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2013年11月

2013.11.30

11月最後の夜須の海

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 11月はなにかとせわしく「飛んでいきました。」。11月1日2日が、横浜・東京でした。地域防災関係の行事や大事な会合が、3日、5日、8日、13日、15日、17日、21日、24日と続きました。

 その間当然仕事もしていますし、両親のケアもありました。叔父の通夜が24日、告別式が26日とありました。27日は家内が出張でいませんでした。あれやこれやでせわしい11月でした。

 先週は体調を崩していて「インドア」のトレーニングへ行った関係で、海へ来たのは3週間ぶりです。
 
 今日の夜須は絶好のお天気。天気図で確認しましても移動性の高気圧に覆われ、等圧線は横に間延びしている。風は弱いだろう。「意気地なしの」ヨットマンでもセーリングは出来ると判断し夜須へ来ました。

 翌日が香南市の一斉清掃日と言うことで、ハーバーと隣のビーチのゴミ拾いをしました。日頃海でお世話になっていますので、年間3回程度は清掃活動をしています。半時間ぐらいで海岸のごみは回収しました。
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 清掃が終わったので、ぎ装(ヨットの組み立て)をしまして海へ出ることにしました。3週間ぶりなので、慎重にしました。

 服装はドライスーツです。ゴムの部位が破れていますので、自分でゴム系接着剤で張り付け修繕しました。なんとか着込んで海へ出ました。
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 海の天気は、実に温厚で穏やか。波もありませんが、風も弱いです。高知大学ヨット部は、毎年恒例の「室戸完歩」に参加でいません。ジュニア・ヨットクラブもテスト期間中で皆無。

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海の駅クラブの駐車場はカシオ・オープンゴルフの観戦者たちの車で徐々に埋まっていきました。ヤッシーパーク駅前は観戦用のバスが、ピストンで往来しています。
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 海の上はドラースーツで寒くはありませせんでした。もっと風があれば良かったと思いました。ドライスーツで寒くはなかったからですね。
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 2時間ぐらい「海の散帆」をしてハーバーへ上がりました。なんとドレイン・コックを閉め忘れていました。勢いよくヨットからたまり水が出ています。
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 ヨットを片付けていますと、ゴルフ観戦していたという知人に会いました。結果を聞きますと「松山と小田選手が争っているようだ。観客の大変は石川遼選手がホールアウトするとぞろぞろ大変は帰ってしまったようだ。」とのことでした。

 帰りの国道歩道部では、室戸完歩を目指す高知大学の学生たちが、室戸を目指して歩いていました。
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 今日は1日海で癒されました。

 

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二葉町全世帯に防災世帯調査を実施しています

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二葉町自主防災会では、2013年11月13日から画像の形式の「防災世帯調査」を実施することになりました。過去2度、7年前と4年前にもこの形式とは別の形態で全世帯の調査をしています。西田政雄さんに考案頂きました。

 市役所側の情報とは別個に、強制ではなく自己申告制で調査をいたします。自主防災会の信頼性が町民各位に試される事業です。大変は大変です。

 でも二葉町町内会へ加盟していない賃貸マンションや分譲マンションの住民へも声掛けをします。当然拒否は自由です。拒否される人は「100%自己責任」で減災活動をなさればいいことです。

 偉そうなことを自主防災会で言ったところで、予算も権限もなにもありませんから。多少の情報が行政側から早く入手できる程度です。ただこうした詳細な地域の調査を自主防災会各員が実施しますと地域の実情が良く見え、「ここにも津波避難ビルがいるね」「津波避難ビルまで遠いので、国道にある歩道橋を津波避難施設にできないか」「高齢者で足の悪い日音が多いから階段昇降は無理だ。高密度発泡浮力体などの避難場所も必要ではないか」との意見も出てくると思います。

 11月17日から開始になった下知南地区津波避難検討委員会。多くの意見が二葉町内から出て来ることと思います。まさに地域の現況を調査するという大変なことを実施しているからです。

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2013.11.29

父(94歳)も母(88歳)も寒かったですが元気です

今日は朝は、父(94歳)の通院に同行しました。最近おなかが出てきています。むくみであれば心配なので、主治医の植田一穂先生にエコー診断していただきました。
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 おなかは脂肪だとのこと。風邪気味なので、風邪薬をいただきました。むくみではなかったにおで一安心です。父は慢性腎不全で、たんぱく質制限を厳格にしています。腎機能はおかげで維持されていますが、そのなかで太るとは意外でした。

 午後からが母を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。

 2013年11月29日のはりまや橋サロン。実質今日が11月の月末になりますね。11月は「飛んでいきました。」早かったです。

 今日の高知市の寒いこと。おそらく山間部や県境付近は雪ですね。それでも母を連れて、午後からはりまや橋商店街へ行きました。

 いつものパン屋さんで好物のドーナツを購入しています。
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 コロッケ屋さんでは、今日は「かつおふんだんコロッケ」を夕食のおかずに買いました。
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 谷ひろ子さんのお店では、焼き菓子を買いました。
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 今日の活き活き100歳体操は、寒いですが6人の高齢者が来ていました。叔母はお店が忙しいとの事で(月末ですね)今日は欠席でした。
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 今週は火曜日に、叔父の葬儀もあり、なにかとせわしい週でした。超高齢者ですが元気に乗り切りました。

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「市民とつくる防災フォーラム」

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 「市民とつくる防災フォーラム」(主催市民とつくる防災フォーラム実行委員会・高知市防災対策部防災政策課)が、2013年12月1日に、高知市安心センターにて、12時から16時30分の予定で開催されます。

 13時10分からは、「大災害時における医療活動について」という演題で中田敬司東亜大学教授が講演されます。災害医療の専門家としての講義は注目ですね。

 14時45分からは「防災井戸端会議」が開催されます。防災会の問題点や課題を皆で交流し、洗い出します。

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2013.11.28

住民発意の防災技術ーによる南海地震対策についての講演会

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 「住民発意の防災技術ーによる南海地震対策についての講演会を12月5日に実施いたします。講師は小谷鐡穂さんです。小谷さんは長年橋梁工事関係の技術者でした。現在は香川県まんのう町でカフェ・ピッコロのオーナーをなさっておられます。

 フェイスブックでの交流がきっかけでした。最初は、下知地域にいくつかある横断歩道橋を津波避難施設に建て替える陳情を地域住民として行うためには、国のどちらの部署へ行ったら良いか教えていただきたいとのことを申し上げました。

 小谷さんは即座に「横断歩道橋の津波避難施設も悪くはありませんが、もっと簡便で多くの低地の人たちが救われる方法がありますよ。」と言われました。それが「高密度樹脂を用いた浮体構造物」でした。

 そしてわざわざ手弁当で高知市下知地域まで視察に来ていただきました。

 高知市の市街地は海抜5メートル以下が大半です。なかでも高知市下知(下地)地域は、。人口が2万人で、9000世帯ありますが全域が海抜2メートル以下で0メートル地帯です。

 地域の自主防災会と高知市は懸命に津波避難ビルの確保に奔走していますが、まだまだ足りません。足の悪い人や高齢者の浸水からの速やかな避難・退避を考えた場合、果たして階段を上りきれるのか不安です。現在二葉町では7年ぶりに全世帯を対象とした防災世帯調査をしていますが、地域の高齢化が一段と進行している印象を受けています。

 10月15日に高知県議会の「南海地震対策再検討委員会最終報告書」が出されました。
 そのなかの21頁に、「津波避難困難地域対策を推進すること」という項目がありました。沿岸部の地域では津波避難タワーの設置になっています。ここで注目されるのは、以下の文言です。

「道路法施行令が平成24年12月に改正され、津波避難施設の道路占用が認められた。
 津波避難タワー等の設置場所がない地域では、既成の歩道橋の活用や、道路上の新たな津波避難施設の設置について検討する必要がある。

 なお。地域住民や企業から、盛り土による避難場所の造成や公園内への浮体構造物の設置など、避難施設等について多くの提言が寄せられている。市町村と協議のうえ、実現可能な提案は積極的に取り入れるとともに、広く県民の意見を聞く場を設け、防災対策への参画意識を高める必要がある。」

 まさにわたしたち下知地域の自主防災会が県議会へ働きかけていたことが、具体的な文言として実現しました。

 高知市市街地の孕以北の低地の地域では津波の流速は沿岸部のように早くはないと予見されています。
 現在各地域の自主防災会は高知市と共同で、低地内地域に津浪避難ビルの指定を急いでいますが、下知地域は、昼間人口は夜間人口の1・4倍ありますし、国道56号。32号が交差し、通過車両交通量が高知県で1番多い地域です。
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 それゆえ国道・県道ふちにある歩道橋の活用と、公園への浮体構造物の提案をことあるごとに市議会や県議会に要望してきた次第です。それがようやく文章化されたうえでの今回の講演会となりました。


(日時)は 12月5日(木曜日)午後18時半からです 

(場所)は高知市下知コミュニティ・センターです。

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2013.11.27

母は1日デイへ行き元気に戻って来ました。

 今日は朝から家内が、大阪へ「出張」。明日の朝まで戻りません。水曜日はデイ・サービスの[結」の1日コースへ行く日です。

 なんとか下へ降ろして早めに送迎車を待っている母です。
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 今日はケアマネージャーの下村恵子さんが来られました。1年に1度の介護認定の手続くがあると言いますので、書類を持ってこられたので署名をしたり、押印をしました。今のところ母の介護度も認知症も横ばい状態です。
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 下村さんとのお話は、先日のNHKの番組「認知症800万人時代」です。」
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「ご家族がちゃんとケアされているので、進行されないんですよ。いろいろ連れ出したりされてますし。子供の世代と同居していることで安心感があり元気なんですよ。」

「認知症の人はなにかと不安だから、同じことを繰り返して言います。忙しさにかまけて放置していますと、介護度は悪化して行きます。もしお母さんが1人暮らしをされていたら、今頃は認知は一気に悪化していたことでしょうね。」とのこと。

 下村さんによれますと以前介護関係の研修で、「2015年には認知症が400万人を超える」と言われていましたが、今や2013年に800万人を超えました。うち半分が母のような軽度な認知症。ここで「手を打たないといけない」そうです。

 「お嫁さんが真摯に介護されている家庭は高知では珍しいんですよ。感謝しないと。」と言われました。それで家内は息抜きに大阪でのコンサートへ行きました。

 今晩は寝ずの番をして、母が夜中にトイレに立つたびに、お漏らしはしていないかチェックしないといけないですね。爺さん婆さんの夕食は、生協での冷凍弁当おかず。電子レンジで解凍して食べます。

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ファシストになった安倍晋三首相

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 なんだかよくわからないうちに「特定機密法案」が、昨日(2013年11月26日)に、衆議院で強行採決されてしまいました。

 うちの子供が描いた絵ですが、安倍晋三さんは、正真正銘のファシストになりつつありますね。

 日本国を民主主義国から、「仮想敵国」のはずの中国とよく似た「強権国家」「全体主義国家」「国民監視国家」にしたいという欲望が最近露骨になってきましたから。

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市街地の液状化対策も必要

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 11月最初の2つの防災講演会が終わりました。5日は岡本直也さん(曳家職人)の講演会。8日は石井弘利さん(神戸市長田区鷹取商店街振興会会長)でした。いずれも住民目線での震災からの復興。復旧を考えさせられる講演会でした。

 詳細は以下の「二葉町防災新聞」の記事を参考にしたいただきたい。

岡本直也さん「液状化被害の住宅修復と備え 東日本罹災地からのメッセージ」

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-921e.html

石井弘利さん「長田復興から学ぶ!下知復興への備え」

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html

 高知市が配布している「高知市地震ハザードマップ」を見てみました。私が居住する高知市下知地域は「液状化の発生の傾きが極めて高い」場所であることが「液状化危険度図」でわかります。

 液状化するとどうなるのか?

