人にやさしかった吉田松陰
先日に続き「司馬遼太郎全講演1964-1974 朝日文庫」です。
吉田松陰と言えば幕末の長州(山口県)の思想家で29歳で処刑された人物。松下村塾の弟子達が、討幕を成し維新を成し遂げる原動力になった人ですね。
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辞世の句も「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」と激しい気性の革命家であると思っていました。司馬遼太郎氏の講演ではそうは言われていません。
吉田松陰は褒め上手であったそうです。弟子の伊藤博文は身分も低く学問的な素養もない人物でした。でも松陰は「周旋の才」はあると見抜いていました。
「日本の総理大臣の原型をつくった伊藤博文のできあがる基礎を見抜いたのですね。年齢わずか16・7歳の俊輔を見抜いた松陰もまた見事ですね。
人間はだれにも長所があります。どういう人間にもあるのですが、しかしわれわれは意外に長所を人に教わることはありません。
皆さんも小さいときのことを振り返ってみるとよくわかると思いますが、人から「お前の長所はこれだ」と言われたことがどれくらいありますか。
教えてもらった人はわずかだと思います。不幸にして、なかなか吉田虎次郎に巡り合うことはないのです。私もそうでした。」(「松陰の優しさ」P178)
私の場合も中学時代に国語の担当である三浦光世先生に「どんどん文章を書きなさい。日誌でも相手が読むことを想定して書きなさい。」と励まされました。ご主人は小説を書く人でした。ご主人にも「書くこと」について励まされました。
わたしの文章はなんら芸術性はなく、一向に文章力は中学生の時から上達しませんが、電子日誌であるブログであれ、フェイスブックであれ書くことは苦痛ではありません。文章ネタに困ることはありません。むしろ書く時間がたりないことが問題ですね。
司馬遼太郎氏は人の悪口や欠点は容易に指摘はできるが、長所はなかなかわからないし、口にして言わないと。
「ところが、人の長所は、友達の長所でもなかなかわかりませんね。
絶対にわからないのではと思うこともあります。絶対は大げさかもしれませんが、そのためには心が優しくなければわかりません。その友人なら友人、その後輩なら後輩に対して心が優しくなければ。
心を非常に優しくすれば、わかってくれるものなのです。心を優しくするためには、己をなくすことがいちばんです。競争相手であることを押し殺し、その相手を優しく眺めてみれば、あのことについては自分がおよばないと、よくわかってくるはずです。
たとえ頭が良くても、心が優しくないとだめなのです。
大変に頭のよい人で、人の悪口ばかりを言っている人がいます。それは心が優しくないからですね。心が優しくないから人の欠点が良く目につく。頭がよければよいほど目につく。
ところが、そういう人は人間として他の人間に影響を与えることはできないのです。他の人間に対して影響を与えることのできる人は、とびきり優しい心を持っている人ですね。
松陰がそういうひとでした。」(心が優しいと人の長所がわかる)「松陰のやさしさ 」P182)
激烈で激しい生活で怒髪天を衝くような人物が吉田松陰であるとわたしは勝手に思い込んでいました。逆でした。人の短所を指摘せず、長所を懸命に探し、そしてそれを口にしてほめる。それが吉田松陰そのひとであると。全く意外でした。
そうかもしれないなと思います。
わたしは地域活動の南海地震対策でかりかりして、時に市役所や県庁の担当者を批判することもあります。民間と役所の組織原理の違いがあることを最近ようやくわかりました。そうなるとあまり腹が立たなくなりました。
吉田松陰さんを見習って、相手を褒めることにします。そうしたら共存の道ができることでしょうから。
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