特定秘密法の徹底討論会を自民党は開催すべきである
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海抜5メートル以下が(下知地域はすべて2メートル以下)の市街地では、2013年12月5日に講師の小谷鐡穂さんが考案いただいた「浮体構造物」以外では多数の市民の命は救われません。「住民発意の防災技術 高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物による南海地震対策」です。
来年中には実証実験までこぎつけたいので、多くの皆様に認知されたいと
思います。「住民発意の防災技術」をご支援いただきたいと思います。
わたしなりにブログにまとめました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html
また動画サイトにも投稿しています。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ff55.html
また11月8日の神戸市長田区鷹取商店街振興組合会長)の石井弘利さんの
講演会の様子もブログと動画を参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
動画です。
http://video.fc2.com/content/2013120707JaR0pP
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父は午前中に植田医院で診察と点滴をしました。植田一穂先生と相談し、風邪の症状はあるが治まりつつあるので、肺炎球菌ワクチンを接種していただきました。5年間有効です。ということは現在父は94歳ですので、99歳までは有効ですね。
点滴をしている間「日本の思想」(丸山真男・著・1961年・岩波新書)を読んでいました。何度読んでも難しい書物ではありますね。
植田医院は明日の午前中まで診察するようです。薬屋さんも納品に来ていました。父も何とか年末年始は乗り切れそうです。風邪が完全に治らないとゴルフの練習にも行けませんから。養生が肝要ですね。
ようやく業務も終了しました。ようやく事務所の大掃除です。椅子などを外へ放り出して、掃除機をかけ、床の汚れを雑巾で拭き取りました。重曹でやりましたが、結構落ちました。
ワックスがけをして終わりです。適当にやりました。そこそこで妥協しました。2013年もようやく終わりかけています。けんど家の片づけは道半ばです。こちらも妥協しましょう。
事務所の大掃除が済んでからご近所のシンボル美容室へ母を連れて行きました。昨日電話して予約していました。シャンプー・ブローをお願いしてきました。
帰りはなんとか1人で歩いて戻って来ました。すっきりした髪になっています。高齢者でも身ぎれいにしないといけないとは思います。
母がお菓子屋へ行きたいと言うので、近くの洋菓子屋さんへ歩いて行きました。母の好きなドーナツものや、クッキーなどを購入していました。
これで今年の両親のケアも終わりですね。後は健康で年越しをしていただきたいだけです。やれやれですね。
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沖縄県の普天間基地撤去問題が、結局名護市辺野古地域に代替え基地をこしらえることでとりあえずは決着した。
そのショックもある中で、安倍首相は現職首相で7年ぶりに靖国神社に参拝しました。これも「どうだかな」のニュース。悦に入るのは1部の回顧主義者の日本人だけ。近隣国は非難ごうごうではないか。善隣友好が外交の基本でしょうに。当面中国・韓国との外交面での関係改善はより難しくしくなりました。
これより1月半前に、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日し、日本政府の外務大臣と防衛大臣との「2+2」の会談を行いました。その折は、千鳥か淵の戦没者慰霊所へ花束をたむけました。明確な米国政府の意向(靖国神社を認めない)が2人の米国政府閣僚にはありました。
今回は「同盟国」のアメリカまで不快であるとの異例のコメントが出される始末。なんともめんどうな問題を安倍首相はこの年末にまた1つ起こしましたね。この靖国参拝は「国益」にとってはどうなのでしょうか?マイナス面が大きいとわたしは思いますね。
中国や韓国は露骨に嫌がってますから。米国まで不快感をすぐに表明しました。こちらがよかれとしたことが、相手は嫌だということを強引に強行することが国益になるのかどうか?冷静な議論が必要でしょうね。考えるだけで面白くないテーマです。
12月6日には、国民の知る権利を制約することに将来なるであろう「特定秘密法案」が国会で強行採決されました。まさに「政府によるテロ」が始まりました。のんびりしていた人よしの日本国民は、まさに「騙し打ち」に遭いました。クーデターが起きたようなものです。
日本国が安倍晋三首相のお蔭で、どんどん「面白くない国 日本」になるつつありますね。これはなんとか阻止したい。日本は「多彩で」「面白い国」でなければならないのです。
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NHKBS1の放送でしたが、家内と2人で見ていました。
アルバムが誕生した1973年と言えば、わたしが高校4年を卒業して、田舎から関東へ出てきて学生生活を始めた頃でした。2度目の高校3年生も卒業が危うく、大学には合大学には合格したものの心配でした。結局3月1日の卒業式へ出て、それから下宿探しをしたので、ろくな下宿先は残っていませんでした。
小田急線生田駅から徒歩で20分。大学へも徒歩で20分かかる場所でした。
1973年と言う年は、日本の高度成長が石油危機で終わった年。物価が急激に上がりました。170円で春先に食べれた定食が、秋には250円になっていましたから。
当時早稲田へ行っていた同級生が「井上陽水の傘がないが凄い曲だ。」とか言っていましたね。わたしは音楽的な素養のないですから、良し悪しはわかりませんでした。ユニークな曲ではありました。ラジオで良く陽水の曲は聞いていました。
翌年余りの不便さに嫌気がさし、世田谷区の経堂というところへ転居しました。その前後にステレオがほしくなり、クラスメートの人と、机と中古ステレオを物々交換しました。その折に井上陽水の「氷の世界」を購入しました。
当時は南こうせつや吉田拓郎などもいましたが、なぜか井上陽水ばかり聞いていたようです。
番組で40年前の曲作りのスタッフが揃い、当時の制作のやりとりをしていましたが、なかなか当時からレベルの高かったんですね。ロンドンで収録していたのも初めて知りました。
インタビューとして宗教学者中沢新一や伊集院静、なかにし礼なども出ていました。みうらじゅんやリリー・フランキーなど濃いメンバーでのトークは面白かったです。
コアなマニアのファン以外も「氷の世界」を当時購入していたとか。わたしもその1人でした。家内とも当時から交際していましたが、音楽的趣味は全く合いませんでしたが、「氷の世界」のおかげで対話が出来ました。
「帰れない二人」が、忌野清志郎との共作であったことも初めて知りました。名曲でした。「小春おばさん」とかユニークで不気味な曲もありました。「心もよう」という曲は物凄い曲であると思いました。
高知でやっていた井上陽水のコンサートも家内と鑑賞に行きました。去年の6月7日のことでした。わたしらずれの年寄りの姿が観客席には目立ちました。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-af42.html
昨日の番組でもコンサートでも感じましたが、のびやかなハイトーンの澄んだ声が出なくなったのでしょうか?そのあたりが少し寂しい感じでした。
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安倍晋三首相が、2013年12月26日に公務中に靖国神社に参拝しました。日本国首相としての参拝は7年ぶり(前回は小泉首相)だとのこと。
いつも非難ごうごうの中国と韓国は早速最大級の批判を政府筋が行いました。今回は「同盟国」であると思われているアメリカ政府までが「即時非難」声明を出す事態になりました。
アメリカの懸念は、北朝鮮情勢が不安定になり、いつ「暴発」するかわからない状況で、不必要な日本と韓国の政府同士の感情的な対立は辞めてくれないかというのが本音でしょう。
実際問題核兵器まで保有している北朝鮮が暴発し、朝鮮半島有事の事態になれば、日本とて「対岸の火事」で済まされない。いくら内心は「気に入らない奴だ。」とお互い思っていても、日本と韓国両国はともに協力し、濃密な情報交換を政府間でしないと、朝鮮半島有事に対応できないと思います。
アメリカはそのことを軍事面で心配し、安倍首相の行動を即批判したのではないかと思います。
中国政府もご立腹で訪中していた超党派の議員団と副首相との会談が急遽キャンセルされ、民間レベルの交流や経済交流にも今後は支障は出て来ることでしょう。
安倍首相とごく1部の日本人は今回の靖国参拝で「溜飲を下げた」とは思いますが、冷静に国益を考えますと大きく毀損したように思えます。結果「日本1人負け」の事態となると思いますね。
各国政府が「参拝しないでいただきたい」とはっきり外交ルートで要請してくることを「内政問題だ」とははねつけることは得策ではないでしょう。実際にはまさに負の部分の「外交問題」になっていますから。
靖国神社が東京裁判にてA級戦犯として処刑された7人(しかも処刑された日は、わざわざ今上天皇陛下の誕生日でした。)を合祀しようが、1宗教法人の思惑ですのでそれは日本国憲法で保障された信教の自由です。
しかし日本国首相が、1宗教法人の施設へ参拝に行くことは「政教分離」に抵触する行為であり、まして公然と参拝を非難する外国政府があるなかで行うことは褒められた行為ではありません。
昭和天皇も靖国神社側が、A級戦犯7人を合祀したことに立腹され、以後天皇陛下は靖国神社へ参拝に行かれていません。今上天皇も参拝に行かれていません。それが現実です。
今上天皇の12月23日の誕生日談話は、東日本大震災の罹災者に寄り添う姿勢がありました。またご自身も過去広島・長崎や沖縄やサイパンなどの先の大戦の激戦地・罹災地への慰霊の旅もされております。
きっと韓国や中国へも訪問され、近隣国との善隣友好の旅も本心ではなさりたいと思っているはずです。しかし現実の安倍政権の「身勝手な」行為はそうはならないように事態が悪化するばかりです。以前に靖国神社に関連する書籍を読んだことがありました。個人ブログに書きました。
「靖国の戦後史」を読んで
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-8582.html
著作の中で 筆者は「なぜ国家が追悼するのか」という項目の中で次のように述べています。
「こうした戦没者のための国家儀礼の施設についてのこれまでの議論には、国家はなぜ戦死者を追悼するのか、国家の追悼はなぜ感謝と敬意なのか、戦死者を一様に「命を捧げた」と称えるのはどうしてなのか。
なぜ死者は犠牲者とされ、被害者とされないのか。なぜ国家はそのような施設を必要とするのか。そのような国家装置こそ国民に新たな死を強い、戦争を繰り返させてきたのではないか」P236)
グローバル化する社会と国家儀礼装置についてもこう述べています。
「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置になる危険性をもつという。
戦争をどう記憶するという仕組みに関しては、むしろ変化しつつあるグローバルな世界において、今後数10年のうちに、これまで欧米における20世紀の「普通のナショナリズム」のモデルとして継承されてきた記念碑的な装置や儀式は変革を迫られる。
新しい戦争の記憶のシステムには、なによりも「彼我の死者」の境界をまたぎ越して、単一ではない、個々の記憶を共有しあう営みこそが必要だという。」(P237「グローバル化の中での国家儀礼装置」)
靖国神社は「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置になる危険性をもつ」と筆者の田中伸尚氏は述べています。今の事態がまさにそうなっています。
危険なのは「歴史を全く顧みない。勉強していない。」連中がWEBで「マスコミやサヨクの連中が日本をおとしこめ、中国や韓国の手先になっている。安倍首相の勇気に万歳」などと情緒的な感想を述べていることです。
冷静さを欠く議論であり、「いつか来た道」へ転落する可能性があります。
沖縄県糸満市にある平和の礎(いしじ)。沖縄戦の激戦地の陸に建設されています。そこには日米両軍兵士の戦没者と沖縄県民、中国・韓国の戦没者の名前が石碑に刻まれています。沖縄で開催されたサミットに当時米国のクリントン大統領が訪れ献花しました。
靖国神社が「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置」である限り(1宗教法人である限りはそれも信教の自由であるが、政府閣僚が参拝するとなると話は別)、諸外国や日本国民多数からの批判は免れない。
解決策は国立の無宗教の追悼施設(平和の礎のような)をこしらえるより他はないと思う。安倍首相が強弁すればするほど、日本国の国益は毀損するばかりになるからであります。
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未だに電子書籍ではなく図書館で紙媒体の本を借りて読んでいるアナログ人間ですので、今日の昼休みに下知市民図書館で借りてきた本の紹介です。
乱読で何のつながりもない書籍を10冊借りました。
「高知市歴史散歩」「飛行艇時代 ポルコ・ロッソ」「高知県昭和期小説名作集」「重曹使いこなしアイデア212」「韃靼疾風録」「山崎豊子自作を語る」「断捨離」「隠居大学」「よみがえる力はどこに」などと支離滅裂ですね。
重曹は年末の掃除に役立つのかとかいう程度。山崎豊子と天野祐吉は今年の物故者。城山三郎氏は戦争体験者の作家。歩いてみる高知市の参考。宮崎駿の種本など。知らない司馬遼太郎の小説も借りました。
年末年始はテレビはサッカーやラグビーや箱根駅伝程度。寝転んで読む機会もあるでしょう。
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今日は2013年最後の介護予防リハビリの通所日となりました。生憎冷たい雨が降っておりますが、父(94歳)も母(88歳)も元気で行きました。通所し始めて2年をを過ぎ、今年の8月から週に2回行くようになりました。
ジョイ・リハは食事サービスも入浴サービスもないリハビリ専門の短時間(4時間程度)のディ・サービスです。おかげで両親とも身体機能の衰えを防ぐことが出来たのではないかと思います。
午後4時半ごろには戻って来ます。その間にこちらも用事を済ませないといけないですね。今晩もまたまた臨時で忘年会の呼び出しが。恩義のある人からのお誘いなのでお断りできないのが辛いところです。
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確か10年ぐらい前にある葬祭会館チェーンの会員になっておりました。それがまもなく満期になる(150か月分の支払いが終了)するので、内覧会の案内があり、昼休みに見学に行きました。
案内ハガキを提示しますと、私と同年配のベテランの女性係員が案内していただきました。
まずは家族で故人を安置し、一緒に家族通夜をする部屋の案内。布団だけではなく、ベットや冷蔵庫やユニットバスも設置されており、ホテル仕様になっています。大人数のお通夜でなければこちらでお通夜も可能であるとの事。
説明では食事は別途料金とか。朝食のモーニングはサービスとのことでした。
次に会場の案内。「家族葬」といったこじんまりとした葬儀の形態を説明していただきました。会場を使用した葬儀一式の費用は15万円とか。含まれていないのは生花の費用5万円は別とか。
仏式であれば僧侶の費用や、改名料金。火葬場の費用などがかかります。精進落としの料理の費用は別途かかるようですね。
隣の30万円コースも見ました。祭壇が家族葬よりも大きいだけ。どうもこちらのコースの積み立てをやっていたらしい。
こうした内覧会を葬祭会館が実施することは悪いことではない。ただ今回見学した限りでは、定額料金(15万円・30万円)に含まれているものと、そうでない実費がどれくらいかかるのかが今一つわかりませんでした。
見積もり選定をお願いしました。そりゃそうでしょう。うちには超高齢者の父(94歳)と母(88歳)がいます。わたしも家内も還暦で死亡リスクが高くなりますからね。
葬祭産業は成長産業であると言われています。それだけに不明瞭な部分が多くあります。うちの場合は分家で檀家のお寺は決まっていません。
友人が昨年葬儀を取り仕切ったおりに250万円程度かかったと言っていました。確かに参列者も多い葬儀でしたが、持ち出しが多かったとか。一般人は参列者も少なく、香典で葬儀費用が賄えるということはまずありえない。「持ち出し」になりますね。
葬祭会館もビジネスでやっています。こちらも商売人の端くれですので、疑問点は徹底的に聞き、「もしも」のときに慌てないようにします。
見積もりは、新聞広告も出しで参列者が100人程度の一般葬儀(30万円口)と、新聞広告を出さない家族葬の場合の2通りお願いしました。さてどうなるのか?
