車のウィンドー昇降が出来なくなりました。
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昨夜両親を寝かしつけた後に、家内とアニメ映画風立ちぬ(スタジオ・ジブリ・2013年作)を観賞しました。入場券発見売り場が自動販売機になっていました。知らなかったので随分来たことがない。年寄り夫婦2人なので、グッズ売り場のレジで購入。
入場まで時間があったので、売店でホットコーヒーを購入。席で飲みましたが、テーブルにも床にもポップコーンや紙が散乱。興ざめ。合理化するのも勝手だが、掃除ぐらいしてほいしい。ジャンキーな荒れ果てた映画館になったものだ。
映画の感想。賛否が分かれるアニメ映画だろう。ジブリの前作「コクリコ坂から」は駄作でした。ジブリの親会社のオーナーへのごますり映画でしたから。
今回の映画は飛行機好きの宮崎駿監督のマニアックな「力作」だろうが、作品としては「紅の豚」のほうが良かった。
少年時代から「美しい飛行機」の設計にあこがれる主人公堀越二郎。夢の中でも現実でも飛行機は無残に分解し墜落する。
関東大震災で出会ったヒロイン奈穂子も、不治の病に侵されていた。飛行機同様に自分の1番美しい場面を見せるために登場し、維持できなくなると二郎の前から1人で去っていく。
「紅の豚」は1992年の作品。もう21年も前のアニメ映画。今回も同じ72歳の老成した宮崎駿監督の作品です。
飛行機オタクの堀越少年と青年の姿を借りていますが、初老の老人宮崎駿氏の心風景そのものの映画。私小説ではないか。
「老人性鬱」に延々とつき合わされた気分。
そう快感はない。ただ群衆の描き方や、風や雲の描き方は実写以上の迫力の映像。
飛行機設計の数式が正しいかどうかは見てもわからない。小道具や背景の詳細さや、緻密さは物凄いものがある。
子供向きのアニメ映画でもないし、ラブストリーでもない。鬱のアニメでありますね。感想は「・・・・。」ですね。
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29日は8月最後のジョイリハ(介護予防リハビリ)へ通所の日です。8月から週に2回に増やしていただきました。月曜と木曜日になっています。
父(94歳)は「しんどい」と言いますが、主治医の植田一穂先生は「夏バテのようなものでしょう。腎機能も低下していないので大丈夫」と言ってくれています。
母(87歳)は、最近は食欲も増してきました。それで運動機能が徐々に回復すればなによりよりです。「居宅サービス計画」の確認の日でもあります。ケアマネージャーの下村恵子さんが、来てくれていました。送迎車が来るまで話をしてくれました。
下村さんが「最近認知症の人が、はいかいして物を壊したり、家の外でいろいろ困ったことをした場合、家族が損害賠償をしなければいけない判決が出たそうです。在宅介護している家族にとっては大変ですね。」と言われました。本当なのでしょうか?
政府は社会保障費の削減のために介護認定を厳しくして介護度3以下の施設介護遺書への入所を認めないとか法令を改正するとか言っています。在宅介護に縛り付けて、さらに損害賠償も言われたらたまらないですね。
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8月28日の午後は、母を連れて泌尿器科へ行きました。繁忙している病院なので、待ち時間が長い。主治医に紹介されて行った8月3日は午前中でしたので、ものすごい人でした。3週間後に来なさいと言うので行きました。午後はやや空いています。
それでも1時間は待たされました。母は「この病院広いね。」「保険書は出したかね。」「トイレへ行きたくなった。」「なんちゃあ持ってきてないき」という言葉を1分おきに繰り返します。
トイレは家を出る前に済ませましたが、行きたいといいます。この病院はトイレも広くて綺麗だからいいです。結局3回も待ち時間で行きましたから。戻ると繰り言の繰り返し。週刊誌を渡しても興味がないのか読まない。しばらくすると「トイレに行きたくなった。」
幸いオムツ式のパンツを履いているので、失禁しても服を汚すことはなくなりました。トイレへ行きたければトイレへ行けばオムツも汚れないのでいいいかと思うようになりました。
診察はていねいにしてくれました。薬の効果はあったようなので、通常どうりの服薬が出ました。次は1か月後の診察となりました。
母は、同じ繰り言の繰り返しをします。随分私も気が長くなったものであると思います。
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「昭和天皇」(原武史・著・2008年・岩波新書刊)を読みました。
「天皇は大神主のような存在」と言われたのは司馬遼太郎氏。著作の中でこう言われていま
「二位局がいったことは、天皇家の本質は大神主だというのです。神さまに仕えている、ここで神さまというのは、日本人の精神的秩序に関するものです。地上のことは、しもじもの者がすることで、その大神主たる尊貴の身がああいう戒服を着て、地上の権力者のまねをさせられていまっている。
歴史にはかならず栄枯盛衰があるので、この権力が倒れるときは、天皇家もとも倒れになるのではないか。二位局は、そう心配したというのですが、非常にすぐれた歴史感覚だとわたしは思います。」
「明治憲法が、日本的神聖者である天皇に、軍服をきせ軍馬にのせたのです。明治憲法は、イギリスの憲法なども多少参考にしていますが、やはりドイツ憲法が主な参考資料になっている。
ドイツの軍隊が強い、普仏戦争でそれまであれほど強いと言われたフランスに勝った、ということもあって、明治の政治家にとっては、プロシャというのは非常にチャーミングだった。
ひとつにはプロシャは皇帝制である。ヨーロッパにおける文明国でありながらドイツ国民が帝室を尊んでいるということ。そういうのが魅力でドイツ憲法を下地にした。そして天皇の位置がカイゼルにあたるというわけです。」(手掘り日本史」・司馬遼太郎著)
その記述が気になっていましたので、読んでみようと思いました。本の扉にはこう書かれていました。
「新嘗祭(にいなめさい)、神武天皇祭など煩雑に行われる宮中祭祀(さいし)に熱心に出席、「神」への祈りを重ねた昭和天皇。
従来はほとんど直視されなかった聖域での儀礼とその意味に、各種史料によって光を当て、皇族間の確執をも視野に入れつつ、その生涯を描き直す。
激動の戦前・戦中から戦後の最晩年まで天皇は一体なぜ、また何を拝み続けたのか 」
皇族の公務は、外国元首が訪問してくれば接遇したり、自らも外国訪問する。園遊会への文化人やスポーツ功労者の招待客への接遇。罹災地への訪問。全国戦没者追悼式や植樹祭や国体の開会式出席以外の宮中祭祀(さいし)が天皇家の大きな業務であることに、あらためて驚きました。
天皇の立場は戦前は大日本帝国憲法のもとでは、「統治権の総攬者」とされ、敗戦後の日本国憲法では「国民統合の象徴」とされ、大きな違いがあります。しかし天皇の業務自体は大きな変化はないようです。
読んでいて驚いたのは昭和天皇は、ゴルフ好きであったこと。戦前に存在していた女官制度を廃止したこと。後藤新平の都市計画への関心も高かったということでした。
世俗的な天皇と、国民から見える皇族の姿と、お堀の中の宮中祭祀(さいし)に熱心に行う皇族の姿の落差は大きいものがあります。推論ですが皇太子とご結婚された雅子さんが、お病気になられたのも宮中祭祀(さいし)の煩雑さや、独特の世界観に追随できなかったのではないかとも思われます。
また天皇は1975年から靖国神社へ参拝されていません。
「78年10月、靖国神社は松平永芳宮司のもとで、ひそかにA級戦犯14人を合祀した。
この合祀は79年4月に明るみに出た。
宮内庁長官を務めた富田朝彦によれば、天皇は88年4月28日、「わたしは或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白鳥までもが、(中略)だから、私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。」
中略
天皇は88年5月20日、「靖国 明治天皇がお決めになったお気持ちを逸脱するのは困る」と話している。(日本経済新聞2007年5月1日)。A級戦犯を合祀すれば、明治天皇が定めた「国をやすらかにする」という靖国神社の根本に反してしまう。
それでも参拝すれば、昭和天皇は戦争を遂行した人物を「神」とする神社に平和を祈るという矛盾を冒してしまうことになる。
徳川義寛によれば、天皇はA級戦犯の合祀に反対する理由の1つとして、「国のために戦いののぞんで戦死した人々のみ魂を鎮め祭る社であるのに、その性格が変わるとお思いななっていることをあげたという。」(P214「宮中の闇」
まさに司馬遼太郎氏が言われたように天皇は「天皇は大神主のような存在」でありました。世俗的な権力を与え、地上の皇帝になることを当の昭和天皇も望んでいなかったことがわかりました。
今上天皇は 天皇の業務として更に沖縄、サイパン訪問をされておられます。可能であれば韓国や中国への訪問も望まれているに違いないと思います。平和な社会の到来とかつて戦火を交えた近隣国との平和友好親善を強く望まれていると思います。しかし今の政治情勢ではかなわない願望になっています。
一読をお奨めします。
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「平和ボケの日本人では国が守れない。」
「平和ボケの日本人では韓国や中国になめられる、」とかいうご意見を時折散見することがあります。
安倍内閣は十分な見識も歴史認識も持ち合わせていない人達で構成され、必要以上に中国や韓国と対立することで危機を煽り、軍備増強、」集団的自衛権の行使、憲法改正に走っています。
「ほとんどの国民各位は望んでいないこと」をなぜ懸命に、最優先事項のようにしようとするのか?それがわからない。「宗主国」アメリカ帝国の意向なのか?
