9月最後の介護予防通所リハビリ
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下知市民図書館で「日本の津波災害」(伊藤和明・著・岩波書店・2011年12月刊)を読みました。この著作を読みますと日本列島の沿岸部は過去、文書で記録されている2000年あまりの歴史の中で、津波に襲われ続けています。
東北沿岸部、四国、紀伊半島、東海地方、関東沿岸部、沖縄の島々、日本海沿岸、北海道沿岸部などです。古文書以前の津波の記録は陸上の淡水池やがけの地形を解析して津波の履歴を調査されているようです。
1923年の関東大震災でも大火災が印象的ですが、神奈川県の沿岸と静岡県では大津波が沿岸を襲い多くの被害を出しています。その記録に寄りますと「地震だ!津波だ!高台へ逃げろ!」という昔からの言い伝えを実行した集落は命が助かっています。
1854年の安政地震の時の和歌山県広川町での津波の時に、浜口儀兵衛のとっさの機転とと、津波罹災後に私財を投げうち津波堤防を建設した話を聞いた小泉八雲が感動し、「生神様」という小説になり、「稲村の火」というとして教材として小学校の国定教科書として全国の学校で学ばれました。
良い教材なのでまた小学校の防災教育として復活していただきたい。「国定教科書」であったということで敗戦後に顧みられなくなったとの事ですが、他の軍国教材とは異なります。
日本の国土の6割強は森林(山)です。高知県は84%が森林。ひとびとが生活する都市部は沿岸部の沖積平野の埋め立て地になります。地盤が弱く、海抜が低く、海や川に隣接しています。
地震列島日本に暮らす以上は地震・津波は「宿命」です。過去土佐の先人たちは幾度となく大津波に襲われ、「亡所」(集落ごと津波で壊滅)を繰り返しながら定住し、生活を営んできました。
私たちも「生きのびることが難しい」高知市下知地域で生きのびるための地域活動をしていきたいと思います。この著作は「日本人の宿命」を感じました。
東京五輪や大阪都構想がいかに危険で、安心・安全に考慮していないことが良くわかります。「安全はすべてに優先する」という当たり前のことが政治に貫かれていただきたい
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2014年9月28日はアクセス・ディンギーというヨットの高知県大会のサポートをしていました。快晴の天気で参加者はさぞ気持ちが良かったと思います。
ところで「アクセス・ディンギー」と言うヨットについての解説を朝日新聞がしていました。
「「安全第一」のヨット。通常のヨットは風をはらんで傾いた際、転覆しないように上体を船外に出してバランスを取る必要がある。だが、アクセスディンギーは船の下につける板(センターボード)が35キロ前後と、通常の約5倍の重さがあって安定性が高い。傾きが小さく、船上での体重移動が困難な障害者や高齢者、子どもでも操縦できる。2人が前を向いた状態で横に並んで座る。シートはハンモックのようになっており、長い時間座っても疲れが少ない。
( 2010-09-12 朝日新聞 朝刊 横浜 1地方 )
体重移動も必要なく、帆(セール)のついたブームも高い位置にありますので、操船はとても楽です。舵も右へ倒せばヨットは右へ、左へ倒せば左へ曲がります。とても操船は、簡単です。
ヨットの経験のない人も、体の不自由な人も、小学生も高齢者も皆同じ条件で海の上でヨットレースをしました。これこそ本当の「バリヤフリーです。」。アクセス・でディンギーというヨットは片手でも操船できます。
上手く風を帆が掴むことができたら早く帆走できます。障害者も健常者も、高齢者も小学生も関係ありません。海の上でアクセス・ディンギーを操船する立場では全く平等です。
風も程よく強かったので、真剣勝負がされていました。ビーチから見学していましたが、面白かったです。
このヨットを考案したオーストラリア人は凄いと思いますね。
私はあと30年セーリングを楽しみたい。アクセス・ディンギーならそれが可能です。ただ桟橋がないと1人で海へ出て、1人で戻ってこれません。欧米のようなアクセス・ディンギーができる桟橋が必要ですね。
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ヨット経験の有無は関係なし。障害があろうがなかろうが楽しくセーリングが出来るアクセス・ディンギーと言うヨットを使用したヨットレース「ハンドINハンド高知大会」が香南市夜須にて開催されました。
準備のために朝は7時前に自宅を出ました。8時にスタッフ・ミーティングがありヨットのぎ装をしました。今日は快晴。しかし遠い海上にいる台風17号の影響で少し波は高い。
ぎ装が終わると開会式に。清藤真司香南市長も駆けつけスピーチをされました。「ハンドインハンド」という意味は「手を結ぶ」という意味で、個々の地域は「手結」(てい)と言うので2つの意味をかけていると丸岡克典YASU海の駅クラブ理事長.
障害のある人と香南ジュニア・ヨットクラブの中学生とのコンビでの出場や、障害を持たれている人と、施設の職員のコンビやB&G海洋クラブの小学生のコンビなど、いろいろでした。43人の参加者がありました。
波が意外に高いのでヨットへの乗り降りは、サポート要員が艇を抑え、20キロ~30キロあるセンターボードを上げ下げしないといけない。桟橋が必要ですね。
風は程よく強く吹いていました。艇の出入りの時は、サポート要員ですので、艇を抑え、時に艇をかかえてビーチへ上げます。
8月は雨ばかりででした。夏の名残を惜しむようにビーチでは子供たちが砂遊びをしたり、泳いでいました。ライフジャケットの浮力で浮かんでのんびりしていました。
充電をきちんとしていなかったので、レースが終わった後のみんなでの食事風景は撮影できませんでした。おむすび3個と焼きそば2パック、豚汁を3杯食べました。でも昨日よりは体重が減少していました。
なんとかアクセス・ディンギーに乗り降りが自分1人で出来るような桟橋が必要ですね。90歳までセーリングするつもりですので。
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2014年度版の「二葉町防災マップ」。このたび印刷が完成しました。9月18日に二葉町自主防災会・防災リーダー会にて各班ごとに配布されました。この防災マップは町内会入会メンバーだけでなく、防災世帯調査に協力いただきました町内会外の二葉町民にも配布されます。
7年ぶりの改定です。「津波一時避難(退避)ビル」は、2か所増えました。7年前にはなかった「津波避難ビル」も二葉町内に2つできました。今まで町内にはなかった収容避難場所も下知コミュニティ・センターとして出来ました。
まずは二葉町町内にある掲示板に貼られて行っています。全戸配布しましたので、各家庭で目に付くところへ貼ります。また班内で1か所屋外に掲示できる場所にも貼ることになっています。
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ある記事をネットで見つけました。裏取りが出来ませんので、記事を「一般化」して特定企業とわからない文章にし、社会問題として考えてみました。
問題の会社は、東京都にあるアニメーション制作会社であり、大手企業傘下の映像企画・製作会社の100%子会社として設立されている。これまでに多くのアニメ作品を世に出しているとか。その会社のアニメ制作スタッフ(雇用形態は正社員です)が自殺されたそうです。
2010年10月、当時28歳の男性社員Aさんが都内の自宅アパートで自殺した。各紙報道によれば、Aさんは2006年から2009年12月まで同社の正社員として勤務し、在職中はアニメ映画の制作進行を担当。同社にはタイムカードなどで労働時間を管理する仕組みはなかったが、Aさんが退職後に通院していた医療施設のカルテには、「月600時間労働」などの記載があり、残業時間は多い時で月344時間に上った。7日間連続で会社に泊まったり、3カ月休みがなかったこともあったというが、残業代が支払われた形跡はなかったという。
Aさんの自殺は2014年4月11日に新宿労働基準監督署が労災認定。同署は男性が在職中に鬱病を発症しており、発症の2~4カ月前に少なくとも月100時間を超える残業があったと認定している。
アニメ制作は多くの若者が志す人気職種となっている一方、日本アニメーター・演出協会が2008年に728人を対象に行なった調査では、アニメーターの賃金は年収200万円未満が9割で、労働時間管理がなされず、社会保険も未加入という事例が多数あったとされる。「好きな仕事をしたい」という若者の心理につけ込むことで、劣悪な労働を甘受させる「やりがい搾取」の象徴的事例として、今回ノミネートをした。
全く他人事とは思えません。そういえばアニメ制作会社の大手有名会社の1つであるスタジオ・ジブリが自社のアニメ制作者を全員解雇したとの報道もありました。アニメーターは若い人たちの「憧れの職業」の1つであるようですが、あまりにも過酷な現実ですね。ジブリはアニメ制作会社のなかでも待遇が良いとの事でしたが、一体どうなっているのでしょうか?門外漢にはわかりません。
確か「ジブリが解散か?」と報道された直後はyahooなどにも関連記事がありましたが、今はなく個人ブログが取り上げているぐらいですね。
誰かのブログ記事 http://hamusoku.com/archives/8525800.html
日本が世界に誇るソフト・パワーの1つであるアニメ産業。過酷な業界のようですね。従業員や従事者の待遇改善がなにより必要な業界であると思います。
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今日は父は植田内科での診察と点滴の日でした。朝一番で通院に付き添いました。血液検査の結果は良好。9月22日のデータは、クレアチリン値が2.02、尿素窒素が19.6、カリウムが3.8と前回検査(9月12日)より良くなっていました。前回はクレアチリン値は2.23でしたから。
しかし好事魔多しです。「物事がうまく進んでいる時ほど、意外なところに落とし穴があるという事」の事態が起きました。
父が帰宅し車から降り事務所に戻りますと、「足が痛い」と言います。「痛かったらなぜ植田先生に言わんの」と聞きますと今打って足が痛いとの事。
見ると右足のすね部分を打ち、ざっくり皮が剥げ、出血までしてるんではありませんか。応急消毒し、応急のガーゼとテープで止めました。再び植田医院へ行くことにしました。診察と処置をしていただきました。
「たいしたことがなかってよかったです。消毒して防水仕様の絆創膏を貼りました。お風呂も運動もかまいません。」とのこと。ほっとしました。なんぜ超高齢者(95歳)ですからね。
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2014年9月17日の高知新聞朝刊1面記事。「認知症受信まで9か月半」「遅れた理由 本人拒否最多」「進行抑制・治療 早期診断が鍵」と見出しにあります。
社会面31面でも大きな記事になっています。「深い葛藤 認知症診断阻む」「不安に寄り添う治療を」とありますが、そのとおりであると思います。
やはり日本人一般は認知症と言えば「問題行動を引き起こし」「食事もトイレも1人で行けなくなる」という悪い怖い印象でとらえられています。
「認知症は何も分からなくなって、最後は人でなくなるイメージがいつのまにか日本人の認知症観になった。惚けることを認めない文化が背景にある。小説「恍惚の人」の認知症感を引きずっています。」(石黒秀喜氏(財団法人長寿社会開発センター)
9月16日の認知症重度化予防実践塾で聴講しました。
うちも母(88歳)が6年前にアルツハイマー型認知症と判定されました。3年前に介護申請をし、現在では1日ディに週3日。通所リハビリデイに週に2日。金曜日は私が、はりまや橋商店街での活き活き100歳体操(介護予防体操)へ連れて行っています。
確かに脳の1部が壊れ、同じことを母はループで言い続けます。でもそれは不安だからでしょう。そういうときはこちらも同じことを言い続け、ループ会話につき合っています。
歩くときは母の手を繋いで歩きます。最近は随分落ち着いてきて、少し元気になったように思います。
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コンサルタントの藤村正宏さんのメルマガが来ていました。引用自由ということなので貼り付けました。
今回のキーワードは「関係性」です。
「成功するためには、関係性が大切という当たり前のことを、もう一度確認しておきましょう。」
情報を膨大になって、人々はスマホを片手にSNSで交流する時代。
販促物に一番大切なことは「関係性」です。
何度もさまざまなところで言っていますけど。
生活者は、意識している、していないに拘わらず、どの情報を信じていいかがわからなくなっている。
そういう状況です。
信頼できる情報を求めています。
だから、あなたの販促が信頼できるかどうかを無意識に感じ取っているということ。
信頼される販促、ボクはそれを「関係性の深い販促」と呼んでいます。
よりお客さまに近い存在になるということです。
「関係性」が大事になっているのです。
店の経営者や店長、スタッフの顔を出すと、販促の反応が良くなる傾向にあるのは、そういうことなんです。
だってあなた、顏の見えない人を信頼しますか?
