やなせたかしさんのご冥福を祈る
2013年10月13日未明高知県出身の漫画家やなせたかしさんが逝去されました。94歳。父と同じ年でした。
軍隊経験が「アンパンマン」の原点。軍隊時代のひもじさが「アンパンマン」を生んだとも。なかなか売れず苦労した経験が主人公のやさしさと、作品の多様性となる。とにかく多彩な人物でした。
「飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場や国家に関係なく『正しいこと』。絶対的な“正義”なんです」との確信は、戦争体験にもとづいています。中国戦線で「正義のための戦争」の虚妄を心に刻む。おなかをすかせている人がいれば、アンパンマンは自分の顔をちぎって食べさせる。弱くても、ひもじい人を救うヒーローは、そこから誕生したのです。
高知県もどれほどお世話にになってかもわからない。やなせさんのキャラクターがあふれていました。ごめん・なはり線の各駅のキャラクター。JRのアンパンマン列車。まんが甲子園の審査員長などなど。
下知市民図書館で、やなせたかしさんの本を5冊借りて来ました。「希望のありか 何のために生まれてきたのか」(PHP研究所 2013年刊)「93歳・現役漫画家。病気だらけを楽しむ50の長寿法」(小学館・2012年刊)「人生なんて夢だけど」(フレーベル館・2005年刊)、「やなせたかし 明日をひらく言葉」(PHP研究所・2012年刊)「しのえほん てのひらをたいように」(国土社・1974年刊)でした。
偶然借りてきたやなせたかしさんの著作本・絵本ですが、絵本の「てのひらに太陽を」以外は、超高齢者になってからの本です。86歳、92歳、93歳の時の著作です。恐らく口述筆記で編集されているでしょうが、さすがに詩人だけに言葉は洗練され、わかりやすいです。
「ぼくのコンサートに来る人は、心の底から楽しんでほしい。この世の惨苦、終わらない戦争。血まみれの惨劇、うそつきの政治家、金権体質、すべてぼくは憎悪するけれども、怒るよりも笑いたい。ひとときすべてを忘れたい。
人生なんか夢だけど、夢の中にも夢がある。
悪夢よりは楽しい夢がいい。すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。誰でもみんな同じだから焦ってみても仕方がない。
未来のことはわかりませんが、とりあえず、さようなら。」(「人生なんか夢だけど」P336)
「何かを頼まれたらやる。
うまくいかなくても、頼んだほうが悪いわけだから、やるわけですよ。
恥をかいてもやってしまえば
そこからまた得るものがある」(「93歳・現役漫画家。病気だらけを楽しむ50の長寿法」P22)
やなせたかしさんの真骨頂、人生そのものの生き方でしたね。美術系の学校を卒業して、すぐに軍隊へ行き中国戦争を転戦。敗戦後高知へ戻り地元新聞社勤務。月刊雑誌を発刊する部署へ異動。イラストも描き、取材もし編集も。上京し、広告会社へ勤務し、三越の包装紙のレタリングをしたり。多種多彩なダントツの人達から仕事を依頼して、やり遂げる。舞台監督、アニメの美術監督、雑誌の編集、テレビの漫画教室、やれる位範囲でやってしまう。
それを前向きにやってしまう。そのパワーが凄いと思いました。
「人生は椅子取りゲーム。
満員電車に乗り込み、
あきらめて途中下車せず立ち続けていたら、
あるとき目の前の席が空いた。」(「明日をひらく言葉P38)
とにかくやなせたかしさんは前向き。60歳の頃にようやくアンパンマンがブレークし、社会的な評価を得ました。収入も名声も得ました。勲四等瑞宝章までもらいました。奥様と2人でッ受賞式に出席されましました。でも74歳の時に奥様は先に亡くなりました。
その後は病気の連続でしたが、それでも押し寄せる仕事をやり続けました。やなせさんはとにかく「締め切りを守る」作家だったそうです。余計また仕事が来ます。やり遂げます。
「現在と未来しかないおの。
そうすると、現在とその未来を
なるべく楽しく、なるべく面白く、
生きたほうがいいんです。
過去の事を、いくら考えてもしょうがない。」(「希望のありか 何のために生まれてきたのか」P6)
「人生にムダなことは、何1つありません。
全部、自分に役立つ、
そして、やり続けることが大事。」(P76)
「いま 世の中は不景気で、困った、困ったということが溢れていますけど、困ったと言っているだけじゃ、何も始まらない。絶えず、自分がやっていないと駄目なんです。
どんな状況になっても、やり続ける。その場を楽しむように。それと根気なんだね。やっぱり根気がないとダメなんだ。
ー漫画家になりたいという強い思いがあって、いまは絵本を中心にお描きになっていますかれど、それまでやってきた仕事とはつながっているんですか?
そうだね。巡りあってしまうと、それまでやってきたことが全部役に立つ。
テレビで「それいけ!アンパンマン」の放映が始まったでしょ。僕は以前、アニメーションの仕事、それからシナリオの仕事もやっていたから、シナリオをパット見て読めるんですよ。シナリオって初めての人にはちょっと読みにくいと思うの。
ところが僕は、シナリオの仕事もやったから」違和感なくパット見て読めるんです。後瀬ステージの仕事なんかもやっていたので、アンパンマンのコンサートをやるときにそれが役立ちます。
僕はもっと若い頃に世に出たかったんです。
ただ遅く出てきた人というのは、いきなりダメにはなりません。こんなことをしていていいのかと思っていたことが、みんな勉強になり,役に立っていく。人生にムダなことなんて1つもないんですよ。」(「希望のありか 何のために生まれてきたのか」P81)
やなせたかしさんの世界観、人類愛を表現した詩は「てのひらをたいように」です。日本国の国家になれば良いと思います。スポーツ大会の国歌斉唱すれば、みんな幸せな気持ちになります。
「ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ」 (てのひらをたいように )
100歳まで生きていただきたかった。高齢者の鏡でした。ご冥福をお祈りします。
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