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2014.04.23

「里山資本主義」を読んで

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 「里山資本主義」(藻谷浩介・NHK広島取材班・共著・角川書店・2013年刊)を読みました。このところ高知県山間部の仁淀川町や徳島県山間部の三好市井川地区への訪問が続いていましたので、より現実味のある提案事項として読みました。

 昨今は「アベノミクス」と称した日本銀行による大幅な金融緩和と資金供給がされ、一時的な株高は歓迎され、円安も輸出関連企業で歓迎されたものの、輸入する食料やエネルギー資源が高騰し、国民生活に大きな不安をもたらせています。

 また「少子高齢化」がことあるごとに問題視され、「経済を成長型に再生しなければ日本の未来はない。」と声高に語られ、近隣諸国との憎悪の反復と軍事的な緊張までもららそうとし、原発の再稼働と輸出、武器輸出と「戦争のできる国」への変質もされようとしています。なんだかおかしな世の中になりつつありますね。

藻谷浩介氏は元は日本政策投資銀行(元日本開発銀行)に勤務されていましたね。グローバル経済の話をされていたように記憶しています。10年ほど前でしたか高知市に講演に来られた時に傾聴に行きました。その時は銀行を退職され、全国各地の地方都市をくまなく訪問し(ほとんど私費で)、まちの人達と会話しているとのことでした。かなり足で稼いでいましたね。

 そして今回の「里山資本主義」。NHK広島放送局のスタッフが田舎でありながら「異様に元気な」中国山地の山里を取材するうちに藻谷氏と共鳴し「里山資本主義」という概念をうちたてられたようです。「マネー資本主義」との対極の概念であり用語です。

 「里山資本主義」とは何かを著作から断片を拾ってみます。

「里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としても「地域」と決別し、地域内で完結させようという運動が里山資本主義なのである。」(「21世紀の先進国はオーストリア」P103)

 NHK広島放送局取材班は、オーストリアの林業をつぶさに取材し、里山資本主義の成功例としてあげています。つまり林業を主体に産業振興し、エネルギーを地元の森林資源で自給し、国を挙げて林業振興しているようです。

 CLTという木造の集成材を生産し、オーストリアでは次々と高層住宅が建築されています。従来鉄やコンクリートで建築されていた建築物が集成材のCLTで建築されるようになり、」手じかな森林資源がエネルギー源だけでなく、建築資材・産業資材として活用されているところに里山資本主義の原点の1つがあるようです。

「次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している」(P238)

「日本企業の強みはもともと「しなやかさときめ細かさ」(P242)

「スマートシティが目指す「コミュニティ復活」(P247)

「都会のスマートシティと地方の里山資本主義が車の両輪となる」(P248)

 「これからの日本に必要なのは、この両方ではないだろうか。都会の活気と喧騒の中で、都会らしい21世紀のしなやかな文明を開拓し。ビジネスにもつなげて世界と戦おうと言う道。

 鳥がさえずる地方の穏やかな環境で、お年寄りや子供にもやさしいもうひとつの文明の形をつくりあげて、都会を下支えする後背地を保っていく道。」(P248)
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「里山資本主義は保険、安心を買う別原理である」(P282)

「繰り返すが、刹那的な行動は、われわれは日本人がマネー資本主義の先行きに関して根源的な不安を抱き、心の奥底で自暴自棄になってしまっていつところから来ている。そしてその不安は、マネー資本主義自壊のリスクに対処できるバックアップシステムが存在しないことからくる。複雑化しきったマネー資本主義のシステムが機能停止した時に、どうしていいのかわからないというところから不安は来ているのだ。」(P282)

「里山資本主義こそ、お金が機能しなくなっても水と食料と燃料を手にし続けるための、究極のバックアップシステムである。いや木質バイオマスエネルギーのように、分野によってはメインシステムと役割を交代することも可能かもしれない。
 なににせよ、複雑で巨大な1つの体系に依存すればするほど内心高まっているシステム崩壊への不安を、癒すことができるのは、別体系として存在する保険だけであり、そして里山資本主義はマネー資本主義における究極の保険なのだ。」(P283)
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 引用が長くはなりますが、「里山資本主義」の本質をめぐる記述なので、更に続けます。