こちらの葬祭会館が、いいなと思ったのは故人の出棺時に屋外へ出なくていいことですね。冬などはお見送りが辛い時もありますので。
結局3000円口が終了して、「枠が出来た」ので、1000円口の「家族葬」分を3口継続契約しました。後12年は頑張らないといけませんね。結婚式場も別途経営されているようですので、うちの子供たちは未婚者なので活用できるのかもしれませんね。
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今日は「国民的な関心事」の2つの課題の結論が出る日ではないでしょうか。
1つ目は 楽天球団の田中将大の大リーグ挑戦を楽天側が認めるかどうかです。果たしてマー君に「クリスマスプレゼント」になるかどうかが見ものです。
わたしは楽天側はオーナーが潔く認めて、あざとく「マー君大リーグ移籍感謝セール」をするのではないかと斜めに見ています。
2つ目は 沖縄県仲井真知事の決断です。海上の埋め立て権限は県知事にあります。知事がうんと言わなければ名護市辺野古への基地建設はできません。
自民党は沖縄自民党県連の趣旨替えも強引に行い、「県外移設」を公約に当選した沖縄選出の自民党国会議員を変節させました。
沖縄関連予算3000億円も気前よく出し、仲井真知事を追い込んでいますが果たしてどうなるのか。
私個人としては仲井真知事は初心を貫いていただきたい。普天間基地は撤去、辺野古への基地建設は行わない方向で、日米政府と交渉すべきでしょう。日本の陸地の0・75%の沖縄に75%の米軍基地があること自体が既に異常であるからです。
日本の国防や防衛の議論も、先日成立した「特定秘密法」によりオープンにできなくなりました。今後は政府はなんでもかんでも秘密にし、国民を罰則するようになるからです。ただちに廃止しないと国防論議すらできません。
マー君の問題と沖縄知事の決断は同列に出来ない問題です。でも今日の話題はその2つですから。注目です。
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「読書力」(齋藤孝・著・岩波新書・2002年刊)を高知駅前のブックオフで先日105円で購入しておりました。父(94歳)が週に2回植田医院へ診察を受け点滴をしている間や、休日にゴルフの打ち放し練習をしている間に読みました。
11年前に書かれた本ですが。今にも通じますね。当時明治大学の助教授だったそうですが、学生が本を読まないことを嘆かれていました。
話をしても読書をきちんとしている人と、そうでない人の会話は歴然であるとか。仲間同士では脈路のない会話が延々と続いても構わないでしょうが、社会人になり価値観の異なる世代の違う人たちとの会話となると後が続かない。「打たれ弱い学生」が日本の大学で量産されることに齋藤氏は当時から危機感を抱いていました。
「好きな文を書き写して作文につなげる」(P190)という項目は確かに一理ありますね。本の印刷が普及していなかった時代には、本を書き写して自分のなかに取り込んでいた時代がありました。
「本を読んだら人に話す」(P188)という表題もいいですね。わたしも読んだら必ず読書感想文を書いてWEBに上げるようにしています。たとえ理解するところが「断片」であったとしても読んだ証になるし、後から自分で検索して、もう1度その本を読むこともありますから。
「自分自身の内側だけを見つめているのでは到底見えてこない世界に開かれているのが、読書の面白さだ。言葉の力は、それを発した人間と完全には切り離せない。情報だけではさしたる影響を持たない場合でも、その言葉が誰か知っている人の言葉であれば、別の生きた意味をもってくる。
何でもない言葉でもシェイクスピアのセリフだと聞けば、とたんにすごみを増してくる。
誰のものともわからない言葉よりも、本という形で著者がまとまった考えを述べてくれている言葉のほうが、深く心に入っていきやすい。
1人の著者の考え方に慣れて、次々に同じ著者の著作を読むのも、ある時期の読書としては効果的だ。そのことで読書が人との対話の時間になりうるのだと言うことを知ることになる。」(P61[自分と向き合う厳しさとしての読書」
斎藤孝氏はこうも書いています。
「思考停止するから強いのではない。それは堅くもろい自己の在り方だ。思考停止せず、他者どんどん受け入れてくる柔らかさ。これが読書で培われる強靭な自己のあり方だ。」(P52「複雑さを共存させる幅広い読書」
2013年12月6日に安倍内閣は「特定秘密法案」を十分な国民的な議論もなく国会で強行採決しました。わたしは「政府による国民へのテロ」「クーデター」と断じました。
それは国民各位の議論を無視し、国民を政府が統制し、「愚民化する」全体主義国家へ道を広くものであると思ったからでした。政府の姿勢は「複雑さを共存させる」ものではないからです。
「強い国日本・近隣国になめられない国・日本」を強権的な手法で目指すことは、じつは「もろい国」になる、成り果てることになることは歴史の教訓であります。
300M四方の町内から出られなくても、読書はできます。国民を愚ろうし、愚民化させる「特定秘密法案」は廃止しないといけないというのは、わたしの読書した結果の結論です。
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両親は元気にジョイリハへ行きました。
今日の高知市は冬型の気圧配置は緩みましたが、相変わらずの低温です。わたしの体調不良は土曜日曜と2日間休養したお蔭で完全に回復しました。
朝は家内の言いつけでユニットバスの水垢落としをしていました。風呂用マジックリンと言う洗剤と、耐水ペーパーで湯船や床面をこすりました。」水研ぎの容量ですね。狭い浴槽ですが2時間近くかかりました。
両親の昼ご飯をこしらえました。元気に食べ、ジョイリハ(介護予防通所リハビリ施設)の送迎車を待っています。
父は居眠りをしないように注意しました。先週は居眠りして転倒しましたから。
12時5分過ぎに送迎車が来ました。元気に行きました。
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今日は明仁天皇陛下の80歳の誕生日です。誕生日に際し談話も公表されました。記者発表の文面を長いですが引用させていただきます。
「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆きずなを大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が,これまでに日本を支え,今も各地で様々に我が国の向上,発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み,これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが,年齢による制約を受け入れつつ,できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には,昭和天皇を始めとし,多くの人々とのつながりや出会いがあり,直接間接に,様々な教えを受けました。宮内庁,皇宮警察という組織の世話にもなり,大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々国民の幸せを祈りつつ,努めていきたいと思います。」(天皇談話)
この天皇陛下の発言のなかで重要であると思う箇所は以下の部分です。
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」です。
天皇陛下は日本国憲法を高く評価し、戦後日本の平和と民主主義をこよなく愛している発言ではないかと思います。
安倍内閣が画策しようとしている「軍事大国」や「欽定憲法に復元」することなど毛頭今上天皇陛下はお考えになっていないことが明らかであると思います。
今上天皇の誕生日である12月23日に、東京裁判でA級戦犯とされた東條英機・広田弘毅ら7人が絞首刑執行されました。GHQは「わざわざ」この日を戦犯の処刑する日にしたのです。この事実を日本国民は忘れてはならないと思います。 唯一民間人で処刑された広田 弘毅ですが、関連書籍を読みましたが、処刑に値する罪状なのかと言えば該当しないのではないかと思いました。
(「広田弘毅 悲劇の宰相の実像」を読んで)
その翌日の12月24日に 「GHQ、岸信介らA級戦犯容疑者19人を釈放と発表」しています。岸信介は米国から多額の政治資金を供与され政治活動を開始し、主に対米従属外交を展開しました。
現在岸信介の孫である安倍晋三が首相になり、敗戦後平和と民主主義で国土を再建してきた日本国を再び戦時体制に戻すような画策を繰り返しています。これは天皇陛下も望んでいることでは全くないことです。
まして天皇誕生日にわざわざ東京裁判のA級戦犯7人を処刑した米国に追随する政策を行おうとする現在の安倍政権の姿勢はおかしいと私は心底思いますね。
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2013年12月17日の高知新聞朝刊12面に、曳家職人の岡本直也さんの特集記事が掲載されています。関東・東北の罹災地での家の傾き、沈下修正の仕事ぶりが紹介されていました。
記事にあるように「高知で曳家職人を養成する」仕組みをきちんとこしらえなければ、地震後高知県は再建できません。
高知市下知地域は、液状化危険地帯でもあります。地元宝永町出身の岡本直也さんの伝統技術を生かすしくみを早急にこしらえる必要性がありますね。
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高知市中宝永町で、黒岩時計眼鏡店を経営なさっている黒岩博さんから、「地域防災に役立てていただきたい。」ということで、昨日「もしもの時に度数を調整できるメガネ」(-6・0度から+3・0度の度数に対応)を3つ寄贈いただきました。
私は強度の近視なので眼鏡は外せません。試験をしてみました。裸眼では全く見えない風景がこの「もしもの時に度数を調整できるメガネ」をかけますと見えるようになりました。遠視(老眼)にも当然対応しています。
黒岩さんは「大災害時には、着の身着のまま指定避難所に駆けつけてくる人が多いと思う。状況によっては老眼鏡を持ち出せない人もいるでしょう。避難者名簿に記入する時など眼鏡がないと困る人も出てくると思います。そう思い寄贈させていただきました。」と言われました。
黒岩さんによれば、視力は人ぞれぞれぞれで、完全に度が合うわけではないが、一時的に名簿に名前を書くことはこの眼鏡を利用すればできます。とのことです。「もしもの時に度数を調整できるメガネ」は1つで数千円以上するそうです。ありがとうございました。
下知コミュニティ・センターとも協議し、5階の防災倉庫のキャビネットに保管させていただこうと思います。
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1946年(昭和21年)12月21日午前4時過ぎに発生したM8の地震でした。今後30年以内に震度6以上の地震が起きる確率は70%を高知市あたりは超えています。間違いなく起きるということです。
しかし多くの高知市市街地は海抜2メートル以下の軟弱地盤の上にあり、海が近く大きな揺れとともに、地盤の沈下、海水の侵入、長期浸水が予想されていますが、対策は遅々として進んでいません。
「わしは小学生だったが、山へ駆け上がった津波が引くときに、一気に家が海へ持って行かれた。必死で家族と高台へ逃げたもんやった。」と話のは当時須崎市で小学生時代に津波を体験された森宏二葉町防災会会長。
「地震で倒壊した隣の奥さんを屋根を壊して助け出したら、ほどなく水が来ておれなくなり、昭和小学校まで逃げました。年明けしてしばらく周囲の水が引かず、進駐軍が食料などを持ってきてくれました。」と話していただいたのは、当時中学生であった二葉町在住のKさんです。
二葉町自主防災会には、昭和南海地震の体験者がおられます。その教訓を活かした事前の減災対策を今後もしていかねばと思います。
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今朝の高知市の寒いこと。高知市市街地はみぞれでしたが、山間部は雪でした。高知自動車道も一時大豊―川之江東間が雪のため通行止めになっていましたから。
父(94歳)の診察と点滴に朝は植田医院へ行きました。その頃から冷たい雨が降り出しました。戻ると介護調査員の方が両親の面接に来ました。いろいろやりとりをしました。
どうしようかなと思いましたが、午後から晴れましたので、母(88歳)を連れてはりまや橋商店街で開催されている活き活き100歳体操へ行きました。
元気な5人の高齢者が生き生き100歳体操に参加しました。全国屋外での活き活き100歳体操はとても珍しいと思います。寒い中頑張りました。
待っている私のほうが体調が悪くなりました。鼻が出て、のどが痛い。風邪の症状なのか。なんせ風邪をあまりひいたことがないのでわかりません。
我が家では風邪を引いたら「犯罪者扱い」なのです。明日は静養して1日で直す予定です。風邪ひいてる暇なんぞありませんからね。
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2013年12月9日は、NHK教育放送で「イギリスで認知症“国家戦略”を考える」を家内と一緒に見ていました。
シリーズ認知症“わたし”から始まる
町永俊雄リポート イギリスで認知症“国家戦略”を考える
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-12/09.html
軽い認知症と母(88歳)が診断されてはや5年。12月20日の介護調査や介護認定でどう判定されるのかわかりませんが、家族としては「認知症はかろうじて進展していない。」と思います。
日本では今や「認知症800万人時代」と言われ、大変な社会問題になっています。しかしまだまだ認知症に対する偏見や、社会全体での支援の仕組みが確立されているかと言えばそうではありません。
イギリスでも深刻な問題のようです。番組ではキャメロン首相が登場し「かつてはがんが大きな社会問題。次にHIV問題。今や認知症問題です。国家予算で3兆円も費やしながら成果があまりあげられていません。財政難で国としても経済支援は難しいが、国民の声も聞いて有効な手立てはすべて行いたい。」とのことでした。
番組を視聴して感じたのは、日本とイギリスの認知症に対する取り組みからの違いでした。
「日本ではデータとして語られている。認知症の人が800万人になった大変だ。というベースにあるのはデータのことばかり。
イギリスでは、認知症当事者の声や、ケアしている家族の声をベースに認知症対策が立てられています。「当事者視点のアウトカム評価」「早期に診断されたか」「将来を考える機会を得られたか」など、直接、本人を調査するものです。
それを国家戦略までにしよう」というところです。
アドミナル・ナースと言う人たちが活躍されていました。認知症の家族を抱える家族を支援する看護資格を持たれている相談員ですね。多くは民間のNPOなどで運営されています。
あるプロサッカー選手が認知症になり、その介護を通じて得られた経験で組織ができ、認知症の人達と、それを支える家族のサロンができ、それぞれを支援する仕組みづくりです。
人間としての尊厳を保ち、とじこもらずできるだけ外出して刺激を与えること。原則は日本もイギリスも同じですね。うちの母(88歳)も介護予防通所リハビリに週に2回、デイサービスに1回、はりまや橋商店街での買い物と活き活き100歳体操(介護予防体操)に1回連れ出しています。そのやりかたは間違ってはいなかったんですね。
