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2013年9月

2013.09.30

9月最後の介護予防リハビリ

 9月最後の介護予防リハビリで、父(94歳)も母(87歳)も行きました。3時間程度の運動をして戻って来ます。週に2回行くようにしています。
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東京五輪は地震対策を万全に

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 2020年の東京五輪。早くも建設土木会社の株価が上昇しているとか。それは或る意味結構なことです。しかしお祝いムードに敢えて「水を差し」ますが、東京五輪は首都圏直下型地震と南海トラフ巨大地震への備えを完璧にしませんと大変な事態になります。でもきちんと耐震地盤、耐震建築物を建設すれば、「安心・安全都市」東京になるチャンスでもあります。

 なぜ「水を差す」と申しますと、会場予定地の多くは東京湾沿岸部の埋め立て地で海抜0メートル地帯を含む低地ではありませんか。巨大地震での強い揺れ、液状化、津波に備える施設と都市基盤でないと東京五輪は安全に開催できません。

 道路などは耐震地盤にし、橋梁も落橋防止措置をする必要があります。電気・ガス・水道・下水道・通信などの生活関連設備も耐震性が求められます。非常事態への対策をしなければなりません。


 首都圏直下型地震と南海トラフ巨大地震が2020年東京五輪期間中に発生すれば、選手村や施設会場周辺土地全体が液状化し、津波で水没する可能性も考慮しなけばなりません。その対策は猪瀬知事が豪語した4500億円の都の積立金では到底足らないと思います。

 会場付近の地盤は耐震地盤に改良し、公園の部分には、「巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体構造物」を数多く建設し埋め込んでおけば多数の人達の救助・救命は可能です。歩道橋や高速道路にも津波避難施設を併設すべきです。
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 競技場は多くの周辺の勤労者や観光客などの安全な一時退避所・避難所でなければなりません。耐震性のある歩道橋を開発しないといけません。

 また福島第1原子力発電所を安全にクール・ダウンさせ、放射性物質の放出を1日も早く止めないといけません。それがなにより必要です。

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2013.09.29

9月最後の夜須の海

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 どん曇りでしたが散帆が出来ました。
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今日の天気図では、「西高東低の気圧配置ですが、朝鮮半島付近に前線があり、湿った空気を集めています。それで出発前の自宅の温度は25度で、湿度は85%でした。波の予想では2・5Mでうねりを伴うとのことでした。


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 夜須へ到着し、スロープ付近の波を見ますと高低差はありません。これでは出艇可能なので早速ぎ装(ヨットの組み立てをしました。今日はジュニア・ヨットクラブも練習をするとのことでした。井土コーチが、東京国体へ出場されていますので、ジュニアの指導は押岡大樹さんです。広島大学ヨット部OBですので、的確なセーリング指導をされることでしょう。
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 9月も月末で夏仕様でどうかなと思いましたが、海水温はまだまだ高く海水浴は可能。ですのでブラジル代表のカナリア色のTシャツと短パンでヨットに乗り込みました。
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 海へ出ますと風は弱く、うねりがありました。台風が近くに有ったときはうねりはないのに、低気圧でうねるのか不思議でした。しかも風が最初は北、次に東に。そして西に降り、歳以後は南風と風軸が安定せず、しかもうねりで進路を邪魔されるので、快適なセーリングと言う訳には午前中は行かなかったです。
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 海の上では押岡コーチの熱血指導がされています。「アビームで走る」「タックしてクローズで走れ!」「ジャイブしてランニングで走る!」と声が海上に響いていました。
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 お昼はいつもの訪のおむすび3個と卵焼きでした。東京国体ヨット競技の動画中継を見ましたが、「風待ち」で一向にレースが始まりません。
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 午後もジュニア・ヨットクラブもぎ装し、海へ出て行きました。午後も乗りましたが、うねりが強いので、1時間ほどで上がりました。
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 片付けして、体を洗い片付けして、帰りにヤッシー・パークの事務所に立ち寄り、山本さんと露木さんとおしゃべりをしていました。自宅へ帰ったら午後6時になっており夕暮れでした。1日夜須の海で遊びました。癒されました。

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NPO高知減災ネットワーク会議がメンバーを募集中

高知大学:岡村教授の監事就任も承諾いただきましたので、新しいNPO団体の社員募集を始めます。

ご参加いただけます方は、以下

(私・弊社)は、高知減災ネットワーク会議の活動の参加いたします。

住所

氏名

メールアドレス

電話連絡先

を記したメールを事務局(橋本) hasitatu1201@yahoo.co.jp

若しくは西田 wagaya02@fancy.ocn.ne.jp まで

尚、団体の趣旨などは
名称:特定非営利活動法人 高知減災ネットワーク会議
申請:書類が整い次第(9月末~10月上旬)
認証:1月中には認証を得られると考えております。

役員の顔ぶれ
理 事 中岡久幸
理 事 竹政修治
理 事 坂本茂雄
理 事 諏訪博信
理 事 橋本達広
監 事 関田浩美
監 事 岡村 眞

設立趣旨書

 今年の5月、政府の地震調査委員会は、南海トラフにおける巨大地震(マグニチュード8以上)の発生確率を、今後30年以内では60~70%程度になると公表した。
 日に日に地震の発生確率が高まっていく中、次の南海トラフにおける巨大地震による被害を最小限に食いとめるために、高知県ではまだ数少ない防災に特化したNPO組織を立ち上げ、減災・防災に取り組んでいかなければならないと考え設立に至った。
 当法人は、被害を最小限に食いとめるために、あらゆる分野の減災活動・防災活動に取り組んでいきたい。また、個人・地域・団体・企業・機関などと連携し、それぞれの特性を生かした取り組みを行っていきたい。加えて、高知県の減災活動・防災活動の中核となり、減災・防災に関する情報の発信、他組織やその活動をつなぎあわせる活動も行っていきたい。
 当法人は、きたるべき地震に向けて、高知の防災力の向上を目指し活動していきたい。

定款の
(目的)
第3条この法人は、近い将来西日本で発生するとされるプレート境界型地震により、甚大な被害を受けると予想される地域の人々が、様々な知識と経験を生かし、多くの地域との連携により、全ての自然災害に関する諸々の事業を行い、地震列島日本において全国各地で発生する自然災害に対し、安心して暮らせる地域社会の実現に寄与することを目的とする。

(特定非営利活動の種類)

第4条この法人は、前条の目的を達成するため、次の種類の特定非営利活動を行う。

(1)社会教育の推進を図る活動
(2)まちづくりの推進を図る活動
(3)災害救援活動
(4)地域安全活動
(5)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動

第24条

(2)正会員総数の5分の1以上から会議の目的である事項を記載した書面若しくは電磁
的方法をもって招集の請求があったとき。
※これにより、電子メールによる総会等の招集、議決委任なども可能にしてあります。

入会金は、正会員、賛助会員ともに0円

会費
正会員(個人) 5,000円
正会員(学生) 1,000円
正会員(団体・法人) 10,000円
賛助会費(個人・団体・法人) 10,000円/1口

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2013.09.28

母は2か月ぶりに美容室へ行きました。

 今年は猛暑で、母(87歳)はロコモティブシンドローム(運動器症候群)になってしまいました。直接の要因は加齢からくる脊椎狭窄症とすべり症により腰痛になってしまったことです。

 この腰痛はわたしがなっていた「椎間板ヘルニア」とは異なり、「座っている分には痛くはない、立ち上がって歩こうとすると痛くてたまらない。」と言う症状。大変やっかいです。
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 歩くと腰痛だから歩きたくない。しかし歩かないと運動機能はどんどん衰える。母が尿失禁を繰り返すのも、歩かなくなったので全身の筋力が衰えたせいであると思います。ジョイリハ(介護予防通所リハビリ)を週に2回。1日ディ・サービスへ週に1回、金曜日は活き活き100歳体操ではりまや橋商店街へ行きました。それで少しでもリハビリを続けました。

 秋になり徐々に回復してきました。今日は美容室へ行きたいと言いました。それで近所のシンボル美容室を予約しました。徒歩5分のところにありますが、行は歩いて連れて行きましたが「腰が痛い」痛いと言い続け、倍の10分かかってようやく到着しました。
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 荒木さんには、カットとシャンプルーをお願いしました。なんとか久しぶりに美容室へ行けてよかったです。高齢者は身なりをかまわないといけないと思うからです。
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 帰りは「電話する」と言っていましたので、車でお迎えに。「何か買い物がしたい」というので、森食料品店で、サンドイッチと芋天を購入しました。ようやくご近所の皆さんに「生きている」ことをお知らせできました。

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父も元気にゴルフ練習でリハビリ

 今日の高知市は涼しい。午前10時過ぎの事務所の温度は26度で、湿度80%。ひところから言えばしのぎやすいこと。
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 父(94歳)も調子が良いようです。入念に自己流の準備体操をしています。

 マイペースでゴルフの球を打っています。1カード125発を休み休み打っています。
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 父が球を打つ間は読書タイムです。「WOOD STOCK」という本を読んでいますが、字が小さく538Pもあるのでなかなか読破できませんね。
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知事と高知市長は死ぬ気で国(中央防災会議)に高知市の現実を訴えるべし

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 南海トラフ巨大地震の発生が迫って来ています。地震予知は現在の科学では予測不可能ですが、90年周期で起きている南海地震は、昭和の南海地震からすでに67年が経過しています。30年以内の地震発生可能性は年々高くなってきています。

 この南海トラフ巨大地震は東海、中部,近畿、四国、九州と大きな被害が想定されています。でも県庁所在地の市街地が地震による地盤沈下で水没し、長期間浸水状態が継続する地域は高知市以外にはありません。甚大な被害、経済的な被害も想定されています。
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(1000年前の高知のような状況になるでしょう。)

 その危機感からわたしは昨年来より「住民発意の避難方法(巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体構造物)や津波避難型横断歩道橋、疎開を前提とした仁淀川町との交流、地盤のかさ上げと立体換地による防災都市計画を県庁や高知市役所に提案しました。

 しかし高知県及び高知市担当部署は誠意のある回答はありませんでした。地域の代表議員が高知県議会、高知市議会で質問をしても執行部は「おざなり」の回答しか得られませんでした。
 
 その主たる原因は、国の防災対策の要である中央防災会議の防災基本計画に「高知市市街地の水没・長期浸水対策」が全く盛り込まれていないのです。それは県知事、高知市長、県選出国会議員の国への働きかけが弱いからであるとわたしは思う。

 県経済の中心である地域が長期間水没する危険性をもっと県民各位は自覚し、中央 行政にたいし 、対策を要求すべきではないのだろうかと思う。このままの状態で南海トラフ巨大地震が襲来すれば、高知県経済の中枢、行政の中枢はすべて海底に水没。高知県は消滅します。

 「高知家」などとはしゃいでいる場合ではない。危機感をもっていただきたい。
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2013.09.27

父を連れて植田医院へ行きました。

父(94歳)を午前中に植田医院へ連れて行きました。植田一穂先生の診察と点滴と注射です。写真はエポジンという注射です。週に1度腎性貧血防止のためしています。慢性腎不全になると貧血気味になるからです。

 食物で貧血予防の摂取は父はもはや無理な体です。

 でも診断の結果は極めて健康体という診断。

 休日は父が楽しみにしているゴルフ打ち放し場へ練習に行けるようです。Titiuetaiinn_r


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母を連れてはりまや橋商店街へ行きました。

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 今日の午後は、母(87歳)を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。介護予防体操(いきいき100歳体操)へ連れて行きました。
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 行けば行ったで、買い物好きな母。早速谷ひろこさんのお店で焼き菓子を買いました。
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 活き活き100歳体操も月末で叔母(80歳)も欠席。今日は5人の高齢者で体操をしました。これから先は涼しくなるので参加者も増えることでしょう。
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 母は脊椎狭窄症で、どうしても腰が痛いことをことさらいいます。でも体を動かさないと余計に介護状態になるので、体を動かしてもらうようにしています。

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法人登記に行きました

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 2年に一度の会社の法人登記に法務局へ行きました。以前は司法書士事務所に依頼していましたが、書式を見たら出来そうでしたので、今回は自分で登記してみました。
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 書式はすべて国の様式で不慣れですので、もたもたしました。取締役の任期は2年で、監査役は4年。それで記述を間違ってしまい訂正の必要性が。

 書類に割り印がいることも、訂正する場合は捨印がいることも忘れている始末。完全なアウエーな気分でした。でも法務局の係りの方も親切に教えてはくれました。
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 昨日と今日の2回行ってなんとかクリアしました。自分の会社の存在証明を出すだけで印紙代が1万円かかりました。有効期限は2年間です。また2年後には行かないといけませんね。


 はんこ屋さんは不滅ですね。

 登記する申請書や登記する書類にも印鑑の押印が必要。訂正するにも押印、捨印が必要です。ついくづく日本は「はんこ社会」であると思いました。「実印」がなければ「社会的な信用」も得られません。

 まちのはんこ屋さんも不滅であるはずです。
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 ネットの時代とかで、10年ほど前に「電子署名」とか一時期わいわい言われていましたが、どうなったんでしょうか?下火になりましたね。

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秘密保全法制には反対します

  秘密保全法制とは、国にとって特に重要な情報を「特別秘密」に指定し、それを取り扱う人を調査・管理し、それを外部に知らせたり、外部から知ろうとしたりする人などを処罰することによって、「特別秘密」を守ろうとするものです。(日弁連HPより)

 いったい誰が国にとって重要な情報と指定できるのか?それは誰なのか?それは乱用され、国民の知る権利、言論の自由の規制につながるのではないのか?そういう懸念は払しょくされません。

 なぜ不信感があると言いますと、「 秘密保全法制」に関する国民的議論が熟成されておらず、政府与党が国会の多数を背景に強引に成立させようとの動きもあるからです。

 新たに法律を制定する場合には、既成の法律ではなぜだめなのか。また憲法の精神に沿っているのかが問われるはずです。

 しかし安倍晋三首相はことあるごとに、日本国憲法の改正、9条第2項の廃棄、集団的自衛権行使を公言しています。その改憲の動きと「 秘密保全法制」がセットではないのかという疑念があるからどうも信用できません。

 軍事国家をこしらえるためには、戦前日本にあった特高警察のような仕組「組織」をセットで復活編成するのではないかと思います。

 再び日本を軍事国家にしようという連中が政権を担えば、必ず「異論」を排除し、強権的な支配体制をこしらえるはず。特高警察が復活するのではないかと私は思います。

 凄惨な拷問で、作家の小林多喜二氏や、高知在住の詩人槇村浩が殺害されました。日本国内では特高警察により、拷問で80人、獄中死114人、拷問が原因での獄中死が1504人と言われています。

 それは戦前の「治安維持法」を遂行するために、「何をやっても許される」「国体護持のためには不逞の輩はどのような取り調べ方法も許容されるという暗黙の意識があった。

「治安維持法改悪により最高刑が死刑に引き上げられたこと、「天皇の警察官」意識が唱道されたことも、拷問違法性への認識を薄くさせ、国民を沈黙・抑圧し、日本国を破滅へ導きました。「異論」を排除する体制は必ず、個人の言論の自由や人権を抑圧してきます。

 わたしは秘密保全法制には反対します。異論を認めない体制は、国が亡びる道であるからです。

 「特高警察」を読んで http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-320f.html

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2013.09.26

介護予防リハビリ通所施設(ジョイリハ)へ両親は行きました

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 今日は週2回目の介護予防通所リハビリの日。12時過ぎに迎えに来るのでせわしい。朝は父(94歳)を連れて、植田医院で診察と点滴。バイタル・チェックも行いました。問題はなく健康体を維持しています。わたしは昨日。おとといとWEBセミナーでいませんでしたが、父は一昨日はゴルフの打ち放しプリペイト・カードを購入に散歩。昨日は日本酒を購入しにスーパーへ歩いて行ったそうです。