しませんよね。
文章も語りかけるように、お客さまのほうを向いているような「対話」になっていることが重要。
それが信頼になるのです。
これは企業が発信する、すべてのメディアに言えることです。
ブラックボード、チラシやニュースレター、ブログ、ウェブサイト、ソーシャルメディアも。
誰が言っているのかがわかるようにするということです。
よくチラシやダイレクトメールを見ていると、そこに個人が出ていないことがあります。
会社や店から出しているから、関係性がつくれない。
店よりも、そこの店長から手紙が来たほうが、関係性はつくりやすいでしょ。
「拝啓、ますますご健勝のことと・・・」や「いつも弊社をご愛顧くださって、ありがとうございます」
そういうふうに始まるダイレクトメールがあります。
お知らせやお詫びだったそれでいいですが、販促としてはまったく無意味です。
関係性は生まれません。
だから個人からの発信のほうがいいわけです。
できたら写真や似顔絵をいれて、より親しみやすくしましょう。
ボクの塾生さんがやっている、プロのメカニック向けの工具ショップ「ファクトリーギア豊橋店」のチラシは、個人の顔が出ています。
店長の澤山さんの顔はもちろん、働いている女性スタッフの顔も出ている。
このチラシに誰も顏が出ていなかったら、関係性が作りにくいと思いません?
澤山さんのメッセージも手書きで、お手紙みたいになっています。
このチラシで、いつもより2倍以上の集客がありました。
販促のアドバイスをした、石川県のネタにとてもこだわった回転寿司、「金沢まいもん寿司」。
やっぱり店長が顏を出して発信しています。
店長の萩原さんと、長女まで顏を出しています。
いつもはお寿司がずら~って並んでいるだけのチラシでしたが、個人の顔を出して発信することで、以前より150%くらいの集客があった。
個人の顔が出ているか。
語りかけるような文章になっているか。
そういうところを注意してより関係性の深い販促物を作ることです。
ソーシャルメディアの発信も同じです。
Facebookで商品が劇的に売れたアパレルメーカーも、奥ノ谷社長が自ら、地道にコツコツと時間と手間をかけてお客さまとの「関係性」を構築してきたからできたことです。
FacebookやTwitterでモノは飛ぶように売れます。
家や車、高額なモノだって、売れます。
でもそれは、しっかりと時間とお金をかけて人々とコミュニケーションすることが前提なのです。
いきなりFacebookで売込みをしても、無視されるだけです。
逆効果です。
これからは確実に「関係性」の時代になっていきます。
販促物を使って、「信頼・共感・好意」を創りだしていきましょう。
それができたら、お客さまはあなたのことを好きになってくれます。
あなたの商品や店、会社を好きになってくれます
そうすると、売ろうと思わなくてもお客さまは、よろこんであなたの商品を買ってくれる。
「内容はどうでもいいよ、あなたがすすめるのなら買うよ」そういうことです。
関係性がこれからの販促のキーワードになっていきます。
それを目指すことが、一番大事なのです。
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本当に久しぶりの海での青空。やはりセーリングはこうしたお天気のもとでしなければいけないもの。今年は8月は本当に雨ばかり。しかも大雨でようやく月末にセーリング出来たもののどん曇りで、雷雲に怯えながらでしたから。
今日は夏の名残ですね。ブラジル代表(セレソン)Tシャツと短パンでセーリングしました。脱水予防のための保冷箱には水も入っています。
慎重にぎ装(ヨットの組み立て)をしました。久しぶりの好天ですので、シーカヌーやSUPの人達も来られていました。SUPのリーダーの方に、ヨットの出着艇には、操船が不安定になるので、その時だけ退避をお願いしました。海では「共存」が大事ですから。
朝は西寄りの風がまあまあ吹きました。赤岡港までセーリングしました。今日はジュニア・ヨットクラブも5艇でていました。国体出場される山内さんたちの470。シニア・ヨットクラブも3艇でました。
昼は訪がお休み。やすらぎ市で弁当を購入しました。幕の内弁当でした。海では代謝が盛んになるので、おむすびかカレーが食べやすい。甘い味は苦手です。
午後からも出艇しました。ただ風が西風から北東の風に変わりました。そのせいか変な波が立ち始めローリング状態に。もっぱらヤッシー・パーク内の海に入り練習しました。あそこは波がありませんから。
朝の10時前から午後3時過ぎまで海に居ました。子供の様に海で遊びました。今日の「海の散帆」は最高でした。
片付けして、体を洗って帰り際に海を見ますとどん曇りに。やはり明日からは雨模様。それだけに今日の晴れ間は貴重でした。お蔭様で充電ができました。
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「社会保障の充実のために消費税を5%から8%にします」と、民主党政権時代に、民主・自民・公明の3党合意で消費税が8%になり、今年の4月から実施されました。
うちは2人の超高齢者の両親(父95歳・母88歳)がいますが、4月以降より負担が増えたという実感しかありません。とくに「要支援2」になぜかなった父については、国が勝手に介護保険から切り離し、市町村まかせにするようです。現場は混乱していますね。
これでは10%になってみても変わらないと思う。だいたい新自由主義にかぶれた連中が政権にいるので社会保障の充実などできるわけがない。期待するほうが間違い。
安倍内閣が熱心なのは、軍備増強と原発再稼働と輸出。とんでもない。まさに亡国政権でありますね。
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夜中から小雨が降る続く高知市。気温も低く10月半ばの温度とか。7日に訪問した仙台の気候ではないか。母(88歳)を1日ディの送迎車が来るので事務所で待機していつものループ会話。
母「どこへいくがかね?」
自分[結さんくよね。」
母「お爺さんも行くがね?」
自分「お爺さんは別行動」
9時半過ぎに送迎車が来て送り出しました。
温度が低いので海でのセーリングの服装はフルに準備。短パンとTシャツの夏仕様と、雨対策の合羽と寒さ対策でウエット・スーツも放り込みました。
しかし夜須へ向かっていても小雨は止みません。ハーバーに着いて様子見しました。今日は大学生もジュニア・ヨットクラブも遠征で誰もいません。風もありません。
10月の長崎国体への出場選手の表記看板がヨット艇庫の壁面に出ています。
誰もいないハーバーですが、櫓が組まれボーリング調査をしていました。作業される人に「何をされているんですか?」と聞きましたら「看板に書いてあるろう」というぞんざいな答え・「わからんから聞いているんですが?」と聞いているのに全く話にならない。月曜日に高知県中央東工事事務所に電話して聞いてみます。たかだか15Mのボーリングで地質調査が出来るのでしょうか?無駄ではないかと思うからです。
小雨も止まないし、風も吹かないので、長靴に履き替え、金だわしを艇庫から持ってきて、スロープの昆布と青のりの除去作業をしました。8月初めの台風11号で綺麗に青のりは剥げていたのに3週間で、またはえています。1時間ぐらいこすりました。一向に雨が止まないので、今日のセーリングは諦めました。
久しぶりに夜須のサーフショップであるコーストライン・サーフファクトリーをお訪ねし、吉田さんの奥様とお話しました。営業時間は4月から10月までは午前10時から五擬7時半まで。11月から3月までは、午前10時から午後7時までだそうです。火曜と水曜日がお休みだそうです。店主の吉田さんは午後1時から3時までか夕方の時間帯はいるそうです。工房でサーフボートの修理などをやっているとか。
その後道の駅やすへ立ち寄りました。駅長の山本さんと一緒に昼食を食べました。女性職員のTさんとTさんのお二人とお話しました。山本さんと2ショット写真も撮りました。
雨は昼過ぎには止んでいましたが、相変わらずどん曇り状態。海はやはり青空でないといけないですね。
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これは「提言」というより「妄言」「戯言」の類に分類されるものでしょう。9月5日の地元紙の記事には呆れた。「日本文化なのに英語漬け?」「クールジャパンで「特区」構想」「社内共通語で税制優遇」とかいう見出しを読むと馬鹿げていることがよくわかります。
記事には「提言」(?)の内容が紹介されています。
「世界の課題をクリエーティブに解決する日本をクールジャパンのミッション。超高齢化社会やエネルギー問題などの課題解決力と日本のクリエーティブ産業が、このミッションに結びつき、世界の役立つイノベーションが生まれることで、日本のクリエーティビティが加速される」
意味不明な典型的は「悪文」でしょう。超高齢化社会とエネルギー問題は別問題だし、課題解決力と日本のクリエティブ産業が結びつくなんていのも意味不明。産業が。
「オタク文化」には言語はどうでもいいはず。わざわざ英語にする必要性がどこにあるのか?これまた意味不明。政府の「有識者会議」(何をもって有識者と言うのか疑問)のあまりの低レベルの「提言」には呆れるばかり打です。
メンバーは違うでしょうが安倍内閣は「有識者会議」の提言で、「特定機密法案」「集団的自衛権行使」「憲法の解釈改憲」「原発再稼働」を決めました。結局今回の「わけのわからない有識者会議の提言」と同じレベルであると思いますね。
身内に過酷な長時間労働と低賃金で懸命に働いているアニメーターを知っているだけに政府の言う「クールジャパン」がこれほどいい加減で馬鹿げたものであったのかに情けない思いです。創造的仕事をしているとおだてるなら、アニメーターの待遇改善と身分保障を政府はすべきではないのだろうか。
専属制作スタッフを正規雇用していた日本のアニメ制作会社の大手である「スタジオジブリは、「会社をニコニコ動画に売却」「スタッフを大量解雇」とかしています。
http://news.livedoor.com/article/detail/9106873/(「解散説」が飛び出したスタジオ・ジブリ 大量解雇を進めるその真意は)
政府のいう「クールジャパン」の足元が崩壊しつつあるのに、「英語特区」がその問題を「クリエィティブ」に解決することができるのでしょうか?