「大都市圏であっても、ほんの数世代までは、四季折々の風に吹かれながら、土に触れ、流れに手を浸し、木を伐り、火をおこして暮らしていたのだ。

 実際問題、里山で暮らす高齢者の日々は、穏やかな充足に満ちている。遠い都会で忌まれているあれこれの策動や対立や空騒ぎには嫌なものを感じつつも、毎日登りくる陽の光の恵みと、四季折々に訪れる花鳥風月の美しさと、ゆっくり土から育つ実りに支えられれ、地味だが不安の少ない日々を送っている。

 なぜそういうことになるのか。それは、身近にあるものから水と食料と燃料の相当部分をまかなえるという安心感があるからだ。お金を持って自然と対峙する自分ではなく、自然の循環の中で生かされている自分であることを、肌で知っている充足感があるからだ。

 この里山資本主義という保険の掛け金は、お金ではなく、自分自身が動いて準備することそのものである。保険なので、せっかく準備していても何かのきっかけがないと稼働しないかもしれないが、しかし準備があるとないとでは、いざというときに天と地との差が出る。日常の安心にも見えない差が生まれる。正に保険とは安心を買う商品であり、里山資本主義とは己の行動によって安心を作り出す実践なのである。」(P283)

 
「刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化」(P284)

 マネー資本主義が日本より深化している韓国や中国や東南アジア諸国においても、「少子化」は始まっていて、日本より出生率が低い国や地域まであるとのこと。
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 政府の一部に「建設業や介護分野など外国人労働者を参入させ、移民政策をすべきだ。」との意見もあるようですが、藻谷氏はこれには批判的です。

「移民の本格導入は、この問題を全く解決しない。移民も、移住先の国民と同化すればするほど出生率も移住先の国民と同レベルまで、急速に低下するからである。日本より出生率の低いシンガポールでは、居住者の3割が外国人という状況だが、日本同様の子供の減少が続いている。」

「よく誤解されているのだが、若い女性が働くと子供が減るのではなく、むしろ若い女性が働いていない地域(首都圏・京阪神圏、札幌圏など)ほど出生率が低く、夫婦とも正社員が当たり前の地方の県のほうが子供が生まれていることは、統計上も明らかである。

 もう少し定性的に言えば、通勤時間と労働時間が長く、保育所は足りず、病気の時のバックアップもなく、子供を産むと仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化が進んでいる。保育所が完備し。子育てに親世代や社会の支援が厚く、子育て中の収入も確保しやすい地域ほど、子供が生まれているのだ。」(P286)

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「社会が高齢化するから日本は衰えるは誤っている」(P290)

「里山資本主義は健康寿命を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す」

 健康寿命を延ばし、元気な高齢者がたくさんおられる地域は長野県であると藻谷氏はいいます。それは食生活の改善や運動の奨励など長年の生活習慣改善の努力の成果であると言います。

「高齢者が多く住む山村部分では、土に触れながら良質なも水を飲み清浄な空気を吸って暮らし、自宅周辺で採れる野菜を活かした食物繊維の多い食事を摂る暮らしが続いている。生活の中に。普通に自然との触れ合いが取り込まれている。」(P294)

 日本全国が長野県並のパフォーマンスになるだけで、高齢者の増加による医療福祉の負担増はかなりのところまで抑えるところができる。」

 大都市部でも地方都市でも空き家や空き地が増えるので、家庭菜園に活用されれば、そこが藻谷氏の言う「里山資本主義」の実践になるようですね。

楽天的な見通しにも励まされます。
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藻谷浩介さんは「2060年の明るい未来」という表題で締めくくっています。もし私が2060年まで生存しておれば、107歳というところです。ただ「生きている」のではなく、社会的な活動もし、健康寿命を保っていることが大事ですからね。