トイレが自分で出来ることも人間の尊厳であると思います。母は、8月の尿失禁以来なかなかオムツ式パンツを外せません。来年こそ外せるように叱咤激励をしていく予定です。
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2013年現在世界で認知症とされる人たちが4400万人。高齢化先進国日本では軽度も入れますと800万人が認知症です。先日世界認知症サミットがG8にて英国で開催されたばかりです。
かつて1国の指導者であった米国のレーガン元大統領も、英国のサッチャー元首相も晩年認知症になり亡くなりました。
既に「老・老介護」に突入している我が家でも他人事ではありません。母(88歳)は、5年前に軽い認知症であることが判明。現在アリセプトを服用。なんとか進行を抑えています。
週刊現代12月28日号も「世界中のどこも、経験したことのない社会 「認知症800万人時代」この国に何が起きるのか」(P66)とあります。65歳以上の4人に1人。80歳以上は2人に1人は認知症とか。
見出しは仰々しいが、記事を読むとたいしたことは書いてはいません。「認知症は早期発見・治療がカギだ」と記述しているだけですね。
うちの場合は、超高齢者の両親と同居し、商売をしていますので、常に観察できたので、母の異常な言動に早期に気が付き、MRIを撮影し、専門医の診察を受け「アルツハイマー型認知症」と5年前に発見できました。
県外にいて親とは別居し、年齢的にも1番仕事が忙しい時期に、親が認知症になれば手の打ちようがありません。多くの人たちがそうなっています。
個人的な問題ではなく「社会問題」として国全体、自治体全体、地域社会全体が取り組まないといけない問題なのです。
先日も認知症の父親を在宅介護していた娘さんが目を離した一瞬の隙に外出して徘徊し、列車にはねられなくなった出来事がありました。鉄道会社は運行が遅れたと裁判に提訴、遺族に賠償を命じる不当判決が出たばかりです。
鉄道会社も裁判官も深刻な認知症問題を認識していない浅薄さを披露してしまいました。
現在安倍内閣は国民が政治に無関心であることをいいことに、「戦争をする体制」に日本社会を変えようと画策しています。「特定秘密法案」がそうでした。
足元の「現実」を見ない机上の空論内閣です。わたしは両親のケアもあり、300M四方の町内から出られない立場ではありますが、日本社会の現実は永田町の先生方より良く見えています。
あまり庶民をないがしろにする国策ばかり取るようであれば、わたしなりに「やれることはなんでもやります」から。市民生活の現実とかい離した国策はしてはいけないことは断言します。
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本来なら月曜日は父(94歳の)植田医院への通院の日。診察と点滴をする日です。ただ明日と明後日寒くなりお天気が崩れるとの予報が出ています。それで急遽徳島ッ日帰り出張にしました。
高知道もそうですが、徳島自動車道路もトンネルと橋梁の連続箇所があります。ただ徳島道は対面交通箇所が多く、交通量も多いので運転には神経を使いますね。
徳島市と言えば吉野川大橋と眉山ですね。橋の上は7Mの冷たい風が吹いています。
高知市同様徳島市も低地の水際の街。新町側も市街地中心にありますね。
徳島ICも工事中。しかし鳴門まで高速で繋がるような気配はありません。
「慌てられんゆっくりいかんぜ 阿波の道」という標語が見られました。
三好市の市街地。相変わらず変化がないところが素晴らしい街です。「うたづマルシェ」は年間3回開催されますが、開催される古い町並みや民家が残る狭い街路があります。
NPO法人スペースきせるも古い民家にあります。武川修士さんはお留守でした。
アーケードが取り外された商店街。以前の風景はアーケードの中を自動車が疾走して珍しかったです。
24年来のお付き合いになる脇さん処へも寄りました。皆さんお元気です。
池田の市街地の中にもセブンイレブンとローソンが出来ていました。「街壊し」のコンビニはこの街には不要であると思いますね。
帰路は寒いこと。明日から天候が崩れるそうなので、今日の巡業は正解でした。
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訃報はMLやFBで知りました。奥様から「葬儀は身内だけでやりたいので、どうか12月15日のおびさんマルシェへ出かけてください。」とのメッセージも拝見しました。それで歩いておびさんマルシェへ行きました。
おびさんマルシェの実行委員長の大西みちるさんに会いました。なにか寄せ書きをと言われました。大石宗さんが書かれた後にわたしも書かせていただきました。
9年前の2004年位に、当時私が地元コミュニティFM局でやっていた番組「けんちゃんのどこでもコミュに二ティ」に出演いただきました。
http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/gesuto6/shiroshita.html
城下さんは川でのカヌーだけででなく、海でのカヌーもやっていましたので、ちょうど夜須でNPO法人YASU海の駅クラブの立ち上げ期でしたので、接触機会があった頃でした。
城下秀二さんは多様な市民活動家でした。環境保護団体の事務局長。仁淀川お宝探偵団の世話役。カヌー体験の案内人。演劇人であり、紙芝居の親父でした。子供さんの中学のPTAの役員も当時されていました。みませ祭りも実施し、みませ干物屋として展開しようとされておられました。
寒くなったのでそろそろ干物のシーズンだ。おびさんマルシェへ出てくるかなと思っていました。今回の訃報に関し残念な想いです。
おびさんマルシェでも多くの人たちが寄せ書きをされていました。心からお悔やみ申し上げます。
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今日はお昼前に父がゴルフの練習後に少し調子悪そうにしていましたので、出掛ける時間帯が遅くなりました。それで大川村から高知市大橋通り商店街で大川村物産品を販売している近藤京子さんところへ行きましたが、時すでに遅しで片付け中でした。
大川村のサポーターである北村哲郎さんに「朝来ないといけないよ」と言われました。毎月第3週の午前9時過ぎから売り切れるまでだそうなので、次回はなるべく昼前に駆けつけます。
さて今日は「おびさんマルシェ」です。夜は「星空マルシェ」もありますが、主催者の大西みちるさん他11月に続き大変でございました。今日は出店も多く賑わっておりました。
おびさんマルシェは原則オリジナルの手作り作品が多く、今日高知市中央公園でやっていたフリーマーケットとは趣が異なります。
大石宗さんに会いました。高知だけJのプロサッカー・チームがないのが寂しいですね。なんとかしたいですね。とお話しました。徳島は盛り上がってますからね。香川もです。
おびさんマルシェにも流木工房やみませ干物屋で出店されていた城下秀二さんを市の偲んで寄せ書きをされているので、けんちゃんからもと言われ、わたしも書かせていただきました。
仁淀川お宝探偵団や、カヌーの案内人。演劇サークル、紙芝居親父。みませ干物屋。環境保護団体事務局長などと引き出しの多い人でした。10年ほど前に私が当時やっていた地元コミュニティFM番組にゲストで出演いただいたこともありました。
今日のおびさんマルシェはキャンドル・ナイトや音楽演奏、映画会もあるようです。寒い中頑張っています。
おびさんマルシェの行われているおびさんロード沿いの堀詰に叔母の店である水谷龍文堂があります。画材やオリジナル額縁の専門店。叔母は嫁いで60年。ベテラン店員さんは勤続40年。画材はネットなんかで購入せず、ベテランのいるお店で購入しましょう。
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今日の高知市は冬型の気圧配置で寒い。朝の事務所の温度は午前8時過ぎで8度。8時半過ぎに父(94歳)が行きたいと言うので、リハビリを兼ねてゴルフの打ち放し練習場へ連れて行きました。
途中大橋通りのラビータにある温度計表示は、8時半過ぎに3度を表示。この冬1番の低温でした。
西高東低の気圧配置であれば西日本の太平洋側は晴天。温度は低いですが朝は風が吹きません。そういうこともあるので父のゴルフ練習は朝連れて行っています。
125発無事に落ち終えました。10時前に帰りにラビータの温度計を見ると6度でした。やはり寒い。
帰りの車で父は居眠りし、自宅へ到着しても意識朦朧状態に、急いで家内を呼び2人で介助しながら歩かしますと意識が無事に戻りました。人騒がせなお爺さんです。
休日ですが事務所の灯油ストーブを点け、少し体を温めてから上の部屋へあがりました。温度差は高齢者にはきついのかもしれません。こちらも気を付けないといけないとおもいました。
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2013年12月14日は、YASU海の駅クラブでの忘年会。前日は沖縄県人会」(家内が那覇市出身)ですので、忘年会へ出席していました。2日連続でした。当日は朝は夜須へ行き、強風の前にセーリングを楽しみました。一度自宅へ戻ってから仕切り直しをして夜須へやって来ました。
仕事も年齢も異なる海に関わる参加者同士会話が弾み、お酒もどんどん飲みました。
来年はNPO法人YASU海の駅クラブが出来て10周年。わたしも夜須でヨットを始めて来年は29年になります。お爺さんになっても海に浮かんでいたいと思います。
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父(94歳)が病室でいつもの点滴をうけている間、女性セブン10月3日号を読んでいました。そのなかの50ページに、京都大学原子力研究所助教の小出浩章氏の発言を素地にされています。見出しだけでも強烈です。
「安倍首相にだまされるな!福島第1原発汚染高濃度汚染水でがん・白血病の子供が増えていく」
「安倍首相は本当に恥知らず」「被爆の影響は数年後に出る」「日本に安全な食べ物はない」と。
福島県では除染作業も進展していません。小出氏はこう言われています。
「あえれ言いますが、避難者は福島に戻るべきではなく、県内に帰還した人たちも、少しでも汚染の少ない地域へ逃げるべきだと私は思います。
国は原則立ち入り禁止の「警戒区域」を今年5月に解除するなど、福島に住民を戻すことを想定し始めていますが。この方針は深刻な問題を孕んでいます。」
小出氏は子供たちへの悪影響を心配されています。
「子供たちの被爆の危険度は、大人に比べ4倍あります。私は今回の原発事故の影響で。がんや白血病になる人が子供を中心に増加すると断言できますし、その他の病気、例えば腰痛や高血圧、視覚障害なども増える可能性が高い。」(週刊現代10月3日号)
「日本に安全な食べ物はない。」と小出氏は言い切ります。
「もはや日本には安全な食べ物はないという状態に追い込まれていますから、子供の内部被爆を少しでも避けるのに、そうした1つひとつの対処法(洗う・ゆでる・煮る)を地道にやるしかありません。
調理法を工夫しても放射性物質はゼロになりませんが、魚や野菜を煮れば半分に落とせますから」
なかなか的確な記事で感心しました。
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昨夜は20年ぶり(?)の沖縄県人会の忘年会。家内と2人で出席しておりました。楽しい雰囲気でしたので、ついつい飲みすぎました。今日もYASU海の駅クラブの忘年会。メタになるので朝から夜須の海へ行きました。
今日の高知県夜須は西高東低の気圧配置。寒い。ハーバーの水たまりは氷が張っています。ヨットのカバーには霜が降りています。霜が降りると言うことは朝は風がないということです。
臆病者のシニア・ヨットクラブは、やおらぎ装(ヨットの組み立て)を行い、ドライスーツを着込んで海へ出ました。
予想どうり穏やかな海でした。写真の撮影も可能。冬は海も空も青いので好きです。
高知大学ヨット部やジュニア・ヨットクラブの高校生が海へ出ていました。皆元気にセーリングしています。
午前中限定でしたが、よい運動になりました。ヨットを片付け、シャワーをし、お昼ご飯を買ってきて食べました。
やはり予想どうり西高東低の気圧配置の場合は、午後から風が上がります。なかなかの強風になっていました。臆病者のシニアはすでに陸に上がっています。今日は日和見の讀みも確かでした。
高速道路の工事(赤岡)は、先日の突風で壊れたハウスを見ました。
自宅へ帰り、ヨットの備品を干しました。午後5時半位に送迎バスが来るので、もよりのバス停で待ちます。今日はYASU海の駅クラブの忘年会。気のおけない海の仲間との懇親会なのでまたまた飲みすぎそうです。
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昨夜は20年ぶり(?)に、沖縄県人会に参加しました。家内が那覇市の出身ですから参加資格はありますね。
昔とことなり大学生など若い人たちが多い。聞けば高知大学でも50人ぐらい沖縄出身者がいるそうです。
会場はシダックスというカラオケ・ルーム。3階に40人ぐらいは入れる部屋があり、そこでの沖縄県人会。
初対面の人達が多く、最初はお互いぎこちない。でもお酒が入りお互いの出身地などを聞いているうちに打ち解け、サンシンが登場し、歌が入り、カラオケも始まると大盛り上がり。
最後は沖縄の踊りカチャーシで盛り上がり、3時間の懇親会は終了しました。
世話役の人が今後は「忘年会だけでなく、春のお花見や、夏のバーベキューもしようということになりました。
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2013年12月12日は、地元紙の取材がありました。テーマは「二葉町自主防災会の今後の展開」ということで、主に現在進行中の「防災世帯調査」についてでした。荒木副会長と西村情報班長とで対応いたしました。
二葉町防災世帯調査は、二葉町の全世帯(446世帯・753人)を対象とした現状調査です。7年前の2006年にも実施しています。人口構成の把握と、災害弱者(80歳以上の高齢者・障害者・小学3年生以下の学童)の把握が目的です。
今回は「資格調査」や「自宅所有の省資材」なども自己申告をしていただくようにしています。また「防災世帯調査」とともに、各自が1人1枚所有する「SOSカード」も配布するようにしたいと思っています。
「防災世帯調査」は、7年ぶりに来年作成予定の「二葉町防災マップ」や、高知市役所と協働で策定する「下知南地区津波避難対策」についての基礎調査資料になることでしょう。住民発意の「仁淀川町と二葉町との疎開を前提とした交流」や「多数の地域住民が安全に避難可能な高密度発泡体を用いた浮体構造物」についても説明しました。
続いて浜銀総合研究所(横浜銀行のシンクタンク)の研究員2人と東京市町村自治調査会(東京多摩地区と島諸地域の広域対応する公益法人)の研究員1名の合計3人による調査・懇談を行いました。
こちらは従来型の行政主導型の姉妹都市・友好都市交流が近年の予算削減傾向で低調になる中、民間主体で2年前から実施されている「仁淀川町ー二葉町交流」に注目していて、わざわざ大都会の横浜と東京から、訪問されました。
低地(全町内が海抜0メートル)である二葉町は、南海トラフ巨大地震が起きれば、地盤が沈下し、全町内が浸水・水没し、長期浸水状態になることは避けられません。それゆえ2011年の6月から、「疎開を前提とした住民交流」が、仁淀川町の有志との間で継続的に行われました。
