« 四国のマルシェ同士の交流 | トップページ | 母は滑車をしています。 »

2013.05.13

司馬遼太郎氏はラジカルな人でしたね

Shibakouennhonmm

 「司馬遼太郎全講演1 1965-1974」(朝日新聞社・2003年刊)をようやく読み終えました。文庫本でしたが、内容が濃く、私にとっては従来の世界観が覆るほどの内容でした。

 あとがきの解説を作家の関川夏央氏がされています。「思想嫌いの思想」と言う文章も秀作でした。この講演集は40代の司馬遼太郎氏の発言集です。その見識と歴史に対する造詣の深さに驚き続けました。

 「大衆歴史小説家」という評価をしていましたが、なかなかどうしてラジカルな人であると思いました。関川氏もこう書いています。

「子供の時からお酒を飲みつけていて、お酒をしょっちゅう飲んでいるような人は、お酒が切れるとだめですね。アルコール中毒と同じで、いらいらしてしまう。

 イデオロギーもそうですね。違うお酒が必要なんです。日本人のそういう心理の中で、戦後のマルキシズムが果たした役割があります。」(「うその思想」)

 司馬遼太郎は、ヨーロッパ世界のキリスト教原理も、東アジア儒教も「飼い馴らし」の原理といった。当時日本では高く評価する向きがあった文化大革命と紅衛兵に冷静な批評的発言をし(71年)、日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまでは崇高ではない」(「人間の集団について」-ベトナムから考える)」と言い切ったのである。73年と言う時代相を考えれば、これは果敢な発言であった。」(P402 「解説「思想嫌い」の思想」)

 またその後の司馬遼太郎氏の後半生は、関川氏はこう総括されています。

「日本人は原理や思想を持たぬことを恥じるな、ひたすら現実を見据えてリアリズムで生きよ、ということに尽きた。

 司馬遼太郎の後半生は、大陸とヨーロッパに日本が抱いていた気おくれをとり去り、島国文化の闊達さを再発見させることに費やされといえる。」(P403 「解説「思想嫌い」の思想 関川夏央)

 今安倍政権が、憲法を改正して「天皇を元首にする」なんていうことを主張しておりますが、司馬遼太郎氏によれば、それは極めて不自然であるということになります。

 歴史上で天皇は軍も持たず、無力で神主のような存在。京都御所もお城ではなく、城塞ではありませんでたが、応仁の乱のときにも荒らされず、焼き討ちにも遭いませんでした。

「無防備な、無力であった600年の間に、天皇の本質はほぼ定着したと思うのです。
 天皇の本質とは、繰り返し申し上げますけれども「誰よりも無力である」ということであります。

 つまり皇帝はおろか、王ですらなく、天皇家はずっとその家系が続いてきたことになります。

 ところが明治維新を迎え、天皇の本質が変わっていきます。これはむしろ天皇にとって非常に不幸だったのではないか。このことについてひとつのエピソードがあります。

 大正天皇のご生母で、柳原二位局(やなぎはらにいのつぼね)という方がいらっしゃいまして、この方は実家が公家でした。

 公家ですから、在来の天皇の本質というものを、皮膚感覚で知っておられたのでしょう。

 自分の旦那さんである明治天皇が軍服を着て、サーベルを吊って、白い馬に乗っているのをごらんになり、おっしゃったそうですね。

 「ああいう恰好をしていては天皇家の将来も長くはない」

 明治国家の要請ということがありました。天皇が憲法上の権力を持ったということをこのエピソードは鋭く風刺しています。」(「天皇は再び御門の本質に戻った」)

 「600年にわたって天皇はたんなる御門(みかど)でしかなかったのに、「皇帝(エンペラー)」という、いわば大変に血なまぐさいにおいのする呼称をいったい誰がつけたのか。

 私はずいぶん調べましたが、よくわかりませんでした。おそらく中国皇帝が隣にあって、ドイツ皇帝、フランス皇帝もある。幕末から維新にかけての情勢を考えてみると、この3つの存在が発想の刺激になっただろうと思うのであります。」(P347「天皇は再び御門の本質に戻った)

 幕末維新の功労者である薩摩藩の藩主島津久光は、教養のあるひとでした。特に漢学に優れていました。明治の天皇制についてこう述べたと司馬氏は言います

「皇帝という呼称は、日本の国有の呼称ではない。
 このことは「日本書紀」や「古事記」を読めばすぐわかる。皇帝と言う呼称を考えた人々は、中国的教養や西洋的な素養だけを持っている人である。

 この呼称を法制化したことは非現実的であり、滑稽であり、いまの時代の風潮は憎むべきである。」(P348)

 司馬遼太郎氏は、明治以降1945年の敗戦までの80年間が日本史の中での「異常で特異な時代」であるとも言われています。そして敗戦後日本は本来の姿に立ち返ったと言います。

「日本は太平洋戦争に破れたあと、新しい憲法によって新しい国家が成立したと考えてよいですね。
      中略

 「エンペラー」という言葉については、島津久光ではありませんが、私が今まで見てきたことを考えても、きわめて日本的ではないという感じがしています。

 「天皇とは御門(みかど)である。日本でもっとも無力な存在であることが本質であり、そのために長く続いてきたのだ」(P350「天皇について」)

 司馬遼太郎氏の講演の言葉を長々と引用しましたが、日本の歴史の「本質」をずばり言われています。

 2013年になって、安倍自民党政権は「天皇を元首にする」だの「憲法を改正する」と元気よく言い立てています。司馬遼太郎流に言えば「それは日本の本質ではない。自然体ではない体制であり無理がある。」「体制維持に無理があるから、人々を抑えつけようとする」

 イデオロギーや宗教や思想と無縁な現実主義者が日本人の本質。それを忘れてはいけないなと思いました。

 私の身勝手である考え方「面白いか、面白くないか」の判断基準の中に司馬遼太郎氏のラジカルな考え方を取り入れようと思います。だいたい説明がつきますね。高校生時代にこの本を真剣に読んでいたら、必要以上に過激な社会思想に傾倒しなかっただろうし、高校も留年しなかったと思います。後悔先に立たずではありますが、これから「正しい人生」「正しい歴史観」で生き抜いていきます。

|

« 四国のマルシェ同士の交流 | トップページ | 母は滑車をしています。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 司馬遼太郎氏はラジカルな人でしたね:

« 四国のマルシェ同士の交流 | トップページ | 母は滑車をしています。 »