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今日は涼しい高知市。午後6時の事務所の温度は24度で、湿度は75%ですね。7日に初めて訪れた仙台市がその温度と湿度でしたね。随分高知市も涼しくなりました。
今日はせわしい1日でした。WEBで注文が4件あり、問い合わせも4件。それとは別に業務筋の問い合わせが2件と朱蒙が件ありました。高知市下知地域の新たなコミュニティ再構築としての「下知地域内連係協議会]関係の連絡事項が頻繁に市役所からありました。二葉町自主防災会の防災マップ配布もスタートしました。うちの班はそれをしないといけない。しかし今日は1軒もできませんでした。
さて朝は父(95歳)を連れて、植田医院での診察と点滴。父の点滴の合間にも業務筋と地域での電話がありました。戻ってきて午後から母を連れて、はりまや橋商店街へ行きました。
いつものように、コインパーキングに駐車して「仲良く」手を繋いで行きました。最初にパン屋さんで玉子ドーナツを買いました。
次にコロッケ屋さんで今日は薩摩金時コロッケを買いました。光の村の露店も出ていましたので、せんべいを買いました。
谷ひろ子さんのお店で焼き菓子を購入しました。後は和菓子も露店で購入していました。」活き活き100歳体操(介護予防体操)が始まるまでの間は、母と谷さん所のコーヒーと焼き菓子でお茶をしました。
今日に活き活き100歳体操は涼しくなったので、14人ぐらいの参加者があったようですね。叔母も久しぶりに来ていました。
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「認知症介護びっくり日記」(高口光子・著・講談社・2008年刊)を図書館で借りて読みました。主に父(95歳)が、植田医院で点滴している間や、ゴルフ・リハビリにて球を打っている間に読みました。
筆者の高口光子さんは理学療法士。そして介護職にもなり施設の責任者。入居されている高齢者をじっくり観察され書かれています。
「食べなければ 食べ物がのどに詰まることはない」
「歩かなければ転ばない。」
「鍵をかければ1人では外に出ない。」
「たしかに安全かもしれませんが、その人の人間らしさが失われる。そうではなく、認知症のお年寄りこそ、あえて当たり前の生活をしていただき、当たり前の生活だからこそのリスクをお年寄りとともに引き受ける覚悟で介護をする。
それが私たちの基本姿勢です。このことをご家族にも理解していただいていれば、職員は腹を据えた介護ができます。」(P34)
なかなかこういう「腹の据わった」介護施設は現実にはないかもしれませね。以前私もヘルパーの資格取得のためにある認知症の施設で2日間研修しました。市街地のビルでしたので、窓やドアやエレベーターにも鍵が常にかけられていて、職員が入ってくると鍵を開け、そして締める。まるで刑務所並みの施設でした。睡眠薬で皆うとうとし、排泄はすべてオムツ。自分でトイレへ行かさないような「指導」がされていました。排せつ介助はトイレでオムツを履き替えさせることでした。
良い施設と悪い施設の見分け方は1つだけあるそうです。食事介助の時に、立ってやっている介護職員の入る施設は悪い施設です。「人として失礼だし、誤嚥性肺炎になりやすい。」とのことでした。
うちは父が95歳で、母が88歳(11月で89歳)介護度1で元気は元気ですが、人生やがて誰も終末が来ます。高口さんの以下の記述にあるような心境にはまだまだなれません。
「わたしたち介護職員は、汚物処理係りや、人体洗浄係りでも、栄養補給係でもありません。認知症のお年寄りに言う事を聞かせたり、手足を縛ったり、調教したりする飼育係でもありません。
認知症のお年寄りは、口に出さなくても、「私を見ろ」「人として関われ」と全身で語りかけているのです。認知症のお年寄りは、「生きるとは何か」「家族とは何か」「人が人を支えるとはなにか」という事を私たちに教えてくれます。」(P201)
家族には介護が難しいと言われています。
「これまでの深いかかわりがあり、その経緯やしがらみが背景にある。だから家族には身内の行動を自分と切り離して冷静に見るなんていうことはなかなかできりうことではない。」
「それに対し介護職員はお年寄りがぼけてから出会うのですから、なんのしがらみもないのです。」
そういわれてみればそうですね。プロにお任せするところは当然ありますね。介護について少し理解したように思いました。
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昨日は「第2回認知症重度化予防実践塾」でしたので、植田医院には今朝父(95歳)を連れて行きました。
植田一穂先生は「秋になってますますお父さんは元気になりましたね。夏の暑さを乗り越えたのでたいしたものです。クレアチリンの数値も良くなりました。」とのこと。
前回9月5日が2・30で、9月12日のデータは2.23でした。やはり減タンパク食と、水分補給、適度な運動が、父の健康を維持していると思います。
週に1度のゴルフの打ち放し練習が何よりの楽しみですので。いつまでも元気でゴルフが出来れば良いと思います。
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2014年9月16日に、「第2回認知症重度化予防実践塾」(高知市高齢者支援課主催)の講座を受講しました。8月の講座は台風の接近で中止になっていて、2回目の受講。7月8日以来です。
今回をいれて3回の受講。受講者はケアマネージャーや、介護施設関係者、社会福祉協議会の人達など介護のプロの人達が大半。家族としての参加は私を入れて3人です。参加者はスタッフは女性が大半で、私を含めた男性の参加者は少数でした。
午前中は、石黒秀喜氏(財団法人長寿社会開発センター)の講義がありました。石黒氏自身の身内の介護体験がベースになり多くの教訓を引き出されています。多くの参考になるお話をいただきました。そのなかで印象残った言葉を書いてみます。
「認知症になられた人のプライドを大切にした関わりが最も大事である。当たり前すぎて誰も教えてくれなかったことです。」
「家族の「励まし」は認知症になられている人には「抑制」となり、苦痛となる。指導教育は無理であることを介護をする人や家族は理解しないといけない。」
「認知症の人との信頼関係をつくることが何より大事。その人の全盛期の人生を知ること。」
「指示は具体的に1つずつ。一度に複数の用事は実行できにくくなる。抽象的な思考は苦手になる。」
「認知症の人はなにもかにもわからないのではない。ただ問題行動を起こしても怒られる原因が理解できない。しかし扁桃体が作動し、悪い感情は蓄積されていきます。」
「海馬が壊れ、全盛期の自分に戻っている可能性がある。」
「何もできないわけではなく一部の機能が壊れてしまった。「命令」には従わない。「抑制」には抵抗する。本人に恥をかかせないことが大事。」
「認知症は何も分からなくなって、最後は人でなくなるイメージがいつのまにか日本人の認知症観になった。惚けることを認めない文化が背景にある。小説「恍惚の人」の認知症感を引きずっています。」
「物言忘れがあっても気にならない社会であるべき」でした。
また石黒氏は「ユマニチュード」(フランスで1979年に生み出された。知覚・感覚・言語を包摂したコミュニケーションを軸にした認知症の人と関わり方の技術)
「見つめること」「話しかけること」「触れること」「立つこと」(2本の足で立って歩くことが、人間の特徴。歩くことで覚醒水準が向上する。寝たきりは不自然)という考え方は、今になれば当たり前。
医療現場や介護現場では「認知症」ということで、抑制ばかりの治療が今でも横行しているようですね。石黒氏は車椅子の認知症患者が、「ユマニチュード」により立ち上がり歩けるようになることは不思議ではない、むしろ医療関係者がおかしいと指摘されていました。
午後からは金田弘子氏(森本外科・脳神経外科医院)から、症例ごとの助言をいただきました。うちの母の場合の悩みは腰痛(脊椎間狭窄症による)が原因の筋力低下による尿失禁です。
「尿失禁対策はウォーキングの実施でしょう。最近では両手で使用する杖(ノルディックウォーキングで使用)を使えば良いという助言を受けました。母は頑固でなかなか歩こうとしません。
ケアマネージャーの下村恵子さんと相談し、1日デイの回数を増やしていただき、月曜、水曜、土曜にし、火曜と、木曜は半日型の介護予防通所リハビリにしました。金曜日はわたしがはりまや橋商店街の「活き活き100歳体操」(介護予防体操)へ連れて行っています。
家族としては社会制度も活用して目いっぱいのことをしています。水分補給はしつこくやり、今でも継続中。こちらは上手くやりました。問題はやはり歩くことですね。施設へ行く回数を増やしたのも専門スタッフにお願いしてあるからです。
不健康から認知症が進行することも理解できました。1回目の金田先生の講義でも「水分補給」の重要性が理解できました。2本足直立歩行の大事さ、「寝たきりにしない」ことが認知症を遅らせる有力な手段であることもわかりました。
超高齢の両親(父95歳・母88歳)との付き合いはまだまだ続きます。命には限りがありますが、精一杯家族として面白おかしい人生を共有したいと思う。
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旧聞になりますが、日本経済新聞2014年7月26日号に、藻谷浩介さんを取り上げた記事がありました。経済第1、新自由主義の旗手であると思っていた日本経済新聞。「里山資本主義」も冷静に論評していました。
今年の4月に「里山資本主義」を読んだ読書感想文をブログに記事にしていました。
