「吉野屋の経済学」を読みました。
「吉野屋の経済学」(安修仁・伊藤元重・共著・日経ビジネス人文庫・2002年刊)を高知駅前のブック・オフにて購入し読みました。
安部氏は当時の吉野屋の経営者。伊藤氏は経済評論家。12年ぐらい前の著作なので、筆者たちが言っていることも真偽がいまとなればある程度わかりますね。この種の「はやりもの」の書籍は、何年か経過して購入すればいいですね。
初めて知りましたが、牛丼の吉野屋の原点は東京築地の市場近くにあったそうです。1店舗で1日に1000人来店する超繁忙店。先代のオーナーが手早くお客が食べられるように考案されたのが牛丼でありました。
市場勤務の人達が相手だから、早く駆け込むための食事のスタイルであり、早く調理して出すスタイルは当時から現場で鍛えられ確立されていました。
1店舗では限界になったので、昭和45年ごろに、アメリカの外食産業を視察されて、チェーン化を構想したようです。翌年にアルバイトで安倍氏が入社し、吉野屋が高度成長し店舗が増え始めた頃でした。
アメリカ直輸入の外食産業のFC化を、和食である牛丼店で多店舗展開をしていきました。
私は東京で学生時代と社会人時代の1973年頃から1979年までおりましたが、ちょうど吉野屋が高度成長し、最初の倒産をする時代ではなかったかと思います。当時1週間続けて吉野屋の牛丼を朝食に食べ続け、嫌になりそれ以来食べていないですね。
経営者が変わりシステムも多少変化し、高知市のような地方都市まで吉野屋は店舗を出していますが、食べようと言う気が起きません。
本のなかでは、店舗のイラストと厨房内のイラストもありました。覚えている吉野屋の店舗はそんなものでしょう。
最近は超高齢者の両親と同居している関係もあり、外食することは殆どありません。「狂牛病」騒ぎの時に米国からの牛肉輸入が禁止され、「吉野屋の牛丼が食べれないのは苦痛だ。」という愛好者のコメントを放映していました。
大量仕入れと大量販売、人材の養成と価格戦略など、一読はしましたが、なんだか「過去の」産物のような気がします。
コンビニもそうでしょうが、小さな店舗の裏側には、食材や資材の巨大な供給システムがあることが少しだけわかりました。わたしは年寄りの部類に入る年齢になりましたので、強いてこの種の「ジャンク・フード」を若い頃のように懸命に食べる必要がありません。
少子高齢化社会のなかで、吉野屋はどうなるのでしょうか?
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