現代の「姥捨て山論」が展開されていますが・・・・
昔の日本人は、今より厳しい生活をしていました。民家園などへ行きますと、老いた親の隠居の家などがあります。そこで母屋から離れた場所で自活し、生涯を終えると言うことです。もっとシビアな現実になると、老親を背負って山奥へ出掛け、そのこ小屋に置き去りにする。
本当にあったのかどうかはわかりませんが、「口減らし」の現実はあったとは思います。
週刊現代3月22日号は「みんな悩んでいる 「老いた親」の捨て方 親を捨てるか 妻から捨てられるか 老々介護は、親も子も不孝になる大丈夫 みんあ「捨てたい」と思っている/共倒れになる前に捨てなさい」と言う記事でした。
うちなどは既に老老介護がスタートしています。わたしと家内が60歳。父(94歳)、母(88歳)ですから。まだ両親は要介護度1で、2本足直立歩行ができますからましです。でも狭くて、階段だらけの「バリヤ ありあり」住宅。「歩けなく」なれば在宅介護はできませせ。施設への入居となり今生の別れになります。お互いそうはなりたくないので。懸命に両親は「介護予防リハビリ」や努力をし、私や家内はそのサポートを施設の人達やケアマネージャーさんと一緒にしています。
定年まで懸命に働く人生で、会社がすべてで、家族や地域社会とのつながりが薄い「企業戦士」が男性勤労者の標準モデルですね。記事では離れて暮らしていた両親が介護状態になり、妻から離婚をつきつけられたとか。勤めを辞めて親の介護をしたものの貯金もななみなくなったとか。生真面目な人ほど厳しい現実があるようですね。
社会保障制度でなんとかなるかと思いきやさにあらずが現実ですね。この記事の結論は、「1人で介護を孤立した状態でするのではなく、上手にまわりの地域社会や社会制度を活用、奥さんとも日頃からよく話し合いをして軟着陸させることでしょう。それが言うは易しでなかなか難しい。
ケアマネージャーさんはこう言われました。
「今回のお父様のインフルエンザも早期発見、早期治療が出来たから、特効薬が効き、1週間で回復しました。職場が自宅と別であれとなかなかそうはいきませんね。
訪問介護の時間は1時間程度。面接して異常がなければ見逃すこともありますね。インフルエンザが手遅れで重篤になることもありますから。
お嫁さんも協力的で理想的。高知の家庭では珍しいですよ。」とも言われました。両親と同居で自宅と事務所が同じだから、ケアが行き届くし、何より家内の力の大きさを思い知りましたね。
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