そのあたりの交流の在り方が「珍しい」ということでしょうか。わたしたちは無理のない範囲で自然体でやれる範囲で交流事業をやったいるにすぎません。そのあたりを荒木副会長と西村情報班長とで説明し、意見交換をしました。
3人の調査員の人達は、12月13日は仁淀川町を訪問され、役場の企画課や住民代表とも懇談されるようです。
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午後から寒かったですね
12月半ばのはりまや橋サロン。母(88歳)を連れて午後に行きました。
今日は夜は、久しぶり(15年以上ご無沙汰なのでは)に「沖縄県人会」の懇親会へ出席します。主役が家内でわたしはお供。そういうわけで夕飯のおかずは買いません。
今日は一段と寒いですが、活き活き100歳体操には5人の高齢者の皆さんが参加されていました。風よけシートがあるとはいえ結構寒いです。
屋外での活き活き100歳体操(介護予防体操)サロンは、おそらく高知ではここだけでしょう。でも商店街の真ん中にあり、露店市や商店での買い物が大好きな母にとっては良い刺激になります。頭の体操にもなると思うから連れて来ています。お釣りを計算したり、商店の人達との会話が大事であると思うからです。
恐らくそうした刺激が母の認知症を悪化させない歯止めになっているのではないかと私は思います。
体操が終われば、いつもは叔母とぜんざいなどを母と3人で一緒に食べて帰りますが、冷たい風が吹いたので早々に退散しました。
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週末の金曜日はせわしい。朝1番は父(94歳)の植田医院への通院。診察と点滴があります。寒くなりますと風邪やインフルエンザの感染症に罹患する人も多くなり、待合室も混雑状態。
父は原則週2回点滴します。点滴の時間は30分程度ですが、わたしにとっては「読書タイム」です。今回の読書は「読書力」(斎藤孝史・著・岩波新書・2002年刊)です。11年前の書籍ですが当時から「大学生は読書をしなくなった」と斎藤氏は教官の立場で嘆いています。
「読書の幅が狭いと、1つのものを絶対視するようになる。教養があると言うことは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができると言うことだ。
(中略)
絶対的な価値観を1つ受け入れ、他を否定する思考パターンに陥っていた。読書の幅も限られていて、自分たちの教義に合致するものが選ばれ推奨された。それと食い違う場合には、憎むべき悪書として攻撃していた。
世界文学を幅広く読み、具体的な人間的理解力を育てようとする傾向はみられなかった。ある種の哲学的問答には強くとも、ある一定の生き方だけを模範とする傾向があった。
矛盾し合う複雑なものを心の中で共存させること。読書で培われるものは、この複雑さの共存だ。
自己が1枚岩なら崩れやすい。しかし複雑さを共存させながら、徐々にらせん状にしてレベルアップしていく。それは、強靭な自己となる。
思考停止するから強いのではない。それは堅くもろい自己のありかただ。思考停止せず、他者をどんどん受け入れて行く柔らかさ。これが読書で培われる強靭な自己のありかただ。」(「複雑さを共存させる幅広い読書」P52)
105年でブックオフで購入した岩波新書ですが、父の点滴をしている間に読みました。なるほどと思いましたね。
安倍政権が強引に強行採決した「特定秘密法案」は、「異論を排す」偏った考え方で法案の趣旨が形成されています。東京五輪の安全対策として「共謀罪」まで提唱されようとしています。安倍内閣は国民の「思想統制」までしようとしています。
それがいかに国民の精神を衰弱させることか。特定秘密保護法案に賛成した国会議員や政党関係者各位は、斎藤孝氏のいう「読書力」の乏しい人たちだったんですね。日本の行く末を決めるリーダーの人達の「教養」が薄弱では、日本国の将来も暗いと、父の病院で思いました。
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薬用品量販店で、母(88歳)用の「はくパンツ」式の大人のオムツを購入してきました。種類が多いことに驚きますね。母の場合は「1人で歩けるタイプ用」ですね。
右側が2回用で昼間用。左側が4回用(説明では4回分の尿をためると言う)。4回分ためるとは書いてはあるが、夜中にトイレに行き、脱ぎ捨ててある場合が多い。夜中に2回程度履き替えている場合が多い。履き替えることで失禁はなくなりました。
トイレは「人間の尊厳」の1つであると思います。自分でトイレに行き、用足しをすることは大事であると思います。母の場合は脊椎狭窄症を起こしているので、腰痛もあり、尿意を感じた時は間に合わない事例が多いようです。
週に2回の介護予防通所リハビリと週に1回のデイ・サービス。毎週金曜日のはりまや橋商店街での活き活き100歳体操への参加で、介護予防に努めているのが精いっぱいですね。
目標は「はくパンツ」を使用しないことです。まだまだ道は遠いです。
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高知市中心街のはりまや橋から東へ1キロ。国道56号線と32号線が交差する高知市下知地域は、戦後市街化され発展してきました。バブル期においては坪120万円を記録した時代もありました。
今や南海トラフ巨大地震の脅威が言われ出して以来、特に2011年3月11日の東日本大震災以降は、高知市下知地域の土地売買の実績は皆無です。実質0円です。でも固定資産税は路線価に準じて課税されています。
「生きのびる」という意味は
1)自分の命が助かること
2)家族の命が助かること
3)地域のつながりを保ち皆が助かること
4)生活の基盤(仕事)を確保すること。BCBなど。
自然地形の高台が皆無な高知市下知地域。地盤が低く、海に近い。最寄りの鉄筋のビルに駆け上がるしか浸水や津波から逃れるすべはない厳しい地域です。
最近ようやく市役所が津波避難ビルの確保に力を入れ出しましたが、公共施設である市営住宅や学校などの市の指定する津波避難ビルの熱源は驚くことに、オール電化や都市ガスです。
地域全体が地震で水没し、津波避難ビルにかけあがっても、暖かいものを炊き出しすることができません。大きな地震は冬に起きています。
今回会合が開催されます下知コミュ二ティ・センターは屋上に、LPガス災害用ユニットが常設されています。開館前に地元自主防災会が要望、LPガス協会さんの支援も得て取り付けることができました。
9月1日の避難訓練と11月24日の防災炊き出し訓練ではその熱源としての威力を発揮しました。
個人的ですが、私も昨年自宅の熱源を都市ガスからLPガスに変更しました。小さな南海地震対策です。
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今日は朝の仕事の段取りをして事務所を出たのが午前8時前。山を見ると黒い雲がいるので、傘を持って出ました。
高知自動車道路は山岳高速道路です。トンネルを抜けると谷を橋。建設費用が1メートルあたり900万円とか言われています。4車線なので走行しやすい。これは良いですよ。高知県の観光関係者もっと高知へ来てもらうような上手なキャンパーンをせんといかでしょう。広告代理店任せではろくなコピーはありませんから。
途中のPAでEV(電気自動車用の急速充電器)を初めて目撃しました。1回の充電で100キロ程度しか走行できない現在の電気自動車。こうした充電設備がたくさんないと普及しません。
案の定新居浜へ来ると雨になっていました。ずっと愛用していた喫茶店のライン館が閉店していました。高いけれど美味しいコーヒーだったのに。
新居浜の得意先を巡回して、高知銀行新居浜支店も寄りました。以前弊社を担当されていた行員の方が、今年からこちらへ転勤されたと聞き、面談しました。お元気そうでした。「工業都市なので高知とは全然違いますね。」とのことでした。
昼休みの時間帯に高速を走行して高松市へ。お昼は屋島のうどん屋であるわら屋へ行きました。四国村と言う四国の古民家を集めたテーマパークの1つがうどん屋です。運送屋さんの関連事業でやっているようです。
中ジャンボといううどん[680円)を注文しました。古民家で食べるうどんは美味しく感じますね。食後のコーヒーは同じ施設内にある異人館で飲みました。
午後から高松市内を巡回しました。さすがに車が多い。高松市は高知市よりガソリンが安いようです。156円でした。高知市は161円です。
山を見ると真っ黒二なっていました。風も冷たくなったので午後4時過ぎには撤収しました。朝から晩まで車を運転しますと、さすがに疲れるものですね。
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先日ケアマネージャーの下村恵子さんが来られました。1年に1度の介護認定の手続くがあると言いますので、書類を持ってこられたので署名をしたり、押印をしました。今のところ母(88歳)の介護度も認知症も、認知がわかって5年経過しますが、横ばい状態です。
下村さんとのお話は、先日のNHKの番組「認知症800万人時代」です。」
「ご家族がちゃんとケアされているので、進行されないんですよ。いろいろ連れ出したりされてますし。子供の世代と同居していることで安心感があり元気なんですよ。」
「認知症の人はなにかと不安だから、同じことを繰り返して言います。忙しさにかまけて放置していますと、介護度は悪化して行きます。もしお母さんが1人暮らしをされていたら、今頃は認知は一気に悪化していたことでしょうね。」とのこと。
下村さんによりますと以前介護関係の研修で、「2015年には認知症が400万人を超える」と言われていましたが、今や2013年に800万人を超えました。うち半分が母のような軽度な認知症。ここで「手を打たないといけない」そうです。
NHKの番組でも、認知症の介護は「先手必勝」だと言われます。家族が孤立して抱え込むのではなく、うまく外部の介護施設や医療機関を活用し、制度も活用せよと専門家は言います。
超高齢の両親から教えられることも多いし、人間も鍛えられました。だれにも人生の終末が来ます。納得ができる人生であるように、出来る限りのことを行い、自分のことも考えましょう。
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2013年12月6日という日を忘れてはいけません。多数の国民が疑念を表し、反対を表明した「特定秘密法案」が参議院で自民・公明両党の賛成多数で強行採決された日です。
まさに「政府によるテロ」が行われた日です。国民各位はそれぞれが可能な方法で廃案に追い込みましょう。
以前わたしは「日本国民は権利の上に眠る民である」とか「特定秘密法案強行採決は政府によるテロ」だと発言してきました。根拠は丸山真男氏の「日本の思想」や、カール・マスクスの「ブリュメールの18日」という評論でした。
今一度丸山真男氏の著作「日本の思想」のなかにある「である ことと すること」の項目にある表題「権利の上に眠る者」を引用してみます。
長記述の引用となりますが、的確に掻かれています。
(引用はじめ)
「権利の上に眠る者」
学生時代に末弘厳太郎先生から民法の講義を聴いたとき、「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。
金を借りて催促されないことをいことにして、ネコババを決め込む不心得者が得をして、気の弱い善人の貸し手が結局損をすると言う結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長く眠っている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。
この説明に私はなるほどだと思うと同時に、「権利の上に眠る者」という言葉が妙に強く印象に残りました。今考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、単に自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックの中には、一民法の法理にとどまらない極めて重大な意味が潜んでいるように思われます。
例えば、日本国憲法の第12条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」と記されてあります。
この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法97条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したものだと言えるのですが、そこに先ほどの「時効」について見たものと著しく共通する精神を読み取ることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。
つまり、この憲法の規定を若干読み替えてみますと、「国民は今や主権者になった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起きるぞ。」という警告になっているわけです。
これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒトラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程が指し示して歴史的教訓にほかならないのです。
アメリカのある社会学者が「自由を祝福することは易しい。それに比べて自由を擁護することは困難である。」と言っておりますが、ここにも根本的に同じ発想があるのです。
私たちの社会が自由だ自由だと言って、自由であることを祝福している間に、いつのまにかその自由の実質は空っぽになっていないともかぎらない。自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、言い換えれば日々自由になろうとすることによって、初めて自由でありうるということなのです。
その意味では、近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら、生活の惰性を好む者、毎日の生活さえなんとか安全に過ごせたら、物事の判断などは人に預けてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたい気性の持ち主などにとっては、甚だもって荷厄介な代物だと言えましょう。」
引用終わり 「丸山真男・著・日本の思想」(1961年11月刊)
政治学者丸山真男氏は、52年前に2013年12月6日の「政府によるテロ」を予言していました。今更ながら凄い洞察力であるなと感心しました。
この「日本の思想」(岩波新書)は2度ほど読みました。探しましが例によって散らかり放題のわたしの事務所なので蔵書がどこへ行ったのか不明です。息子か娘の高校時代の教科書「精選 現代文」(東京書籍 平成10年刊)の102P「であることと すること」から引用させていただきました。
まさに現在日本の状況は52年前に丸山真男氏が予言したとうりになりました。各地で特定秘密法案の反対運動が起きていますが、まだまだか細く、大多数の国民各位は惰眠をむさぼっています。
次は「集団的自衛権の行使による国際貢献」(自衛隊の海外派兵)、「武器輸出3原則の廃棄・武器の輸出の促進」、「原発再稼働・原発輸出」「日本国憲法第9条の改正」と矢継ぎ早に国会で同じ手口で強行採決を政府・与党はやってくることでしょう。
とは言え、わたしと言えば「300M四方の町内から出られない身の上」です。なんか一撃で事態をひっくり返す、テロを繰り返す安倍政権を打倒する「面白おかしい」ことはないものでしょうか?