 母(87歳)は水曜日の1日デイ・サービスの結へ行き出しました。慣れて雑巾を3枚手縫いしたとか聞きました。茶碗を洗ったり、洗濯物をたたんだりすることが出来るようになりました。完全復活まではいきませんが、6割がた戻りました。
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 ケアマネージャーの下村恵子さんが居宅サービス計画表を持参してくれました。

 なんとかジョイリハの車へのって元気に行ってくれました。母に関しましては「腰が痛い」といいましても運動をさせてくださいとお願いしました。
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 2人が行ってくれますと、やれやれと思います。

 しかし将来介護保険料を上げるとか、負担率を上げるとか、施設介護を減らし、在宅介護を増やす政府の方針だそうです。在宅は大変です。うちなんか楽なほうです。それでも疲れる。子ども手当があったのなら、介護手当を出すべきではないかと思う。

 もっとも介護手当をだすようなことをしたら国も自治体も財政がパンクするでしょう。でもそうしないように運営するのが政治だろうに。つくづく不条理を感じますね。

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「セルジオ越後の宣戦布告W杯日本はこう戦え!」を読んで

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 「セルジオ越後の宣戦布告W杯日本はこう戦え!」(セルジオ越後+後藤新弥共著・マガジンハウス・1998年刊)を高知駅前のブック・オフで105円で購入し読みました。

 セルジオ越後氏といえば、ブラジル生まれの元プロサッカー選手。16歳でブラジルのプロサッカー選手となり、日本へ来られ日本リーグの選手としても活躍、引退後は1978年より日本サッカー協会公認のサッカー教室の認定指導員として延べ50万人の指導を行ってきた人です。

 辛口サッカー評論家としても有名。最近では「今の日本代表は2010年当時より後退し、力が落ちていると」指摘されています。でも深い洞察力にはいつも感心しています。それはどうしてなのかが、この本を読んでようやくわかりました。

 セルジオ越後氏は、「社会観察者」なのです。サッカーを通じての技術論の狭い範囲での評論なく、社会全体からサッカーを見て行く大きな視点を持っておられます。

「98年3月にジャマイカのシモンズ監督が来日した時、背筋が凍るような気持ちがしたことがあった。風呂に行っている所に、急に踏み込まれたようなものだ。

 日本代表を徹底視察に来たのかと思っていたら、彼がしたことはまず日本の社会や文化を訪ね、政治やニュースを「観劇」したことだった。代表の試合は、2試合しか見ないで帰った。」

「細かいことを今探ったって、本番も同じとは限らない。私が知りたかったのは、日本のサッカーではなく、日本という国と日本人の姿だった。日本人がどんな考え方をして、どんな風に行動するか、それをこの目でたしかめたかっただけだ。それがわかれば、岡田監督が,事に当たってどう対処するのかが分かる。思考形態を知ることのほうが、戦術自体を研究するより、ずっと意味がある。」

 「つまりは、サッカーは社会の反映であり、鏡だというわけだ。それこそ私が解説者としてずっと長い間言い続けてきたことだった。」(P2「サッカーは社会の鏡」)

 シモンズ監督はブラジル出身。ジャマイカでブラジル流のサッカーを選手たちに伝授して来た人。身体能力もあり、英国プレミア・リーグで活躍しているジャマイカ出身選手を帰化させて代表にしたり、したたかなことをやってきた人。本大会での結果は同じ初出場のジャマイカに日本は、1-2で敗れました。

 シモンズ氏は律義で生真面目。鉄道運行時間定刻どうり。企業の優秀性もある。それゆえ自分の几帳面さを相手にも要求し、それが通らないとイライラし、失敗することもある。それはサッカーにも表れると見抜いていました。

 またセルジオ越後はこんなことも言っています。

「もっとファンのみんながいろいろな、それぞれのサッカー観を語り合い、思入れを話し合ったらどうだろう。いい、悪いでもない。間違っているでもない。正しいでもない。

 互いの意見や人生を尊重し、ああそうか。わたしはこうなんだ。とビール飲みながら、コーヒー飲みながら自由な雰囲気で談義したらどうだろう。議論で戦うのではなく、おしゃべりを楽しむのだ。

 私自身は、いつもそう感じてきた。辛口で評論するのも、そういう話題のネタをひとつひとつ提起しかたったからである。

 またそうしたサッカーの楽しみ方が定着すれば、サッカーだけでなく出過ぎた言い方かも知れないが社会も、人生も変わるかもしれない。真面目はいいことだ。でも真面目だけでは人生は窮屈だ。」(P5「さっか0は社会を映す})

 全くセルジオ越後氏の考え方に賛成ですね。この場合「異論」を尊重し、冷静でいられるかどうかでしょう。すぐに激高し、相手を非難するようでは楽しい議論は出来ません。

 「原発をどうするのか」「憲法をどうするのか」の議論も冷静にしないといけない。同じことであると思います。さすが日本の子供たち50万人を教えた人だけのことはあります。感心しました。

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2013.09.25

BtoB活用実践セミナー2日目」を受講しました。

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 24日に続き「BtoB活用実践セミナー2日目」(講師は村上肇氏)を受講しました。

 サーチエンジン適正化(SEO)は特にしなくて良い。内容勝負でホームページを作成すべきであると村上肇氏は言われます。
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「どんがり(自分の得意技をホームページ上で適切に表現することです」
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「ファイスト・ビューが大事。1秒ルールなので、せっかく訪問されたお客さんを逃がさないようにしなければいけません。」

「1パージ1テーマ。1商品1テーマ。1事例1テーマで、きちんとした文章を書くことが大事です。」

「3年ほど前から2つのWEBマーケティングが言われるようになりました。
サーチエンジン・マーケティング(SEM)は、お客さんに自分のページを探してもらうこと。

 ソーシャル・メディアマーケティング(SMS)は、紹介してもらうことで、再会のメディアです。お客さんに「語ってもらう」メディアです。」
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「たとえ話をAKB48でします。今年の総選挙で46位は石田はるかちゃんでした。それでも1万600人のファンがいて、CDを購入しています。昔は1人のスーパースターが総取りでした。今はそれぞれに支持者がいる時代です。
 
 マスメディアは大企業でしか使えない媒体でしたが、WEBは個人でも小企業でも有効に活用できます。そういう意味で面白い時代となりました。」
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「決して争わない。闘わない。独自性をだすことが大事です。」

 記憶に残った断片を記述しましたが、もっと大事なことを話されていると思います。

 わたしの決意表明は「社会インフラは100年間は維持しよう。」「個人の錆についての悩みはすべて解決します。」です。

 ローマ帝国のインフラ(道路・橋・水道・建物)は500年刊維持されました。それを私たちは見習うべきです。

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「BtoBネット活用実践セミナー」を受講しました。

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 9月24日と25日の両日は高知県産業振興センターにて「BtoBネット活用セミナー」(講師・(株)創・代表村上肇氏)の講座があり受講しました。
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 このところWEB販売は低調で、手ごたえがありません。個人的には母の介護状態への突入やら、めまいなどの体調不良もありました。気がついたら「低調」になっていましたので、今一度原点に戻り受講しました。
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 「自らの価値を顕在化し、価値を伝える方法を考え」でなければならない。

 ホームページの内容は「人が語りたくなるような」ものであり、「新規性」話題性」「社会性」がなければならない。

 「事業性」があるかどうかも大事なポイントですね。との話。
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  7年前に既に製品としてありながら当時は全く売れなかった超薄型の老眼鏡。精密な加工技術を持つ金属加工会社がこしらえたもの。「しおり」と言う名前では売れませんでした。

 薄がた老眼鏡を「ペーパーグラス」を名前を付け、独自のホームページを作成。1・8万円のやや高めの老眼鏡が1000個売れたそうです。「困っているターゲットを絞り、事業コンセプトをはっきりさせた。」効果が上がった事例でした。
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 うちの場合も話を聞いていて、「防錆」のブランド力が落ちているように思いました。ほぼ半年ほたくり状態でした。検索エンジンでもヒットしないようですので。今日も講座はありますが、また原点に戻り「自らの価値を顕在化し、価値を伝える方法を考え」にてホームページづくりにまい進することにします。

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アニメ東京M8の巨大地震

  西田政雄さんが「アニメ 東京大地震」をアップされていました。ユーチューブの動画なので、。貼りつけてみました。11分ぐらいありますが、見入ってしまいます。液状化や津波などもあると思います。動画にはあまり出てきませんが、東京五輪施設建設には当然想定して建設していただきたいものです。


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2013.09.24

近所の商業店舗の閉店は寂しい

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近所にあったクリーニング取次店。8月24日付で閉店していました。これで歩いて行けるクリーニング取次店がなくなりました。南国スーパーの隣にありましたか?それだけです。

 10年ぐらいの歴史だったんでしょうか?お店が閉店するのは寂しい。

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2013.09.23

ゴーヤさんありがとうございました。


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 2013年のゴーヤさんを片付けました。猛暑の中ご苦労様でした。今年梅雨明けが早く、猛暑が続きました。それで、緑のカーテンを形成することなく、実もあまりつけず、終わってしまいました。
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 不作でした。今年は不作でしたが、来年に期待します。5か月間楽しませていただきました。命の営みに感謝です。また来年もよろしくお願いします。

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両親はジョイ・リハへ行きました。

 今日の高知市は午後から温度が上がりました。12時過ぎの事務所の温度は30度。湿度は75%です。

 暑いので母(87歳)は、今日はセーターを着用しません。
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 父(94歳)のほうはうちわで煽いでいます。
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 12時15分過ぎにジョイ・リハ(介護予防リハビリ通所施設)の送迎車が来ました。両親の着替えもたせ行かせました。一段落です
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県政瓦版をいただきました。

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 高知市下知地域の代表県議会議員である坂本茂雄さん。高知市下知地域の13の自主防災会が参集した下知減災連絡会の事務局長をされておられます。昭和小校区市民防災プロジェクト副会長でもあり、自宅のあるサーパス知寄町1自主防災会副会長でもあります。

 「坂本茂雄県政かわら版」は、坂本茂雄氏自らが文章を書き、県政の課題や、視察した報告書を詳細に掲載されています。今回で42号です。今回は県議会の「南海地震対策再検討特別委員会」にて、2013年8月5日から7日に、気仙沼市、南三陸町、石巻市、石巻赤十字病院を訪問され、聞き取り調査をされました。その詳細な報告が掲載されています。
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「被災者支援の最も重要な窓口は基礎自治体でありながらも、被災自治体の首長・職員も被災者であり、またこれほどの復旧・復興に臨むのは初めての経験でもあり全国の人的支援を集中することで、あらゆる困難を克服することも改めて確認されました。」(復興過程で見える課題)

 理屈はそうであっても2020年の東京五輪が東京だけの「経済効果」に終わってはならじ、被災者復興の「足を引っ張る」ようなことにならないようにお願いしたいものです。
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 国が復興に関与することで復興に加速度がついているかと言えばさにあらず。足を引っ張る事例が多いようです。

「例えば、ある自治体が被災した図書館を再建しようとした時、被災前とは異なる場所に再建しようとすると、復興予算の対象とはならないそうだ。

 あれほどの大災害に見舞われ、地域のありようや人々の住まい方が以前とはまるで違ったものになるのに、図書館の再建は元あった場所に限るなどと制約を加えることにどんな意味があるのか。(中略)制度の壁についても共通していることが、聞き取り調査で明らかになりました。」(復興事業支援の壁)
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 坂本茂雄さんは、東北の被災地の復興の在り方を踏まえ「事前復興の課題も南海トラフ地震対策の重要課題としての取り組みに位置づけていきたい」と言われています。

 ぜひ高知市下知地域でも報告会を開催いただきたいと思います。新聞報道やテレビ報道だけでは被災地の現状はわかりません。同じ低地に住む住民の視点で視察に行かれた問題意識こそ共有しないといけません。

 詳細なご報告ありがとうございました。

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2013.09.22

88回目の献血に行きました

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 おびさんマルシェの帰りに今年最後の献血に行きました。今回で通算88回目になりました。次回は来年の3月4日以降です。加齢とともに献血が難しくなるようですね。看護士さんは「70歳のお誕生日の前日まで献血できますから頑張ってくださいね。」と励まされました。
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 今日は献血しますとアイスクリームもなかをいただきました。
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 目標とする100回献血まであと12回。年間3回(400ML献血では)ですから、最低4年はかかります。それまで病気も怪我もできません。とにかく服薬するようになれば献血は原則出来ないようですので。

 70歳までですと、足掛け10年健康であれば、年3回ベースであと30回。トータル118回がわたしの献血の最高値であるようです。

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おびさんマルシェへ行きました。

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 雨で1週間順延したおびさんマルシェへ行きました。9年ほど前からおびさんロードで開催されています。センスの良い、手作り作品のお店(自作品展示)が並んでいます。
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 今日は徳島県三好市池田町から武川修士さんが来訪され、主催者の大西みちるさんのお店ファースト前でお会いし、3人でしばし懇談しました。おびさんマルシェとうたずマルシェ(三好市)との交流の話も出ていました。次回のうたづマルシェは11月23日(土曜日)だそうです。
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 武川さんからは「三好市の高台で、高知市との低地の人達との交流を望んでいる人たちがいます。お話しすると理解がありました。来春から下知地域と交流があればいいですね。」とも。下知減災連絡会有志で取り組んで行きたいと思いました。

 話しに夢中になって「両巨頭」の写真撮影を忘れてしまいました。今日もセンスの良いお店が軒を連ねていました。

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父も元気にゴルフ練習しました。

 朝は父(94歳)はゴルフ練習へ行きました。意外に暑かったですね。

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スマホを捨てて 自然と戯れよう!!

