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2014.01.18

「ジョン万次郎海を渡ったサムライ魂」を読んで

Jmjon

 「ジョン万次郎海を渡ったサムライ魂」(マーギー・プロイス・著・金原端人・訳・集英社・2012年刊)を東京出張中に、新宿紀伊国屋書店にて購入しました。

 それは知人から、「アメリカで最近、土佐の出身ジョン万次郎を主人公にした児童文学作品「Heart of Samurai」がベストセラーになり、米国の青少年に多く読まれている。あなたは土佐(高知)の出身者だから読んでみたら。」と勧められたからです。

 残念ながらわたしは英語の読み書きが出来ません。「Heart of Samurai」を翻訳した「ジョン万次郎海を渡ったサムライ魂」を1890円で新刊で購入し、東京滞在中に読みました。

 江戸時代の末期、14歳の万次郎は漁師の仲間たちと土佐沖で漁の最中に嵐に遭遇、帆も舵も破損し、船は黒潮に乗って漂流。鳥島と言う無人島に漂着しました。最初こそ釣った魚を食べていましたが、それもなくなり、島にいたアホウドリを捕獲し飢えをしのいでいました。

 ある時アメリカの捕鯨船が島に近づき漂流者全員が救助されました。しかし幕末期の日本は鎖国をしており、漂流した漁師たちは日本へ戻ることは事実上できません。

 救助したのはアメリカの捕鯨船でした。万次郎は利発な少年でしたが幸運でした。

「まず何よりもアメリカのよいところを集約したような船長に養子にしてもらったことだろう。ホイットフィールド船長は南北戦争前の人種差別の激しかったアメリカで、野蛮な国と思われていた日本の男の子を養子にし、心から愛し、十分な教育を受けさせた。

 万次郎は日本語よりも先に英語の読み書きを習うことになる。

 次には、ヨーロッパの国々がアジアを次々に植民地にしていたという状況。アメリカやその他の国が日本に開国を迫っていたという背景、アメリカで捕鯨が盛んになり太平洋まで進出していたということがある。

 しかし忘れてならないのは、万次郎自身、健康で、好奇心が強く、冒険心にとみ、勤勉で語学の才能にたけ、バランス感覚がよかったことだろう。

 そんな万次郎の若き姿をアメリカ人の観点から、ロマンテックに、しかしリアルに描いたのがこの本だ。」(翻訳者金原瑞人あとがきP319)

 無学の漁師であった万次郎が14歳の時に漂流し、運よく船長に救助され、養子にまでなり、異国の地でアメリカの市民社会の「すべて」を吸収し身に着けた。彼の実体験があればこそ、幕末期に欧米列強に幕府は鎖国を迫られた時に、貴重なアメリカの実情を熟知していたジョン万次郎が居たことは、「日本にとっても幸運でした。」とわたしは思いました。

 万次郎はアメリカ社会で語学と航海知識、市民生活を身に着け時流にも明るかった。後日日本へ帰国した頃、アメリカのペリー提督が幕府に開国を厳しく迫っていた。

 「1853年7月、万次郎が、教師になって本の1年後、4隻のアメリカ船が江戸湾にやってきた。マシュー・ペリー提督は天皇に謁見することを要求し、日本の海を使用したいと申し入れた。

 国内は大混乱に陥った。ひとびとは蒸気船など見たことがないので。「真っ黒な竜が火を噴いている!」とわめいたり。「鬼が百匹も」」やってくるといっては貴重品をかくし、家の中に閉じこもったりした。
 
 アメリカをじかにみてきた万次郎は、将軍の命令ですぐに江戸に呼び寄せられた。そして幕府直参の武士となり。、刀を持ち、苗字を名乗ることを許された。武家出身者でもなく、万次郎ほど身分の低いものがこのような身分にとりたてられるのは、前例のないことだった。」

「万次郎はアメリカ人と直接話すことは許されなかったが、日本は鎖国をやめるべきだと進言した。将軍の側近たちにはしつこくこういった。「アメリカを恐れさせるような武器など、まずありません。」

 「アメリカは自分の国を整えている最中なので、日本を攻める気はなく、港で水や食料を補給する許しがほしいだけなのです。」

 万次郎の進言は重く受け止められた。1854年3月、ペリー代将の2度目の来航のあと、日米和親条約が締結され、2百15年に及ぶ日本の鎖国政策が終わりを告げた。」(P302「エピローグ」)

 まさに万次郎は幕末日本の危機を救いました。1人の人間の役割としては大なるものがありました。それゆえ「スパイではないのか」との言われのない疑いもかけられたりしました。

 日本人向けの英会話書をこしらえたり、航海術や、造船、英語、数学を教えたと言います。最初の遣米使節団に通訳としても参加しています。大活躍をしています。

 「ジョン万次郎海を渡ったサムライ魂」は、少年時代の万次郎の生きた姿を活き活きと描いています。「15少年漂流記」やトムソーヤーやハックルベリーの冒険記を読んでいる面白さや、緊張感がありました。

 それはこの物語のほとんどが実話に基づいているからです。作者のマーギー・プロイス氏も丹念に調査し、歴史考証も確かです。創作ではありません。

 日本で「Heart of Samurai」を映画化しようとする動きもあるようです。

 6年後の2020年に東京五輪が開催されます。また教育分野では小学校3年時より英語教育を文部科学省は実施するとしています。

 少年時代の万次郎のように明るく、前向きに、生きていくグロ―バルな人材を早急に育成する必要性は日本ではあるなとこの本を読んで強く思いました。

 昨年高知市の坂本龍馬記念館で、「漂巽紀略に見る万次郎の世界展」が開催されました。わたしも家内と一緒に見に行きました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-abf6.html(漂巽紀略展を見て来ました。)

 幕末期の土佐の絵師河田小龍は、万次郎からアメリカ市民社会の様子を聞き取り、詳細に絵を描いて漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)として5巻にまとめられています。

 漂巽紀略は、日本にアメリカを紹介した最初の書籍であると位置づけられています。


 アメリカの小年少女たちは「Heart of Samurai」を熟読し、あるべき日米関係を意識しています。映画化やアニメ化をして、日本の青少年が英語を楽しみながら学べる教材になればいいなと思いました。
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