全世界相手に無謀な世界大戦を引き起こした日本帝国。惨めな敗戦から68年。自衛隊は「人を殺す軍隊」ではなく、「人を助ける軍隊」になり、災害大国日本で「なくてはならない組織」の1つになりました。
声高に、性急に「日本が軍事進攻されても国民は戦う意思はない。平和ぼけしている。」と言われる人がいます。
日本は四方海に囲まれています。軍事的にすべての海岸線を防衛するのは不可能。軍事的に「そうした事態に」ならないために政府があり、外交があります。
中国が脅威と言うのであれば、中国と数千キロの国境を接しているロシアと仲良くすることは、「もしも」の事態の時の牽制になるでしょう。そのためには北方領土問題と、シベリア抑留などの戦後処理問題とシベリア開発を関連させ、一括解決をすべきでしょう。
韓国や中国の政府が声高に反日言動を繰り返していおるのは、国内矛盾の「争点そらし」の観点があります。いちいち気にすることはありません。日本人としては不愉快ですが。中国や韓国との経済交流や人的交流は相互依存状態に既になっていますから。
手っ取り早いのは、日本と韓国と中国の政府閣僚が愚かなので、すべて「取り替えれば」問題はすぐに解決するでしょう。それには平和が必要です。
軍事力をいくら行使しても平和を得ることは難しい。アメリカの実例を見ればよくわかります。日本はアメリカにこれ以上追随することはありません。
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土曜日からの雨で涼しくなった高知市です。母(87歳)は寒いと言って行きたくないとのことでしたが、「行かんと歩けんなる。この家で生活できんなるから、頑張らんといかん」と説得しました。
父(94歳)は「しんどい」と言いますが、「ジョイリは楽だから」とのことで積極参加です。ゴルフの打ち放し練習のほうがきついと言います。12時過ぎに送迎車が迎えに来てくれました。ようやく送り出しました。
ところで厚生労働省は介護保険の審査基準を厳しくし、在宅介護をより進める方針のようです。家族の負担は大変です。社会保障を「経費」「無駄なこと」と見る新自由主義的な政策の推進のようにも思えますね。
報道では「厚生労働省は25日、特別養護老人ホームの入所基準を厳しくする方針を固めた。入所できるのは原則として、手厚い介護が必要で自宅では負担が重い「要介護3」以上の高齢者からとする方向だ。要介護度の低い人は在宅へ、という流れを進め、制度維持のため給付費を抑制するのが狙い。介護保険法を改正、平成27年度からの実施を目指す。」(MSN産経記事)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130826/trd13082610450011-n1.htm
うちも「老・老」介護になりつつあります。超高齢の両親は介護予防リハビリ施設で、ますます頑張っていただかないといけないですね。在宅介護は大変ですから。
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猛暑が続いています。屋外スポーツには過酷な季節でしょう。サッカーでも野球でもテニスでもゴルフでも屋外スポーツには容赦なく暑さが襲い掛かります。
私の趣味のスポーツはヨットです。海の上は猛暑でも風が吹けば結構涼しいものです。でもハーバーへ到着して、ぎ装(ヨットの組み立て)をしますが、木陰もないもないので暑い。汗が滝のように出ます。目に入るときもあります。
海へ出て風さえあればヨットは涼しい。
私の場合、高知市から香南市夜須のハーバーへ行くのは車で40分の走行。その場合は、夏でも冬でもエアコンをかけず、窓を全開にして走ります。少し腕を窓の外に出しておれば、海の上の条件を想定できます。「地上より海は温度が低い」から車の走行時感じる体感温度とほぼ同じです。
他の屋外スポーツも炎天下でやりますね。体を外気に早く馴らす必要があるので、車にはエアコンをかけないほうが良いと思います。エアコンをかけて、いきなり屋外へ出て暑いと感じるより、最初から屋外の気温に慣れておくほうが賢明であると私は思います。
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今年は梅雨明けが早く、猛暑が長く続きました。それと年寄りになったせいかもしれません。道路を無意味に走るなんてことをしようという気がなくなりました。
近所の小学生の子供らはスケートボードを操ったり、道路を走ったりしています。中学生の子供らは他所の塀で壁打ちテニスをしたり、2人連れでトップ・スピードで走ったりしています。
暑さに任せていて、運動をしないので、「夏太り」したのかも知れません。冷房の効いたスポーツジムでトレーニングをすればきちんと健康的にダイエットもできたとは思いますが・・。
それほど運動量をこなしていません。母が介護状態になりつつあるので、在宅のケアのことも考えると、体力はたくさんあったほうがいいですね。もう少し涼しくなれば散歩を始めたいと思いますが・・。
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NHKBS-1で「伝説の名勝負「栄光の銅メダル 日本男子サッカー」を見ました。
まさに映像は45年ぶりに見ました、当時の日本のエース釜本氏と、メキシコのDFサンチェス氏が試合の様子を解説いただいたので、良くわかりました。
ボールの支配率は圧倒的にメキシコ。中盤から日本のゴール前まで頻繁に運ばれます。しかし日本はマンツーマン・ディフェンスでマークを外さず、ゴール前で跳ね返します。感心したのは裏を足られる場面は1回もありませんでした。
前半の早い時間帯に、左サイドの杉山が相手ゴール近くに持ち込み、相手DFを引きつける。そこへFWの釜本と宮本が2人同時に動いて入ってくる。相手DFが宮本の動きに気を取られていたすきに、釜本はDFのマークを外し、フリーに。杉山からのパスが入り、。右足のシュートがメキシコゴールに。
2点目も似たような場面があり、ゴール正面で釜本が、胸でトラップして左足の弾丸シュートが決まりました。
こうなると10万人の観客が地元メキシコのメダルに期待していましたのに、声援がブーイングに変わり始めます。後半に入ってもメキシコの攻勢。8割はメキシコボール。ことごとく日本DFに跳ね返されます。
後半に入ってまもなく。日本DFがPKを取られます。PKをGKの横山が阻止します。PKが入っていたら流れは変わっていたことでしょう。その後もメキシコは攻勢をかけます。日本は前線の釜本以外は全員が自陣で守備。クリアボールは大きく蹴り出すだけ。
後半30分過ぎにメキシコの観客が腹を立て始め、観客席の貸し座布団をピッチに投げ入れ始めます。どんどん投げ入れはじめ、試合は一時中断。こんな場面があったのか忘れていました。ロスタイムはなく、そのまま試合終了。日本がメキシコに2-0で勝ちました。
今見ても凄い試合でした。個人技やパスワークはメキシコが上です。日本は懸命の守備的なサッカー。完全なカウンター狙い。攻撃は杉山、釜本、宮本、渡辺の4人でやっていただけです。釜本の身体能力と杉山のスピードが目立ちました。
(往年の名選手杉山氏)
(番組では釜本選手がメキシコシティを訪ねレポートする形式でした。)
DFは小城や森、山口などが懸命にクリアしていました。そして最後まで足がとまりませんでした。頑張りは凄かったです。1968年のメキシコ五輪で銅メダルを男子サッカーが獲得しました。1968年10月24日のことでした。
当時伊野中学校の3年でした。翌日ゴム製のサッカーボールを購入し、遅まきながらサッカーの練習をしました。昼休みには手を使わないサッカードッチボールヲをやりました。当時伊野中学にはサッカー部はありませんでした。有志で同好会をこしらえ、朝倉中学へ遠征しにいったりしました。
翌年高校へ入学。サッカー部へも入部しましたが、中学時代からサッカー部をしていた連中には勝てませんでした。70年安保闘争の前年ですから高校生反戦会議の結成にも参加しました。何かと忙しい日々でした。部室で煙草を吸っていた上級生の連中とウマが合わず、結局サッカー部は半年で退部してしまいました。
土のグランドで練習していました。選手としては補欠で半年足らずでした。以来サッカーファンになり、時折日本代表の試合やJリーグの試合をTV観戦するようになりました。それだけ印象に残る試合でした。もう45年も前の出来事なんですね。いやはやです。
それ以来五輪もW杯もアジアの壁が突破できず低迷していた日本サッカー界。転機はやはり1993年のJリーグの発足でした。96年には28年ぶりに五輪へ出場。98年には悲願のW杯へ初出場しました。以来五輪もW杯も途切れることなく連続出場をしています。