「面白くないやりかた」でいくら叫んでも事態は変わりません。多数の国民が街頭へ繰り出し、各地の自民党事務所へ押しかけ、国会へ請願して衆議院を解散し,安倍政権を退陣させ廃案に持ち込まない限り、安倍政権のクーデターは成功したということになり、日本国は「いつか来た道」の滅びの道へ行くことでしょう。
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今日は週初め。月曜と金曜は、父の病院への通院(植田医院)があるので、日帰り出張は、火曜から木曜の間としています。ところが明日は集金日と支払日。しかも午後から月に1度の老師による整体(身体調整日)になっています。それで今日窪川・中村方面の巡業に行きました。
今年の3月以来行っていませんでした。高速道路が窪川まで伸びていました。8時過ぎに事務所を出ましたが、9時半前には窪川へ到着したので楽でした。久礼(くれ)坂と言う難所がトンネルと橋でショット・カットされた高速道路になっていました。いつも「遅れて」体験する私です。
しかし窪川から中村まではまだ一般国道56号線。佐賀町から大方町にかけては海沿いを走行する国道。南海トラフ巨大地震による大津波や、先日のフィリピンに大被害を与えた大型台風による高潮被害がもろに受けそうですね。高知県幡多地方へ行く幹線国道だけに、高速道路の開通が急がれますね。
中村も久しぶり。お昼前でしたが、どん曇りになりました。ガソリンスタンド跡の焼き肉店は、ユニークで面白い。
お昼は佐賀のうどん屋でうどんを食べ、ひたすら走行。1時過ぎに土佐市インターで降り、土佐市のお客さんを巡回し、いの町へ。先日叔父の葬儀でお会いした従兄弟の家へ寄りました。築120年とかいう家を1年がかりで改築し、ロハスな生活をしております。
薪ストーブを導入したと言うので見せてもらいました。立派ですし暖かい。なんせ薪は間伐で無料でいくらでもありますから。田舎で良い生活をしてます。97歳の叔母も幸せですよ。従兄弟夫婦がしっかりとケアしてくれたますから。
高知市へ戻り高知市北部を巡回し、午後4時前には戻りました。今晩は雨模様ですね。
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来年6月のサッカーW杯の組み合わせが決まりました。日本はC組で、コートジボアール、ギリシャ、コロンビアです。いずれも格上の国ですね。
コートジボアールといえば、「速い」「強い」「高い」「うまい」「決定力がある」「キープ力」があるドロクバ選手がいるところ。強いですよ。ギリシャも自力があるし、コロンビアは身体能力があり上手いし強い。どこも強敵。
隣のD組なんぞは、ウルグアイ・イタリア・イングランドが同組。いずれもW杯優勝経験国ですよ。W杯優勝国の8か国のうちの3国が一次リーグ同組にはいるというヘビーさですね。
日本がC組を勝ち上がれば、決勝トーナメントで対戦するのはD組ですからね。ぜひ勝ち抜いていただきたいです。
「見るだけ・サッカー観戦者」とすれば6月は忙しい。
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J1昇格プレーオフが、国立競技場で開催されました。四国初のJ1昇格の願望のために四国・徳島からも多数のサポーターが東京へ駆けつけていました。
前半は京都のペース。ショートパスをどんどん繋がれ、徳島ゴールへ迫る。徳島のDFとGKは懸命に京都のシュートを防ぐ。クリアボールもほとんど京都に拾われ波状攻撃に。でもゴールを割らせない徳島。
京都優位の展開ですが、前かかりになっていた京都のDFの裏側を狙うパスを徳島が蹴りこみ、うまくFWが取れないまでも陣地を押し返す展開に。前半37分に徳島のコーナーキック。
DFの千代丹田がフリーになっており、京都のゴールを揺らし先制点は徳島!。その後徳島の動きが良くなりました。前半終了間際にもカウンターから_FWの津田が抜け出し、つま先で2点目を決めました。43分でした。
前半は2-0で徳島優位で終了。京都は追いついて引き分けないとJ1昇格はありません。後半はパスサッカーではなく、裏を狙うパワープレーが増えて来ましたが、その分徳島にも逆襲のチャンスもあり、京都はゴールが割れません。
そしてタイムアップ。徳島は四国で初めてJ1へ昇格しました。おめでたいことです。
徳島の小林監督は、過去にも大分や山形をJ1に昇格させた実績があるとか。
遠く東京まで駆けつけた徳島県のサポーターの皆様おめでとうございます。隣の高知県民としても嬉しく思います。
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前回ご近所のシンボル美容室へ行ったのが11月10日(日曜日)でした。その時も2週間ぶりとブログには書いてあります。その日は日曜日に地域防災の行事がなかったから連れて行きました。
その後11月17日は、下知南地区津波対策検討会。24日は下知コミュニティセンターでの防災炊き出し訓練の主催者。12月1日は「市民でつくる防災フォーラム」への参加と連続3週ありましたから。今日はないので3週間ぶりの美容室。
母はオール白髪ですが頭が大きく髪の毛が多い人。洗髪する前は「山姥」のように髪の毛伸び放題です。
カットしていただき、洗髪していただいたのですっきりしています。
高齢者とは言え身なりはきちんとしないといけないと思いました。
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なんだか久しぶりに「なにも地域防災関係の行事」のない日曜日です。11月17日は「下知南地区津波対策検討委員会」があり、24日は「防災炊き出し訓練」、12月1日は「市民とつくる防災フォーラム」がありました。11月は3日は「昭和秋の感謝祭ーあそぼうさい」もありましたので、行事が立て込んでいました。
北日本は寒気が南下し寒いようですが、四国は幸い今日は暖かく風もない。午前8時半過ぎに父(94歳)を連れて、リハビリがてらゴルフ練習場へ行きました。9時前に到着しましたが、シニア席も空いていました。
父はマイペーズでゴルフの球を打っています。距離は出ませんが真っ直ぐに球は飛んでいます。
今日の読書は、昨年逝去された吉本隆明氏の「刊本状況への発言」を読んでいます。昔「試行」という雑誌に連載されていた吉本隆明氏の「時評」をすべて時系列的に掲載しています。700Pもあり、まだ3分の1も読んでいません。
今日は「地域防災の事業」の役所への報告書づくりや、事務所や倉庫の片付けと掃除、セールやドライスーツの手入れと修理をします。そのうち家内から買い物へ車を出せと言う命令が来るでしょうから。
まさに「インデアン・サマー」のような貴重な休日。師走と年末・年始の準備の1部も出来ればいいですね。
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2013年12月6日は「良い業者 悪い業者の見分け方」と言うテーマで、西田政雄さん(防災寺小屋主宰)の防災講習会(中宝永町自主防災会主催)へ参加していました。
まず西田さんは「建物の耐用年数は鉄骨・鉄筋が47年、木造は20年と言われていますが、木造住宅でもきちんとメンテナンスをすれば数百年は持ちます。」と言われました。
西田さんは欠陥住宅相談を昔してことがあったそうです。事例をいくつか挙げていただきました。
「家屋の接合具に金具が使用されていない。ボルト止めきちんとされていない。天井裏や床下工事など「見えない」箇所は適当にやっている業者もおりますねと。
「工事を依頼する(それも結構高額の)場合は、依頼する消費者の責任もありますね。自分で勉強したり、信頼できる建築知識のある専門家に相談したりして努力しないと駄目ですね。CMしているからとか、営業マンの態度が良いとかだけで業者を安易に信頼してはいけない営業の人は口で仕事しますから。」と西田政雄さんは言います。
「また来年4月から消費税が3%値上げされます。2000万の家なら60万円の値上げとなります。今駆け込み需要が多く、全国的に大工さんが不足しています。全国各地の知人から高知の大工はいないかとの問い合わせがありますが、全国どこでも忙しいのです。」
「大工が不足すれば仕事が粗くなるのは当たり前。荒い仕事は不備が多い。不備が多ければ問題も発生しやすいのです。来年の夏を過ぎれば建築需要は一段落します。一斉に仕事がなくなります。その時期に仕事を依頼すれば丁寧な施工をしてくれます。値段も安くしてくれる可能性もあります。あわてる必要はありません。」
「請け負う建築会社まで足を運んで実態を見ることも時には必要です。」
「住宅耐震化診断や工事も同じです。安さを強調する業者を安易に信用しないほうがいいです。自社に職人がおらず丸投げしている耐震補強工事をたくさんてがけてをいる施工会社もあるからです。きちんとした耐震工事がされるか疑問です。」
「大阪府堺市の建築安全課は厳しい自治体で有名です。それは設計図書どうりの工事がされているかどうか、職員が現場を何回も訪問し調査するそうです。順調な工事では8回程度、難しい工事であれば数10回も現場へ足を運ぶそうです。」
「税金を耐震補強工事につぎ込むのです当然といえば当然。しかし高知県の場合は多くは中間検査時に1回現場へ見に来る程度とか。堺市とはえらい違いですね。」
「耐震診断は、自分で直接自治体の担当部署へ依頼してください。耐震設計も自分で直接依頼してください。施工の見積もりは複数の業者からとってください。
建物に詳しいセコンドをつけてください。施工業者の評判も調べてください」と西田さんは言われました。
なかなか含蓄深い防災講習会でした。
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師走最初の夜須の海は、なかなか楽しめました。今日は高知大学ヨット部や香南ジュニア・ヨットクラブも海へ出て帆走していましたので賑やかでした。
午前中は西から南西へ風が振りましたが、まあまあの風。波がたってローリングしました。でも時折パワーのある風も吹き、ハイクアウトもしました。
なんとかバランスを取りながら海上での写真も何枚か撮れました。自分のヨットが傾きながらの撮影でした。
赤岡方面へ行ける風ではなかったので、ヤッシーパークを巡回する散帆を午前中はしました。
お昼はいつもの訪のおむすび3個と卵焼きとお茶。660円とか。ヤッシー・パークにあるJAかみやすの経営のやすらぎ市でみかんを購入。生産者が直接売り場へもってくるしくみ。さすがに「山北みかん」の産地なので今頃の夜須のミカンは美味しい。
午後からは風が上がりました。撮影はできないので、カメラは車へ置いていきました。強風気味でしたが、果敢にシニア・セーラーは海へ出ましたね。結構強風でしたので、足も手も腹筋もばらばらになりました。いい運動でした。
片付けをゆっくりし、シャワーを浴び片付けをしました。
帰り際にヤッシー・パークの事務所へ寄りました。そしたら「ひな人形を貸してほしい」との申し入れが。正直わたしも見たことが1度だけ。家の狭さを考えず娘用のひな人形を購入したものの、我が家では大きすぎて寝る場所がなかった記憶が。それ以来20年眠っています。
年明けに持ってきてほしいとのこと。来年の2月から3月末まで道の駅やすのギャラリーで展示してくれるそうです。楽しみですね。
帰りの車でJリーグ最終節の大一番である川崎F-横浜FMの大一番をガラケーのワンセグで聞きながら戻りました。後半からテレビで見ましたが、結果は0-1で負けました。広島が鹿島に勝ったので逆転で広島の2連覇が決まりました。
中村俊輔選手も35歳になり頑張っていましたが、残念でした。
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二葉町自主防災会主催(下知減災連絡会・下知コミュニティ・センター防災部会後援)の防災講演会が、2013年12月5日午後6時半より下知コミュニティ・センター4階多目的室にて開催されました。
講師は小谷鐡穂さん(香川県まんのう町在住。現・カフェ・ピッコロ店主・元橋梁土木技術者)でした。表題は「高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物による南海地震対策」でした。
南海トラフ巨大地震が発生した場合、巨大地震であろうが(M9 ・0東日本大震災規模)であろうが、比較的小さな昭和南海地震(M8・0 1946年12月21日)、海抜が低く(全域が海抜2メートル以下)の高知市下知地域(世帯数9000人。2万人が居住)は、地盤が沈下し、浸水が始まり、2階建て以下の低層住宅に住む住民には、避難退避が厳しいことが想定されたいます。
現在二葉町自主防災会は、7年ぶりに町内全世帯を対象とした「防災世帯調査」を実施中ですが、高齢化がより進展し、自力歩行が困難な介助が必要な住民も増加しています。高知市役所と共同で地域内の「津波避難ビル」のお願いをしていますが、自力歩行が困難な住民は、迅速な階段昇降が出来ないと思われます。
「高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物」は、低地の高台がない下知地域の特性と住民の要望を、小谷鐡穂さんが汲み取り、発泡樹脂メーカーのJSPと共同して開発いただきました。
西村健一下知コミュニティ・センター運営センター防災部会長の歓迎の挨拶がありました。
続いて西田政雄(防災寺小屋主宰)から「12万人が低地の軟弱地盤の高知市市街地に居住しています。下知だけでなく、潮江、高須、大津、布師田、五台山などの地域は海抜2メートル以下。高知市中心街も水没する可能性があります。
高知市浦戸湾の孕にて狭くなっていますので、津波の勢いがそがれ、急激な流速にはならないだろうと学識者が言っています。しかしなんせ浸水エリアが広大であり、人口も多く、長期浸水が予想されています。そういうなかで多数の住民、とくに災害弱者と言われる高齢者や障害をもたれている人たちも、水平移動で避難退避が可能な、「高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物」に注目しています。
この地域であれば、青柳公園全体や昭和小学校の運動場全体を高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物」を埋め込むぐらいのことをすべきでしょう。」と言われました。
有光下知コミュニティ・センター長の紹介で小谷鐡穂さんが登壇しました。講演の内容につきましては、小谷さん作成のレジュメをご参考ください。(講演の断片を聞き取りました。)
小谷鐡穂さんは、自己紹介がてら、経歴紹介をされました。大学を卒業されて長年橋梁土木の現場技術者として、橋や鉄塔の建設を携われておられました。(1970年から1991年迄)。
その後独立され、屋上緑化や地下水槽などの施工実績もこしらえられています。1991年から2003年まで)
2006年度からは香川県へ里帰りし、まんのう町のカフェ・ピッコロのマスターになりました。自家製のジャム・ピザ、燻製、養蜂など食材製造分野におかれましても技術者魂で取り組まれ、お客さん各位から高い評価を受けています。
「防災施設の究極の目的は人を救うことです。技術者の傾向として、物事を単純化して問題を解決しようとしてしまいます。横にあるものを忘れ、あるいは見ないようにしてしまいます。現実は簡単なものではありません。
技術や科学よりも人間性が大事ではないかと、この頃特に思います。」
「技術だけ導入しても駄目であると思います。地域や人の要素を大事にしていくこと。感性が大事であると思います。よそから来た学者や行政が科学や技術で地域の事を判断しがちですが、住んでいる人であるからこそわかることもあるのです。」
「地震というものは実験室で再現できるものではありません。わたしが橋梁土木技術者現役時代に体験した阪神大震災もそうでした。強烈な縦揺れ(上下動)により、鉄筋とコンクリートの橋脚が押しつぶされ、提灯のようになっていました。初めての経験でした。」
「東日本大震災と南海トラフ巨大地震が大きく違うのは、高知県全体が地震域に入っていることです。阪神と異なり、強い揺れが1分以上続くと言います。高層建築物や長大橋なども「共振」して揺れが止まらない状態になると想定されています。
いくら落橋防止をしていると言いましても共振で落ちる可能性もあります。高層建築物も免震構造であると言いますが、無事であるかどうかはわかりません。
巨大地震の現象を実験室で再現はできません。津波被害の事に関心が行きがちですが、まず強い揺れに対する対策を皆さん下知地区は特にしないといけません。」
