両親は元気に介護予防通所リハビリへ行きました。
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家内が堀川で組合婦人部のお花見ランチから戻って来ました。「お天気になって、サウスブリーズホテルのランチ(3枚重ねのお弁当)とコーヒーとお菓子をホテル前の堀川で食べたの。凄く桜が綺麗で見頃。お母さんも連れて行きましょう!」との提案。
「腰が痛いから行きたくない。」という母をなだめすかして、手を繋いで家内と3人で堀川へ行きました。「腰が痛いから帰る。」と母がぐずっていましたが、桜を見ると元気になりました。
途中ヨットクラブでお世話になっている幸助さんと犬に会いました。犬好きの母は犬にしきりに話しかけていました。その時は腰痛は忘れています。
それからしばし堀川沿いを散策しました。何枚か母との写真を家内に撮影してもらいましたが、なかには指が写った写真もあります。
途中和菓子屋さんで桜餅やどら焼きを買いました。なかなか賑わっていました。
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国土交通省は「津波防災法」→「平成23年12月14日に制定された津波防災地域づくりに関する法律(津波防災地域づくり法)」をこしらえましたが、具体的な進展はないようです。
津波防災地域づくりに関する法律について(国土交通省)
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/point/tsunamibousai.html
朝日新聞2014年3月17日号にはそのあたりの記事が掲載されていました。記事によりますと「浸水想定は15府県のみ」であります。一応高知県もそのなかに含まれてはいます。
徳島県は「津波災害警戒区域」(イエローゾーン)を全国に先駆け設定しています。沿岸部の10市町で。約200平方キロ。今後は津波浸水地域を示すハザード・マップをこしらえたり、津波避難ビルを決めたりするようです。
徳島県津波浸水想定の公表について
http://anshin.pref.tokushima.jp/docs/2012121000010/
進展しないのは「津波がくるところ」というイメージがつき、不動産価値の低下につながるのではと言う懸念があるので自治体の多くは「それをいいことに」なにもしないのでしょう。
全く防災対策に関心のない前大阪市長などの大阪市や大阪府は徳島のような「イエローゾーン」の指定することさえする計画にないようです。低地で広大な地下街も有する自治体の危機管理部門の姿勢としては「いかがなものか」と思いますね。
高知市下知地域は、全域が海抜2メートル以下。南海トラフ巨大地震が起きれば、全地域が水没し、長期浸水になると言われています。高知市も高知県もそのようなデータを公表しておきながら、「根本的な解決策」(=浸水予定地市民12万人の高台移転、もしくは立体換地してかさ上げした安心・安全の都市市街地づくり」をやるかの姿勢が全く知事も市長も見られませんね。実に「無責任極まりない」ことであります。
(南海トラフ巨大地震が起きれば高知市市街地は海底へ水没し、1000年前の土佐日記の紀貫之時代の風景になることでしょうから。)
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過日車で走行していて驚きました。高知市の中心市街地の国道32号線筋(電車どうり)にあるビル街に、テナントが入っていないビルが結構ありますね。3分の1が空き部屋になっているビルもあります。
屋上の看板広告も全部埋まっているようにありません。地方都市はやはり不況なんですね。不況と言うかそれが普通で「普況」なんでしょうね。今朝の日本経済新聞などでは景気は回復しているとか戯言を書いていますが、一体どの世界の話でしょうか?田舎にいますと感じることはありません。
高知市中心市街地で1番地価が高いと言われるはりまや橋付近を歩きました。よく見ますと結構空き室が多いようですね。半分ぐらい空室のビルもあります。
ビルの屋上部の看板も白紙のまま。ビルの屋上広告の必要性が低下したのでしょうか?
かつて「金融センター」のようであった雑居ビルも空室が目立ちますね。高知市は確実に「衰退」していますね。毎年人口が1000人ずつ減少していますからそうでしょうね。
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今朝は朝から暖かい。ストーブを炊かなくていい季節になりました。
ストーブを炊かなくてよくて、香取線香を炊かなくて良い日と言うのが快適な時期なのですが、毎年短めになっているようですので。
介護予防通所リハビりの車を待っています。月曜日はいつも1人しか乗っていませんが、木曜日はたくさんの通所者が乗っています。
運動を一杯するように職員の方にはお願いしました。
昨日の高知新聞1面記事で「特養待機者52万人 4年で10万人増」とありました。
政府は2015年度から特養入居者を「要介護度3以上」に限定する予定です。それ以下は「在宅介護に」するようです。うちの両親は現在要介護度1.これ以上の進行はうちの家では生活できなくなりますが、特養へははいれません。深刻な問題です。
かといって有料老人ホームは入居料や月々の料金も高いのでおいそれと入居できません。特養は記事になるように低料金で、入浴や食事の世話を終身(死ぬまで)受けられます。入所希望者は多く、現在全国で52万人、高知県でも要介護度3の待機者は3121人いると言います。
両親には介護予防リハビリ通所施設でトレーニングをして、いつまでも元気でいたいただきたいと思います。
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昨日の雨で、今日は晴天で暖かい。こういうお天気が昼前後から風が強くなりますね。満開の桜は花吹雪となりますね。堀川筋の桜は7分咲というところですので、花は硬いので強風でも大丈夫です。
でも今日の陽気と明日の陽気で一気に明日あたりは満開となるでしょう。見ごろは金曜日でしょうね。土日は雨の予報。月曜日は晴天ですので、月曜は、また強風で散ってしまいますね。
家内たちは組合の婦人部で日曜日はお花見ですが、お天気が微妙ですね。
仁淀川町のひょうたん桜も火曜日に堪能しましたし、今年は桜を見せていただきました。
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春便りは高知市から。ソメイヨシノという桜が3月18日高知市で開花したようです。これから一気に春ですね。桜前線が北上して行きますので。
さて女性自身3月15日号の対談記事が素晴らしい。作家で住職の瀬戸内寂聴三と、女優の吉永小百合さん(68歳)の対談特集。昨日休憩で訪れた喫茶店で読みました。
瀬戸内寂聴さんは、東日本大震災の頃は老化による腰痛などで入院中。歩けない状態。しかし東北の惨状を見て、「すっくと立ち上がり」歩けるようになったとか。3か月後の5月には、支援活動に現地訪問をされました。
吉永小百合さんも「3・11」は東京で遭遇。ご自身の持病のめまいかと思いきや地震だったので驚いたそうです。吉永さんも5月には支援活動をされています。
そしてご両人とも2月の東京都知事選挙では、細川候補を応援・支援しました。候補者は破れましたが、引き続き原発0の日本をつくるために息の長い運動を自分たちなりのやりかたで継続していく決意を淡々と述べられていました。いいことです。
瀬戸内寂聴さんが「あなたはなぜ子供をつくらなかったの?」とか率直な質問をされたりして、自然体の対談には好感がもてました。
女性雑誌の取材は結構丁寧で見直しました。
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3月216日の高知市は雨模様。朝からしとしと降りました。母(88歳)は今日は、1日ディ・サービスの日。ふれあいの里ゆいへ行きます。着替えて送迎車を待っています。
母「お爺さんも行くがかね。」
私「お爺さんは別のメニューやき行かんが。」
母「私1人行くかがね。」
私「1人行くがよね、」
母「何しに行くがかね。体操かね。」
私「体操もあるけんど、1日デイサービスよね。」
母「今日はしんどいき行きたくない。腰も痛いきに。」
私「腰が痛いから運動に行かんといかんが。」
と会話が5分ごとにループしています。送迎車が来ましてなんとか行きました。
今朝は4時起きでした。ホームページの改編をチェックし、管理者に送信。やりとりをしました。母を10時前に送り出し、ある報道機関からの地域防災に関しての取材対応しました。昼近くになり、午後1時から面談する人の指定する喫茶店へ。昼食を食べながらしばし懇談。
戻ると和歌山からの問い合わせがあり、なんとか品物を購入していただきました。うちの販売商品は「説明」をきちんとしないと売れません。「防錆技術」が売りなので、なんとか相談事で相手に感謝されながら、1コインでもいただく仕組みは出来ないものでしょうかね。言うは易しで難しい。
午後4時過ぎ母は元気に戻って来ました。「今日は風邪気味であると本人が言いますので、お風呂は入りませんでした。」とのこと。めんどいですが夕方シャワーをしてもらわないと。家内の指導でなんとかできました。そんなやこんなやで今日はアップが遅いくなりました。
超高齢者の母も父(94歳)も元気で生活しておりますよ。
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二葉町と仁淀川町との町民同士の友好関係はまる3年目となりました。行政同士の支援協定に繋がる関係は未だに見えません。徳島県のような県が仲立ちした市町村相互避難支援協定の動きさえ見えません。一体高知県の南海地震対策は有効な手立てがあるのでしょうか?