 建物は、転倒し、傾斜し、沈下し、移動し、亀裂破壊の被害を受けます。高層建築物も安心・安全ではありません。最悪倒壊の可能性もあります。

 橋も同様の液状化被害を受け、最悪落橋の可能性もあります。道路も同じで亀裂が入り、盛り土の陥没も起きます。埋設している浄化槽、下水管、マンホールなどが浮き上がり、破壊されます。幹線道路も通行できなく可能性があります。

 1995年の阪神大震災ではわずか13秒の揺れでしたが、埋立地のポートアイランドや六甲アイランドでは液状化で大きな被害が出ました。2013年の東日本大震災でも震源地から離れている関東各地で2万8千戸の建物が液状化の被害で沈下したり、傾きました。

 南海トラフ巨大地震は、「100秒間の強い揺れ(最大震度7)と言われています。高知市内の液状化の被害が高いと言う地域だけでなく、全域で被害が起きる可能性があります。

 「そうなった場合」どうするかの心構えと対策は、個人・地域・企業・行政は立てなくてはいけません。事が起きる前の事前対策が必要です。

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2013.11.26

淡々とした叔父の告別式でした。

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 今日は午前11時から、高知市のある葬祭会館での告別式。父の4歳下の弟(私にとっては叔父)の告別式でした。父(94歳)ですし、24日のお通夜には参列していました。超高齢者は体調の変動があるので、告別式の出席は無理の場合もあると、喪主である従兄弟にも言っていましたから。
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 今日は上天気。比較的暖かだったので、最初出席をしぶっていた母も行くことに。10時過ぎから喪服を両親に着用させる作業が大変でした。それでもなんとか着用し、11時前に葬祭会館へ到着できました。
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 葬儀が始まる前に、久しく会っていない親類縁者と父も母も懇談していました。お互いの変化に驚きあっていました。私の従兄弟連中も多くは還暦を超えているので、喪主の子供や孫以外は高齢者ばかりの葬儀でした。新聞へは出してはいませんでしたが、50人ぐらいが参列していました。

 葬儀は浄土真宗の僧侶が読経。振り仮名を振ってあるお経を読み上げてはいますが、全然何を言っているのかは不明。葬式仏教ならちゃんと講話もしてもらいたいとはいつも思いますね。お経にも意味があるのですから。
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 出棺の準備作業では、久しぶりに対面した親族同士の会話が進みます。母に後で聞きましたが、だれと話したのかは覚えてはいませんでした。

 焼香もし、出棺前の故人(叔父)との最後のお別れ。親族がお花を棺桶に入れました。最後に1番近しい喪主とその一族が献花し蓋が閉められました。
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 12時に車で火葬場へ出棺していきました。1時間の葬儀でした。両親も元気に葬儀に参列し、親類と交流が出来たので、よかったと思いました。多少の刺激となったことでしょう。「お母さん明るくていいね。」とか「お父さんも足元しっかりしているからいいですね。」とか言われましたが、ご本人たちは、その自覚などありませんから。

 とにかく不義理をすることなく、両親揃って叔父の葬儀に参列できて良かったです。両親が元気であれば、火葬場へも行き、叔父の骨を拾い、叔父の家まで行って精進落としの儀式まで参加すべきでしょうが、超高齢者ゆえに遠慮させていただきました。無事に帰れて何よりです。

 両親の昼食を自宅でこしらえ、その後自分の昼食をつくり食べ終え、やれやれでした。一区切りがつきました。

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井の中蛙から見た秘密保護法について

 安倍内閣のお仕事と言うのは「後始末内閣」ということで、1年前の総選挙で国民の信任をえたはずです。東日本大震災の震災復興。福島第1原子力発電所の後始末。財政再建と日本経済の浮揚。という大きな「後始末」を担う政権運用のはずでした。

 今安倍内閣が熱心に国会活動を通じて成立させようとしておる「特定機密法案」なるもの。良く理由がわからない。急ぐ理由すらわからない。今、なぜそれなのか?

 今国会で自公両党が提案した「南海トラフ巨大地震対策地震特別措置法」が成立しました。これは緊急の減災対策だから法案の意味はおおきい。

 300M四方の井の中の高知市二葉町住民の意見を国や県や高知市が、「意見を真摯に聞いてくれる」ことなぞないでしょうが、被害が予想される地域の住民や自治体にとっては良いお知らせには違いない。

 しかしこの「特定機密法案」なるものは、全く恩恵がないばかりか、「重苦しい雰囲気」がありますね。現在日本は民主主義国家であると思いますが、特定機密法案」が成立しますと、中国のような強権国家、全体主義国家に変質するのではないのでしょうか。それを心配します。

 井の中の蛙としては、「わしは11月は地域防災活動に忙しい。だから安部晋三君は、勝手に国の仕組みをつくりかえる大事な法案を数の力で成立させないでいただきたい。」と思います。

 日本国民が昨年、民主党に幻滅して自民党へ投票したのは、「後始末」を期待したからです。東日本大震災からの罹災地域の1日も早い復興。福島第1原子力発電所の安全な廃炉。放射能漏れの終息でしょう。国や地方の財政再建もそうですし、日本経済の活性化も「後始末内閣」として大きく期待していました。

 声高に安倍首相が熱心に言っていますのは、「原子力発電の再稼働と輸出」「自衛隊の集団的自衛権への参加による国際貢献」「憲法改正への強い執念」「特定機密法案」など。全く国民生活一般から出てきた意見でも考え方でもありません。なんの根拠もない戯言であり、亡国の政策ばかりです。

 その程度のことは「井の中の蛙」である私にもわかります。

 現在自民党の支持者の皆さんに申し上げたい。自由民主党は、自由でも民主主義政党でもなくなった。全体主義政党になりました。安倍首相は、中国のような不自由な軍事優先の強権国家を目指しているようです。いい加減にはしゃぐのはやめてほしい。あなたの役目はあくまで「後始末」なのだから。余計なことは一切してはならないのです。

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2013.11.25

下知C・Cで防災炊き出し訓練を実施しました。

 2013年11月24日(日曜)は、下知コミュ二ティ・センターで防災炊き出し訓練を実施いたしました。想定は自宅から大災害時に無事に脱出し、下知コミュニティ・センターにたどり着き、センターに備蓄してありましたお米と野菜(人参・ジャガイモ・玉ねぎ)と牛肉を使用して、防災炊き出し訓練をしました。
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 お米は、二葉町自主防災会の有志が6月1日に仁淀川町長者にて田植えしたお米です。11月3日の「昭和秋の感謝祭」に新米を持ってきていただいたものです。二葉町自主防災会が買い取りました。
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 野菜や肉は森二葉町自主防災会会長のお店が食料品店なので、購入していただきました。下知コミュニティ・センター屋上にあるLPガス災害用ユニットを活用した、本格的な防災炊き出し訓練です。
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 8時半に運営スタッフが集合して、スタッフ・ミーティングをいたしました。大事な部署は「調理班」と「会場設営班」なので、受付で参加者各位を振り分けをさせていただきました。
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 調理班はお米のとぎや。野菜の皮むき作業を制約された条件のなかで、黙々とされていました。下知コミュニティ・センターは調子室がありません。水道設備も調理用に設計されていませんので、3階の湯沸かし室に隣接している部屋に机を置き、調理台として活用いたしました。
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 会場設営班は屋上部のテントや机の設営、4階多目的ホールを食事室への変更をしました。水は4階の飲料水貯蓄タンクから汲みだし、非常用のポリタンクを活用し、飲料しました。

 LPガス災害時ユニットは、取り扱いも簡便。ツバメガスの小吉さんが参加者に丁寧に説明をされております。取り扱い方法は、家庭用のガス器具となんら変わらないこと。万が1ガスの接続が外れる場合や、余震で震度5以上の地震を感じたらガスの供給が遮断される安全対策をしております。
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 災害時には3階の防災倉庫からカギを取り出し,5階の防災倉庫の非常用発電機のところにあるカギを取り出し、LPガス災害時ユニットの蓋を開けます。そのなかに利用マニュアルも設置されています。着火マンも防災倉庫にあります。

 ご飯も順調に炊けました。風が弱いので、災害時用のテントも初めて屋上に建てました。参加者各位が協力し合い、会場を設営し、調理をしました。

 そしてご飯が炊きあがり、カレーも煮込んできました。100食分のご飯と、120食分のカレーが出来上がりつつあります。調理を始めたのが午前9時過ぎ。配膳は午前11時から開始しました。
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 屋上部で、どんぶりにラップを敷き、そのうえにご飯を盛り、カレーをかけました。原則階段を下りていただいて、4階多目的室の会場で食事をしていただきました。
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 食事をしながら、同じ下知でも違う町内会の人同士の交流もできたように思います。
おかわりもしていただきました。材料に余裕もありましたので、下知市民図書館来館者の人達や図書館職員にもカレーを食べていただきました。

 参加者は名簿に書いてあるのが65名。書いていない人たちが30名以上おられましたので。当初の予定どうり100人の参加があったと思われます。

 11月24日は朝からお天気に恵まれ、風も弱く温厚で何よりでした。なにより無事に防災炊き出し訓練が終わったことが何よりでした。会場の片づけ、洗物などを済ませ、午後1時前にはすべての作業が終了しました。なによりでした。

 アンケートや各部署の反省点は後日集約するようにします。参加者は来るろうか?お手伝いの人達は来るだろうか?と心配していました。でも予想以上にたくさん来てくれました。

 その場で、役割をお願いしましたが、快く参加者の皆様は請け負っていただきました。そして食事会が終わった後の片づけも手際よく皆で一気にやっていただきました。今回の防災炊き出し訓練は大成功と言えるでしょう。

 次回は来年、下知コミュニティ・センター全館を利用した泊り込み避難所開設・運営炊き出し訓練を行いたいと思いました。運営のスタッフの皆様、当日参加でお手伝いしていただいた参加者の皆様、高知市コミュ二ティ推進課山脇係長、伊藤様、有光センター長様お疲れ様でした。お蔭様でよい防災炊き出し訓練が出来ました。

 空を見上げると青空に多くの飛行機雲が。飛行機雲が出る翌日はお天気は下り坂になるようです。
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2013.11.24

しみしみとした叔父の通夜

 11月24日は下知コミュ二ティ・センターでの防災炊き出し訓練日。無事に終了。お昼過ぎには片づけも完了。残務処理して小一時間昼寝していました。

 叔父の通夜は高知市の葬祭会館で午後6時からとの事。うちからは近いので、大相撲の横綱決戦を見てから余裕で間に合うつもりでしたが、参列予定の父が「腹が太ってズボンがはけない」と言います。結局礼服のズボンが履けず、違う服のズボンを履き駆けつけましたが通夜の僧侶の祈祷は既に始まっておりました。

 新聞告知もしなかったので、参列者は叔父の身内のみ。総勢で30人程度でした。貸しきり状態でした。

 叔父は父の4歳下の弟で、90歳で亡くなりました。この10年はほとんど入院していました。酒好きで若い頃は飲みすぎて問題を起こしていました。晩年は胃を切除し、大好きなお酒もろくに飲めない状態でした。
 
 久しぶりに父方の親戚が集まりました。現在の生存者は8人兄弟のうち、長女の叔母が97歳。二男の父が94歳。父の妹の叔母が88歳ですが、入院中で欠席。1番下の妹の叔母は80歳。いつも母と活き活き100歳体操へ参加しています。元気で参列したのはこの3人です。

 その子供たちの従兄弟連中も皆還暦を過ぎ、なかには孫もいます。義理ではなくこじんまりした通夜でしたので、話も弾みました。喪主の従兄弟とは20年近く会ったことありませんでしたから。

 26日も同じ場所で告別式とか。多分同じメンバーしかこないでしょう。平日ですので仕事で来れない人もおるでしょう。うちは父を連れて参列の予定です。

 祭壇で笑顔の叔父を見ていて、大昔の出来事を思い出しました。こしんまりした葬儀もいいものだとしみしみ思いました。

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災害時LPガスユニットを活用した防災炊き出し訓練

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 下知コミュニティ・センター防災部会では、2013年11月24日に「防災炊き出し訓練」を実施いたします。

 従来型の防災炊き出し訓練は、仮設で公園などで実施するものです。下知コミュニティ・センターでは常設で屋上部に「災害時LPガスユニット」が設置されています。ガスボンベ20キロが最初から設置されています。

 訓練は安全に自宅から避難した罹災者が下知コミュニティ・センターにて安否を確認し、暖かいカレーを参加者皆でこしらえ食べると言うものです。

 朝9時集合です。災害時でも美味しいカレーを食べるために皆で力を合わせてつくりましょう。飲料水も下知コミュニティ・センターの非常用貯水槽を使用します。出来る限り「災害時仕様」で訓練をしますので、是非ご参加ください。

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(日時) 2013年11月24日(日曜日)午前9時から 午後1時半まで

(場所) 高知市下知コミュ二ティ・センターです。

 下知コミュニティ・センター常設の防災備品です。

西やんの「街宣車」に坂本茂雄さんが乗り込んで、宣伝活動していただきました。

 下知コミュニティ・センター常設の防災備品です。

http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-23a5.html

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2013.11.23

インドアのスポーツ・ジムへ行きました。

インドアのスポーツ・ジムへ行きました。
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 この3年ばかし超高齢の両親の介護ケアと、地域防災活動もせわしくなったため。いろんな領域の活動を縮小していました。こちらのスポーツクラブには発足1年目から個人会員でしたが、やむなく2年前から休会していました。

 今日は体調が悪い。海へ行きたかったが午後3時半までに戻れと言う家内の命令があるので、久しぶりに休会中のスポーツクラブへ行きました。

 スタッフの皆さんも懐かしい面々。是非復帰してくださいなと言われました、まず運動する前に体制分測定をしました。結果はよろしくありません。体脂肪が23%あります。冬になると体脂肪はどうしても増えますが、11月10日の市役所の測定では17%台でしたので偉い違いですね。でも多分このスポーツジムの測定機械が正確なんでしょう。
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 それでインストラクターの井上佐知さん(仁淀川町出身)のご指導で運動前のストレッチ体操をしました。DVDを見ながらですが、モデルのような体が曲がらない。

 井上さんには「随分体が硬くなられましたね。」と言われました。確かに硬い。3週前から倉庫でヨガを始めましたが追いつかないですね。

 「来年か再来年復帰しますのでよろしくお願いします。」と申し上げました。健康なことしかとりえのない私ですので。

 ストレッチして、サウナへ入って冷水浴を数回しました。少し調子が良くなり回復しました。本調子復帰にはもう1歩ですね。来週お天気なら海へ行きます。

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懐かしい「昭和の暮らし」はなかなか合理的な生活ではないか・・。

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「昭和の暮らし」でもちゃんと生活は出来るようです

 父が点滴を受けている間、病室に置いてあった女性週刊誌の記事が気になりました。題名は「文明の利器に頼らない 昭和の暮らしでゆとりある生活」とあります。今年の週刊女性か受女性自身かどちらかですが、いつ発刊のものかはわかりません。