「浸水や津波による浸水対策として、津波避難ビル、津波避難タワー〈歩道橋なども含む)津波避難救命艇(ノアの方舟)、津波避難シェルターなどが提唱されています。それぞれに長所があり、短所があります。」
「人が居住していますので、津波避難ビルは避難誘導の人員がいる長所があります。でもビルが安全かどうかは地震が起きてみないとわからないのが現実です。
津波避難タワーは今後沿岸部に建てられますが、錆対策などの維持管理も想定しないといけません。津波避難困難艇は、設置型でどうしても津波から逃げ切れない地域では有効でしょう。でも人員制限があり、コストも高いです。
津波避難シェルターに至っては建設費用の高さと、収容人数がそれほど多くないことが言えるでしょう。維持管理費用も必要です。
なにより各種津波避難施設は、「コストが高いこと」「維持管理費用がかかること」がネックです。また津波避難救命艇や津波避難シェルターの場合、だれが最後のハッチ(ドア)を締め切るのか。大きな問題です。」
「また避難タワーは鉄骨の武骨な構造物であり、修景ができません。高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は修景が可能です。樹木を植えることも可能です。周囲の環境と調和したものができます。」
「また津波避難タワーや津波避難救命艇は、あくまで非常用の設備や装備であり、似つ状的に使用されません。高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は、公園のなかに埋め込み式ですので、日常的な利用は可能です。」
高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物の利点を小谷さんはわかりやすく説明していただきました。
「広大な市街地が浸水し長期浸水状態になった場合、高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は広い場所での施工が可能です。浮体構造物がヘリポート代わりに利用され、長期浸水エリアの市街地に取り残されている多数の市民への支援が可能になります。」
「高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は、筏構造で柔構造です素材自体が浮き上がります。船舶のように機密性は必要がないので、流用物の衝突で損傷しても沈没する心配はありません。大勢の人を助けることが可能です。」
「高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は、なかをくりぬいて飲料水タンクを設置することもかのうです。トイレの整備も可能です。避難場所であり、一時的な収容所の機能も果たすことができます。」
「発砲スチロールが人の命を支える強度があるのだろうかと素朴な疑問があります。説明を聞いていますと、人力で積み重ねているだけで強度が出るのでしょうか?」
「重機を使用せず人力で現場へ運び、重ねて置くだけです。発泡スチロールは紫外線や火に良弱いので、上に土をかぶせたり、コンクリートで被覆します。摩擦接合していますから、強度もあります。弾力があって強度があるのが、高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物です。」
「火に弱いと言われましたが、火災に対しては大丈夫なのでしょうか?」
「高密度の発泡スチロールは、自己消化性があります。火元があれば燃えますが、火元が遠ざかれば消化されます。魚箱などの低密度の発泡スチロールはいったん火がついたら燃え続けますが、高密度の発泡スチロールは火元が遠くなれば自己消化します。」
小谷さんはこの高強度発泡樹脂を用いた浮体構造物は、下知地域の住民皆様の要望を形にしました。まだ構想段階であり、小規模な実験はしていますが、本格的な実証実験はしていません。
なんとか関係者の皆様の協力を得て、実証実験を行い、実現するようになりたいと思います。」と呼び掛けられました。
参加者は30人。懸命に参加を呼びかけましたが少なめだったのは残念です。報道関係者は読売新聞と共同通信の記者が取材に来ておられました。
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昔読んだ丸山真男氏の著作「日本の思想」というのがあって、そのなかに「権利の上に眠る者」という記述がありました。
詳しくは覚えていませんが、「借金も長らく請求しないと権利が失われてしまう。」そういうことを書いていたように思います。
それである日一晩寝て朝起きたら街の風景がすっかり変わっていた。たしかナポレオン3世のクーデターの記述があったようななかったような。
マルクスの著作「ブリュメールの18日」という短篇の著作も、叔父のナポレオン1世のパロディ版としてナポレオン3世のクーデターと強権政治を批判していました。
ナポレオン1世のクーデターはフランス革命の終焉でした。ナポレオン3世のクーデターは1848年の2月革命から続く民主主義体制、普通選挙、代議民主制度のなかから生まれ、強権・独裁政治を生みだしました。
日本の「秘密保護法案」の国会での強行採決ぶりを見ると、ナポレオン3世時代の「クーデター」のようにも思えますね。
あいかわらず日本では「政治に無関心」な人たちが大多数です。それをよいことに個人の権利を制限し、国民を監視し、アメリカに媚へつらう、情けない日本国になりつつあります。
自民党関係者諸兄に申し上げたい。昨年多くの国民が総選挙で自民党に投票したのは、「東日本大震災からの東北の復興促進」「福島第1原子力発電所の安全な廃炉」「経済の再生」「財政再建」でありました。
安倍内閣が数の力で強引に進めようとしている「集団的自衛権行使」「憲法改正」「原発再稼働と原発の海外輸出」「機密保護法案の促進」などは、国民各位は全く望んでいません。国民生活の中から、必要性があって出てきた政策ではありませんから。根拠がそもそもありません。
第1総選挙の時も7月の参議院選挙の時も安倍晋三首相は、そんなこと一言も言及していないし、自民党の選挙公報にも記述されていません。「詐欺」「偽装」に近い行為ではないでしょうか?そう思います。
自民党の国会議員は、地方選挙区の地元で発言していることと、国会議事堂で議事に関する起立要員であることと「2つの人格」があるようにも思われますね。地方の選挙民に見せル顔、語り言葉と、国会議事堂内での行動履歴が矛盾に満ちています。選挙で堂々と「機密保持法案」について発言した自民党の候補者は誰もいませんでした。
日本国民は、政権政党である自民党、特に安倍内閣の「危険性」「強権性」に気をつけ監視を強化すべきです。個人の権利など「あっというまに」なくなってしまうのは、歴史の教訓です。
日本を愚かな強権国家にしないために、「機密保護法案」は廃案にすべきです。
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「平成25年度高知市災害対応石油ガス懇談会」(主催・一般財団法人エルピーガス振興センター)が、2013年12月4日午後1時半から、高知市下知コミュニティ・センターで開催されました。行政(国・県・市町村)、業界(LPガス関係者)、学識者、消費者代表(自主防災会関係者も含まれます。)等で総勢45人でした。。
最初に監督官庁の経済産業省・資源エネルギー庁資源・燃料部石油流通課課長補佐の義経浩之氏が「災害に強いLPガスと今後の貢献」と言う表題で基調講演をされました。
「現在日本では、LPガスはエネルギー消費量の5%、全国の総世帯の過半数(2500万世帯)の家庭用燃料、全国21万台のタクシーの燃料として利用されている。
東日本大震災でも津波被害は行政機関や家庭でも甚大でありました。しかしLPガスの復旧は早く4月21日には全面復旧しました。罹災直後の」避難所の炊き出しや、仮設住宅の熱源にも活用されている。」
「震災直後に有効であったLPガスの軒下在庫。震災直後の自衛隊等が支援に来るまでの3・4日の初動時にLPガスの活用で暖房や炊き出しが出て、寒い時期でしたが生命維持に役立ちました。」
「LPガスの利点は個別供給されているので、1戸単位での迅速な復旧が可能である。またLPガスは劣化しないので備蓄に適している。ガソリンが不足していた地域ではLPG車が活躍した。避難所の暖房・炊き出しに最大活用された。」
次に事業者側発表者である高知県LPガス協会専務理事である島崎啓祐氏からは「高知県におけるLPガスの最終報告及び災害対策の動向について」と言う表題での説明がありました。
「学校や地域での防災学習会や防災炊き出し訓練へは積極的に対応しています。LPガスの安全対策は、ガス放出防止型高圧ホースや、50㎏容器にはバルブプロテクターを設置しています。ボンベのチェーンも2か所で止めるようにしています。
容器面、コンロ面でも安全対策が進んでいます。」
「こうした対応が行政機関にも評価され、南国市の奈路防災コミュニティセンターでは、災害時対応バルク(500㎏)、発電機、給湯器、コンロを備えた施設に採用されました。
高知市下知コミュニティ・センターでもLPガス災害時ユニットが設置されました。
また高知市は全消防団にLPG発電機を2014年度までに配備するとのことです。」
地元「消費者代表」として、西村健一二葉町自主防災会事務局長から「海抜0メートル市街地で南海トラフ巨大地震から生きのびるために」というテーマで事例発表しました。
まず「下知地域で生きのびる決意」を述べました。
「高知市中心街のはりまや橋から東へ1キロ。国道56号線と32号線が交差する高知市下知地域は、戦後市街化され発展してきました。バブル期においては坪120万円を記録した時代もありました。
今や南海トラフ巨大地震の脅威が言われ出して以来、特に2011年3月11日の東日本大震災以降は、高知市下知地域の土地売買の実績は皆無です。実質0円です。でも固定資産税は路線価に準じて課税されています。
「生きのびる」という意味は
1)自分の命が助かること
2)家族の命が助かること
3)地域のつながりを保ち皆が助かること
4)生活の基盤(仕事)を確保すること。BCPなど。
自然地形の高台が皆無な高知市下知地域。地盤が低く、海に近い。最寄りの鉄筋のビルに駆け上がるしか浸水や津波から逃れるすべはない厳しい地域です。
最近ようやく市役所が津波避難ビルの確保に力を入れ出しましたが、公共施設である市営住宅や学校などの市の指定する津波避難ビルの熱源は驚くことに、オール電化や都市ガスです。
地域全体が地震で水没し、津波避難ビルにかけあがっても、暖かいものを炊き出しすることができません。大きな地震は冬に起きています。
今回会合が開催されます下知コミュ二ティ・センターは屋上に、LPガス災害用ユニットが常設されています。開館前に地元自主防災会が要望、LPガス協会さんの支援も得て取り付けることができました。
9月1日の避難訓練と11月24日の防災炊き出し訓練ではその熱源としての威力を発揮しました。個人的ですが、私も昨年自宅の熱源を都市ガスからLPガスに変更しました。小さな南海地震対策です。
そういう観点から地元自主防災会の立場から「海抜0メートル市街地で南海トラフ巨大地震から生きのびるために」というテーマで説明をさせていただきます。」
「高知市下知地域は1946年の昭和南海地震でも地盤が沈下し、長期浸水した経験があります。1970年の10号台風では大雨と高潮で地域全体が3日間水没しました。
その後高知市は大下水道、雨水対策事業を延々と行い時間雨量77ミリに耐えうる「浸水に強い地域に」に高知市下知地域はなりました。しかし地盤が低く、軟弱地盤で海に近いということで、南海トラフ巨大地震が起きれば高知市下知地域については「震度7の大きな揺れ、揺れの最中に地盤沈下が最大2メートル、その後津波が来る。浸水は長期間にわたり地域は壊滅する。」と言われています。」
「3・11」以降下知地域の土地売買はなくなり、自力で高台地域への移転は事実上不可能になりました。今年から高知市役所は「下知地域津波避難計画」を住民各位と策定することになっています。それこそ「計画策定段階からの住民参加」となるように関与し、行政側と協働していくことになっています。
規模の小さな昭和の南海地震でも下知地域や潮江地域は地盤が沈下し、長期浸水しました。次の南海地震では最大2メートル地盤が沈下すると言われています。
もしそうなった場合、昔と異なり現在の都市は下水路や雨水排水菅が埋められています。そこからの海水の侵入が想定されます。地震後堤防を修理。改修し排水ポンプで、水を汲みだすわけにはいかないのです。それでは住めません。」
「 東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市。ここでも長期浸水地域はあります。75cmの地盤沈下ですが、いまだに復旧されておりません。計画では家屋をすべて撤去し、地域の地盤を5メートルかさ上げします。
そして水道や電気やガスや道路整備などの社会基盤整備を行い、家屋を建てる。早くて7年はかかるとのことです。2メートル地盤沈下した高知市下知地域の場合、はたして再建は可能なのかどうはわかりません。
それゆえ「仁淀川町と二葉町との交流事業」は報道機関に注目されました。全国紙、地方紙や各TV局に取材していただいています。
住民同士の交流から市町村相互の交流と災害時の相互支援協定は、災害前から事前に締結する必要があると考えます。減災の大事な考え方であると思います。
二葉町自主防災会の活動と今後の目標(下知減災連絡会との連携)
1)二葉町自主防災会の結成と活動について
二葉町自主防災会は、2006年12月に結成されました。本格的に活動をし始めたのは2007年でした。
1番悩み対策に苦慮したことは、「二葉町地域は全域が海抜0メートル地帯である。」「自然地形の高台は皆無。耐震性のある公共建築物は皆無」ということでした。
2007年に防災マップを作成する時点でも1番の悩みでした。そこで二葉町自主防災会としては、独自の方策を実行しました。
*徹底した個別世帯の防災世帯調査を独自に実施しました。個人情報である「障害の有無」「年齢」「もしもの時の連絡先」などを記入いただきました。(記入者の判断で記入いただきました。)
二葉町町内会へ未加入の人にも書いていただきました。総じて皆協力的であり、ネガティブな反応はありませんでした。個人情報より危機感が勝りました。
*耐震性のある公共建築物が皆無なので、二葉町内にある4階建て以上の賃貸マンションのオーナーと交渉して、独自の「津波避難ビル」を指定しました。「緊急避難を要する事態発生に避難所として使用する協定書」を高知市役所の関与なしに、独自に指定しました。
*土佐国道事務所とも交渉し、近隣の鏡川大橋歩道部を「災害時要援護者一時退避所」として利用することの許可を散りました。「二葉町防災マップ」に表示しています。
*2008年には、1995年の阪神大震災で大きな被害を受けられた神戸市長田区の鷹取町内会を現地訪問し、交流会を開催しました。→11月8日に鷹取商店街の石井会長の講演会を開催します。
*2009年には、今治市の自主防災会と共同炊き出し訓練をしました。
*2010年は南海地震に関連して地方居議会議員や国会議員との「タウンミーティング」を開催しました。
*2011年は、東日本大震災後の活動としては、仁淀川町への疎開を将来念頭に置いた交流事業を実施しました。2013年に市役所と交渉し新設の下知コミュニティ‥センター屋上部に、災害時対応のLPガス非常用ユニットを設置いたしました。
2)自主防災会活動の限界と現状
二葉町自主防災会の自己資金は、二葉町町内会から支給される2.5万円のみです。高知市役所災害対策課へ申請すれば、「自主防災会の活動を促進する事業」ということで、年間10万円を上限に活動費用の補助が受けられます。
しかし市役所を通じて交付される交付金は、県の資金が半分あり、なにかと制約が多く、本来の目的に使用できません。例えば、「防災マップ」です。二葉町防災マップは2007年に作成しました。5年が経過したので、新たに作成しようにも、財源がないので作成が出来ません。
また地域全体も高齢化が進行し、また町内会へ加入していない賃貸アパートの人も多く、若い人たちの参加も少なめですので、今後の対策が必要です。単独の二葉町自主防災会としての対応だけでは、「もしも」の時には当然対応ができないと思います。
地域の悲願であった下知コミュニティセンターが2013年4月に開館しました。それに対応して下知地域11の自主防災会と3つの準備グループが加盟し、2012年10月2日に下知減災連絡会(会長森宏(二葉町自主防災会)・副会長西村健一(同)・事務局長坂本茂雄(サーパス知寄町2自主防災会副会長・県議)が出来ました。