その歴史を思い出す番組でした。3時間見ていて良かったです。
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高知新聞8月20日夕刊1面記事。「防災訓練にオスプレイ」「南海トラフ地震想定 本県も候補地」「日米10月計画」と見出しにありました。
沖縄県へ重点配備されたオスプレイは、評判がよろしくない。見出しにあるように防災訓練に参加することで「反発緩和の思惑も」とありますが、そういうことでしょう。
あくまで個人的な意見にすぎませんが、今後予想される南海トラフ巨大地震に備え、従来の消防や自治体関係者に加え、自衛隊や米軍も参加することは悪くはないと思います。
まして高知県は県土の82%は山間部であり、大地震が起きれば山が深層崩壊して総崩れになり、川をせき止め天然ダムになったり、山間部で孤立する集落が続出する。
沿岸部や、高知市の都市部でも10万人を超える人たちが罹災し、浸水した状態で長期間孤立する恐れも現実味があります。
オスプレイは大量の物資や人を運ぶ能力があります。普段から防災関係者、自治体と共同訓練をしておれば、たのもしい存在になると思います。
「人殺しの兵器や組織」が、「人を助ける備品や組織」になればいいのですから。
南海トラフ巨大地震には、あらゆる想定に備え、あらゆる対策をする必要はあります。
災害訓練を一緒にする代わりに、嶺北地方への降下訓練は辞めてくれと県知事は米軍に言えばいいのですから。
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今日も残暑が厳しい。12時30分過ぎの事務所の気温は33度。湿度が82%。蒸し暑い。
母(87歳)もいくぶん食欲が出てくるようになりました。脊椎狭窄症は治療法はないとか。痛くても運動して歩かないと歩けなくなります。今日は週に2回の介護予防リハビリの日です。
父(94歳)もしんどいしんどいと昨日から言っていました。年齢が年齢なので心配して植田医院へ朝連れて行きました。植田一穂先生の診断は「夏が長いのでばてておられるんでしょう。むくみもありませんし、炎症反応もないので、風邪もひかれていません。」と言うことです。
12時過ぎにジョイリハ(介護予防通所リハビリ施設)の送迎車が来ました。なんとか送り出しました。家内ともどもへばり気味です。
介護保険は要介護者へのケアはありますが、在宅で介護している者へのケアはまるでありませんね。今年は猛暑なのでへばり気味です。
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3年に1度の義務講習会です。いつも夏の暑い時期ですので、受講するのも結構大変。今年は特に暑いですから。今週は疲れからか回転性のめまいが出てきたので、講習会のように座って聴講するだけの姿勢で長時間でいることはやばいです。でもなんとかしのぎました。
免状を取得したのが1982年ですから31年前のこと。仕事柄必要ですので、試験を受けて取得しました。会場には150人ほどの参加者がいました。
講師は消防関係の人たち。若い女性の職員や、パワーポイントを使用した説明や、動画など、ひところの年配者のテキスト棒読みの講習よりは随分ましにはなっています。でも正直辛い。
印象に残ったのは、日本では危険物施設が減少(平成6年時より20%も減少)しているのに、火災や流出事故が増えているということです。
それはガソリンスタンドの地下埋設型のタンクが老朽化して腐食して流出という事例がおおいらしく、消防署の指導も厳しくなっているとか。最近ガソリンスタンドの廃業もめだちますが、設備の維持が難しくなってきたことも要因であると思いました。
南海地震対策で危険物取扱施設から火災を出さないことも肝要です。このあたりは真剣に聴講しました。
講師の高知市消防署の人も懸命に標語を考えられていました。
「あなたこそ 無事故を担う 司令塔」
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TPPへの日本の参加が話題にはなっていますが、「秘密」「秘密」の連続で中身の審議状態が全くわかりません。こんな交渉事はありえるんでしょうかね。
「自由な交易」を標榜するのに、交渉過程不自由さだらけではないか。これではこのTPPとやらを考案したアメリカが胴元で、参加国はすべてゲーマー。ゲーマーが胴元に勝つなんてことは考えられません。
なんだかおかしいと思う。国益は守られるのかきわめて疑問です。
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2013年の参議院選挙は自民党の圧勝でした。これで安倍自民党内閣は、「原発再稼働」にかじ取りをし、日本をより一段と危険な方向へ誘導するようになるでしょう。「破滅」は近いと言わないといけないですね。
2011年3月11日に大事故を引き起こしました東京電力福島第1原子力発電所は、関係者の懸命な努力にもかかわらずいまだに事態の収拾が見えません。大量の放射性物質を大気中や土中、海面へ放出しています。
世界の大地震の20%が日本で起きています。地震列島の日本で原発を稼働させるのは「自殺行為」に近いのではないと思います。
世界1の軍事国家イスラエル。情報機関モサドを有するイスラエルも原発は警備しきれないということで核開発を諦めたとも聞いています。イランが核開発している中東。その地域のトルコやサウジに原発を輸出するとおうことは、とても危険であり「禁じ手」ではないかと思います。
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8月18日は家内の理解で海の散帆を楽しませていただきました。
母(87歳)の介護状態は一進一退状態。「廃用症候群」状態を少し脱したのかもしれませんが、油断はできません。気候が涼しくなればもっと積極的なリハビリをするようにします。
父(94歳)もしんどいと言うので、土曜日に主治医の植田一穂先生のところへ行きました。血液検査をすると、やはり腎性貧血状態になっていました。暑さで数値が下がっているので、数値が上がるまで静養してゴルフの打ち放し練習は控えることになりました。
昨日は北海道の人から発送ミスをご指摘され平謝り。暑くとミスが出たのか。朝1番で代替え品を送付する段取りをしました。荷造りなどで朝から一仕事(と言ってもクレームですが)しました。やれやれです。
うちは超高齢の両親と同居していますので、健康状態がいつどうなるのかわかりません。お天気と同じで、その日にならないとわかりません。両親とも調子が良く今朝家内の許可が出ましたので、夜須の海へ行けることになりました。今後はこうした機会は少なくなる可能性があるので、来た以上は目いっぱい海で帆走します。その日の朝でないと日程が決まらない生活になりましたから。早めに撤収して買い物に行かないといけないので、段取り良く海で帆走しなければなりません。
ハーバーへは早くやって来て、ぎ装(ヨットの組み立て)を行い海へ出ました。
お盆を過ぎると夏休みも終盤になるのか、ヤッシー・パークの海水浴客も少なめですが、今年は夏が長いので遊べますよ。
午前中は波がなく、出艇時には干潮でしたが、そう苦労なく海へ出ました。風はそこそこあろりましたので、先週と同様に赤岡漁港を目指して帆走(散帆)しました。ヨットは快適に帆走してくれました。
赤岡から夜須のほうを見るとジュニア・ヨットクラブが井土コーチのもと練習をしていました。一斉に同じ方向に帆走し、掛け声で一斉に方向転換に。皆上手くなりましたね。
お昼は訪で、おむすび3個と卵焼きとお茶を購入。海の駅クラブのベランダで昼食をとりました。
すぐにぎ装して昼の部へ出ました。シニア・ヨットクラブが、珍しく出艇しますので、一緒に出ました。
波が出たせいなのか、いつのまにかパドル・サーファーが海にいました。
昼は大手の浜方面へ帆走。昔(1991年頃)高知県が大手の浜にマリーナを建設するというので、1個だけのケーソンがあります。こんなちゃちな堤防で外洋の波が防げるわけがありません。結局計画は凍結されたまま、22年が経過しました。
ヨットには保冷箱を積み込み、冷やしたスポーツ・ドリンクや麦茶をがぶ飲みしています。海の上は紫外線は物凄いですが、UVカットを塗りこんでいます。海水は外気より低いので風が吹けば涼しいのです。
家内のおかげで1日遊ばせていただきました。ひたすら家内に感謝です。
片付けをしました。ジュニア・ヨットクラブや社会人の人たちも一斉に上がって来ました。着艇は皆で助け合ってします。昼から波が出ましたから尚更です。沖縄付近の台風の影響なのか昼から波が少し出ました。