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 一昨日はアップルの新型スマホの発売日とかで、何日も前からマニアの連中が行列していました。私はおっさんでスマホのことは皆目わからんから魅力はわかりません。

 父(94歳)の愛読書の週刊現代。ここへ作家で作詞家の伊集院静という人が「スマホの中には何がある」(「それがどうした 男たちの流儀 連載188回 P70)にありました。

 伊集院氏は乗り物に乗ると,車窓を流れる風景が好きで見るのが楽しいといいます。

「移動する乗り物で思考をすると、脳の働きがすこぶるいいと言う人が多い。
 旅はさまざまなものを人間に与えるが、旅は同時に、自分とは何か、を考える機会にもなる。若いときにはそれは顕著である。

 誰1人知らぬ、言葉もわからぬ土地で、孤独を感じればまず自分っていったい何なんだ、と思わざるを得ない。日本にいて家族、友人と過ごしていれば、そんな機会にはなかなかめぐり逢わない。だから旅にでなさい。

 世界と自分が対峙して、この世界を何なんだ?世界を見て戸惑っている自分って何なのだ?と考えることは、東洋哲学、西洋哲学の基本的な命題である。

 この思考が今、現代人に欠落している最大のものであり、金があれば何でも手にいる、情報を引き出さばすぐに答えを教えてくれる、という愚考、愚行に身を置くのである。」

 となかなか格調高い文章ではないか。確かこの人、女優故夏目雅子さんのご主人であり、漫画家西原理恵子の麻雀友達ではなかったか?浮ついた印象の印象をもっていましたが、なかなかどうして正論をきちんとした文章で書いています。感心しました。

 こうも言われています。

「車窓を少し開ければ風も行って来る。風は季節、時間の流れを教えてくれるし、五感を鍛える。だから私は窓の開かない高層ビルに暮らしている人は人間の暮らしをしていないと考える。四六時中、そこで育った子供は情緒を身体に育むことが難しいと思う。そういうビルで働いている者もしかりだ。」

 確かにそれは言えますね、わたしが28年前に始めた下手の横好きのセーリングを辞められないのは、海の上の大自然は、陸では絶対に味わえない感覚があり、癒されるからですね。
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 下手でも人より早く帆走できなくても関係ない。夏でも秋でも春でも真冬でも海へ出ます。同じ海面はありません。その都度刺激を受けます。自分が新しくなる感じがします。

 伊集院氏はよく電車を利用している。

「先日、乗車し席のむかいとこちらに7人ずつの乗客がいて、13人中(私を除いて)8人が携帯電話、スマホを真剣な目で見ていた。外は青空で少し暑いが綺麗な積乱雲が光っていた。そんなことを勿論、彼らは知ったこっちゃない。

 奇妙なことに彼等は皆同じ表情で同じ目の色をしていた。ごく普通の、日本の日常の風景であると大半の人は思うかもしれないが、わたしには奇妙に映った。」

「スマホのなかに何があるのか?
 データがあるだけでしかない。そのデータを或る種の答えと錯覚している人間が大半である。
 検索は、押す作業と引っ張って行かれる作業をしているだけのことで、到達点と思われるところにあるのは答えではなく、状況もしくは今のところ、これですと伝えているだけだ。
 これを若者、子供がやると、それが正解などと思ってしまう、無知とはたいしたものなのである。」

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「仕事にとって1番大切な情熱,誇り、個性がパソコンの中に隠れているはずがない。
世界を変える素晴らしいアイデア、そして誇りを発見し修正できる能力はすべて、人間の本能に近い部分への刺激から誕生する。」と伊集院氏は言い切っています。

 久しぶりに面白いエッセイを読みました。確かにそう思いますね。
 
 高知には新幹線もリニアも未来永劫来ないし、年間5000人ずつ人口が減少している県。でも強がりを言えば山も川も海も身近にある。それほど所得が高くなくても満足度の高い生活は出来ますね。

 人それぞれであると思います。五感を鍛えるのは自然の中ですね。それは間違いありません。

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2013.09.21

夜須の海へ来ました

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 遠い海上の台風10号は超大型。先週の18号はまじかに来ていましたがセーリングできました。「波も高いし、悪天候の予報が。」世間様は3連休らしいですが、月曜日は仕事です。今日しかないから来ました。
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 今日は大潮で干潮が午後2時半ごろ。午前中なら乗れると思い張り切っていましたが、なんと車のバッテリーが上がっていました。ならば軽トラでと思いきや今度はセルモーターの故障。車屋さんに無理言って、新しいバッテリーを急遽付けていただきました。1時間半のロスタイム。結局ハーバーへ到着したら10時過ぎに。
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 天気図ですと厳しい。高波で乗れなければ海を眺めてウオーキングでもしようと想いやってきました。意外に波がありません。これならセーリングできると思い急遽ぎそうしました。
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 ビーチでは高松子供会のシーカヤック体験があるらしく、大勢の子供たちが待機しているようです。波が意外にないと言いましてもないわけでもないし、結構風も吹いています。

 海へ出ましたが、先週折れたティラー・エクステンションの取り付けの仕方が間違っているようで、海の上で外れます。うねりの中でなんかと正しいやり方を会得し、スタンバイ。
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 先週に続いてセーリングを楽しみました。でも意外に風が強く、小さなピッチの波が連続で来るので写真はあまり海上では撮れませんでした。
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 2時間程度のセーリングが出来ました。昼ごはんはいつもの訪でおむすびと卵焼きとお茶です。
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 押岡さんや井上さんもセーリングをされました。
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 国体用のセールだそうです。

 海を見ていますと引き潮になると波が高くなっています。パドル・サーファーも出て来ました。今日はスタートからトラブル続きでしたので、2時間のセーリングで終わりました。トレーラーの手入れや、カバーの補修などをしました。
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 体もシャワーが使用できないので、ハーバーの水道水で体を洗いましたが、もしろ気持ちが良いぐらいでした。
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 片付けが終わる頃に高松子ど会がシーカヤックで戻って来ました。YASU海の駅クラブのシーカヤックがほとんど出払っていました。なかなか壮観でした。
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 台風19号は超大型でしたが、九州の陰になったのか高波は立ちませんでした。お蔭でリフレッシュしました。

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「地名に隠された 南海津波」を讀んで

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 「地名に隠された 南海津波」(谷川彰英・著・講談社・2013年刊)を購入して読みました。筆者の谷川彰英氏は学窓時代は柳田国男の研究をし、退官後は地名を研究するために全国各地を歩いて回ったそうです。

 谷川氏は「地名に潜む先人のメッセージ」という表題で、柳田国男の「地名の研究」(1936年)を引用されています。

「億を超えるかと思うこの我々の地名は、いかに微小なものでも1つ1つ、人間の意思に成らぬものはない。始めてこれを命名した者の判断と批評がその群の大部分によって是認され、遵奉(じゅんぽう)されたという事実だけは立証している。

 そうしてその中には前に例示する如く、50年前のものもあればまた千年来のものもあり、さらにその中間の各段階を代表しているものもあるのである。いわゆる人と天然との交渉をこれ以上綿密に、記録しているのは他にはないのである。

 これを利用せずに郷土の過去を説こうとする人が、今でも多いということは私には何とも合点が行かない。」(柳田国男「地名の研究」(1936年)

 「柳田は地名を「人と天然との交渉」の記録として位置づけているが、そのことは、日本列島の津波常襲地域を歩いてみて実感するところである。都市部において、地名は改変に改変を重ねて、もはや見るべきものはないといった状態に陥っている都市もある。

 しかし、旧漁村地域になっている津波常襲地域には、幸いにも古来の地名がしっかり残されている。古来の地名が残っていることは誇りに思っていい事実である。

 だから私たちはその地名から、土地の歴史がわかり、古来先人たちが自然災害にどのように苦闘して来たのかも、垣間見ることができるのである。」(P27)

 都市部では行政側の都合で町名が変更され、地名の由来がわからなくなっていますね。それが危機意識を市民各位が持たない原因の1つなのかもしれませせんね。

 谷川氏は「浦、津、川、浜」が地名につく地域は津波に襲われる地域であると言います。

 津は水のうるおす所で、浅瀬の」船着場、渡し場でかつてあったことに由来していると言います。特に船着き場や」渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成されたところ。港町だそうです。

「この半年あまり、東北の被災地と南海トラフ沿岸地区を実は数千キロにわたって歩いてみた。その結果わかったことは、一撃にして津波にやられたのはこのような「津」と呼ばれる地域である。

 そしてさらに気が付いたのはそこには必ず「川」があり、その津を取り囲んでいるのは「浦」という地形であることだった。」

「東日本大震災で津波に襲われた所を検証してみよう。例えば岩手県の宮古市、ここには宮古湾という浦の奥の手があり、そこには「閉伊川」という川が流れ込んでいる。

 大槌町も同じで、大槌湾の奥の津に大槌川が流れ込んでいる。釜石には「甲子川」が、大船渡には、「盛川」が流れ込み、気仙沼には、「大川」が、石巻には旧北上川が流れ込んでいる。

 重要な点は、奥まった湾(浦)の奥に「津」があり、さらにそこに流れ込んでくる川を遡上して大きな被害を与えていることである。
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 高知市の記述もあります。

「実はこの「高知」も水にちなんだ地名である。「高知」が「知が高いと読んだら大間違いで、実は「川」にちなんだ地名である。周知のように家康の命によって土佐に入った山内一豊は大高坂山城に築城した。

 現在でもそうだが、この城は2つの川の間に丘の上につくられた。その意味で当初「河中山(こうちやま)」と名付けたが、水害にくるしめられるとのことで、「河中」の文字を嫌い、「高智山」となり、さらに「高知」に転訛したとされている。」(P96)

 高知は低地で地盤が弱いのは当たり前。今の市街地の多くは山内時代に干拓してつくられた農地の上に形成されているからですね。
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 大阪もキタの梅田も,ミナミの難波付近も低地。丘陵は大阪城と天王寺あたりが半島のように突き出しています。維新の会の橋下徹大阪市長が「大阪都」構想をぶち上げていますが、災害のない場所に都市形成をしないと一切がアウトになる低地に都市形成をしていますから。

 筆者は「南海トラフ津波はそう遠くない時期に必ず来る。自然災害をたやすく克服できるとは思わないことだ。自然への恐れと人間への信頼があれば、被害は最小限に食い止められるはずである。」(P178)と言っています。

 高知市の0メートル地帯に住むものとして、覚悟を決め、なんとか南海トラフ巨大地震をやり過ごし、生きのびないといけないです。命も家族の絆も、地域のつながりも、生活の糧である職場も守り抜かないといけないと切に思います。
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2013.09.20

残暑厳しいはりまや橋サロン

 朝晩は涼しい高知市ですが昼間は夏同様に暑いです。先週はお休みでしたので、母(87歳)は。2週間ぶりの活き活き100歳体操(介護予防体操)へ来ました。

 叔母(80歳)も体調不良とかで事前に電話があり欠席。そんなことで参加者は4人とやや少なめでした。
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 ブランクがあり心配でしたので、体操の様子を眺めていました。前回は出来なかった、」椅子の後ろへ立ってのスクワットも母は出来るようになっていました。随分回復しました。
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 尿失禁もなく無事終了。体操が終わりすぐに帰りましたが、母は足がよろけて倒れこんでしまいました。少し心配しましたが、やはり筋力が弱っていたので、急にやったので足に疲れが来たのでしょう。良い兆しであると思います。

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日本の原発は震源地の上にすべて立地・危険です。・

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 あらためでこの画像を眺めますと、世界の原発と日本に立地する原発の違いは一目瞭然。アメリカ東部、中国、韓国、インド、ロシアヨーロッパの原子力発電所は地震のない地域に立地しています。

 日本とアメリカ西海岸の原発は、大陸プレート境界の地震域にすべて立地、過去には大地震が起きている地域です。

 2011年8月1日に高知市で開催されました「自然エネルギーへの転換を考えるつどい」(主催日本共産党高知県委員会)を聴講したときに、この画像はいただきました。

 講師は吉井英勝参議院議員(共産党)でした。確か吉井議員は、2007年頃参議院の質問戦のなかで、新潟中越沖地震の教訓から「福島第1原子力発電所は大津波が来るので危険である。ただちに対策をすべきである。」と言われていました。答弁したのは記憶に間違いなければ当時の安倍首相。「大津波が来るというのは歴史的な知見はなく安全である。」と言っていたような記憶があります。

 吉井英勝氏は、京都大学工学部原子核工学科卒。現職国会議員では、原子力工学への知見のある数少ない人です。「地域地域の自然再生エネルギーの取り組みをどんどん推進して原発に頼らない生活を各地域でしましょう。」と呼びかけられました。主旨には私も大賛成です。

 自然エネルギーへの転換を考えるつどい(2011年8月1日)

 「原発抜き・地域再生の温暖化対策へ」を読んで

 

 ただ問題なのは 国会で吉井英勝氏がきちんと日本での原発立地や稼動の危険性をいくら指摘しても、国策で原発を推進していますので、政府与党は聞き入れません。原発立地の自治体は国から「迷惑料」として莫大な原発関連交付金が手厚く交付されるので、原発依存経済となり脱却できません。原発立地自治体ではほとんど原発推進首長や議員が当選してしまいます。脱原発は依然として少数派なのです。

 しかし原発推進の経済が大自然の猛威で破壊され、今尚15万人の福島原発災害により避難されておられる人たちがいます。日本の原発が地震帯の上に立地している以上、いつまた大地震が起きるかわかりません。

 日本は地震大国です。この地図を見てもわかりますように、日本の陸地面積は、400分の1です。でもM8以上の巨大地震は全世界の2割が日本で発生しています。地震・火山エネルギー排出量は全世界の1割が日本です。
 
 東京五輪のプレゼンテーションで安倍晋三首相は「原発汚染水問題は国の全責任で解決する」と国際公約されました。東京五輪が開催される2020年前に福島原発の安全な事故処理対策のめどを立てないといけません。僅か時間は7年しかありません。
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 東京五輪の経済波及効果のみに「浮かれている」場合ではありません。「世界の地震の震源分布と原発立地」を冷静沈着に眺めて見てください。答えは自ずから出てくると思います。

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2013.09.19

井上正雄さんの宅配野菜

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 昨晩有機栽培農家の井上正雄さんの宅配野菜が届きました。毎週水曜日の夜宅配していただいています。1コンテナーで1000円。何が入っているのかはお楽しみです。

 今回はニラ、玉ねぎ、キュウリ、ナス,オクラ、米(コシヒカリ)が入っていました。昨晩はこの1週間母が夜に起きては尿失禁を繰り返すので、家内と2人睡眠不足で早めに寝付いてしまいました。それで朝確認しました。

 井上正雄さんは、30数年前から有機無農薬栽培を始められました。それまでは農協青年部や経済連にも加盟した農家で、農協に勧められるまま農薬を使い放題で栽培していたそうです。体を悪くして入院。そこで有吉佐和子の「複合汚染」を読み、有機農業を試みたそうです。

 「有機で無農薬栽培は農薬栽培の労力は倍かかり、収穫量は3割少ない。なかなか大変。今年はわしが4月に交通事故で入院していたんで、家内や家族に負担を強いた。それに日照りで野菜の出来が悪い、」とのことでした。

 うちのプランター栽培のゴーヤさんでも今年は不作でした。路地野菜が不作であることは理解できます。スーパーでも今時野菜の高いこと。貴重な有機野菜ありがとうございました。井上正雄さんとのお付き合いは25年になりますが、お蔭様で家族一同健康を維持しています。

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またすすむ東京1極集中 新幹線もない四国の田舎者の嘆き

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 9月18日の高知新聞1面記事。東京名古屋を40分で結ぶリニア中央新幹線計画が公表されました。今でも1時間4分程度で新幹線は運行しています。それほど速く運行する必要性はどこにあるのでしょうか?

 最近北海道新幹線も着工の動きがあるようですね。これで新幹線がないのは、四国と沖縄だけになりますね。四国の高知は電化もされておらず単線のディーゼルカーですよ。山が多く人口も四国は少ないので、未来永劫に新幹線とは無縁でしょう。

 高知の田舎の新聞社が1面記事にしても、わが高知には無関係な空しいこと。これでますます東京1極集中が進行しますね。

 今後30年以内に80%の確率で起きるという南海トラフ巨大地震や、首都圏直下型地震。東京にだけ1極集中すること自体が「危険」であると思います。

 昔交通標語に「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く?」というのがありました。リニア中央新幹線はまさにそのこと。新幹線に無縁な田舎者のひがみを言わしていただきたい。

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2013.09.18

東京五輪は無事開催できるのだろうか?