 でも昭和の暮らしを実践されている主婦の人の話が凄い。

 「電気代は毎月500円。LPガス代は夏場は2800円で、冬場で4000円程度。水道代も1400円程度」であるとか。家にはエアコンはおろか、冷蔵庫(実は1番電気を使用する)も置いていないそうです。テレビもめったに見ないとか。

 電気炊飯器、電子レンジ、電気掃除機、電気洗濯機なども置いていないとか。熱源はLPガス。掃除も箒で丹念にするそうです。冷蔵庫を撤去するには少し抵抗があったようです。でも食材が痛む前に調理する。余計なものは買わないことで乗り切ったとか。

 スーパーでももう少し買うとクーポンがつくとか言って無駄なものを購入していたので、それも辞めたそうです。

 古い家は隙間だらけなのでエアコンは不要とか。お風呂も夏場は日向にたらいを置き行水。洗濯も漬け洗いで汚れは落ちると言います。それでも「自分たちのやりたいことにしっかりお金を使う」とか。

 まるで、50数年前の私の子供の頃の家の生活ですね。お風呂は、同じ敷地の祖父の家で入ってました。薪で沸かし、五右衛門風呂。母が洗濯はたらいでしていました。

 そんな暮らしもいいですね、貧しいとは思えません。

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2013.11.22

11月22日のはりまや橋サロン

 今日は朝は父(94歳)の通院で植田医院へ行きました。診察し点滴も受けました。健康状態は悪くはありません。腎機能も小康状態です。

 午後からは脊椎狭窄症の母(88歳)を連れてはりまや橋商店街へ行きました。
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 パン屋で好物のドーナツを買い、コロッケ屋で夕食のおかずのコロッケを買いました。露店で障害者施設が販売しているせんべいを購入しました。
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 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子も購入しました。
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 今日の活き活き100歳体操は、寒いのか5人の参加者でした。でも皆さんな元気に頑張っています。
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 体操が終わった後、叔母(80歳)も交え、体操を指導いただいている大塚理恵子さんも一緒におぜんざいをいただきました。暖かいものがよろしい季節に高知もなりました。

 母(88歳)の活き活き100歳体操(介護予防体操)が終わりいすなどを商店街の倉庫に片付けました。ぜんざいを食べて、叔母を店に送り戻りました。そしたらあるはずの携帯電話(ガラケーの)がありません。

 いつもはウエストポーチに差し込んでいますのにないのです。車や机の上にないのかと思い探しましたがありません。

 こういう場合は行動履歴をたどるしかありません。下知コミュニティ・センターへも行きました。植田医院へも行きました。あたりましたがありません。はりまや橋商店街へも行きました。心当たりを探しましたがありません。

 はりまや橋商店街事務所へ行きました。そこにもあがってはいないとのこと。「すぐに警察へ届けたら」とアドバイスをいただきました。はりまや橋交番へ行きました。不在で受話器があり、県警へつながりました。落し物係りに電話し事情を言いました。受け付けていただきました。

 失意のうちに戻りました。警察は「ロック措置してますか」と言われましたが、たぶんしていないので悪用されるといけないので、購入した電話販売店に向かいました。再購入の手続きをするためです。まさにその瞬間に家内から店舗へ電話。

「はりまや橋商店街の谷ひろ子さんから携帯を拾ったとの電話がありました。」とのことでした。早速商店街へ向かいました。谷さんにお礼を申し上げました。

 「拾ったのは占い師の島本さんなんですよ。倉庫にあったそうです。」とのこと。探すときに倉庫も見ましたが見つけられませんでしたが・・・

 店じまいした島本茂男さんに会いました。

「借りていた机と椅子をしまうために倉庫へ行ったら、椅子に携帯が引っかかっていました。そして谷さんに連絡しました。」とのことでした。
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 谷さんに聞きますと、携帯電話の電話帳に私の会社の番号があり、通話記録で会社へ電話してくれたのでした。

 どうやら婆さんたちの活き活き100歳体操の椅子をかたずけるときに、椅子を上へほうり上げるときに、一緒に携帯もほうり上げたようでした。
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 親切な人たちに今日は助けられました。先週はクレームの人に助けられ、今週は親切な皆さんに携帯電話を拾っていただきました。良いことは続くものですね。

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県政記者クラブへPRに行きましたが留守でした

 11月21日は業務の合間に、高知県庁2階にある県政記者室を訪問しました。12月5日の「住民発意の高密度発砲体による浮体構造物」の講演会チラシと説明書を同封したものを配布させていただきました。ではらっておられましたので、ボックスと机に資料を配布しました。
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 少しは関心を持っていただきたいと思いますね。以下の文章も添えて持参しましたから。

報道機関の皆様へ

 「住民発意の防災技術ー高密度樹脂を用いた浮体構造物による南海地震対策についての講演会を12月5日に実施いたします。

 高知市の市街地は海抜5メートル以下が大半です。なかでも高知市下知(下地)地域は、全域が海抜2メートル以下で0メートル地帯です。人口が2万人が居住しています。

 地域の自主防災会と高知市は懸命に津波避難ビルの確保に奔走していますが、まだまだ足りません。足の悪い人や高齢者の浸水からの速やかな避難・退避を考えた場合、果たして階段を上りきれるのか不安です。現在二葉町では7年ぶりに全世帯を対象とした防災世帯調査をしていますが、地域の高齢化が一段と進行している印象を受けています。

 10月15日に高知県議会の「南海地震対策再検討委員会最終報告書」が出されました。
 そのなかの21頁に、「津波避難困難地域対策を推進すること」という項目がありました。沿岸部の地域では津波避難タワーの設置になっています。ここで注目されるのは、以下の文言です。下知地域の自主防災会が県議会へ働きかけていたことが、具体的な文言として実現しました。

「道路法施行令が平成24年12月に改正され、津波避難施設の道路占用が認められた。
 津波避難タワー等の設置場所がない地域では、既成の歩道橋の活用や、道路上の新たな津波避難施設の設置について検討する必要がある。

 なお。地域住民や企業から、盛り土による避難場所の造成や公園内への浮体構造物の設置など、避難施設等について多くの提言が寄せられている。市町村と協議のうえ、実現可能な提案は積極的に取り入れるとともに、広く県民の意見を聞く場を設け、防災対策への参画意識を高める必要がある。」

 (第3回防災部会の講演会を是非取材・報道をお願いします。

日時は 12月5日(木曜日)午後18時半からです.
場所は高知市下知コミュニティ・センターです。

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2013.11.21

ついに渦の中に入ってしまいました。

 11月になればせわしいだろうと先月思っていました。スタートからせわしい。1日は横浜へ行きました。メーカーの会合前に超多忙なFB友達にお会いできました。メーカーの会合と懇親会後、1人で知人の息子さんのバーへ行きました。

 翌日の2日は新宿で娘と知人で9月にご逝去された方の奥様にさんに会いました。前日息子さんのバーへ行ったことを話しました。奥さんは娘のファンで娘の絵を高く評価してくれていますが、今は娘は期待に答えられません。戻って翌日の3日は「昭和秋の感謝祭」。お天気が心配でしたが開催できました。
 仁淀川町からも5人来てくれました。仁淀川町の産物は好評で完売しました。何よりでした。
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 5日は岡本直也さん(曳家職人)、8日は石井弘利さん(長田区鷹取商店街振興組合会長)の防災講演会。それぞれ終わると懇親会をしました。9日は、ようやく海でまったりしました。

 12日は下知CCで「隣3軒両隣り」の福祉関係の講演会。13日は二葉町自主防災会のリーダー会。14日に仕事上の致命的なミスが発覚。15日は早朝から客先の兵庫県へ車で向かっていましたが、誠意が伝達したのか、許していただきました。結局瀬戸大橋を渡らずUターンしました。夜の中宝永町防災講習会へ出席できました。16日は海でのセーリング。17日は「下知南地区第1回津波避難計画検討委員会」でした。

 今週は21日に「防災炊き出し訓練準備会」24日は防災炊き出し訓練実施日です。来週は仕事で高知県内、四国内巡業を予定しています。この週は仕事モードに全力で。

 でも12月1日は「市民とつくる防災フォーラム」があり、4日は午後から「防災懇談会」5日は(第3回防災講演会(講師小谷鐡穂さん)、6日は防災講習会(西田政雄さん)と続きます。その次の週は四国巡業ですね。

 ただ地域防災関係の行事は主催者なので、「参加すれば終わり」ではなく、事前の取り組みと広報、講演会当日の対応、終了後の事後処理業務まで連続してあるので、終わった気がせず次の行事が迫って来ます。役所の交付金を受けているので決算処理もあります。

 もちろん仕事は普段どうりあり、超高齢の両親のケアもいつものようにあります。とにかく「ちゃがまらん」ようにバランスを取りながら行くしかありません。

 渦に巻き込まれ翻弄されながら、2013年も過ぎて行きます。

 「300M四方の町内」から出れないわたしなのになぜこんなことに。学識者とシンクタンクからの面談の要請があり、ある報道機関からも取材の依頼がありました。

 「なるようになれ」としか言いようがありません。髪の毛も一段と白くなりました。

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2013.11.20

日本VSベルギー戦

 いつのまにかFIFAランクが5位のベルギー。2014年ブラジル大会の欧州予選は8勝2分けで負けなしで1位通過しています。本大会出場は2002年日韓大会以来。あの試合はベルギーに2点取られましたが、稲本と鈴木のゴールで追いつき。引き分けに持ち込みました。あれ以来の出場とか。

 2大会は予選敗退しているのに、えらい躍進したものですね。欧州リーグで活躍している若手選手が多いそうですよ。FIFAランク44位の日本がどれだけ通用するのかが見ものです。

 勝つとしたら2-1だろうし、負けるとしたら0-4になるのでは。GKの川島はベルギー・リーグでプレーしているので絶対に出たいでしょうから。

 昨夜は沢山保太郎さんにいただいたゆず酢で焼酎を割って飲みました。家内が焼酎の瓶にゆず酢をいれるという理由。4分の1ぐらい焼酎が残っていましたが、結局全部飲んでしましました。

 美味すぎて普段の倍は飲んでしまいました。おかげで熟睡。朝5時には目覚め日本VSベルギー戦を見ました。

 前半15分日本は吉田ー川島のしょうもないミスから失点。しかし半35分に柿谷がクロスにヘッドで合わせ同点。

 後半8分位には本田がゴール正面から右足で蹴りこむ。岡崎が柿谷のクロスに反応し。DF4人に囲まれながらのシュートが決まります。3-1と日本がリーど。
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 ベルギーも高さがあるので、ゴール前のFKからヘッドで得点。2-3に。あとは選手交代などで日本が逃げ切りました。

 ベルギーは、ホームで2連敗(コロンビアにも0-2で負けている)のでプレッシャーがあったのかもしれません。若い才能がある選手たちなので、雰囲気にのまれた感じがあります。

 川島ー吉田は不安定。GKは西川のほうが安定感がある。DF吉田もミスが多い。DFとGKの育成が日本の課題でしょうね。

 ベルギーは中盤のプレスが緩い。高速カウンター1本の攻撃では守りやすい。なんだか拍子抜けした試合でしたね。写真も上手く撮れませんでした。本田のシュート、柿谷のヘッドとアシスト、岡崎のシュートは良かったです。
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本田選手の「どや顔」もいいですね。

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 ゆず玉をいただきました。

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 東洋町のお知り合いから「ゆず玉」を1箱いただきました。とても良い香りがします。絞って熱いお湯を注いで
ゆず湯もいいですね。嬉しいです。

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2013.11.19

高知駅前にアンパンマン・南海地震啓発館をつくればいいのに

JR高知駅前の風景です。「アンパンマン列車」が高架のホームにいます。特急列車のようです。やなせたかしさんの貢献度はとてつもなく大きいですね。

 やなせたかしさんは常に「高知県出身」と言われていました。高知駅前にもやなせたかしさんにまつわる記念館をこしらえればいいのに。

 3人のプラスチック像もそろそろ撤去していただきたい。かわりにアンパンマン・バイキンマン・地震マンの像を置いていただきたい。ステージではアンパンマン・ショーをやり、奥の展示場はアンパンマンと南海地震対策の啓発館にそろそろ模様がえすればどうだろうか?