台風の動きも気になりますね。来週あたりから影響は出るでしょう。
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よさこい祭りも60ねんとやらでにぎやかだった高知市。そんなにはしゃいでいいものかと思う。
南海トラフ巨大地震は確実に発生が近づいているからです。
「災害対策基本法」という法律があります。災害は、地震であれ、風水害であれ、住民に最も身近な市町村に防災対策の第1次義務を担わしています。地方協団体や国の責務を次のように定めています。
1)市町村の責務
*地域、住民の生命、身体及び財産を災害から保護する。
*市町村防災計画を作成し、実施する。
*消防機関、水防団、自主防災組織の整備、充実を図るように努める。
2)都道府県の責務
*地域、住民の生命、身体及び財産を災害から保護する。
*都道府県防災計画の作成、市町村の防災に関する総合調整を行う。
3)国の責務
*国土ならびに、国民の生命、身体及び財産を災害から保護する。
*防災基本計画の作成、地方公共団体などの総合調整、災害に対する補助金の交付などを行う。
*防災基本計画は、中央防災会議(内閣総理大臣を会長とし、防災担当大臣をはじめとする全閣僚、指定公共団体の長、学識経験者からなる)が作成する防災分野の最上位計画である。
「防災基本計画」に基づき、指定行政機関(国の省庁、独立行政法人等)や指定公共機関は防災業務計画を、地方公共団体は「地域防災計画」を作成する。
南海トラフ巨大地震が起きた場合、「県都が水没」する都市は高知市以外はありません。
国や県や高知市が、高知市街地の長期浸水対策(事前・事後)の対策をきちんと立てているとは到底思えません。
「防災基本計画」に沿って、地方自治体の「地域防災計画」が建てられることになっています。相変わらず防災の分野でも中央主導の体制です。国の「防災基本計画」には、高知市の長期浸水対策は、どうやら盛り込まれていないようです。
ですので、低地の高知市市街地への高知県庁の南海地震対策は護岸堤防の耐震化、排水ポンプ場の耐震化程度のことしかされていません。13万人の家屋と仕事場を失う低地の市民の生活のことなどは検討されているようにはありません。
長宗我部時代と山内家城主時代に干拓され、埋め立てられ農地となり、また埋め立てられ宅地化し市街地形成された街です。
かつては大雨による浸水に悩まされてきましたが、横山龍雄市長時代に雨水対策と排水ポン部場の整備により、時間雨量77ミリの大雨に耐えられる「浸水に強い都市」になりました。
しかしながら想定される南海トラフ巨大地震は、低地の高知市街地の地盤沈下を伴うと言われています。根本的な市街地改造(かさ上げ、立体換地による耐震高層住宅の建設、高台への移転)を今の時点での都市計画や震災復興プランを高知市や高知県は打ち出すべきです。
対処療法的な「堤防強化」程度で高知市は守れません。県経済と行政の中心地。商業集積や事業所が集中しているし、医療機関や学校も水没予定地にあります。影響は甚大です。真剣に高知市長も高知県知事も考え即実行する気迫で取り組んでいただきたい。
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自民党サポーターズクラブへ入会しています。
それで8月15日に自民党から「終戦記念日にあたっての党声明」が租運針されてきました。
以下ご紹介します。
昨日、終戦記念日にあたっての党声明が出されました。
-------
2013年08月15日
終戦記念日にあたって 党声明
本日、68回目の終戦記念日を迎えました。
先の大戦で犠牲となられた人々に対し、心より深く哀悼の誠を捧げます。
私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも
命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上に築かれていることを深く心に刻み、
二度とわが国が戦争への道を歩んではならないと改めて決意いたします。
本年4月28日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、
各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されました。
サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、
日本を日本人自身のものとしたと同時に、奄美、小笠原、沖縄の施政権が、
日本から切り離され、日本復帰まで長い歳月が費やされたこと、
今も日本の安全保障上の負担の多くを沖縄県が負っている現実を決して忘れてはなりません。
わが国は、今や国際社会において重要な地位を占め、平和主義の下、
諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献しなければならない立場にあります。
自立した国家として、国民の生命・財産を守る責務があります。
そのために必要な法整備を、勇気と真心を持って、国民の皆様に真実を語り、
理解を求めながら、進めてまいります。
わが党は、平和と自由を愛する国民政党として、
先人が築かれた日本を次の世代に引き継ぎ、世界平和への義務を果たし、
人類共通の価値に貢献する有徳の日本を目指し、全力を尽くします。
感想は、声明は「国内的」であり、国民の1部である「自民党関係者」に対する内内の「決意表明」のようにも思います。
8月15日の敗戦の日にもかかわらず、アジア各地へ軍隊を展開し、多くのアジア諸国の人々に苦痛と犠牲を強いた反省が見られません。平和主義は「相手国」があって可能であり、それだけに党声明に見られる狭小な世界観には、正直がっかりです。
日本の政権を担う自民党は、日本国憲法を順守し、憲法の理念を腹の底から理解し、近隣アジア諸国と対話を深め、交流を推進すべきです。
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8月15日(木曜日)に、下知コミュニティ・センター3階会議室にて、下知コミュニティ・センター防災部会と下知減災連絡会の合同役員会が開催されました。役員40名が出席いたしました。
議題は、9月1日(防災の日)に合わせて、下知コミュニティ・センターを活用した下知地域防災避難訓練を実施いたしますが、そのための協議でした。施設の利用ということですので、施設管理者である高知市地域コミュニティ推進課の山脇係長と伊藤主査も来られました。
9月1日の合同訓練は、午前の部と、午後の部に分け実施します。午前の部は、朝10時に下知コミュニティ・センター外付け非常階段を利用し、徒歩で屋上へ集合。点呼した後に3階会議室にて、AEDの使用訓練を実施します。
そして下知コミュニティ・センターの防災倉庫に備えてある防災備品の一部を展示し、訓練参加者に確認していただきます。
午後の部は午後6時にコミュニティ・センター屋上に集合。各自参加者が持参した非常食をLPガス災害時ユニットにてお湯を沸かします。アルファ米などが多いようなので、おむすびをこしらえ試食します。飲料水は飲料水貯水タンクからポリタンクに汲み取り屋上へ運びます。
また非常用の発電機を作動させ、投光器で照明をつけます。こしらえた非常食は参加者皆で試食します。そして午後8時に終了し撤収します。
中宝永町自主防災会からは、10月以降開催する防災講習会(講師西田政雄氏・防災寺小屋主宰)で、10月から、来年1月までの間に4回開催するとの報告がありました。
1)家具転倒対策・ガラス飛散対策実践セミナー
講師 西田政雄氏(防災寺小屋)
避難できるかどうかが大変重要だと考えます。ついつい置き去りにされがちな住居からの逃げ道対策として家具固定・ガラス飛散対策など実践セミナーをしていただく予定。
実施予定日 2013年10月31日(木曜日)午後6時半より
2)個人の備え・地域の備えセミナー
講師 西田政雄氏(防災寺小屋)
実施予定日 2013年11月15日(金曜日)午後6時半より
3)耐震診断・耐震補強 良い業者の見分け方
実施予定日 2013年12月6日(金曜日)午後6時半より
4)避難所生活の考え方と備え
実施予定日 2014年1月24日(金曜日)午後6時半より
実施場所は4回とも下知コミュニティセンター 4階 多目的ホールです。
また坂本茂雄さんのマンション自主防災会の企画で、石巻市からの講演者を招へいしてか¥講演会を開催する予定とか。来年1月26日(土曜日)と聞いています。