 私の勝手な予想に反して、2020年の五輪は東京で開催されることになりました。
東京の巨大で精神的な都市機能と宿泊地と競技場が半径8キロ以内に収まる「コンパクト五輪」がセールス・ポイントであったようです。
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 開催地決定直後の五輪関係者の「異様な」はしゃぎぶりを見て、わたしは強い違和感を覚えました。
2020年の東京五輪の開催予定地は、東京湾沿岸地区、海抜0メートル地域に集中しています。液状化しやすい地域です。

 近くに起きるかもしれない首都圏地震への対策も同時にしないといけないと思います。上の画像は週刊現代のイラストですが、現実化する可能性はあると思います。

 それと福島第1原子力発電所の事故処理と安全な終息作業をきちんとやらないと、日本は国際的信用を一気に失います。それを最優先課題として、政府は取り組むべきです。福島原発は安全な状態ではなく、毎日日にち大量の放射性物質を大気中や地下に、海洋に放出している状態なのですから。
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2013.09.17

秘密保全法制には反対します


秘密保全法制とは、国にとって特に重要な情報を「特別秘密」に指定し、それを取り扱う人を調査・管理し、それを外部に知らせたり、外部から知ろうとしたりする人などを処罰することによって、「特別秘密」を守ろうとするものです。(日弁連HPより)

いったい誰が国にとって重要な情報と指定できるのか?それは誰なのか?それは乱用され、国民の知る権利、言論の自由の規制につながるのではないのか?そういう懸念は払しょくされません。


なぜ不信感があると言いますと、「 秘密保全法制」に関する国民的議論が熟成されておらず、政府与党が国会の多数を背景に強引に成立させようとの動きもあるからです。


新たに法律を制定する場合には、既成の法律ではなぜだめなのか。また憲法の精神に沿っているのかが問われるはずです。

しかし安倍晋三首相はことあるごとに、日本国憲法の改正、9条第2項の廃棄、集団的自衛権行使を公言しています。その改憲の動きと「 秘密保全法制」がセットではないのかという疑念があるからどうも信用できません。


軍事国家をこしらえるためには、戦前日本にあった特高警察のような仕組「組織」をセットで復活編成するのではないかと思います。


再び日本を軍事国家にしようという連中が政権を担えば、必ず「異論」を排除し、強権的な支配体制をこしらえるはず。特高警察が復活するのではないかと私は思います。


凄惨な拷問で、作家の小林多喜二氏や、高知在住の詩人槇村浩が殺害されました。日本国内では特高警察により、拷問で80人、獄中死114人、拷問が原因での獄中死が1504人と言われています。

それは戦前の「治安維持法」を遂行するために、「何をやっても許される」「国体護持のためには不逞の輩はどのような取り調べ方法も許容されるという暗黙の意識があった。


「治安維持法改悪により最高刑が死刑に引き上げられたこと、「天皇の警察官」意識が唱道されたことも、拷問違法性への認識を薄くさせ、国民を沈黙・抑圧し、日本国を破滅へ導きました。「異論」を排除する体制は必ず、個人の言論の自由や人権を抑圧してきます。


わたしは秘密保全法制には反対します。異論を認めない体制は、国が亡びる道であるからです。

「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見募集について 内閣官房内閣情報調査室

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060130903

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「腰抜け愛国談義」を読んで

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 「腰抜け愛国談義」(半藤一利・宮崎駿・文芸春秋社2013年刊)を読みました。家内がアマゾンでご贔屓の韓流ロックバンドCNBLUEのDVDを購入するついでに買ったそうですので。

 ジブリの2013年のアニメ作品「風たちぬ」を鑑賞することもあり、読んでみました。半藤一利氏は「日本の1番長い日」などで知られる作家。今回の対談は宮崎駿氏の希望で実現したらしい。

 夏目漱石の話題で対談は始まりました。漱石は洒落のある人でしたが、機嫌の悪いところも多く狂気の人であった。半藤一利氏は漱石の孫娘が奥様。

 「坊ちゃん」と言う小説は短期間で一気に書かれたもの。それは夏目漱石が東大の教官時代に入学試験の試験委員に教授会により選ばれました。漱石は「おれは多忙だからお断りする」と言ったので大騒ぎになりました。結局悶着を起こして東大を辞めることになりますが、坊ちゃんの登場人物の赤シャツなどは東大の教授がモデルだと半藤氏は言います。

半藤「いずれにしても日本が、この先世界史の主役にたつことはないいんですよ。」

宮崎「ないですね。ないと思います。」

半藤「また、そんな気を起こしちゃならんのです。日本は脇役でいいんです。小国主義でいいんです。そう言うと,世には強い人がたくさんいましてね、そういう情けないことを言うなと、私、怒られちゃうんですから。」

宮崎「ぼくは情けないほうが、勇ましくないほうがいいと思いますよ。」

半藤「腰抜けの愛国論というものだってあるのだ。」と声だけはちょっとおおきくして言い返すのですがね。(笑)、へっぴり腰で。

宮崎 ええ、ほんとうにそう思います。いいですね、腰抜け愛国論か・・・。(P77)

 「風立ちぬ」の場面で、汽車を降りて堀越二郎と、菜穂子たちが上野の山に避難する場面があります。半藤氏の母親が実際に2日間避難していたようです。「いずれにしても、関東大震災(1923年)のあの燦燦たる日本から映画を始めたのは、昭和の入り方としては」なかなかいいぞ、と思いました。(半藤一利 P111)

 堀越二郎と本庄がドイツのユンカース社へ技術研修に留学しますが、酷い扱いは事実だったようです。当時(昭和4年・5年頃)のドイツは反日的で、日露戦争時や一次大戦では日本と敵対、中国を支援していました。半藤氏はよく描かれていたと言います。

 宮崎駿氏は、ゼロ戦は曲線が難しく、だれが描いても武骨になり、本物らしく描けない。だから映画の最後のほうで15機がまとまって飛んでいく場面になったと言われました。諸外国からは量産化に向いていない軍用機で、日本は1万機もよくぞ量産したものだと逆に関心されていたそうです。

半藤「…中略
    結局「持たざる国」日本は国力のみならず先見性もなかったんですね。映画の中で、ゼロ戦を牛車で運ぶ場面がありましたね。名古屋の向上から各務原の飛行場まで丸1日かかった。というのは有名なエピソードですが、トラックでの輸送もそのための舗装道路も、最後まで実現できなかった。非常に象徴的なシーンです。」

宮崎「でも堀越さんは著書で、牛車で運ぶのも、当時の道路事情から考えると合理性があった、と書いていますね。それほどたくさん製造していないから、ゆっくり運んでもいいのだと弁護している。きっと牛が好きだったんでしょう(笑)」

半藤「映画の中で、ドイツから爆撃機のライセンス生産権を買い取るお金で、どれだけの国民が飢えをいやせるか、というセリフがあります。たしかに貧乏国家に不釣り合いなほどの強大な軍事力を持とうと無理をしました。」(P241)

 一読して、大正末期の関東大震災が昭和の幕開けとなり、国力を無視した法外にお金のかかる軍用機の製造に明け暮れた日本社会の現実。堀越二郎氏は画期的な軍用機を開発した技術者。開発をめぐる周囲の人たちや社会を描くことにより、昭和初期の日本社会の現実が描かれていました。

 安倍内閣の閣僚に「戦前回帰」の傾向があり、あたかも戦前社会(昭和初期の時代)を理想とする言辞を言う人たちがおられます。
 最新鋭の開発軍用機を牛車が引っ張っていくような国が、身の程知らずで、全世界を相手に無謀な世界大戦を引き起こし、無残に敗戦した現実を歴史から学ばないといけませんね。

 「腰抜け愛国談義」は、ジブリ映画「風立ちぬ」とセットになってますね。両方読んで、見ると時代背景や社会がよくわかりました。

 この映画は各種の国際映画祭にまたもノミネートされているようです。結果はどうなるのか不明ですが、またもや宮崎駿氏が「巨匠」として持ち上げられることに、同じ業界人の押井守氏は心配しておられました。あるメディアで読みました。

「(宮崎さんは)めちゃくちゃな人だからさ。そのめちゃくちゃなところがあの人のいいところで、寄ってたかって人格者とか巨匠にするなという話なんだよね。
1回だからすごいスキャンダルでも起こっちゃえばいいなと思ってるんだけど。そうするとかなり自由になると思う。」と。次は宮崎駿氏のスキャンダルでも出れば確かに面白い。

 彼が「再生」されるには、案外押井守氏の指摘は当たっているのかもしれませんね。

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2013.09.16

今日は敬老の日であるとか


 今日は敬老の日。高齢者の定義である65歳以上が3186万人で総人口の25%になりました。70歳以上が2317万人、75歳以上が1560万人、80歳以上が930万人だそうです。

 90歳以上が100万人を超え  100歳以上が5・4万人とか。現在は「4人に1人」の65歳以上の高齢者が、2035年には「3人に1人になる」と言われています。

 気持ちは若いつもりでも、身体機能は徐々に高齢者は衰えてきます。我が家は94歳の父は慢性腎不全。87歳の母は軽い認知症です。猛暑以来パンツ式のおむつを付けています。現在は2本足直立歩行をしていますが、なんせ2人とも85歳以上の超高齢者ですので、いつどうなるかわかりません。

 

 今日は介護予防リハビリの日(ジョイ・リハ)です。少しでも長く健康寿命を維持していただくために、両親には頑張っていただきます。昼食は私がこしらえ、母にはうるさく言って完食させました。家内とチェンジし母の着替えを済ませました。
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 母も8月に比べると元気にはなりましたが道半ばです。化粧もしないので大婆さんですね。身なりを構わくなれば認知も進行しますので、うるさく身なりを構うように言っています。
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 父は身体的な調子は良いようです。猛暑で散歩を控えたので「足が弱くなった」と嘆いています。「物が言えん!」と大声で悔しがっています。5年前の脳血管障害の後遺症で失語症になり、言葉を喋ることが不自由なのがもどかしいのでしょう。2人とも元気で行きました。

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思うのはこうした介護施設は、地域のコミュニティのなかにあるべきではないかと思います。現在の介護施設は地域外から要介護者を車で連れてきて施設の運営が成り立っています。たかだか100メートル程度の自宅前の道路でも7人の要介護者がいましたが、すべて異なる介護施設へ送迎されていきました。昼間は地域には高齢者が少ない状態です。

 地域コミュニティ(二葉町)のなかに高齢者施設があれば、地域と一体となった介護支援が出来ます。地域防災活動にも役立ちます。そうありたいと願っています。もしわたしが長者になることが出来れば、真っ先に自分の住んでいる地域に高齢者コミュニティ・センターをこしらえます。

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品川正治さんのご冥福をお祈りします

 品川 正治(しながわ まさじ)1924年7月26日生まれ - 2013年8月29日ご逝去)さんは、元・日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)会長で、経済同友会終身幹事でした。2013年8月29日にご逝去されました。御冥福をお祈りします。

 2006年10月に当時在籍していた市民グループで品川正治さんを高知市に招へいし、講演会を開催しました。その様子を記録にし、個人のホームページにもアップしました。また講演内容はインターネット・ラジオにもしましたのでご参考ください。
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 財界人でありながら自らの戦争体験から「日本は二度と戦争をしてはならなない」「憲法9条を変えてはいけない」と財界の中では少数派でしたが良心を貫いた人でした。


 品川正治さん講演会について

 やはり戦前の東京帝大卒の人は教養があり、知的水準も高く、しっかりした経営理念や哲学をもたれていることを改めて感じました。

「憲法改正のための国民投票があります。そこで国民が改正にNO!と突きつけますと今の政府は崩壊します。世界に対しての大きなメッセージになります。これは世界史的に重要な出来事になるでしょう。」


 平和憲法を守ることを「ライフワーク」にされている品川正治さん。多くの講演会参加者と私達スタッフに大きな感動と、使命を与えていただきました。

 講演会終了後葉牡丹で懇親会をしましたが、お酒は強く、最後までにこにこしていた立派な紳士でした。御冥福をお祈り申し上げます。
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 品川正治さん講演会関係記事 

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2013.09.15

アクセス数が100万をようやく超えました。

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 2004年1月1日に開設したこの個人ブログ。ようやく9年と8か月で100万アクセスとなりました。結構時間がかかりました。人気ブログを目指さず、読書に媚を売らず、ひたすらわがままに、いろんな分野の事象に対して「吠えて」来ただけです。文章を書くことは自分を対象化する作業であり、悪いことはなにもありませんでした。

ブログが田舎でも一時期注目された時期には「ブログ中高年の星」とか「ブログの鬼」とか言われていました。それも昔です。

 1日平均376アクセス程度。大した数ではありません。人気ブログではありません。最近は多くの人たちがフェイスブックもしているので、ブログの注目度は低くはなったことでしょう。でもブログがいいのは、記録性ですね。

 フェイスブックは速報性はあります。でも昔の投稿を探し出すのはとても面倒。その点ブログは「カテゴリー別」に投稿文が時系列に整理されて保存されているので、振り返ることが簡単。ブログを辞めるわけにいかない理由です。

 注目されようが、されまいが関係ありません。

これからも原則毎日更新していく予定です。

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父も絶好調のようです

 台風18号の余波の影響がある高知市。進行方向の東側ではないため吹き返しの風と雨が降る1日でしょう。

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 父(94歳)のリハビリのためのゴルフ練習に来ました。入念に自己流の準備体操をして球を打ちます。

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一時的に強い雨が降った影響なのか、シルバー打席は一時的に父だけの時期がありました。
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 風も涼しくなりました。父も夏の疲れがとれたようでした。

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黄昏のゴーヤさん

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 今年のゴーヤさんは大不作。暑さでやられたのでしょう。グリーンカーテンはとうとう完成せず、実もほとんどなりませんでした。今日は台風18号の雨模様なので、撤去はできません。
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 来週あたりに撤去作業をします。ゴーヤさんが撤去されますと夏は終わりですね。
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沢田研二さんの反原発ソング

 アーティストの沢田研二さんが、反原発ソングを歌っていました。動画サイトで発見しました。

 歌詞もなかなか辛辣です。

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2013.09.14

1か月ぶりの夜須の海。

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早朝から天気図を確認。台風18号の影響で波は来るでしょう。でも東方面なので、夜須のハーバーは手結岬で波がブロックされるから出艇は可能といいほうに解釈して行くことにしました。

 前回自分のヨットでセーリングをしたのは8月19日でした。ほぼ1か月ぶり。台風18号の影響で波が出始め、サーファーも出没しています。まあなんとか乗れると思います。
 8月はなにかとせわしく、調子もおかしくなったので海で癒されたいのです。
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ハーバーへ到着し海を見ましたが、ほとんど波はありません。やはり東から台風が来ているので、高知には影響がなかったようです。

 9月の半ばとも思えない暑さ。ぎ装(ヨットの組み立て)しているうちに滝のような汗が流れます。
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今日は高知大学ヨット部も香南ジュニア・ヨットクラブもお休みのようです。アクセス・ディンギーがハーバーに出ておりました。B&G海洋クラブの子供たちがセーリングするようです。
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 海へ出ました。いつもより波がない状態。風も弱めでしたが波がないので、海の散帆(さんぽ)には最適、赤岡沖までセーリングしました。
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 暑いので保冷箱には冷たい飲み物を入れています。
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 そこから、まったりと帆走してヤッシー・パークへ入りました。暑いけれども海水浴場は終わっていますので、ビーチには人は見かけませんね。
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 B&G海洋クラブの子供たちが帆走練習をしていました。アクセス・ディンギーは安定性が良く、沈(転覆)はしませんが、衝突することもあるので、指導は細心の注意でされていました。
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 一度ハーバーに上がり、お昼は訪のおむすびと卵焼きを食べました。
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 久しぶりでしたので午後からも出ました。しかし好事魔多しです。少し風が上がってきたので、沖で思い切りジャイブ(風下に方向転換)したら、ティラー・エクステンションが外れてしまいました。無念のリタイヤです。

 ハーバーに上がって、ヨットを洗い、急遽YASU海の駅クラブで備品を購入しました。不器用なので舵の修理に手間取っていましたら、シニアヨットクラブの楠瀬さんが手伝ってくれました。機械ドライバーなどを使用し、舵の修理は出来ました。お蔭で次回からもセーリングできます。

 そんなことで朝の9時前から5時過ぎまでハーバーにいました。1日海で遊びました。夏の疲れが癒されました。最高の気分です。

 1日海で遊びました。体重は昨日より1キロ減っていました。体脂肪率は2%減りました。体年齢も45歳に若返りました。週に3回海でセーリングしておれば、30歳代の体も夢ではありませんね。そういう生活をしたいものです。老人と海の世界です。

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父は猛暑を乗り切りました!

