人生の後半をどう生きるのか
わたしもなにも大したこともせず、平凡に還暦を過ぎました。日常の雑事に追われ人生は過ぎ,年齢を重ねています。先日逝去されたやなせたかしさんの生きざまには感銘しました。今年81歳になる作家五木寛之さんもいいこと言っていますね。
週刊現代2013年11月2日号の116に五木寛之氏の随筆が掲載されています。「峠を越えてゆっくりと下る、「人生の後半」をどう過ごすか。80代を「面白く」生きる著者が、感じるままに綴る雑録集」であるは、「生きることは面白い」とう書籍。
やなせたかしさんの晩年の著作を図書館で借りて読んだばかりですので、よけいこの記事が気になりました。五木寛之さんも高齢者免許講習会へも行かれ、最初こそ動体視力が落ちたから返上しようかと思っていたらスタッフ皆が意外にも反対し、講習を受けたというのが10年ほど前の随筆でしたから。
ところどころに「突き刺さる言葉」がありますね。
「人生を2つに分けたうちの後半、65歳前後の人生は最も困難な時期でしょう。
子供の親と同時に、年老いた親の子供でもあり、最も困難を抱える時期ですから。
その時期さえ超えてしまえば、人々が何を求めているのかをおもしろがって見ることができるかもしれない。
傍観者でなければ見えないものもありますからね。」
「世の中にはパラダイムの大転換が起きることがあります。今まさに小説から音楽、科学、哲学、政治、経済、医療など、あらゆるものが大転換期を迎えており、それは天動説が地動説に入れ替わるに等しい転換期かもしれない。
その激動期に直面するということは、たと傍らから見ているだけでもどきどきするほどおもしといんですね。」
「世界中が息をのんで日本に注目しているのは、使用済み核燃料をどう処理するかということと、そして超高齢化社会に先進国日本がどう対応するかと言うことでしょう。」
「いま親鸞を小説に書いているのは、彼が85歳を過ぎてからもいい仕事をたくさんしているからです。」
そういえば以前五木寛之氏の小説「親鸞」を読みました。少年期から青年期の親鸞で「青春の門」のような親鸞でした。じつに生々しく荒々しい青年僧でした。
「親鸞」を読んで http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdbf.html
その続きを五木寛之氏は書いているのでしょう。当時としては長生きされた親鸞の境地に迫っていることでしょう。
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