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2014.03.22

「新階級社会」の日本について

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 週刊現代3月29日号には面白いレポート記事が掲載されています。見出しだけつづると、その内容の大半は理解できると思われます。

「ニッポンは「新・階級社会」になった!」「ますます富めるエリートとほどほどの生活に満足感を覚えるヤンキー。決して超えることのできない「価値観の差」がこの国を分断しつつある。」

 かつては「1億総中流社会」と言われた日本社会。それがここへきての英米を真似した「新自由主義政策」により、急激な格差社会が形成されてきています。

 「ワーキングプア」という言葉が流行したのも第1次安倍内閣の2007年頃でした。ワーキング・プアが固定化し、進学もままならず、その子供たちも低収入で働くざるを得ないという現実が固定化しますと、日本社会も週刊現代の言うところの「階級社会」になってくるようになります。そうなると社会の「融和」がとてむ難しくなりますね。
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「高卒ヤンキーの幸せと海外移住するエリートの不孝」「生活に不満なのはどっちだ。年収1500万円の都会の共働き夫婦と年収300万円の田舎の子だくさん夫婦」「「急増するマイルドヤンキーー合言葉は 地元超サイコ―!」

 「いつも不安なエリートたち わたしの人生、幸せなんだろうか」「足るを知る幸せもある」

日本では高給取りの40前の夫婦。税金の安いシンガポールへ移住したとか。世界中の金持ちが集まるので、上には上がいることを思い知ることに。でも今更日本へは帰れないとかいうお話。
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 一方地方では年収300万円以下で、地元の仲間たちと家族ぐるみで楽しそうに交流している「マイルドヤンキー」層が増殖中とか。この2つの層は絶対に交流はしないようです。生活様式にも「階級社会」が出来つつあるようです。
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 以前読んだ内田樹氏の「街場の文体論」のかかでも、欧州の伝統的な階級社会を「エクスチュール」という用語で説明されていました。

「日本人のエクスチュールは「おばさん」と「やくざ」と「やんきい」というようなしかたで水平r的に多様化しています。でも、ヨーロッパではそうではない。上下に階層化している。上層のエクリチュール、中間層のエクリチュール、下層のエクリチュールというふうにはっきり区分されている。」

「どういうふうに違うかというと、上層のほうがエクリチュールが「ゆるい」んです。標準化圧力が弱い。ヨーロッパでは上層へ行けバイクほど階層的な縛りから自由になれる。「上の人」は、何を着てもいい、どんな言葉づかいをいしてもいい、どんなところで、どんなふるまいをしてもいい。

 節度のあるふるまいをすれば「気取らない人だ」と言われ、誇示的な消費をしたり、醜聞を撒き散らせば「さすが奔放だ」といわれる。何をしてもつきづきしい。」

「逆に下層にいくほどそういう自由は失われる。階層的な締め付けが厳しくなり、自由度はどんどん少なくなる。話し方も表情も身体運用も価値観も美意識も「ロック」されてしまう。

 それ以外のふるまいができないようにお互いを監視する。そこから逸脱するときびしい閥が与えられる。下層階級なのにクラック音楽を聴いたり、詩を読んだり、クリケット観戦とかいうことは許されない。

 ラップを聴いて、テレビを見て、サッカー観戦することを強いられる。他の誰でもなく、自分たちの属する集団から禁圧される。そして本人たちはそんなふうにお互いの自由度を制約し合っていることには気がついていない。

 自分たちの間にしか通じないジャルゴンで話し、自分たちの集団固有のファッションで身を固め、自分たちの価値観を譲らず、仲間内から「毛色の変わった固体」が出てくると、きわめて非寛容に接する。階層内のふるまいの自由は、下層へ行くほど失われる。

 つまり、階層社会というのは、単仁権力や文化資本の分配に階層的な格差があるということだけでなく、階層的にふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差があるということです。」(P127「エクリチュールと文化資本」

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-ea9c.html

 これは文化や教養が人をより差別し、格差を固定化するものとして大きな力を欧州諸国はあるなと思いました。なんとおぞましいことであると思いました。

「日本人は、教養と言う言葉にほとんど政治的な力は感じませんが、ヨーロッパでは、教養は階層再生産につよい力を発揮します。中略 学歴とか,音楽や美術についての趣味のよさとか、テーブルマナーとか、ワインの選択とかは、所得階層を示す身体かされた指標であり、文化的な格差の再生産装置なのです。」(P131)

 なんとも残酷な装置ですね。このあたりを読んだだけでもなるほどと思います。

 現在欧州で人種暴動や、移民の排斥が広範囲行われています。それは欧州各国の下層市民の共同体圧力が強く、移民文化を受け入れないのでしょう。移民の増加が自分たちの下層の共同体の危機ととらえ排斥に動いているのかもい知れません。そうなると解決は簡単ではありません。

 わたしも田舎者の「下層階級」に属する親父ですが、「境遇に卑屈にならず、面白おかしく人生を生きれば良い。」と考え行動しています。今週号の「野良犬」メディアはまあまあ面白かったです。

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