「里山資本主義」を読んで
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-7982.html
案外二葉町と仁淀川町との交流会などは、先端的な取り組みかもしれませんね。
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今日は敬老の日です。さきほど民生委員の人が、地域の75歳以上の高齢者の皆さんへ昼食会へのご案内と、行けない人にはお弁当を配られていました。うちの両親は住民票はいの町なのですので、地域のお呼ばれには参加できません。いの町は85歳以上の高齢者には敬老祝い金が支給されます。自治体によって様々ですね。
さて母(88歳)は、今日は1日ディの日です。内臓的には何の異常もなく、血圧など正常な母ですが、腰痛(脊椎間狭窄間症と、すべり症)ですので、歩きたがりません。歩かないと足腰の大きな筋肉が鍛えられませんので、骨盤底筋が弱り尿失禁になってしまいます。
ケアマネージャーの下村恵子さんと相談し、ふれあいの里結さんの枠が空いたこともあり、土曜日も1日ディに行ってもらうことにしました。母は忙しい。月曜・水曜・土曜は結さんへの1日でディサービスに。火曜と木曜は午後から父(95歳)と介護予防通所リハビリ施設(ジョイリハ)へ行くことになりました。
金曜日は私と一緒にはりまや橋商店街へ行き、活き活き100歳体操(介護予防体操)への参加と買い物体験です。ということで歯の治療は木曜日の午前中にしています。
父(95歳)は、月曜と金曜日は植田内科での診察と点滴。月曜・火曜・木曜は介護予防通所リハビリ施設へ行っています。ない日は散歩しています。週末の土日のどちらかはゴルフの打ち放し場へゴルフ・リハビリです。
医療関係では85歳以上のデータは整備されていないとか。うちの両親は超えている超高齢者です。社会制度も最大限に活用しながら「健康寿命」を伸ばし、維持することに家族として全力でサポートしています。
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9月14日(日曜)は絶好の晴天。午後来客がありその後家内と2人で歩いて、「おびさんマルシェ&ラララ音楽祭」を見に行きました。おびさんマルシェは10年目。おびさんマルシェ&ラララ音楽祭は13回目の開催になりました。
どちらも良質の文化の香りのする市民参加型の屋外催しです。高知の市民の底力を感じます。できるだけ同日開催するようになればいいですね。ただ地べたへ座って仲間内で昼間からお酒を飲むだけのイベントより1000倍ましですから。
いろんな音楽(ロック・フォーク・カントリー・Jポップ)を聞いて、おびさんマルシェの露店を散策しました。大西みちるさんに会いました。「佐賀県からおびさんマルシェの視察に来てました。」とか。
良い天気でたくさん人も詰めかけていました。こういイベントを見学しますと元気になります。
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今朝の高知市は快晴。10時過ぎの事務所の温度は24度で湿度は80%。つい最近まで30度湿度95%状態が続いていましたので快適ですね。どん曇りの昨日とは違う晴天。昨日のセーリングがこうであれば良かったのですが、屋外スポーツはお天気次第ですので仕方はありません。
いつものように父(95歳)は入念に体操をしています。ゆっくり。ゆっくりと球を打ちます。休憩時には水分補給で経口補水液のOS-1を飲んでいます。涼しくなったとはいえ脱水症状が怖いですから。
この練習場は駐車場の下に打席があります。父は125発を打った後この階段を登って車まで歩いてきます。2年前は息切れをしていました。今は息は全く切れません。週に3回の介護予防リハビリ通所が効果があるようすね。
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NPO法人YASU海の駅クラブ理事会は、2014年9月11日に午後7時から、香南市夜須の香南市マリンスポーツセンター会議室で開催されました。まず事業報告がされました。順調に消化した事業は、6月7月とありましたが、8月は「記録的な悪天候」ために、17の海での事業が中止となりました。
これを見ますとあらためて今年の8月の悪天候さが際立ちますね。
今年はYASU海の駅クラブ設立10周年の記念すべき年です。11月2日に記念講演と記念祝賀会が予定されています。
HAND IN HAND高知大会(9月28日開催)と、ヤッシー・カヤックマラソン(10月19日開催)が10周年記念事業の冠もつきました。
海と地域に係るNPOとして今後も発展していっていただきたいと思います。
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先週に続いて母(88歳)は歯の治療に歯医者へ連れて行きました。不安そうですね。歯医者は子供でも大人でも超高齢者でも怖いところですから。
前歯が折れたので、刺し歯処理を保険内で行っていただくことになりました。幸い歯状がよく基礎の歯が残っているようです。
見ていますと今日は基礎の歯に穴を空け、接着剤を流し込み、基礎の支えを接着したようです。そして粘土状の寒天がゼラチンを口の中に押し込んで、しばしすると硬化します。多分かみ合わせの形をとっていると思われます。
これまでもなんとか入れば歯なしで母は来ました。今回の差し歯治療が成功すればいいなと思います。順当なら来週治療は完了します。
観察していまして歯医者さんの仕事は土木建設業に似ていますね。1番嫌がる回転電動金具で削る作業は「錆落とし」作業に似ています。音が大きく部位によっては痛いですが、これを上手く徹底的にやらないと治療は上手く行きません。防錆塗装も錆落とし作業を怠りますとすぐに錆が出ますから。
接着剤は2液性か、一液性か不明ですが瞬間接着剤です。刺し歯の基礎と歯の根元を接着します。暖かい空気も送風しているようですぐに固まります。注射器というよりはコーキングのガンの小型版の容器で接着剤を投与しています。
母はなんとか治療に耐えました。来週で治療は終わりとか。
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高知市下知地域(9400世帯・人口2万人)で、新たな地域コミュニティをこしらえようという目的で、今年2月から下知地域内連携協議会・準備会を3回開催し、5月から準備会に移行しました。9月10日の会合は準備会としては第5回目です。
今回も下知地域に関わりのある町内会や自主防災会、校区安全会議、民生委員、社会福祉協議会、福祉関係者、消防団、地元企業、小学校PTA,保護司会、文化団体などの人達25名が参加しました。
今回の会合の議題は4つです。
1)下知地域内連係協議会の規約について
2)下知地域内連係協議会の事業計画、予算について
3)下知地域内連携協議会の役員の人選について
4)下知地域内連係協議会の加入手続きについて
規約については全会一致で承認されました。
事業計画については、」当初10月17日(金曜日)に、昭和小学校で予定されていた「映画じんじん」については、準備不足ということで延期することにしました。きちんと上映目的をはっきりさせ、実行委員会的なものをこしらえ、再度仕切り直しになりました。
役員の人選については、「役員選考委員会」をこしらえて行うことが同意されました。加入手続きについては「ひな形」が承認されました。個人・団体用があります。高知市暴力団排除条例に基づいて誓約も提出する形式になっています。
10月8日に高知プリンスホテルで結成総会を開催し、総会終了後は懇親会も行います。
地域に新しいコミュニティをこしらえることは結構都市部では大変なことです。でも普段交流のない人たち同士が会話が出来るという事がなにより良いことであると思います。
きっと「面白い会合」に成長すると確信しています。
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2014年9月7日にNHK仙台放送局が制作した番組「いま災害を生き抜くためのことば」に参加していました。音声NHKラジオ第1放送の番組で午後5時5分から6時55分ま全国放送されました。
NHK仙台放送局のスタッフの皆様とは当日まで事前に面談はしていませんが、担当者の塚原奏介さんとは事前に何度もメールでやりとりをしたり、時に電話で話をしたりしました。個人的な事を申せば、わたしは今まで一度も東北の地へ行ったこともなく、「仙台へ来られてラジオ番組へ出演しませんか」と言われましたが、私ごときでいいのでしょうか。ちゃんと他の出演者の京都大学助教の奥村与志弘さんやタレントの山口もえさんと話がかみ合うかどうか正直心配でした。
事前のNHKの事前取材録音が5本あり、そこがしっかりしていましたので、番組進行はスムーズでした。わたしの技量不足で感想を言うにとどまり、「仁淀川町と二葉町との取組」や、「徳島県美波町との交流」「神戸市長田区鷹取町内会との交流」については紹介できませんでした。
日程的にシビアでしたので、仙台市は駅から仙台放送局との間の徒歩15分と、帰りにホテルから駅まで15分の歩きで街並みを垣間見ただけでした。それでもあるキリスト教教会に「ボランティア募集」の看板があり、朝日新聞や河北新聞の記事に「震災関連」があり、やはり四国で感じていること以上に深刻であると思いました。
「いま災害を生き抜くためのことば」番組について
番組では5つの事前取材と録音にて構成されていました。
1)岩手県洋野町では、「津波の犠牲者が0」でした。その背景は?