高知県庁や高知市役所の「不作為」「長期浸水予想地域住民の見殺し政策」のことはいつものことです。行政にはもはや腹も立ちません。「お仕事で南海地震対策をしている人たち」と、24時間「脅威に苛まれている者」との意識の差ですから。良い悪いではありません。お互いの立場や立ち位置が違いますので。不平不満では何の解決にもなりませんから。
民間人同時で「やれることはやろう」との行動を3月25日に実行しました。
ひょうたん桜を見ました
二葉町自主防災会副会長である荒木光芳さんのお供で運転手で仁淀川町へ向かいました。午前8時半位に二葉町を出発。10時前に仁淀川町大崎へ到着。長者だんだん倶楽部副会長の岡崎信守さんの先導で、「ひょうたん桜」を見学に行きました。
7分咲でしたが見事ですね。今週末は見ごろでしょうが、ものすごい人であると思います。今日来れて良かったです。「ひょうたん桜」はつぼみがひょうたんのようになっていますね。花はソメイヨシノより小ぶり。樹齢500年と言うことでしめ縄も巻かれておるしもはやご神木ですね。
岡崎信守さんがひょうたん桜の苗を購入していました。そこへFBで有名なお犬様のケン・コナが現れました。いつも山道のお散歩で鍛えているので足腰は丈夫なお犬様でした。岡崎さんたち長者のだんだん倶楽部は週末にこちらへ出店するので、下見も兼ねて来ていました。
仕事でせわしかったので、よい「心の洗濯」をしました。有名なケン・コナさんにも会いましたし。
ひょうたん桜を見て坂道を降り国道33号線で、大渡ダムへ行きました。ダム湖は満水に近い。堰堤から見下ろすと巨大な構造物です。取水口管理棟は以前工事で来たことがありました。こちらから取水して下流の大渡発電所へ流し込み水力発電をしています。
大渡ダム湖周辺は5分咲ですが、週末は見ごろでしょうね。最近完成した水抜きのトンネルを初めてみました。地滑り対策であるそうです。
長者のだんだんの里でお昼にしました。だんだんの里定食を食べました。あめごの天ぷらも食べました。わたしは運転手なので残念ながらビールは飲めません。
だんだん倶楽部岡崎信守(農業担当)さんとお話をして、ことしの棚田の田植えも6月1日(日曜日)頃にすることになりました。11月3日の「昭和秋の感謝祭」には、また来てくださいと申し上げました。
4月13日(日曜日)は、だんだんの里1周年記念祝賀会を長者地区の懇親会として開催するそうです。荒木三芳副会長の誕生日だそうで、運転手として来ないといけないかもしれません。二葉町との親睦も必要であるからです。
楽しい昼食後、国道439号線(通称よさく)を走行して津野町へ。「これが国道!}という狭い箇所がいたるところに。まさに酷道です。
津野町では岡崎さんの友人のMさん宅へ。宇宙めだかの水槽もみせていただきました。水は藻で濁りがありますが、メダカは元気で散乱し増えているそうです。
一時期長者小学校の宇宙メダカが元気がなく数が減りました。岡崎さんがこちらのMさんに「里子」に出していた宇宙メダカが元気で、再び長者小学校へ移植。現在は元気だそうです。
戻りは197号と須崎からは高速道路を走行しました。山道運転の連続でしたから「大河」のように道幅が広く感じました。
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久しぶりに藤村正宏さんのメールマガジンが来ておりました。引用自由とありましたので、転載させていただきました。それなりに面白いことを言ってますね。
高知市などの地方都市は、一等地の中心街でもビルに空き室が増え、屋上の看板も「空白」(広告主不在)が目立っています。景気回復の波は高知市には届いていません。
■100円ショップは体験価値消費
ずいぶん昔の話です。
今から20年くらい前ですが、アメリカの会社の役員をしていました。
アリゾナ州ツーソンに本社がある、水族館や動物園、テーマパークなどの企画、設計、施工をする会社です。
その日本法人の、企画担当の役員だったんです。
ボクもまだ若くて、30代でした。
その時に、アメリカ本社のデザイナーに聞いた話しです。
ボクは当時、岐阜県の「アクアトトぎふ」のプロジェクトの真っ最中。
その水族館の展示の打ち合わせを、アリゾナの事務所でしていました。
その時に、入館料に話題になったんです。
水族館の入館料をどれくらいにしたらいいか?
それに困っているということを、デザイナーに言いました。
そうすると、彼はボクに、こう聞いてきたんです。
「日本では映画のロードショーの入場料はいくらくらいするんだ?」
ボクは答えました。
「1500円から2000円の間くらい」
「映画が2時間で2000円だとしたら、水族館を楽しむ時間が2時間だったら、それと同じにしたらいい」
なるほど。
ボクは納得しました。
映画ってだいたい2時間くらいで今だと1800円。
もし水族館の平均滞留時間が2時間だとしたら、映画と同じくらいの入館料をいただけばいい。
そうういうこと。
アメリカでは、水族館や博物館、動物園、テーマパークなどの入場料は、映画との比較で決めている(らしい)。
でも、それってある意味、理にかなっていると思ったわけです。
時間を消費する集客施設は、そういう考えかたもできますよね。
どうして20年くらい前のそんな話しを思い出したかというとね。
先日、100円ショップ「ダイソー」の社長さんの話をwebサイトで見たからなんです。
矢野社長「ダイソーの平均滞留時間は、30分。客単価は500円です。ダイソーは100円の商品を売っているのではなく、この『時間』を売っているのです」
これには、ハゲシク共感しました。
店の中にいる時間を売っている。
まさにモノを売っているのではありません。
(ボクの本にも100円ショップのことは書いていますけど)
確かに100円ショップって、いるだけで楽しいですよね。
一度いったら、30分くらい過ごしてしまうかもしれない。
何の目的もなく入店しても、
「え?こんなのが100円で買えるの?」
「これを使ったら、こんな生活ができるかもな~」
「こんな商品があった~」
と、見ているだけでも楽しいですよね。
そして、あまり必要ないんだけどノートとか文具とかを買ってしまったり。
ある意味、ボクが提唱している、エクスマ(エクスぺリエンス・マーケティング)。
「モノ」ではなく「体験」を売っているショップだとも言えます。
ダイソーは500円で30分楽しめるとしたら、それはある意味、映画と比較すると納得がいく。
映画が2時間で2000円だとしたら。
それで、昔きいたコトを思い出したんです。
店舗の空間や商品の持っている物語、その商品を買うと、自分がどういう体験ができるのか?
そういうコトを売っている。
やっぱり、現代は「モノ」を売っていたら売れない時代なんですね。
エクスぺリエンス・マーケティングの真価が発揮される時代になったってことです。
高知の大衆金融センタービルも最近では空室が目立ちます。
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同じ町内に事務所がある坂本茂雄さん。3月7日(金曜日)に事務所のある建物に自動車が衝突すると言う事故がありました。幸い当時は事務所には坂本さんは不在。建物と道路の間に花壇があり、そちらが壊れていました。建物は無傷なようです。
南国スーパー下知店前の道路側には、「とまれ」の表示があります。この道路は56号線へ行く「抜け道」的な要素があり通行量は意外に多いです。
一方その道路と交差する南北の道路は信号が多く、幹線道路への導入路でもあるので、ことらも案外通行量が多い。わたしも自宅からはりまや橋方面へ車で出かける場合は、この道路を使用します。
事故は南国スーパー方面の車が一旦停止と徐行せず、交差点で出会いがしらに衝突。衝突された車がスピンアウトされて坂本さんの事務所前の花壇を直撃したようでした。
歩行者も当時いなくて幸いでした。また坂本さんも事務所にいなくて良かったです。「緩衝地帯」として花壇は必要ですね。
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今日は移動性高気圧に覆われるようですので、「温厚なお天気」になるようです。強風に弱い臆病者のシニア・ヨットクラブ員は張り切って夜須へ行きました。今日来ないと来週は、地域のマンションに、「津波避難ビル」へのお願いに行く日になっていますから。時間がありませんので。
途中南国市付近の香長平野では、田んぼが早くも水田に、田植えの準備がされ、苗も運搬されていますので、田植えが始まっているようですね。収穫は7月末でしょう。
夜須へ着きました。晴天です。水平線はもやっています。風があまり強く吹かない証拠です。下手くそな年寄りには丁度ですね。
まったりとぎ装(ヨットの組み立て)をしまして、リズムを陸から海へ変換します。そしてドライスーツに着替えます。陸の上は春ですが、海水温は実は今頃が1年で1番冷たいのです。雪解け水が沿岸へ流れ込んでくるからです。沈しないように慎重にセーリングします。(年寄りの冷や水は厳禁ですから。)
海へ出ました。午前中は波もなく穏やかな程よい風。でも風は冷たいです。今日はジュニア・ヨットクラブも高知大学ヨット部も来ていません。午前中はわたしと押岡さんと近藤君の3艇でした。午前の部が終わるころに徳島から舟木さんが来られました。
午後からも昼食を挟んでセーリングしました。波が少し出ましたが、風が岸辺とアビーム状態になりましたので、赤岡方面まで遠征しました。
3月末まで展示しただいているうちの雛人形。旧暦の3月3日は今年は4月2日ですから。ですのでうちの娘が「行き遅れる」ことはないとは思いますね。展示いただきましたヤッシーの女性スタッフの皆さんと記念撮影させていただきました。ありがとうございました。
父のインフルエンザも早期に治り、プロギアを観戦することも出来ました。娘も家内も来訪させていただきました。父もです。母の体調不良も軽い風邪でした。うちの守り神でした。雛人形は。やはり「厄除けの」効果があったのです。
雛人形は3月31日まで展示されるそうです。今日も結構見に来られ、お写真を撮っている若い女性の方たちがおられました。うちの雛人形と一緒に写真撮影されている人たちを何組も見ました。展示していただいて良かったです。
お遍路開所1200年の今年。ヤッシーパークでもお遍路さんを見かけました.。
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父はゴルフ練習でリハビリ・母は主治医の病院へ
今朝は風も弱く温度は高くはないですが温厚なお天気。父(94歳)の付添でゴルフ練習場へ行きました。風も弱いので暖かかったようですね。
球は飛びませんが真っ直ぐに打球は飛んでいるようです。今日はお彼岸でもあり、さすがにゴルフされている人も少なめでした。私は「里山資本主義」を読んでいます。
戻ると風邪気味の母を連れて横田胃腸科内科へ行きました。混んでいましたね。
3月22日は朝は父のゴルフ打ち放し練習の付添と母の病院への付添に行きました。両親の昼食を段取りしてから、昼からは、中央公園での「美味しいものグルメ博]へ家内と一緒に歩いて行きました。
途中堀川沿いの両岸の桜は2分咲きか。明日は暖かい予報なのでかなり開花するでしょう。見ごろは来週末でしょうね。家内たちは組合女性部でのお花見であるとか。
ガラケーのワンセグ携帯で、徳島県池田高校の逆転サヨナラを見ました。池田高校おめでとう!!