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2013.11.18

両親はジョイ・リハ(通所リハビリ)へ行きました。

 月曜日はせわしい。今日は12時10分過ぎにジョイリハ(介護予防リハビリ通所施設)の送迎車が来る時間帯です。
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 今日は昨日に比べ温度が低いので、父(94歳)は厚着をしています。今朝植田医院で診察と点滴をしました。調子はいいようです。
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 母(88歳)は昨日が誕生日。こちらも変わったことはなく、「眼鏡をはずしたほうがえいろうか」と言うから、「かけたほうが上品なお婆さんに見える」と言いますと「外そうか」と言います。同じことを数十回やりとりしていると送迎車が来ました。
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携帯トランシーバーを「検品」いただきました。

  先日防災寺小屋主催者の西田政雄さんが、二葉町自主防災会が依頼をしていました携帯トランシーバー10台を納品していただきました。

 実は11月13日開催の二葉町自主防災会リーダー会・役員会にて、各リーダーに説明し箱を開けます。また携帯トランシーバーは11月24日の下知コミュニティ・センター防災部会主催の「防災炊き出し訓練時に、避難訓練を行い、もよりの津波避難ビルに避難して、安否確認を行うことにしています。

 現在二葉町では全世帯を対象に「防災世帯調査」を行っています。地域の情報が、現況に沿ってもたらされます。そして自宅から50M以内に、自主防災会指定の津波避難ビルに南海地震時に避難をいただく形にしますが、その場合の「安否確認」にトランシーバーは有効になります。

 全部開封したら新品時の納品ではなくなるため、高知市地域防災推進課へ携帯トランシーバーを持参しました。地域防災推進課の主事津嘉山周氏に2013年10月」28日に立会いっていただき、「検品」をしていただきました。その時の写真と見積書です。

 防災寺小屋への支払い完了後(11月半ば頃予定)、事業完了報告を地域防災推進課に提出します。
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昭和小学校校区津波避難計画に関わる第1回ワークショップ

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 下知南地区津波避難計画策定検討委員会が、2013年11月17日に、下知コミュ二ティ・センター4階多目的室にて、午後1時から開催されました。高知市の昭和小学校校区であり、江ノ口川から南岸地域の自主防災会・町内会関係者と、高知市役所地域防災対策課と国際興業(コンサルタント会社)が集合しました。
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まず高知市地域防災推進課武内昭憲主事から、高知市下知地域の特色と南海地震の概要について説明がありました。
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「下知地域の特色は、全地域が低地で海抜2メートル以下。しかも自然の高台は皆無。浸水や津波からの避難は人工構造物である津波避難ビルが主体になります。また地震とともに地盤ン沈下するとも言われていますので、長期浸水地域になる可能性が高い地域です。

 また昼間人口が夜間人口の1・4倍あり、通行容量の多い幹線道路が地域を貫いています。」

「南海地震による下知地域への津波の第一波は地震発生後30分とされています。その時間内に下知地域の住民は自宅から安全に退避し、高さのある津波避難ビルへ避難しないといけません。」

 「下知南地域を4つのブロックに分割しました。地域ごと、町内ごとに津浪避難ビルを制定し、そこへ至る主要避難経路を検討していただき、策定いただきます。避難路は安全に確保できるのか、課題を抽出していただきます。」

「自宅からもよりの津波避難ビルまで15分以内に到達し、4階以上に更に垂直避難しなければなりません。資料では昭和56年以降に下知地域に建築された鉄筋・鉄骨構造の建物を抽出しています。

 このなかで鉄筋4階建て以上の建物を津波避難ビルとして抽出し、地域の自主防災会・町内会で所有者に津波雛ビルになっていただくように働きかけをしてください。市役所も支援しますので。」

「地域の中には。高知市が指定する津波避難ビルと、地域が指定する地域指定の津波避難ビルのビルが下知地域には出来ると思います。市の指定する津波避難ビルが遠く、到達できないことも想定できるからです。」

 休憩後、4つのブロックに分かれ、地域の課題を話し合うワークショップに入りました。
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二葉町自主防災会は、中宝永自主防災会と同じブロックになりました。南宝永町、城見町は欠席していました。二葉町と中宝永町は、既に独自に津波避難ビルを制定し、防災マップも制作しています。ですので、地域を点検後、追加で津波避難ビルを制定することにしました。

 二葉町は現在「防災世帯調査」を実施しています。それを回収し、聞き取り調査する中で。l地域の課題が出てくると思われます。

 下知津波避難計画のスケジュールはなかなかシビア。12月には津波避難ビル指定への協力依頼活動を行う。まち歩きなども実施。来年1月には課題を集約し、地区別津波避難計画の検討を行います。1月末から2月にかけて昭和小学校校区全体の報告会を行い、情報を地域で共有します。

 11月24日には下知コミュニティ・センターで「防災炊き出し訓練」。12月5日には「第3回防災講演会」。6日には防災講習会。なにかと過酷な日程です

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2013.11.17

今日は母の88歳の誕生日です。

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 母は今日で88歳になりました。我儘で身勝手なこともある母ですが、内臓的な疾患もなく健康です。軽い認知症と、脊椎間狭窄症ですが、日常生活に支障はありません。夏ごろ「ロコモ」(運動不全障害)になっていてどうするものかと思いました。

 でもケアマネージャーの下村恵子さんが、8月から介護予防リハビリを週2回に増やし、更に9月から水曜日に1日デイへ行くようになりました。おかげで元気になりました。

 いつまでも元気でいてください。100歳まで生きていただきたい。

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2013.11.16

日本VSオランダ戦を見ました

 FIFAランク44位の日本と8位のオランダ。欧州でプレーする日本人選手も増えましたが格が違うと思いますね。「日本代表は弱い」という前提で物事を考えないとダメですね。

 日本の今の固定した代表メンバーでの「伸びしろ」はありません。であるならばこの種の「強化試合」では控え選手を先発にし、ガンガン試合をすべきです。負けは見えているし、虚脱感と無力感が残る負け方は嫌ですね。

と思っていましたら、ザック監督こちらの思いが聞こえたのかメンバーを変えました。FWに大迫。香川の位置に清武。遠藤の位置に山口。GKは西川と4人変えました。替えてもそん色はなく試合開始早々は日本が押していました。しかし決定機が2度ありましたが決められない。

 オランダは1対1に強い。パススピードが速い。ショートパスを避け、ダイレクトな早いロングパスや、中距離パス、サイド・チェンジを繰り返す。日本の守備がばらけ、ミスが出たとたんにオランダが先制点。

 前線へ長い速いパスを受けてがキープし、ダイレクトパス。走りこんできたエースのロッペンがダイレクトボレーで39分位に2点目。これで前半はおしまいかと思いました。

 43分に果敢に前線へ飛び出した長谷部がマークを引き付けて逆サイドの大迫にパスを出すと、大迫はダイレクトでオランダゴールへ蹴りこみました。これで1-2になりました。試合は面白くなりました。
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 後半はどうなるでしょうかね。

 後半は日本は選手交代しました。遠藤と香川が入りました。長谷部と清武に変わったようです。2人が入ったことで攻撃の連動性が高まりましたね。

 後半15分位に遠藤から大迫、内田を経由して本田がゴールを決め2-2の同点に追いつきました。
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 更に選手交代し、大迫に代えて柿谷。両サイドの長友と内田に代えて2人の酒井を投入し、「勝ちに」行きましたが、もう1歩及びませんでした。
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 オランダの出足を食い止めていただけに、今1歩でした。

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11月16日の夜須の海

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 2013年11月16日の夜須の海は穏やかでした。快晴でした。波もなく、風は弱いほうでしたが、寒くはありませんでした。今週はいろいろと公私ともにせわしかったので、海からのエネルギー補給にやってきました。
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 風は弱めでしょうが、慎重にぎ装(ヨットの組み立て)をしました。陸のリズムから海のリズムに切り替えるのにぎ装の作業は適切。あれこれ海の上の事を考えながらします。服装も考えます。ゴルフやテニスは到着して準備運動してすぐにプレーが可能でしょうが、ヨットはそうではありません。ぎ装という作業があります。私にとって「至福の時」なのです。

 今日は高知大学ヨット部もジュニア・ヨットクラブもおられましたが、全員集合状態ではありませんでした。午前中はぎ装して私が1番に海へ出ました。
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 微風ですが快適なセーリングでした。服装はウエット・スーツで丁度でしたね。足元が寒いので、ウエット。ソックスを履いてお決めのズックを履きました。寒さ対策になりました。
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 赤岡を目指してセーリングしましたが、風の方向ではたやすくいけないので、ヤッシー・パーク離岸堤を巡回しました。
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 ジュニア・ヨットクラブも出艇してマーク回航の練習をしています。
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 今日は快晴でしたが、体調は今一つ。海の上で寒く感じました。それで40分おきにハーバーへ上がり休息。また海への繰り返し。3回繰り返しました。体調は今一つでしたが、ど近眼の私は遠くの海面や山並みを懸命に見て風を予測します。眼の疲れが癒されます。
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 セーリングはいろんな動きをするので、体の疲れもほぐれました。良かったです。
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 海からたっぷりエネルギーをいただきました。明日は「下知津波避難計画検討会」が午後からあります。来週の日曜日は「防災炊き出し訓練」その準備会が木曜日に設定。またまたせわしい。頑張れそうですね。
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「個人の備え・地域の備え」(西田政雄氏防災講演会)


 2013年11月15日の中宝永町樹種防災会主催の連続防災セミナーは「個人の備え・地域の備え」(講師・西田政雄氏)でした。

西田政雄さん(防災寺小屋・主宰)の話は毎回内容がとても濃いです。
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 今回も出だしは、南海トラフ巨大地震の説明をパワー・ポイントの画面を活用して全般的にわかりやすくされました。
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 とにかく下知地域全体が軟弱地盤。ボーリング調査で地下35メートル掘っても硬い地層にならない。上層の1メートル足らずは固い土層。以下はシルト層という軟弱な地層です。強い揺れにさらされたら、土と水分が分離し、液状化現象が起き、建物が傾く可能性がとても高い地域です。

 高知市下知地域では、地震発生後「30分以内が生死をわける」と西田政雄さんは言われます。つまり30分以内に安全に怪我なく、自宅から脱出し、歩いて最寄りの安全な津波避難ビルや施設に避難しなければ、命の保証はありません。厳しい地域です。
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 ですので、家具の転倒防止対策と住宅の耐震補強は必要ですね。最寄りの津波避難施設にたどり着くためには自宅からの安全な避難がより求められます。

 個人の備えは地域によって異なります。また避難用品を置く場所も枕元だけではなく、玄関口や、車のトランクなど自分の行動半径内に置くべきだろうと西田さんは言います。いつどこで災害が起きるかわからないからですね。

 西田さんの避難用のリックの中身の説明もありました。よくぞコンパクトに収まっているなと感心しました。
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 また家族相互の連絡方法も、災害伝言ダイヤルも毎月1日に練習日があるようなので練習するとか、避難連絡場所を家族で決めておくことが大事です。また遠く離れた家族や友人がいれば、中継基地になっていただいて、家族の安否確認役をしてもらえばいいと言うアドバイスは実践的でした。

 地域の活動も、町内会ごとに「固まって集団避難する。集団疎開できる。」ように行政側と交渉すべきであると西田さんは言います。阪神淡路大震災で震災後の孤独死が多かったのは、地域の分断、コミュニティを配慮しない避難所・仮設住宅のありようでした。
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 新潟中越地震の時の旧山古志村は、村全員が集団で避難し、集団で同じ仮設受託エリアで生活したと言われました。

 下知地域でも参考になる実践的な講話でした。防災カードは各人が持っておく必要性はありますね。
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 次回の中宝永町防災連続セミナーのテーマは「耐震診断・耐震補強 良い業者の見分け方」です。これまた実践的なセミナーです。是非ご参加ください。

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岡本直也氏講演会を高知新聞と朝日新聞が報道しました

  高知新聞と朝日新聞が、11月5日に下知減災連絡会で実施されました「岡本直也さん講演会」の様子をきちんとした記事にされていました。
 
 高知新聞は「防災啓発へ住民実践」と、下知コミュニティ・センターを活用した講演会・防災講習会・炊き出し訓練・仁淀川町との交流などの経過や告知などをしていただきました。
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 朝日新聞・高知版では「地震後に備え人材を」と曳家職人岡本直也さんの講演の様子の詳細が記事になっています。高知では安価で適正な沈下修正工事ができるシステム作りが今後は大事である。とレポートされていました。
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2013.11.15

福祉も減災も地域コミュニティが大事です


 2013年11月12日は、下知コミュニティ・センターにて「向こう3軒両隣」と言う演題で講演会がありました。主催は下知コミュニティ・センター運営委員会地域活動部会(前田長司会長)です。講師は、高知市地域福祉課須藤碧氏と坂田弘之氏(いずれも社会福祉協議会)でした。
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 高知市の社会福祉事業の概要の説明と、生活困窮者ほど地域で孤立している。公的なケアだけでは不十分であり、地域での見守り、支え、つながりが必要であるということでした。

 この考え方は地域防災やまちづくりにも共通する考え方であり、「市民自治」の基本であります。

 よくある事例は、本当に生活が困窮している人が、生活保護の申請をしようにも窓口が複数で、たらいまわしにされ、結局はとん挫する事例が多いとか。日本には現在216万人の生活保護受給者がいますが、所得などから推論するにそれは全体の2割程度の受給に留まり、1000万人は対象者がいることになります。

 高知市は各市役所部署の窓口を1本化し、「高知市生活支援センター」を11月18日から発足させるようです。市役所もそこまでやるので、地域住民も「見守り」や「おたがいさま」の気持ちで隣近所付き合いをしていただきたいという講話でした。
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 問題があるとすれば、福祉のこうした分野と、防災やまちづくりを担当する市役所の部署同士の連絡や連携がなく、例によって「縦割り的」「たこつぼ的に」ネットワークされ、地域の中で分断されていることでしょう。それを感じた講演会でした。

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2013.11.14

二葉町自主防災会・リーダー会

 二葉町自主防災会・リーダー会が2013年11月13日、午後6時半より下知コミュニティ・センターで行われました。今回の議題は盛りだくさんです。

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1)防災世帯調査について

  町内会加盟世帯以外、二葉町町内全世帯の調査。強制ではなく自己申告制にて行います。強制ではありません。防災世帯名簿は自主防災会にて集約し、下知コミュニティ・センターのカギのかかるキャビネットに保管します。大災害時以外は利用いたしません。

町内会加盟者以外の、賃貸マンション入居者へも呼び掛けますので、防災世帯調査の意義目的を書いた呼びかけ文章を作成するようにとの意見が出されました。それは情報班長が早急にこしらえます。


2)下知南地区津波避難計画策定検討委員会(11月17日)について

  →各班の危険個所・課題を出してください。

   防災会や町内会の役員以外でも出席可能な人は当日出席いただくことにしました。

3)防災炊き出し訓練(11月24日実施)について


  →午前9時集合。炊き出し各位準備。水道は屋上にはありません。洗い場は3階。とても
   不便です。それを承知で100人分のカレーライスをこしらえます。


  →各班はその前に各班近くの津波避難ビルに避難。状況をトランシーバーで
   下知コミュニティ・センター本部(森・荒木)に連絡する。

4)仁淀川町との疎開保険について

  →1人1口年間1000円・説明資料有。仁淀川町宝来荘を活用した、交流や空き家探しに活用します。
日頃は空き家を夏のセミナー・ハウスのように活用します。

5)防災講演会(12月5日)防災講習会への参加依頼

今回提案する「巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂浮力体構造物」は、船ではなく筏のようなものです。講師の小谷鐵穂さんは長年橋梁の技術者をされておられました。技術的な知見は間違いありません。

 活発な意見交換がされまして、8時にリーダー会は終了いたしました。

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2013.11.13

本塁打王と最多勝投手がいて最下位の不思議さ

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どうでもいい「暇ネタ」の1つですが、母(87歳)と毎週金曜日に行く活き活き100歳体操(介護予防体操)でいつもドーナツを購入する魚の棚商店街の冷蔵庫にプロ野球球団ヤクルト・スワローズのマスコット「つばくろ―」のシールが貼ってありました。

 娘がヤクルトのファン。現在東京にいるので神宮球場へも幾度か観戦に行ったらしい。通勤にもヤクルトスワローズの野球帽を被っていっている。

 今年のヤクルトはホームランの日本記録を更新したバッターと最多勝利の投手がいながらの最下位。どうなっているのでしょうね。来季はどうなのか?

