宮尾登美子さんの文章とは気質が合いませんね。
4月10日に「文学散歩」が下知図書館と県立文学館の共催であり、それこそ自宅のある地域のすぐ近くなので参加していました。
その前に宮尾登美子さんの小説を図書館で借り、読もうとしましたが、すぐに眠くなり、結局読めませんでした。文体が「合わない」のであると思います。
それこそうちの近所のことを書いてあります。
「俺を見よ」と云う通り、岩伍は流行性感冒に関わりなく以前からたびたび足を向けているのだけれど、実を云えばこの地区は「緑町の裏町」の名で聞こえゐる,高知市1という札付きの貧民長屋なのであった。
鉄砲町からは予め、「緑町の広い家へ宿替えするのは結構な話じゃが、裏町へはなう、間違うても入るまいよ。怖ろしい所ちやげなとと人が云うそよ」(「宮尾登美子全集第1巻・櫂 P54 1992年・朝日新聞社刊)
そういえば20年ほど前、母の若い時からの知り合いの人が隣町の若松町にお住まいでした。ある時うちの自宅前で母と会いました。
「あんたこんなところへ住んでいるの。今は二葉町とか名前が変わっているけど、わたしら子供の頃は親に緑町は貧民窟やき行かれん!!といわれておった。」と言うていましたね。その人は海岸通りの廻船問屋が実家でしたから。
宮尾登美子さんの小説は映画化をよくされています。今の自宅の近所が舞台である櫂にしても陽暉楼にしてもすぐご近所ですが、今は全く痕跡もありませんから。
戦災と昭和南海地震で破壊され、全く面影はありません。それに文体が、なんか私と合いませんでした。作品の優劣ではなく、全く合わない作家でした。
(宮尾登美子さんの生家跡。駐車場になっています。)
宮尾登美子ゆかりの地を訪ねるに参加しました.。4月10日でした。個人ブログに書いています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-3493.html
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