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 9月13日は植田医院での父(94歳)の診察と点滴の日でした。植田一穂先生から嬉しい報告を聞きました。

「血液検査でクレアチリン値が最近では最低の1.74になりました。尿素窒素もカリウムも申し分ありません。よくぞ回復されました。年齢を考えたら奇跡です。今までのうちの患者さんではいませんでした。

 やはりターニングポイントは、高知医療センターの土山先生のところで利尿治療したことですね。他の先生なら完全に透析になっていましたから。よくぞ持ち直されました。」と言われました。

 植田先生の指示は、食事の主食は減タンパク食。ご飯とお餅とパンと麺類は減タンパクの食材をヘルシー・ネットワークの通販で購入し,3食父に食べてもらっています。お酒もOKです。適度な運動も勧められましたので、週に2回のジョイリハ(介護予防通所リハビリ)と週に1度のゴルフ打ち放しの練習、毎日の体操と散歩が腎機能の衰えを防ぎ、むしろこの2年間で改善したのです。

2年前に父が医療センターから退院後、近くの県庁生協介護センターのケア・マネージャーの下村恵子さんと相談し、両親の介護申請をしました。判定は要介護度1でした。運動主体のデイサービスを選定していただき、通所するようになりました。

 脳血管障害も乗り切り、慢性腎不全も乗り切りました。脱水症状にこの猛暑でもならず、むしろ腎機能は向上したことに、父の生命力を感じ家族としては感動しています。

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2013.09.13

9月の二葉町資源・不燃物分別ステーション

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 9月13日(金)は高知市二葉町の資源・不燃物収集の日。毎月第2金曜日に朝6時から行われています。荒木副会長を中心に、当番の各班の班長さんたちが、仕分けを指示しています。
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 ビン類も透明や茶・黒・青の分別、段ボールも雑紙と段ボールに分けられています。「高知方式」の分別方式が維持されています。
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 こういうコミュニティの活動は実はとても大事です。この作業を行政任せにするととてもコストがかかります。市民がやれることはやることは大事です。また町内の人たち同士、顔見知りになるので良いことですね。

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日本は「災害大国」。災害を克服し五輪は東北で開催せよ。

 このところの大雨や関東での竜巻。日本は本当に災害大国です。3日お前には地震も東北・関東地方でありました。1週間前でしたか鹿児島県の桜島も噴火していました。

 死亡者を伴うM7クラスの地震は毎年どこかで起きています。M8クラスの巨大地震は10年に1度の頻度で起きています。2011年の東日本大震災は数百年に1度の超巨大地震。
 
 世界の陸地の400分の1の日本でありながら、地震や火山噴火のエネルギーはなんと10分の1を占めています。全世界のM8以上の巨大地震の2割以上が日本で起きています。

 年間降雨量は1714ミリで世界4位の国。梅雨前線(今回は秋雨前線)による豪雨が日本各地を襲いました。

 国土の7割が森林であり、高知県は84%が森林。地盤は脆弱で断層や構造線が無数にあり、活断層は2000以上あるらしいが、はっきりわかっているのは110にすぎません。土砂災害は年間1000件以上毎年発生しています。

 これほど災害の多い国も珍しい。それを克服して先進国の仲間入りをしたのですから、日本人の勤勉さや克己心は凄いものがあると思います。災害対策や復旧活動、消防や自衛隊の活躍など度重なる災害対応で、まさに世界1の水準になっていると思われます。

 罹災地で活動する地元住民も自治体も支援者も鍛えられています。このノウハウを国際貢献活動に最大限日本は活用すべきです。国際人助け支援活動を日本は世界に対してやるべきです。

 医師や消防、自衛隊や災害支援のノウハウを持っている人たちと災害支援物資を満載した救援船を建造し、国内や海外の大災害地にすぐ支援に駆けつける体制を早急にこしらえるべきです。「サンダーバード」のように国際的な災害支援活動ができれば最高です。

 ただせっかくのノウハウを活かせていないのが原子力災害の発生です。今回の大量の放射性物質を含んだ汚染水の海洋流出は日本の国際的な信用を著しく毀損しました。きちんとした対応ができないのに東京五輪を誘致し、原発を海外へ輸出しようとしているのは狂気の沙汰としか思えません。

 日本国上げて福島第1原発事故の速やかな安全な終息・廃炉作業と原発事故の罹災者への支援をやるべきです。五輪どころではないはずです。それを安全に収拾させたら、全国の原発の稼働停止と廃炉に向けた作業をしなければなりません。

 全世界の400分の1の陸地面積しかない日本ですが、全世界の地震・火山エネルギーの10分の1が日本にあるのです。地球のエネルギー資源の開発は簡単ではないでしょうが、その間国民は省エネに勤しみ、原子力発電に頼らない社会生活を再構築すべきでしょう。

 そうすれば日本は災害対策のノウハウで全世界に貢献し、全世界から支持される国になります。その時点で五輪を復興が行われた福島県を中心に開催すればいいのですから。

 IOC総会で東京五輪開催が決まりまして。決定したものは仕方がありませんが、福島の現状を見るとき「時期尚早」と思います。五輪関係者の異様なはしゃぎぶりには強い違和感を覚えたのは私だけではないと思います。

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2013.09.12

ジョイリハへ両親は行きました

 今週2度目のジョイリハ(介護予防通所リハビリ)に行きました。今日は残暑厳しいこと。正午過ぎの事務所の温度は31度で湿度は85%蒸し暑いです。
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 父(94歳)は「足が弱い」と嘆いていましたので、「足の筋力をつけるトレーニングを増やしてください」と施設側に依頼しました。超高齢者なのですぐに効果は出ないでしょうが、継続すれば効果は出るでしょう。
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 母(87歳)はひところから言えば元気になりました。夏の後遺症は大きく、まだ足腰が弱っています。なかなか高齢者は運動機能が回復しません。気長にすべきでしょう。
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  なんとか2人そろって行ってくれました。やれやれです。
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ネットでヘイトスピーチは辞めましょう。

 全く面識のない人からのメッセージ。「拡散希望」とありますので、掲載しました。言わんとするところはごもっともであると思いました。以下メッセージを掲載します。


はじめまして。高知県内在住のNと申します。
フリーメールアドレスでの唐突なメールをお許しください。
インターネット上での差別書き込み(差別憎悪扇動)が問題になっています。
下記サイト「高知BBS」に差別書き込み(差別憎悪扇動)が多くみられます。
差別用語を使っての賤称や部落差別書き込みや在日コリアンに対しての差別憎悪扇動も多く。

高知県民が多く利用する可能性にあるサイトだと思います。

 http://kochibbs.daa.jp/ (高知BBS)

「高知BBS」管理人及び「高知BBS」IP管理社には申入れ要請をしております。
高知県人権課・高知県教育委員会人権教育課・高知地方法務局人権擁護課には報告しています。
『高知BBS』サイトの差別書き込み(差別憎悪扇動)に抗議し対処されんことをお願いします。

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2013.09.11

母が1日ディ・サービスへ行きました。

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 この夏の猛暑に母(87歳)は完全にやられ、「ロコモティブシンドローム」(運動器症候群)になってしましました。毎日昼間も寝てばかりでしたので、足の筋力が細りあることもままならない、トイレが間に合わなくて尿失禁を繰り返すようになりました。

 ケアマネージャーの下村恵子さんと相談して水曜日に、まる1日タイプのディ・サービスをご紹介いただき今日は午前10時に送迎に来てくれるので待っています。

 昨年9月に北海道の叔母が来たとき、母も一緒に体験しましたが、完全に忘れています。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f3c2.html

 お昼とおやつを食べて、体操をして、他の入居者とおしゃべりして午後4時過ぎに戻って来ます。さてどうなるのか。今日は「お試し」体験。続いて行ってくれればいいなとは思います。

 お昼休みに少し様子を見に行きました。立派な家屋と庭がディ・サービスの施設です。
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鈴木啓介さんのご冥福をお祈りします

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(2013年3月葉牡丹前で。1番左が鈴木啓介さん。梅原さん。奥様。わたしです。)

昨夜(9月10日)の午後10時過ぎに、友人の梅原孝司さんから電話がありました。

「けんちゃんところへも来ていると思うが、一斉配信のメールがうちへも来ていた。
 9月6日に鈴木啓介さんはご逝去されたとのこと。8日に親族だけでご葬儀をし、荼毘にふされたそうだ。」

驚きました。昨夜は娘を夜行バスで勤務地へ戻るのでバス停へ家内と送り、そのまま寝付いていてメールには気が付きませんでした。

 鈴木さんご夫妻は、今年3月に高知へ来られました。その時は梅原夫妻を交え葉牡丹で懇親したものでした。2月に逝去されたコニヤンこと小西豊さんのことをお互い語り合いました。

 鈴木夫妻・梅原夫妻と葉牡丹へ行きました (ブログ記事)

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-f870.html

 その後奥様が脳梗塞で倒れ、入院され、奇跡的に回復され、退院されました。鈴木啓介さんは8月末から具合が悪いとブログやFBに書かれておられました。やはり鈴木啓佑さんも猛暑が堪えたのかなと思っていました。

 鈴木啓介さんは、室戸市の出身。土佐中高を経て東京教育大学へ進学。卒業後は東京で高校教諭として勤務されました。生活指導に力を入れ、社会的弱者への想いやり、差別と毅然と戦う熱い教員でした。

 私とは地域も学校関係も、職業でも接点がありませんでしたが、ある時お互いの個人ブログにコメントをしてからブログを通じての交流となり、2年前はコニヤン(小西豊さん)のお世話で実際にお会いすることも出来ました。

 3月はお元気であっただけに、信じられないです。急逝には驚くばかりです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 鈴木啓介さんの身内(たぶん奥様では)から一斉配信のメールが送信されてきました。

 鈴木啓介逝去のお知らせ

(このメールは鈴木啓介のアドレス帳に登録されたすべてのメールアドレスにbccでお送りいたします。重複送信等ございましたらご容赦ください。)

 2013年9月6日午後11時14分、鈴木啓介は肺癌のため永眠いたしました。72歳でした。
癌による呼吸困難のために8月31日に川越・赤心堂病院に入院し、呼吸改善のための処置を受けておりました。しかしながら日を追うごとに状況は悪化し、9月4日には苦痛軽減のためのモルヒネ投与が始まりました。
いったんは9月5日に癌研有明病院への転院が予定されたのですが、移送中の危険が大きすぎるとの判断で、断念せざるを得ませんでした。

 9月5日午後には妻倫子、娘陽子、息子紹平を前に2時間ほどの「最後の授業」を行いましたが、夜には呼吸困難に睡眠時無呼吸が加わり、いっそう苦しい時間をすごしました。
6日未明から何度か「おしまい」という一言を笑顔で繰り返しておりましたが、朝には意識がはっきりとして、午前8時半ごろ「今日が僕の最期の日かもしれない。もしそうなら教えてね」と言っておりました。

 午前10時半ごろから眠りにつき、その後は無呼吸状態も無く、連続した睡眠をとることができていたと思います。時折目を覚まして笑みを浮かべたり、主治医の山内先生に御礼を言いたげな様子も見せてはいましたが、結局その後は会話を交わすことが無いまま、最後は静かに息を引き取りました。

 本人の強い希望により、通夜・告別式等葬儀は一切執り行わず、近親者のみで9月9日に荼毘に付しました。斎場の係員の方に「めったに出会わないほど立派なお骨です」と褒めていただくほど、骨量が多く喉仏や頭蓋骨もしっかりと形をとどめた遺骨でした。

 現在は自宅にて安置しておりますが、後日これも本人の希望通り、故郷の室戸岬にございます墓所に埋葬する予定でおります。

 遺言により、香典・供物・供花等につきましてはご辞退申し上げます。大変失礼なことではございますが、生前の啓介をご存知の皆様には、ご理解いただけるものと思います。どうかご容赦ください。

なおブログ「川越だより」はこのまま皆様に閲覧していただける状態を保つ予定でおります。たまにアクセスしていただき、啓介の面影を偲んでいただければ幸いです。

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap

 最後になりますが、啓介が生前にいただきましたご厚情に深く感謝申し上げます。


2013年9月10日 遺族一同

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人間は動く動物である

  つくづく(人間は動く動物である)と思います。今年は猛暑。起床してからご飯とトイレ時以外はほとんど動かず、寝ていてばかりいた母(87歳)は、「運動不活発病」もしくは「廃用症候群」になってしましました。

 内臓的にはどこも悪くありません、すべては自分とわたしら家族の責任です。涼しくなったら少し体を動かし、散歩にも連れ出し歩くようにさせますから。

 このまま介護状態なんておかしいと思いますから。精一杯頑張ってみようと思います。

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2013.09.10

新聞赤抜き見出しで(2020年東京五輪」の見出し

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 9月9日が新聞休刊日で朝刊がありませんでした。それで地元紙の高知新聞夕刊1面は「赤べたに白抜き見出し」で、「2020年五輪 東京」とあります。ちょうどジョイリハ(介護予防通所リハビリ)から戻ってきた母(87歳)が見ています。
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 7年後と言いますと母は95歳ですね。元気であればテレビ観戦が出来ます。父は101歳になっています。

 気になるのは3面の特集画像。五輪会場や選手村が、東京湾沿岸の埋立地の海抜0メートル地帯で開催されることです。1923年の関東大震災から97年後の開催。耐震や液状化対策をきちんとしないと日本国の信用はガタ落ちになる。
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 中央防災会議も介入してアドバイスをしないとデザイン本位で建物をこしらえたら後々大変なことになります。地震対策、津波対策、液状化対策は万全にしないといけない。

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2013.09.09

ジョイリハへ行きました

 9月になって3回目のジョイ・リハ(介護予防リハビリ)の日。月曜日は週始めですが、せわしい。午前中は父(94歳)は植田医院での診察と点滴。父は「しんどいことはなくなったが足が弱くなった。」とのこと。
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 ジョイリハ側には、スクワット系の足を鍛える筋力トレーニングを多めにお願いしました。
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 母はだんだんと元気になってきました。元気になると今度は「この家は掃除をしないから汚い。」と早速荒さがしが始まります。運動機能が猛暑でべたべたと寝ていましたので衰えました。適度な筋トレや散歩などで運動機能が回復すれば、尿失禁なども改善してくると思います。
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父が倒れてまる5年が経過しました。


 2009年9月8日(月曜)の午後12時20分過ぎに、父は意識を失い倒れ救急車にて近森病院へ搬送されました。すぐにERに搬送。CTなどを撮りましたが原因が特定されません。前日に自分で車を運転し、錦山C・Cで1ラウンドゴルフをしていました。今思えば脱水症状と疲れが引き金で会ったと思います。

 ICU(集中治療室)にいましたが、倒れた原因が特定できません。脳の血管が破れていなかったので、脳梗塞でも脳卒中でもありませんでした。「てんかん」ではないかと言われ検査もしましたがわかりません。