ジャアバーボンズを見ました
沖縄出身の6人組のバンド、ジャアバーボンズ。沖縄出身の家内が見たいと言うので、自宅から歩いて見に行きました。高知市中央公園は「うまいものグルメ博」を開催中。全国各地の食材店の有名どころが出店しているので物凄い人。
到底食事などできそうもないので(列に並んで購入なんていう堪えじょうはありませんので)現代企業社のファーストで食事をし、2時になって再び中央公園へ行きました。
1年前から沖縄から高知へ「移住」してきた若者6人組。結構コアなファンがいますね。乗りの良い曲から始まり、バラードありで、結構演奏もボーカルも上手いと思いましたね。
ミューとかいう飲料水メーカーのCMソングを歌っているらしく24日からオンエアされるようです。
[高知へ移住」されたジャアバーボンズ。高知県移住のテーマソングでも歌ってもらえばいいと思いますよ。高知県庁は電通に莫大な広告料を支払い、「ありきたり」の宣伝をしていますが、こうした「オリジナル」こそ育成すべきではないでしょうかね。
安芸市観光協会のかつおコロッケを購入しました。
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週刊現代3月29日号には面白いレポート記事が掲載されています。見出しだけつづると、その内容の大半は理解できると思われます。
「ニッポンは「新・階級社会」になった!」「ますます富めるエリートとほどほどの生活に満足感を覚えるヤンキー。決して超えることのできない「価値観の差」がこの国を分断しつつある。」
かつては「1億総中流社会」と言われた日本社会。それがここへきての英米を真似した「新自由主義政策」により、急激な格差社会が形成されてきています。
「ワーキングプア」という言葉が流行したのも第1次安倍内閣の2007年頃でした。ワーキング・プアが固定化し、進学もままならず、その子供たちも低収入で働くざるを得ないという現実が固定化しますと、日本社会も週刊現代の言うところの「階級社会」になってくるようになります。そうなると社会の「融和」がとてむ難しくなりますね。
「高卒ヤンキーの幸せと海外移住するエリートの不孝」「生活に不満なのはどっちだ。年収1500万円の都会の共働き夫婦と年収300万円の田舎の子だくさん夫婦」「「急増するマイルドヤンキーー合言葉は 地元超サイコ―!」
「いつも不安なエリートたち わたしの人生、幸せなんだろうか」「足るを知る幸せもある」
日本では高給取りの40前の夫婦。税金の安いシンガポールへ移住したとか。世界中の金持ちが集まるので、上には上がいることを思い知ることに。でも今更日本へは帰れないとかいうお話。
一方地方では年収300万円以下で、地元の仲間たちと家族ぐるみで楽しそうに交流している「マイルドヤンキー」層が増殖中とか。この2つの層は絶対に交流はしないようです。生活様式にも「階級社会」が出来つつあるようです。
以前読んだ内田樹氏の「街場の文体論」のかかでも、欧州の伝統的な階級社会を「エクスチュール」という用語で説明されていました。
「日本人のエクスチュールは「おばさん」と「やくざ」と「やんきい」というようなしかたで水平r的に多様化しています。でも、ヨーロッパではそうではない。上下に階層化している。上層のエクリチュール、中間層のエクリチュール、下層のエクリチュールというふうにはっきり区分されている。」
「どういうふうに違うかというと、上層のほうがエクリチュールが「ゆるい」んです。標準化圧力が弱い。ヨーロッパでは上層へ行けバイクほど階層的な縛りから自由になれる。「上の人」は、何を着てもいい、どんな言葉づかいをいしてもいい、どんなところで、どんなふるまいをしてもいい。
節度のあるふるまいをすれば「気取らない人だ」と言われ、誇示的な消費をしたり、醜聞を撒き散らせば「さすが奔放だ」といわれる。何をしてもつきづきしい。」
「逆に下層にいくほどそういう自由は失われる。階層的な締め付けが厳しくなり、自由度はどんどん少なくなる。話し方も表情も身体運用も価値観も美意識も「ロック」されてしまう。
それ以外のふるまいができないようにお互いを監視する。そこから逸脱するときびしい閥が与えられる。下層階級なのにクラック音楽を聴いたり、詩を読んだり、クリケット観戦とかいうことは許されない。
ラップを聴いて、テレビを見て、サッカー観戦することを強いられる。他の誰でもなく、自分たちの属する集団から禁圧される。そして本人たちはそんなふうにお互いの自由度を制約し合っていることには気がついていない。
自分たちの間にしか通じないジャルゴンで話し、自分たちの集団固有のファッションで身を固め、自分たちの価値観を譲らず、仲間内から「毛色の変わった固体」が出てくると、きわめて非寛容に接する。階層内のふるまいの自由は、下層へ行くほど失われる。
つまり、階層社会というのは、単仁権力や文化資本の分配に階層的な格差があるということだけでなく、階層的にふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差があるということです。」(P127「エクリチュールと文化資本」
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-ea9c.html
これは文化や教養が人をより差別し、格差を固定化するものとして大きな力を欧州諸国はあるなと思いました。なんとおぞましいことであると思いました。
「日本人は、教養と言う言葉にほとんど政治的な力は感じませんが、ヨーロッパでは、教養は階層再生産につよい力を発揮します。中略 学歴とか,音楽や美術についての趣味のよさとか、テーブルマナーとか、ワインの選択とかは、所得階層を示す身体かされた指標であり、文化的な格差の再生産装置なのです。」(P131)
なんとも残酷な装置ですね。このあたりを読んだだけでもなるほどと思います。
現在欧州で人種暴動や、移民の排斥が広範囲行われています。それは欧州各国の下層市民の共同体圧力が強く、移民文化を受け入れないのでしょう。移民の増加が自分たちの下層の共同体の危機ととらえ排斥に動いているのかもい知れません。そうなると解決は簡単ではありません。
わたしも田舎者の「下層階級」に属する親父ですが、「境遇に卑屈にならず、面白おかしく人生を生きれば良い。」と考え行動しています。今週号の「野良犬」メディアはまあまあ面白かったです。
o
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2,014年3月21日フジテレビ系のタモリ「笑っていいとも」に安倍晋三首相が出演しました。現役の日本国首相の出演は初めてであるとか。タモリ氏はさほど緊張したわけでもなく、「差しさわりのない」「どうでもいい」「内輪の話題」を安倍首相としてコーナーは終わりました。
タモリの平常心的な応対はある意味「貫禄」ではありますが、お笑い芸人としての「意地」は感じず、TV業界で生きのびる「あざとさ」を感じましたね。
どうせ首相に聞くのであれば「朴ウネさんは日本を大変嫌ってますが、隣の国なのでどうされますか」とか、「習近平さんとはどうしますか」ぐらいのことは聞いてほしかったですね。
「あなたはプーチンさんとは5回も会っているので、どんな電話をクリミアに関してしましたか?」
「オバマさんとはしっくり行っていないことを日本国民は心配していますが」と切り込みをしないと。
たけしは「おいらは大地震時は一番安全な原発へ逃げ込むんだ。」と言う原発推進論者。さんまは社会問題は「完全スルー」の人。少しだけタモリには期待していましたが、所詮は浅薄なテレビ人間に過ぎませんでしたね。
社会ネタをお笑いにし、時の最高権力者に切り込む気概は皆無な卑屈な芸人に過ぎませんでした。
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今日から選抜高校野球が始まります。
かつての池田高校野球部監督の故蔦文也さんは、「攻めダルマ」と言われた豪快な打撃チームのチームを作り上げ、畠山―水野投手を擁し、全国制覇もなしとげました。
その徳島県池田高校が27年ぶりに選抜大会に出場します。週刊現代3月29日号でも「池田高校野球部蔦文也監督を語ろう」という対談特集がありました。ユニークな人であったようですね。
また地元三好市(旧池田町)では、「つたはーん」のゆるきゃらまで登場。地元でははやくも大人気とか。ぜひとも甲子園球場に登場していただきたいものです。蔦監督の人気は全国区ですからね。ぜひ行っていただきたい。
凄いと思いますのは、ご逝去されたのが2001年。13年経過しても人気があるのは人徳でしょう。こんな高校野球の監督さんはいませんから。
「つたはーん」池田に助っ人 選抜高校野球(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20140319-OYT8T00996.htm
写真はゆるきゃらつたはーんと奥様です。
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かつての池田高校野球部監督の故蔦文也さんは、「攻めダルマ」と言われた豪快な打撃チームのチームを作り上げ、畠山―水野投手を擁し、全国制覇もなしとげました。
その徳島県池田高校が27年ぶりに選抜大会に出場します。週刊現代3月29日号でも「池田高校野球部蔦文也監督を語ろう」という対談特集がありました。ユニークな人であったようですね。
また徳島新聞によりますと、阿波池田商議所青年部、蔦監督イメージのゆるキャラである「つたはーん」を独自制作したようで、地元では早くも人気であるそうです。甲子園のスタンドへ行けば一躍人気者になるでしょう。
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2014/03/2014_13952772361739.html
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今日は両親の介護予防通所リハビリの日です。父(94歳)は、午前中に主治医の植田一穂先生の診察を受けました。血液検査も良好で、父なりの平常値に戻りました。
「90歳を超えた高齢者が、インフルエンザを罹患して回復されたのは驚異的。今のところ何の心配もありません。」と言われました。
母(88歳)も暖かくなったので、外へ出る気が少し出たのか、自分から散歩すると言い出しました。少しだけ近所を一緒に歩いていますと、介護予防通所リハビリ施設の送迎車が来ました。
元気に行きました。
