「新・風に吹かれて」を読んで
「新・風に吹かれて」(五木寛之・著・講談社・2006年刊)を下知図書館で借りて読みました。五木寛之氏のエッセイ集は、軽く読めながら含蓄が深いので、よく借りて読んでいます。いままでも何冊かは読みました。
そのなかで「高齢者は荒野をめざす」という題目がありました。五木氏が高齢者となり、動体視力も衰えたので、運転免許を返上しようかと思い、口にすると周りの皆が反対されたそうです。
運転免許を取るのにはえらく金がかかる。という経済効率主義。身分証明書の必要性。高齢者ほどクルマが必要であるという忠告もあったとか。
「免許書の更新と言ったって、70歳以上の高齢者ともなれば、簡単にできるわけはない。なにか特別な講習が必要だという。
運転適性監査や、視力の確認や、講義の聴講に加えて、自動車教習所で実地の運転テストを受けなければならないのだ。
これが気が重かった。頭の中に、何10年も昔の教習所の教官のイメージがこびりついている。運転操作をまちがうと足を蹴ったりする鬼の下士官のような指導員はさすがにいないだろうが、横に座られてS字やクランクの運転ぶりをチェックされるのは気が重い。
迷っていおるうちに72回目の誕生日がすぎた。あと1か月もほうっておけば免許は失効する。ギリギリになって、ようやく更新を決断した。
なにごとも経験。かつて「青年は荒野をめざす」などという小説を書いたこともあるわたしではないか。今こそ老人もまた荒野をめざす時代かもしれない。」(P47)
なんとか決意し、もよりの自動車学校へ予約の電話を入れると、丁寧な応対だったそうです。「なかなかソフトで感じがいい。自動車学校も昔と違って、相当に進化したようだ。」と感心されています。
高齢者講習は五木氏と、70歳を過ぎた男性と、上品なご婦人。男性と五木氏は運転をされているので。メニューを楽々とこなしはしたが、ご婦人は何10年も運転をしたことはないという。それでも教官は親切に指導をされたとの事。
「それから車が停止するまでの時間、わたしは髪が逆立つような恐怖の体験をした。
上品な容姿のわりに、手加減をなさらない。アクセルをガット踏み、ブレーキをドスン。カーブになるとハンドルから手を放される。思わず全身が硬直。
「実際に運転をなさるようなときは、必ずもう一度、教習所でパーパードライバー向けの講習をお受けになったほうがよろしいかと思いますけど」と指導員氏、ご婦人には最後までジェントルであった。」(P48)と「恐怖体験」も綴られています。
昨年93歳の父の免許更新に同行しましたが、似たような状況でした。あとで無料脳ドックの検診も勧められましたから。
五木氏は「受けてよかった高齢者講習」との感想。らしいのが「80歳になったらポルシェを買おう、と帰り道で考えた。雀100までというのはこのことかもしれない。」(P50)
72歳と言えば「前期高齢者」であって、お元気でしょうね。今年は2013年です。エッセイから7年経過しています。その間に2回(3年ごとなので)高齢者講習を受けたのでしょうか?五木寛之氏は今年79歳になるはずです。ポルシェを購入されたのでしょうか?気になるところです。
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