 脳外科の医師が「ひょっとして脳の静脈の異常かも知れません。それには造影剤を注入しないといけません。腎臓に負担がかかり透析しないといけないかもしれません。」と言われ、家族の同意書にサインをしました。

 検査の結果、「硬膜動静脈ろう」という診断。脳の静脈部の異常、カテーテル手術で取り除けるそうです。9月23日に手術が成功しました。以後リハビリも行い4月入院しましたが、年末には退院できました。
 
 それから翌年3月末まで、リハビリを行い回復しました。身体機能は回復しましたが、失語症という後遺症が残りました。言葉が不自由になりました。その後脳外科医が予言した桃里尾、腎機能がだんだん悪くなり、2011年4月には慢性腎不全で全身がむくみ体重が70キロになり高知医療センターに緊急入院しました。車椅子状態でした。利尿治療が効果があり1日に1キロ体重が落ち、2週間で退院が出来ました。

 慢性腎不全は完治はしませんが、現在小康状態です。主食を減タンパク食(米飯・パン・お餅、麺類など)にし、おかずは家族と同じ。運動をする。水分補給を行う。週に2回の植田医院での点滴で、腎機能を維持しています。猛暑の中でも腎機能は僅かですが向上しています。

 この5年間に2回も死線をさまよい、救急車には3度もお世話になりました。戦争や南海地震をやり過ごして来ました。父には元気で長生きし、ゴルフをやり続けていただきたいと思います。拾った命は大事にしないといけませんから。

  父が倒れてから私の人生も変わりました。毎日病院へ母を連れて見舞いに行き励ましました。結果的に8年間やってきた地元コミュニティFMラジオ局の番組を降板しました。市民活動も制約し、仕事内容も変更しました。

 現在94歳の父と87歳の母と同居しています。家内と力を合わせて「寝たきり」にならないように介護予防に力を入れています。5年間で人生観も変わりました。粘り強くなった気がします。人間が鍛えられました。

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2013.09.08

 大懇親会へ行きました

 登録料(参加費用)1万円を支払って参加しました。会場は畳が敷かれてあり「おきゃく」形式です。


 高知JCシニア席があり、そこで山崎一寛さんや松山倫子さんや浜口伸二さんと同席になりました。久しぶりの懇親をしました。

 高知県知事も挨拶していました。
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 1時間ほどいてJAA Bour Bonzのコンサートもやっているようなので、退席しました。
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土佐風土風土祭りを見学しました(9月7日)

 かるぽーとから大懇親会がある三翠園ホテルと土佐風土祭のある鏡川緑の広場まで徒歩で行きました。かつてJC仲間であった野村栄一さんと真鍋豊志さんと一緒に歩いて行きました。案内には徒歩40分とありましたが、20分程度で到着しました。

 なんだか歩いているとのどが渇いていましたので、さっそくビールを注文し飲みました。顔見知りの人たちが出店されているので、あれこれつまみを買いました。
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 FB友達になっている大川村の近藤京子さんのブースへ行きました。そこで北村さんも大川村サポーターで駆けつけていました。大川村の名物の土佐じろーの焼き鳥と、土佐赤牛を炭火で焼いた串をつまみに北村さんと飲みました。記念撮影もしました。
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 そしたら岡崎誠也高知市長も巡回してこられました。高知JC60周年記念式典から私同様にこちらへ来られたようです。土佐風土祭賑わっています。
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 途中大懇親会が午後6時半から会場に隣接する三翠園ホテルでありましたので中座しました。1時間ほどいてJAA Bour Bonzが」演奏するので見に行きました、なかなか盛り上がっていました。
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 その後再び大川村ブースへ行き、北村哲郎さんと一緒に飲んでいました。
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 午後8時半になり花火が始まりました。ミュージック花火も見ることができました。音楽とレーザー光線と花火も観ました。
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 夜になると土佐風土祭の人出も多くなりました。なかなか賑やかでした。
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このイベントは9月8日も高知市みどりの広場で開催されています。

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高知JC60周年記念式典に参加しました

 2013年9月7日。午後3時からの高知青年会議所創立60周年記念事業式典に参加するために、スーツにネクタイ姿で路面電車へ乗るために自宅から電停までの道路を歩いていました。

 そしたらある事業所の若奥さんが飛び出してきました。「誰かと思ってら西村さんや。スーツ着ているから見違えました。」と言われました。「私も仕事が終わったら家族で土佐風土祭りへいく予定です。信号を渡り歩いて行くと店舗を過ぎたら「西村さんやろ」と呼び止める声が。「別人かと思った。」とも言われました。そんなにスーツ姿がご近所のひとには珍しいらしい。めったに着用しませんから。

 路面電車で、式典に参加されるJCの先輩と遭遇。菜園場電停で降りて会場の高知市文化プラザかるぽーとに行きました。出がけに古い革靴を履いていたので、底が剥げてしまいました。急遽近くのコンビニで接着剤を購入し応急処置をしました。

 そして2階席から式典を眺めていました。オープニングは「つくしっ子:たちのよさこい踊りからです。
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式典は開会宣言のあと淡々と進行して行きました。来賓の紹介やお祝いに来ていただいた各地のJC(青年会議所)の紹介が延々と続きました。
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 終わりますと参加者全員が席から立ち上がり、国歌斉唱をしました。続いてJCソングをJC関係者が斉唱しました。高知市長の挨拶や、日本青年会議所副会長の挨拶があり、式典は午後4時半に定刻どうり無事に終了しました。
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「手掘り日本史」を読みました。

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「手掘り日本史」(司馬遼太郎・著・毎日新聞社・1975年刊)を図書館で借りて読みました。このところの暑さで読書量は落ちています。久しぶりに読書しました。

 最近の安倍内閣による「歴史のねつ造」や「敗戦をなかったことにする」などとの浅薄な歴史認識をもとに、軍事力強化に向かう危険性と滑稽さは、司馬遼太郎氏によって、きちんと論破されています。

「幕末から維新にかけての革命的運は、天皇さんを宋学による皇帝に仕立てることによって、全国統一に向かって行ったのですから、その点では、天皇さんは被害者です。

 柳原二位局という人は、公卿の柳原家の出で、大正天皇の生母ですね。この人は頭のいい、なかなかの婦人だったようです。この二位局が、明治天皇が白馬に乗り大元帥の服を着て諸兵に閲兵している勇姿をを見て、ああこれで皇室もこれでしまいになるかもしれないな、といったといいます。彼女は公卿の出ですから、天皇家のなんたるかを知っていたのですね。」

「二位局がいったことは、天皇家の本質は大神主だというのです。神さまに仕えている、ここで神さまというのは、日本人の精神的秩序に関するものです。地上のことは、しもじもの者がすることで、その大神主たる尊貴の身がああいう戒服を着て、地上の権力者のまねをさせられていまっている。

 歴史にはかならず栄枯盛衰があるので、この権力が倒れるときは、天皇家もとも倒れになるのではないか。二位局は、そう心配したというのですが、非常にすぐれた歴史感覚だとわたしは思います。」

「明治憲法が、日本的神聖者である天皇に、軍服をきせ軍馬にのせたのです。明治憲法は、イギリスの憲法なども多少参考にしていますが、やはりドイツ憲法が主な参考資料になっている。

 ドイツの軍隊が強い、普仏戦争でそれまであれほど強いと言われたフランスに勝った、ということもあって、明治の政治家にとっては、プロシャというのは非常にチャーミングだった。

 ひとつにはプロシャは皇帝制である。ヨーロッパにおける文明国でありながらドイツ国民が帝室を尊んでいるということ。そういうのが魅力でドイツ憲法を下地にした。そして天皇の位置がカイゼルにあたるというわけです。」

「それまでは水戸史学が、天皇を宋学の皇帝になぞらえて地上の権威にしたがった。幕末の志士たちは宋学的皇帝を夢みた。維新後、こんどはヨーロッパの皇帝を参考にした。それやこれやで天皇は軍隊を”統帥する”という一項目を憲法のなかに入れてしまった。

 この一事は日本史上の大事件だと思います。水戸学といい、ドイツ憲法的な考え方といい、それぞれ歴史のよってかつがれた天皇家というのは大迷惑なことだったびではばいかと思います。」

「私は、日本という国の性格を大きく変えてしまったのは、この明治憲法だと思うのです。何事もヨーロッパ化した明治の顕官たちは、もっとも日本的な特質、つまり日本の天皇の姿に関しては、もっとも鈍感になっていたのではないでしょうか。

 歴史を注意してみればよくわかることですが、日本の歴史の中で、天皇が地上の権力を握ろうとしたときには、かならず乱がおこっています。

 後醍醐天皇が神聖者であることに満足せず、地上の皇帝になろうとした時に、南北朝の乱が起こっている。それ以前、後鳥羽上皇が地上権である鎌倉政権に対して、対等の喧嘩をしようとした。自分も地上の権威を主張しようとしたときには、承久の乱がおきる。

 歴史の実例を見ればよくわかるはずなんですが、明治のはじめは欧化思想の全盛期なので、ついウッカリ、憲法のなかにそういう条項を入れてしまった。

 結局、これが軍閥のバッコに結びついていき、やがては太平洋戦争になり、そして敗戦によって天皇家はもとの象徴に戻ることになるわけです。現在の天皇の姿が、日本史上のあたりまえの姿です。」

「マルクス主義の人たちは天皇制を攻撃し、打倒しなければならないように論じますが、プロシャ流儀の変な天皇制は、明治以降、たった八十年だけなんです。

 日本史のなかで、天皇のありのままの姿が歪曲されたのは、その八十年で、そのなかには欧化思想も入っていますが、水戸学の熱気がまだ続いていましたから、そこで皇帝になってしまった。

 この八十年の歴史のなかで一貫した地上の権力者であったかのように考えてしまうのは、一個のイリュージョンでしょう。天皇に関する限り、日本のマルクス主義史学は、水戸史学の裏返しですね。」

 このあたりの記述は、今から38年前のものですが、安倍内閣の「新古典派史観」がバッコしようとしている現在にもってきても説得力があり、なんと愚かしいことをまたやるのかと思いますね。司馬遼太郎さんは鋭いですね。

「私にとっても、マルクス史学がずいぶんと役に立っていますし、その点で恩義もありますが、あくまでもこれは、わたしにとって歴史をさぐるための土木機械であることは別の場所でもふれました。

 史観が何であれ、時には史観という機械を停めて、手掘りにしたりしなければならない。
 考古学の発掘が、土木機械ではできないように、やはり歴史というものは、そういう具合に手掘りを加えたりしないと、うまくつかめないのではないでしょうか。」(P177[無思想という思想:)

共産党の日本史理解も浅薄のように思えます。司馬遼太郎さんの言われるように、元々は天皇家は大神主であり、地上の権力とは無縁であったという解釈が自然ですね。安倍内閣による天皇の政治的な利用は危険なのでやめさせないといけないと思いました。

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2013.09.07

土佐風土祭りの会場準備風景

 2013年9月7日と8日は、高知青年会議所創立60周年記念事業である「土佐風土祭り」が、高知市鷹匠(たかじょう)町1丁目の鏡川みどりの広場を会場に開催される予定です。

 父のゴルフ練習の帰りに車で会場横を通過しました。各ブースは準備万端のようです。今日は高知青年会議所60周年記念式典が午後3時から5時まで高知市文化プラザカルポーとであります。その後午後6時半からホテル三翠園で大懇親会があります。私も一応高知JCの「卒業生」ですので参加する予定です。

 記念事業会場に隣接していますので、少しだけ見学ができそうです。心配なのは雨だけですね。どうか吹き飛ばしてください。25年前の全国大会の記念事業も前日が大雨洪水警報が出て開催が危ぶまれていましたが、当日は何事もなく開催できました。ひたすらお祈りすることです。「雨よ降るな」と。
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父がゴルフ練習に復帰しました

 猛暑が続きましたので、3週父(94歳)はゴルフの練習をお休みしていました。今日は久しぶりに復帰。ブランクがありましたが、まあまあ快調に気持ちよく球を打っておりました。何よりです。
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福島の皆様の怒りは当然です。

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 地方新聞の高知新聞3面社会面の記事。「東京が安全ならいいのか」「250キロ離れている」「全く懸念ない」「五輪招致委に福島反発」「避難民「先にやることがある」という見出しは、全くそのとうりであると思います。

 記事には、「福島というだけで様々な差別を受けたと同じ思いがする」と反発する福島からの避難者の声が紹介されています。当然でしょう。大消費地東京に電気を送るために福島原発はありました。今になって東京は安全。福島から250キロ離れている。というのは酷い言い方だあると言っています。

 安倍晋三首相がどのようなスピーチをするのでしょうか?東京は辞退して福島の救済を国家を上げて行います。全世界に向かってわたしは福島原発を安全に終息させます。脅威を取り除いた時に、福島を中心に復興五輪をやります。その時は皆さまご支援をお願いします。」と日本国首相なら言うべきです。

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宮崎駿監督の引退とスタジオジブリの今後


 スタジオジブリの宮崎駿監督が正式に引退を表明しました。「となりのトトロ」などのアニメ映画の名作を世に出した人物だけに、「巨匠」の引退後スタジオジブリがどうなるのか気になります。

 あまりに宮崎駿氏の影響力が大きいだけに、後継者となる人は苦労されるでしょう。現在のところ後継者は見当たりません。アニメ制作会社としては異例の300人を超える社員を抱え、「世界のジブリ」に躍進したのに宮崎作品なしに、現在の体制を維持するのは大変であると思います。まず無理でしょう。
 
 アニメ業界の「同業者」の押井守氏はスタジオジブリついてコメントしています。

「押井:ジブリのアニメーターには5年10年やってても人間を描いたことないアニメーターもいるんだよ。そうじゃなければ、あれだけクオリティの高い作品なんてできない。キャラクターを描かせてもらえる人間なんて一握りで、それ以外の人たちは延々と動画だったりするんです。

他のスタジオだったらアニメーターは忙しいんだよ。2年に1本なんて悠長なことを言ってられないから、バンバン描かせる。そういう人はそこそこ描けるから、どこへ行っても食えるんです。ジブリは、うまい人はめちゃくちゃうまいけど、下積みの連中はなかなか上に上がれない。

―でもその分、仕上げた枚数いくらじゃなくて会社で正規雇用して、高い給料を払っているわけですよね。

押井:だけど宮さんが死んだら全員放り出されるって、あるときハタと気がつくわけ。それでもアニメーターは、ある意味手に職があるからまだましで、プロデューサーとか制作の連中は「30年のローンで家買っちゃった。子供産まれちゃった。大学出るまであと20年以上かかるんだ」ってさ。」(押井守が見たスタジオジブリ

 押井氏のこの種の発言はなぜかマスメディアには載りません。一種のアングラ情報のようになっていますが、なんだか真実のようにも思えますね。

 スタジオ・ジブリはカリスマの宮崎駿氏の後継者は現在いません。これからもたぶん出ないでしょう。今後は昔の作品の版権管理会社になっていくことになるでしょう。

 ジブリの宮崎氏や鈴木氏が「憲法改正反対」とか、「原発反対」なんぞ言っていますが、全く本気度は感じられません。すべて映画の宣伝です。

 実はあまり知られていないようですが、スタジオジブリはグッズ販売店「どんぐり共和国」を東京電力福島第2発電所内エネルギー館内に5年間出店していました。ジブリファンが気がつき、ごうごうとジブリ本社に抗議をしたので、出店をしぶしぶ辞めましたから。厚顔無恥もほどがあります。スタジオ・ジブリは「ダブル・スタンダード」ですからね。