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2014年3月12日 午後6時半から下知コミュニティ・センター3階会議室Cにて、「第2回下知地域連携協議会準備研究会」が、開催されました。
第1回目とほぼ同数の25人が参加しました。昭和小学校PTA関係者、各地域の自主防災関係者、企業、教育関係、福祉関係者、町内会関係者、社会福祉協議会、民生委員や高知市役所地域コミュニティ推進課。地域防災推進課などの関係者が参加しておりました。
第1回目とは、メンバーが13人と約半数入れ替わり(第1回目参加者は他の会合と重複やや病欠のため欠席者が10人程度)していました。
1回目会合からの世話人からの挨拶と提案事項が最初にありました。
「下知地域には大きな神社・お寺もありません。神祭などで、地域ぐるみでお手伝いをし、懇親するような伝統的なコミュニティはありません。楽しいことを皆でやって、下知地域に新しいコミュニティをこしらえたいです。
その場合は異論を排除せず、意見の異なる相手を批判せず、地域全体いが楽しくなるような行事をしたいです。そのためには下知地域のいろんな立場の人たちが参画した地域内連係協議会を近い将来こしらえましょう。
具体的には、「11月3日の昭和秋の感謝祭に防災ヘリコプターを誘致する」
下知減災連絡会として非公式に高知市防災政策課に「11月3日の昭和秋の感謝祭に防災ヘリコプター龍馬を誘致できませんか」と打診しています。
目的は、市街地の浸水地域にある昭和小学校は、災害時の拠点収容施設です。多数の周辺市民が避難しています。昭和小学校運動場への緊急避難物資(食料。飲料水。医薬品)などの投下訓練をすべきです。下知地域全体の防災・減災意識を啓発する効果があります。
実現するとしたら何をするべきか
1)昭和秋の感謝祭の出店ブースやテントを参加者総出で片づけること。
2)埃が舞い上がる可能性があるので、片づけた後に、下知消防分団が運動場に放水し、参加者全員にて水撒きをすること。
3)昭和小学校に隣接する民家にあらかじめ告知し、ヘリコプター登場時間前の洗濯物などの取り込みをお願いし、苦情が出ない広報告知を関係者全員ですること。
4)実現のためのハードルは高いので、各方面の働きかけを事前にすること。
5)ヘリコプターからは当日は、非常用物資に見立て、「お餅や」「お菓子」を投下していただくようにします。
*その他「地球33番地のイベント」や「よさこい祭りの下知地域での開催」「防災・文化史跡めぐりウォーキング」「餅つき大会」「下知地域一斉防災訓練」など他の企画なども実施します。」(西村健一)
「防災ヘリは、10年ほど前に父が消防関係と地域との防災イベントの際に呼ぼうと計画していました。もし昭和秋の感謝祭当日に来るとなれば、子供たちを中心に盛り上がりますね。地域の防災意識の向上も高まります。
30年以内に南海地震は来ると言われていますが、明日来るかも知れません。今からそれを想定し、地域の絆を高めることが大事です。
今日こちらへ来られている人たちだけがすべてではなく、来られていない人達も凄い活動をされておられる人たちがたくさんおられます。
それぞれの皆さんがたが得意な分野で力を発揮いただきたいと思います。会合が得意な分野でない議題になった場合は、「お休み」いただいてもかまいません。地域には不要な人は誰もいません。ゆるやかなまとまりで、下知を楽しい街にするようにしましょう。(国見俊介)
世話人の2人は、長めのスピーチを「段取り人」の特典でしました。自己紹介を兼ねた参加者からの発言も多岐にわたっていました。
「居住しているマンションは先日市の指定の津波避難ビルになりました。それでオートロック解除のための訓練や避難訓練を周りの町内の人達と一緒にやりました。
地震の時にはマンションに避難されるのですから、事前に顔見知りになっていたほうが良いと思いました。」(マンション自主防災会・PTA役員)
「マンション暮らしをしてますと、地域の人達と仲良くなれる機会がなかなかありません。子供の学校を通じてのつながりが多くなります。それも子供が卒業すれば疎遠になります。地域の人達と仲良くなれることをしたいですね。」(マンション自主防災会)
「元教員で今はシニアになっています。高齢者でも地域にお役に立てることがあれば参加したいです。」(教育関係者)
「24ある下知地域の町内会のうち17が連合会に入っています。自主防災会がない町内会もあり、今後結成を促したいと思います。」(町内会役員)
「交通安全指導で朝に街頭に立っています。居住するマンションもようやく避難ビルになりました。隣接する3つのマンションで3000人が緊急時に一時退避が出来るようになりました。それから受援力(支援され上手)を意識した活動をしましょう。」」(校区安全指導・自主防災会役員)
「企業活動を通じて地域に貢献することを念頭に置いています。取扱い製品の安全性の向上をしています。高知は全国トップクラスの製品の安全性を保っています。(会社役員)
「地域の福祉の良い意味でのセールスマンを自負しています。福祉も地域でのつながりがとても大事です。」(福祉関係)
「介護している人のお世話もとても大事です。訪問介護先で地震になった時に、どちらへ避難するのかを確認しておかないといけないですね。」(福祉関係)
「下知は世帯数も多く、民生委員も欠員が出ています。若い人も是非なっていただきたい。」(福祉関係)
「先日防災世帯調査を実施しました。7年前より地域の高齢化が進展しています。65歳以上が高齢者ということになると約半分がそうなります。従来型の避難計画では駄目で、再検討が必要です。」(自主防災会役員)
「幼児から高齢者までとの付き合いがありむきあっています。最近地域のつながりが希薄だと言われていますので、なんとかしたいです。」(町内会役員)
「PTA活動と消防分団でも活動しています。」(消防分団員)
「方向性をはっきりさせるべきでしょう。連携を深めるのか、行事を優先させるのか。、、また何のための連携協議会なのか。はっきりさせる必要性があると思います。(企業関係者)
「高知市は年間1000人ずつ人口が減少し、高齢化比率が高くなっています。地域でのつながりが大事になると思います。現在34・4万人の人口のうち1・3万人に支援が必要で、今後その人数が増加するでしょう。
地域ごとの支援活動を今後は強化拡大します。」(市役所)
「震災後支援に行きました。感じたことは子供の防災のレベルが上がると親のレベルも上がります。」(市役所)
市役所地域コミュ二ティ推進課からは、「地域内連係協議会」についての概要の説明がパンフに沿って行われました。「地域によって地域連携協議会のありかたは異なっています。」とのことでした。
節度のある議論は多岐にわたり行われました。防災ヘリについては「面白い」という評価をいただきました。
「小学校の屋上にホバリングしてもらい非常食と見立てたお餅を投下。子供たちや保護者と参加者で屋上から階下までリレーして繋いで餅まきをすればいいね。」との意見もありました。
坂本茂雄さん(下知減災連絡会事務局長)からは、名前の提案がありました。
「下知「福祉・防災・まなびのまちづくり協議会」というものです。
次回「第3回地域連携協議会準備研究会」は、4月7日(火曜日)午後6時半から、下知コミュニティ・センターで開催いたします。
議題は「準備会に進行するのか。しないのか」です。
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昔の日本人は、今より厳しい生活をしていました。民家園などへ行きますと、老いた親の隠居の家などがあります。そこで母屋から離れた場所で自活し、生涯を終えると言うことです。もっとシビアな現実になると、老親を背負って山奥へ出掛け、そのこ小屋に置き去りにする。
本当にあったのかどうかはわかりませんが、「口減らし」の現実はあったとは思います。
週刊現代3月22日号は「みんな悩んでいる 「老いた親」の捨て方 親を捨てるか 妻から捨てられるか 老々介護は、親も子も不孝になる大丈夫 みんあ「捨てたい」と思っている/共倒れになる前に捨てなさい」と言う記事でした。
うちなどは既に老老介護がスタートしています。わたしと家内が60歳。父(94歳)、母(88歳)ですから。まだ両親は要介護度1で、2本足直立歩行ができますからましです。でも狭くて、階段だらけの「バリヤ ありあり」住宅。「歩けなく」なれば在宅介護はできませせ。施設への入居となり今生の別れになります。お互いそうはなりたくないので。懸命に両親は「介護予防リハビリ」や努力をし、私や家内はそのサポートを施設の人達やケアマネージャーさんと一緒にしています。
定年まで懸命に働く人生で、会社がすべてで、家族や地域社会とのつながりが薄い「企業戦士」が男性勤労者の標準モデルですね。記事では離れて暮らしていた両親が介護状態になり、妻から離婚をつきつけられたとか。勤めを辞めて親の介護をしたものの貯金もななみなくなったとか。生真面目な人ほど厳しい現実があるようですね。
社会保障制度でなんとかなるかと思いきやさにあらずが現実ですね。この記事の結論は、「1人で介護を孤立した状態でするのではなく、上手にまわりの地域社会や社会制度を活用、奥さんとも日頃からよく話し合いをして軟着陸させることでしょう。それが言うは易しでなかなか難しい。
ケアマネージャーさんはこう言われました。
「今回のお父様のインフルエンザも早期発見、早期治療が出来たから、特効薬が効き、1週間で回復しました。職場が自宅と別であれとなかなかそうはいきませんね。
訪問介護の時間は1時間程度。面接して異常がなければ見逃すこともありますね。インフルエンザが手遅れで重篤になることもありますから。
お嫁さんも協力的で理想的。高知の家庭では珍しいですよ。」とも言われました。両親と同居で自宅と事務所が同じだから、ケアが行き届くし、何より家内の力の大きさを思い知りましたね。
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先日は97歳の叔母が先月入院したと言うので、94歳の父と88歳の母を車に乗せ、81歳の叔母を迎えに行き、病院へお見舞いに行っておりました。97歳の叔母は67歳の従姉弟夫婦がケアしています。
97歳(まもなく98歳)の叔母は元気そうでした。後から従姉弟と88歳の叔母も合流。3家族の3人の子供ら(私と従兄弟2人も)60歳代なので、「超高齢者親族会議」が病院の一室で開催されていました。
97+67+67+94+88+60+88+60=621歳!!平均年齢77・6歳でした!!
