大往生を読んで
「大往生を読んで」(永六輔・著・岩波新書・1994年刊)を読みました。最近永六輔氏はテレビなどで見かけませんが、80歳になっています。体調が悪いのでしょうか?
20年前の1994年の著作。当時の永六輔氏は60歳。93歳の父親を見送った後に書かれています。
「人は必ず死ぬ。死なないわけにはいかない。
それなら、人間らしい死を迎えるために、深刻ぶらずに、もっと気楽に「老い」「病い」、そして「死」を語り合おう。
本書は、全国津々浦々を旅するなかで聞いた、心にしみる庶民のホンネや寸言をちりばめつつ、自在に書きつづられた人生の知恵。死への静かなまなざしが、生の尊さを照らし出す。」(「大往生」扉表紙)
淡々と語られる「死」についての言葉。20年前の永氏と同じ年齢になり、今は元気な94歳の父と88歳の母と同居していますので、他人事と思えず読み込んでしまいますね。
高齢化社会は20年ぐらい前から言われていました。その当時の川柳がこの本には掲載されています。
「福祉より薬が生んだ長寿国」
「百薬を飲みすぎて万病で入院中」
「薬屋が医者の見立てにケチをつけ」
「待合室患者同士が診察し」
「見舞客みんな医学の解説者」
「糖尿の話ではずむクラス会」
「カロリーを説く保健婦も太りすぎ」
「人生は紙おむつから 紙おむつ」(P5)
なかなかの傑作があるものです。永六輔氏は、無名の庶民の一言を克明に記録し、紹介しています。
「人間、今が1番若いんだよ。明日より今日のほうが、若いんだから。いつだって、その人にとって今が1番若いんだよ。」
「日本の高齢化問題なんですから、日本語でやっていただきたい。」
「沖縄では孫に自分の名前をつけている家が多いですね。つまりおじいさんの生まれ変わりが孫なんですね。三代で一回りなんですが、最近は四代までが元気なもんで、ひ孫で同じ名前にしませんと。」
「朝食に何を食ったかは忘れてもいい。朝食を食べたことを忘れなければそれでいいんです。」
「寝るというのは、結構エネルギーが必要なんですよ。老人が早起きするのは、そのエネルギーがないからです。」
「これから老人が増えるから、どうこうしなければいけないって・・・・・。
老人が増えることが、いけねえことにように言う奴がいるでしょう、ああいう奴は、手前が歳をとらないとでも思っているいのかね。ねえそう思いませんか。」
20年前に既に現在の「超高齢化」社会が予見されていました。その傾向は強まることがあっても弱まることはないですね。それに対して永六輔氏は卓見を言っています。
「具体的には、厚生省(現在は厚生労働省)の福祉担当の人たちが大学を出たばかりのバリバリ。当然ながら高齢者がいない。老人問題を理屈ではわかっていても、体ではわかっていない。
福祉担当に定年後の人達を加えることはできないことなのだろうか。若いスタッフのなかに1人でもいいから、老人をおいてほしい。体で考えることのできる人がいれば、」福祉行政は必ず変わってくる。」(P16)
渋谷(あわや)のりこ、無着成恭、永六輔との対談もヘビーですね。
永「そして渋谷さんにはもう一つ。いついまでも歌い続けたいという夢があるのです。63年間歌ってらっしゃるわけでしょう。もうそろそろ引退かな、と思ったことはないですか。」
渋谷「ないです。人様から言われたこともございません。それでね、ほら、下っ端の苦しさというものを知らなかったんです。私は。」
永「そうはいっても、おうちが倒産されたり、生活のために仕方なく絵のモデルに成ったりと言うことは、苦労とは思わなかったのですか?」
渋谷「倒産する前はあまりにぜいたくだったので、直後は大変でしたよ。青森の翁呉服屋で,喧嘩1,2の大変な金持ちだったですから。」
永「とにかく、そういうふうに生きていらして、まず戦争がありますよね。そんな時でもアイシャドー、青く塗ってましたよね。日本では渋谷さんが初めて?」
渋谷「はい、何でも初めて。マニュキュアもそうです。」
永「ほんとうにおしゃれでいたして、戦争中そういうこと一切駄目っていわれたときにもやり通したんですよね。強いですね、やっぱり。」
渋谷「そうです。だって、明日が分からない兵隊さんの前で、もんべはいて、こぎたない格好して可哀想じゃないですか。送ってあげるんですから、きれいなものを見ていただきたいと思うでしょう。わたしはそれを説明してやったんです。憲兵に。」
永「憲兵でしょう。あの当時憲兵に逆らうといったら大変なことでしょう。」
渋谷「そうですよ。剣を抜いてつきつけたら「殺しなさいよ」って言ったの。「何になるの。私が死んだって、殺されたって戦争に勝てますか」って言ったの。憎たらしいわね。(笑)(P135)
高齢で派手な化粧と衣裳を付けて歌う婆さんとしか思っていませんでしたが、渋谷のりこさんのファッションとお化粧は「命がけ」のもので、筋金いりであることが分かりました。大変な人物でしたね。
永六輔氏の父忠順氏は、体が弱く病気がちであったので、徴兵されな¥ませんでした。住職になり結婚し、家庭人になってもいつも咳き込んでいたという思い出があったそうです。
亡くなる直前まで源氏物語の現代語訳をしていたそうです。「無理をしない」「静かに生きる」「借りたら返す」を信条に生きて来られた人でした。
お父さんのことを偲んで永六輔氏は詩にしています。
「生きているということは
誰かに借りをつくること。
生きていいるということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら
誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう」
そういえば昨年の文芸春秋12月号の特集は「うらやましい死にかた」でした。死生観というものを生前からある程度考え、しっかりともたないといけないと思いますね。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-3627.html
「うらやましい死にかた 選・文 五木寛之」は面白い。795通の読者投稿から五木氏が選んだ30篇が掲載されています。
「戒名は鳳凰鶴亀松竹梅」という投稿には驚きました。100歳のお祝いを気仙沼市長が100万円を持参して自宅へ来られた時に、玄関まで迎えに行かれて受け取った爺さんは初めてとか。106歳で大往生されたとのこと。僧侶も戒名料をめでたいのでいらないと言ったそうです。うらやましい人生ですね。わたしもそうありたいです。
「世話され上手」と言う投稿にもうなづきました。95歳で自宅で最期を迎えた女性。1995年の阪神大震災で罹災し、娘さんのいる東京での生活が始まったのは85歳。元気で旅付きで人生を謳歌されました。ある日肺炎で入院介護生活の始まりでした。
元気なうちからヘルパーさんとコミュニケーションを図り、元気をもらっていたようでしたとのこと。最後は自宅で家族とホームドクターに見送られ亡くなられました。世話され上手の達人のようでした。(文藝春秋2014年12月号「うらやましい死にかた」)
うちで同居している世帯の家族は、私と家内が60歳の還暦夫婦。父が94歳、母が88歳です。超高齢者と高齢者世帯です。誰がいつ死んでもおかしくはありません。
では「死ぬ」ことに覚悟があるかと言えばそれはありません。日々の生活追われて生きているからです。ときに立ち止り自分たちの「死にかた」を考えるべきではないかとこの頃思いますね。
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