ベテラン漁師のくらさん(77歳)は、「揺れ方がいつもと違う。これは大津波だ。」と周りの漁師や港にいた人たちを高台へ避難するように大声で呼びかける。地震後とまどいう動けなかった人たちに「スイッチ」が入り、皆が逃げることに成功し、犠牲者は出ませんでした。
凄いのは、娘さんも「きっと無事だろう」と信じて、1人で探すこともせず高台へ逃げたそうです。
「津波てんでんこ」の実践事例です。「てんでんこ」は「てんでんばらばらに」の意味で、「人にかまわず必死で逃げろ。」という意味です。「津波対策はハード、ソフト両面あるが、特にソフト面が非常に大切なことが証明された。各家庭で津波の時にどうするか、考え続けてほしい。それが集まることで真の対策となる」(岩手日報)
まさに岩手県洋野町の人達は「津波てんでんこ」を実践して助かりました。
「板子一枚の下は地獄」の世界で仕事をしている漁師さんたちは、私は「海の神様」であると思います。わたしもセーリング(ヨット)を遊びでしていますから。2度ほど冬の強風の海で漁師さんに助けていただいたことがありました。
「冬の青空で北の山へりに白い雲がへばりついていたら大風が吹くので絶対に海へ出られん」と言われました。私が自力で戻れなくなったのは、今思えばそういう気象条件でした。
ベテラン漁師のくらさん(過去津波に3回遭遇とか)が「これはただ事でねえ。偉い津波が来る。逃げろ!!と叫んだのは物凄い説得力がありました。その一言で経験の浅い若手漁師にもスイッチがはいったのですから。
家族を「探すのではなく、その場その場で、てんでんばらばらに1人1人が高台を目めざして逃げること。そのことを家族と地域のルールにして、しかも実践されたことが凄いことです。
昔の人が考案した「津波てんでんこ」は優れた言葉であると今更ながらに思いました。
四国にはそのような優れたコピーはありません。「命山」と呼ばれる小山が沿岸部にあります。
私がセーリングを年中やっている香南市夜須町。過去の南海地震の大津波で「亡所」という表現が古い記録にあるように被害がでている地域です。この地域の坪井に30メートルの高さの小山があり観音山と言われています。
言い伝えでは大津波が夜須を襲いました。ひとびとはこの山へのがれて命が助かりました。しかしそのうち何人かは山を下り、自宅へ戻り金目のものを取り出そうとして次の津波の大波にのまれ亡くなりました。
徳島県美波町(由紀)には、日本最古の「津波に注意する」石碑があります。
石碑には「逃げたら金目のものにとらわれず、家に戻るな。」と刻まれているそうです。この山は人々の命を救う「命山」とも呼ばれています。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_2320.html
「命山」とよばれている高台は四国に何か所かあるようです。
2)地域のリーダーの責任を考えさせられました。
山元町ではラジオの予報で津波の襲来を知ってもなかなか地域の人たちが逃げない。区長さんが懸命に説得しても逃げない。90歳のお爺さんを説得中に津波に巻き込まれ、なんとか一命を取り留めました。
番組の中で区長さんの言葉が紹介されていました。
「自分の区の犠牲者は59人。住宅団地だけで、12.3人亡くなる。近所で固まっていた人も亡くなる。他の区長は、避難を言いまわっているうちに犠牲になった方も。
自分の命は自分で守り、自分で避難するのが本当でしょう。気持ちの問題として、区長は地域のために働く。自分だけが助かろうとは思えない。
地域のために働くはずだという住民の期待も感じる。我先に逃げていいのか、悩ましい。そんなことしたら後々まで非難されるのではないか。」と。
重たい言葉です。
私の私見は「役目を持つ人の問題ですが、自主防災会は救助のプロでもないので、あくまで事前の啓発や呼びかけ、事前対策がすべてです。自分や家族の命は自分で守ることが大原則です。」
山元町の区長さんは真摯で地域の人達の動静を把握されています。緊急事態にも災害弱者と言われる地域の高齢者をなんとか助けようと奮闘されておられました。では自分はそれが出来るのかと問われれば、それは出来ないと思います。
うちにも超高齢者の要介護度1の両親がいます。家族があります。小さいながらも会社を経営しています。危機的な状況の中で、避難しようとしない地域の住民を敢えて説得する選択肢は私にはありません。やれることは事前対策がすべてです。
わたしなりに自主防災会の補償制度や保険についても調べました。
「現状では自主防災活動で怪我をしたり命を落としても補償はなにもないです。」
高知市の消防団員をしている知人に聞きました。消防団員は火災現場へ駆けつけ消火活動をしますが、その際怪我をしてもちゃんと保険が掛けられていて、死亡したら多額の見舞金が出るように聞きました。
一方地域防災の一翼を担うと期待されている自主防災会。現状では南海地震が起きて、ご近所の人達を救助しようとして怪我をしたり、死亡しても消防団員のような補償は全くありません。無保険状態なのです。
損害保険に詳しい知人に「自主防災会メンバーを対象とした傷害保険はありませんか?なければこしらえることは難しいのでしょうか?」と聞いてみました。
回答は「全国市長会市民総合賠償保障保険というものがありますよ。そのなかでおそらく自主防災会の活動もカバーされているのでは」との回答を得られました。
全国市長会市民総合賠償保障保険(奈良市の事例))
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1244454343983/index.html
全国の市町村が加盟をしていますが、補償内容が「ボランティア活動」や、防災訓練時の事故などに限られていて、実際の地震や津波での活動は「補償対象外」と明記されているのです。
例として取り上げました奈良市の場合も「対象外」と書かれています。
■ 補償の対象とならない事故
* 該当行事等に参加するための往復途上の事故
* 給付対象者の故意
* 死亡給付金を受けとるべき者の故意
* 給付対象者の自殺行為、犯罪行為
* 給付対象者の酒酔い状態での事故、又は無資格運転による事故
* 給付対象者の脳疾患、疾病又は心神喪失によるもの
* 大気汚染、水質汚濁の環境汚染
* 地震、噴火または津波
* 医学的他覚所見のないけい部症候群(いわゆる「むちうち症」)や腰痛
---など
ではなぜ自治体は「自助」「共助」「公助」を言い「自助が7割・共助が2割・公助は1割です。」などと無責任極まりないことを言うのでしょうか?
公助(行政)の2倍も(共助)が担うべきであると行政側は日頃公言するのに、防災活動をする自主防災会の構成員の「身の安全」「傷害保険」については何の手立てもしていません。全く無責任極まりない。社会的なケアする仕組みづくりが大事なのではないか。この件に関しては掛け声だけでなにもしないのが行政当局です。
ちゃんと補償があると言うなら、具体的にそのしくみを解説いただきたいものであります。
3)洋野町の消防団員は「率先して逃げる」ことをルール化していて住民も熟知している。
時間を決めておられ「何分経過した。これ以上は危険。消防団は率先避難する。」と消防自動車をともないサイレンを鳴らしながら高台へ避難された。それを見ていた住民各位は「消防団が避難しているぐらいだから大変な津波が迫っている。ただちに何を置いても高台へ逃げなくてはいけない。」というメッセージにつながりました。
これは良いルールであると思いました。消防団はボランティ組織とは言え、行政組織と末端で繋がっています。災害罹災情報は行政から逐次無線で送られてきます。危機が迫っていることをいち早く知ることが出来ます。
それゆえ知りえた危機的な状況を、的確に住民各位にすみやかに伝達することが消防団には求められます。地域の自主防災会は残念ながら現状では、行政側の情報を提供される立場にはありません。無線も繋がっていませんから。
4)桂島では若手住民が高齢者を優先的に車を活用して高台に避難させ、避難が完了した後、津波が押し寄せましたが皆が助かりました。
聞いていまして、とくにルール化していなかったようですが、島の人たち同士が顔見知りで島で1番弱い人たちが誰なのか、どこに住んでいるのか熟知しておられました。それゆえ自分ができることはなんなのか。短い時間の間に何をするのかが理解し、行動して成功された数少ない事例でしょう。
都市部で町内会さえ入らない身勝手な住民が多い今日この頃。地域全体が顔見知りにはなかなかなりにくい。でも工夫して地域コミュニティを再生することが、防災・防犯ン・見守りにつながることではないかと思いました。
5)避難先で待ち受けた苦難。大勢の避難者で混乱している避難者では、傷害を持たれた人や慢性疾患を持たれた人や、乳幼児などへの対応がとても難しい。
レポートでは視覚障碍者の方が、なんとか高台の避難所へ避難したものの、勝手がわからず苦労され、ついには体調を崩されてしまったとの報告がされました。
ではどうすればいいのか?二葉町自主防災会では、既に1つの答えを出しています。それは町内住民全員を対象とした防災世帯調査の実施です。
7年ぶりに行われた二葉町防災調査。今回も前回同様に、世帯構成や、緊急時連絡先、病歴。介護歴などを自己申告制で記入いただきました。更に今回は「資格」保有者の申告もお願いしました。
特筆すべきは、「医療・介護」分野の有資格者が複数二葉町内におられるということです。
看護師は元されていた人も含めて7人おられました。医師も2人おられます。介護士の資格保有者は6人います。助産婦の資格保有者もおられました。理学療法士などもおられます。
美容師も5人おられます。アマチェア無線保有者も複数おられます。建築士も複数おられます。手話通訳の資格保有者の方や、調理師の方もおられました。高圧ガスの取扱者や危険物取扱者も複数町内におられます。
大災害直後は、行政機関の速やかな支援は期待できません。「共助」力を高めるために、大変有益な調査であったと思います。
取りまとめをされまし荒木三芳二葉町自主防災会副会長に感謝申し上げます。
全世帯を対象とした「防災世帯調査」を二葉町は実施しました。町内のデータはももっています。しかし周辺の町内はまだ実施していません。それとは別に各個人が携帯カード式で「SOSカード」を下知地域の全世帯に配布したいと検討しています。「わたしは●●に障害があります。」とカードの表に表記し、裏には保険書番号や病歴・介護歴を記述し、薬手帳も携帯する方式。避難所ですぐに手が打てます。自主防災会では予算がないので、社会福祉協議会に要請しています。
やれること、できそうなことはどんどん提案しています。
二葉町内の津波一時避難(退避)場所への避難行動と、下知コミュニティ・センター(避難収容所)との携帯トランシーバーを活用した情報伝達訓練を実施しました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ba99.html
「みなし仮設住宅」として、中山間部にある空き家が活用できないか。改装する費用や、維持費用の支援はなんとか取り付けられないだろうかと検討しています。
1)昨年仁淀川町側より「疎開保険」の提案がされました。1人年間1000円の会費を二葉町契約者が払う。もしもの時に宝来荘に宿泊し、空き家探しを行うことが出来る。その間宝来荘を安く利用できるなどの特典が提案されています。まだ検討協議中です。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-7d0a.html
2)仁淀川町の家屋を所有している知人から昨年借ることにしました。しかし6年位住んでいないために廃屋状態に。手入れさえすれば居住は可能ですが、その費用が出ません。「みなし仮設住宅扱い」を行政側がしてくれて、支援を戴ければ、」二葉町は独自に町民用の避難住宅をいくつか仁淀川町内に確保することが出来ます。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-b57b.html
(構想としては大きく長期的に取り組んでいく課題)
1)高密度発泡体を活用した浮体構造物での浸水対策