手帳にマークしておいてください、また皆さんの予定とダブらないご配慮をお願いします。
二葉町自主防災会からは、11月8日と12月5日に「防災講演会」を開催いたします。
詳細は以下のとうりです。
1)「阪神大震災から18年 市民の目線から見た神戸市長田区の復興・復旧について」
講師 石井弘利氏(石井自転車商会・鷹取商店街振興組合理事長)
市民の目線で見た長田の復興・復旧の18年。何が問題であり、将来起きるであろう南海トラフ巨大地震への教訓は。二葉町自主防災会は2008年10月に長田区鷹取地区を訪問し、地域の皆様と意見交換会を行っています。
実施予定日 2013年11月8日(金曜日)午後6時半より
下知コミュニティ・センター4階大ホール
2)「低地の下知を浸水や液状化の恐怖から救うために」巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体構造物が下知を救う。
講師 小谷鐵穂氏(カフェ・ピッコロ・元橋梁施工技術者)
橋梁メーカーに40年勤務されていた土木技術者である小谷氏。巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体構造物を考案していただきました。施工は簡単であり、メンテナンス費用もかかりません。施工費用も他の避難設備から言えば安価です。
南海トラフ巨大地震が発生すれば、同時に0メートル地域全体が地盤沈下するという高知市下知地域。多数の人々の命を救う具体的な解決策を提示し、意見交換を実施します。
実施予定日 2013年12月5日(木曜日) 午後6時半より
下知コミュニティ・センター4階大ホール
その他意見交換をしました。午後8時過ぎに合同役員会は終了いたしました。
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8月15日は、さすがにお休みの会社も多い。うちは営業をしていますが、電話もかかってこない有様。昨日からは、普段はなかなかできない通販用の商品の荷造り作業をしています。
今日も両親はジョイ・リハ(介護予防通所リハビリ)へ行きました。父も母も猛暑のなかでも元気です。うちは冷房をしていないので、施設へ行けば涼しくて運動できますから。
送迎車が来る前に、ケアマネージャーの下村恵子さんが来られ、母を励ましていただきました。
ジョイリハは駐車場が少ないので暑い中自転車で行きました。心配でしたので。
母も月曜日のジョイリハへ行った時よりは少し元気になりました。休み休みですが元気で運動していました。施設の外観の写真です。しばらく両親の様子を見学していました。
帰りにお盆でも営業している知人の喫茶店へ行き、おしゃべりし情報交換しました。県庁生協介護センターも寄り、ケアマネージャーの下村恵子さんにジョイリハでの両親の様子を報告しました。
午後4時半過ぎには元気で戻って来ました。運動を続ければ運動機能は確実に回復すると思いますね。
母の介護状態をこれ以上悪化させないために、介護予防施設にも協力いただいて、懸命に努力をしています。
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旧日本帝国が全世界を相手に無謀な世界大戦に惨敗して今年で68年目。
安倍内閣はその「惨敗の歴史」を「なかったことにして」、旧日本帝国を再興しようともくろんでいるようです。まったくおろかなことです。
確かに近隣国の中国と韓国の政府は「極端に反日志向が強く」異常です。しかし他のアジア諸国は皆親日国です。そのような諸国に対し、。安倍首相は「集団的自衛権行使は侵略のためではありません。」と言い訳して外交をしていました。
安倍首相は、きちんと旧日本帝国が滅んだ原因を分析したのでしょうか?浮ついた歴史観で、リーダーとして見解を述べることは国益の実損につながりますから。政治リーダーとして馬鹿なことを言わないでほしい。どんどん日本国の地位が低下します。
日本国民は、きちんと勇気をもって忌まわしい歴史も直視し、愚かな失敗の歴史を総括しないと行けませんね。「なかったことにする」なんてことはありえませんから。
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親善試合の日本VSウルグアイ戦が宮城県で開催されました。双方のチームは、欧州組を招集し真剣な試合をしました。
結果は、2-4と日本は惨敗。相手のウルグアイはW杯に過去2度優勝している伝統国。201年W杯では4位、2011年の南米選手権では優勝しています。
日本が6月のコンフェデレーション・カップで予選敗退しましたが、ウルグアイは4位になっています。FIFAランクどうりの結果でした。世界の壁は厚いということです。
特に守備ラインが不安定。またもDF吉田が中途半端なクリアを相手FWに拾われ、ゴールを叩きこまれました。コンフェデレーション・カップでのイタリア戦のクリアミスと同じパターン。肝心なところでDFのミスが出るようでは勝てません。
その点ウルグアイは守備は堅かった。そのウルグアイからゴールを2点とったのは進歩でしょう。
ザック監督も攻撃に関しては満足されているでしょう。守備の修正はメンバーの人選からやり直すべきでしょう。
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暑いということで、高知県四万十市西土佐が「日本1」を記録したらしい。しかも40度を超える温度が3日れwン族とか。今までの暑さと言えば、熊谷市や館林市や多治見市などを抜きさり、全国1となりました。
西土佐は四万十川の中流域になり、山に囲まれた山間部。そこが日本1の暑さとか。涼みに行くようなところなのに。意外です。
うちの事務所は朝の時間帯こそ、30度ですが、昼間は常時34度。35度を示したこともありました。「暑い」ことは嬉しいことではありません。まして「日本1」になっても地元は嬉しくはないでしょう。
「話題」になりましても、所詮は「話題」は話題にすぎませんから。
今日も暑い1日になりそうです。いい加減に涼しくなっていただきたい。
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母(87歳)がこの1週間前からがっくり弱り介護状態になりました。「病気でもないから病気のふりをしたらいかん!」と励ましています。脊椎狭窄症とすべり症を起こしていて腰がいたいので、寝そべって介護状態に逃げ込みたい母の気持ちもわからないわけでもない。でもそうなれば在宅で介護はうちでは不可能。頑張ってもらわないといけない。
父(94歳)は、5年前脳血管障害で倒れ緊急手術を受けてから、幾度も危機的な状況はありました。現在は慢性腎不全ですが、小康状態を保っています。
この暑い中、8月11日は朝からゴルフの練習場へ行きました。さすがに休み休みですが、無事に125球を打ちました。OS-1(経口補水液)をがぶ飲みし、予備の飲料水も保冷箱へ入れています。
年齢から考えたら、父は「奇跡の人」かもしれません。母も父に見習い復活してもらいたいと思いますね。
帰りによさこい踊りの地方車(じかたしゃ。踊りの音源を確保したトラックを改造した車)をゴルフ練習場のかえりに見ました。
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うちの超高齢者夫婦。父(94歳)、母(87歳)です。このところの暑さで弱っています。
父は炎天下での散歩を控えました。でも週に2回の介護予防リハビリとゴルフの打ち放し場練習は欠かせません。DVDを見て活き活き100歳体操を家でしています。父は2年前から言えば、はるかに元気になりました。
母(87歳)のほうはこの2週間で急激に運動機能が落ち、元気がなくなりました。昨年9月から指摘されていた骨粗鬆症による圧迫骨折で腰が痛いことと、7月初めからの猛暑で外出を自分でしなくなり、家の中でゴロゴロ寝ているばかりでしたので、身体機能(特に下半身)が急激に弱り、歩くこともおぼつかない状態になりました。
先週外出先で今までにない尿失禁がありました。今までもトイレが間に合わなくて尿失禁は時折ありましたが、家族内での出来事。他人様に、お店に迷惑をかける事態は初めてでした。
ケアマネージャーの下村恵子さんと相談し、パンツ式の尿漏れ予防パット内蔵型のオムツをアドバイスしてくれました。それを着用するようにしました。昼間はその対策で今後は他人様には迷惑をかけることはないでしょう。
今週は病院通いの1週間になりました。月曜日は父を連れていつもの植田医院で診察と点滴。午後からは両親はジョイ・リハ(介護予防リハビリ)へ行きましたが、母は体調不良で、運動はせず休養室で休んでいたそうです。