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2013.11.12

コミュニティの基礎は「向こう3軒両隣」ですね。

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 11月12日に下知コミュニティ・センターにて「向こう3軒両隣」という講演会があります。講師は高知市者社会福祉協議会地域福祉課地域福祉グループ長の坂田弘之さんです。

 防災は防災、地域福祉は福祉、商業は商業という「分断された」行政の縦割り的な発想ではなしに、すべてを含有した地域コミュニティでなければならないと思います。

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2013.11.11

今日も元気に介護予防通所リハビリへ行きました。


 11月11日月曜日。今日は12時5分位に送迎車が来ると言うのでせわしい。午前11時過ぎには両親の昼食の段取りをし、12時前にはトイレも済ませ、身支度をして待っていなければならない。
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 父(94歳)は手早く服を着替え送迎車を待ち構えています。
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 母(87歳)は、「ズボン下を履いていないので寒い気がする。眼鏡に色がついているのでおかしゅうわないかね。」と何度も30秒ごとに繰り返して言います。「おかしゅない。」「似合っている」と言っても「かけんほうがえいかね」との繰り返し。
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 「今日は時間どうり来たな。」と父。父は「定刻主義者」ですので、遅れることが嫌いなんです。2人とも元気に行きました。

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11月5日の防災講演会が報道されました。

  高知新聞と朝日新聞が、11月5日に下知減災連絡会で実施されました「岡本直也さん講演会」の様子をきちんとした記事にされていました。
 
 高知新聞は「防災啓発へ住民実践」と、下知コミュニティ・センターを活用した講演会・防災講習会・炊き出し訓練・仁淀川町との交流などの経過や告知などをしていただきました。
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 朝日新聞・高知版では「地震後に備え人材を」と曳家職人岡本直也さんの講演の様子の詳細が記事になっています。高知では安価で適正な沈下修正工事ができるシステム作りが今後は大事である。とレポートされていました。
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2013.11.10

おびさんマルシェ星空映画会

 2013年11月10日のおびさんマルシェの星空映画会。うちには2人の超高齢者がいますので、少しだけ観賞させていただきました。
 会場へ着くと、ちょうど星空音楽界の終盤でした。盛り上がっていました。

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 チェコスロバキアの50年ほど前のアニメ映画だそうです。最初は「けしの実 太郎」貧しくもつつましく生きている老夫婦。クリスマスになってもお互いのプレゼントを買うお金もない。ひょっとしてバザールへ行けば無料で何かもらえるかもしれない。とのことで行きますが、無料でもらえるものはなく空しく家に帰りました。
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 お婆さんは魚のうろこを路上で拾い、お爺さんはけしの実を拾いました。うろこを鍋に入れてスープにするとそれは実のたくさん入ったスープが出来ました。けしの実を鉢に植えますと成長して、なかから男の子が出てきました。
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 夫婦は大事に育て、けしの実太郎は動物たちと話もし、小さいながらも成長していきました。というほのぼのした話でした。
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 8時前になりましたので、中座させていただきました。大勢の人達、家族ずれが帯屋町公園の階段や椅子へ座り、立ち見もして見ていました。露店も夜も開店し、飲食の露店もやっていましたので、なかなか盛況でした。

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高知商業高校ラオス学校づくりのイベント

 おびさんマルシェの帰りにはりまや橋商店街へ寄りました。高知商業高校がラオスに学校を建設するための資金を稼ぐためにライスの製品の販売や、様々な物販を販売していました。
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 高知市の健康福祉課と生徒たちが健康測定コーナーをしていましたので、健康診断。さっそくタニタの体重計と体脂肪計で測定。嬉しことに体型はスタンダードで、体脂肪率は17・4%で標準とか。
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 保健士さんの指導は「このままの状態を維持してください」とのこと。身長測定が2センチ低く測定されてしまいましたが、「メタ」ではなかったようでなによりでした。
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 キムチとメロンパンを購入しました。

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おびさんマルシェへ行きました。

 朝は雨でしたが、10時過ぎから上がりました。今日は朝は父を連れて、ゴルフの打ち放し場でのリハビリ。昼食をとってからは、母を連れての美容室。それから家内と一緒にスーパーへ買い出しに行きました。

 それで一段落して歩いておびさんマルシェへ行きました。今日は高知市中央公園で「高知介護の日」のイベントもやっているし、はりまや橋商店街では、高知商業高校の生徒たちがラオスに学校を建設するために露店を出して懸命に売り込みをしていました。それで久しぶりに高知市の商店街も元気が良いようだ。

 雨がやはり心配なので、長靴と傘を持って行きました。湿度が高いですから雨は降るでしょうから。

 手作りの、自作のセンスの良い品物を販売するお店が数多く出店していました。いいことですね。文化的な背景があり、下手に行政の変な指導や支援を受けていない「健全な」行事に育ってきたのでいいことです。
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 実行委員長の大西みちるさんも「晴れ男」宣言をしたとおりになんとかお天気は持ちました。
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  夜は映画会もあるようです。
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 野菜ソムリエである押岡さんにもお会いしました。しぼりたてのゆずのジュース(ホットは美味しかったです。御主人が高松での四国レーザー選手権で優勝されたとか。おめでとうございます。
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母は2週間ぶりの美容院へ行きました。

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 腰が痛いと言う母(87歳)ですが、手をつないで歩いて美容室へ行きました。歩くとふらふらするというので、最近は母と手をつないで歩いています。(そういえば、家内と最近手をつないであるいていませんね。)

 髪を洗い少しだけ髪を切ったそうです。オール白髪ですが綺麗になりました。

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父は今日も元気にリハビリです

 今朝の高知市は雨。雨ですがいつものように父(94歳)は、ゴルフの打ち放し練習に出かけました。最初のうちは練習場ももやっていました。

 125発を無事打ちました。雨のせいか、シニア打席は人が少ないようでした。
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津波避難計画策定作業が始まります

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 11月17日(日曜日)午後1時から、下知コミュニティ・センターで「下知南地区津波避難計画策定協議会」が開催されます。

 高知市役所の防災担当部署と地域住民とで、海に近く低地の高知市下知地域での津波避難計画の策定作業が始まります、

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2013.11.09

久しぶりの夜須の海

 ブログで見てみますと10月13日以来のセーリングですね。その時は26度もありました。服装もブラジル代表のTシャツと短パンの夏仕様。その後台風やらでセーリング出来ませんでした。

 10月27日は夜須で「シーカヤック・マラソン」のお手伝い。29日は仁淀川町長者へ脱穀作業のお手伝い(二葉町ー仁淀川町との関係で)。11月1日・2日は横浜・東京出張。3日は「昭和秋の感謝祭」。11月5日は「岡本直也さん講演会」8日は「石井弘利さん講演会」と連続していましたので、精神的にもへばっていました。

 今日は南金田自主防災会の津波避難ビルへの退避訓練でしたが、さすがによう行けませんでした。岡崎会長すみません。約1か月ぶりの海でまったりさせていただきました。

 今日行かないと、17日は「下知津波避難計画策定説明会」。24日は「下知コミュニティ・センターでの防災炊き出し訓練」。12月1日は(第2回市民とつくる防災フォーラム」になっています。海を眺める時間―自己回復の時間がありません。それで今日は夜須へ行きました。
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 靄がかかったような曇天。時折日も差しますが、風は微風。久しぶりなのでもう少し吹いていただきたいところですが、11月9日は風が強く吹きません。

 さすがに夏仕様は寒いので、今年初めてウエット・スーツを着用しました。今年は台風と秋雨の関係で、夏仕様から「簡易ウェット・スーツ」(合羽+アンダーウエア)の着用期間がありませんでした。
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 ぎ装を微風とはいえ慎重にしました。今日は高松でレーザーの大会があると言うので、レーザーに乗っている社会人や、ジュニア・ヨットクラブはいません。高知大学ヨット部がいるだけでした。
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 波がない海面でしたので出着艇は楽でした。どん曇りでありました。海には渡り鳥たちが浮かんでいました。
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 微風なのでゆっくりしかヨットは進みません。風が弱いので遠出は出来ず、ヤッシー・パークの離岸堤を何回か巡回しました。
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 久しぶりでしたので、目の疲れ、心の疲れが取れました。最低週に1回はセーリングしたいものです。

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11月8日のはりまや橋サロン

 11月8日(金曜日)は朝から疲れているせいか、二葉町町内会の毎月第2金曜日に開催される「資源・不燃物ステーション」への持ち込みを完全に失念しておりました。それだけ疲れていたわけです。

 先週は横浜・東京出張で、欠席しましたはりまや橋商店街金曜露店市と活き活き100歳体操はりまや橋商店街サロンに母(87歳)を連れて行きました。

 相変わらず「腰が痛い」と繰り言を言う母(脊椎間狭窄症ですからいたしかたありません。)ですが、歩けば夏ごろに比べ格段に足腰がしっかりしました。やはり介護予防リハビリの効果が出ています。何もしなければ今頃は「寝たきり老人」になっていたことでしょうから。
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 いつものようにパン屋さんでドーナツを買いました。今日はわたしも息子も夕食は不在なので、コロッケ屋さんはパスしました。
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 谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を買っています。

 その後谷さんのお店でコーヒー(1はい00円)と焼き菓子150円を母と一緒に活き活き100歳体操が始まる前に食べました。親子での2ショット写真を谷さんに撮っていただきました。やはりよく似ています。
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 今日の活き活き100歳体操は、高知市役所の職員の方が、屋外でやっている活き活き100歳体操の様子を兵庫県で発表するのでVTRの撮影をされていました。
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 母もインタビューされていましたが、あいかわらず口から出まかせをよどなく答えています。

 体操が終わって叔母も焼き菓子を購入していました。
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 母は沖縄のサーターアンダーギを購入していました。

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石井弘利さん講演会が開催されました。

 2013年11月8日に高知市下知コミュニティ・センターにて「長田復興から学ぶ!下知復興への備え」第2回防災部会講演会 が開催されました。
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 司会進行は下知コミュニティセンター有光センター長がされました。

 今日は、遠く神戸市長田区鷹取商店街振興組合理事長石井弘利さんをお招きし、「長田復興から学ぶ!下知復興への備え 地域の復興と住民の心の復興」という表題で、お話を伺いたいと存します。始めに下知コミュニティ・センター運営委員会西村健一防災部会長より歓迎の挨拶をいたしました。。
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 「下知コミュニティセンター防災部会長 西村健一です。5年前二葉町防災会として鷹取町内会の皆様とは交流させていただきました。今日は住民視点から長田区鷹取地域の街の再生にどう取り組まれて来たか。また教訓はなにか。本音の話を傾聴したいと存します。

 今年で阪神大震災(1995年1月17日)から、18年が経過いたしました。神戸市は建物こそ復旧し新しい町並みが形成されていますが、下町の長田区のかつての賑わいは再生されておりません。

 再開発ビルや復興ビルは数多くの店舗がシャッターを閉めています。神戸市役所の思惑と、市民の街を思う気持ちとが上手く未だにかみ合っていないようにも思えます。そのあたりはどうなのか?わたしたちが参考にすべき点は何なのかをお話していただきたいと思います。」
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 次に、今回の石井弘利さんと高知市下知地域との懸け橋であり、二葉町自主防災会の設立以来の顧問である防災寺小屋主宰の西田政雄氏より、石井さんとの関わり、今回の講演会の意義についてお話をしていただきました。

 「必ず来るであろう南海トラフ巨大地震。来る前に地域住民としてやらなければならないことはいくらでもあります。そのあたりヒントになる話を石井弘利さんの震災から18年間の体験談から学んでいただきたいと思います。なにもない。知識もない状態から区画整理事業や都市計画を勉強され、住民の要求をいくつか実現されました。