「そもそも人口減少社会は、1人1人の価値が相対的に高くなる社会だ。障害者も高齢者もできる限りの労働で社会参加し、金銭換算できる・あるいは金銭換算できない価値を生み出して、金銭換算できる・あるいは金銭換算できない対価を受け取ることが普通にできるようになる社会でもある。」(P301)

「実際問題、日本の1400兆円とも1500兆円とも言われる個人金融資産の多くを有する高齢者の懐に、お金(=潜在的市場)は存在する。大前研一氏のブログによれば、彼らは死亡時に1人平均3500万円を残すというのだが、これが正しければ年間100万人死亡する日本では、年間35兆円が使われないまま次世代へ引き継がれているという計算になる。

 日本の小売販売額(=モノの販売額。飲食や宿泊などのサービス業の売り上げは含まない)が、年間130兆円程度だから、その35兆円のうち3分の1でも死ぬ前に何かを買うのに回していただけば、この数字は1割増になって、バブル時も大きく上回り、たいへんな経済成長が実現することになってしまう。」(P272)

「今世紀日本の現実は、個人にまったく貯金がなかった終戦直後の日本や、今の多くの外国とは訳が違うのである。更にいえば、高齢者自身が何を買う気がなくても、お金さえあれば消費に回したい女性や若者は無数にいる。

 「デフレの正体」で論じたように、あらゆる手段を使って、高齢富裕層から女性や若者にお金を回すこと(正道は女性や若者の就労を促進し、給与水準を上げてお金を稼いでもらうこと)こしが、現実的に考えた「デフレ脱却」の手段なのである。」(P273)

 高知県も人口が減少している県の1つです。藻谷さんの言われるように、足元の資源を有効に継続的に活用し、身の丈に合った県土づくりをしていけば、焦る必要などありません。

 南海トラフ巨大地震への「事前復興計画」の考え方に通じる記述もされています。

「巨大な堤防を建設する資金があれば、リスクのある新開発地から、昔から人が住んでいる安全な場所へと、人間を移していくことに投じた方が有効な使い方だ。

 中略

 人口が過度に集中している大都市圏から田舎への人の逆流が半世紀も続けば、生活の場のすぐ横に水と緑と田畑のある人口はもっと多くなる。マネー資本主義のシステムが一時停止しても、しばらくは持ちこたえることができる人の比率がはるかに高くなっていることに期待できる。」(P300)

 そしてこう結論しています。

「今から半世紀が過ぎるころには、社会全体が抱くビジョン全体か大きく変わるし、社会に本当に必要なことも、それを担う主体も変わる。

 問題は、旧来型の企業や政治やマスコミの諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、新しい時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いビジョンに縛られ、もはや必要性の乏しいことを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできないことだ。

 しかし年月はやがて、消えるべきものを消し去り、新しい時代をこの島国にも構築していく。結局未来は、若者の手の中にある。先に消えていく世代は誰も、それを否定し去ることができない。

 里山資本主義は、マネー資本主義の生む歪を補うサブシステムとして、そして非常時にはマネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして、日本とそして世界の脆弱性を補完し、人類の生き残れる道を示していく。

 爽やかな風の吹きぬける未来は、もう、一度は忘れ去られた里山の麓から始まっている。」(P303「おわりに」)

 二葉町が取り組んできた仁淀川町や徳島県三好市との交流事業は、大筋で間違いではありませんでした。また「市街地の安全な場所への移転」と言う課題も意識し、今後はわたしのライフワークとなった「南海トラフ巨大地震から高知市下知地域で生きのびる」ことにより一層全力を尽くします。

 安倍内閣は、性懲りもなく「原発を再稼働させようとしている」し、輸出までしようとしています。軍事産業を盛んにし、武器輸出をしようしています。里山資本主義と全く相いれないことは文脈からも理解できます。はやくこうした「既得権益者」を権力の座から追放しないといけないでしょう。

 「300M四方の二葉町」から「あるべき日本の未来」が見えました。推薦図書ですね。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

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