火曜日は私が月に1度の整体に老師の処方を受けた後、両親を連れて主治医の横田胃腸科内科へ。ケアマネージャーの下村恵子さんも同行していただきました。
横田哲夫先生の診察を受けました。「血圧も脈拍も正常。問診の結果は内科的な精密検査の必要性はありません。ただ尿失禁が酷いと言うのであれば、泌尿器科の専門医を紹介します。亀井先生を紹介します。紹介状を書きましょう。
腰痛が圧迫骨折が新たに起きている可能性もあるし、脊椎狭窄症を起こしている可能性もあります。整形外科の診察もお奨めします。」と言われました。
認知症の進展で、尿失禁が酷くなったのでは?と,聞きますと横田先生は「それはないと思います。1か月前の診察と変わらない。それに私の患者や診察歴で認知症が進んで尿失禁が酷くなったという事例はありませんから。」と言われました。
水曜日は午前中に横田先生が紹介していただきました亀井クリニックの亀井義広先生とことへ行きました。大変繁忙な病院で2時間半待たされました。室戸市から診察を受けに来ている人もいて、繁忙さを極めていました。
それで亀井先生の診察は「過活動膀胱における尿意性切迫感があるようですね。頻尿及びセ切迫性尿失禁」ということでした。腰痛が原因ののかはわかりませんが、尿意をもようして、トイレに行く前に尿失禁しているようです。膀胱の反応を緩和する内服薬を出していただきました。
午後からは田村内科整形外科の田村竜也先生に診察していただきました。こちらも繁忙している病院です。「新たな圧迫骨折が発生したか、脊椎狭窄症の可能性もあります。それはうちのレントゲンでは詳細はわかりませんので、図南病院をご紹介しますのでMRIを撮影し、そのCDを診察時に持参してください。」となりました。
水曜日は高知市も日中が36度になりこの夏最高気温を更新。しかし冷房の効いた病院にいましたので「それどころ」ではありませんでした。母のケアで暑いも寒いも関係ありませんから。
木曜日は朝1番で図南病院でMRIの画像撮影。母は仰向けに寝ると痛がるので撮影は難航。技師の人が「動くので撮影はできません。」と言います。そこで許可を得て、母の枕元にいて、頭を抑えて「動いたらいかん!痛いけれど我慢して!」と励ました。
母は「痛い痛し」と泣き叫び上手く行きません。6度目になんとか撮影は成功しました。正直疲れましたね。20分ですむ撮影が1時間かかりましたから。
金曜日は、昼前に田村整形外科へ行きました。ケアマネージャーの下村恵子さんも同行いただきました。待ち時間の間話を母としていただいたので助かりました。CTはこちらで撮影しました。田村先生の診断は、
「圧迫骨折は、前回検査後はしていません。そのかわり、すべり症と脊椎狭窄症の症状が出ています。腰が痛むので我慢できず失禁するようですね。70歳ぐらいの年齢なら手術をおすすめしますが、お母様の年齢だと体への負担も大きいです。」ということでした。
痛みを緩和する薬を出していただきました。運動は「鍬で土を耕すとか、草引きをするような運動は駄目ですが、理学療養士とご相談されて無理のない運動を継続することはいいことです。」とのことでした。
私たち家族も懸命に支えて来ましたが、母の老化のスピードが勝りました。これ以上介護度を上げないようにし、運動療法で運動機能を回復させる努力をします。
これから長い長いケアの生活が始まりました。
人生は「生・老・病・死」です。誰も老化します。母に遂にその時期が来ました。父(94歳)は今のところ元気ですが、超高齢者だけにいつどのような変化があるかわかりません。
人生なるようになると思います。前向きにとらえ、母には精一杯の人生を楽しく生きてもらいます。「潜在的な体力」は母はまだあります。それを呼び戻す努力をこれからしていきます。
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高知市内はよさこい祭りのようですが、なぜかわたしは昔から興味はありません。それよりのも海での気ままなセーリングのほうが大事ですね。このところお手伝いばかりが続いていました。久しぶりに自分のヨットに乗りました。
母が介護状態になりましたので、家内の許可を得て夜須へ来ました。上天気です。しかも波もありません。暑い晴天は海風が吹きます。
慎重にぎ装(ヨットの組み立て)をして海に出ました。陸の上は暑いですが、海の上は風が吹けば涼しい。幸い沖合には台風がない。波がないのでセーリングは快適でした。a
夏休みなので高知大学ヨット部と香南ジュニア・ヨットクラブも海へ出ていましたが、いつもよりやや少なめでした。
カヌーを体験される人たちもおられました。今日は波がなく海も透き通り綺麗でした。良い思い出になるでしょう。
波がないので、快適なセーリングが出来ました。今頃うねりがない海と言うのはとても貴重です。記憶にはありませんね。台風が台湾ちかくにある2000キロ離れていてもうねりはありますから。
午前中は赤岡港までセーリングしました。波がないので快適に帆走しました。
熱中症対策で、発泡の冷蔵庫には、冷やした水やスポーツドリンクが4本入っています。株のみしながらセーリングしましたので脱水対策は万全です。
せっかくですから昼の部もセーリングしました。
ジュニアヨット倶楽部が、井土コーチの号令で実践練習していました。ランニング(風下帆走)や、模擬レースもされていました。スタート練習もしていました。
今日は家内のお蔭で、朝から晩まで夜須の海を堪能できました。明日からまた頑張ることができます。
500MLのペットボトルを海の上では6本。昼食時にお茶を1本。行きかえりの車で1本ずつ、合計9本のスポーツ・ドリンクと水とお茶を飲みました。それでも自宅へ戻り体重をは足りますと昨日より1・3キロ少なくなっていました。
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またしても自民党副総理で、財務大臣である麻生太郎元総理のナチスを例えに出した憲法改正論議が物議をかもしている。しかし麻生太郎氏は、ナチスの経済政策についてはなにもご存じないらしい。
ナチスはユダヤ人虐殺と極端な軍事優先の強制収容所国家でしたが、台頭してきた時期は、一次次大戦で敗戦国。莫大な賠償金とその後の世界恐慌でドイツ経済が破たんしていたじきでした。
ナチスはなん敵国英国のケインズの経済政策を採用し、経済回復に成功していたのです。そのことを3年前に書籍で読んでいました。それをもう1度記述してみます。
「ヒトラーとケインズ」を読んで
最近は近くの図書館で借りて読む本ばかりですが、久しぶりに高知市京町角にある片桐書店で「ヒトラーとケインズ ーいかに大恐慌を克服するか」(武田知弘・著・祥伝社新書・2010年6月刊・798円)を購入しました。
タイトルの「ヒトラーとケインズ」に惹かれました。帯にある言葉「大英帝国はナチスを見習えと、ケインズは言った。 ーなぜドイツだけが3年間で世界大恐慌から脱出できたのか? 「国による有効需要の創造」の劇的効果を顕彰する!」とありました。
歴史的事実から観察すると。第一次大戦で敗北したドイツは、戦勝国に莫大な賠償金の支払いを要求され、おまけに世界大恐慌の影響で失業率は34%、600万人が完全失業していました。
当時の経済学や政治の潮流は「自由放任主義経済」か、共産主義経済という両極端なものでした。両方共うまくたちいかないときに、処方箋を提供したのが英国の経済学者ケインズであり、その処方箋を知ってか知らずかケインジアンとして着実に実行したのがナチスドイツでした。
ヒトラーは失業の解消を最優先課題としました。「不況期には政府が財政出動して有効需要を創出し、まず失業を減らす」.ヒトラーはアウトバーン(高速道路)の建設の他、住宅建設、都市再開発などの積極的な公共事業を行ない、わずか3年でドイツ経済を復興させました。
ケインズの理論を実践したアメリカのルーズベルトのニューデール政策より前に、ドイツのヒトラーが劇的に成功したのです。
武田知弘氏は丹念に、ヒトラーの政策を点検し、ケインズとの類似性をあげています。ドイツは敗戦で海外植民地をすべて失いました。多額の賠償金もありました。外貨も底を付いていた。
1933年に政権を獲得したナチスは、ドイツだけで自立できる経済発展を望みました。幸い工場施設は残っている。また大戦中に英米に海上封鎖され困窮し、敗戦につながったこともあったので、食料やエネルギー資源も自前の調達を志向しました。
食料品は東欧諸国と交易し手に入れました。お互い外貨がないので、ドイツの工業製品と物々交換的な手法で。おなじやりかたで、南米諸国ともドイツは交易、お互いに利益を上げました・