下知コミュニティ・センターの運営委員会(地域住民団体で編成)にも防災部会が出来ました。防災部会長に西村健一(二葉町自主防災会)が担当します。2つの地域団体が同時に誕生しますので、今後はより下知地域を意識した活動を展開することが期待できます。
3)住民発意の減災・疎開・再生計画について
行政側から「与えられる」防災計画や避難対策ではなく、地域住民から出てきた対策を、今後は実行していきます。当然完全なものではないし、検討課題は多い。
①(仁淀川町への疎開の検討)
2011年から住民同士の交流は行なっています。二葉町は南海地震の規模にかかわらず、長期浸水ししばらく地域に住めないことは明らかです。
すべての住民が山間部の仁淀川町へ移転するのは不可能であることは私達もわかります。高齢者や乳幼児などの「災害時弱者」を優先的に「畳のある住居」へ移設したい。そういう重いです。
2013年1月14日に二葉町自主防災会役員が、仁淀川町宝来荘を訪問。宝来荘をベースにした災害時における地域受け入れの話をしました。「疎開保険」についても提案がされました。
2013年6月22日、23日は「疎開体験」を二葉町として実施し、仁淀川町安居地区と交流しました。
高知県庁も高知市役所も「罹災者の疎開」の検討はしているようですが、具体的な話は何も進展していません。災害対策本部の機能の一部を岩手県の遠野市がそうであったように、仁淀川町や大豊町へ移設し、「バックアップ機能」を充実させるような提案もしています。
②(巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂製軽量浮体構造物の提案)
高台のない高知市下知地域には、津波避難ビルの指定でしか低地の住民が津波をやり過ごす方法はないと行政側は言います。
しかし足腰の弱い高齢者‥障害者の皆さまには避難が難しいです。住民発意の避難用施設として「巨大地震・津波対策用高強度発泡樹脂製軽量浮体構造物」を今後提案していくつもりです。発泡スチロールの素材を人工地盤として活用し、開放型の避難施設に活用するものです。
普段は公園や学校の校庭に埋設し、浸水が始まれば浮き上がり多くの人達が救助されるしくみです。発泡スチロールは既に各種土木工事で使用されており実績があります。
使用される箇所は万能ではありません。ただ津波に対する知見も不十分です。国や県や高知市に働きかけ、実証実験を行い、産官学民の検討委員会を立ち上げるように今後は行政側に働きかけて行きます。
③(防災区画整理の実施と立体換地による津波避難ビルの建設)の提案
沿岸部0メートル市街地の土地の売却は路線価では事実上不可能です。つまり自助努力での土地売却ー高台土地への移転は、現状の経済状況、行政の対応では不可能です。高台移転ができるのは富裕層のみであり、ここにも経済格差がでています。
とは言えひとたび津波に襲来を受ければ、長期浸水状態になることもあり、自宅も会社事務所。倉庫も二葉町にある現実では、廃業しかありません。再建は不可能です。事実宮城県のある業界では地震津波で被害を受けました30社のうち20社が廃業しています。
簡単な問題ではありません。国の関与,県と市の関与が必要です。高知市の市街地がすっぽり移転できる土地がない現状では、低地での行政主導の防災区画整理事業と立体換地、自分たち二葉町住民自らが中心になって津波非避難ビルを建設するしか抜本的な解決策はないと考えます。
④(市役所指定の長期浸水地区への津波避難ビルにLPガス災害対応ユニットの設置を)
高知市役所指定の津波避難ビルは、都市ガス仕様であり、または電子調理器です。災害時や長期浸水地域では全く役に立ちません。市役所は3日以内に市民を救出し、収容施設へ移送するとの構想らしいですが、10万人の市民が浸水エリアに放置されている状態で可能であるとは思えません。
飲料水や食料とともに、熱源としてのLPガスユニットは必要であると思います。未だに行政防災担当部署の発想は「カセット式コンロを設置すれば良い」に留まっています。購入後メンテされていない機器類はいざと言うときに使用できるかどうかわかりません。
LPガスユニットは、普段からガス販売業者により機器が管理され、また地域の自主防災会などで定期的に訓練されるので、いざと言うときにすぐに稼働し、炊き出しが出来ます。
地域の津波避難ビルである小中学校や公共施設にすべて設置すべきであるし、熱源もLPガスにすべきであると強く思います。そうすればガス発電機も設置できますから、非常用電源や投光器の設置も可能になり地域再生の力になるからです。」
休憩時間があり、参加者に下知コミュニティ・センター屋上のLPガス災害時ユニットを見学していただきました。
発表の後は、それぞれの委員が意見を述べました。
「高齢者住宅は安全性と言うことで、家族などがオール電化住宅を進めていたところがあります。災害対策は弱いと言うことがわかりました。」
「LPガスの効用は理解できましたが、LPガスの中核充填所が、高知市では津波の被害を受けやすいタナスカ地域と中之島地域になります。東日本大震災でも津波火災の怖さが指摘されました。安全対策を望みます。」
「炊き出しおばさんとして女性の位置は決まっているようなところがあります。避難所や収容所の位置決めや運営に女性の意見を事前に検討する必要性があると思います。」
事業者側からの意見は、
「カセット式ガス機器にブタンが充填されています。低温時には着火しにくい特性があります。冬場には動かないこともあることを知っていただきたい。」
「LPガスタンクが熱を持って燃えている場合は、水で容器を冷却しますと、安全装置が働いて鎮火します。」
最後の総括を東洋大学社会学部准教授の関谷直也氏がされました。
「今使える便利であるという道具は、皆が使いだすと使えなくなります。1995年の阪神大震災の時は、携帯電話が通じたと言われました。それは利用者が今よりはるかに少ない時代でした。今は災害時携帯電話はまず直後は使えません。
LPガスも同じで、今は便利だ使い勝手がいいと言うことですが、皆がどんどん使い出したら使えなくなる可能性もありますね。」
「東日本大震災でガソリンスタンドが使用できなかったのは、小電力がスタンドになかったからでした。原発も電源が断たれたら事故を起こしました。災害は関係者がが事前に想定しなかったことが起きます。」
「大震災直後は、落ち着くまで沿岸部ではすぐに火を使わないほうがいいです。東北でも山のほうでLPガスはすぐに使用できました。落ち着くまで火種は使用しないことを銘記してください。」
午後5時前に懇談会は終了しました。内容の濃い会合でした。
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文芸春秋12月号(定価840円)をようやくだいたい読み切りました。なかなか重厚なな内容であり、登場人物や出稿者も多士済々でした。レポート記事も深みがあり、読ませる内容でした。
グラビアでは「日本の顔」としてアニメーション映画監督の高畑勲氏が登場しています。14年ぶりの作品「かぐや姫]関係の取材もしてありました。
「小泉潤一郎 私に語った「脱原発宣言」(山田孝男・毎日新聞専門減収委員)の取材記事も良い記事でした。小泉氏の「本気度」が伝わってきますね。
べた記事投稿扱いですが、立花隆氏や、塩野七生氏の文章も読ませます。「玉ねぎに泣かされて」というイグノーベル賞を受賞した今井真介氏(ハウス食品中央研究所主幹)の文章も面白い。1万個の玉ねぎを使い実験にあけくれていたそうです。
「山崎豊子先生の素顔](野上孝子)の手記も秀作でした。山崎豊子氏の秘書を52年間勤め上げた人ならではの裏話には「そうだったのか」といううなづくことが多かったですね。「大地の子」の執筆に当時中国政府の首相であった胡耀邦氏の協力を取り付ける交渉力を山崎豊子氏は持っていたことに驚くばかりです。
「うらやましい死にかた013 選・文 五木寛之」は面白い。795通の読者投稿から五木氏が選んだ30篇が掲載されています。
「戒名は鳳凰鶴亀松竹梅」という投稿には驚きました。100歳のお祝いを気仙沼市長が100万円を持参して自宅へ来られた時に、玄関まで迎えに行かれて受け取った爺さんは初めてとか。106歳で大往生されたとのこと。僧侶も戒名料をめでたいのでいらないと言ったそうです。うらやましい人生ですね。わたしもそうありたいです。
「世話され上手」と言う投稿にもうなづきました。95歳で自宅で最期を迎えた女性。1995年の阪神大震災で罹災し、娘さんのいる東京での生活が始まったのは85歳。元気で旅付きで人生を謳歌されました。ある日肺炎で入院介護生活の始まりでした。
元気なうちからヘルパーさんとコミュニケーションを図り、元気をもらっていたようでしたとのこと。最後は自宅で家族とホームドクターに見送られ亡くなられました。世話され上手の達人のようでした。
みのもんた氏の手記「私はなぜここまで嫌われたのか」も読みごたえがありました。「庶民の味方の感覚はない」とみの氏ははっきり言います。わたしはなに1つ罪を犯したわけではないのに。どうしてここまで嫌われるのかと嘆いています。
「降板前に出した企画書は、チェルノブイリとスルーマイルと福島をテーマにした内容でした。原発事故を検証する番組を作ってみたかった。福島にはもう10何回も入りましたが、一向に見通しは立っていません。そうした問題にズバッと斬りこめるテレビ番組が今どれだけあるでしょうか。」と言っておられます。
みのさんの「本気度」を小泉さんともども感じるだけに、「惜しいな」と思います。
人気作家村上春樹氏の書き下ろし小説「ドライブ・マイ・カー」と連載小説「オールド・テロリスト」もありました。2つともテレビ番組のドラマを脈路なく見てしまった感覚ですが、いつにまにか物語に引きづりこまれていました。作者の筆力の凄さを感じました。
「ユニクロ柳井社長 非常の経営への告発証言」(横田増生)は、読むとユニクロって完全なブラック企業ではないかと思いますね。詳細な取材には感服しました。
貴乃花と武蔵丸の対談も秀作。「今だから言える」名勝負の逸話が読めて面白い。なるほどと思います。大相撲業界の「改革派」の旗手の貴乃花親方と、武蔵川部屋を再興した武蔵川親方は、大相撲業界親方で英語ができる元横綱。
年少の2人が歴代横綱の組織である「横綱会」の幹事役をしておられるとか。元横綱ばかりで、皆わがままだから幹事役の2人が苦労しているというのも面白い話です。
表題と内容が面白かったのは「ツイッターーフェイスブック 私はつながりたくない」(藤原智美・作家)でした。
「ネットでつながる幻想よりも、つながらない価値を大事にしたい」と言う提言は面白い。近代史においては「活字を通して個人が確立された」と藤原氏は言います。
「近代に誕生した文学は、集団意識から個人の意識を分離し自立させる役割もはたした。作家は既成の集団的な規範からいったん離脱し、独自の視点を探しながら書き言葉を連ねていった。
読者は書物と自己と言う閉じられた関係のなかで、個人の思考と意識を高めていった。」そのとうりですね。
藤原氏は、ネット上での「検索」がわずわらしいと言います。何かを調べるつもりで検索し始めると検索が自己目的になり自分の頭で考えなくなるのではないかと。「自力で考える行為そのものが、「仕事が出来ない」(検索でなにもかにも調べるのが仕事が出来る)との倒錯が横行していると言います。そういう傾向はありますね。確かに。
「つながらないことの価値」ということで藤原氏はこう述べています。
「現代社会は、自己と他者を結ぶ言葉への過剰な期待であふれている。誰かが吐いたことばに「勇気をもらい」、だれかの行為に「癒される」ことばかりを願う。
そこでは閉じられた書物と言う世界で文字と対面する行為は、ひどく時代遅れで無意味なことのようにみられている。なぜなら本はだれともつながれないからだ。頁を開いても本は無言だ。そこに何かを読み取っていくのは、読者の想像力しかない。しかしここに本の強みがあるといっていい。」
「だれともつながれないという読書の時間は、貴重で必要不可欠なはずだ。本を読むと言うのは、つきつめると自己との対話である。だれともつながらないただ1人の営為だ。作者とさえつながることはない。
だからこそ本を読むと言う行為が必要なのだと私は思う。そこには自分で選び取った言葉があるからだ。その言葉によって自己を保ち支えることができる。
人はしょせん孤独なのだという近代社会が生み出した個人意識は、いざというときに強い味方になる。ネットでつながるという幻想の何倍も強靭だ。メディアで宣伝される「絆」など陽炎のようなもので、一万回唱えたところで本当の絆など生まれない。」
自己の確立は読者からと言うことは真実ではないかと私も思います。
今月の文言春秋を読んで、「価値がある。」と思いました。やはり「情報はお金をかけて得ないといけない」と思いました。よく新聞も取らない、雑誌も買わない人たちがいます。「情報はネットで得るから新聞は不要だ。テレビも見ないから」と豪語する人たちがいます。はたしてきちんとした情報を得ているのでしょうか?疑問です。
やはり有料雑誌や新聞は「それなりの」力はあります。ネットの情報は多様にあり、本物を見抜く力がないと流されてしまいます。そういう意味で多士済々の識者が投稿し、寄稿し、取材に応じた月刊雑誌の魅力と底力をあらためて感じることができました。
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今日は年末四国巡業にて、仁淀川町と本川地区、吾川地区、いの町を巡回してきました。天気を見ると移動性の高気圧です。温厚な天気、まず雪の可能性はない。行きました。
佐川を経て越知町の筏津ダムへ。今年は雪が多いので、雪解け水で満水に近いとか。今時は渇水状態が多いようですが、今年は異例です。
国道33号線を仁淀川町へ、いたるところで道路工事。それも斜面の崩落防止対策工事で片側通行箇所が多いですね。
仁淀川町へ入りますと、山並みにも人家が。天空集落ですね。どんな山の頂にも人間の営みがあると感心します。お客さん所と、仁淀川町役場へも行きました。企画課の方と今後のための情報交換をしました。町長さんにも会い挨拶しました。
お昼は仁淀川町田村の田舎のコンビニおしおかさんのハンバーク弁当を購入。上天気なので、国道439号線の退避場でお弁当をいただきました。
そして吾川から本川へ行きました。紅葉は既に終わり、初冬の風景ですが、今日は穏やかでした。
本川の大橋ダム湖も、こちらは吉野川水系ですが、ほぼ満水状態です。
森林浴をたっぷりの行商もいいものですね。午後3時過ぎに帰りますと、両親の定期検診のために主治医の横田胃腸科内科へ行きました。2人とも健康状態には異常はありません。介護の調査の事もお願いしてきました。
戻ると地域防災関係の用事が溜まっていました。明日は半日懇談会。明後日は防災講演会の段取り。しあさっては防災講習会。週末ですね。11月以上に12月は「飛んで」行きますね。さすがは「師走」と言われるだけありますね。
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2013年11月24日(日曜日)の午前8時半から午後12時半まで、下知コミュニティ・センターにて、防災部会主催の「防災炊き出し訓練」が行われました。
食材費用は防災部会予算を活用しました。
想定は自宅から大災害時に無事に脱出し、下知コミュニティ・センターにたどり着き、センターに備蓄してありましたお米と野菜(人参・ジャガイモ・玉ねぎ)と牛肉を使用して、防災炊き出し訓練をしました。
お米は、二葉町自主防災会の有志が6月1日に仁淀川町長者にて田植えしたお米です。11月3日の「昭和秋の感謝祭」に新米を持ってきていただいたものです。二葉町自主防災会が買い取りました。
野菜や肉は森二葉町自主防災会会長のお店が食料品店なので、購入していただきました。下知コミュニティ・センター屋上にあるLPガス災害用ユニットを活用した、本格的な防災炊き出し訓練です。
参加者各位は、その場で指示した役割を受理し、やっていただきました。
8時半に運営スタッフが集合して、スタッフ・ミーティングをいたしました。大事な部署は「調理班」と「会場設営班」なので、受付で参加者各位を振り分けをさせていただきました。
調理班はお米のとぎや。野菜の皮むき作業を制約された条件のなかで、黙々とされていました。下知コミュニティ・センターは調子室がありません。水道設備も調理用に設計されていませんので、3階の湯沸かし室に隣接している部屋に机を置き、調理台として活用いたしました。
会場設営班は屋上部のテントや机の設営、4階多目的ホールを食事室への変更をしました。水は4階の飲料水貯蓄タンクから汲みだし、非常用のポリタンクを活用し、飲料しました。
LPガスユニットの取り扱いは、家庭用ガス機器とほぼ同じ
