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2014.12.16

「職業としての編集者」を読んで


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 「職業としての編集者」(吉野源三郎・著・岩波新書・1989年刊)をようやく読みました。10月から12月にかけては仕事もさることながら、地域防災活動や地域のコミュニティ活動も多忙状態でした。週に3から4回夕方打ち合わせ会や、役員会や講演会が連続。休日は防災訓練や防災研修が連続。全く余裕がありませんでした。

 著者の吉野源三郎氏は、東京大学の哲学科を卒業し、学窓の道を歩もうとしたところ、縁があり岩波書店へ入社。オーナーの岩波茂雄氏とともに「岩波新書」を創刊し、発行した中心的な人物でありました。

 創刊当時は日本が近隣諸国へ軍事的な圧力を強め、排外主義、軍国主義的傾向が台頭していた時代でもありました。そんななか英国の「ペリカン双書」をモデルとした岩波新書が誕生したのでした。

「これらの著作を読んでいているときに自分を包んでいる、のびのびとした自由な気分についてであった。気が付いてみると、この双書そのものには、何ら政治的な傾向や主張は説かれていなかったし、イデオロギーも露出したいなかったけれど、これを読んでいるときの楽しさは、当時わたしたちを締め付けていた偏狭な国粋主義や狂信的な軍国主義、権威主義と全く相容れないものであった。

 ここでは、人間の知性がのびのびと自由に動いている。その思考の展開にそって自分の知性を本来の知性に帰って、何の束縛もなく働いてゆく。それが私たちにとっては一種の解放感となって、この双書を読んでいる楽しさを倍加しているのであった。

 その上に、本の大きさを片手でもてる大きさ、分量も読み切るのに手頃なな分量、そして、淡青色の紙袋が、机に向かって分厚い本を繰りひろげる読書とはちがった読書の気安さをもたらしていた。」(P55「ペリカン双書の魅力」)

 岩波新書はペリカン双書に大きな影響を受けながら独自な境地を開拓していきました。

「ペリカン双書から、このような性格と特色を読み取ると、私は、この形式でなら、当時の日本の状況でも、国民に訴える道が訴える道が拓かれやしないか、と考えついた。

 もはや軍部の独裁に近い体制が出来あがっていた当時の日本では、その政治的状況や軍事的問題に対しては、無論のこと、彼らの振りかざす国際的思潮に対してさえ、合法的な場面で批判を加えることは不可能になっていたけれど、ペリカン双書のような形式でなら、また、国民の思想と心情とに自由をもたらすことが可能だ、と思われたのである。。」

「少なくとも現在の状況の中で非合理な弾圧に堪えつつ生きている多くの人々に、楽な呼吸のできる若干の時間を提供することは出来るだろうし、もしも国民の「物の考え方」と心情の中、狂信的な国粋主義やファシズムと相容れない異質的なものが目覚め、それがどれだけにせよ定着するならば、それらこそが、生硬なイデオロギー寄りも、」返って
かえって根底的な反ファシズムの地盤がになるはずだ。というのが私の結論であゅた。」(P56)
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 岩波新書は1938年(第2次世界大戦の前年)に発刊されました。しかしほどなく2次大戦がはじまり、出版業界も統制下に入り、翼賛出版を岩波書店はしなかったので、紙類の配給もなく戦時中は休刊状態でした。敗戦後は「戦犯」とならずいちはやく再出発が出来ました。

 高い文化と教養を持った人たちや文化人がいたにも関わらず、無益で無謀な世界大戦を引き起こし無残な敗北をしたのか?筆者は文化的な背景から説明しました。

「戦後の出版について岩波さんが力説したのは、新たな総合雑誌を出すことであった。岩波さんの見るところでは、すでに満州事変のころから日本のファッショ化を心痛していた人は少なくなかったし、中日戦争の勃発にあたって、軍や政府のやり方に批判的な意見を持っていた人は、自分以外にもたくさんあった。

 その後、軍の圧力が政治を支配するようになり、言論を抑圧し、思想を統制し、野蛮な弾圧をを重ねながら、とうとう日本をこんどの戦争にひきずりこんでいった間にも、その経過を心外のことを考え、これを否定していたすぐれた学者や思想家が、けっしていなかったわけではない。

 しかし、けっきょく。これという反対も出来ず、日本が今日のような悲惨な状態に落ち込んでゆくのを食い止めることはできなかった。

 日本には高い文化がありながら、それだけでは祖国の亡ぶのを阻止できなかったのだ。それは、文化が大衆から離れたところにあって、大衆に影響力をもたず、軍部や右翼がかえって大衆をとらえていたからである。この過ちをもう、ふたたびくりかえしてはならない。こんどの体験を教訓にして、文化と大衆とを結びつけることを、なんとかしてやらねばならない。

 岩波書店も、在来のアカデミックなわくから出て、もっと大衆と結びついた仕事をやる必要がある。大衆の文化を講談社ばかりにまかせておかないで、われわれのところでも、総合雑誌にしろ、大衆雑誌にしろ、どんどん出版していこうではないか。これが岩波さんの提案であった。」(P63「世界創刊まで」)

時代の背景が1930年代後半や敗戦直後でした。しかし今の日本の世相もあまり変わっていません。護憲平和や反原発運動が市民各位に浸透していません。

 多数の大衆は安倍政権を支持しています。安倍政権のほうがより大衆に浸透していて心をつかんでいるからです。市民各位は手痛い「敗北の現実」を直視しなけばならないですね。

 時代は「対米従属のファシスト政権」に支配されつつありますね。良くない兆候ですね。先人の知識人の嘆きが聞こえてくるようです。しっかりしないといけないですね。
Abeikumimm2_2

 

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