「読書脳 ぼくの深読み300冊の記録」を読みました
連休に読書ともくろんでいましたが、前半は仕事でしたし、後半の4連休のうち晴れた3日間は海でセーリングしていました。完全な体育活動に終始していました。頭は全く使用せず、しかもヨットのブームでパンチをうけるというおまけまでありました。連休明けに脳外科でCTも撮影いただきましたが、異常はなしとの診断で一安心しています。
「読書脳 ぼくの深読み300冊の記録」(立花隆・著・文芸春秋・2013年刊)だけ何とか読みました。とにかく深く読んだ本が最近で300冊。厳選したのでしょう。
巻頭対談の石田英敬氏(東京大学付属図書館副館長)との対談も優れものですね。さすがに深く読書する人同士の対談で鋭い洞察をお互いがされていますね。
石田氏は1972年に東大へ入学。当時の内ゲバに巻き込まれ、75年にパリへ留学。そこで深読み体験をされたとか。
石田「生きている意味をかみしめながら、毎日、1人でひたすら本を読む日々でした。
特に印象に残っているのは、ジル・ドゥルーズの”Mietzzsche et la philosophine"(邦訳「ニーチェの哲学」・河出文庫)です。そこに語られていたのは、肯定の思想で、ヘーゲルやマルクスの否定の弁証法に親しんでいた私には衝撃的でした。
当時のパリやいまでいうところのポスト構造主義の絶頂期で、ミッシェル・フーコーやドゥルーズが活躍していました。私もコレージュ・ド・フランス(フランス最高峰の高等教育機関。講義は公開)へ出掛けてフーコーの講義を聴いたり、パリ第8大学へ行ってドゥルーズの講義を聴いたりしたんですが、そうした経験のおかげで、わたしはパリで新たに思想を発見することができたんです。それがいまの自分の研究の出発点になっています。」(P18「読書の未来」)
石田氏の「深読み体験」の対極におあるのが、デジタルメディアですね。立花隆氏の感想もなかなか辛辣です。
「インターネットをうまく利用すれば、たしかに質が高い情報に出会うことができる。しかし実際には、みんな自分がわかりそうな低品位の情報だけを選び、自分と同類の人だけ交信し合う結果、「バカはバカとだけ交信し、もっとバカになるという低レベルの情報平準化現象が起きている。
結局「インターネットは世界を白痴化させるシステム」になっているのだ。
「ヘッドライン(だけでわかったつもり)症候群」「チェック(しなきゃ)症候群」「コメンテーター症候群」「根拠なき権威症候群」などたいていの人が思い当る症候群だろう。」(P58「検察対大蔵省・ネット社会・ウィナー」))
言いえて妙というのはこのことでしょうね。「スマホに夢中で赤ちゃんずれの母親に席を譲らない人でなし」や、「歩きスマホ」とか、「ヘイトスピーチしている人たち」なんぞもこの類ではないでしょうかね。
結局「異論を根気よく聞いて対話する努力」をしなければ、同調ばかりで楽な方向に行くと、情報機器で「余計にバカになる」と言うことですね。わたしなんぞも「思い当たる」ことばかりです。
「私の読書日記」(2006年12~2013年3月)までに300冊を立花氏は「深読み」して読破したのでしょう。一例をあげれば3冊の本を読んだ書評を書かれています。分野もばらばらで乱読ですが、きちんと評論できているので凄いです。
「反キリスト・黄禍論・大英帝国」(P49)
「9条と日本・2・26事件・ダイアナ妃」(P60)
「プリオン病・捕食されるヒト・日本の没落」(P104)
「大震災・旧石器考古学・宇宙の「悪の枢軸」(P258)
「米軍基地観光・ドストエフスキー・中国共産党の秘密」(P264)
「地下都市の秘密・地球外生命体の追及」(P279)
「借金人間・秀吉・人体実験」(P315)
「宇宙のふしぎ、原発事故の良書・アベノミクス」(P335)
ほんの一部を書きだしましたが、立花隆氏は「守備範囲」の広い「知の巨人」であることがわかりました。なんでもかんでもGoogleで検索して「わかったつもりになる」ことは「愚か者」であることを思い知らされました。
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