 そのあたりの実話をじっくり聞いていただきたい」と述べられました。
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「高知市下知地域。海抜0メートル。すぐに水が来る。津波が来る。そのことが話題の中心になっているようですが、家の中からまず安全に避難することも皆が真剣に考えないといけないのではないでしょうか。」

「地震当日は5時46分に地震があり、6時にはもう火事になっていました。神戸市のコンピューターシステムが誤作動し、消火栓にホースをつないでも水が出ませんでした。おかげて地域は全焼。100人以上が犠牲になりました。」

「犠牲者の大半は高齢者と子供です。避難計画を立てる場合は、その高齢者と子供の安全をどう確保するのかも検討しないといけないと思います。」

「地震当時もそうでしたが、地域の中学生・高校生たちが大活躍しました。日頃から地域との交流を深めていくことは大事であると思います。」

「さて地域の再建・復興の話ですが、当初区画整理事業というもにが皆理解できませんでした。神戸市が一方的に「平均9%の減歩」を言って来ました。我々は勉強して神戸市と交渉し「上限9%の減歩」にさせました。
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 当時の建設省へも乗り込み、長田の窮状を訴えました。そうすると翌日から神戸市の態度が急変しました。行政の言いなりになるのではなく、住民側も言うべきことは言うべきです。」

「行政は例外がないから出来んと言う。それもしつこく言い続けるとそれは実現する。役所と対抗するには勉強しないといけない。まちづくり協議会などの住民の広範な組織で議論して、勉強して行政側と対峙しないといけない。」

「長田では市役所主導の再開発ビルが建ちました。家賃や管理費が高いので店舗が埋まりません。震災後住民とくに借家人が地域から多く出て行き人口も減りました。住民側の意向と市役所の再開発プランとの隔たりが大きいのです。」

 石井弘利さんは教訓としてこういわれました。

「役所と言うのは住民がだまっとったら何もせえへん。言わないと権利もないと思わないといけない。」

「役所は命を守ってくれない。命を守るのは、自分と家族と隣近所のお付き合いだ。地域で真剣に考え、検討しないといけない。その上で役所に要求すべきことはすることだ。」

「地震となれば電気とまる。ガスも水道も止まる。家も壊れる。商売人は商売せいへんかったら1円も収入がなくなる。でも役所の人は罹災の時も給与は出るし、ボーナスまで出るんや。商売人はたいへんやぜ。だから日頃から真剣にもしものことも考えなあかんのや。役所は助けてはくれへんのやから。」

「要求して5年据え置きの金利なしの20年支払いの貸し付けをしてはくれましたが、まもなく20年。支払いの延長を要求するものもおるやろう。役所やコンサルが言うように簡単にまちは再興できへんのや。

 復旧はたしかにできたのかもしれん。でも復興は未だならずや。」と言われました。
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 会場からの質問もありました。住民の心構え、役所の態度についての質問が多かったようです。それに対して石井弘利さんはこう言われました。

「住民側は集まって、まちづくり協議会をこしらえて、地域の要望を役所に言うことや。言わないと何も始まらん。それをせんと文句ばかり言っても何も変わらん。

 住民側も勉強せんといかん。役所に対抗するには勉強が必要や。地域の絆を強めて、地域からの要求を聞いてもらうことや。それにはメンバーには役所の人にも入ってもらい、一緒に地域づくりをやっていたらえいと思う。

 いずれにしろこの地域は南海地震が来るのだから、。その時に困らないように、地域の地盤のかさ上げをするとか、耐震地盤をこしらえるとか、耐震高層住宅を建てるとか地域の要求を行政側に出すことや。それを地道にやっていくことです。」

 週末で参加者は23人でしたが、中身の濃い懇談会でした。せっかく鷹取商店街振興組合理事長が来ているのに、建設業協会や中心市街地商店街や卸商組合にもご案内をしましたが、参加はありませんでした。このあたりも高知の商業者の問題意識の低さが気になるところです。

 高知市議会議員や高知県議会議員全員にも案内しましたが、ご参加いただいたのは、地域代表の坂本茂雄県議と、上田貢太郎市議だけでした。選良の意識の低さも気になりますね。
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 高知も他人事ではありません。南海地震は間違いなく起こります。市民としての「心構え」をあらためて再考させられた講演会でした。
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 講演会は最後に二葉町自主防災会会長の森宏さんの謝辞で終わりました。

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「広田弘毅 悲劇の宰相の実像」を読んで


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 「広田弘毅 悲劇の宰相の実像」(服部龍二・著・中公新書・2008年刊)を読みました。広田弘毅氏については、東京裁判で処刑された唯一の文官でした。という知識しかありませんでした。

 この人物は、どういう生い立ちと思想的な形成をし、何故軍人でもないのに敗戦国日本の罪を背負ったのか?それを知りたくて読みました・

 九州福岡の出身で実家は石屋でした。1878年(明治11年)の生まれです。幼少時から字が上手く石屋の字も書いていたようです。またこの地から広く社会運動を行っていた玄洋社の影響も受け、後に頭領の遠山満とも親しい間柄だったようです。

 秀才で一高―東京帝大と進学し、外務省へ入所しました。そして外交官としてのキャリアを積み、1930年代においては、何度も外務大臣を歴任しています。短期間でしたが1936年の2・26事件直後の内閣総理大臣も歴任していました。

 広田弘毅の外交の真骨頂は対ソ連と対中国外交でした。

 傀儡国家満州国とソ連は長い国境線を有していました。広田弘毅はソ連を観察し、こう述べていました。

「1917年の革命によって成立した新ロシアをソビエト・ソシアリズム連邦と言うが、ソビエトはロシア旧来の組織であって、これにロシアにとっては新思想であるソシアリズムを加えて実行しているのが現状で、両者の調和がどう行っているかは、未だ試験管中のものと呼ばざるをえない」

「広田は帝政ロシアの侵略主義を継承したものといぶかっていた。スターリン氏になってから1国社会主義の実現に転向したことについても。ロシアがマルクスシズムのみを以て政治を行っていない証拠とみなした。」(P59)

 と冷静にソ連を観察しています。ソ連側から提起された日ソ不可侵条約についても」真剣に検討すべきであると言っていたようです。

 広田外交は危ういバランスで保たれていたと著者は言います。

「満州国の存在を前提としながらも、連盟脱退から孤立の道をさらに進むのではなく、列国との関係を持ち直したいと言う要請である。(中略)

 何しろ、満州国の育成を第1目標にしながら中国とは善隣互助の関係を保ち、しかも列国には満州国を開放しつつ承認を求めようというものである。そこには原理的な矛盾が含まれるといわねばなるまい。」(P74)

 ソ連との不可侵条約などは、軍部の対ソ強硬派に邪魔をされ、中国との善隣互助関係も軍部の強硬派の軍事行動や高圧的な中国に対する態度の表明で、結局は失敗してしまいます。

 結果的に広田外交は、日中戦争の歯止めにはならず、武力行使を中国への圧力に利用することになったため、対日友好派が中国内で崩壊し、対日強硬派が覇権を握り抗日勢力が拡大していきました。

 敗戦直前に対ソ連外交をやるにも時期が遅くなり、」参戦を招いてしまいました。東京裁判では、南京での日本軍の暴虐行為を広田が報告を受けながら諌めなかったことが、大きなマイナスポイントとなり、極刑が言い渡されることにもなりました。

 青年期は玄洋社の影響で大陸思考であり、外務省入庁後の1920年代は欧米志向の潮流に乗っていました。満州事変後にアジア主義的な傾向を強めたものの、広田の日中提携論は内外の急速な変化に対応できず変質し、ついには日中戦争で破たんしてしまったと筆者は言います。

 満州国の維持や中国との親善を前提とする広田は、日独伊3国同盟には反対していました。ただ声を張り上げ、体を呈してするだけのことはしなかった。流されてしまった。

 結局「戦犯」として東京裁判で極刑の判決を受けました。裁判でも証言台にたつこともなく、淡々としていたそうです。

 なんか不思議な人物だなと思いました。
 
 GHQが今上天皇の誕生日である12月23日に広田弘毅や東条英機らのA級戦犯7人を処刑しました。敗戦国日本へのGHQのメッセージと言えるでしょう。

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2013.11.08

古紙回収業もまあまあの景気のようです。

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 月に1回、倉庫に来ていただく古紙回収車。なじみの人に古紙回収業の景況を聞きました。

「よくはないですね。でも最悪でもない。今の時代悪くなければいいんではない。」と言われました。

 街角景気判断は、「よくないね」になります。

 一方で下の写真のような、リンゴの緩衝材になっている緑の段ボールや、プラスチックを編み込んだクラフト紙は回収しないようです。しろうとにはわかりませんね。
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2013.11.07

遅いはごろもフーズの苦情処理対応

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 ようやくはごろもフーズが、対応しました。
 新聞で告知報道されていましたはごろもフーズ製のシーチキン。1部に食べるとアレルギーを起こすとかいう物質があるとか。該当製造年月日の品物は取り替えるとありました。

 新聞各紙にははごろもフーズのお客様相談室の電話番号が記載されていました。新聞掲載後100回程度電話をしましたが、繋がりませんでした。

 FBの友人がスーパーへ持ち込めば取り替えるはずとの情報をいただきましたが、直接宅配便の着払いではごろもフーズ本社へ送付しました。その後約1か月は無反応。電話すらありません。

 そしたら11月6日に現金書留が来ました。そのなかに品物代金504円(内訳シーチキン3個代金)と、お詫びの手紙と、500円分の図書カードが入っていました。

 一応「苦情処理」はこのメーカーとしてはこれで完了ということなのでしょうか?なんだか釈然としませんが、図書カードをいただいたことでよしとしましょう。

 もっと「速やかな対応」がとれなかったのかとは思いますね。

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2013.11.06

母(87歳)はデイに。父(94歳)はショート・ゴルフコースに


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 今日は母がデイサービスへ行きました。父のほうは退屈しているようでした。春以来行っていないので、長浜のミニ・ゴルフコースへ午後から連れて行きました。

 最初は打ち放しを40発して体をほぐしました。そして申し込みをしてミニコースへ。わたしは荷物持ちのつきそいです。最初は「しんどい」とか弱音を吐いていた父ですが、打った球が1回でグリーンに乗り、1回のパットで入ったので、「続けてやろう」と張り切りました。
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 平日なのに結構人が来てますね。前の組は若い男女4人組。その前は女性2人組。父は歩くのが遅いので丁度でした。本コースでゴルフをするという目標に少しだけ父は近づきました。
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 わたしも正直疲れまくっていましたので、散歩したら気持ちが良くなりました。ゴルフを私はしませんが、散歩でもいいものです

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曳家職人岡本直也さんの講演会が開催されました。

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2013年11月5日、高知市下知コミュニティ・センターで、曳家職人である岡本直也さんの講演会「液状化被害の住宅修復と備え 東日本罹災地からのメッセージ」(下知減災連絡会主催)が開催されました。
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 岡本直也さんは、1960年生まれの現在53歳。地元高知市宝永町在住。19歳から曳家職人として父親(先代)に師事され、27歳で親方になり、曳家として活躍されておられました。
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 東日本大震災直後に、震災で液状化の被害が酷い千葉県浦安市に入り、家屋の沈下修正をされている姿をTV番組「バン・キシャ」が特集で取り上げていました。講演会はその沈下修正の様子を丹念に描いていました。

 空のジュースの缶を床に置くとどこまでも転がる家。ドアが開いても勝手に閉まる。家が傾いているがゆえに、家人の体調まで悪くなる。岡本直也さんは丹念に傾き具合を調べ、床下に潜り、職人を指示して、ジャッキを多数(画面の家屋では60数個)家屋の床下に配置し、慎重にジァッキ・アップし沈下修正しますと、傾向いていた家屋は水平になります。

 1週間の工程で、岡本直也さんの曳家の沈下修正は完了しました。後半は津波が押し寄せる岩手県石巻の様子が画面に映し出されていました。高知県で言えば。、浦戸湾湾口部や、能見湾に地形が似ていると言われました。家屋が津波にゆっくりと呑み込まれ、ゆっくりと流れている様は息をのまれました。

 液状化被害の沈下修正を関東だけでなく、東北各地でされておられ、真摯な仕事ぶりは、テレビや雑誌、新聞などでも取り上げられました。でも岡本直也さんには悩みがありました。
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 「今はマスコミにちやほやされていましても、切れ目なく今後も仕事が継続してあるかと言えば保証の限りではない。長期の県外での仕事が続くと疲労も溜まります。雇用している2人の職人の安定雇用も大事です。

 曳家の技術を取得するのには最低6年はかかります。高知も南海地震が来ることがわかっているのであれば、職人養成の社会的なしくみをつくらないと、曳家の技術(沈下修正)は継承されません。」

 「全国展開している沈下修正できる曳家は、私を含め20社程度しかありません。東日本大震災直後あらわれた多数の沈下修正業者は「にわか業者」です。きちんと行政側はガイドラインをこしらえないと技術のない無責任な業者に、公金をむしりとられ、家屋の沈下修正もろくに治らない事態に依頼主も被害を受けています。

 60歳を超えた現役の曳家職人はいません。わたしは53歳ですので、10年後は引退しています。今職人を6年かけて養成しないと後継者は育ちません。9年間は地域でお礼奉公していただければ、15年間は活動できますから、」
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「今行われている南海地震対策は、堤防の耐震化や津波避難タワーなどハードな土木工事が主体です。それも大事なことです。でも液状化で傾いている家屋を沈下修正できる職人を高知県で継続的に養成する仕組みをつくりませんと大変なことになります。

