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2015.01.10

「街場の戦争論」を読んで


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 「街場の戦争論」(内田樹・著・ミシマ社・2014年刊)を年末に1728円を支払い新刊本で購入しました。「街場の ○○論」といういうのは内田樹氏の評論本・随筆本のシリーズものの表題ですね。

 内田樹氏の著作と言えば、11月に上京した時に購入した「大市民講座」(朝日新聞出版)以来です。読みやすいし、常識的な言葉で淡々と書いているところが、年寄り向きですね。

 「内田樹・大市民講座」を読んで

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-6461.htm

 「街場」(まちば)と言う言葉も、塗装業界の関東地方の業界用語。「街場のペンキ屋、野丁場のペンキ屋」(街中の仕事場の事を「まち場」と言い、野丁場はその反対の意味で「郊外の現場」と言う意味です。)。そういう親しみがあり読んでみたわけです。

 2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原子力発電所の大災害を最近の日本社会は「なかったかのような」振る舞いを安倍政権がしています。

 「福島原発の廃炉のためのロードマップも描けない状況」で、関係者の懸命の作業にもかかわらず、事故後3年9か月を経過しても、大気や地中、海洋への放射性物質の大量流失が止まらない。未だに原発からの罹災者12万人が自宅へ地域へ戻れません。

 そんな状況など「なかったかのように」、安倍政権は鹿児島県川内原発の再稼働を認めました。そして「再稼働する自治体には手厚い交付金を出し、そうでない自治体には出さない」ことを露骨に始めました。

 2014年12月の総選挙で、安倍自民党政権は連立している公明党と合わせて衆議院の3分の2の議席を獲得しました。憲法改正も可能な議席を獲得しました。

 「特定機密法の強行採択」や、「集団的自衛権の閣議決定」など、国民主権と基本的人権の尊重、平和主義の日本国憲法を冒涜し破壊する政策を矢継ぎ早に行いました。

 一方で「消費税は1年半後に10%に課税する。」「社会保障費用と医療費用の国負担を減らし、個人負担を増やし、大企業には減税する。」「非正規雇用を増やし賃金を引き下げる」政策ばかりし、国民の間の経済格差を拡大する政策ばかりしています。

 極端な円安誘導と大規模な金融緩和策で、株価こそ上昇しましたが、株式市場と無縁なだ多数の市民大衆一般は、実収入の減少と増税感と不況感で消費マインドは冷え凍りました。また安倍内閣閣僚の言動と行動で、アジアの近隣諸国(中国・韓国)との外交関係は最悪になりました。

 しかしなぜこうした「人でなし安倍内閣」をなぜ多数の日本人は支持(選挙を棄権した白紙委任も含めて)したのか?日本人が「人でなしに」なっているのではないか?そう思い内田樹氏の本を読みました。お正月の「課題図書」でありましたから。
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 内田樹氏は、その原因を「先の世界大戦で日本国は立ち直れないほど惨めな敗戦をした。未だに精神的に立ち直っていない。」ところに要因であると言っています。

 また最近の安倍内閣の「人でなし政策の実行」は、「国民国家を破壊して、日本国を株式会社化しようとているのではないか」との仮説で説明しています。その2つの論旨は明快であり、「なるほど」と思いました。

 1つめの「負けかたが酷すぎる」と内田樹氏が表現していることは以下の言葉に体現されています。少し長いですが引用します

「日本は戦争でいったんは灰燼に帰したけれど、その後奇跡の経済成長によってみごとに復活を遂げました。という話を僕は信じません。

 日本人はあの戦争によって取り返しのつかないくらい多くのものを失った。それはもう少しの知恵と気遣いがあれば守れたものでした。それを日本人は惜しげもなく投げ捨ててしまった。僕はそれが口惜しい。

     (中略)

「たとえば、僕たちはいまだに韓国から先の戦争中の従軍慰安婦制度について厳しい批判を受け、謝罪要求をされています。日韓条約で法的には片がついているとか、韓国には十分な経済的な補償を済ませているから、いつまでも同じ問題を蒸し返すなというようなことを荷立たしげに言う人がいますけれど、戦争の被害について敗戦国が背負い込むのは事実上「無限責任」です。

 定められた賠償をなしたから、責任はこれで果たしたということを敗戦国の側からは言えない。戦勝国なり、旧植民地なりから、「もうこれ以上の責任追及はしない」という言葉が出て来るまで、責任は担い続けていかなければならない。」

「先日ある雑誌の取材で、韓国に対する謝罪をいつまで続ければいいのですか?という質問を受けましたので、「相手がもういいと言うまで」と答えました。

 実際にドイツの大統領はそうしています。かつての占領国に行くたびに、ドイツ大統領は第2次世界大戦の戦死者の墓地に詣でて献花をして、ドイツ国民を代表してナチスの所業をについての謝罪をしています。