LPガス災害時ユニットは、取り扱いも簡便。ツバメガスの小吉さんが参加者に丁寧に説明をされております。取り扱い方法は、家庭用のガス器具となんら変わらないこと。万が1ガスの接続が外れる場合や、余震で震度5以上の地震を感じたらガスの供給が遮断される安全対策をしております。
災害時には3階の防災倉庫からカギを取り出し,5階の防災倉庫の非常用発電機のところにあるカギを取り出し、LPガス災害時ユニットの蓋を開けます。そのなかに利用マニュアルも設置されています。着火マンも防災倉庫にあります。
ご飯も順調に炊けました。風が弱いので、災害時用のテントも初めて屋上に建てました。参加者各位が協力し合い、会場を設営し、調理をしました。
そしてご飯が炊きあがり、カレーも煮込んできました。100食分のご飯と、120食分のカレーが出来上がりつつあります。調理を始めたのが午前9時過ぎ。配膳は午前11時から開始しました。
屋上部で、どんぶりにラップを敷き、そのうえにご飯を盛り、カレーをかけました。原則階段を下りていただいて、4階多目的室の会場で食事をしていただきました。
食事をしながら、同じ下知でも違う町内会の人同士の交流もできたように思います。
おかわりもしていただきました。材料に余裕もありましたので、下知市民図書館来館者の人達や図書館職員にもカレーを食べていただきました。
参加者は名簿に書いてあるのが65名。書いていない人たちが30名以上おられましたので。当初の予定どうり100人の参加があったと思われます。
11月24日は朝からお天気に恵まれ、風も弱く温厚で何よりでした。なにより無事に防災炊き出し訓練が終わったことが何よりでした。会場の片づけ、洗物などを済ませ、午後1時前にはすべての作業が終了しました。なによりでした。
アンケートや各部署の反省点は後日集約するようにします。参加者は来るろうか?お手伝いの人達は来るだろうか?と心配していました。でも予想以上にたくさん来てくれました。
その場で、役割をお願いしましたが、快く参加者の皆様は請け負っていただきました。そして食事会が終わった後の片づけも手際よく皆で一気にやっていただきました。今回の防災炊き出し訓練は大成功と言えるでしょう。
次回は来年、下知コミュニティ・センター全館を利用した泊り込み避難所開設・運営炊き出し訓練を行いたいと思いました。運営のスタッフの皆様、当日参加でお手伝いしていただいた参加者の皆様、高知市コミュ二ティ推進課山脇係長、伊藤様、有光センター長様お疲れ様でした。お蔭様でよい防災炊き出し訓練が出来ました。
(反省点)
参加者アンケートは26通回収されました。多様な意見を記入した方は真摯に書いていただきました。そのなかでも真摯なご意見がいくつかありました。
「テントは風が強いと重しがないと吹き飛んで危険である。」
「備蓄品は長期保存できる食品を置き、期限切れ前に訓練で使用し、その後補充する。」(中宝永町・60代男性)
「参加者に若い世代が少なく思います。もう少し世代全体の訓練の大切さを考えていただきたいです。」(二葉町・60代男性)
「炊き出し訓練は女性だけではなく、男性も調理できるようにしなければいけないと感じる。」
「容器のラップの敷き方の工夫をしないと先割れスプーンにより割れて容器を汚します。」(中宝永町・50代男性)
「カップヌードルを置いてください。体温計が少ないです。1本しか防災倉庫に置いていないようです。」(宝永町・40代女性)
「防災でカレーを食べましたが、楽しく訓練が出来ました。」(二葉町・70代女性)
「繰り返しの訓練が大切だと思いました。」(知寄町2丁目・50代女性)
「下知コミュニティ・センターが3日間の避難場所であることがわかったのと、備蓄しているお皿やお椀が食料品がないのにおいているのは疑問です。」(南宝永町・60代女性)
「テントの組み立て、3階から水を運びました。5Fにもあればと思いました。」(中宝永町・60代男性)
「非常食の事ですけれど。カップラーメン、飴玉など少しでも置いていただければよいと思います。」(二葉町・60代女性)
などでした。
また調理をされていたり、会場の設営を手伝っていただきました参加者からの声はだいたい3通りの要望に集約されます。
1)5階屋上部にLPガス災害時ユニットがあります。近くに水道や排水溝がないと、大勢を対象とした炊き出しが罹災時にできないと思います。水道と排水溝を5階部に設置いただきたい。
2)防災倉庫への食糧備蓄への要望の意見が多く出ました。お湯はLPガス災害時ユニットで大量に沸かせることは今回の炊き出し訓練でわかりました。カップラーメン・飴・缶詰・レトルト食品などの非常用食品、米の備蓄の要望が多く出されました。
3)衛生用品の拡充の要望もありました。手が十分に洗えないのであれば、感染症防止のために手や指の洗浄・消毒剤としての薬用ハンドジェルの装備をすべきである。消毒用エタノール・ハンドシェルの装備。次亜塩素酸ナトリウム溶液の常備も感染症予防のため必要です。調理用の使い捨て手袋の必要性も出されました。
おおむね参加者各位には今回の防災炊き出し訓練は好評でした。またやってほしいとの要望もありました。参加者は参加者名簿に記入された人が65人。されていない人が30数人いましたので、当初の目標の100人は参加いたしました。
来年度も事業の在り方を再検討し、実施しようと思います。
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先日ある新聞社の記者が取材に来られました。取り組んでいる地域防災関係の取材かと思いきやさにあらず。特定機密法案についてのコメントを求められました。
11月と言う月は、300M四方の高知市二葉町から出られない私にとって、とってもせわしく多忙な月でした。県外出張があり、地域防災関係の行事が7つもありました。ただ参加すれば良いものではなく、事前の準備と事後の総括も含めると20日以上関わっていました。
月曜と金曜は超高齢の両親のケアがあり、リタイヤしていませんので仕事もしています。個人的な事情(公共的な地域防災活動も含め)で忙殺されている私には「特定秘密法案」は、他人事で、なんか国会審議しているなと思いきや、あれよと言う間に強行採決されてしましました。
こんな生煮えの国会審議があるのでしょうか?騙し打ちではないかと思いました。7月の参議院選挙で安倍首相は地元候補者の応援で高知市へ来ました、わたしも身に行きましたが、特定秘密法案のことは一言も言いませんでした。
→個人ブログ記事「安部晋三首相が高知市へ来ました。」
昨年の総選挙でも自民党は一言も「特定機密法案」についてはコメントしていません。衆議院選挙と参議院選挙の時の自民党の政策ビラにも書かれていませんでした。つまり全く国民に信を問うことは何もしていない唐突な法案審議でした。
記者の方に一言で言うと特定秘密法案はなんですか?と問われました。いくつか文言を考えていましたが(画像参照)私は「政府によるテロ」と回答しました。
国会審議や民主主義的な手続きを無視したテロ行為であり、国民不在のクーデターであると私は思います。国論を分裂させ、日本国がより弱体化する悪法です。
現状の法体系で」何が問題なのか?国家機密がダダ漏れなのか?それすらわかりません。
たとえば次世代の水素カーをトヨタが開発しています。1私企業の技術ですが、世界をリードする大変な技術です。冷戦崩壊後米国のCIAは公然と産業スパイ行為をしています。そうした日本の国益に反する行為を取り締まるために特定機密法案があるというんもであれば、まだわかる。全然正体がわからないのです。
とにかく日本国民の安心・安全を「政府に白紙委任」することなど出来ません。安倍内閣は悪法を直ちに撤回すべきです。そうしないと日本国は滅亡します。
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2013年12月1日は「第2回市民とつくる防災フォーラム」(主催高知市・市民とつくる防災フォーラム実行委員会)に参加しました。場所は総合あんしんセンターでした。
午後1時からのスタートでしたが、防災展示コーナーがありました。蓄光材料や、ガラス飛散防止フィルムや、雨水濾過機や防災グッズ、非常食なども説明ブースがありました。
午後1時からスタートしました。最初の高知市吉岡副市長が挨拶しました。「高知市は市民各位が地域で連携するように高知市地域福祉活動推進計画を取り組んでいます。防災の分野も同じであり、地域コミュニティでの連携が必要です。今日のフォーラムがそのヒントになれば幸いです。」と言われました。
続いて中田啓司氏(東亜大学医療学部教授)の講演が行われました。「大規模災害時における医療活動」と言うテーマでした。中田氏は元々は消防隊員として活動されてきた経歴があります。話の内容は実践的でした。
最初は「災害とは?」で災害の定義です。「加害力-防災力=災害(被害)である。」ということです。まずあなたの自宅の防災力はどの程度ですかとの問いかけがありました。
会場の参加者に質問していましたが、たいていが震度5弱までは大丈夫。それ以上になると不安であると言う答えでした。確かに1995年の阪神大震災の時は高知市は震度4でした。当時はわたしは防災意識が今より低く、3階の寝室に書棚がありました。それが倒れそうになるのを家内と2人で必死で抑えていた記憶がありましたから。
これが震度6や7であれば下敷きになっていましたね。今はその後の改装工事の折に寝室から書棚は出して、壁に大工さんに固定していただきました。
家具の固定や自宅の耐震補強を行い、「自分が怪我しない」ことをしないとダメですね。まず自分と家族の安全確保(自助)。それから地域の救助活動(共助)です。
「3・3・3の法則があります。」と中田氏は言います。
「まず3分です。脳に酸素が供給されなければ3分で死にます。」
「3日(72時間です)。これは水を飲まなくて人間が生存できるぎりぎりの時間です。人間は1日に2・5L水分が失われます。3日で7・5Lです。それが限界です。」
「3週間は(21日)は、食物を取れなくなっても3週間は生存できる(水さえあれば)の限界です。」
休憩をはさんで、グループ討議が行われました。「こしらえたもののチーム」にいました。各自主防災会のそれぞれの悩みを聞くことも面白い。
「会長が独裁的で全く意見を聞いてくれない。」
「うちも似ていますね。町内会長を除外して隣町と自主防災会をこしらえました。」
「防災資材をそろえたいが予算がない。」
「活動がマンネリになり、若い人たちの参加がない。」とかいろいろ。どこもそうなんだ。
会場で、12月5日の「防災講演会」と「防災講習会」のチラシを配りました。午後4時に終了しました。
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どんどん引用自由と言う藤村正宏さんのメルマガ。昨日来ていたので、貼り付けます、いいこと書いてますよ。はっとしますね。
高知の田舎でも、リアルなお店を商店街で経営している親戚が「みな品だけをうちへ見に来て、ネットで買うのでやってられないよ。」と嘆いていました。
日本に税金を払わないと言う噂のアマゾンで皆が買い物をするようになれば、日本国は早晩破産しますよ。そうならないようにしましょう。
■Amazonに負けない店舗のつくり方 3つのポイント
雑誌『商業界』11月号に、コラムを書きました。
Amazonに負けない店舗とは?
そういうテーマでした。
実際にAmazonは便利ですよね。
本でも家電でも、家庭用品でも、すごい品揃えと価格の安さ。
小売革命と言っても過言ではありません。
送料無料で、すごく早く届きます。
店にいく手間もいらない。
同じモノを買うのなら、Amazonのほうが安いし、品揃えも多い。
今の時代ほとんどのモノがネットで手に入ります。
本やCDはもちろん、家電、衣料品、食品、家庭用品はもちろん、車やお墓までネットで売っています。
リアルの小売店は、たいへんな時代になったなって、思う。
先日面白いことがありました。
家人が4Kテレビを買いたいと言っていたんです。
自宅を引っ越したので、引っ越すときにテレビを買い替えようと思っていて、どうせなら新開発の4Kテレビと決めていた。
そこで、安いことで有名な家電量販店に行ったそうです。
店員の人にさんざん質問して、たくさんの4Kテレビを見せてもらい、某メーカーの70インチのテレビが気に入った。
価格は85万円。
それを買うということになり、「少し値引きしてくれますか?」と尋ねたら「1割くらないなら」という答え。
家人は「10万円くらい引いてくれたら、主人にも話やすいんですけど」と言ったそうです。
すると店員さんは、「わかりました。ギリギリですが、値引きしましょう」ということになり、結局75万円で仮予約してきたんです。
ボクが帰宅して、その話を聞き、すぐにwebで調べてみました。
するとAmazonでまったく同じ4Kテレビが64万9000円で売っているではありませんか。
家人は買いに行く前にそのことを、電気量販店の店員さんに電話で伝えました。
「Amazonのほうが10万円安いんですけど、どうにかなりませんか?先日ギリギリっておっしゃっていたので、もしダメだったらAmazonで買います」
すると家電量販店は、さらに値引きして、Amazonと同じ値段で売ってくれたんです。
ホント、大変な時代ですよ。
ただ品揃えが多いとか価格が安いっていう店だったら、Amazonで買われてしまいます。
リアルの店舗にとっては、とっても厳しい時代になりました。
こういう傾向は今後、増えることはあっても決して減ることはありません。
ネットショップの市場規模は、さらに拡大することが予想できます。
だからただ単にモノを売っている商店は、これからの時代、生き残るのはかなり困難になっていくということです。
ネットショップに負けない店舗、それはデジタルではできないことをすることです。
デジタルでは不可能なことです。
リアル店舗は空間があるということが、Amazonが提供できない価値があります。
たとえば「接客」もそうです。
接客できるってことは、とっても優位です。
インターネットが発達して、なんでもwebでモノが買える時代、人と人とのふれあいは、とっても価値になるからです。
さらに、店が主催してお客さまを集めてイベントをやること。
これだって、デジタルでは体験できないことですよね。
ネットショップでは提供できない、リアルの店舗の価値。
それを考えることが急務と言っても過言ではありません。
今やらないと、気づいたときには、あなたのお客さまの多くがAmazonに奪われているという事態にもなりかねないからです。
リアルの店舗がAmazonに負けないためのポイントは以下の3つです。
1:独自の商品
Amazonでは売っていない商品やサービスを提供するということ。
2:関係性
お客さまや地域社会との関係性を深めて、ひいきしてもらう。
3:リアルの空間
ネットショップでは再現不可能なリアルの空間。
オリジナリティのある魅力的な店舗空間やイベントを実施する。
順番に解説していきます。
●1:独自の商品
Amazonに負けない店舗になるためには、Amazonでは絶対に売っていないものを売る。
これは負けませんよね。
というか、もともと勝負になりません。
たとえば、手作りのモノ、あなたのオリジナルなもの、意味づけを変えたものなど、あなたの店でしか売っていないものを売るということです。
●2:関係性
お客さまとの「関係性」を構築して、浮気されないようにすることです。
「どうせ買うんだったら、あなたのところで買うわ」と言ってもらえる店になることです。
そのために、ニュースレターを出したり、ソーシャルメディアでコミュニケーションすることが大事です。
●3:リアルの空間
店舗があるということは、
空間や人とのふれあいのあるリアル店舗は、インターネットが提供できないことを提供できます。
いるだけで癒される店とか、来店するだけで楽しいとか、そういうことが大切になってくる。
店舗空間はライブです。
こういう店舗なら、インターネットショップに負けません。
ソーシャルメディアが発達して、みんなが利用するようになりました。
もうインフラと言ってもいい状況です。
そして、スマートホンが急激に普及しています。
スマートホンを手に入れた消費者は、常時インターネットにつながっている状態です。
ますます、ネットショップの市場が拡大していくでしょう。
そういう時代に、リアルの店の価値を高めて、お客さまとの関係性を構築していかなければ、店の存在意義はなくなっていく。
モノを売っているだけの店は淘汰されていくのです。
あなたの独自の価値を発信して、繁盛する店にしてください。
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