「痴呆を生きると言うこと」を読んで
「痴呆を生きると言うこと」(小澤勲・著・岩波新書・2003年刊)を読みました。今でこそ「認知症」という表現になってはいますが、ほんの10年前までは「痴呆」という言葉が普通のようでした。
筆者は大学卒業後、病院や老人保健施設に勤務し、管理者としてじかに認知症の人や家族と接してきた体験をもとに、この本を執筆されていることが理解できました。
「痴呆は、いくつかの症状のあつまりに対して名づけられるので、正確に言えば、症候群である」(P5)
認知症(以前は痴呆と呼ばれていた)は、多様な形態があり、一概にこんなものであるとくくれない病気なのでしょう。
「アルツハイマーと言う病名は、ドイツの精神科医アルツハイマーが、記憶障害を中核とした様々な精神症状や行動障害を示し、深い痴呆に陥って死亡した51歳の女性を、脳病理初見とともにはじめて報告したことによる。その報告がなされたのが、1906年、いまからほぼ100年前のことである。」(P2)
今年は2014年ですから、108年も前に症状(症候群)が「発見」されたようですね。
「痴呆の経過と予後」という項目(P19)には、初期段階では「健忘期」と言われ記憶障害が中心になっています。母(88歳)の認知症の段階はこのレベルではないかと推定されます。
中期になりますと「混乱期」と言われ、記憶障害に加え、見当障害がはっきりすると言います。行動障害が中心になってくる。徘徊や、失禁、失便、など家族や周囲を悩ませる行動障害がこの時期らしい。
末期になりますと、歩行や座ることも困難になる。要介護度は5になるのでしょうか。日常生活全般のケアが必要で在宅介護はほぼ不可能ではないでしょうか。
小澤氏の当時定義した「痴呆」(認知症)の段階は以上のとうりです。読んでいて印象に残った記述を書きだしてみます。
「痴呆を病む者は自らのつまずきに、一見活淡としており、それがいっそう周囲のいらだちを招くと書いた。だが決して誤解してはならないのだが、彼らは感情を失ってしまっているのではない。
(中略)
痴呆を病む人たちは、1つ1つのエピソードは記憶に残っていないらしいのに、そのエピソードにまつわる感情は蓄積されていくように思える。
叱責され続けると、そのこと自体は忘れているようでも、自分がどのような立場にあるのか、どのように周囲に扱われているのか、という漠然とした感覚は確実に彼らのものになる。」
「逆に、せっかく苦労して、一緒に行った旅行から帰ってきた直後の井、旅行に出たことさえ忘れてしまい、がっかりさせられることがある。だが、そのような心遣いは必ず彼らのこころに届き、蓄積され、彼らを支える。」(「不如意の感覚」P32)
記憶障害や行動障害を引き起こす認知症の人達には「感情」がある。それが大事なことであると思いました。例え言葉のコミュにてケーションが出来なくても、ラポールというのか、心の交流は必要であると思いました。
「物盗られ妄想」をなぜ認知症の人達は抱いてしまうのか?それは「老い」が関係あるのではなかと筆者は述べている。
「もの盗られ妄想を抱く人たちは、老いを生きている。これは、言うまでもないことのように思える。しかし、高齢者の治療、ケア一般のに言えることだが、治療やケアにかかわる者は、この自明の事実を常にこころに留めて行く必要がある。
大半の治療者やケアスタッフあるいは介護者は、ケアの対象となる彼等より年下であり、老いることの重みを身にしみてわかっていないことが多い。」
「そのために、この自明のことを治療やケアにあたる者ですら、ときに忘れ、ときに軽視し、時に意識から外してしまう。その結果、老いを生きるもののペースを超えた所作を強い、あるいは自分たちの間では日常化している言葉が、彼らのこころを傷つける。
というようなことが起きる。老いるということが老年期にみられる様々な病態の地あるいは背景として常に存在している。このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない。」
「さて、老いると言うことは喪失体験を重ねることである。このことは多く論者によって繰り返し語られてきた。老年期には、社会的、家庭的役割の喪失があり、人の面倒をみてきた人が一方的に面倒を見られる側に回る。
心身の衰えが生じ、病が襲い、死が現実の事としてせまってくる。そして親しかった人と死別あるいは離別し、なじみの人間関係が喪われる。」
「しかも。これらの喪失体験は若い人たちと違って、取り返しのつかないことと実感される。客観的にみても、抱え込むことになって病や障害の多くは不可避的であり、徐々に進行することが多い。そのための彼らの喪失体験は深く、持続する。そして彼らを危機に導き、ときに混乱と絶望を生む。」(「老いを生きる」P90)
長々と引用しましたが、「認知症」の人の心象風景を記述されているのではないでしょうか。「もの盗られ言動」も、言ってしまえば、家庭内の勢力分野が、主婦の役目が息子の嫁に取って代わられた喪失体験から来ているのかもしれないですね。
中高年の域になっている私でも「老い」の自覚は正直あまりありません。身体的な機能の低下と、社会的役割の喪失感が大きいことが少し理解できました。
オーストラリア人で生化学者の女性は46歳でアルツハイマーを発症。詳細なレポートを書き残していました。発症前まではてきぱきと同時進行で仕事も家事もできていたが、発症後は」1つのことをやることで精一杯。でもそれは当たり前と認識し、あえて同時並行の作業をしないようにして自分を観察したそうです。「小刻みな死」を受け入れざるを得ない恐怖を書いていました。
根本的な解決は「ぼけても安心して暮らせる社会を」と筆者は言います。
「痴呆についても、まったく同じである。痴呆という病を受容すべきなのは痴呆を抱えた本人だけではない。彼等とかかわる人たちが、さらに彼らの住む地域が、そして社会全体が、彼らを受容できるようになれば、あるいは痴呆と言う事態を,生き、老い、病を得、そして死に至る自然な家庭の1つとして見ることが出来るようになれば、周辺症状は必ず治まり、彼らは痴呆という難病を抱えても生き生きと暮らせるようになるはずである。」
「ぼけても心は生きている。」「ぼけても安心して暮らせる社会を」(P218)筆者が1番主張したかったことでした。
2014年7月8日から「認知症重度化予防実践塾」(高知市高齢者支援課主催)の講座を受講することにしました。専門家ばかりでしろうとはわたし1人でしょう。アルツハイマー型認知症と判明して6年になる母(88歳)。終生対話ができる関係でありたいと思う。
90歳以上の85%は認知症とも言われています。父(95歳)だっていつどうなるかわからない。そのために「認知症」の正しい知識や、対処法を学ぶことは、無益なことではないと思います。
頑張ってみます。
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