 浦安市は経済的に豊かな自治体。市民も経済的に豊かです。1軒当たり300万円の沈下修正の交付金もありました。それが隣の習志野市になると財政状態が豊かでないので、地震から2年半経過しても沈下修正されていない家屋が未だに多数あります。

 高知県も市民が自力で沈下修正できる家は僅かです。多くの市民の家屋は傾いたままになるでしょう。家屋の解体工事ができる業者の技術は均一化していますが、家屋の沈下修正できる業者は数が少なく、養成をしないと南海地震後の復旧・復興ができません。それをわたしは心配しています。」

 参加した40人の参加者は皆真剣に聞き入っていました。高知新聞と朝日新聞の記者とテレビ高知が取材されていました。
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 岡本直也さんを取材された雑誌や新聞が受付横の机に展示されていました。

 11月8日は「長田復興から学ぶ 下知復興への備え」という表題で、神戸市長田区鷹取商店街振興組合理事長石井弘利氏の講演が行われます。

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ロコモを防ぐには、早くからの運動習慣です


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 このテーマで一度書きました。でもとても大事なテーマです。うちの母(87歳)が今年の夏にまさにロコモ(「運動器症候群)です。身体を動かすのに必要な器官に障害が起こり、自分で移動する能力が低下して要介護になる危険度が高い諸症状のことです。

 厚生労働省の調査によれば、要支援・要介護になる原因の1位は運動器障害であり、よく知られている脳血管障害や認知症よりも高率であることから、同シンドロームの予防は健康寿命延長の大きなファクターとなりうるとのこと。

 ロコモティブシンドロームかどうかのチェックポイントとして、日本整形外科学会が挙げているポイントは次の7点。(1)片脚立ちで靴下がはけない、(2)家のなかでつまずいたり滑ったりする、(3)階段を上るのに手すりが必要である、(4)横断歩道を青信号で渡りきれない、(5)15分ぐらい続けて歩けない、(6)2キログラム程度の買い物をして持ち帰るのが困難である、(7)(布団の上げ下ろしなど)家のやや重い仕事が困難であることです。

 母は「脊椎狭窄症」での腰痛があり、腰が痛いと言って歩きませんでした。猛暑でもあり家に引きこもりな手ばかりいました。歩くことも満足にできなくなり大変でした。対策としてケアマネージャーさんと相談し、通所型介護予防リハビリの回数を週1回から2回に増やし、9月からは1日ディへも行くようにしました。金曜日は必ず活き活き100歳体操へも連れて行きました。

 それで随分運動機能は回復しました。相変わらず腰の痛みは訴えますが、運動療法は続けて行くようにします。それが1番の治療法であるからです。

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2013.11.05

人生の後半をどう生きるのか

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 わたしもなにも大したこともせず、平凡に還暦を過ぎました。日常の雑事に追われ人生は過ぎ,年齢を重ねています。先日逝去されたやなせたかしさんの生きざまには感銘しました。今年81歳になる作家五木寛之さんもいいこと言っていますね。

 週刊現代2013年11月2日号の116に五木寛之氏の随筆が掲載されています。「峠を越えてゆっくりと下る、「人生の後半」をどう過ごすか。80代を「面白く」生きる著者が、感じるままに綴る雑録集」であるは、「生きることは面白い」とう書籍。

 やなせたかしさんの晩年の著作を図書館で借りて読んだばかりですので、よけいこの記事が気になりました。五木寛之さんも高齢者免許講習会へも行かれ、最初こそ動体視力が落ちたから返上しようかと思っていたらスタッフ皆が意外にも反対し、講習を受けたというのが10年ほど前の随筆でしたから。

 ところどころに「突き刺さる言葉」がありますね。

「人生を2つに分けたうちの後半、65歳前後の人生は最も困難な時期でしょう。
 子供の親と同時に、年老いた親の子供でもあり、最も困難を抱える時期ですから。

 その時期さえ超えてしまえば、人々が何を求めているのかをおもしろがって見ることができるかもしれない。

 傍観者でなければ見えないものもありますからね。」

「世の中にはパラダイムの大転換が起きることがあります。今まさに小説から音楽、科学、哲学、政治、経済、医療など、あらゆるものが大転換期を迎えており、それは天動説が地動説に入れ替わるに等しい転換期かもしれない。

 その激動期に直面するということは、たと傍らから見ているだけでもどきどきするほどおもしといんですね。」

「世界中が息をのんで日本に注目しているのは、使用済み核燃料をどう処理するかということと、そして超高齢化社会に先進国日本がどう対応するかと言うことでしょう。」

「いま親鸞を小説に書いているのは、彼が85歳を過ぎてからもいい仕事をたくさんしているからです。」

 そういえば以前五木寛之氏の小説「親鸞」を読みました。少年期から青年期の親鸞で「青春の門」のような親鸞でした。じつに生々しく荒々しい青年僧でした。

 「親鸞」を読んで  http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdbf.html

 その続きを五木寛之氏は書いているのでしょう。当時としては長生きされた親鸞の境地に迫っていることでしょう。

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2013.11.04

横浜と東京へ行きました。

 11月1日・2日は横浜・東京へ行きました。メーカーの全国大会があるからです。新製品の公表や、採用事例の説明もある大事な会合です。

 今の時代チケットはWEB上で購入・支払し、搭乗券は印刷したバーコード。なんだか変な時代ですね。机上からは富士山が見えました。運がいい。
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 普段は300メートル四方の二葉町から出れない「井の中の蛙」の私、横浜と東京出張でした。3日に「昭和秋の感謝祭」があるので、1泊2日の強行軍でした。

 横浜へ到着したら山下公園です。海を見るだけで癒されます。良い風が吹いています。
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 超多忙な青木美佳さんにお会いできました。奇跡的な出来事です。フェイスブックでの交流をしています。
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 メーカーの会合は午後1時から5時までみっちりとありました。その後は立食で懇親会。2次会は場所がどこなのか不明ですがラウンジへ移動しました。たわいもない会話をしました。
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 1人だけタクシーにて岡野町へ。ブログを通じて7年前から交流をしていました故鈴木啓介さんの息子さんが経営されているBAR招福堂へ行きました。落ちついた感じの良い店です。
 背の高いハンサムな人でした。
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 翌日は娘と鈴木倫子さんと新宿アルタ前で待ち合わせ。横浜から移動しましたが、乗り換えつ度に相当の距離は歩きます。階段の多いこと。都市部の人は良く歩くのでさぞや足腰は丈夫でしょう。
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 新宿で自分の写真も撮りましたが、大都市風景が似合わない田舎の爺さんです。
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 鈴木倫子さんと写真も撮りました。
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 娘と3人でイタリア風レストランで昼食を食べて懇談しました。今回の横浜・東京は有意義でした。
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11月最初のジョイリハ(介護予防通所リハビリ)

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 今日は朝は父をゴルフの打ち放し練習場へ連れて行きました。これもリハビリです。随分元気になりました。休憩が少なくなり、125発の球を打つ時間が早くなりました。

 仕事は午前中でおしまい。早々に家内は友人と映画を見る約束をして出かけました。私は留守番。手早く、両親の昼食をこしらえジョイリハの送迎バスに対応しないといけません。
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 父はトイレも済ませ、散歩用の上着を着込んでいます。

 母は自分で着替え、寒いの暑いの、眼鏡をかけようか、外そうか、服装が似合うか似合わないかとの繰り言を繰り返します。身なりを構わなくなったら高齢者でもいけないので、調子を合わせて繰り言につき合っています。
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 お昼休みの時間帯に送迎車が来ました。午後4時半までは事務所の片付けや、明日の岡本直也さんのセミナーで配布するチラシの準備と頭の整理、出張の情報整理をします。
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 雑用の傍ら真冬に使用するヨット用のドライスーツの修繕です。足元のゴムの部位を接着しています。これもこうした時間でないとできませんから。
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やなせたかしさんのご冥福を祈る

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 2013年10月13日未明高知県出身の漫画家やなせたかしさんが逝去されました。94歳。父と同じ年でした。

 軍隊経験が「アンパンマン」の原点。軍隊時代のひもじさが「アンパンマン」を生んだとも。なかなか売れず苦労した経験が主人公のやさしさと、作品の多様性となる。とにかく多彩な人物でした。

 「飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場や国家に関係なく『正しいこと』。絶対的な“正義”なんです」との確信は、戦争体験にもとづいています。中国戦線で「正義のための戦争」の虚妄を心に刻む。おなかをすかせている人がいれば、アンパンマンは自分の顔をちぎって食べさせる。弱くても、ひもじい人を救うヒーローは、そこから誕生したのです。
 
 高知県もどれほどお世話にになってかもわからない。やなせさんのキャラクターがあふれていました。ごめん・なはり線の各駅のキャラクター。JRのアンパンマン列車。まんが甲子園の審査員長などなど。

 下知市民図書館で、やなせたかしさんの本を5冊借りて来ました。「希望のありか 何のために生まれてきたのか」(PHP研究所 2013年刊)「93歳・現役漫画家。病気だらけを楽しむ50の長寿法」(小学館・2012年刊)「人生なんて夢だけど」(フレーベル館・2005年刊)、「やなせたかし 明日をひらく言葉」(PHP研究所・2012年刊)「しのえほん てのひらをたいように」(国土社・1974年刊)でした。

 偶然借りてきたやなせたかしさんの著作本・絵本ですが、絵本の「てのひらに太陽を」以外は、超高齢者になってからの本です。86歳、92歳、93歳の時の著作です。恐らく口述筆記で編集されているでしょうが、さすがに詩人だけに言葉は洗練され、わかりやすいです。

「ぼくのコンサートに来る人は、心の底から楽しんでほしい。この世の惨苦、終わらない戦争。血まみれの惨劇、うそつきの政治家、金権体質、すべてぼくは憎悪するけれども、怒るよりも笑いたい。ひとときすべてを忘れたい。

 人生なんか夢だけど、夢の中にも夢がある。

 悪夢よりは楽しい夢がいい。すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。誰でもみんな同じだから焦ってみても仕方がない。

 未来のことはわかりませんが、とりあえず、さようなら。」(「人生なんか夢だけど」P336)

 「何かを頼まれたらやる。
  うまくいかなくても、頼んだほうが悪いわけだから、やるわけですよ。
  恥をかいてもやってしまえば
  そこからまた得るものがある」(「93歳・現役漫画家。病気だらけを楽しむ50の長寿法」P22)

 やなせたかしさんの真骨頂、人生そのものの生き方でしたね。美術系の学校を卒業して、すぐに軍隊へ行き中国戦争を転戦。敗戦後高知へ戻り地元新聞社勤務。月刊雑誌を発刊する部署へ異動。イラストも描き、取材もし編集も。上京し、広告会社へ勤務し、三越の包装紙のレタリングをしたり。多種多彩なダントツの人達から仕事を依頼して、やり遂げる。舞台監督、アニメの美術監督、雑誌の編集、テレビの漫画教室、やれる位範囲でやってしまう。

 それを前向きにやってしまう。そのパワーが凄いと思いました。

「人生は椅子取りゲーム。
 満員電車に乗り込み、
 あきらめて途中下車せず立ち続けていたら、
 あるとき目の前の席が空いた。」(「明日をひらく言葉P38)

 とにかくやなせたかしさんは前向き。60歳の頃にようやくアンパンマンがブレークし、社会的な評価を得ました。収入も名声も得ました。勲四等瑞宝章までもらいました。奥様と2人でッ受賞式に出席されましました。でも74歳の時に奥様は先に亡くなりました。

 その後は病気の連続でしたが、それでも押し寄せる仕事をやり続けました。やなせさんはとにかく「締め切りを守る」作家だったそうです。余計また仕事が来ます。やり遂げます。

「現在と未来しかないおの。
 そうすると、現在とその未来を
 なるべく楽しく、なるべく面白く、
 生きたほうがいいんです。
 過去の事を、いくら考えてもしょうがない。」(「希望のありか 何のために生まれてきたのか」P6)

「人生にムダなことは、何1つありません。
 全部、自分に役立つ、
 そして、やり続けることが大事。」(P76)

 「いま 世の中は不景気で、困った、困ったということが溢れていますけど、困ったと言っているだけじゃ、何も始まらない。絶えず、自分がやっていないと駄目なんです。

 どんな状況になっても、やり続ける。その場を楽しむように。それと根気なんだね。やっぱり根気がないとダメなんだ。

ー漫画家になりたいという強い思いがあって、いまは絵本を中心にお描きになっていますかれど、それまでやってきた仕事とはつながっているんですか?

