東京から高知へ「防災施設視察」に来られました。
2014年2月13日―14日の日程で、東京から「蓄光塗料」のメーカーの代表者と顧問の方が高知市へ来られました。南海トラフ巨大地震が起きたら高知市市街はどうなるのかを想定いただくために、高知空港から五台山頂上展望台へご案内し、説明しました。
五台山山頂展望台で2人が高知市街地を背景に持っていただいている画像は、高知市市街地の標高図です。青い区域は、海抜2メートル以下の市街地です。居住する高知市二葉町は全域が海抜0メートル。高知市市街地の大半は2メートル以下です。
1000年前の高知(土佐日記の紀貫之時代)は、現在の高知市市街地は海の底でした。関ヶ原以後山内氏が現在の高知市市街地を埋め立て街区を整備し、城下町を形成し、明治以降の近代以降の都市づくりも周辺へ市街地が拡大されました。
1946年12月の「昭和南海地震」におきまして高知市下知地域は地盤が沈下したために、全員が水没し、長期浸水状態になりました。次の南海地震が起きれば必ず地域は地盤沈下し、水没し長期浸水状態になります。
二葉町の「まち歩き」もしていただきました。「海が近く」「全域が海抜0メートル地帯である」現実に2人とも驚愕されていました。
意見交換に高知市役所と高知県庁の防災部署を訪問しました。「蓄光塗料」への関心は高いようでした。
高知市わんぱーく高知に設置(放置?)されている津波避難救命艇を見ました。25人が入り、大津波で流されても中へ入っている人は大丈夫な仕様です。シートベルトや、1週間分の飲料水と食品が船室に備蓄され、トイレもあります。1艇が900万円程度だそうです。
津波避難救命艇のお披露目「津波救命艇試作艇を見学しました。」
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/index.html
南国市の沿岸部に建設中の津波避難タワーも現場を見ました。高知空港近くの県道の両側の集落に建設されています。東京から来られた人は見るのが「初めて」だそうです。
南海トラフ巨大地震と向き合い懸命に生きのびようとする高知県民の姿をご披露させていただきました。高知市の「厳しい現実」を理解いただきました。
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