靖国神社参拝問題を考える
安倍晋三首相が、2013年12月26日に公務中に靖国神社に参拝しました。日本国首相としての参拝は7年ぶり(前回は小泉首相)だとのこと。
いつも非難ごうごうの中国と韓国は早速最大級の批判を政府筋が行いました。今回は「同盟国」であると思われているアメリカ政府までが「即時非難」声明を出す事態になりました。
アメリカの懸念は、北朝鮮情勢が不安定になり、いつ「暴発」するかわからない状況で、不必要な日本と韓国の政府同士の感情的な対立は辞めてくれないかというのが本音でしょう。
実際問題核兵器まで保有している北朝鮮が暴発し、朝鮮半島有事の事態になれば、日本とて「対岸の火事」で済まされない。いくら内心は「気に入らない奴だ。」とお互い思っていても、日本と韓国両国はともに協力し、濃密な情報交換を政府間でしないと、朝鮮半島有事に対応できないと思います。
アメリカはそのことを軍事面で心配し、安倍首相の行動を即批判したのではないかと思います。
中国政府もご立腹で訪中していた超党派の議員団と副首相との会談が急遽キャンセルされ、民間レベルの交流や経済交流にも今後は支障は出て来ることでしょう。
安倍首相とごく1部の日本人は今回の靖国参拝で「溜飲を下げた」とは思いますが、冷静に国益を考えますと大きく毀損したように思えます。結果「日本1人負け」の事態となると思いますね。
各国政府が「参拝しないでいただきたい」とはっきり外交ルートで要請してくることを「内政問題だ」とははねつけることは得策ではないでしょう。実際にはまさに負の部分の「外交問題」になっていますから。
靖国神社が東京裁判にてA級戦犯として処刑された7人(しかも処刑された日は、わざわざ今上天皇陛下の誕生日でした。)を合祀しようが、1宗教法人の思惑ですのでそれは日本国憲法で保障された信教の自由です。
しかし日本国首相が、1宗教法人の施設へ参拝に行くことは「政教分離」に抵触する行為であり、まして公然と参拝を非難する外国政府があるなかで行うことは褒められた行為ではありません。
昭和天皇も靖国神社側が、A級戦犯7人を合祀したことに立腹され、以後天皇陛下は靖国神社へ参拝に行かれていません。今上天皇も参拝に行かれていません。それが現実です。
今上天皇の12月23日の誕生日談話は、東日本大震災の罹災者に寄り添う姿勢がありました。またご自身も過去広島・長崎や沖縄やサイパンなどの先の大戦の激戦地・罹災地への慰霊の旅もされております。
きっと韓国や中国へも訪問され、近隣国との善隣友好の旅も本心ではなさりたいと思っているはずです。しかし現実の安倍政権の「身勝手な」行為はそうはならないように事態が悪化するばかりです。以前に靖国神社に関連する書籍を読んだことがありました。個人ブログに書きました。
「靖国の戦後史」を読んで
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-8582.html
著作の中で 筆者は「なぜ国家が追悼するのか」という項目の中で次のように述べています。
「こうした戦没者のための国家儀礼の施設についてのこれまでの議論には、国家はなぜ戦死者を追悼するのか、国家の追悼はなぜ感謝と敬意なのか、戦死者を一様に「命を捧げた」と称えるのはどうしてなのか。
なぜ死者は犠牲者とされ、被害者とされないのか。なぜ国家はそのような施設を必要とするのか。そのような国家装置こそ国民に新たな死を強い、戦争を繰り返させてきたのではないか」P236)
グローバル化する社会と国家儀礼装置についてもこう述べています。
「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置になる危険性をもつという。
戦争をどう記憶するという仕組みに関しては、むしろ変化しつつあるグローバルな世界において、今後数10年のうちに、これまで欧米における20世紀の「普通のナショナリズム」のモデルとして継承されてきた記念碑的な装置や儀式は変革を迫られる。
新しい戦争の記憶のシステムには、なによりも「彼我の死者」の境界をまたぎ越して、単一ではない、個々の記憶を共有しあう営みこそが必要だという。」(P237「グローバル化の中での国家儀礼装置」)
靖国神社は「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置になる危険性をもつ」と筆者の田中伸尚氏は述べています。今の事態がまさにそうなっています。
危険なのは「歴史を全く顧みない。勉強していない。」連中がWEBで「マスコミやサヨクの連中が日本をおとしこめ、中国や韓国の手先になっている。安倍首相の勇気に万歳」などと情緒的な感想を述べていることです。
冷静さを欠く議論であり、「いつか来た道」へ転落する可能性があります。
沖縄県糸満市にある平和の礎(いしじ)。沖縄戦の激戦地の陸に建設されています。そこには日米両軍兵士の戦没者と沖縄県民、中国・韓国の戦没者の名前が石碑に刻まれています。沖縄で開催されたサミットに当時米国のクリントン大統領が訪れ献花しました。
靖国神社が「時刻の戦死者のみを記憶する装置は、他者や少数者を排除する狭隘なナショナリズムを継承する装置」である限り(1宗教法人である限りはそれも信教の自由であるが、政府閣僚が参拝するとなると話は別)、諸外国や日本国民多数からの批判は免れない。
解決策は国立の無宗教の追悼施設(平和の礎のような)をこしらえるより他はないと思う。安倍首相が強弁すればするほど、日本国の国益は毀損するばかりになるからであります。
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