父は元気に生きております
今日は植田医院で診察と点滴を受けました。先週の血液検査の結果も良好でした。95歳と3か月になる父ですが、健康であることに感謝です。検査報告書の結果も良好でした。
植田一穂先生はこう言われました。
「減タンパク食の摂取と、適度な運動(週1回のゴルフリハビリと週3回の介護予防リハビリ)と適切な水分補給が腎機能を回復させたのでしょう。年齢から言えば驚異的なことですよ。」
植田医院から父は2本足直立歩行で歩いて駐車場まで行けます。健康寿命を95歳まで維持していることは素晴らしいことであり、家族としても喜びです。
お昼の12時10分には、介護予防リハビリ通所施設(ジョイリハ)の送迎車が来ました。母(88歳)と一緒に元気に乗り込んでいきました。通所し始め3年となり、超高齢者でも体力がつくことが両親で実証されました。
思えば丁度6年前。2008年の9月8日(月曜日)に、父は昼食中に意識がなくなり、近所の飲食店のオーナーが救急車を手配していただき、うちへも連絡いただきました。ちちのポケットに私の名刺が入っており連絡いただきました。
父の保険書を家内に探してもらい救急車へ飛び乗って近森病院へ搬送されました。ICUへ入り、緊急手術をして一命を取り留めました。幸い身体には後遺症は出ませんでした。言語機能が1部やられ失語症になりました。
以後仕事の都合をつけて、毎日母を連れて病院へ見舞いに行きました。近森病院に1ヵ月、リハビリテーション病院に3か月入院し、12月27日に退院できました。同時期母のアルツハイマー型認知症も発見できました。
6年前から私の人生は大きく変化しました。多くの市民活動には参加できなくなりました。偶然でしたが2000年4月から8年6か月続けてきた高知シティFMでの番組制作と出演も打ち切りになり、原則地域限定(300M四方の町内)になりました。300M四方の二葉町に限定した地域活動になったのは父が脳血管障害で倒れたことと、母の認知症からでした。
人の命には限りがあります。父は見事に回復しました。今も努力をしています。その姿に励まされています。私も頑張らねばと思います。
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