 そうだね。巡りあってしまうと、それまでやってきたことが全部役に立つ。

 テレビで「それいけ!アンパンマン」の放映が始まったでしょ。僕は以前、アニメーションの仕事、それからシナリオの仕事もやっていたから、シナリオをパット見て読めるんですよ。シナリオって初めての人にはちょっと読みにくいと思うの。

 ところが僕は、シナリオの仕事もやったから」違和感なくパット見て読めるんです。後瀬ステージの仕事なんかもやっていたので、アンパンマンのコンサートをやるときにそれが役立ちます。

 僕はもっと若い頃に世に出たかったんです。

 ただ遅く出てきた人というのは、いきなりダメにはなりません。こんなことをしていていいのかと思っていたことが、みんな勉強になり,役に立っていく。人生にムダなことなんて1つもないんですよ。」(「希望のありか 何のために生まれてきたのか」P81)

 やなせたかしさんの世界観、人類愛を表現した詩は「てのひらをたいように」です。日本国の国家になれば良いと思います。スポーツ大会の国歌斉唱すれば、みんな幸せな気持ちになります。

「ぼくらはみんな 生きている
 生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
 生きているから かなしいんだ

 手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
 ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
 友だちなんだ」 (てのひらをたいように )

 100歳まで生きていただきたかった。高齢者の鏡でした。ご冥福をお祈りします。

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2013.11.03

昭和秋の感謝祭2013

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 2013年の昭和秋の感謝祭。天気予報は曇り時々雨。明け方にも小雨がありました。小雨決行であるとのことでした。午前8時前に森会長宅へ寄りましたが、まだちらしずしと、栗ご飯をパック詰めの最中でしたので、先に備品を会場の昭和小学校の運動場へ届けました。
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 テントを立てる準備の最中でした。9時過ぎに仁淀川町の長者のだんだん倶楽部のみなさんたちが来られました。

 たくさんの仁淀川町の産物を「二葉町・仁淀川町コラボ」のテントのなかに配置いただきました。野菜、お餅、ケーキ、まんじゅう、こんにゃく、シイタケ、あめごの塩焼きなど豊富。二葉町は森食料品店の栗ご飯とチラシ寿司です。わらじ(500円)を販売しました。
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 隣のブースの下知減災連絡会では、不用品のバザーを開催。安いので人気でした。
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 雨が心配でしたが、なんとか最後まで開催できました。

 子供たちのよさこい踊りもありました。
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 防災関連コーナーは、救命講習会も開催。ガス発電機などのコーナーや、浄水装置なども展示されていました。
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 他のブースもいろいろな食品や備品を販売されています。
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 昭和小学校PTAが校舎内の防災倉庫と避難場所の屋上を見せていただきました。備品はそこそこ在庫しています。
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 屋上は高いし、見晴らしもいいですね。
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 昼近くなりますと、参加者もそこそこ増えました。

 プールでは下知消防分団の指導で放水体験が行われていました。
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 二葉町・仁淀川町コラボと、隣のブースの下知減災連絡会との記念撮影です。坂本茂雄さんのカメラの写真です。仁淀川町は仁淀自然素材活用研究会の井上光夫さんとだんだん倶楽部から4人が来てました。
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 午後1時すぎに仁淀川町の産品は完売しました。なかなかの人気でした。

 午後3時には高知市東消防署のはしご車が来ました。
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 午後4時過ぎに撤収作業をしました。

 最後に参加スタッフで記念撮影をしました。来年もまた11月3日に開催するようです。

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鏡川の耐震護岸工事と大潮の堀川岸壁

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 鏡川大橋北岸の中之島地区での護岸強化工事は終わったようですね。以前国分川でやっていたように、堤防の両側に矢板を油圧で打ち込み、内部に鉄筋を張ってコンクリートをバ流し込んだようですね。
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  高さはそのままですので、大津波が仮に来れば超えて行くでしょうが、津波の引き波では多少の抵抗にはなるようですね。あてにはならないでしょうが、やらないよりは少しはましなとは思います。

 国の緊急予算でやったような公共工事ですね。高知市内だけでも結構な距離はあると思いますが、耐震護岸工事は南海地震が来るまでに完成するのでしょうか?
 
  一方堀川の浮桟橋と堤防。大潮での満潮の時間帯でしたので、岸辺とは僅かな段差ですね。県当局は浮桟橋が柱を外れて、プレジャーボートと一緒に市街地へ流れ込むことはないとの見解でしたが、果たしてどうなのでしょうか?わかりませんね。
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2013.11.02

横浜のBAR招福堂の鈴木さんと東京で鈴木倫子さんにお会いしました。

 11月1日は横浜市にてメーカーの会合がありました。午後1時から5時まで、みっちり研修がありました。その後は研修会場横の場所で立食での懇親会。場所を移しての二次会も行きました。午後5時から9時過ぎまで連続で飲んでいましたのでハードではありました。

 でもそれからどうしても行きたいことがありましたので、1人だけその後タクシーに乗り、横浜市岡野1丁目1-12-11岡野ビル4FのBAR招福堂へ行きました。

 鈴木啓介さんと倫子さんの息子さんご夫妻が経営されているBAR招福堂へ行くと少々へばっていましたね。高知から来たことを告げ、少しのお土産を渡しました。翌日にお母様の倫子さんにお会いするので、お店へ来たことを告げました。
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 お話を聞きますとこちらの場所で開業して9年目であるとか。常連とおぼしき、女性2人組。カップルが2組カウンターにおられました。手際の良い接客をされていました。
 奥様に写真を撮っていただきました。なかなかハンサムな方でした。

 翌日新宿のアルタ前で待ち合わせしまして、鈴木倫子さんとお会いしました。夜勤明けの娘も同席しました。ルノワールでお茶を飲み、懇談し、昼食を3人で食べました。

 鈴木倫子様遠く川越から来ていただきまして恐縮です。ご主人の啓介さんの納骨は来年3月に室戸に来られされるとのことです。
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超多忙な青木美佳さんとお会いしました

 11月1日は、横浜市で取引メーカーの会合がありましたので、フェイスブックで交流のある青木美佳さんにお会いしました。PTA会長をされておられ、地域の活動などFBで見聞しても超多忙な青木美佳さん。市長並のスケジュール。
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 小学校を中心にされた地域活動と、地域の町内会単位の減災活動。大都市部と地方都市。異なる分野と地域環境ですが、有益な情報交換の場となりました。超多忙ななかご面談いただきありがとうございました。
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体が硬直していました。


 30代や40代50代で簡単にできていたヨガの「猫のポーズ」。還暦を迎えて今は全然できません。正直ショックでした。
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 このポーズは息を吐きながらゆっくりとよつんばの姿勢から両手を前へ押し出していき、胸が自然に床へ着くこと。そして元へ戻れること。背中が固いとできません。まさに今は全くできません。

 それを自覚しました。2週間前から空腹前の時間に1日3回していますがいまだにできませんね。情けないですが、老師曰く「人生125歳までだから、ゆっくりやれ」ということですね。

 気長にやります。

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2013.11.01

「集団的自衛権の深層」を読んで

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 10月13日に高知県立大学での「集団的自衛権と日本国憲法」と言う松竹伸幸氏の講演会へ行き聴講し、著作本も購入しました。講演内容を記述しました。重要な内容が含まれています。講演会の記述と著作の読書感想文です。

「日本が加盟している国際連合憲章第51条には、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの間、加盟国は個別的・集団的自衛権を行使できる。加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならないとの記載されてはいます。

 しかし私が調査したところ集団的自衛権を行使した国はアメリカ、イギリス、旧ソ連とフランスしかありません。戦争も10くらいです。」これは重要な指摘です。

「国連憲章51条は他国から侵略行為を受けた場合は、個別自衛権は認められています。集団的自衛権のモデルは全米相互条約機構(リオ条約)です。またNATO(北太平洋条約機構)もありますが、この2つの機構は集団的自衛権を行使していません。」

「集団的自衛権行使の実例は、1968年の旧ソ連のチェコスロバキヤへの軍事侵攻と1979年のアフガニスタンへの軍事侵攻。1960年代のアメリカのベトナム戦争とグラナダ進攻と1984年のニカラグアへの進攻でした。ニカラグア進攻は米国の国際法違反と裁判所が判断を下しています。」

「集団的自衛権行使は、歴史的にはアメリカと旧ソ連の侵略戦争だったのです。安倍首相は日本の同盟国のアメリカの艦艇が自衛隊との演習中に敵性国家から攻撃を受けた。日本は反撃しなければならない。

 また北朝鮮のミサイルが日本の上空を通過して米国本土へ向かう場合は同盟国日本は迎撃しなければならないと言います。でもミサイルは最短距離で発射された場合、北極海の上を飛ぶので日本からどんどん遠くなっていきますね。この議論も虚構ですね。それにアメリカは日本に頼らなくても独自に反撃する力があります。世界1の軍事大国相手に攻撃を仕掛ける国があるとは思えません。」

 確かにそうでありますね。世界1の軍事大国のアメリカ相手に軍事攻撃を仕掛ける国は皆無でしょう。またアメリカは自力で相手に反撃する能力がある軍事大国です。日本の手助けなどまったく必要ではないでしょう。

「冷戦時代には集団的自衛権など全く言っていませんでした。今になってなぜと思います。旧ソ連と変わり台頭してきた中国ですが、経済的にはアメリカとはWINWINになっており、軍事的な衝突するとは考えにくい。安倍さんは中国に対抗するためにアメリカにおすがりするようですが、アメリカはドライに割り切ってます。アメリカは中国とは敵対しません。最近は軍事交流もしてますから。
尖閣諸島はお互いよく話し合って解決してください。とアメリカは言ってますからね。」
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 アメリカの姿勢は一貫しています。中国もそれがわかっているから中国海軍の艦艇ではなく、沿岸警備警察の艦艇で執拗に尖閣領海に侵入してきています。いわば「根競べ」のようなものですね。軍事的な衝突はないとは思えませんが、低いと思います。

 また講演で松竹氏は注目すべきことを発言しました。日本国憲法が果たしてきた「紛争の抑止力。平和的解決の威力」をわかりやすく話されました。日本国の平和主義と経済力こそが世界平和の原動力になっている実例を示しました。


「日本国憲法第9条と武器輸出禁止3原則が、世界の平和に果たした役割はとても大きいです。シエラレオネや東チモールでの治安維持。アフガニスタンでの軍閥の武装解除に果たした日本の役割はてとても大きかった。」


「武器を買い上げ、そのかわりに仕事や職業訓練を行い経済支援をすることで地域の平和が保たれる。軍事力を行使しなかった日本であるからこそできた国際平和貢献活動でした。」

 集団的自衛権行使の問題は、自民党内でもブレがあるし、肝心のアメリカともしっくり行っていないのではないかと松竹氏は著作のなかで指摘されています。


「日本は沖縄をはじめ多大の犠牲を払って米軍に基地を提供し、莫大な軍事駐留経費を負担し、アフガン戦争やイラク戦争の後方支援をして助けてきたが、その程度ではアメリカは日本のために働いてくれないという不安がある。

これだけのことをしても、アメリカは、日本が攻撃された時に助けてくれないだろうと言うのが、安倍首相や自民党の考えである。

これは日米同盟の絶対化と言うより、アメリカはその程度の国だという不信なのだろうか。もともと先の大戦において日本侵略と戦ったアメリカの理念と、それを侵略とは認めない安倍首相の価値観は、本質的に相容れないものである。

集団的自衛権をめぐる、事態の進展は、その矛盾をあらわにしていく可能性を秘めているのかもしれない。」(「集団的自衛権の深層」(松竹伸幸・著・平凡社新書・2013年刊 P43)


 松竹氏は「日本は湾岸戦争の時にお金だけ出して血を流そうと言うことをしなかった。旗印を明確にできなかったのは憲法のせいだ。だから憲法を変えよう。と自民党は言います。実は逆ですね。そうではない。軍を派兵しなかったので、世界の武装勢力から一目置かれているのです。


 日本が軍事力を行使しないで世界の経済大国になっているので、説得力があるんです。武器輸出で手を汚していないので、紛争地域の平和に貢献できるのです。それにはお金の力(経済力)が必要です。日本国憲法はまさに世界平和に多大な貢献をし、日本の国際的な価値を向上させる外交力になっているのです。」

また松竹氏は自民党の「集団的自衛権」の対象国がアメリカだけであり、「2国平和主義」にすぎないのではないかと鋭く指摘しています。

「一国平和主義と言う言葉があって、グローバル化した世界においては日本の平和だけを考えたらダメであって、世界の平和に貢献しなければならないというものだ。

 それがひいては日本の平和につながるのであって、だから自衛隊の海外での活動を拡大しなければならないという文脈で使われてきた。政府・自民党による集団的自衛権の行使と言う選択も、その流れのなかで出てきたものである、」(P179)

「しかし政府・自民党が打ち出している集団的自衛権というのは、じつはグローバル化した世界の安全保障という考え方とは無縁であるように思う。無縁と言うより、逆方向を向いていっているといった方がいいかもしれない。

 なぜなら、政府・自民党が考える集団的自衛権とは、ただただアメリカだけを守ろうというものでだからである。対象を広げる場合も、考え方の基本は、アメリカの同盟国程度のものでしかない

 安全保障という問題を、日本とアメリカの関係を基本に捉えると言う牢固とした思考方法の中に、現在の、政府・自民党の問題点が凝縮しているうように思える。それを克服しなければ、現在の世界にふさわしい安全保障体制は生まれない。」

「集団的自衛権とは同盟国を助けるものだという考え方は、冷戦期に特有のものであった。そして、そういう思考によって行使される集団的自衛権というのは、すでに詳しく紹介してきたように、実際には違法な侵略にほかならなかったのである。」

「一方、冷戦後の世界においては、どんな国であれ。武力攻撃を受けるようなことがあったら、国連安保理が関与する方向に向かっている。侵略された国は、集団的自衛権によってであれ、国連自身がのりだすのであれ、すべての国連加盟国の力で助けるのが基本方向である。

 そして、そういう場合で会っても、各国が暴走しやすい自衛権の枠組みはなるべく少なくし。出来るかぎり国連の枠組みで対処するのが望ましい。それが戦後国際政治の現実のながれであり、発展方向であろう。」(P181「日本と世界の未来のために対処を提示する」)

 なかなかの力作でした。ご一読をお奨めします。

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