なるほど「超高齢社会」は現実になってますね。
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週の初めの3月17日(月曜日)は父(94歳9を連れての植田医院での診察と点滴。植田一穂先生に、14日に観戦したプロギアの報告をしました。点滴の時に「大往生」(永六輔・著・岩波新書・1994年3月刊)を読んでいました。もう20年前の書籍。永六輔氏は1933年生まれ。執筆時には60歳。今は80歳になってますね。最近姿をメディアでは見掛けませんがお元気なんでしょうか?
父は昨日は午前中にはゴルフの練習に。午後からは散歩と買い物をしました。元気になりました。植田先生は「お元気で言うことはありません。のどへ詰まる嚥下障害は、綿棒にお茶を沁みこませ冷凍して、アイス刺激を口に中でしてあげれば、嚥下障害に効果があります。」とのアドバイスをいただきました。
お昼の時間帯に介護予防通所リハビリ施設の送迎車が来ます。手早く両親はお昼を済ませ、着替えてまちかまえています。時間どうり送迎車が来ました。元気よく出かけました。
そして午後4時半過ぎに2人とも元気で戻って来ました。何よりです。
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父(94歳)は3月3日にA型インフルエンザに罹患しましたが、植田医院での適切で早期の治療で,約1週間で回復、13日には植田先生に診察後「観戦OK]の許可も得たので、14日は土佐CCにて「プロギア」という女子プロゴルフを観戦に行きました。
それから2日後の今朝ですが、父はゴルフ練習に行きたいといいます。
「だれちゃあせんかよ(疲れてはいないの?)」と聞きましても、「平気や」というので、いつものゴルフ練習場へ連れて行きました。
「今日はぬくい(暖かい)」と父。気持ちよさそうに球を打っていました。
やはり健康が第1ですね。超高齢者でも健康であれば、楽しいことが出来ますから。
暖かくなりましたが、打席はいつもより空いていました。
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2014年3月15日に下知コミュニティ・センターにて、第2回昭和小校区南地区津波避難計画検討委員会が開催されました。
昨年11月17日に、下知コミュニティ・センターにて「第1回昭和小校区南地区津波避難計画ワークショップ」が開催されました。昭和小校区南地区とは、北限を江ノ口川、南岸を堀川。東岸を国分川に囲まれた全域が海抜0メートル地帯です。
自然の高台は皆無。津波シュミレーションでは、南海地震発生直後に地域の地盤が沈下し、浸水が始まり、30分後に津波が全地域に侵入し、最深5メートル浸水するだろうと想定される地域です。
二葉町としては、市指定の津波避難ビル(下知コミュニティ・センター)以外に、10か所の自主防災会指定の「津波一時退避施設」として10か所の民間賃貸マンションと民間住宅屋上を設置しています。退避可能な人数と、町内の危険個所の明示、町内ごとの課題を提出しました。
自主防災会指定の「津波一時退避施設」はあと4か所の依頼をビル持ち主と交渉しないといけないですね。1か所は市指定の「津波避難ビル」に依頼する予定です。
今回のワークショップには、高知市地域防災推進課の職員と契約コンサルタント会社社員他、住民側として二葉町、若松町、中宝永町、南宝永町、東雲町、知寄町、稲荷町、マンション自主防災会などが出席、地域の地図を囲んで議論をしていました。前回欠席されていた日ノ出町や弥生町の人達も来られていたようです。
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3月2日開催予定のおびさんマルシェ。悪天候のために延期され、3月9日の開催となりました。土佐のお客とフリーマーケットもあり、「違和感」のある「集客」イベントとの隣接での開催となりました。
手作りのオリジナル製品の販売のおびさんマルシェとフリマは全く開催主旨が異なるものです。土佐のお客では昼間からお酒飲んで酔っている人がいました。人は珍しく高知市中心街には繰り出していましたが、「混在」しているだけでしたね。
日曜市の人出もありましたので、久しぶりにたくさんの人を目撃しました。
おびさんマルシェは、「ラララ音楽祭」と並ぶ高知の「良質な」イベントです。しっかりと育てて行く必要があるのではないかと真底思いました。
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昨日は父のリハビリで夜須町の土佐CCに。今日は夜須の海へ来ました。昨日は西高東低の冬型でどん吹きでしたが、今日は移動性高気圧に覆われて温厚なお天気の様子。臆病者のシニアヨットクラブは帆走することにしました。
しかし天気図は完全に高気圧の等圧線が横伸び状態になってはいません。「冬型くずれ」です。昨日(14日)ほどの強風ではありませんので、ぎ装しました。
今日はジュニア・ヨットクラブの練習日。若い人たちが海で帆走して躍動する姿を見見るのはシニアとしてはとても嬉しいことですね。
午前中はジュニア・ヨットクラブが先に出艇しています。井土コーチが、水陸両用の救命艇にて斜路から海へ乗りだしています。バッタのような動きです。
風があまりないかと思いきや案外の強風。それで海上の写真はほとんどありません。操船がせわしい。今日は波がないので気合を入れてセーリングをするつもりでしたが、風の方向が定まりません。
背中から吹いていたと思いきや、突然反対側から吹いたり。風が「回る」状態に。実にセーリングが難しい。
お昼を挟んでセーリングしましたが状態は同じでした。地元のゴルフ愛好者の方に会いました。「横峰さくらちゃんは調子が今一つやね。」とか。
片づけてヤッシー・パークの前を通過しますと、土佐CCからのシャトルバスが並んでいました。県外からも多くの観戦者が来ていたようでした。
夜須の海で今日はエネルギーをたっぷりいただきました
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3月9日に、高知市内中心部にある献血センターの「ハートピアやまもも」へ行きました。
さすがに日曜日でもあり混んでいました。読書をするつもりでしたので、待たされることは苦痛ではありませんでした。
400ML献血でしたが、10分足らずで終わりました。次回は6月で、今年も3回しかできません。次回で90回目の献血とか。
受付の人が「60歳以上の献血者で「50回以上献血された人には記念品を贈ります。」と言われました。とりたててほしいとは思いませんが。
一応100回を目標にしています。今年は後健康であれば2回しかできません。それで91回。年3回としてあと3年間はかかりますね。献血は69歳までなので、健康を維持して規定どうりなら115回程度が私の場合は限度ですね。
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父(94歳)の大好きな女子プロゴルフの観戦。土佐CCへ連れて行きます。ゴルフのだいご味は、ゴルフをまったくしない私にはわかりませんが、華やかな服装の女子選手を見るだけでも楽しい。家内に弁当をこしらえていただきました。父は慢性腎不全なので普通食がダメですから。減タンパク食なのです。
父はインフルエンザが完治したばかりの「病み上がり」です。急遽昨日車椅子を借りてきました。バスから降りて最初の難関がきつい登り坂があるからです。昨日主治医の植田先生に診察していただきました。「消炎反応も治まっています。驚異の回復力ですね。」と言われました。大好きなゴルフが父の「生きる糧」なんですね。
今日は昨日の雨が上がり、西高東低の冬型。晴れると午前10時過ぎから冷たい北西風が予見されました。父には真冬並みに着ぶくれさせ、ネックウォーマーと化繊の帽子をかぶせました。
無事に明るく帰ることを目標です。お天気になりましたが、寒いと思います。防寒対策も完璧にしていくようにします。さて出発が8時半近くになりましたので、渋滞には会うはで時間がかかります。今年から女性は無料になりましたので、ヤッシーの駐車場へ置けるかどうか。車椅子と荷物を担いで送迎バスへ乗り込めるのか。
バスから降りて会場までの急な登り坂を私が車椅子をついて上がれるのか。いろいろと不安要素がありました。仕事するより大変です。父のリハビリと生きがいと思えばこそ、4年前から観戦に行っておりますので。
結果的には車椅子は「大正解でした。」まずバスを降りての急な坂道は私が父の乗る車椅子を押して上がりました。上へあがると平らになっていましたので、移動は楽でした。
丁度到着しますと、父がファンになっている横峰さくら選手が1番ホールでティショットを打つ場面でした。それはなんとか見れました。それから舗装されている道を通り8番ホールの見学に。結構登り坂がありますね。わたしのほうが息切れしました。
それから7番ホールでパットしているのを見ましたが、今日は西高東低の気圧配置で冷たい風が吹くので観戦も辛いもの。父もわたしも完全防寒の冬仕様でしたので、なんとかなりました。
戻って来て9番ホールのパットを見ていますとお昼前になりました。ギャラリープラザへ移動し、家内がこしらえてくれた弁当を食べました。お茶とスイーツを購入しました。
今回コンパクトな車椅子を、レンタルしました。折りたためばバスの中へも簡単に持ち込めました。輪が小さい。ベビーカーの大人版という感じでした。それでも登り坂、下り坂でも使用できました。
父も上機嫌で観戦しました。「今日は楽だった。ありがとう。」と言われました。よほど嬉しかったんでしょう。3月3日にA型インフルエンザと植田先生に診断された時は、今年の観戦は無理かなと思いました。治療が早かったので特効薬が効きました。消炎反応も1週間で効きました。昨日の植田先生の診察でもOKをもらいました。
「奇跡に近い回復力ですね。やはり人生好きなことがある。目的があることはいいことですね。」と感心されていましたから。父は「来年も行きたい。」と言っておりました。
1時過ぎに会場を後にしました。父の短期間の回復も「お雛様」の御利益のお蔭でしょう。お礼にヤッシー 道の駅やすのギャラリーに立ち寄らせていただきました。
帰りは夜須―野市間の高速に乗りました。信号がないから早いですが、車が多いので、55号線を走行している時と時間短縮にはならないですね。
無事に行って帰れて良かったです。わたしは正直疲れました。もっと体を鍛えないといけないと思い知りました。ゴルフ大会の様子は撮影禁止なので画像はありません。
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2014年3月11日は3年前に東日本大震災が起きた日です。四国のNHK各局は四国ネットで、それぞれの県の支局がそれぞれの地域の取り組みを取材し、放映しておりました。
高知県枠は高知市二葉町の取り組みが紹介されました。南海トラフ巨大地震が起きれば、全地域が海抜9メートルの二葉町は水没します。しかも高台が地域にありません。どう地域で「生きのびるのか」をロケでは話をしました。
ご近所の少し傷害のある女性と二葉町自主防災会が持ち主と交渉して、「津波一時退避所」としてお願いしてあるビルの屋上まで昇降しました。