南海地震発生と同時に液状化が始まり、地盤が沈下し、浸水が始まります。津波一時避難(退避)場所や、津波避難ビルは階段で垂直避難しなければならない。歩けない人たちは介助が必要。高齢化している地域ではとても難しい課題です。
元橋梁技術者である小谷鐡穂さんに「高密度発泡体を活用した浮体構造物」を考案していただきました。「高密度発泡体を活用した浮体構造物」は船ではありません。筏のようなものです。低地の被害者は水平移動で「高密度発泡体を活用した浮体構造物」が埋め込まれている公園や空き地へ急ぎます。安全に退避できます。浸水が始まれば浮き上がります。定員の制限はありません。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ce44.html
2)モンゴル民族の知恵 ゲルを仮設住宅に
モンゴル民族は移動式の家屋で大草原を駆け巡っています。基礎工事などが不要なゲルは、家具一式が揃っており、雑魚寝であれば20人は収容できます。学校の校庭、公園やゴルフ場などに簡便に設置でき、簡便に現状回復ができます。モンゴルと交易している友人によれば、20組をモンゴル本国からコンテナーで運び、組み立て指導まで入れて約700万円程度とか。雑魚寝でいくと400人分の仮設住宅。家族で行くと20家族分の住居が建ちます。そういう柔軟な発想も必要です。
3)立体換地による下知地域の防災都市整備事業の展開
地域の合意形成が確率してから、区域を更地にして、耐震地盤をこしらえ、整備地域を10m嵩上げします。その上に耐震高層の建物を建築し、再開発します。住居と部屋を立体換地する。商業店舗や公共施設も誘致する。高知市内中心部にほど近い下知地域が安全・安心な市街地になれば、高知市の価値も上がります。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-55c0.html
4)住民によるまちづくり協議会の発足
下知地域の団体、グループ、個人などが集まり下知地域内連係協議会をこしらえます。10月には結成できると思います。その地域内のコミュニティ組織を元にして「まちづくり協議会」を近い将来発足させ、事前の震災復興計画を検討するようにします。「立体換地」か「集団移転」かしかこの地域の復興はありえませんから。
内閣府も市民の動きに注視しているやに聞きます。コンタクトをとり真意を確かめてみたいと思います。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e800.html
1995年の阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区。石井会長が昨年高知市で講演会をしていただいたときに「こちらの地域は近い将来南海地震が起きることわかっているんなら、自分らのまちをそうやって再建するのかを、地震が起きる前から市役所と一緒に協議会をこしらえ研究・検討会をつくるべきだ。」と助言をいただきました。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/2-4326.html
5)太陽光パネルによるLED照明灯の設置
真摯な民間企業2社が資金を提供し、避難所、津波避難ビル、避難路、津波一時避難(退避)場所に設置する事業計画。先行モデルは東北3県でJS・Fundationが300灯以上立てています。
今後来るであろう南海地震対策として実施しようとしています。種々難しい問題もあり、現在行政側と折衝中です。
ともすれば行政主導の防災・減災対策は、「悪平等主義」に取りつかれ、「とりあえず防災」になりがちで効果が上がりにくいものです。市民の目線での減災対策をいくつか実施したいと思っています。
荒唐無稽な発想もあるでしょうが、低地に住む高知市下知地域全体の住民が「生きのびる」ことは簡単なことではありません。「とりあえず防災」を言い訳にする行政任せでは、命も暮らしも守れないことは確かですから。やれることを「面白く」やることをし続けたいのです。
「2015年は石巻市訪問交流研修ツアーを実施しようと思っています」
「高知市下知地域は驚くほど石巻市に似ていますね。」と言われましたのは、今年1月に講演いただきました河北新報社編集局報道部記者の土屋聡史さんです。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-4759.html
来年5月以降有志で石巻市を訪問し、地元の皆様と交流し、現地を見学し、復興・復旧の課題問題点を見つけたいと思っています。それ一度の訪問にとどまらず、可能であれば継続的な交流ができるようにしたいと思っています。
2008年に阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区鷹取東地区を二葉町自主防災会有志は訪問しました。住民同士の話し合いはとても有益でした。
http://futaba-t.cocolog-nifty.com/blog/cat31916625/index.html
2013年には「長田復興から学ぶ!下知復興への備え」という表題で、鷹取東地区のリーダーである石井弘利さんに講演いただきました。
「「住民側は集まって、まちづくり協議会をこしらえて、地域の要望を役所に言うことや。言わないと何も始まらん。それをせんと文句ばかり言っても何も変わらん。
住民側も勉強せんといかん。役所に対抗するには勉強が必要や。地域の絆を強めて、地域からの要求を聞いてもらうことや。それにはメンバーには役所の人にも入ってもらい、一緒に地域づくりをやっていたらえいと思う。
いずれにしろこの地域は南海地震が来るのだから、。その時に困らないように、地域の地盤のかさ上げをするとか、耐震地盤をこしらえるとか、耐震高層住宅を建てるとか地域の要求を行政側に出すことや。それを地道にやっていくことです。」
下知地域の文化や歴史を掘り起こすことも必要でしょう。
市民と行政の協働で、準備段階から慎重に真摯に協力し合いながら、とりあえず「地域連携協議会の研究会」をこしらえたいと思います。それが熟成したところで「準備会」をこしらえます。それから発足に向けた事業計画を出し、可能なら今年中にこしらえたいと思います。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-9e88.html
NPOや企業やグループも参画できる仕組みにしていきたいと考えています。10月に「地域内連係協議会」は発足することになっています。
偶然見たNHKのTV番組で「復興するチカラ in アメリカ」が印象に残りました。
東日本大震災で大きな被害を受けた東北3軒(宮城・岩手・福島出身の大学生3人が、アメリカのニューオーリンズとサンフランシスコを大学準教授とともに訪問し討議する番組でした。
ニューオーリンズと言えば2005年位にハリケーン・カトリーナが直撃し、大きな被害を受けた街です。全く当時から復興していない街があると思えば、ベトナム系移民の多い街では、住民自らが知恵と労力とお金を出し、コミュニティを復興させていました。
カトリック教会の牧師がリーダーで住民同士で討議しまつづくりをやっていました。
またニューオーリンズは災害以降に「起業家」が爆発的に増えたそうです。起業家をサポートするNPO法人まであり、学生たちは訪問し理事長との懇談。日本ではともすれば大企業を誘致しよいうとか他力本願的な発想ですが、ここでは「やって見なはれ」の世界。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-26b6.html
失敗したらまたトライすることやの理事長は頼もしい。
サンフランシスコでは面白い市職員が登場。しきりに「レジりエンス」という言葉を使用していました。「災害に負けない力」とでもいうのでしょうか、しなやかに地域を街を復興させるということです。
地域コミュニティの再興をめざしているとか。市の職員は「サンフランシスコは全米でも人気の高い復興明媚な街・しかしこの10年で住民の6割が入れ替わった。そういう状態では災害時に弱い。コミュ二ティを再興しないといけない。」とのこと。
「住民一人一人が立ち上がる レジリエンスで復興を加速せよ」
「街づくりが復興力を高める 全員が町のオーナーだ!」が番組のキーワードでした。
高知市下知地域においてもこれから「地域内連係協議会」が誕生することになっています。やはりそれは地域コミュニティの再興であり、「おもしろい街」になることです。
「レジリエンス」という言葉も初めて聞きましたが、地域のしなやかな復興力と言うものでしょう。やはりそのためには地域の住民同士のつながりが必要であるし、地域を元気にする「お祭り」も必要だし、「企業の力」も必要です。
今回仙台放送局制作のラジオ番組に参加し、また戻ってきて考えたことをまとめてみました。
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「歴史としての社会主義」(和田春樹・著・岩波新書・1992年刊)を読みました。この著作が刊行された1992年と言えば、いわゆる従来型の「社会主義国」が崩壊し、ソ連や東欧諸国の「社会主義国」が消滅したころです。
中国やベトナムのアジアの「社会主義国」はそれを眺めていて国内の民主化運動を抑圧しながら、外資を積極的に導入し急激な経済発展をし、一党独裁の政治体制でありながら国家資本主義といういびつな体制に変質しました。
2014年時のロシアとウクライナの問題、クリミア半島の問題も「社会主義国ソ連」の時代からの背景もあります。
今でも俗にいう自称「社会主義者」の人達は自分たちの信仰する社会主義を「科学的社会主義」と言い、それ以外を「空想的社会主義」と切り捨てます。筆者はマルクス登場以前の社会主義思想を研究し分析もしています。
私有制度と経済的格差は近代以前から問題になっていました。フランス革命当時バプーフと言う社会主義者がいました。
平等を実現するには富者を打倒し、私有財産制度を廃止し、革命独裁=強力な国家による改革をしなければならないとしていた。バブーフは武装蜂起の準備中に逮捕され処刑されました。
その本質は「個々の市民に平等を強制するものであった。もしもパリで放棄に成功したら、バブーフ達はフランス人に「共通の幸福の奴隷制」を強制することになる。」)P26)ということです。
また筆者はわが国で「空想社会主義」と翻訳されたサン・シモン、フーリエ、ロバート・オーエンらにも言及しています。バブーフのような暴力的な強制力を伴わず、産業組合的な考え方や協同組合的な組織で富の公平な分配をめざしていました。ロバート・オーエンのか考え方は後に消費者協同組合(生協)などの展開に後になっていきました。
また筆者は「マルクス主義の強み」の項目でこう述べています。
「エンゲルスは、1880年のきわめて名高いマルクス主義普及の書「ユートピアから科学へ」(邦訳名「空想から科学へ)の中で、マルクスの唯物史観と剰余価値学説の発見によって、社会主義は科学になったと主張したが、これは大いに人々を誤導した発言であった。」
「たしかに「資本論」を頂点とするマルクスの学問的な現実的分析は高度な水準であっかが、社会主義思想しのものがユートピアすそうであることは、彼の場合でも変わりがなかったのである。」
結局マルクスにしてもブルジョアジーを打倒してどのように理想社会(共産主義9をこしらえるのかについては極めてあいまいで雑な記述しかしていないようですね。筆者はフランス革命時の残忍な独裁的共産主義者バブーフの影を引きづっていると指摘しています。
ロシア革命のレーニンは戦争共産主義を一時期形成したし、スターリンは一党独裁の恐怖政治で国全体を監獄にし、ナチスは巧みにその体制を模倣しました。事情を知らない外国からは理想国家とみられていた社会主義国も内実は監獄社会。独裁国家の奴隷制社会であったと言えるでしょう。
一読して富の再分配、階級格差の是正をするために「奴隷制強権国家体制」を構築することが、言古された「プロレタリア独裁」なんでしょうしょいか?