 ユーゴスラビアへ行って謝罪し、ギリシャに行って謝罪し、ヨーロッパ中のどこの都市でも謝罪し続けています。ほとんどそれが大統領の主務であるかのように。戦争が終わって70年経っても、この謝罪の儀式は終わらない。戦争に負けるというのは、そういうことです。」

「自民党のある政治家が、戦争をしたのは私たちではなく先行世代である.彼等の罪について私には謝る義務がないと言い放ったことがありました。

 この政治家はたぶん国民国家を「株式会社のようなもの」だと思っていたのでしょう。株式会社なら、政策判断を誤っても、倒産すれば、それで終わりです。倒産すれば登記上消滅する。それだけです。株式会社は法的擬制ですから、誰も逮捕したり、死刑にすることはできない。事業の過程でどれほどの損害を与えていたとしても、社員(株主のことです)には出資額を超える責任は求められない。それが「有限責任」ということです、」

「でも、国民国家は株式会社ではありません。隣国との間に確執があった場合、そこには、目には目を、歯には歯をという同罪刑法の原理が適用される。もちろん現代社会ではそのまま適用されるわけではありません。

 賠償や謝罪に置き換えられます。けれども、それは「目には目を、歯には歯を」という苛烈な原理の適用を寛大にも手控えている。どの程度まで手控えるかは報復する側の善意と自由裁量に委ねられている。そういう理屈です。国民国家の過失については事実上の無限責任が問われる。」

「アメリカが日本を占領し続けているのも、ロシアが北方領土を占領し続けているのも、同罪刑法の原理を適用しているからです。彼等は日本に対して十分な貸しがあり、それはまだ完済されていないと思っているからそうしているのです。

 アメリカは日本に勝つことによって、好きなところに、好きな期間だけ軍隊を置く権利を手に入れました。これはのちに国務長官になったジョン・フォスター・ダレスの言葉です。この「好きな期間」は解釈上無限に延長可能です。」

  中略

「自分の親や祖父母たちの世代がしたことだから、わたしには責任がない。というような泣き言が通るはずがない。そう言いたければ韓国や中国に向かって言う前に、まずアメリカに向かって言ってみたらいい。アメリカにあの戦争をしたのは私じゃなくて祖先であるから、沖縄を返せと言ってみたらいい。」

「僕たちが敗戦で失った最大のものは、「私たちは何を失ったのか」を正面から問う知力です。あまりにひどい負け方をしてしまったので、そのような問いを立てる気力さえ敗戦国民にはなかった。その気力の欠如が戦後70年続いた結果、この国の知性は土台から腐食してきている。僕にはそのように思えるのです。ですから、僕たちはあらためて、あの戦争で日本人は何を失ったのという痛々しい問いを自分に向けなければならないと思います。」(P37「日本人は戦争に負け何を失ったのか」)

 内田樹氏は、せめて1944年に敗戦しておれば「普通の敗戦国」になれたはず。1944年以降に230万人と言われる日本軍兵士の犠牲者の大半が出ているからです。

 内田樹氏は当時の日本国が「なぜ普通の敗戦国になれなかったのか」という設問を立て説明しています。1942年にミッドウエー海戦で海軍兵力の大半を喪失した日本帝国。あの時点で潔く「投了」(敗戦)を決断しておれば、「普通の敗戦国」でいられたのにと内田氏は仮説します。

「1942年時点で講和していれば、講和条件として、おそらく日本は明治維新以後,日清・日露・第1次世界大戦によって手に入れた海外領土と海外権益のすべてを返還させられていたでしょう。

 満州国はもちろん、朝鮮半島も台湾も手放さなければならなかった。これはしかたがない。でも江戸時代に隣国から日本領土として認知されていたものはそのまま手元に残される筈です。

 そして、高い確率でわれわれは今も大日本帝国憲法下の帝国臣民であった。そして主権国家の国民であった。今の日本は主権国家ではありません。アメリカの従属国です。

 この違いに日本人はあまりに無自覚であるように思います。「戦争に負ける」という事と、「戦勝国に従属する」ということは別の次元の事です。敗戦即従属というようなものではない。しかし、日本人はこの「命がけの跳躍」を軽々とおこなってしまった。

 そして「戦争に負ける」ことと、「戦勝国に従属する」ことを無媒介的に接合したことによって、「なぜ戦争に負けたのか」「戦争で何を失ったのか」という問いを組織的に回避した。」(P42「なぜ普通の敗戦国になれなかったのか」)

 日本と同様に敗戦した枢軸国のイタリアは、米軍がシチリア島に上陸する(1943年)や否や蜂起し、独裁者、ムッソリーニを捉え処刑しました。そのパルチザンの人達は敗戦後のイタリアの再建を担いました。