その後は下知コミュニティ・センター屋上からの中継です。山本記者が状況説明をされていました。
地元下知地域の中宝永町の黒岩時計眼鏡店の店主であり中宝永町自主防災会をこしらえた黒岩博さん提案の「度の調整できるメガネ」が紹介されました。
若松町の米穀店経営の横田政道さんは、若松町自主防災会会長でもあります。考案された脱酸素剤入りの白米2㎏の紹介もありました。
ようやく私の登場に。出番は僅かに20秒。どういう取り組みをされますかと山本さんに聞かれました。
「地震後は町内のもよりの津波一時退避場所のビルに避難します。状況が落ち着けば地域の拠点施設である下知コミュニティ・センターへ来ていただきます。
避難所開設訓練や、宿泊避難訓練も今年は実施ていく予定です。」と言いました。
中継終了後、隣の田村内科整形外科駐車場に駐車している中継車と山本記者と一緒に写真撮影していただきました。
しかし僅か2分間の現場中継のために来られていたNHKの人は10人。午後2時から来られていたそうです。私は両親の通院の付添が終わってから呼び出され現場でリハーサルを2回しました。報道関係は秒刻みで構成されるので大変であると改めて思いました。
お笑いは、中継だから良いほうのコートとセーターを着て行きなさいと言われましたが、写ったのは20秒。その以前に1週前にロケした姿がほとんど写っていました。
良い社会勉強になりました。
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近くの市民図書館で「社会を変えるには」(小熊英二・著・講談社現代新書)を読みました。フェイスブックでお知り合いになった早川義輝さんの推薦図書でした。
著者の小熊英二氏は、1962年生まれ。1987年東京大学農学部を卒業され、出版社勤務を経て現在は慶応大学総合政策学部教授です。私より9歳年下ですが、やはり」豊富な知識と教養が、日本の社会運動を類型化し、分析し「解剖」していくことは或る意味、運動の当事者でないから出来るのではと思いました。
「日本の社会運動には、3つの特色があったと考えられます。
1つは、強烈な平和志向です。たいていの国で強い平和主義は、世界秩序の安定を乱す戦争はいけないが抑止力は必要だという戦略的平和主義や、侵略戦争は批判するが「革命戦争」や「独立戦争」は肯定する思想的平和主義に属します。すべての戦争を否定する絶対的平和主義が、戦後日本ほど勢力を持った国はありません。
言うまでもなく、これは第二次世界大戦の悲惨な経験からきています。憲法のほかの条項は知らないけれど第9条だけは知っている。逆に言うと第9条以外は良く知らない、という人は少なくありません。
2つめは、マルクス主義の影響が強かったことです。同じマルクス主義といっても、労働者政党が議席を獲得して福祉社会をめざすという社会民主主義ではなく、少数精鋭の前衛党を組織して革命で政権をとるというレーニン主義の影響が強いものがありました。
これは、1950年代ぐらいまでの日本が開発独裁型の発展途上国に近かったことの影響です。前衛党というのは、大衆の教育程度が低く、政治や言論の自由が少ない社会に適しているからです。
3つ目は、倫理主義の強さです。」(P88[戦後日本の社会運動」)
なるほど「前衛党というのは、大衆の教育程度が低く、政治や言論の自由が少ない社会に適している。」というのは間違いないですね。日本共産党や旧社会党の社会主義協会や新左翼各セクト諸派もレーニン主義の影響を強く受けていたので、市民を「上から目線」で見下ろす、「指導」が行われていました。時代錯誤もはなはだしいうことですね。
「全共闘運動が盛り上がっていた時期は、お祭り的な感じもあり。楽しいものでした。倫理主義の傾向や「自己否定」の言葉も現れていましたが、初期にはそれほど問題はなかったようです。
弊害が目立ってきたのは運動の後退期でした。どこの大学の全共闘運動も、半年もたつと行き詰まります。そこで大学当局と具体的に話し合って、場合によっては妥協をするようなことをやらず、闘う意思表明としてバリケードに立てこもる、ということが多くありました。セクトもそうした「革命的」な方針に誘導します。
そうなると展望がないので、人の集まりも悪くなります。69年の後半になるち、警察の弾圧も厳しくなり、デモに参加すると逮捕されかねない。人の集まるが悪くなると、路線争いや内ゲバも激しくなりました。
そうなったところで、ほんとうに運動に加わるのか、覚悟が問われるようになります。そうなると「お前はデモに来ないのか」「バリケードから去るのか」という問い詰めが横行するようになりました。
逮捕覚悟で参加しないものは裏切り者だ、自己批判せよ。とまで言わないまでも、それに近い雰囲気もあったようです。それが疎まれて参加する人が減ると、残った人のあいだで、ますます倫理主義が強まると言う悪循環が生まれます。(中略)
最初の楽しさは薄れて分裂や内ゲバが横行し、倫理で頑張るしかない一種のがまん大会のようになったきました。そうなると、がまんして学生の間だけ活動し、就職が決まったら、きっぱり忘れよう、という人がよけいに多くなります。
それがまた、残った人の倫理主義を強めて、ますます雰囲気が重くなりました。どんどん少数派になると、経済成長に酔いしれる多数派を覚醒させるには武力闘争しかない、というグループもでてきます。そうなるとついていけない人が多くなり、グループによってはブレーキがきかなくなって、少数派の過激な運動と言う性格が強まっていきました。」(P149[)
私が中学3年あたり(1968年)から社会運動に目覚め、高校入学(1969年)から高校生時代は、社会運動の後退期で、きゅきょくは972年ンも連合赤軍事件でしたから。その年高校を卒業できなくなり、留年しました。大学へ入学した(1973年)は、内ゲバが横行した凄惨なじだいであり、栄光はなく敗北と後退の負の歴史でしかありません。
だいたい自分の浅薄な田舎の小さな社会運動と学生運動の体験から理解できるのはこのあたりまででした。小熊氏は、「そもそも国とはなにか」「そもそもなぜ国に従う必要があるのか」という根本的な国家論を記述をし始め、プラトン、デカルト、ニュートン、ボップス、ロック、ルソー、アダムスミス、まで論じていきます。
このあたりは「教養」のない私は讀むのも辛い個所ですが、我慢して読みましたが、あまり理解はできなかったと思います。筆者は最終章で、一定の結論を出しています。
「「自分をないがしろにされている。」という感覚を足場に動きをおこす。そこから対話と参加を促し、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくことです。」(P440「社会をかえるには」)
小熊英二氏はさすがに頭の良い人であるなとは思います。ただ1つ私と共通していた思いがあり共感しました。「おもしろおかしく運動はやらないといけないし、続かないし、成果が上がらない。」と言う感覚の持ち主であることでした。
皆が集まって「鍋」を囲んで楽しく食事会をするような感覚です。
「幹事のやるべきことは、決定を押し付けることではなく、会場を設定することです。(中略)
デフレ不況の現代日本でも、鍋は強い人気があります。お金がかからず、参加するのが楽しいからです。どんなに安くて品物が提供されても、参加して一緒に作ることを、人間は手放したがりません。
参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる[政]が、民主主義の原点です。自分たちが自分個人を超えたものを「代表」していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとします。」(P498)
わたしなりの結論は、「みなそれぞれが楽しく集える場をこしらえ、議論をし、相手を尊重し、問題点を見える化して、解決して地域力、住民力を高めていこう」ということになります。
個人のテーマであった「連合赤軍と新自主主義の総括」については、頭の良い小熊英二氏を活用してほぼできたのかなと思いました。
今のわたしの最大のテーマは「南海トラフ巨大地震から高知市下知地域で生きのびtるために」です。「生きのびる」という意味は、命を長らえると言うことだけではなく、自分の家族、会社、値域社会を地震から守ることです。簡単なことではありません。
もし低地の下知地域を10メートルかさ上げし、耐震地盤をこしらえ、立体換地をして耐震高層住宅を建設し、商業施設や公共施設、企業や商店、病院や介護所、保育所などをこしらえ、地震に強いまちづくりを実行することができたら、どれほど皆が幸せになることができることか。地震や津波に苛まれない強いまつづくりが可能になります。
それを本気に実行することをやってみたいと真底思います。
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高知県南国市の津波避難タワー。どうやら完成したようです。高知空港近くの下島や久紀地域のようです。早くも田植えの準備をしている水田の隣に津波避難タワーは建設されています。空港近くですので、高い建物は建設することができません。高さの上限でしょう。
県の想定では、地震発生後津波は20分から30分後に到達、最大浸水深さは5メートルから10メートルと予測されています。
空港近くの県道春野ー赤岡線の両側に各集落に1つという具合に津波避難タワーが建設されているようです。この規模ですと2億円ぐらいの建設費用であるとか。南国市は14基建設中です。高知県下の沿岸部では110基の津波避難タワーが建設される予定です。
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未曾有の被害を出した東日本大震災から3年が経過しました。今なお10万人を超える罹災者の人たちが避難生活を強いられています。南海トラフ巨大地震が「カウントダウン」になっている四国の高知市。海抜0メートルの海に隣接して居住する地域住民としては他人事ではありません。
テレビや新聞は「東日本大震災特集」をやっています。しかしわが身に振り返りますと、遅々として「事前対策」は進行していません。震災後なにかと報道されました高知市二葉町。3月11日の夕方18時10分過ぎのローカル・ニュース枠で少しだけ取り上げられるそうです。取材もされましたのですが、画面に出るかどうかは不明です。
昨年11月から二葉町では7年ぶりに、全世帯を対象とした「防災世帯調査」を実施しました。二葉町内の16の班の防災リーダーの人たちが、割り当て地区の世帯を戸別訪問し、防災世帯調査表を手渡し、約2か月半かかって回収いただきました。
地域の高齢化が一段と進展しています。世帯数や人口も減少していました。単純に65歳以上を高齢者とするならば、なんと調査回答いただいた人数の半数近くが65歳以上となっているのが高知市二葉町です。ただ新たな情報としましては、町内に複数の看護士さんや医師がおられたこと。元建設技師もおられました。防災倉庫以外に活用できそうな防災用品を所有されている人も複数おられました。
二葉町自主防災会では、防災世帯調査表を分析中です。町内の危険個所のチェックと、7年前に自主防災会が設定した独自の「津波一時退避場所」のビルの収容人数の再調査しました。2階建て以下の木造住宅を地図に表記し、80歳以上の高齢者や要支援者を表記しています。そのデータを解析しています。
