いつまでたっても「ぱしり」の人生かも
幕末時代に少年時代に学業優秀であった中江兆民は、土佐藩の留学生として長崎に派遣されました。そこで亀山社中の坂本龍馬の使い走りをしていたこともあったとか。龍馬に「中江の兄さん、煙草を買ってきとうせや」と言われ、嬉々としてぱしりをしていたそうです。
後日思想家中江兆民は若かりし頃の良い思い出として語っていたそうです。
わたしの若かりし頃は高校生時代に、麻雀をしている高知大学の全共闘のお兄さん方に「煙草を買うて来い。」と命令され嫌々行った記憶があります。街頭カンパして集めたお金も収奪され、彼らの生活費になっていたと後から聞きました。中江兆民さんのような「よい思い出の使い走り」では全くありませんでした。
反戦運動や新左翼の運動は年齢差や、身分の差別のない革命運動であると思っていましたが、実態は「ざっとした」(粗雑な)運動体に過ぎませんでした。学歴差別もありましたから。社会の進歩勢力でも何でもありませんでしたね、今にして思えば・・。
時代は社会運動の後退局面であり、連合赤軍事件と陰惨なセクト(党派)同士の内ゲバで日本の社会運動は消滅してしまいました。わたしはとうとう先輩風を吹かすことなく、「使い走り」で終わりました。
時代は下り、いろいろあって今は300M四方の町内会の世話役をしています。そこは70歳代の「長老」の皆さんが現役役員で頑張っています。65歳が町内会デビューです。80歳ごろが引退。それが今の町内会の実態でしょう。還暦は若造なんです。
ここでも「若造」の私は「ぱしり」です。仁淀川町との交流事業である田植えや、懇親会でも必ず私が運転手ですから。そこでは高校生時代と異なり、嬉々としてぱしりをしています。資料の作成や事業計画の作成、仁淀川町側との連絡、報道機関への対応もやっています。
「長老」の皆さんが、仁淀川町の「長老」の皆さんと親しく交流しておられる姿を眺めることは喜びになっています。
これは自分が死んで天国へ行っても「先輩」がおられ、そこでもぱしりをしていることでしょう。
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