(いただけないスタジオ・ジブリの原発関連施設へのグッズ販売店の出店)

 そのまま福島第2原発エネルギー館に居座って「3・11」までいたら、たぶんスタジオ・ジブリは信用を失い倒産していました。そのほうが社会のために良かったのかもしれません。悪運が強いところです。

 現在の社長の星野氏は、ディズニー社の出身。ウォルト・ディズニーは米国海軍ご用達。米海軍の御用会社です。原発推進のアニメもディズニーはこしらえています。米国のディズニーランドのアトラクションの船の名前はすべて米海軍の原子力潜水艦の名前ですから。

 ディズニー・ランドもディズニー・シーも膨大な電力を消費しながら、敷地内には太陽光発電や風力発電等自家発電装置はありません。資源大量消費型、電力消費型の施設です。原発の生み出す巨大な電力を大量に消費する施設であり環境には全くやさしくはありません。

 日本テレビがジブリ作品を主に放映しています。日テレ系の「金曜ロードショー」でもジブリ作品を放映しています。日本に原子力発電所を導入したのは、当時読売新聞の独裁者であった正力松太郎氏です。テレビと新聞媒体を最大利用して、「原発は平和産業」と大宣伝をし、日本に導入したのです。

 参考記事です。(原発・正力・CIAを読んで)

 日テレとディズニーの利権共同体にどっぷり浸かっているスタジオジブリが「反原発」の訳がない。今晩「紅の豚」を日テレが「金曜ロードショー」で放映します。明らかに「風立ちぬ」の支援活動ですね。お互い「持ちつ持たれつ」の談合の世界なんです。

 今回宮崎駿氏が「引退」したので、ジブリは今後は「ジリ貧」になるでしょう。日本のアニメの「1つの時代」が終わりました。あれほど「やりたい放題」の人は現れないでしょうから。

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2013.09.06

ホームの試合でしたね

 
 結果は3-0の勝利でしたが、物足りない日本代表の試合でした。日本VSグアテマラ戦。前半は日本は13本のシュートを打ちながら決められない。ゴール前でのスペーズをグアテマラは埋めていて、決定力のない日本は決められない。

 もどかしい想いで前半は終わる。1トップの大迫も良い動きをしていましたが得点はなし。

 後半になり交代出場した本田が5分位ヘディング・シュートで先制。
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 24分には尾交代出場(大迫の)工藤が決めました。
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 3点目は相手ゴール前24メートルから本田が蹴ると見せかけて遠藤が蹴ったボールが相手に当たりコースが変化し3点目のゴール。
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 後半はグアテマラも運動量が落ちましたので、日本がホームの優位さで得点しました。

 ザック監督は後半半ばから、3バックをテストしていましたがうまく機能せず終わりました。スパーリング相手としては、物足りませんでした。日本の守備の課題は克服されてはいません。

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久しぶりに100歳体操へ行きました。

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 今日は両親のケアや付き添いでせわしい1日でした。午前中は父(94歳)の付添で植田医院で診察と点滴をしました。植田一穂先生に「猛暑にもかかわらずお父さんの腎機能はむしろ向上しました。凄いことですよ。今しんどいと言われるのは夏の疲れが出たからです。ゴルフの打ち放し練習も再開されてかまいません」とのお墨付きをいただきました。

 午後からは5週間ぶりにはりまや橋商店街へ母(87歳)を連れて来ました。8月2日の体操の後に、尿失禁があり、猛暑もあって運動せず家で寝てばかりでしたので、運動機能が衰え食欲もなく、介護状態になっていました。

 その翌週は主治医の横田哲夫先生の診察により、亀井泌尿器科を紹介いただき、診察を受け、田村整形外科の診察と検査、MRI診断までしました。その結果母には、内臓的な疾病はなく、「切迫性過敏膀胱」を緩和する薬と、「脊椎狭窄症」と整形外科での診察でしたので、痛みを緩和する薬を出してもらいました。

 猛暑の間は母は、意欲はなく、食欲もか細く、運動機能が低下し、トイレも間に合わなく、失禁を繰り返していました。このまま介護状態になり、認知症も進行して「今生の別れ」になるかもしれないと腹をくくりました。

 涼しくなって少し事態は好転。食欲が出始めました。おとといから3階の寝室から1人で2階の茶の間へ降りて来れるようになり、朝食前に歯磨きも出来るようになり、食事も完食し出しました。それならばということで、はりまや橋商店街へ連れ出しました。

 車から降りて腰が痛いと母は言い続けましたが、最初にパン屋さんで、好きなドーナツを買いました。
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 続いてコロッケ屋さんで夕飯のおかずを買いました。
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 そして歩いて活き活き100歳体操(介護予防体操)の会場へ行きました。熱心な高齢者8人が参加していました。ご無沙汰やねえと母は歓迎されていました。
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 商店街にある「RYU」さんのお店へいきました。実はデイサービスもされておられます。(昨年叔母と2人で1日体験しています。大きな民家を1軒借りてやっています。)

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f3c2.html(デイサービス「結」へいきました。)

 しばらくぶりでしたので体操は、できない運動は無理をせずしました。谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました.。
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 戻ると父も連れて主治医の横田先生のところで診察を受けました。父の血圧は120-60.母は136-70と良好です。問診の結果は異状なしでした。

 母のほうの脊椎狭窄症を緩和する薬と、胃薬を横田先生に処方してもらいました。

 戻って来て母は久しぶりに、おやつを食べました。半分ぐらい正常化しました。ケアマネージャーの下村恵子さんにお電話し、来週か再来週の水曜に、デイサービス「結」の体験通所をしたみたいことを申し上げました。

 だんだんとゆっくり回復するかもしれません。腰痛は治りませんが、緩和するように筋トレをしていきます。母は他人様には受けがいいので、結のデイは向いているのかもしれないと思いました。期待しています。

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方向性は石橋湛山と司馬遼太郎が与えてくれます

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 戦前は経済評論家として名をはせた石橋湛山。ついには戦後日本国首相になったが、在職期間が短く辞職されたのがとても残念。石橋氏の凄いのは政治家でありながらきちんと自分の政策や想いをまとめ公表していることです。

 「石橋湛山評論集」を以前読みましたが、最近は石橋湛山のような政治家が日本国に必要であると真底思うようになりました。

「明治45年(1912年)に「問題の社会化」として以下のように論じていました。

「しかし個人の解放を以って始まった総ての近代の問題は最近において格のごとき変化をなさんとしつつある。即ちもはや既にただ個人とか解放とかいっておる時代は過ぎ去って、その個人をいかに実現するか、その解放をいかに具体化するのかという積極的な問題に入って来た。

 この問題を解決するために、まず第一現れてきたものが即ちリープクネヒトの一派である。社会運動、社会政策というものの勃興である。思想の動揺ということが特に著しく近頃見えて来たということも、その原因はここにある。

 今の世がただ自由解放を叫んでいて済む時代なら、ルソーの思想でも事足るはずであるが、それでも満足しないという所以は、要求がこの具体的積極的の問題にあって、しかもその解決の方法が見当たらない故である。」(P15「問題の社会化」)

日本の政治の混迷を見透かすようにロシアは北方領土の開発を露骨にしようとし、韓国は不法占拠している竹島に現職大統領が上陸、中国は尖閣諸島への挑発をやめない。

 デフレ経済が収まらないのに、消費税の増税を決めてしまうおかしさ。政権政党の自民党も野党第一党の民主党もふらふらしていて頼りない。かと思えば「異端者狩り」しかやっていない地域政党の「大阪維新の会」と称するファシスト政党が台頭の兆しがあります。

 石橋湛山は、1884年から1973年までの89年の生涯においても,一次大戦、ロシア革命、3・1朝鮮独立運動、満州事変、金融恐慌、二次大戦敗戦後の評論など軸にぶれがありません。

 帝国主義全盛の時代(大正時代)に、植民地をすべてを放棄ー独立させ、軍備を縮小し、民生を充実して貿易で富国を目指す「小日本主義」を提唱していました。評論は先見性と徹底した自由主義の主張に貫かれています。大正8年でした。今から94年も前のことです。

 それも最近一時流行した「新自由主義」のような格差を拡大する冷酷無慈悲な経済システムではなく、人間を慈しむ「経世済民」型の経済社会をつくりあげるための議論を石橋湛山はしていきました。

 一方の司馬遼太郎氏。歴史小説でファンも多いのですが、鋭い歴史認識にもはっとさせられます。単なる大衆歴史小説家ではありません。

 「司馬遼太郎 対談集1964-1974」や「この国のかたち」などの司馬遼太郎氏の講演集や発言集は、わたしの最近の愛読書になっています。発言が実に的確で、敗戦体験者としての悔やみと、日本歴史への探訪の想いを感じるからです。過去に司馬遼太郎氏の作品と言えば「竜馬が行く」「坂の上の雲」「飛ぶが如く」「花神」」「覇王の家」などを読んではいました。

 陸軍戦車部隊の将校で北関東で敗戦を迎えた司馬遼太郎氏。当時どうしてこんな「戦争にすらならない。負け戦の連続でしかない」「しょうもない戦争」をなぜ我が国はやってしまったのか。その謎を解明するために司馬遼太郎氏は、日本の歴史を探索し、書籍を集め読み、日本各地に出かけて取材をし続けました。

 江戸時代や幕末、維新や明治中期の時代を描いた作品は躍動感があります。しかし「昭和」をテーマにした作品はありません。それだけ「重く」のしかかっていたのでしょう。

 「魔法の森の時代があった」と司馬遼太郎氏は言い切ります。特に昭和10年から20年までの日本は異質であり、それまでの日本とは全く異なっていると。幕末維新期や明治の時代を語る司馬遼太郎氏は、「昭和」の時代を語ると重苦しい口調になります。
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 本のカバーにこう書かれてありました。

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」

 これほど「重たい言葉」を司馬遼太郎氏が述べるとは正直思いませんでした。俗に「司馬史観」の信者は多いのでしょうが、「昭和」についての重々しい言葉を知っているのでしょうか?

 江戸時代は鎖国をしていましたが、全国に300藩あり個性的な多様な社会のようでした。寺小屋が普及し、識字率は高く、武士も教養がありました。それゆえ一度近代化の方向へ向くと一気に突っ走れた。江戸の時代があればこそ、明治の近代化は可能でした。

 ただ近代化するにつれ、明治政府は江戸の良さをことごとく破壊しました。幕末維新の革命期を知る元老たちがいなくなると、日本社会はだんだんつまらなくなり、1945年の惨めな敗戦に転落していきます。

 司馬遼太郎氏はその原因をいくつかこの本のなかで述べています。

1)日露戦争の分析を客観的に全く行わなかった。アメリカの仲裁で辛勝したのに、きちんとした分析をしなかったが故に思い上がった。他国との戦力比較もきちんとされずに戦争ばかりする堕落した国に転落した。

2)大日本帝国憲法は、プロシャの憲法を模倣してつくられた。この憲法にも「統帥権」があり、権力が暴走する歯止めがなく、昭和の時代になって軍部の暴走―破滅につながった。

3)市民の民権に足場を置く中江兆民の登場が遅すぎた。幕末期の思想が貧弱な尊王攘夷論だけであったのが残念。幕末維新期に草莽の人たちが、ルソーの民権論を読んで活動しておれば歴史は異なっていただろう。

4)日本人は「自己解剖の勇気」を持たねばならない。アメリカは第2次世界大戦後、戦史の編纂を民間人に任せ、かまわない資料を軍が渡して徹底的に分析しました。日本人はそういうのが昔から苦手なようですね。

 今の時代では福島第1原子力発電所の事故がどうして起こり、また懸命な関係者の努力にもかかわらずなぜ収束しないのか?その原因究明もいまだに不十分です。にもかかわらず外国に原子力発電施設を売り込むという安倍首相の神経がわかりません。

5)日本のジャーなリズムは昔も今も、日本国を解剖するという視点での報道も記事もなかなか書けないのではないか。

「日露戦争が終わったあと、それほど高度に発達したジャーナリズムではなかったけれども、日露戦争は実際にどうだったのかと、追求する能力があったらですね、太平洋戦争は起こらなかったかも知れません。

 日本はよくやった。兵士たちは勇敢に死んだ。しかし、あれは危ういところでいろいろ政治的に手を打ったからよかった。決して日本が強かったわけではないんだと。

 海軍の日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、クールに客観視して、自分を絶対視せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思うのです。新聞、雑誌だけでなく、個人の筆者でもいいのですが。

 そういうレベルの議論があれば、太平洋戦争は起こらなかったと思いますね。日本軍は満州事変以降自己を絶対化して国を誤っていくわけです。」(p324[自己解剖の勇気」)

 そして2013年は、日本、韓国、中国の本当に愚かで浅はかな政治家たちが、相手国への思いやりのひとかけらもなく、口汚い聞くに堪えないののしり合いをしています。
 
 現在日本国憲法を改正し、「戦争が出来る国」にしたい人たちは、司馬遼太郎氏の次の言葉をよく反芻すべきでしょう。

「昭和史をもし私が書くとしたら、半分は戦争のことを書かなくてはなりません。戦争というものはですね、やったりやられたり、いわば対等の競り合いで会って、一方的にやられるようなことをなぜ始めたんだという思いがあります。

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 海戦らしい海戦もありません。力不足という言葉も当らないですね。要するに力のかけ離れた相手とやっているわけですから、戦争らしい穴埋めをするのはアクロバットをやる以外に方法はなかった。

 パールハーバーの奇襲は戦争というより、アクロバットであります。ちゃんとしたリングの上の戦いなら、あとに禍根は残りませんが、パールハーバーは今でもいろんな禍根を残しています。

 それから末期の状態になると、特攻隊でした。青年達に下士官の軍服を着せて飛行機の乗せ、未熟な操縦技術ながら敵に体当たりさせた。

 戦争という物理現象のなかの穴埋めを肉体でさせた。そういう非常手段をさせた。戦争はよくないことは大前提です。そして特攻に行った青年はいい男だったと思います。しかしそれを戦術として考えたことは断じておかしい。

 戦争をやるんだと、昭和1ケタから勢い込んできた人たちがいました。ところが彼らにやらせてみれば何のこともなかった。戦争というかたちさえとれなかった。

   中略

 つまりは日露戦争は戦争だといえるのですが、太平洋戦争が戦争だったかと。つまり大変変なものだったのです。」(P227)

 そして司馬遼太郎氏は、こう言っています。

「日本は、国際社会の中で、つまり明治以降、よくここまでやってきたとは思います。太平洋戦争のような大きな失敗があり、アジアの諸国にずいぶん迷惑をかけ、後々まで、ものを考える日本人は少しずつ引け目をもって生きていかなければならなくなった。

 それだけのことをやってしまったわけです。しかし、それもこれも入れて、なんとかやってきたことは言えそうです。

 これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには。まず真心ですね。

 真心とは日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければならない。

 相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかの如くに感じることが大事ですね。

 いろいろな事情から、国家行動とか民族的な行動が出てくるものだと、社会の現象も出てくるものだのだと、いろいろな事情を自分の身につまされて感じる神経ですね。そういう神経を持ったひとびとが、たくさん日本人のなかに出てくることによってしか、日本は生きていけないのではないか。」(P328)

 この最後の言葉を、現在の日本政府閣僚や思い上がった挑発的な言動を繰り返している政治家に聞かせてやりたいと思います。

 きちんと日本の歴史、アジアの歴史、世界の歴史をきちんと勉強して、相手国の事情に謙虚に耳を傾むけるリーダーを日本国から輩出させないといけないと強く思いました。

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2013.09.05

ジョイ・リハへ両親は行きました。

 今日は週に2回目のジョイ・リハ(介護予防リハビリ)の日です。早めの昼食を両親はとりました。昼食はレンジでチンですが、息子がつくりました。昼食が終われば母の着替え。トイレへ行かせてオムツも替えます。家内がしてくれます。
 
 階段を下す作業は私の担当。「背中が痛いので運動はしてくはない。」と繰り言を言いますが。「痛いのをほぐしていく運動をしに行くとやき」と説得しました。
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 ケアマネージャーの下村恵子さんが、昨日展示会があったというので、母(87歳)用のオムツ用パットやお尻ふきタオルなどのサンプルを持参いただきました。電子レンジで温めて使うお尻用タオルもありました。
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 父(94歳)は自分で着替えて、送迎車を待っています。最近は夏バテ気味で、ゴルフ打ち放しも行ってはいませんが、涼しくなってきたので、また今週あたりから復活させます。
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 定刻どうりにジョイ・リハ(通所介護予防リハビリ)の送迎車が来たので、送り出しました。一段落ですね。
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めまいが治った?