高齢者がすぐに自宅から、もよりの津波一時退避場所であるビルに駆け上がることが出来るのか?原則5分以内にです。再調査の結果あと5か所は二葉町内に津波避難ビルが必要であることが判明いたしました。今後所有者や住民に「津波避難ビル設定のお願い」に行かなくてはなりません。
4月に防災リーダー会を開催し、各班ごとに昨年購入した携帯無線機を配布し、班ごとの事前避難訓練を実施し、下知コミュニティ・センターに二葉町災害対策本部を設置し、安否確認の交信をする訓練もしないといけないですね。
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3月3日にA型インフルエンザを発症した父(94歳)ですが、1週間後の3月10日に、主治医の植田一穂先生に診察いただきました。レントゲン検査もしました。
「気管支炎や肺炎にもなっていません。クレアチリン値も平常値(父にすれば小康状態の数値)に戻りました。運動も散歩もいいですよ。とのことでした。
早期の発見と植田先生の処置が良かったからですね。
同時期に親戚の知り合いの人は、高熱が出て具合が悪いのに、用事をしていて医院へ行くのが遅くなり、インフルエンザの初動対応が出来ず、救急車で救急病院へ行かれたとか。しばらく入院しているとの事。高齢者ほど早期発見、早期治療が必要であることを思い知りました。
炎症反応が収まる確認ができれば、週末の父が楽しみにしている女子プロゴルフ(プロギア)にも行けそうですね。
父(94歳)は、今朝の植田先生の診断で、インフルエンザの完治を確認しました。お許しが出ましたので、午後からのジョイリハ(介護予防通所リハビリ施設)へ行けることになりました。良かったです。
母(88歳)は、いつものように「腰が痛い。しんどいので行きたくない。」とごねますが、「動かさんとうごけんなるぜ。」と説得し、寒い中両親揃って送迎車に乗り込み、行きました。
1週間ぶりに平常な生活が戻り一段落しました。今日は支払日と集金日なので、結構せわしいです。WEBの変更事項もサーバー管理会社と連絡を取り合っています。
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3月9日の日曜日に母を美容室に送った後は、献血するために高知市中心街へ歩いて行きました。そしたら、はりまや橋商店街では、アーケード下に」テーブル席と座敷をこしらえ「宴会する」段取りがされていました。夕方から飲食販売をするようです。
中央公園ではなにやらイベントが。気持ちの悪いとしか言いようのないカツオ人間とかいう不気味なキャラも壇上に上がっている。真昼間からお酒を飲んでいる人たちがいました。
歩いて行きましたが、お酒を飲むなんて言う気持ちには全く慣れず、違和感だけを感じました。今年で9年目だそうですが、私個人では全くなじめないイベントですね。
だいたい「お酒を飲む」行為は日常生活ではごくわずかな出来事。それを必要以上に拡大して「これこそ高知だ」「酒国土佐」と宣伝するほうがおかしい。わたしは土佐人ですが、お酒は得意ではない。お茶とお菓子のほうが体に負担にならないのでいのですが。
高知には良い品質のお茶も生産されている。高知は農業県。良質な有機無農薬の野菜や果物も生産されています。それをを加工したお菓子などを味わってみたい。そうであればお酒の飲めない子供たちや、車の運転手も食べて楽しめます。それが「おきゃく」にどうして取り込まれないのか?排除されるのは何故なのか?
酒販の販売は年々低下しているはず。お酒を飲まない、飲めない人を「排除する」ようなイベントではないか。見ていると「身内」で盛り上がっていて「排他性」を感じるのは私だけでしょうかね。お酒は「薬物」であり。飲酒を奨励するイベントは「いかがなものか」と私は思う。酒害で苦しんでいる人たちや家族は高知は多数いるのですから。
あくまで飲食や飲酒はお店の中で盛り上がればいいのです。街頭や公園まで繰り出して「お客」を騒々しく行う意味は今にしても全く理解できませんね。
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国民の関心ごとは、「4月の消費税値上げで景気はどうなるのか?」であり、安倍内閣が熱心にやろうとしている「集団的自衛権の行使を前提とした憲法解釈変更」などにはほとんど関心がありません。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140304/k10015712321000.html
「集団的自衛権」と言うのは、現在ロシアがウクライナにしようとしている行為であり、一種の「侵略戦争」のことでしょう。なぜこの時期に日本がそんなことをしなければいけないのか。全くわかりません。
この内閣は何故ことごとく「民意」と異なることを強引にやろうとするのか。極めつけは「特定機密法案」。次に「沖縄県知事の翻意を促し辺野古沖合の埋め立て申請」「集団的自衛権」問題。
近隣国の韓国や中国との政府間交流は途絶え、互いに罵り合っているようです。経済的な問題から言えば対立は損失が大きいです。
野党がだらしがないから、「軽薄なファシスト政権」がのさばっているのですから。
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西高東低の天気ですが、等圧線が緩んでいる。これなら乗れそうだと判断しました。
先週の3月1日は悪天候で。セーリングを断念していました。ところが休み明けの3日(月曜日)に、父(94歳)がA型インフルエンザを発症。月曜朝は主治医の植田医院へ行くので、適切な処置で安心できる状態になりました。それで今日は夜須の海へ行くことに。
途中南国市で完成したばかりの津波避難タワーを撮影。大きいですね。総工費は窓もトイレも何もないようですが2億円とか。隣では早くも水を引き込み田植えの準備のようですね。南国市は超早場米の産地です。
先週と変わって、夜須のハーバーは最高のお天気。でも寒い。氷が張っていました。南国高知の香南市も今日は寒いです。
ぎ装してドライスーツを着用。今日はアンダータイツを2枚重ね着。シャツも化繊の長そでを2枚重ね着し、ネック。ウォーマーろと化繊の帽子を着用しました。
以前手結の漁師さんはこう言われました。「夜須の海は1年で3月が1番寒いゼよ。物部川から雪解けの水が入り込んでくるきに。こけられんぞ。海へ入ったら死ぬばあ冷やいぜよ。」と。ヨットの出艇・着艇時には海へはいらんといかんのですが、漁師さんの言われるように死ぬばあ冷かったです。
思いのほか風が強く、波が変なうねりになりローリングするので、ヤッシー・パーク内のの海面に緊急退避.そちらでセーリングの練習をしておりました。結構な運動量でした。
ヤッシー・パーク道の駅やすに上陸。ドライスーツ姿とうちの雛人形のツーショットを女性スタッフの方に撮影していただきました。31日までホールにあります。
一度お昼に上がり、訪でおむすびと卵焼きを購入し食べました。午後もセーリングしました。
漁師さんの予言どうり今日の夜須の海は寒いこと。ジュニア・ヨットクラブは学期末試験のようですね。高知大学ヨット部が5艇と、私と押岡さんが海へ出ました。わたしはマイペーズのセーリングでしたが。満足度100%でした。
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タモリさんの「笑っていいとも」という番組が終わるというので、話題なってますね。あまり見なかったからさほど関心はないですね。むしろ最近はNHKの江戸文化探訪のようなまち歩き番組に出ていてそちらが面白い。
むしろ気になるのは、好きでも嫌いでもないタレントの和田アキ子さんの「息の長さ」にはある意味感心しますね。時折見る「アッコにおまかせ」という番組も1985年スタートだというので来年で30年の長寿番組。
確かこの人はわたしが学生時代の1973年頃も「うわさのチャンネル」とかでです撮り魯イヤーなどと絡んでいましたね。芸能界でこれほど長く生き残れるのは才能があるんですね。
紅白にもずっと出場してますし、自分が仕切る帯番組を維持していることは凄いことですね。あの「ものもんた」さんでも失墜しましたから。いつまで続くのか・・。
でもローリング・ストーズの皆さん方は結成50周年で70歳で現役ですからね。上には上がいるものですね。感心しました。
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「散歩に行ってえいろうか?」「ゴルフの打ち放し練習はせられんのやろうか?」「お酒を飲んでかまんろうか」とすっかり父(94歳)は、元気になりました。
3月3日(月)にA型インフルエンザが発覚。その朝植田医院へ行き、適切な治療の効果ですぐに熱は下がり、火曜日からは起き上がり「元気になった。」と父は言い続けていました。しかし主治医の植田一穂先生の診察はさに非ずでした。3日と5日の血液検査と診察をされてこう言われました。
「血液検査の結果は、予想以上に消炎反応(消炎反応検査)の結果は、思いのほか高い悪い数字がでています。それがあるうちは症状が改善していません。」
「3日分の抗生物質(ジスロマック)を出します。安静と休養が必要です。屋内での体操程度は良いですが、屋外の散歩やゴルフの打ち放し練習は駄目ですね。お酒も服薬中は飲んではいけません。」と期待していた父には厳しい診断でした。
インフルエンザに罹患した80歳以上の高齢者は亡くなると言う厳正な医療データがあるようですので。やはりここは慎重に植田先生の言いつけを守るしかありませせん。
また月曜日に通院し判定していただきます。急性期や緊急状態は回避しましたので、父は元気なつもりですが、「そうはいかない」のです。
待合室で時折会う高齢の女性(85歳)に話しかけられました。
「いつもお父さんを連れて来られていますね。なかなか男の人で親の面倒を見られる人はおりませんよ。お宅のお母さんの教育が良かったんですね。」と言われました。
褒められた母(88歳)ですが、今日は「土佐のおきゃく」とやらではりまや橋商店街での活き活き100歳体操(介護予防体操)はありません。それで家にいて余計なことばかりするらしく、さきほども家内に怒られていました。
今日の高知市は思わぬ戻り寒波で寒いので、超高齢者は自宅で養生しないといけないです。
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3月5日は、フル代表の日本代表の試合を男女それぞれTVで見ました。
「日本VSニュージーランド戦を観戦」
6月のW杯前の国内最後の練習試合である日本VSニュージーランド戦。国立競技場最後の試合と言うこともあり、、満員でした。
今日の試合は、ボランチの長谷部ー遠藤が怪我と体調不良で、山口―青山に。DFは、今野に代わり森重。内田に代わり酒井が出ていました。
所属クラブでは出番の少ない香川と本田が躍動。スパーリング相手としては、ちょうどなのかもしれない。前半4分に抜け出した岡崎が先制、その後も香川がドリブル突破で倒されてPK.ゴール前のクロスを森重がヘッドでゴール。岡崎が2点目を放り込み4-0.
