「慰安婦報道と言論の自由」の講演会へ行きました。
全く夫婦そろってノー天気。日を間違えて前日の2月7日に高知城ホールへ行っていましたから。気を取り直して自宅から歩いて行きました。前日と異なりうって変って西高東低の気圧配置なので風が強く寒い日でした。
「慰安婦報道と言論の自由」(主催 国民生活を守り憲法を暮らしにいかす懇談会)だそうです。講師は植村隆氏。高知県須崎市出身。元朝日新聞記者。現在は北星学園の非常勤講師です。
わたしは労働組合関係者でも左翼政党の関係者ではありません。チラシに「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(18世紀のフランスの哲学者ボルテール)とありました。その文言が気に入りましたので参加しました。
両親の昼食を終わらせて午後1時過ぎに自宅を家内と一緒に徒歩で出ました。30分ほどで高知城ホールへ来ました。見ると警察の人達が会場周囲を警戒されています。
会場入り口には「場内の平穏を乱す方入場お断り」の張り紙もありました。
4階の会場へ行きますと早くも満席状態に。後ろしか席は空いていませんでした。
やはり参加聴衆は年配者が多い。高校生以下は無料にすべきであると思いました。でもネットで関心を持ったのか30代・40代の人達も多く来ていましたね。300人の人達が詰めかけていました。報道機関各社の記者の人も来られていました。ほどなく満席状態になりました。
「最近の安倍政権は中東のテロ事件、日本人殺害事件を政治的に利用し、来年の参議院選挙後に憲法改正手続きを国会で行い、国民投票も行うと言う動きを見せています。
またそのかたわらで言論の自由を抑圧する行動に出ています。植村隆さんの問題もまさにそうです。」と言われました。
「わたしは高知県須崎市の出身です。中学・高校時代は高知市内で過ごしていました。大学へ経て朝日新聞記者をしていました。海外駐在記者もしていましたが、北海道支局時代には、坂本龍馬の甥の直行の業績や関連を調べていて、いつか本でも書いてみたいと思い、50歳を過ぎて大学院で勉強したりしていました。
高知へ来るのも坂本龍馬の関連の話で来るのならまだしも、今日は私に関するいわれなきバッシングや攻撃に対し、断じて捏造記者ではないということを皆様にご理解いただくために来ました。先日外国特派員記者との会見でも同様のお話をさせていただきました。」と切り出しました。
さすがに元記者らしく裏表20枚に渡る関連資料が、レジュメとして参加者に配布されました。
講演の趣旨は、主に植村さんが「いわれなき攻撃」されている記事を書いたのは、1991年頃の大阪支局時代のもの。最近朝日新聞が自ら過ちを認めた故吉田清治氏からの聞き取り証言(朝鮮人女性を軍時代に強制連行した)をもとにした記事とは、まったく関係がありません。というものでした。
資料によれば1991年当時は「従軍慰安婦」問題は取り上げられたばかりであり、最初の証言者金学順(キム・ハクスン)さん(当時67歳)の登場の頃は各紙横並び報道でありました。「キーセン養成所へ行くと言うのが女子挺身隊であり、結果騙されて軍の慰安婦になることを強要された。」ということでした。
主なる批判は「女子挺身隊は軍事工場への徴用であり、慰安婦とは全く違う」とのことでしたが、1991年当時の韓国では「女子挺身隊」が「従軍慰安婦」と同じ意味として使用されていました。金学順(キム・ハクスン)さんも女子挺身隊にさせられたと言われたそうです。
植村隆さんがきちんとした記事を書いていたことは資料でよくわかりました。しかし驚くのは、執拗なバッシングであり本人ばかりか勤務先やご家族への脅迫の内容でした。「大学を爆破する」「生徒を傷つける」「国賊を雇う大学は燃やす」とか。
更には高校生の娘さんの顔写真をネットにさらし「売国奴の娘」「自殺に追い込む」などと心無い誹謗中傷まで行う輩がいたこでした。
さすがに植村さんも反撃し、支援者も増え、ネットでの支援も広がり、誹謗中傷メールを圧倒するようになりました。「植村応援隊」も結成され、北星学園大学への支援も広がりました。
自由な言論を封殺しようとする動きや行動には断固として反対しないといけないと思いました。意見交換会は夕方になると超高齢の両親を放置できないので、意見交換会は出席することなく会場を後にしました。
スタッフの人が撮影された動画もありました。
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