん歩けるのですが・・・治療方法がとりあえずないというのは本院も家族も辛いものです。

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憲法改正より日米地位協定の改正が先だろうに

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 高支持率を良いことに安部晋三首相は「憲法改正こそが日本の悲願。参議院選挙で圧勝し、憲法改正の発議を行う。」と調子に乗っています。はたしてそれでいいのでしょうか?

 日本国憲法を占領軍の押し付け憲法と言うのが、改憲派の人たちのご意見。では米軍基地周辺の住民が米軍兵士の犯罪に巻き込まれ、蹂躙されても日本の警察や司法当局は、犯罪者が米軍基地へ逃げ込めば手も足も出ない情況を屈辱と考えないのでしょうか?

 2004年の8月13日でしたか、沖縄普天間基地の米軍ヘリが基地に隣接する沖縄国際大学へ墜落炎上した事件がありました。幸い夏休み中で学生や職員は不在でしたが、校舎は炎上し焼き落ちました。

 米軍はただちに墜落現場を閉鎖し、日本の消防や警察の現場検証をさせませんでした。日本政府は抗議すらしませんでした。全く酷い不平等な状態です。

 米軍兵士が犯罪を起こしたら、日本国内の法律を適用し、処罰し、裁判にかけることは当たり前の主権国家のやることでしょうに。

 現実は日米地位協定が、日本国憲法よりも上位にあるのです。全くおかしな事実です。

 対等な日米関係を言うのであれば、安倍内閣はまっさきに日米地位協定の改正をすべきです。それをせずに日本国憲法を改正するなど笑止千万です。
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 今でも沖縄の米軍基地の負担率は75%です。面積は日本国土の1%の地域です。

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