わたしはここ数年の個人的な社会運動の総括に「連合赤軍と新自由主義の総括」を取り上げています。しかし理想社会が「奴隷制社会」であった現実は、あまりに辛い結論ではないか。
「社会主義」のありかたはもっと別の道があるだろう。そう思いかんがえてみたいと思います。
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今日は植田医院で診察と点滴を受けました。先週の血液検査の結果も良好でした。95歳と3か月になる父ですが、健康であることに感謝です。検査報告書の結果も良好でした。
植田一穂先生はこう言われました。
「減タンパク食の摂取と、適度な運動(週1回のゴルフリハビリと週3回の介護予防リハビリ)と適切な水分補給が腎機能を回復させたのでしょう。年齢から言えば驚異的なことですよ。」
植田医院から父は2本足直立歩行で歩いて駐車場まで行けます。健康寿命を95歳まで維持していることは素晴らしいことであり、家族としても喜びです。
お昼の12時10分には、介護予防リハビリ通所施設(ジョイリハ)の送迎車が来ました。母(88歳)と一緒に元気に乗り込んでいきました。通所し始め3年となり、超高齢者でも体力がつくことが両親で実証されました。
思えば丁度6年前。2008年の9月8日(月曜日)に、父は昼食中に意識がなくなり、近所の飲食店のオーナーが救急車を手配していただき、うちへも連絡いただきました。ちちのポケットに私の名刺が入っており連絡いただきました。
父の保険書を家内に探してもらい救急車へ飛び乗って近森病院へ搬送されました。ICUへ入り、緊急手術をして一命を取り留めました。幸い身体には後遺症は出ませんでした。言語機能が1部やられ失語症になりました。
以後仕事の都合をつけて、毎日母を連れて病院へ見舞いに行きました。近森病院に1ヵ月、リハビリテーション病院に3か月入院し、12月27日に退院できました。同時期母のアルツハイマー型認知症も発見できました。
6年前から私の人生は大きく変化しました。多くの市民活動には参加できなくなりました。偶然でしたが2000年4月から8年6か月続けてきた高知シティFMでの番組制作と出演も打ち切りになり、原則地域限定(300M四方の町内)になりました。300M四方の二葉町に限定した地域活動になったのは父が脳血管障害で倒れたことと、母の認知症からでした。
人の命には限りがあります。父は見事に回復しました。今も努力をしています。その姿に励まされています。私も頑張らねばと思います。
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二葉町自主防災会情報班長の西村が、番組出演のために2014年9月7日NHK仙台放送局を訪ねました。その道中記の1部です。
9月7日の早朝高知を出発。夜須上空を通過。東京も曇天。空港付近は海抜が低い0メートル地帯。首都直下型地震が来ればお終いになりますね。
東北新幹線も初乗り。車窓風景から見る東北は豊かであると思いました。駅からNHK仙台放送局までは徒歩で移動。仙台は秋の風情。風が爽やかで気持ちがいい。整然とした大都会ではないか。緑も多い。
番組ホームページ http://www.nhk.or.jp/sendai/pickup/kotoba.html
四国高知の田舎者が7日はNHK仙台放送局へ行き、全国放送のラジオ番組「いま災害を生き抜くためのことば」へ出演しました。他の出演者の奥村与志弘さん(京都大学助教、津波防災が専門)は京都から、山口もえさん(タレント)は東京から、司会進行の本田俊介アナ(福島局)は福島県から、番組制作の塚原奏介アナ、塩澤大輔アナは仙台放送局から出て来られ、いきなりの打ち合わせ、いきなりの生収録でした。
番組の合間や事前・事後の打ち合わせのなかで「これは大事である」と思った内容もいくつかありました。それは近い後日頭を整理し、忘れないうちに記録に残します。出演者の皆さん各位とスタッフの皆様へは「ごめん生姜飴」と「ミレーのビスケット」を持参しました。
個人的な感想を申せば、タレントの山口もえさんは、頭の回転の速い人でした。位置づけは「視聴者代表の2人のお子さんがおられる若い母親の立場」をわきまえメリハリのある話ができる人でした。
番組風景の写真や番組終了後の記念撮影もマネージャーさんの承諾も得ています。色紙を持参していましたので、サインもしていただきました。きどらないきさくな人でした。
京都大学助教の奥村与志弘さんは、「引き出しの多い」学識経験者。若いので日本各地や外国へも出掛け実践的な減災対策を常に検討されておられます。「3・11」の極限的な状況の中で、九死に一生を得た東北各地の人達の言葉をスタジオでじっくり聞いてそれへの感想やコメントが求められました。
夕食は刺身の盛り合わせと牛タンも食べました。気仙沼や石巻からさんまが大量に水揚げされるので、「さんまの刺身」があり新鮮でした。・
今回は番組収録と打ち合わせが主体。魯迅ゆかりの地も行きたいところでしたが、全く時間はなく8日の早朝往路の東北新幹線に乗り、羽田経由で戻って来ました。
戻って来ますと高知も久しぶりに晴れていましたが、爽やかな仙台の気候と比べると蒸し暑く熱帯のようでした。行きも帰りも空港から東京駅までの乗り換え時間に余裕がなく全力疾走でした。
今度はじっくりと訪ねてみたいところですね。
現地へ行って感じたこと、聞いたことなどを後日まとめます。印象にのこった言葉は「日ごろから地域で孤立しない」ということです。今日のところは「乗り物ボケ」(田舎者は新幹線にショックを受けましたので)
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「沸騰!図書館 100万人が訪れた驚きのハコモノ」(樋渡啓祐・著・角川書店・2014年刊)を、8月27日のサニー会の研修会(図書館が街を創る 講師CCC・高橋聡氏)を聴講直後会場にて購入しました。
樋渡市長は結構ユニークな人で、図書館改編の前には、大赤字続きの市民病院を民間委託したり、結構人口5万人の地方都市で改革市政をやっていたようです。ブログやツイッターなどでも積極的に発言し、「炎上」も1度は2度ではないようです。
一読して武雄図書館は運営をCCCに委託して85%は成功したのではないかと思います。なにより以前の図書館の職員や司書が全員新しい図書館で仕事していることも大きい。自動貸し出し・返却機能の機会で業務をしているので、「おすすめ図書」など図書館司書としての本来の役割を果たせるようになったようですね。
「わたしも一般職の公務員だったからよくわかるのですが、公務員はともすれば「できない理由」を考えがちです。しかし、まちづくりは「できる理由」を考えないと必ず失敗します。これからは私と一緒に出来る理由を考えて行きましょう。」(P34)など前向きな市長さんですね。
樋渡市長は東京代官山にある蔦屋書店を訪問見学し、CCCの増田市長に面談し、武雄図書館の改装と委託管理を即決で依頼したようです。CCC側も「図書館と病院をこれからの地方サービスとしてやってみたい。」とのことでした。
一昔前高知県立病院と高知市民病院が統合してPFI方式で高知医療センターが鳴り物入りで発足したものの、結局PFI方式は破たんしてしまいました。これからまた県立図書館と市民図書館が合築図書館として、廃校になった高知市追手前小学校跡に建設中。
中の橋商店街が、「まちづくり」を意識してなのか「図書館通り」とか名前を替えました。果たして高知市中心部にできる合築図書館が、武雄市のような1年間に100万人も来館する集客装置になるかどうかは現時点では不明ですね。
市議会との議論の様子や、改築反対派との議論の様子も樋渡市長側からの見解は詳しく記述されていて、なるほどと思うところもありました。政治姿勢は「リベラルもどきが大嫌い」です。
「日本でリベラルと目されている政治家の多くは、大きな政府を支持する割に増税にも否定的だ。とある政党など、防衛省の予算を大幅に削減できれば実現できる、と本気で言い張っている。そうでない政党・政治家も、空理空論を振り回す割に増税となると支持者が減るから、と言う理由で消極的になる。
(中略) 僕はこういう無責任極まりないリベラルもどきが大嫌いなのだ。」(P204)
1年365日無休で、午前9時から晩の21時まで開館している武雄図書館。見学して見たくなりましたね。
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7日に仙台へ行くので、関連番組と思いNHK総合テレビ「復興するチカラINアメリカ」をぼんやり見ていました。東日本大震災で大きな被害を受けた東北3軒(宮城・岩手・福島出身の大学生3人が、アメリカのニューオーリンズとサンフランシスコを大学準教授とともに訪問し討議する番組でした。
ニューオーリンズと言えば2005年位にハリケーン・カトリーナが直撃し、大きな被害を受けた街です。全く当時から復興していない街があると思えば、ベトナム系移民の多い街では、住民自らが知恵と労力とお金を出し、コミュニティを復興させていました。
カトリック教会の牧師がリーダーで住民同士で討議しまつづくりをやっていました。
またニューオーリンズは災害以降に「起業家」が爆発的に増えたそうです。起業家をサポートするNPO法人まであり、学生たちは訪問し理事長との懇談。日本ではともすれば大企業を誘致しよいうとか他力本願的な発想ですが、ここでは「やって見なはれ」の世界。
失敗したらまたトライすることやの理事長は頼もしい。
サンフランシスコでは面白い市職員が登場。しきりに「レジエンス」という言葉を使用していました。「災害に負けない力」とでもいうのでしょうか、しなやかに地域を街を復興させるということです。
地域コミュニティの再興をめざしているとか。市の職員は「サンフランシスコは全米でも人気の高い復興明媚な街・しかしこの10年で住民の6割が入れ替わった。そういう状態では災害時に弱い。コミュ二ティを再興しないといけない。」とのこと。
「住民一人一人が立ち上がる レジリエンスで復興を加速せよ」
「街づくりが復興力を高める 全員が町のオーナーだ!」が番組のキーワードでした。
高知市下知地域においてもこれから「地域内連係協議会」が誕生することになっています。やはりそれは地域コミュニティの再興であり、「おもしろい街」になることです。
「復興するチカラ in アメリカ」
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今朝は予想に反して晴れ間が出ました。四国の上にある前線が大陸の高気圧により押し下げられたからでしょう。しかし蒸し暑く事務所の温度は29度で湿度は95%です。今日は海をすっぱり諦め、事務所の整理片付けと頭の中の整理片付けをします。あまりに雑然としてますから。明日の仙台行の準備もありますから。