国内では積極的な公共投資で失業を解消する。海外とはお互い利益が出るやりかたで、独自の経済圏をこしらえうまくやっていました。
ナチスは「自由放任主義経済」と「共産主義経済」双方を克服し、成功した経済システムになっていたようでした。なによりケインズが絶賛していたのですから。
ある意味「連合赤軍と新自由主義の克服」をナチスドイツは初期段階ではしていたのではないかと思います。当時の「1人勝ち」していたアメリカの力に依存せず独自に、不況脱出をやり遂げたのですから。
ただし帝国主義的野心と、報復主義は指導者のヒトラーにはあり、それがまた改革の原動力であった限界があり、欧州各地に軍事侵攻して結果は滅びました。
「目からウロコ」の本でした.一読をお薦めします。
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午前8時から広島市で平和祈念式典が開催されています。ガラケーの小さな画面で始業前の時間様子を見ていました。写真を撮りましたがすべてピンボケです
平和宣言を松井広島市長が読み上げました。「68年前の1945年8月6日午前8時15分原爆が投下されました。生後8か月で被爆された女性は、結婚はされましたが、被ばく手帳を持っていることがわかり離縁されました。いわれのない差別で被爆者は苦しんできました。
被ばくによる症状の苦しみと、言われない差別の苦しみのなかで、平和を願う気持ちは強く持っています。世界の指導者の皆さんは、広島を訪れ、確認してください。核兵器の削減を強く訴えます。日本憲法の平和主義の理念にそって、歩んでいきます。核兵器の廃絶されることを強く願います。」と宣言をされました。
子供たち2人のスピーチもありました。祖父母たちの被爆体験を、平和のバトンとして受け継ぐ決意を宣言されました。
安倍晋三首相も参列し手いました。献花もされ挨拶もされました。
「私たち日本人は唯一の戦争被爆国です。核兵器のない世界をつくる責務があります。来年は軍縮非拡散イニシアチブ外相会議を広島で開催します。核兵器の廃絶と非核3原則の順守をお誓い申し上げます。」
安倍首相は言葉どうり本気で取り組んでいただきたい。
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日本は世界有数の「災害大国」です。地震で言えば、死者を伴うM7クラスの地震(阪神大震災はM7・3)が、年に1~2回、M8クラスの巨大地震が10年位に1回起きています。東日本大震災のようなM9クラスの超巨大地震は、数百年位に1度起きています。M8以上の地震は、世界の2割が日本で起きています。
また日本は活火山が110あります。雲仙普賢岳の大噴火や三宅島の大噴火も近年ありました。富士山も宝永年間に大噴火しています。
また年間降雨量は世界平均が973ミリに対して、約2倍の1714ミリで、世界4位の多雨国になっています。国土の7割が山地であり、地質は脆弱、多くの断層や構造線が走っています。局地的な豪雨や台風も毎年襲来して被害を出しています。
常に生活基盤の破壊を伴う災害に遭いながらも、社会生活を維持し、衛生環境や教育環境、産業基盤を充実して日本人は懸命の努力で先進国となり、長寿大国にもなりました。これだけ災害の多い国でありながら高度な文明社会を維持発展してきたことは驚異的なことと言えます。
最近安倍首相は、東南アジア諸国歴訪し、「集団的自衛権行使による国際貢献」の説明を各国首脳にしています。日本国憲法を改正してまで、軍事力の行使をすることは、本当の意味での国際貢献になるのかどうかは疑問です。安倍首相がお手本にしているアメリカは世界各地に軍隊を派遣し、平和の維持に貢献しているかと言えば、必ずしもそうはなっていない事例が多すぎます。
日本ができる最大の国際貢献の1つは、「防災大国日本としての世界への貢献」でしょう。地震。噴火、大雪、大雨、衛生管理、住民の自治活動など、相次ぐ災害の中で成果を上げてきた活動がいくらでもあるからです。自衛隊や消防も世界に誇る救援・救助のしくみです。
私案ですが、1万トンクラスの船を2隻かまえます。そこへ救援物資や医療、食料、飲料水などを満載し、待機させておきます。世界のどこかでで大災害が発生すれば、現地へ派遣します。人だけは先に飛行機で派遣しますが、救援物資、支援物資は船で運びます。
それを発展させて、世界の何か所に待機させておけば、大規模災害が発生した場合「日本の救助船がすぐに来て支援してくれた、」と多大な国際貢献となります。そのしくみづくりを真剣に考えておくべきでしょう。
「サンダーバード作戦」と呼んでもいいと思います。災害大国日本ならではの国際貢献であるとわたしは思います。
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最近は夏バテ気味の母(87歳)。食欲も半減し、毎日べたべたと寝そべっていました。運動能力が結果として低下し、家の中で転んで怪我もしました。(軽傷ですが。)
父(94歳)のほうですが、猛暑の中でも元気で、慢性腎不全も小康状態です。
体調も良く、週に1度のゴルフ練習も順調にこなしています。
2年前から(通所し始めた頃)から言えば体力がつきました。ゴルフ打ち放し練習場の階段も苦労なく昇降できるようになり、息切れもしなくなりました。これはジョイ・リハさんおかげと感謝しています。今後は足の大きな筋肉を鍛えるトレーニングをさせてあげてください。
慢性腎不全は脱水症状が大敵です。水分補給だけは気を付ければ大丈夫です。
母(87歳)は、運動能力全般が急激に低下しました。
最近の言葉で「ロコモティブシンドローム」という表現があります。最近はまさにその説明どうりの現象になりつつあります。
「ロコモティブシンドロームとは主に加齢による骨・関節・筋肉といった運動器の機能が衰えることにより、日常生活での自立度が低下し介護が必要になったり、寝たきりになったりする可能性が高い状態のことをいいます。例えば、足腰が弱くなり立ったり歩いたりする移動が大変になってきた状態もロコモです。」(用語の説明)
歩行もおぼつかず介助が必要なぐらい弱っています。でも内臓疾患など持病は全くなく、健康そのものなんですよ。それでも1か月間だらだらとしていたので、運動機能が弱くなりました。
介護予防通所リハビリ施設が、介護保険の制度で来て良かったです。元へ戻るのは3か月かかるでしょうが、通所すればなんとかなります。
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朝6時過ぎから二葉町町内会の消毒作業に参加していました。8時半位YASU海の駅クラブに集合しないといけないので、7時過ぎに中座させていただき、シャワーをして着替え夜須へ向かいました。
自分たちの役目はシーカヌーのヤッシー・パークへの運搬。ヨットのほうは香南ジュニア・ヨットクラブのメンバーが海から帆走して運びました。突然海から運ぶことになり、2人乗りカヌーを1人で漕いでヤッシー・パークのビーチまで行きました。
暑い中テントを組み立て準備をしました。ヨットとカヌーをビーチと沖合に係留しました。
10時前から体験者の人たちが次々と来られました。ご家族ずれや、若者たちのグループなど。シーカヤックもヨットも初めての体験者が多かったようです。夏休みでもあり県外から来られている人たちもたくさんおられました。
午前中はせわしく、休む間もないほど体験者が来ていただきました。
ジュニア・ヨットクラブのメンバーもアクタスという10人乗りの大型ディンギーを操船して体験航海をしていただいたり、普段自分たちがセーリングしているシーホッパーに体験者を乗せて帆走していました。
シーカヤックもいろんな人たちに体験いただきました。みな喜んでいました。
お昼休みに香南ジュニア・ヨットクラブの町田丈一郎君が、「ギンカククラゲ」と言う綺麗なクラゲをつかまえてきました。誰も名前を知りません。水産関係に興味があるというので、調べ物をされているんでしょう。お母さんの町田紅子さんも来られていました。
お母さんの友人の方を載せてシーホッパーで体験乗船も丈一郎君はされていました。早い時間帯はアクタスも操船して体験乗船セーリングをしていましたから大活躍です。
多くの人に楽しんでいただいた「ヨット・シーカヌー体験乗船会」でした。県外の人たちが多く、高知の海を眺めるだけでなく、ヨットやカヌーで海体験されたらきっと良い思い出になったことであると思います。
午後1時過ぎに海の駅クラブ事務局横山さんからの連絡。「午後2時半頃雷雲が夜須付近に来る。現在香南市の北部で雷雨あり。」との情報をWEBで見たそうです。井土ジュニア・ヨットクラブ顧問の判断は「遠雷が聞こえたら中止」と言う判断でした。
