映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」を見ました。
以前地域代表の坂本茂雄さんから、映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」のチラシをいただいていました。行けることが確実なら坂本さんから前売り券を購入していますが、うちは超高齢者の両親がいます。調子が良いことを今日確認できましたので、家内と一緒に行くことにしました。
当日券を購入し、ロビーに入りますと、坂本龍馬記念館館長の森健志郎さんと、学芸員の前田由紀枝さんにお会いしました。坂本茂雄さんにも会場でお会いしました。本日3回目の上映とのことでしたが、8割方埋まっていました。
映画は長野県の下伊奈郡会地村の生活が描かれています。主人公の山本慈昭は、長岳寺の住職であり、国民学校の教師でもありました。昭和20年の3月過ぎに、村の幹部から説得され、5月に満蒙開拓団に一家で参加することになりました。
しかし[地上の学園」と宣伝されていた満州の入植地は、野火で住宅は焼け、再建中の有様でした。空襲の戦火もないのどかな満州の生活でした。入植者は[頑張ればなんとかなる」と思っていました。
しかし8月になり、突然ソ連軍が満蒙国境を越えなだれ込んできました。最強と言われた関東軍は一目散に撤退。27万人と言われた満州開拓団の日本人は敵地の中に放り出されました。
ソ連軍から逃れつづけましたが、ついに捕まり収容所に。そのなかで16歳以上の男はシベリヤに抑留されました。山本慈昭も家族と引き離され、2年近く極寒のシベリヤで強制労働させられました。ようやく釈放され、故郷の長野へ戻りました。
そこには一緒に満州へ渡った妻や子供たちの姿はなく、母親に満州で死んだと告げられました。落ちこむ日々でしたが、戻ってきた人たちに会い、一緒に入植した人たちの生息を調べ、亡くなった人たちの死亡者名簿もこしらえました。
天台宗の大僧侶に会うと、長野県で強制連行された中国人の事を知り、遺骨の収集を行い、遺骨を中国へ返還する運動に尽力されました。真摯な取り組みが反響を呼び、マスコミにも取り上げられました。中国に残された[残留孤児」の存在も知り、帰国の運動にも尽力されました。
映画の中で「国家の嘘は巧妙で、なかなか見抜けない。見抜き目をもたないといけない。」との言葉が。「日本人は被害者でもあり、加害者でもありました。」
この映画でも沖縄同様に、軍隊が市民を守りませんでした。放置して自分たちだけが逃げました。
安倍内閣はしきりに軍隊で日本国を守るとか懸命に説明しますが、凄惨な地上戦が行われた沖縄でも、1番先に軍隊が逃亡した満州でも、軍隊は市民をまったく守りませんでした。映画を見ていて、現実味があり、フィクションとは思えませんでした。
日本と中国は対立しても戦争はしてはいけないです。つくづくそう思いました。
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