「認知症介護びっくり日記」を読みました。
「認知症介護びっくり日記」(高口光子・著・講談社・2008年刊)を図書館で借りて読みました。主に父(95歳)が、植田医院で点滴している間や、ゴルフ・リハビリにて球を打っている間に読みました。
筆者の高口光子さんは理学療法士。そして介護職にもなり施設の責任者。入居されている高齢者をじっくり観察され書かれています。
「食べなければ 食べ物がのどに詰まることはない」
「歩かなければ転ばない。」
「鍵をかければ1人では外に出ない。」
「たしかに安全かもしれませんが、その人の人間らしさが失われる。そうではなく、認知症のお年寄りこそ、あえて当たり前の生活をしていただき、当たり前の生活だからこそのリスクをお年寄りとともに引き受ける覚悟で介護をする。
それが私たちの基本姿勢です。このことをご家族にも理解していただいていれば、職員は腹を据えた介護ができます。」(P34)
なかなかこういう「腹の据わった」介護施設は現実にはないかもしれませね。以前私もヘルパーの資格取得のためにある認知症の施設で2日間研修しました。市街地のビルでしたので、窓やドアやエレベーターにも鍵が常にかけられていて、職員が入ってくると鍵を開け、そして締める。まるで刑務所並みの施設でした。睡眠薬で皆うとうとし、排泄はすべてオムツ。自分でトイレへ行かさないような「指導」がされていました。排せつ介助はトイレでオムツを履き替えさせることでした。
良い施設と悪い施設の見分け方は1つだけあるそうです。食事介助の時に、立ってやっている介護職員の入る施設は悪い施設です。「人として失礼だし、誤嚥性肺炎になりやすい。」とのことでした。
うちは父が95歳で、母が88歳(11月で89歳)介護度1で元気は元気ですが、人生やがて誰も終末が来ます。高口さんの以下の記述にあるような心境にはまだまだなれません。
「わたしたち介護職員は、汚物処理係りや、人体洗浄係りでも、栄養補給係でもありません。認知症のお年寄りに言う事を聞かせたり、手足を縛ったり、調教したりする飼育係でもありません。
認知症のお年寄りは、口に出さなくても、「私を見ろ」「人として関われ」と全身で語りかけているのです。認知症のお年寄りは、「生きるとは何か」「家族とは何か」「人が人を支えるとはなにか」という事を私たちに教えてくれます。」(P201)
家族には介護が難しいと言われています。
「これまでの深いかかわりがあり、その経緯やしがらみが背景にある。だから家族には身内の行動を自分と切り離して冷静に見るなんていうことはなかなかできりうことではない。」
「それに対し介護職員はお年寄りがぼけてから出会うのですから、なんのしがらみもないのです。」
そういわれてみればそうですね。プロにお任せするところは当然ありますね。介護について少し理解したように思いました。
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