 ドイツの場合もヒトラーを倒そうとしたドイツ軍将校シュタインベルグ大佐と言う人物がいて、ヒトラーとナチスとは異なる「ドイツの良識」モデルが大戦中に存在したと内田樹氏は言います。「戦前のドイツの良き伝統を一身に体現していた人物が、同時に戦後ドイツが範とすべき理想的市民に置き換え可能であった。」(P52「ドイツとイタリアの負けから」)

 つまりそれは「ヒトラー独裁という「一時的な」病的逸脱はあるけれども、それをかっこにいれてしまえば、戦争をはさんでもドイツの国民的アイデンティティは揺るがない」ということです。

 戦争体験者の小説家司馬遼太郎はそのあたりにこだわり徹底的に調査もされました。そのあたりも内田樹氏はわかりやすく書いています。

「司馬遼太郎は幕末から日露戦争までの日本(「竜馬が行く」から 「坂の上の雲」の日本)が「ほんとうの日本」であり、それが1906年から45年までの40年間の「魔の季節」において「いつわりの日本」になり、敗戦後また本態に戻ったという「物語」をつくろうとしました。戦後ドイツ人が国民的規模でつくった「物語」を単身でつくろうとしたのです。

 中略

「鬼胎を取り除いて、戦前と戦後の日本のアイデンティティを連続させるために司馬は「日本のシュタウベルク大佐」を探り出さなければなりませんでした。でも昭和の軍人のうちにはそのような「戦前のよき伝統」を体現し、「戦後の新しい理想の正しさを担保してくれる人をひとりとして見出すことができなかった。」(P54)

 確かに司馬遼太郎氏は「この国のかたち」や「対談集」でもそのようなことを言われています。松山市の坂の上の雲ミュージアムで購入した「昭和と言う時代」にも同様の嘆きを司馬氏は書かれていましたね。

 「昭和という国家」を読んで

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-e9b9.html

「日本という国の森に、大正末年、昭和元年くらいから敗戦まで魔法使いが杖をポンとたたいてのではないでしょうか。

 その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略あるいは国内の締め付け、これらは全部変な、いびつなものでした。

 魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略が現れ、太平洋戦争も現れた。」

 司馬遼太郎が、軍部官僚の「統帥権」という、正義の体形が充満して、国家や社会を振り回していた、”昭和という時代”を骨身に軋むように想いで「解剖」する。日本のあすをつくるために。」(司馬遼太郎「昭和という国家」)

 また江藤淳と言う評論家が、米軍の敗戦統治が執拗であり徹底した言論統制と検閲で当時の日本人のアイデンティティを奪い去ったのではないかと主張していました

 そのあたり江藤淳氏の著作を読んで唖然とした思いがありました。

「「閉ざされた言語空間」を読んで。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3602.html

「江藤氏がアメリカのメリーランドに滞在し、GHQの検閲の様子を懸命に調査されていたからです。

 敗戦後の日本の言論機関、出版社に対するGHQの検閲は大がかりで組織的なものでしたが、広報する組織ではないために実態が殆どわからぬままだったのです。

 二次大戦の敗北は、当時の多くの日本人は「一時的なもの一過性なもの」と思っていました。米国占領軍の意図はそうではなく、戦争で「悪いのはすべて日本軍国主義なのだ」と思い込ますために、ありとあらゆる方策で検閲をしたとのことでした。

 本では検閲で不可とされた句が例として上げられていました。

「焼跡の菜園雨に打たれをり」

「1円と20銭なる竹槍で みいくさせしも夢のまた夢」

 ひそやかに、人目につかぬようにいま日本で検閲がおこなわれている。この検閲の質がどのようなものを知るかは次の(上の俳句が)良い目安になるだろう。

 俳句は17シラブルからなる日本の詩だが、この俳句は事前検閲のため米軍当局に提出され、米国の利益に反する題材を含むという理由で没になったものである。」(P216)

 敗戦直後には、当時の日本人の歴史観や戦争観が米軍により全否定されます。

「つまり、昭和20年暮れの、8日から15日にいたる僅か1週間の間に、日本人が戦った戦争、「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、その欠落の跡に米国人の戦った戦争、「太平洋戦争」が嵌め込まれた。

 これはもとより、単なる用語の入れ替えにとどまらない。戦争の呼称が入れ替えられると同時に、その戦争に託された一切の意味と価値観もまた、その総入れ替えられずにはいないからである。

 すなわち用語の入れ替えは、必然的に歴史的記述のパラダイムの組み替えられずには措かない。

 しかしこのパラダイムの組み替えは、決して日本人の自発的な意志によって成就したものではなく、外国占領軍権力と禁止によって強行されたものだったのである。」(P231)