1時半過ぎに遠雷が複数回聞こえたので、体験試乗会は中止し、撤収作業を始めました。カヌーやヨットは海から戻り、荷物は軽トラで運びました。
ヨットやカヌーを陸揚げし、水洗いをして収納しました。全部片付けが終わって反省会をスタッフでしていますと雷がなり大粒の雨が降り出しました。撤収して大正解でした。
今日は朝から夕方3時過ぎまで肉体労働の連続。大汗かきました。戻ると体重が減っていました。でもおやつを食べましたから元の黙阿弥でした。
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今となっては誰の文章なのかわかりません。わたしではありません。お世話になっているサーバーとサイトの管理会社の方なのか、それともメールマガジンで来た情報なのかわからなくなっていましました。でもとても良い情報なので、記録(ログ)として残したいと思います。
始めに「更新」とは何か
日本語における「更新」または英語の「update」という言葉は、ほぼ同じ意味で使われますが、どちらにも2つの意味が含まれており、両方に共通しているのは「最新の状態に保つ」ということです。サイトの更新ということに限って言えば、その2つの意味とは次のようなものになるでしょう。
意味1:新しい記事の追加
「サイトを更新する」という文脈で使われ、サイトを最新の状態に保つために新しい記事を追加することをいう
意味2:古い記事の改訂増補
「古い記事を更新する」という文脈で使われ、古い記事を上書きして最新の状態に改訂することをいう
サイトへのアクセスの増加という意味ではより重要なのは上記の「意味1」のほうですが、移り変わりの激しい話題を主に扱っている場合には「意味2」もまた重要です。次に、こうしたものが重要または不可欠であると言われる理由について、順に説明してきます。
1. リピーターの再訪を促すため
リピーターに再訪をうながすきっかけとして最もよく機能するのは、新しいコンテンツをサイト上に追加することです。逆に言えば、新しいコンテンツを追加することなしに再訪してもらうことは非常に難しいということです。
通常、人は昨日とまったく同じ情報を今日もまた取得しようとは考えません。筆者も含め、私たちは定期的に訪問するサイト(ニュースサイトやSNSなどのような)をいくつか持っていますが、それらを定期的に再訪する理由は「そこにアクセスすれば新しい話題や情報があるから」です。
更新されないニュースサイトや、誰も発言しないSNSに用はありません。同様に、新しい情報が追加されないサイトに再訪する理由もないのです。
2. クチコミを発生させるため
新しい話題となるコンテンツを提供することは、単にリピーターの再訪を促すために必要というだけでなく、そうして再訪してきたリピーターを起点に発生するクチコミを通じて、新しい読者を連れてくるためにも必要です。
クチコミを広げるためには、その題材となる新しい話題が必要です。人々は、特にソーシャルメディア上においては、過去の話題よりも最新の話題を好みます。1年前に公開したコンテンツよりは、今日公開されたコンテンツのほうが話題にしやすいのです。
極端な話、同じようなことが書かれたコンテンツが複数あったとして、話題にしやすいのはより新しいもののほうです。この意味から、定期的に新しい記事をサイトに追加していくことは、クチコミを発生させるために最低限必要な取り組みであることがわかります。
3. 記事のストックを増やすため
新しく追加したコンテンツが、ソーシャルメディアなどを通じて多くのトラフィックを集められる期間はそう長くありません。コンテンツの公開から数えれば、せいぜい数日から1週間程度で、爆発的なトラフィック誘導は終了するでしょう。
しかし、ソーシャルメディアから検索エンジンに目を向ければ、ソーシャルメディア上では旬を過ぎたコンテンツであっても、検索経由のトラフィックは徐々に増加していくことに気付くでしょう。検索経由のトラフィックは持続性があり、長期間にわたってトラフィックを呼び込み続けるのです。
オーガニック検索エンジンからのトラフィックを呼び込み続けるコンテンツをサイト内に蓄積していくことは、ある意味ではサイトの資産構築のようなものです。高品質な記事をサイト内に数多くストックしていくことによって、検索や参照のトラフィックは安定して増加していきます。
4. ライティングスキル向上のため
いまやすべてのウェブマスターにとって必須のスキルは、文章作成やそれにまつわる企画や構成や表現や編集のスキルです。こうしたものを効率よく学ぶ方法もありますし、そうしたものも有益ですが、しかし残念ながら、学ぶだけでなく身につけるとなると、やはり実践を繰り返すほかありません。
中小零細企業において、サイト運用者は文章のプロであることは稀です。しかし、その企業の事業内容においてはプロであり、プロとしてコンテンツを公開する以上は「プロらしい」ライティングが必要です。そのためには、文章の構成力や表現力、そして内容を一義的に伝えるための適切な校正力が必要です。
こうしたスキルは、ある程度の基礎を学んだ上で、あとは実践によって鍛え上げてい過なければなりません。その実践とはつまり、ごく簡単に言えば、サイトに新しいコンテンツをどんどん追加していくことです。数をこなす以上に確実な習得法はありません。
5. 古くなったコンテンツを復活させるため
ある程度の長期間にわたって運営されているサイトであれば、情報が古くなってしまい読者に価値を提供できなくなった、または間違った知識を提供してしまうようになった、といったコンテンツが多く含まれているのは自然なことです。こうしたコンテンツについて、古いものを上書きして最新の状態に改訂することも有意義です。
内容が古く、場合によっては不正確だったり間違いだったりするようなことになってしまったコンテンツをそのまま放置していれば、訪問者をがっかりさせるか、間違った知識を持ち帰らせるかのどちらかの結果を生み、いずれにしても好ましいことではありません。
できることなら、古くなってしまったコンテンツにも手を入れ、最新の状態に改訂し、訪問者を裏切らないようにメンテナンスすべきです。こうした取り組みは、主に検索経由の訪問者の体験を改善することにつながります。また、そうして改訂作業を行ったことを適切に告知すれば、新規のコンテンツを追加したときと同様の効果も得られるでしょう。
まとめ
ウェブサイトとユーザーをつなぐ接点はコンテンツです。それがソーシャルメディアを経由したものであれ、検索を経由したものであれ、その事実は変わりません。コンテンツを増やすことはつまり、ユーザーとの接点を増やすことにつながるのです。
そしてコンテンツは多くの場合、古いものよりも新しいものが好まれます。これこそが、90年代から繰り返し言われ続けてきた「サイトのアクセスアップのためには更新が欠かせない」という言葉の意味です。放置され訪問者のないサイトに価値はなく、新しいコンテンツが追加されないサイトにも価値はありません。
そしてSEOの観点からは、新しい話題を提供し、リンクグラフやソーシャルグラフのようなシグナルを検索エンジンに送るサイトが、検索結果において優遇されます。しかしこれは、実在の人間が話題していることを検索結果に反映させようとする試みに他なりません。
結局のところ、サイトのオーディエンスに満足を提供することを第一に、満足を提供できるコンテンツをより多く蓄積することや、そうしたものを発信していくためのスキルと習慣を身につけることを考えていけば、更新を通じたベストプラクティスは自然と自分のものになるでしょう。
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昨日の37度から比べたら午前中に雨が降った影響か、いくぶん涼しく感じる高知市でした。8月最初のはりまや橋サロンへ母(87歳)をなんとか連れて行きました。最近は夏バテ気味で寝てばかりいるので、身体能力も衰えが目立つからです。
駐車場から降りて歩いて魚の棚商店街を通過しますが、母は「腰が痛くてよう歩かん。座りたい。」というのでコロッケ屋さんの店頭にある椅子に腰かけてしまいました。今日は上の子供も私も出かけるので不用でしたが・・・。
活き活き100歳体操は暑い中、元気な高齢者の皆さんが来ていました。母もやっていましたが、最近の夏バテ気味なのか、立ち上がり運動は遠慮していました。それでも外で活動することは最大の介護予防になります。暑い中頑張ってくれました。
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