 仰向けに寝て、右へ寝返り10回数える。真上へ戻り10回数える。左へ寝返り10回数える。また真上へ戻り10回数える。

 家内がこのやり方を教えてくれた。NHKの番組「ためしてガッテン」でやっていました。録画を見せてもらいました。

http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20130904.html

 夕方見せてもらいすぐにやりましたが、めまいは治りませんでした。寝る前もしたが同じ。

 今朝起床時に数回その動作をしたら、めまいが起こりません。効能どうり治ったかも?

 しつこいめまいであったので、今朝は気分が良いです。

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超高齢者社会は悪くはないと思う

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 週刊現代9月7日号の記事に「90歳の現実、100歳の現実」という記事がありました。昨年(平成24年)に、日本では90歳以上が152・8万人いて、100歳以上も5・1万人います。あと30年もすれば平均寿命も90歳となるでしょうとか。

 現実に我が家では、父が94歳、母が87歳になっています。11月で母も88歳になります。元気であれば、あと2年すれば2人とも90歳を超える年齢になります。母は介護が少し必要になりましたが、涼しくなればリハビリに力を入れますので、これ以上の介護度の悪化を防ぐように、介護の関係者の力も借り、家族で努力します。

 父方の叔母は97歳で健在でお元気。認知もなく、足腰こそ弱くなったが歩くのを少し介助すればトイレにも行けると言います。月に1度行く整体の老師は87歳。人間125歳寿命説を唱え、100歳までは現役で整体をするといいます。老師ならできそうです。

 週刊現代にも長寿で長生きの人たちは、若いころから運動をされていて、それを年配になっても続け「貯筋肉」をしている人が多いとか。父はゴルフ好きであります。私も90歳まではセーリングを続ける予定です。

 地域社会を眺めてみますと、町内会や自主防災会の担い手の主力は70歳代や60歳代後半。80歳が定年のようになっています。うちの町内会長も今年定年(65歳)になり就任しました。

 自分のことを考えても、少額の年金では生活ができませんので、商売人は自分の体と会社をいたわり、壊さない、つぶさないようにして一生 死去する直前まで働き続けることですね。祖父は80歳まで、父は89歳まで現役で働いていましたから。

 要は大病をせず、健康で長寿であれば、楽しい人生であるということです。そうなると中高年時代の過ごし方が大事です。涼しくなればウォーキングなどを再開しないといけないですね。

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2013.09.04

母のおむつを外す努力をします。

 母(87歳)は、腰が痛い(脊柱狭窄症とすべり症)を「言い訳に、猛暑の中毎日日にちべたべた寝ていました。たちまちに足が萎え、一時的には満足に歩けない状態になりました。「生活不活発病」なんですね。失禁するようにもなり、トイレが間に合わなくなりました。それもこれも足腰の衰えから来ています。
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 それでパンツ式のおむつを購入に来ました。4回分、6回分などいろいろあります。全部使い捨てなので、外せないと結構な費用になりますね。

 母は内臓疾患はなにもありません。脊椎狭窄症は治りません。いたくても動くしかありません。動かなければ寝たきりになります。うちの家は歩けなくなれば在宅介護は無理です。施設入居は母とは「今生の別れ」になります。

 そうはなりたくないし、させたくはない。涼しくなればおむつを外すトレーニングをします。まだまだ介護度が上がる年ではあり万。身体能力もある母ですので安易な道は進ませないようにする覚悟です。
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 排泄の問題は人間の尊厳の問題でもあります。北欧の福祉では自分でトイレへ行けるように最大限ケアする側も配慮するとか。施設介護もそうであると聞きました。日本ではすぐにおむつです。施設介護所は手が回らないので介護度はどんどん進みます。それは切ないと思います。

 しろうとがやることは限界があるでしょう。ケアマネージャーさんや専門家の意見も参考にして可能な限りのことを仕事の合間にやるつもりです。

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2013.09.03

安倍内閣は後始末内閣の筈

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 昨年の総選挙と7月の参議院選挙で、日本国民は消極的に自民党・安倍政権を支持しました。積極的な支持でないのは、低い投票率で象徴されています。と言うことは、国民各位は安倍内閣に「新しいこと」をしてもらうことに何も期待していません。

 「憲法改正」とか「集団的自衛権の行使」とか、「教育の改変」とか、「余計なこと」をしないでほしい。そんなことを安倍内閣に国民は全く依頼などしてませんから。

 安倍内閣が最優先課題で取り組まないといけないのは、「福島第1原発事故の終息作業」でしょう。関係者の懸命な作業にも関わらず、海への汚染は深刻になりつつあります。大気中への放射性物質の放出は毎日日にち今でも出ていて止まりません。

 「少子高齢化社会」になることは30年前からわかっていたことです。「社会保障費が年間1兆円ずつ増加する」ことは悪いことのように安倍内閣は言っています。社会的に必要なコストはあるのです。1兆円増えても大丈夫な国の財政運営をするのが政府の役目でしょう。

 消費税を上げて、全額社会保障費に使用するわけでもない。一体何に使用するのでしょうか?まさか武器を米国から購入するための費用にするのではないでしょうね。

 国民多数が望まない「目新しいこと」はしないでいただきたい。「東京五輪の誘致」や、「原子力発電所」の輸出などは、やめていただきたい。「日本の恥」であると思います。よしんばどうしてもその2つをやりたいのなら、福島原子力発電所の安全な終息が先です。全世界に迷惑をかけているのですから。

 災害列島日本では原子力発電所の稼働は、無理です。国防上の観点からイスラエルは原子力発電所の建設を諦めたとの情報もありますから。国防上でも原子力発電所は危険な施設です。

 全世界の陸地の0・25%しかない日本では、M8以上の地震の25%が発生しています。南海トラフ巨大地震や首都圏直下型地震はいつ起きても不思議ではありません。日本で判明している活断層は110本で、2000本はあると言われています。

 災害対策・減災対策も最優先課題の1つなんです。

 安倍内閣は「後始末内閣」です。長年自民党政権がやってきた原子力政策の後始末。ばらまき政策による財政破たんの修復。そのことをするために国民は自民党を選択したことを忘れてはいけません。

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2013.09.02

雨の中ジョイリハ(介護予防通所リハビリ)へ行きました。

 先週末あたりから前線が四国沖に停滞し、雨模様の高知市。今日は9月の最初のジョイリハ(介護予防通所リハビリ)の日です。
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 母(87歳)は、いつものように「腰が痛い」とごねていましたが家内が説得し、ようやく降りて来ました。白髪頭をブラシをしています。お洒落な人でしたが、最近では化粧もしないのでお婆さんに成り果てています。でもプライドだけはある人なんで、取り扱いが難しい。
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 父(94歳)は午前中は植田医院で診察と点滴しました。「猛暑で腎機能が落ちている人が多い中、むしろ向上したので立派ですよ」と誉められました。父は張り切って行きました。母の着替えも持たせました。
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 超高齢者であっても「自分のことは自分でできる」健康寿命の維持は大事です。安倍政権は社会保障費用を削減するでしょうから、健康でなければ楽しい人生は送れませんからね。
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さっそく「宗主国」米国から牽制が

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 安倍政権が新防衛大綱の年内策定に、異様に張り切っているようですが、早速「宗主国」のアメリカからクレームがついてきました。

「新防衛大綱 米敵基地攻撃論を懸念」「日本に指摘 中韓刺激恐れ」「米 近隣関係改善を最重視」との見出しが1面に掲載されています。共同通信の配信ですので、多くの全国紙や地方紙にも記事は掲載されていると思います。

 主に産経新聞系のメディアが「中韓との対立」を煽っていますが、安倍政権が「頼りにしているはず」のアメリカは極めて冷徹な反応をしてきましたね。

 先日の麻生副総理の「ナチスを例えた憲法改正論」なども国際的な反響を呼び、安倍政権の「ひとりよがりな」世界観、歴史観が近隣諸国のみならず、「宗主国アメリカ」からの批判を受けることになりました。

 日本になぜ米軍基地があるのかといいますと「日本を軍事的に占領する」ためにあるのです。日本政府がアメリカの意向に逆らう動き(軍事行動)をすれば米軍がただちに日本の抑制に動くというものですから。

 日本と中韓両国との対立は米国の国益に背くということに認定されました。影響は小さくないと思います。

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2013.09.01

下知合同防災訓練(午後の部)

下知防災訓練(夕方の部)

 今回の下知コミュニティ・センターを活用した防災訓練は2部構成。夕方は。非常用の発電機(ガソリン駆動)を動かし、館内の非常灯の確認と投光器の設置。災害用LPガス・ユニットでお湯を沸かし、非常食であるアルファ米によるおにぎりづくりです。

 本来なら午後1時集合で、午前の部と一緒にやればよかったのですが、今年は猛暑が続きましたので、考える気力が失せていました。炎天下での屋上での待機と火を使用する作業は辛いので2部構成となりました。

 そしたら計画時にはあまり考慮しなかった雨になりました。最初は屋上にテントを2張り張り、LPガスユニットと非常用発電機を見学していただくためのスペーズをこしらえる予定でしたが、雨のためテント張りを辞め、待機会場は4階の大会議室にしました。

 午後の部も、外階段で5階の屋上部に昇降していただきました。雨が降っていたので、受け付けは4階部にしました。
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 降りやんだことを確認して、LPガス非常用ユニットと、非常用発電機の説明を行い、参加者各位に確認していただきました。
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 そして各自が持ち寄った非常食(アルファ米やレトルト食品)などをLPガスユニットで沸かしたお湯で戻して、おむすびなどを調理し、皆で分け合って食べました。
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 今日の下知地域の合同防災訓練は、雨にもかかわらず、午前中は93人、午後からは65人の参加者があり盛況でした。
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 下知消防分団の皆様にはお世話になりました。

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雨の中の下知防災訓練(午前の部)

 今日は四国に前線が停滞しています。午前7時過ぎは雷雨になったため、県・市の」防災訓練は早々に中止になりました。しかし雨でも下知コミュニティ・センターを活用した防災避難訓練は実施しました。

 午前10時からの訓練開始予定でしたが、早くも9時過ぎに参加者が現れました。雨の中合羽を着用して避難される人も多くおられ、90数名の下知地域の皆さん方が参加しました。
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 午前中の部は、外階段を利用し、屋上へ。3階へ降りていただき受付。
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有光館長から、下知コミュニティ・センターが在庫している防災備品の説明がありました。別室に一部展示をしています。
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 そしてAEDの講習を参加者各位は受けました。高知市消防局の方が非番の時に、講習をしていただきました。参加者からは質問もあり、熱心なやりとりをされていました。
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 防災備品の展示室は賑わっていました。
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 飲料水の備蓄タンクから参加者は水を汲み飲んでいました。下知コミュニティ・センターには常時2000Lの飲料水が備蓄されています。
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屋上で二葉町自主防災会の備品である、トランシーバー。どこまで飛ぶのかをしらべました。案外飛ぶものです。
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 午後からは4時集合(参加者は6時集合)にて、非常用発電機の稼働と、災害時LPガスユニットの実施体験をおこないます。お湯を沸かし、アルファ米でおむすびをこしらえ、皆で試食します。

 投光器も利用し、館内非常用電気の通電試験も行います。

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高野光二朗さんと面談しました。

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 8月31日の午前10時に、参議院議員の高野光二郎さんにお会いしました。西やん(西田政雄さん)が、講演会事務局の向井和至さんに「高知市下知地域の長期浸水対策についてヒアリングをしていただきたい。」と申し入れをしていましたので実現しました。

 高野光二郎さんは、31日の朝は高知駅前と桟橋通りの交差点で街頭演説をすましていました。そのあと面談しました。

「国会では国土交通省の災害対策特別委員会を希望しています。二階先生のところです。国の南海トラフ巨大地震特別措置法も、10月国会で上程されますので、忙しくなると思います。地元の要望をできるだけ国に入れるために懸命に働き続けます。」

「最近の情報ではDO NETの観測機器を室戸沖と足摺沖に設置すれば、地震が起きて津波が高知県の沿岸へ押し寄せる10分前に判明する技術が確立されたやに聞いています。

 ただそれが実現しても大事なその情報を県民各位や行政に伝達し、情報を共有する情報通信インフラの国の支援策がありません。電気・ガス。水道などの生活インフラはあるのにです。」

「南海トラフ巨大地震特別措置法はフレームだけです。各種の制度はこれからこしらえたらいいので、地元市民・市町村の要望を行政機関を通じてすみやかに国に伝達することが今後とも求められるところです。」

「コミュニティ施設である公民館や小学校などに、NTTは災害時にも通話がしやすい固定電話の設置をしています。高知支店長も積極的なので、皆さん是非要望してみてください。」

 高野光二郎氏は、7月の参議院議員で当選以来、精力的に国の機関などにも訪問したり、官僚から説明を聞いているようでした。かなりの情報量を既に持たれています。

 私のほうからは「高知市下知地域を含め高知市市街地の海抜0メートル地域は、南海トラフ巨大地震が起きれば地盤が最大2メートル沈下します。いくつか住民発意の避難方法や対策を高知市と高知県に提案してきました。しかし満足な回答は現時点でいただいていません。

 高知県や高知市の対策の中に。県都が地震後水没し、長期浸水状態になることに対する抜本的な対策は盛り込まれてはいません。せいぜい河川の護岸堤防の耐震化と排水ポンプ場の耐震化程度です。住民側との温度差が著しい。

 それは 国の中央防災会議が立案する防災基本計画に基づいて、高知県や高知市は地域防災計画を立案しようとしています。国の防災基本計画のなかに高知市の長期浸水対策が入っていないのではないか?ただ。そのあたりを確かめていただきたい。」と申し上げました。地方自治体が作成する地域防災計画も、ベースは中央防災会議がこしらえる防災基本計画です。そちらに掲載されていないことは地方自治体はしないでしょうから。

 高野光二郎氏は、調査しますと言われました。西田政雄さん(防災寺小屋主宰)を交え30分程度の懇談でしたが、有益なものでした。

 今後は折を見て「国政報告会」の形で南海トラフ巨大地震への国対策、地元の要望、などを懇談する会合を開催されるようにすればよいと思いました。

 10年前に、高知シティFMでの私の番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」に県議に初当選したばかりの高野光二郎さんと対談したことがありました。10年の歳月は高野さん自身が成長されていました。

 2003年の高野光二郎氏 http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/gesuto6/takano.html

 今後とも「南海トラフ巨大地震対策を県民の目線で、まっしくら」に推進されていかれることに期待します。

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