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2013.12.04

文芸春秋12月号は内容充実してましたね。

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 文芸春秋12月号(定価840円)をようやくだいたい読み切りました。なかなか重厚なな内容であり、登場人物や出稿者も多士済々でした。レポート記事も深みがあり、読ませる内容でした。

 グラビアでは「日本の顔」としてアニメーション映画監督の高畑勲氏が登場しています。14年ぶりの作品「かぐや姫]関係の取材もしてありました。

 「小泉潤一郎 私に語った「脱原発宣言」(山田孝男・毎日新聞専門減収委員)の取材記事も良い記事でした。小泉氏の「本気度」が伝わってきますね。

 べた記事投稿扱いですが、立花隆氏や、塩野七生氏の文章も読ませます。「玉ねぎに泣かされて」というイグノーベル賞を受賞した今井真介氏(ハウス食品中央研究所主幹)の文章も面白い。1万個の玉ねぎを使い実験にあけくれていたそうです。

 「山崎豊子先生の素顔](野上孝子)の手記も秀作でした。山崎豊子氏の秘書を52年間勤め上げた人ならではの裏話には「そうだったのか」といううなづくことが多かったですね。「大地の子」の執筆に当時中国政府の首相であった胡耀邦氏の協力を取り付ける交渉力を山崎豊子氏は持っていたことに驚くばかりです。
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 「うらやましい死にかた013 選・文 五木寛之」は面白い。795通の読者投稿から五木氏が選んだ30篇が掲載されています。

 「戒名は鳳凰鶴亀松竹梅」という投稿には驚きました。100歳のお祝いを気仙沼市長が100万円を持参して自宅へ来られた時に、玄関まで迎えに行かれて受け取った爺さんは初めてとか。106歳で大往生されたとのこと。僧侶も戒名料をめでたいのでいらないと言ったそうです。うらやましい人生ですね。わたしもそうありたいです。

 「世話され上手」と言う投稿にもうなづきました。95歳で自宅で最期を迎えた女性。1995年の阪神大震災で罹災し、娘さんのいる東京での生活が始まったのは85歳。元気で旅付きで人生を謳歌されました。ある日肺炎で入院介護生活の始まりでした。

 元気なうちからヘルパーさんとコミュニケーションを図り、元気をもらっていたようでしたとのこと。最後は自宅で家族とホームドクターに見送られ亡くなられました。世話され上手の達人のようでした。

 みのもんた氏の手記「私はなぜここまで嫌われたのか」も読みごたえがありました。「庶民の味方の感覚はない」とみの氏ははっきり言います。わたしはなに1つ罪を犯したわけではないのに。どうしてここまで嫌われるのかと嘆いています。

 「降板前に出した企画書は、チェルノブイリとスルーマイルと福島をテーマにした内容でした。原発事故を検証する番組を作ってみたかった。福島にはもう10何回も入りましたが、一向に見通しは立っていません。そうした問題にズバッと斬りこめるテレビ番組が今どれだけあるでしょうか。」と言っておられます。

 みのさんの「本気度」を小泉さんともども感じるだけに、「惜しいな」と思います。
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 人気作家村上春樹氏の書き下ろし小説「ドライブ・マイ・カー」と連載小説「オールド・テロリスト」もありました。2つともテレビ番組のドラマを脈路なく見てしまった感覚ですが、いつにまにか物語に引きづりこまれていました。作者の筆力の凄さを感じました。

 「ユニクロ柳井社長 非常の経営への告発証言」(横田増生)は、読むとユニクロって完全なブラック企業ではないかと思いますね。詳細な取材には感服しました。

 貴乃花と武蔵丸の対談も秀作。「今だから言える」名勝負の逸話が読めて面白い。なるほどと思います。大相撲業界の「改革派」の旗手の貴乃花親方と、武蔵川部屋を再興した武蔵川親方は、大相撲業界親方で英語ができる元横綱。

 年少の2人が歴代横綱の組織である「横綱会」の幹事役をしておられるとか。元横綱ばかりで、皆わがままだから幹事役の2人が苦労しているというのも面白い話です。

 表題と内容が面白かったのは「ツイッターーフェイスブック 私はつながりたくない」(藤原智美・作家)でした。

 「ネットでつながる幻想よりも、つながらない価値を大事にしたい」と言う提言は面白い。近代史においては「活字を通して個人が確立された」と藤原氏は言います。

「近代に誕生した文学は、集団意識から個人の意識を分離し自立させる役割もはたした。作家は既成の集団的な規範からいったん離脱し、独自の視点を探しながら書き言葉を連ねていった。
 
 読者は書物と自己と言う閉じられた関係のなかで、個人の思考と意識を高めていった。」そのとうりですね。

 藤原氏は、ネット上での「検索」がわずわらしいと言います。何かを調べるつもりで検索し始めると検索が自己目的になり自分の頭で考えなくなるのではないかと。「自力で考える行為そのものが、「仕事が出来ない」(検索でなにもかにも調べるのが仕事が出来る)との倒錯が横行していると言います。そういう傾向はありますね。確かに。

 「つながらないことの価値」ということで藤原氏はこう述べています。

「現代社会は、自己と他者を結ぶ言葉への過剰な期待であふれている。誰かが吐いたことばに「勇気をもらい」、だれかの行為に「癒される」ことばかりを願う。

 そこでは閉じられた書物と言う世界で文字と対面する行為は、ひどく時代遅れで無意味なことのようにみられている。なぜなら本はだれともつながれないからだ。頁を開いても本は無言だ。そこに何かを読み取っていくのは、読者の想像力しかない。しかしここに本の強みがあるといっていい。」

「だれともつながれないという読書の時間は、貴重で必要不可欠なはずだ。本を読むと言うのは、つきつめると自己との対話である。だれともつながらないただ1人の営為だ。作者とさえつながることはない。

 だからこそ本を読むと言う行為が必要なのだと私は思う。そこには自分で選び取った言葉があるからだ。その言葉によって自己を保ち支えることができる。

 人はしょせん孤独なのだという近代社会が生み出した個人意識は、いざというときに強い味方になる。ネットでつながるという幻想の何倍も強靭だ。メディアで宣伝される「絆」など陽炎のようなもので、一万回唱えたところで本当の絆など生まれない。」

 自己の確立は読者からと言うことは真実ではないかと私も思います。

 今月の文言春秋を読んで、「価値がある。」と思いました。やはり「情報はお金をかけて得ないといけない」と思いました。よく新聞も取らない、雑誌も買わない人たちがいます。「情報はネットで得るから新聞は不要だ。テレビも見ないから」と豪語する人たちがいます。はたしてきちんとした情報を得ているのでしょうか?疑問です。

 やはり有料雑誌や新聞は「それなりの」力はあります。ネットの情報は多様にあり、本物を見抜く力がないと流されてしまいます。そういう意味で多士済々の識者が投稿し、寄稿し、取材に応じた月刊雑誌の魅力と底力をあらためて感じることができました。

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