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2013.06.22

「早刷り岩次郎」を読んで

Hayazuri1hon
 「早刷り岩次郎」(山本一力・著・朝日新聞出版・2008年刊)を下知図書館で借りてきて読みました。実は山本一力氏の作品を読むのは初めてでした。6月2日に下知コミュニティ・センターで、講演を聞く機会があり、それならばということで、借りて読みました。

 物語は江戸の下町、深川、門前仲町付近が描かれている。安政の大地震で、地盤が弱いこの地域は家屋が倒壊し、多くの死傷者が出た地域でした。

 主人公の釜田屋岩次郎は、地震で妻と子供たちを亡くしていた。元々の商いは摺り屋(印刷業)から、瓦版発行元への業種転換を図るところから始まります。妻子を失った悲しみを振り払い、自分も地域の人たちを鼓舞する意味もあって、岩次郎は、瓦版を日刊にし、2000枚という大量印刷するという挑戦をしていく展開になります。

 「早刷りの記事を書くのは耳鼻達である。記事には絵描きが挿絵を添えた。仕上がった原稿は「枠切リ」に回された。菊判半切4つ切りが、早刷りの大きさである。下部の広目枠(広告)を除き、一段12文字組が5段。左右一杯を文字で埋もれば、30行まで使えた。

 早刷り一段の文字数は。360字。5段合わせて1800字が、1日分の記事に使える文字数である。」とあります。

 取材記者は「耳鼻達」とか。なるほど、耳と鼻で情報や事件を探索する。挿絵は写真や漫画の役目でしょう。字の読めない庶民も多かったから、挿絵で事件を表現する必要がありました。

 従来の瓦版は不定期発行。印刷部数も多くない。なかには商家の不祥事を嗅ぎまわり、半ば脅しで広目(広告)や、金品をせしめる悪徳瓦版屋も横行していたらしい。

 岩次郎は日刊瓦版を発刊するために工夫をしている。腕利きの耳鼻達を雇い入れ、些細な事件や町々の出来事も取材させている。発刊前に火事がありました。火元も魚屋から火が出て魚屋夫婦が焼死した事件。類焼した家屋の町民は火元の魚屋を悪く言う人は誰1人いない。

 みな魚屋に同情し、付け火(放火)ではないかという。耳鼻達は町屋のコニュニティ以外の侵入者はいないか聞き込みをする。住民は率先して情報を提供。聞き取った情報から絵師が似顔絵を描き、号外として瓦版を発刊する。

 その瓦版の効力が早速あらわれ、ほどなく放火犯は逮捕されることになりました。
 瓦版は今の新聞のような宅配ではありません。人どうりの多い街頭売り。それ故売り子の技量も必要。岩次郎は威勢の良い市場の売り子も雇う。地震で職を失っていたからです。

 いろんな気遣いをしながら、早刷りの瓦版を発刊していく岩次郎。当時の常識を打ち破った日刊早刷りの瓦版が、庶民の支持を集め、江戸の街ではなくてはならないものになっていく様が描かれています。

 幕府もその伝播力に目をつけ、つながりの深い大商人から、「広告も出す、半年はすべて買い取るから、今回の貨幣鋳造(安政二分金)をよいことだと書いてくれ」との法外の報酬を伴う申し入れを岩次郎は断ります。

 ライバルの初田屋とも手を組み、悪徳商人による瓦版の乗っ取りを阻止、腕たちの武士も用心棒に雇い、闇社会とも戦う岩次郎。

 早刷り日刊瓦版は事業として大成功しますが、ライバル瓦版の存在も必要であると岩次郎は言う。「勝ちすぎはよくない。ほどほどに。同業者が多いほうが張合いもあるし、互いの向上心もつながる。1つになれば、つぶされる可能性もある。」との深読みも凄い。

 退屈せずに読みました。深川や門前仲町は、東京時代に仕事で歩いていたから、懐かしい。また次の山本氏の作品も読んでみたくなりました。

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