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2014.01.09

年末・年始の読書について

Siroyamahonmm


 たっぷり時間があったはずですが、案外雑用に追われ、書籍と言うのは読めないものですね。そのなかでも「軽い」本は2冊読みました。

 「よみがえる力はどこに(城山三郎・新潮社・2012年刊)は、城山三郎氏(2007年逝去)の公開されていない遺稿から出版されたようです。

 奥様との生活や、奥様が病に倒れて闘病される様子を淡々と書かれています。」ご自身は宴会で「先生」扱いされるのが嫌で、極力宴席を避けていたとか。文学者の会合などもほとんど行かなかったという逸話を書かれていました。

 先の大戦で、敗戦後「軍部がすべて悪いのだ」という論調が幅を利かせたが、城山氏は1番戦争に熱心だったのは庶民ですね。責任転嫁をしてはいけない。と言われていたのが印象に残りました。

 東京裁判で処刑された広田弘毅の事を調べたときも、広田が遺族に「何も話すな」と伝言され調査は困難を極めましたが、大岡昇平氏と広田氏の長男が同級生であり、大岡氏が「戦争の事は後世に語り継ぐ義務がある。」との真摯な姿勢と、城山氏の真摯さが重なり取材が出来たとの逸話には胸を打たれました。

 「作家の使命私の戦後」(山崎豊子 新潮社 2009年刊)は、昨年逝去された山崎豊子氏のことが気になりましたので、読みました。
Yamasakitoyokohonmm

 アメリカの2世は、本土では敵性外国人と言うことで財産を没収。強制収容所へ入れられました。欧州戦線へ志願した人たちとは別に、「語学兵士」として太平洋戦地へ送られた2世もいました。「原子爆弾に次ぐ秘密兵器」と言われ長らく情報公開されてきませんでした。

 「日本語学校で、語学兵が使っていた辞典は広辞林であり、教科書には菊地寛の父帰るから、日本陸軍の作戦要務令、戦陣訓まであり、多くの語学兵に行きわたっていた。それを知ったとき。戦時中一切の英語教育を廃止しした日本とのあまりの対照に、日本は既にこの段階で敗れていたのだと痛感した。」(P55「わたしの戦後」)

 2世に関わらず「語学学校」からはドナルド・キーン氏らも養成され、日本文化の紹介で大きな社会貢献をしていますね。

 「不毛地帯」では、旧ソ連時代にシベリアの日本人抑留の地も丹念に訪ね取材をされておられます。「シベリアの土と朽ち果てた墓標の下に眠る人々に合掌しつつ、私の胸にこみあげてきたのは、世界のどこの国に60万人の捕虜のうち、20万人の捕虜が死亡し、または行き方不明というようなことがあるのだろうかという憤りであった。」(P12(自作を語る―不毛地帯」)

 旧ソ連も戦勝国として極東軍事裁判にも参画していますが、無通告で不可侵条約を破棄し、軍事行動を起こし、多くの日本人を虐殺し、シベリアに捕虜を抑留し、大量死に至らしめた戦争犯罪は不問にされておりますね。

 「大地の子」の取材に関しては、当時の中国の実力者胡耀邦氏と掛け合い、胡耀邦氏の配慮で辺境地区の取材もできたそうです。胡耀邦氏が逝去された時は、困難を乗り越え墓前に参拝されたことも書かれていました。

 「不毛地帯」「2つの祖国」「大地の子」「沈まぬ太陽」「運命の人」なども、山崎豊子氏の不断の取材と調査の徹底さには驚くばかりです。全く惜しい人が逝去されました。
Tanakohonmm

 ご両親が高知出身で、高知にゆかりのある作家田中栄光。代表作の「オリンポスの果実」だけを読みました。1932年のロサンゼルス五輪へ早稲田の学生時代にボートの選手として出場した体験をもとに書かれた作品でした。

 往復船で選手団は行きますが、高飛び込みの女子選手へ片思いし、体格の良い男がもじもじ。うじうじする様子が丹念に描かれている。女々しいぐらいです。

 太宰治を尊敬し,親交もあったようですね。五輪へ出場するぐらいの身体能力のある人でしたが、文章は爽やかとは言えず、神経衰弱気味でした。
Orinposuhonmm

 ただ五輪の舞台となった当時のアメリカの圧倒的な豊かさや生活様式の描写には驚きました。ま、しようがないでしょう。

 読書と言うのは、1番精神状態が良い時にしないといけないものですね。正月休みは体調はよろしかったですが、なにかと怠けてしまいました。

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