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2014.09.10

「歴史としての社会主義」を読んで


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 「歴史としての社会主義」(和田春樹・著・岩波新書・1992年刊)を読みました。この著作が刊行された1992年と言えば、いわゆる従来型の「社会主義国」が崩壊し、ソ連や東欧諸国の「社会主義国」が消滅したころです。

 中国やベトナムのアジアの「社会主義国」はそれを眺めていて国内の民主化運動を抑圧しながら、外資を積極的に導入し急激な経済発展をし、一党独裁の政治体制でありながら国家資本主義といういびつな体制に変質しました。

 2014年時のロシアとウクライナの問題、クリミア半島の問題も「社会主義国ソ連」の時代からの背景もあります。

 今でも俗にいう自称「社会主義者」の人達は自分たちの信仰する社会主義を「科学的社会主義」と言い、それ以外を「空想的社会主義」と切り捨てます。筆者はマルクス登場以前の社会主義思想を研究し分析もしています。

 私有制度と経済的格差は近代以前から問題になっていました。フランス革命当時バプーフと言う社会主義者がいました。

 平等を実現するには富者を打倒し、私有財産制度を廃止し、革命独裁=強力な国家による改革をしなければならないとしていた。バブーフは武装蜂起の準備中に逮捕され処刑されました。

 その本質は「個々の市民に平等を強制するものであった。もしもパリで放棄に成功したら、バブーフ達はフランス人に「共通の幸福の奴隷制」を強制することになる。」)P26)ということです。

 また筆者はわが国で「空想社会主義」と翻訳されたサン・シモン、フーリエ、ロバート・オーエンらにも言及しています。バブーフのような暴力的な強制力を伴わず、産業組合的な考え方や協同組合的な組織で富の公平な分配をめざしていました。ロバート・オーエンのか考え方は後に消費者協同組合(生協)などの展開に後になっていきました。

 また筆者は「マルクス主義の強み」の項目でこう述べています。

「エンゲルスは、1880年のきわめて名高いマルクス主義普及の書「ユートピアから科学へ」(邦訳名「空想から科学へ)の中で、マルクスの唯物史観と剰余価値学説の発見によって、社会主義は科学になったと主張したが、これは大いに人々を誤導した発言であった。」

「たしかに「資本論」を頂点とするマルクスの学問的な現実的分析は高度な水準であっかが、社会主義思想しのものがユートピアすそうであることは、彼の場合でも変わりがなかったのである。」

 結局マルクスにしてもブルジョアジーを打倒してどのように理想社会(共産主義9をこしらえるのかについては極めてあいまいで雑な記述しかしていないようですね。筆者はフランス革命時の残忍な独裁的共産主義者バブーフの影を引きづっていると指摘しています。

 ロシア革命のレーニンは戦争共産主義を一時期形成したし、スターリンは一党独裁の恐怖政治で国全体を監獄にし、ナチスは巧みにその体制を模倣しました。事情を知らない外国からは理想国家とみられていた社会主義国も内実は監獄社会。独裁国家の奴隷制社会であったと言えるでしょう。

 一読して富の再分配、階級格差の是正をするために「奴隷制強権国家体制」を構築することが、言古された「プロレタリア独裁」なんでしょうしょいか?

 わたしはここ数年の個人的な社会運動の総括に「連合赤軍と新自由主義の総括」を取り上げています。しかし理想社会が「奴隷制社会」であった現実は、あまりに辛い結論ではないか。

 「社会主義」のありかたはもっと別の道があるだろう。そう思いかんがえてみたいと思います。

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