人生初期の1番良い時代は”凄春”でしたね
サッカーの年齢別のカテゴリーにはいくつか区切りがありますね。U12(12歳以下)、U-15,U-17,U-19,U-21,U-23(五輪代表)、フル代表(年齢制限なし)となっています。
人間の身体機能の成長期にあわせたカテゴリーになっているんでしょうね。12歳から23歳までは、子供から大人になる過程であり、体も大きくなり成長著しい時期なのですね。
世間様が良く言う「青春時代」の時代であり、体も精神も充実し、楽しい時代とされています。サッカー選手はこの年代で見いだされ、伸びる選手はプロ選手になり、世界で活躍していきます。
タレントやアイドルと言われる人たちもこの時期に頭角を現す人が大半ですね。また一般社会でも、小学校高学年―中学―高校―大学という時期でもあり、1番勉強し、学問を身に着けなければいけない時期でもあります。その頃の「同窓会」を楽しげにされている人たちのコメントをFBでも散見しますが、羨ましいとしか思えませせん。
「後悔先に立たず」とは言います。私の場合は、「思想に早くから酔っぱらう体質」の人間でした。司馬遼太郎氏の持論です。早熟の政治少年でした。
「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。
イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」司馬遼太郎講演集1964-1974)
私の場合のU-12からU-23までは、まさに「思想的に酔っぱらいの時期」と重なりました。時代は1965年から1976年までの10年がその時期でした。
当時の社会情勢は[公害」「ベトナム戦争」「学園闘争」「70年安保闘争」「沖縄闘争」の時代でした。悪いことに毛沢東思想に傾倒していました。良く事情も知らずに文化大革命に感動していました。
司馬遼太郎氏は「儒教に変わる、人民を飼いならすための道具が毛沢東思想であり、文化大革命だった。」と当時あっさりと切り捨てていました。
それからなんと45年も経ってから、ようやく思想の何たるか、社会運動の何たるかがわかりました。馬鹿でした。愚かでした。人生の初期の1番勢いのある伸び盛りの時期に、毛沢東思想や新左翼系の社会運動で費やし、傷ついてしまいました。勉強もスポーツもしませんでした。成果はなにもありません。
「少年は老い易く」ということわざがあります。わたしはもう今年還暦を迎える親父です。経済的にも成功せず、何事もなしていません。先日神奈川から来られた恩人にお会いして、つくづく「ダメな人生だな」と自分にがっかりしたことでした。
でも「人生125年」であると思います。やり直すつもりで頑張ります。U12からU23の頃の体力こそありませんが、苦い経験があります。前向きに考え実行していきます。
後半生は「面白おかしい人生」になるように日々精進します。
わたしは「早熟の政治少年」でした。しかし最近”同世代”の安倍晋三首相の「薄っぺらな歴史認識」にもとづく発言や、橋下大阪市長の「暴言」の数々を知るにつれ、黙ってはおられなくなりました。
わたしはU-23以降は、東京で猛烈社員も経験し、田舎へUターンしてからは零細企業の親父として奮闘してきました。また青年会議所(JC)の活動もしましたし、今は300M四方の二葉町の地域防災活動をしています。超高齢の両親をケアしながら、南海トラフ巨大地震が起きれば水没する予定の海抜〇メートル地域似て生活しています。
いわば政治的には右も左も経験し、地域活動も介護も経験してきているので、市井の一市民としては世の中のことがある程度わかっているのではないかと思います。経験していないのは「大金持ち体験」ぐらいですから。
それで一市民としていろいろブログやFBなどでも発言し続けていこうと思います。人生「やり直し」はできませんが、後半生を豊かにするためには。多くの「異論」を聞き、議論し、あるべき姿を皆で作り上げる粘り強さをもった人間になるために努力をしていこうと思います。そうでなければ人生の一番いい時代を空費したことが報われませんから。
| 固定リンク
コメント