「つまり、極東国際軍事裁判は、それ自体が大仕掛な「ウォー.ギルド・インフォメーション・プログラム」であったのみならず、日本人から自己の歴史と歴史への信頼を、将来とともに根こそぎ「奪い」去ろうとする組織的かつ執拗な意図を潜ませていたのである。」(P267「アメリカは日本での検閲をいかに実行したか」)

 江藤淳氏は単なるファシスト文学者ではありません。きちんとした検証を行っています。

 内田樹氏の言う日本の支配層に、ドイツ人将校の「シュタインベルグ大佐」がいなかっただけではなく、アメリカ占領軍は統治期間中に「先の世界大戦はすべて日本国軍人がすべて悪いのだ」という事を日本国民各位に広範囲に徹底して刷り込みました。その影響は甚大なものがあると思いますね。

 アメリカには逆らわず、へりくだることで自分たちの意志を通す。敗戦後の日本の保守政治家はすべてやりかたはそれぞれ異なるにしろ踏襲してきました。

 安部内閣の「解釈改憲」や「集団的自衛権行使の閣議決定」や。「特定機密法の強行採択」は、本来はアメリカ合衆国の憲法の精神には全くなじまないものです。

 しかし安倍内閣はアメリカにへり下り「アメリカの国益を日本国が守るためには必要な法律であり処置でした。」と言う「言い訳」「宗主国米国への忠誠心」を示してアメリカに「黙認」していただいたものですから。

 内田樹氏の最近の安倍内閣の動向とアメリカの動きの観察は見事です。

「機密漏洩に厳罰を科せばアメリカの国益を守れるという話に書き換えた。アメリカにしてみれば「国内の反対を押し切っても、アメリカの国益を守るために努力をしているのです」という説明を聞かされて「止めろ」とは言えません。実質改憲をアメリカに「呑ませる」ために,官邸はすべてアメリカの国益を確保し、増大させるためのものです」という話にした。」(P154[アメリカが改憲を受け入れない2つの理由」

「解釈改憲は憲法第9条の文言そのものはいじらないで、アメリカの海外での軍事行動に参加できるように憲法解釈を変えたものです。集団的自衛権の行使が既成事実化すれば、第9条第2項は事実上空洞化する。

 アメリカが嫌がる「憲法理念の書き換え」は手控え、アメリカが「ノーと言えない」理由をつけて実質改憲する。そして、官邸が知恵を発揮したのは、このような「限定的改憲」であるかぎり、アジア諸国からの反発も抑制できることを読んだ点です。」

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「むしろ、日本のような豊かで安全な国でさえ、治安のために強権的な言論統制が必要であるから、治安の悪い我が国においてや、という自国の強権的統治を正当化する根拠として活用することが出来る。

 まことに気鬱なことですけれども、日本政府が自国の民主化度を他のアジア諸国レベルまで引き下げることは国際社会から歓迎されこそすれ、外交的緊張を高める可能性はないのです。
 
 というわけで、13年の5月に安倍政権は全面改憲を放棄した代わりに、「東アジアに緊張関係を作り出さす改憲の実を取る」という宿題に「解釈改憲による集団的自衛権の行使」と「特定秘密保護法による反政府言論の抑制」という「プランB」を以て回答して、アメリカに「合格点」をもらい、みごとに第9条と第21条の空洞化に「王手」をかけたのでした。」(「P156「アジアからも反発されない限定的改憲」」)
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 著作の大半は大きな話ばかりで、「300M四方の町内から出れない小市民」の私には、いささか大きな国家レベルの話でありました。「さもあり何」と言うほかはありません。

 最後の方に記述されていた危機管理の極意については、いつ南海トラフ巨大地震に海抜0メートル地帯に居住して怯える小市民は共感を覚えました。

「危機的状況で生きのびる役に立つフォロワーとは一言でいえば「技術者」です。「技術者と言うのは、与えられた環境の下で手持ちの資源を用いて自分には何が出来るのかを言える人です。

    中略

「生きのびる道を指示できる「リーダー」と、ありものを使いまわして「総体として無秩序である世界」に局所的、部分的な条理を立ち上げることのできる「技術者」それが非常時対応人材です。そのような人材を育成すること。それが集団としてのリスクヘッジの基本戦略だと僕は思っています。」(P27「非常時対応能力とは」

 国民の生活よりもアメリカにへつらうことを「最優先する」安倍政権。
仕事で「とりあえず防災」しかしない地方自治体防災部署。権限と予算と情報を独占して市民側に譲渡しようとしません。

 私たちが困難な状況の環境下で、人としてまっとうに生きていくには「何をしたらいいのか」「どういう発想をすべきなのか」を暗示していただけた書籍でありましたね。

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