楽勝と思われたが、ニュー人ランドが身体能力を活かした強引な突破から1点を返し前半が終わりました。
後半は、選手が交代、岡崎、香川、青山ー山口が下がり、遠藤、清武、酒井高徳、斎藤が入り、大迫と豊田が交代しましたが、活性化しないまま、もう1点ニュージーランドにとられました。試合は4-2でしたが、後半はボロボロの日本でした。
評論家のセルジオ越後さんは「なんら得られるものがない試合」と酷評されていました。
NZ戦にセルジオ越後氏「批判されて当然の試合。サッカーの聖地の名が泣くよ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140305-00172904-soccerk-socc
「なでしこさん大健闘アメリカに追いつき引き分け」
男子の日本代表の壮行試合の日本VSニュージーランド戦は、試合になっていたのは前半30分だけ。後は疲労の見えた海外組の情けない姿を見る羽目に。同日W杯で同一リーグのコートジボアールやギリシャやコロンビアがシビアな対戦をしているのになんとも間の抜けた試合でした。
それに引き替え後で中継がありましたなでしこさん達の日本VSアメリカ戦は真剣勝負で面白かったです。アメリカはロンドン五輪の優勝時のメンバーは3人しか先発していない。しかし皆球際の寄せが早く、よく走りボールキープ力があり、なでしこを押し込んでいる。
一方なでしこは現在のベストメンバー。GKは187cmの山根選手。サイドバックが鮫島さんが負傷で別の選手。有吉か。澤、大野、川澄、宮間、岩清水、熊谷、近賀、大儀見、坂口というドイツW杯とロンドン五輪メンバーが主体ですね。
サブのメンバーも高瀬や岩淵、宇津木、上尾野辺などなじみの選手ばかり。ヤング・なでしこからの昇格組はないのが気になりますね。
アメリカに押し込まれた展開が続きます。後半14分。DF熊谷のバックパスを前線へ送ろうとしたGK山根に米国のFWのルルーが猛然とチャージ。跳ね返ったボールが日本ゴールへ入り米国先制。その後も押し込まれる苦しい展開に。
大野が前線で抜け出しますが、ことごとくオフサイドの判定。敗色濃厚かと思われましたが、後半37分にアメリカゴール前からのフリーキック。30Mの距離がありましたが宮間が無回転シュートを決めて同点に。
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月曜日(3月3日)にA型インフルエンザと診断された父。診察していただいた植田医院にて当日、肺炎を起こさないための特効薬と抗生物質の投与をしていただきました、植田先生は順調なら48時間で熱は下がりますと言われました。
そして48時間後の3月5日です。熱を測りますと、37・9度から36・3度になりました。見事に効果がありました。食欲もあります。
植田先生は「年齢から言えば驚異的な回復力ですね。80歳以上の高齢者は3分の1がインフルエンザになれば亡くなっていますので。食欲もあるのでまもなく回復されるでしょう。」と言われました。
それで点滴は抗生物質の点滴はしませんでした。通常の点滴のみ。元気になると父は退屈そうにしています。今週一杯は養生期間ですね。きちんと養生しませんと来週3月14日に観戦を予定している女子プロゴルフへは行けなくなりますから。
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今日は実質3月のスタート日。週初めです。
朝体調が悪いと渋る父を起こし、朝食を食べらし、主治医の植田医院へ連れて行きました。診察前にバイタル・チェックをしますと体温が37・9度もありました。
早速植田先生の指示で、インフルエンザの検査。初めて見ましたが鼻の穴に綿棒のようなものを挿入し、鼻汁を採取しすぐに検査。父はA型のインフルエンザでした。
看護士さんの指導で、吸入式の特効薬を処方しました。肺炎防止のためのもの。肺炎球菌予防ワクチンは処方していますが、なんせ父は超高齢者(94歳)ですから。予防接種はしておりますが、治療と休養が第1です。
父を連れて戻って来ますと、NHK高知放送局の撮影クルーの人たちが来られていました。なんでも「3・11から3周年企画」で、四国四県のNHK各放送局がそれぞれの取り組みの紹介をするそうです。高知は高知市二葉町が取り上げられるとか。
寒空の中堀川岸壁を何度も歩いたり、インタビューされたりしました。二葉町住民代表の方への取材へも同行しました。南海トラフ巨大地震が起きれば「絶望的な」市街地の高知市二葉町ですので、取材協力は可能な限りしています。地域からの情報発信が大事ですから。
3月11日夕方18時過ぎのNHKローカルニュース枠で放映されるようです。
しかし今日の寒いこと。父のインフルエンザがうつるかもしれないですね。少数精鋭で事務所はやっているので、病気になるんぞできませんから。
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緊急時・災害時に、老眼などを取り忘れ、あわてることがあります。たとえば大災害があって、避難所へ駆け込んだ。被災者名簿に記入するとき眼鏡がないと不自由でありますね。
黒岩彰さんは専門家の立場から「度の調整するメガネ」をもしもの時用に提唱されています。近眼、老眼ともに使用できるそうです。
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今日は県立高校の卒業式ですね。昨日の事のようです。
42年前は卒業できなくて留年。1単位足りませんでした。15日の追卒業もさせてくれませんでした。高校側はしきりに自主退学を薦めました。
そして春休みに何の連絡もなく、4月になって登校日に行くと教師たちは「お前何しに来た!」という反応。制服も体操服も教科書も変わっていました。教科書だけは購入しましたが、連絡しない教師が悪いので、制服は前年仕様で通しました。
大学と異なり当時の高校は落とした単位だけ再履修ではなく、全教科再履修しないといけなかったんですね。全部やり直し。おかげで良い勉強になりました。教師は「お前は絶対に卒業できない」と言いましたが、1年間通いなんとか単位を取得し卒業できました。そして大学へも進学できました。両親のお蔭です。いまや両親は超高齢者となりました。
41年前の卒業式はけったくそ悪くて行きたくありませんでした。中学校の恩師に相談すると、ご主人が「卒業式は出ろよ」と言われ、高校まで送ってくれました。いやいや卒業式に出た記憶があります。
以後けったくそわるいので高校の同窓会や校友会の会合は出たことがありません。その場で当時対立していた教師に会えば普通の精神状態でおられませんから。
時が経過し、うちの2人の子供たちも県立高校へ進学しました。そこへ私の高校時代に対立していた教師たちが着任しなかったので平穏な父兄でおられました。幸いでした。
あっという間に41年経過しました。つい昨日の事です。南海トラフ巨大地震は今後30年以内に80%の確率で起こるそうです。明日起きますね。さてその時生きのびることが出来るのでしょうか?
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今回は昭和29年組の還暦祝いの懇親会。昨年は「対象者」でしたから。今年は「お祝い」にいくことにしました。対象者が23人でうち18人が参加するというので、なかなか大掛かりすね。わたしが28年ですから昨年お祝いをしていただきました。
JC(青年会議所)を「卒業」(40歳が定年)して、はや21年目。はやいものです。白髪のお爺さんになってしまいました。私は(昭和28年組)ですから昨年お祝いをしていただきました。今日は「お礼参りに」来たのです。久しぶりに顔を合わせる知人もおります。
普段は「300M四方の二葉町」から出ない私です。繁華街の空気も1年に1度は吸いに行きます。
ところが目の前に、国際人であり、新極真会NO3の三好一男さんがいるではありませんか!。わたしは、300M四方の二葉町から出られない身の上。三好一男さんは国際人。いつも外国におられます。
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