さて父(95歳)ですが、今日は調子が良かったようでした。入念に自己流の準備体操をして、ボールをゆっくり打ちます。途中でゆっくり休んで水分補給は、経口補水液を飲んでいます。
1時間ほどで1カードの125発を打ちました。思えば6年前の9月8に父は脳血管障害で倒れ救急搬送されました。ICUに入り緊急出術をし一命を取り留めました。それから6年元気で過ごし、趣味のゴルフの打ち放しも週に1度出来ています。
何よりの事ではないでしょうか。
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第2次安倍改造内閣が昨日発足したらしい。新聞各紙は1面記事。地元紙の高知新聞と日本経済新聞を購読しているが、今朝は朝日新聞と讀賣新聞もコンビニで購入しました。
長期政権を視野にとか、経済再生とか、地方創世に力をという見出しが目立ちますが、どれも実現しないだろうなと思います。安倍首相のやりたいことは「憲法改正」であり、「集団的自衛権行使を拡大解釈をし続けて」、米軍とともに自衛隊を海外派兵し、戦争が出来る国に日本国を改造することだけですから。
「国民の命と暮らしを守る」「安心安全」が、究極の政治の目的であると思いますが(昔の人は治山治水と言いました。)、そのあたりの感覚は安倍内閣は全くないようです。
東日本大震災の復旧・復興も道半ば。福島原子力発電所の廃炉作業も未だにロードマップは出来ず、10万人を超える避難する人たちがいます。
原子力災害の対策も全く不十分であるのに、国内で原発を再稼働させ、海外に輸出までしようとする安倍内閣は、「国民の安心・安全」「国民の命と財産を守る」という政治の基本理念を全く理解しようとしない国民不在の内閣です。
一方で「女性の活用」と言ってはいますが、閣僚となった山谷えり子氏や党幹部になった稲田朋美氏は、極端な極右思想の持ち主であり、今後の言動と行動は、必要以上に難しい近隣国との関係悪化をもたらす可能性があります。
日々の生活に追われ、南海トラフ巨大地震の陰に怯えて暮らしている市井の市民とすれば、「国民不在の2回目のお友達内閣」としか見えません。
国民各位に「安心」と「夢」を与える内閣ではなく、「脅威」と「失意」を与える内閣が発足しましたね。
結局対抗勢力としての野党がだらしがない。国民の「安心安全」「命と財産を守る」ことを明言し、実現する政治勢力の台頭を望みたい。
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「ネット依存症のことがよくわかる本」(監修 樋口進・講談社・2013年刊)を図書館で借りて読みました。深刻な「ネット依存症」のことが書かれています。
一読して人づきあいが苦手で、現実の人間関係から逃避して仮想現実の世界入り込む人たちの事例をいくつか紹介していました。またゲームメーカーも興味が尽きないような「企業努力」をしていることも紹介されていました。
伸び盛りの青少年が「ネット依存症」になることは本人も家族も大変だし、地域の損失も計り知れない。
とは言えシュア界全体がネット社会であることも現実。そのバランスをとることは薬物治療だけではなく、自然体験なども必要であることが大事であるということです。
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今日は母(88歳)の1日ディの日です。月曜と水曜日に1日ディ・サービスにお世話になっています。通所し始めて1年が過ぎました。最初は週1回でしたが、2回にしてもらいました。
母の場合要介護度1。月曜と水曜は1日ディ。火曜と水曜は父(95歳)と一緒に午後から、介護予防通所リハビリ施設へ行っています。内臓疾患はなく、腰痛(脊椎間狭窄症)なので、自宅では動こうとせず寝てばかりいます。足の筋力が落ちています。外出して少しでも筋力の衰えをしないようにするのが精一杯です。
雨模様なので、ゴーヤさんも元気です。数えますと14個実はなっています。今晩も収穫してゴーヤ・チャンプルにしてもらいます。野菜が高いので助かっていますね。
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9月7日(日) 午後5時5分~午後6時55分(NHKラジオ第1全国放送)
番組ホームページ http://www.nhk.or.jp/sendai/pickup/kotoba.html
ローカル局で収録したTV番組が、後から全国放送されたことは過去2回ほどありました。今回はラジオとは言え生番組。放送日当日に高知から仙台へ移動し、そのままスタジオでオンエア。さてどうなることか。タレントでもありませんので、市井の1市民はこういう経験はあまりしないでしょう。ただ今回は出番がほとんどないのだから気楽は気楽です。
番組ホームページにはこう記述されています。
「 東日本大震災から、ことし9月で3年半。
今後大きな災害が起きた時に、あの日の教訓を生かしていかなければなりません。
番組では、あの日、被災地にいた人たちがどんな行動をとったのか、「証言」で振り返り、これからの防災・減災に活かす「ことば」を見つけます。」
メインは学者とタレントとアナウンサーの掛け合いで、東北地方の罹災者の皆様からのお便りを読んでのトーク番組でしょう。それに加えて「これから」起きる南海トラフ巨大地震の四国・高知の住民代表としてのコメントを番組で求められる立場でしょう。
わたしの名前は出演者として記載されていません。ですので、番組の中で3つぐらいの質問に短い言葉で答える程度の役目なのでしょう。(と勝手に想定しております。)
でも300M四方の高知市二葉町から出れない地域防災活動しかしていないのに、NHK第1の全国生放送のラジオ番組に出演する機会なんぞないし、東京ではなく仙台へ行くのも勉強になることでしょう。収録風景を見学したり、局の人達とお話できればそれでいいんです。
来年高知市下知地域で、東北訪問交流ツアー(特に石巻市を中心に)検討しています。そのあたりのお話も番組終了後にスタッフの人達との会話でヒントが得られたら幸いです。自然体で行こうと思います。
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高知市の消防団員をしている知人に聞きました。消防団員は火災現場へ駆けつけ消火活動をしますが、その際怪我をしてもちゃんと保険が掛けられていて、死亡したら多額の見舞金が出るように聞きました。
一方地域防災の一翼を担うと期待されている自主防災会。現状では南海地震が起きて、ご近所の人達を救助しようとして怪我をしたり、死亡しても消防団員のような補償は全くありません。無保険状態なのです。
損害保険に詳しい知人に「自主防災会メンバーを対象とした傷害保険はありませんか?なければこしらえることは難しいのでしょうか?」と聞いてみました。
回答は「全国市長会市民総合賠償保障保険というものがありますよ。そのなかでおそらく自主防災会の活動もカバーされているのでは」との回答を得られました。
全国市長会市民総合賠償保障保険(奈良市の事例))
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1244454343983/index.html
全国の市町村が加盟をしていますが、補償内容が「ボランティア活動」や、防災訓練時の事故などに限られていて、実際の地震や津波での活動は「補償対象外」と明記されているのです。
例として取り上げました奈良市の場合も「対象外」と書かれています。
■ 補償の対象とならない事故
* 該当行事等に参加するための往復途上の事故
* 給付対象者の故意
* 死亡給付金を受けとるべき者の故意
* 給付対象者の自殺行為、犯罪行為
* 給付対象者の酒酔い状態での事故、又は無資格運転による事故
* 給付対象者の脳疾患、疾病又は心神喪失によるもの
* 大気汚染、水質汚濁の環境汚染
* 地震、噴火または津波
* 医学的他覚所見のないけい部症候群(いわゆる「むちうち症」)や腰痛
---など
ではなぜ自治体は「自助」「共助」「公助」を言い「自助が7割・共助が2割・公助は1割です。」などと無責任極まりないことを言うのでしょうか?
公助(行政)の2倍も(共助)が担うべきであると行政側は日頃公言するのに、防災活動をする自主防災会の構成員の「身の安全」「傷害保険」については何の手立てもしていません。全く無責任極まりない。社会的なケアする仕組みづくりが大事なのではないか。この件に関しては掛け声だけでなにもしないのが行政当局です。
ちゃんと補償があると言うなら、具体的にそのしくみを解説いただきたいものであります。
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2014年8月31日(日曜日)。二葉町自主防災会の防災リーダー各位は、午前9時に下知コミュニティ・センター1階ロビーに集合しました。荒木三芳副会長がてきぱきと指示していました。防災リーダー各位は各班の近くの二葉町自主防災会が指定した「津波一時避難(退避)場所」へ駆け上がり、下知コミュニティ・センター屋上に待機する荒木副会長に携帯トランシーバーで情報伝達する訓練をしました。
もよりの津波一時避難(退避)場所からの交信はおおむね良好でした。下知コミュニティ・センター屋上にいますと、二葉町内各所の津波一時避難(退避場所)のベランダや階段部とは交信が可能であることが確認できました。
続いて下知減災連絡会所属の各自主防災会と下知コミュニティ・センター屋上におられる坂本茂雄事務局長との情報伝達訓練を行いました。参加した自主防災会は二葉町自主防災会、若松町自主防災会、知寄町二・三丁目自主防災会、セラビィ21知寄町自主防災会、サーパス知寄町1自主防災会、アルファステイツ知寄町1自主防災会です。
各自主防災会内部での情報伝達が済んだ自主防災会と坂本事務局長が交信しました。屋上や共用部位に移動していただいての交信でした。5つの自主防災会との交信は出来ました。屋上では感度良好。部屋へ入るとやや雑音がいりますが、会話は可能でした。
距離が1キロ離れ、電車通り(国道33号線)北側のアルファステイツ知寄町1は、雑音で聞こえませんでした。どうやって相互通信できるようにするのか今後の課題です。
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